シヴァリー 第四十一話

   ◆◆◆

  三つ葉葵の男

   ◆◆◆

 閃光に白く染まるケビンの視界。
 死んだと思った。
 痛みを全く感じなかったのが少し不思議だった。即死にしたって、多少の痛みはあるはずだ。
 しかし今のケビンにはどうでもよかった。むしろ痛みが無いことに安堵した。
 だからケビンの心は、このあとどうなるのだろう、死後の世界とはどんなところなのだろう、などという期待感のようなもので埋まっていた。
 のだが、

「……?」

 ケビンの目がその機能を取り戻した瞬間、眼前に広がったのは先とあまり変わらぬ光景であった。
 しかしその場面には一つ大きく変わったところがあった。
 目の前にいるのがシャロンではないこと。
 あるのは見知らぬ男の背中。
 大きく広い。だから男だろうとケビンは思った。
 そしてその男が身にまとっている装備は見た事が無いものであった。
 鎧であることは一目瞭然であった。
 弓兵が身に着ける、機動力を重視した軽装鎧のように見える。
 が、その鎧が放つ雰囲気は重厚。細部にわたって作りこまれており、決して雑兵などが身に纏えるものでは無いことが一目で分かる。隙間があるようで無い。装甲の節目は厚みのある何かで埋まっている。
 ケビンの目はその作りの繊細さに奪われたが、

「……」

 間も無く、その背中が音も無く一歩遠ざかった。
 本当に、完全な無音。
 これだけの甲冑を身に纏っているにもかかわらず。
 装甲が、金属部分同士がまったくぶつかりあっていない。
 ケビンはすぐに察した。
 これはそのように作られているのだ。これは隠密行動を前提とした鎧だと。
 色が黒で統一されていることからもそう思えた。

「……」

 そして男は、無音のまま構えた。
 男が腰を下げ、腰にある獲物に手を添える。
 その瞬間、

「!」

 ケビンの目はその獲物に釘付けになった。
 それはクラウスと同じ剣。
「三つ葉葵」の紋が柄の底に刻まれた刀だ。

   ◆◆◆

「あの……っ!」

 屋根上からそれを見た女は、思わず口を開いた。
 男と同じ鎧を身に纏うその女は、「あの馬鹿」と声を出しそうになった。
 途中で言葉を飲み込んだのは、自分はまだ隠密行動を続けるべきかもしれないという意識があったからだ。
 予定では戦いが終わった後に消耗したシャロンを叩く筋書きだった。
 しかしここからは共闘するしかない。こうなった以上、そうしたほうが利が大きい。

(やむを得ない、か)

 女はそうするしかない、などと自分に言い聞かせた。
 心の奥底から「これはこれで悪くない」などという言葉が湧き上がってきそうだったからだ。
 
   ◆◆◆

「お二人の蜜月のような時間を邪魔したくなかったのだが……すまないな、ここででしゃばるのが最善のように思えた」

 三つ葉葵の男は腰の獲物に手を添えたまま、シャロンに向かってそう言った。
 流暢とは言えぬ、異国人独特の訛りを含んだ口調。
 すまないと言ったが、その口調からは悪気は感じられなかった。むしろ嬉しそう、楽しそうだと、シャロンは感じた。
 黒い面をつけているため表情は窺い知れない。
 が、直後、その面の下には薄笑みが張り付いているという情報が、放った虫から送られてきた。
 既に戦いは、探り合いは始まっている。
 男が放ったと思われる虫も周囲を飛びまわっている。
 それはつまり、この男も魂をそれなりに使える、ということ。
 そして口調と風貌から、この男は「和の国」の者と判断出来る。
「和の国」の剣士は独特の技を使うという。そしてそれは剣捌きにでは無く、心にあるという。
 心、それはつまり、魂を使った技術のことだろう。
 魂に関する独特の技――それは具体的にはどのようなものなのか。

「……」

 ふと浮かんだ疑問に、シャロンは好奇心を抱かなかった。
 魂の扱いなら知り尽くしていると自負しているからだ。
 魂に関する技について、自分が知らぬことなど無い。
 そう思っていた。次の瞬間までは。

「?!」

 それを見たシャロンは驚きの表情を浮かべた。
 シャロンはある虫に男の頭の中を調べさせた。
 当然、男の考えを読むためだ。
 が、その虫から送られてきた情報はたった一つの風景だった。

雲水の心象風景

 シャロンはその風景の中に、自分が立っているような錯覚を覚えた。
 それほどまでに写実的で美しく、しかし幻想的な風景だった。
 まず目を奪われたのは鮮やかすぎるほどに青い空と、雲。
 雲の流れは非現実的に速く、その形を様々に変えている。
 眼前にある、地平線から半分だけ顔を覗かせている太陽が空を照らしている。
 そして眼下一面に広がる鏡がその美しい空を綺麗に映して――
 いや、違う。
 これは、下にあるのは鏡じゃない。
 これは水面だ。
 波一つ無い、一切の揺らぎが無い恐ろしいほどに静かな水面。
 それが水鏡となって空を映しているのだ。
 他には何も無い。
 どこまでも広がる水面と空、そして水平線に輝く太陽。これだけだ。
 言葉や感情、そのようなものは一切存在しない、ただの風景、それだけ。
 この男の心は、意識はどこに?
 もしや、この男はこれ以外に何も考えていないのか?
 シャロンはそう考えたが、

「水鏡流師範代、雲水」

 直後、男が名乗った。
 これにシャロンは再び驚いた。
 思考が走らなかったのだ。言語をつむいだのに脳が活動しなかった。
 この男はどうやって喋った?
 シャロンがその答えを、剣士の秘密を探ろうとした瞬間、小さな金属音が耳に入った。
 刀の鯉口を切った音だ。
 仕掛けて来る、それが言葉としてシャロンの脳裏に浮かんだ瞬間、

「参る」

 雲水と名乗った男は地を蹴った。

「っ!」

 速いっ! という事実を認識するよりも先に、シャロンは後ろに跳んだ。
 速いというのは雲水の踏み込み対しての評価では無い。
 心を読めずともシャロンは初撃を見切っていた。相手の筋肉の動き、魔力の流れから予想がついた。
 そしてその型はシャロンが思った通り、

「斬っ!」

 クラウスが見せた「居合い」であった。
 爆発音と共に鍔から火花が散り、白刃が水平に奔る(はしる)。
 予想通りの型、しかし予想以上の速さ。
 だからシャロンは少し焦った。
 だが、情報不足から生じた計算の誤差はそれほど大きなものでは無かった。
 これならば問題無く避けることが出来る、シャロンがそう考えた直後、

「!?」

 シャロンの背に悪寒が走った。
 ある虫が言ったのだ、これはただの斬撃では無いと。
 そしてそれは、同時に三日月が放たれるだけでは無いと。
 ただの三日月では無い。では何だ?
 虫の分析は間に合わない。ならば考えるしかない。

「……!」

 シャロンはすぐに気付いた。思い出した。
 この男が割り込んできた時、何が起きた?
 この男はどうやって割り込んできた?
 屋根から飛び降りてきた、それはわかっている。それだけでは無い。
 あの時、閃光が場を包んだ。
 その光はどのようにして生じたものか。
 それは、

(電撃魔法!)

 その答えが言葉として浮かび上がるよりも早く、シャロンは魔力を込めた両手を胸元に添えた。
 同時に地に向かって頭が垂れるほどに大きく背を反らす。
 天に向かって突き出される女性の象徴。
 その真上を、地に水平に放たれた三日月が掠めていく。
 三日月は糸を纏っていた。帯電していた。紫電を撒き散らしていた。
 その紫電に身を、胸を焼かれぬように、添えた両手から光の幕を展開する。
 ぶつかり合う光の粒子と電子。
 その衝突はわずかに電子のほうが勝った。
 シャロンの胸に電撃特有の衝撃が走る。

「ぐっ!」

 胸元の衣服が千切れ飛び、シャロンの口から苦痛の悲鳴が漏れる。
 しかしその痛みはシャロンの冷静さを揺るがすほどでは無かった。
 即座に両手を地面に叩きつけ、ブリッジの姿勢に。
 直後に地を蹴って逆立ちし、その勢いを利用して後方に倒立回転。
 地面を映していたシャロンの視界が正面に戻る。
 はだけた胸元から外気の冷たさを感じ取る。
 しかしそれをどうにかする余裕も、そのつもりも無い。雲水が追撃に迫ってきている。羞恥心を抱く余裕など無い。
 シャロンの瞳の中で大きくなる雲水の像。
 その踏み込み速度は、瞬く間にシャロンの視界が雲水の像だけで埋まりそうなほどであったが、シャロンの計算速度の速さはそれを遥かに凌駕していた。
 時間が止まったかのような緩慢な世界でシャロンは雲水を観察した。
 そして気付いた。雲水が構えを変えているのを。
 そして予想がついた。次の攻撃が何かを。
 そしてシャロンは思った。

(面白い)

 と。
 それは、その型から繰り出される攻撃は私の得意分野だ。
 ならば、だから、私も同じ攻撃で迎え撃とう。
 そう思ったシャロンは構えを雲水と同じものに変えた。
 その構えはアランと、クラウスが使うものと同じ構え。水鏡流の基本の型。
 雲水とシャロンの像が鏡合せのように重なる。
 その瞬間、シャロンの心に雲水の声が響いた。

“水鏡流、横時雨(よこしぐれ)”

 と。
 それはシャロンの知らない異国の言葉であったが、その言葉が持つ意味も同時に意識に流れ込んできた。
 時雨とは秋の末から冬の初めに降るまばらな雨の事で、横殴りに降る激しいものを横時雨と呼ぶ。
 そして次の瞬間、シャロンの目に映ったものはまさにそれであった。
 横殴りに迫る、光の雨。
 霞んで見えるほどの速度で繰り出される突きの嵐。
 そしてそれだけでは無い。時雨は時に涙を意味する言葉としても使われる。
 全ての突きに感情が込められている。
 クラウスが放った無明剣と同じ、精神汚染攻撃。
 心を悲しみで塗りつぶさんと迫る光の雨だ。
 峻烈(しゅんれつ)で、かつ鮮烈な突きの嵐。
 それは全てシャロンの体に、心に突き刺さるかのように見えたが、

「!?」

 直後、今度は雲水の顔に驚きの色が浮かんだ。
 雲水の瞳に映ったのは赤ではなく紫電。
 耳を打ったのは電撃魔法同士のぶつかりあいで生じた炸裂音と金属音。
 雨は届いていない。全て止められている。
 傘で、防御魔法で防がれたのでは無い。
 受け流されたわけでも無い。
 言葉通り、止められたのだ。
 シャロンが見せたその防御は雲水にとって初めてのものだった。だから驚いた。
 雨を同じ雨で、突きを同じ突きで止めているのだ。
 刀と針の先端が寸分の狂いも無くぶつかり合っている。
 それだけでは無い。感情も止められている。相殺されている。この女は真逆の波を針に込めている。
 まるで意地悪な鏡を相手にしているかのような感覚。
 否。この鏡には一つ違うところがあった。
 表情だ。
 シャロンは笑っていた。
 なぜ笑っているのか。
 その理由をシャロンは心の声で、

“見ぃつけた”

 と、雲水が持つ「刀」に送った。

「!」

 これに雲水は再び目を見開いた。
 シャロンは何を見つけたのか。
 それは雲水の魂。
 雲水は剣に己の魂を宿し、そこから遠隔操作していたのだ。
 ならば、狙いは武器破壊でもいいということになる。
 だから、シャロンはあえてこんな防御を選んだのだ。

(しかし驚いたわね)

 シャロンは笑みと同時に抱いた驚きを敬意に変えて雲水の刀に送った。
 和の国には「剣に身をゆだねよ」という言葉があるらしいが、まさか言葉通りの意味だったとは。
 そして考えてみれば、剣は魂を入れるには悪くない場所だ。
 肉の身よりもはるかに硬く、そして鋼は魂と相性が良い。
 肉の身で作られる魂の養分は、魂への補給は剣を握る手から流し込んでいるのだろう。
 この推測が正解であるならば、狙いは小手、または手首でもいいと考えられる。

(……正解かしら?)

 シャロンは突きの応酬を繰り返しながら、自身の推測を刀にぶつけた。

「……」

 返事は無し。

(答えないのであれば――)

 試せばいい、そう思ったシャロンは腕に、肩に魔力を込めた。
 シャロンの腕が、皮膚の下に描かれている回路が眩く輝く。
 その瞬間から攻防の天秤は大きく傾いた。
 シャロンの針から放たれる光の雨が、その激しさと量を増す。
 迎え撃つ雲水の足が自然と下がる。
 全ては受け流せない。ゆえに間合い外への退避を選択せざるを得ない。
 当然のようにそれを追ってシャロンの足が前に出る。

「っ!」

 詰められる雲水が眉をひそめる。
 単純な速さ比べでは溝を開けられていることが判明した。
 それはつまり、懐に潜り込まれると非常に危険であるということ。
 そして、シャロンの狙いは正にそれであった。

「疾ッ!」

 気勢と共にシャロンが突きを放つ。
 顔面狙いのその一撃を雲水は反りのある刃で受け流そうとした。
 が、直後、

「!?」

 雲水の視界は閃光に包まれた。
 高出力の電撃魔法が生み出した火花のせいだ。
 この瞬間、雲水は、

(来る!)

 ことを察した。
 雲水はシャロンの狙いに気付いていた。
 この目くらましの火花が仕掛けの合図。
 そしてその攻めの型は心を読まずとも分かった。こちらの弱点を突くために上段に意識を向けたのだから、

(下!)

 雲水は刀を下段に向けながら足に力を込めた。
 が、雲水はその力を一気には解放しなかった。
 雲水が選んだ歩法は地を擦りながら進むすり足。
 地を這うように迫る眼下の危機と比べると遅すぎる移動。
 しかし雲水の心に、刀に焦りの色は無い。
 これでいい。これでなくてはならない。むしろこれしかない。大きく跳び退いても結局すぐに捕まる。ならば、ここで交錯するしかない。

「……」

 だから雲水はあの水面と同じように静かに待った。
 雲水の心に乱れは無い。
 しかし変化はあった。
 彼の心に、水鏡に映っている雲が、その形をまざまざと変えた。
 雲水は考えていた。計算していた。
 突きと精神攻撃がシャロンの得意分野であるように、彼にも、雲水にも得意分野があった。
 これがそうだ。そしてそれが彼の心に、水面に雲が映っている理由である。
 間も無く、水面に映る雲がその動きを、変化を止めた。
 それはシャロンが刃の下に潜り込み始めたのと同時であった。
 間に合ってくれたか、雲水がそう思った直後、

「蛇ッ!」

 シャロンが気勢と共にその針を突き出した。
 地を這っていた蛇が飛び掛るように、輝く先端が雲水の顎下目掛けて飛び上がる。
 その瞬間、

(今!)

 雲水の水面に、一滴の雫が落ちた。
 それを合図として、雲水は地を蹴った。
 陽炎となった二人の影が重なり、閃光が、蛇と刀が交錯する。
 衝突点から金属音が響き、紫電が散る。
 その火花を置き去りにするかのように、すれ違った二人の背中が離れる。
 そして二人は同時に向き直った。
 互いの視線が再び交錯する。
 芸術的に重なった二人の動きとは対照的に、双方の瞳に湛えられている感情は違うものであった。
 シャロンが浮かべているのは好奇の色。
 先のたった一合だけでシャロンは見切ったのだ。雲水がどのように危機を乗り切ったのかを。
 その技術の基本は俗に「重ね」と呼ばれているもの。
 相手の筋肉を観察し、動きを読むこと。それが「重ね」。シャロンも使っているものだ。
 ただの動作感知であるこの技術が「重ね」と呼ばれるようになったのは、読み取った相手の動きを真似し、自分のものに出来るからだ。
 ……と、説明されている。「一般向け」には。
 この説明は素人をだますために、ごまかすために流布されたものだ。
 本物の「重ね」はもっと深い所を、心を読む。心を重ねるのだ。
 思考や感情を共有する共感の延長にあるものだが、読み取る深さが違う。人格や記憶、魂、その全てを自分に写す。
 そしてゆえに、そのために、

(なるほど。だから、武器に魂を避難させて、)

 本体は空にしてあるのだ。写した相手の人格に自分の体を操縦させるために。
 これが水鏡流の極意。そしてその名は、

(水鏡流合気、ねえ……)

 心に響いたその名と意味を反芻しながら、シャロンは「よく出来た技だ」と思った。
 宙を舞う羽を掴もうとして逃げられたような感覚。
 そして一瞬だが、まるで自分を相手にしているような錯覚も味わった。
 奴の水面には私の姿が映っている。
 しかしその姿はおぼろげ。
 シャロンはその水面に写された自分の像が歪んでいる理由に気付いていた。
 そしてそれは正解かどうかを尋ねるまでも無かった。雲水の表情に表れていた。
 雲水はその顔に焦りの色を浮かべていた。
 雲水の左手は針に削られた右肩に当てられていた。
 装甲が無ければ真っ赤な穴を開けられていただろう。
 計算が正しければこんなことにはならなかった。
 シャロンは予想外の動きを見せた。シャロンの踏み込みは予想以上に「伸びた」。こちらの回避行動に合わせて、さらに加速し、追従してきた。
 そうなった理由は単純。心の写しがまだ完成していないからだ。計算に推測が含まれていたからだ。
 しかしそれにしてもこの誤差は大きすぎる。
 そして恐らく、この誤差は簡単には埋まらない。
 それが雲水を焦らせている理由。
 それを雲水は刀の中で言葉にした。

(この女の心、上手く読めんな……)

 いや、読みにくいと言うべきか、と雲水は自分の言葉を即座に訂正したが、どちらにしてもそれは雲水にとって初めてのことであった。
 心の中身がおぞましすぎて見たくない、という事はかつてあった。が、この女の場合はそうでは無い。
 まず第一に言えるのは、

(この女、一人では無い、な?)

 ということだ。
 複数の人格と意識が存在し、そこから生じる判断の基準がめまぐるしく入れ替わっていた。
 その様子を一言で表すならば「混沌」。
 しかし真の意味での混沌など、この世には存在しない。全てのものには成るべくして為る理由が存在する。全てを紐解けばこの世に偶然は無い。
 女の意識が本当の意味での混沌であるならば、あのように動けるわけが無いのだ。
 何度か似たような物の怪を、悪い霊に取り付かれた者を相手にしたことがある。一つの体に複数の意識を持つ者達だ。
 そのいずれも動きは滅茶苦茶であった。
 思考に統率が無いゆえにそうなって然るべきなのだ。
 しかしこの女はそうじゃない。
 何かが、またはどうにかして、行動に理を持たせているはずだ。
 つまり、あの混沌は、

(女ならではの防御術……と見るべきだろう)

 自身を蝕む危険性をはらんだものだが、あえてそれを選び、上手く制御しているのは見事と言わざるを得ない。

(合気の完成には時間がかかりそうだな……)

 では、どうするかと考えた雲水は構えを変えた。
 それは居合いの構え。
 それを見たシャロンは雲水の考えを察した。

(……威力のある範囲攻撃で時間を稼ぐつもりね)

 その推察は正解であったが、シャロンは残念そうな表情を浮かべた。
 それは、その遊びは既にケビンと済ませたからだ。
 このお誘いにはあまり気が乗らない。
 個人的にはもっと水鏡流の技を見せて欲しい。その独特の技で私を魅せてほしい。
 そのために、合気の完成のために時間が必要なのは分かる。が、私はあおずけを食らうのは嫌いなのだ。こういうことは待てない性分なのだ。
 そう、私はつい先ほど経験したせめぎ合いをもっと楽しみたい。味わいたいのだ。
 あれは見事だった。
 私は電撃魔法を使ってあなたを「引き寄せようと」した。電流が発生させる磁場を利用して、あなたの頭蓋に穴を開けようとした。それをあなたは同じ電撃魔法で防御した。私を「押し返した」。宙を舞う羽のようにするりと、私の針から離れようとした。
 その時の電撃魔法の使い方が私とそっくりだった。糸の練り方、編み方の癖が瓜二つだった。だから驚いた。だから気付けた。水鏡流合気がどんな技なのかを。

 良い機会なので電撃魔法について軽く説明しよう。
 電撃魔法は特殊である。そしてその特殊性が使い手の希少性の原因になっている。
 しかし電流が流れる原理とそれに伴う現象自体は我々の世界と変わらない。
 電流とは電子の流れのことだ。少し乱暴な言い方をすれば電子を動かせば電流が流れるということである。そのための力、電子を押す圧力のことを電圧と呼ぶ。
 電子の移動そのものは珍しい現象では無い。しかし我々の五感が認識出来るほどの大移動が自然に起きることはあまり無い。大量の電子を何かに蓄え、放出する準備を整える必要があるだけでは無く、それを受け入れる方も用意しなければならない。
 しかし、電子の大移動を困難にしている理由を考えれば、それは「一方通行にするための準備が難しいから」ということになる。ならば「輪」、「円」の形にすればいい。電子が動きやすいもの、例えば銅などの金属で道を作り、その始点と終点を電圧を生む何か、我々が知る電源と呼ばれるもので繋げばいい。ゆえに我々はこれを「回路」と呼ぶ。

 ここで少しおかしいことに気付いた読者は多いだろう。その通り、サイラスは「線」で扱っている。一方通行の移動をやっているように見える。
 実はそうでは無い。あれは二本の線を束ねたものなのだ。使い手そのものが電源であり、そこから生じた二本の線が相手に接触した時に回路が完成、電流が流れるという仕組みになっている。そして電撃魔法の使い手として次の段階に登れるかどうかの鍵となるのは、この事に気付けるかどうかなのだ。残念ながらサイラスはまだここで立ち止まっている。

 そしてシャロンが使っている移動術は電流が生む磁場、磁力線を利用したものだ。
 電流が流れる経路が「輪」、「円」の形になっていれば、磁力線はその輪をくぐるように形成される。その磁力線の向き、輪をどちらからくぐるのかということは、電流の向きによって決まる。
 磁力線、それを束ねたものを磁束と呼び、それは電流値を高くすると強力になるが、円を螺旋状に巻き重ね、輪の段数を増やすことでも強くすることが出来る。巻線にしているのはこれが理由だ。
 そして、ある二つの磁束の向きが一致している場合、両者は互いに引き合う。逆であれば反発する。シャロンはこの力を利用している。
 しかし、磁力線の影響力は対象となる物質によって異なる。人間は鈍感だ。磁力線だけで人を殺そうと思ったら、相当なエネルギーが必要になる。
 感の良い方は気付いたであろう。その通り、磁力線だけでは人は突き飛ばされたり引き寄せられたりしない。強力な磁石を近づけても人は反応しない。反発しあう磁石の間に手を入れても同様だ。
 シャロンはこの問題を光魔法と組み合わせることで解決した。光魔法は我々の世界で言う軟磁性体の特徴を備えていたからだ。磁性体とは、それ自身が磁石の性質を有する永久磁石のことと、他から磁束を流し込むことで一時的に磁石として振舞えるようになる物質のことを指す。光魔法は後者であり、さらに人間に対して強い影響力を持つという、正にこれ以上のものは無いと呼べる代物だった。

 シャロンはその工夫を習得する過程で独特の癖を身につけたが、それを雲水は写した。
 ゆえにシャロンは感動した。この男は本気で私の生き写しを作ろうとしているのだと気付いた。
 だから改めなくてはならない。この男への評価を。
 相手の記憶や心を読み取るというただ一点においては、私より上かもしれない。
 それは認めよう。だが、

(それでも待つ意味は無い。あなたの合気が完成することなんて無いのだから)

 それでも私の心は写せるものでは無い、という自負がシャロンにはあった。
 いや、自負などという生易しいものでは無かった。

(これが簡単に写されるのであれば、私の一生に意味は無く、私に価値など無いということになる)

 その時、一瞬だがシャロンの心にある者の影が映った。
 雲水が放った虫はそれを敏感に読み取り、主の水面に映した。

(これは誰だ……?)

 その影は雲水が見知るものではなかった。写した記憶の中にもまだ見当たらない。

(これが女にとって重要な人物であることは間違い無い。が、)

 今はそれを探る余裕など無い。戦闘に関する部分だけでも合気を完成させなければこちらの命が危うい。
 なぜなら、

(……どうやら私の虫は女の逆鱗に触れてしまったようだからな)

 雲水は感じ取っていた。
 今の影を読み取られたことにシャロンが怒りを抱いたことを。

(いや、反転したというべきか?)

 雲水はまたしても自分の言葉を訂正した。
 雲水は知っていた。シャロンが自分を写されることに恐怖を抱いていたのを。それに目を背けていたのを。
 それが怒りに変わったのだろう。
 この推察を雲水は、

(……正解か?)

 と、シャロンの心に問いかけた。
 怒りを煽るための、見え見えの安い挑発行為。

「……」

 シャロンはすぐには答えなかった。
 しばらくして、その心が口を開いた。

(……この技を編み出すために、)

 それはゆっくりとした口調だった。
 自身の中にある怒りを暴走させないためだ。
 が、その堤防は間も無く決壊した。

(この技を編み出すために私は全てを費やしてきた! 写せるものならば写して魅せよ!)

 そう叫ぶと同時に、シャロンは雲水に向かって地を蹴った。
 輝く回路から生みだされる、尋常ならざる踏み込み速度。
 陽炎すら置き去りにするかのような速度で迫る影。
 それを迎え撃つは地に水平に走る三日月。
 妙なことに、ただの三日月。
 速度差がある、ゆえに広範囲攻撃で迎え撃つ、そのための居合い。なのにただの三日月。
 それがただの三日月では無いことをシャロンは見抜いていた。
 この三日月は途中で割れ、濁流と化す。電撃魔法を使ってそのように工夫されている。どうしてそうなるのかまでシャロンは知っていた。

 磁力の正体は電子の回転によって生じるエネルギーである。このエネルギーを束ねたものが磁束だ。磁石が外部からの助けなしに磁力を放出し続けられるのは、中に数多くある電子がみな同じ方向を向いて回転しているからである。電子が綺麗に整列し、それを保持出来ているという特殊な状態にあるのだ。
 光魔法、いわゆる磁性体に磁束を通すと一時的に磁石のように振舞うようになるのは、中にある電子が外部からの磁力の影響によって整列しているからである。そして光魔法の粒子自体も電子の影響を受けて整列する。ゆえに三日月は安定する。しかしあくまでも一時的だ。そしてその時間は計算することが出来る。

 シャロンはその時間と、放たれる濁流の範囲と速度までおおまかに計算した。
 濁流に関しての計算はかなり推測が多い。三日月の大きさと速度、慣性から大まかに算出したものだ。
 だからシャロンは余裕を持って、大きく左に跳ぶように地を蹴りなおした。
 しかしその直後、

「な?!」

 シャロンは驚きの声を上げた。
 生まれた濁流が、逃げる自分を追いかけてくるように迫ってきたからだ。
 この濁流は左に大きく傾いている! なぜ?!

「く――」

 今はそんなことどうでもいい! という思いがシャロンの口から嗚咽となって漏れた。
 地を蹴りなおして回避か? それとも受けるか?
 その天秤は最後まで水平を保った。
 ゆえにシャロンが取った選択は両方。
 地を蹴りながら針を突き出す。

「っ!」

 痛みとともにシャロンの周囲を嵐が通り抜けていく。
 感覚から、深い傷ではないことを察したシャロンはなぜこうなったのか、ということに思考を巡らせた。
 磁束の残留時間は分かったが、その拘束力の崩壊が、電子の整列の崩壊が、濁流を左に傾かせることまでは計算出来なかった。それには時間と、大量の虫が――

(違う! 問題はそこじゃない!)

 散乱する思考を消すために、シャロンは心の中で頭を振った。
 問題はどう分離するか計算出来なかったことじゃない。あの濁流が、左に傾くように工夫されていたことだ。
 まず第一に、あいつの剣は、雲水自体はそんなことを考えていなかったこと。
 ということは、

(本体の方に、写しの方に、補正させた……?!)

 あえて左に傾かせるなんて、「このような攻撃を放った場合、相手はこちらに逃げようとする」ということが分かっていなければ出来ない。
 しかし写しの方も監視していたが、そのような脳波が生じたという報告は無かった。

(! まさか――)

 もしやと思ったシャロンは虫に別のところを探らせた。
 それは魂のゆりかご。本来であれば雲水が鎮座しているべき場所。
 よく見るとそこに、小さな別人が座っていた。
 それは――

(私……?)

 それはまるで虫の集合体のようなか弱い存在であったが、シャロンはそう思った。感じた。
 魂を一から練成する、そんなことシャロンはやったことが無い。
 しかしそれは、それが放つ存在感は、母の胎内で眠る胎児と似ていた。

(あれは……小さな私?)

 シャロンは驚きを通り越した感覚を抱いた。
 この男は魂まで複製しようとしているのだ。
 そうだ。そうでなければ今のようなことは出来ない。

 先のシャロンの回避方向選択のように、どれを選んでも大差が無い、計算で算出される数字がいずれも五分の値を示すような場合、天秤を傾ける最後の要素になるものはその人の「性格」である。
「性格」に基づく決断というものは、生来有する気質だけでなく、その人が何をどのように経験したのかということに強い影響を受ける。「なんとなく」の選択にすら、その人の個性が現れる。選択に偏りが生まれるのだ。
 ゆえにこれも数値化することが出来る。その手段に「統計」や「確率」の概念が使われることは珍しくなく、雲水が使っている手段もそれだ。
 しかし記憶を全て読むなどということは非常に手間がかかる。
 だから雲水は読む記憶を選んでいる。情報の取捨選択に雲水なりの「理」があるのだ。そしてそれは雲水の場合、経験則によるところが大きい。

 そして相手の記憶を読むということは、知識を得ることも出来るということである。
 だから雲水は、

(そろそろ使えるか?)

 試すことにした。

「……っ!」

 直後、雲水は顔を歪めた。
 想像以上に痛いからだ。

「!」

 そして同時に、シャロンの表情も変わった。
 雲水が光り始めたからだ。
 その光源は、皮膚の下に描かれ始めたそれは、まぎれもなくシャロンのものと同じ「回路」であった。
 その輝きは淡く、そしてまだらであったが、ある一箇所の輝きがその眩さを増し始めた。
 それは右腕。
 来る、そう思ったシャロンは地を蹴った。
 しかしその歩法は先に雲水が見せたすり足。
 シャロンの影が右後方に流れ始めたと同時に、雲水の白刃が一閃。
 シャロンの移動速度とは比べ物にならない、振りぬかれる腕が霞むほどの速さ。
 しかも刀と鞘自体が強く発光しているせいでまともに視認出来ない。
 だからシャロンは音に頼った。
 まず鞘の内部から生じる光魔法の炸裂音から始動を感知。
 それを起点として張り付かせておいた虫に仕事を命令。筋肉の動きや、刃と鞘の摩擦音などの情報を収集させる。
 その過程で魂の力を使い果たした虫が数十匹消滅。
 しかし問題は無い。虫はまた張り付かせればいいだけのこと。数多くの虫を地面に待機させているのはそのためだ。
 そして放たれた三日月の軌道は推定した通りのものであった。
 が、

「!?」

 シャロンの心は揺れた。
 この三日月にも電撃魔法の仕込みが施されている。
 しかしそれはいい。予想していた。
 予想と違うのはその時間。拘束時間が長い。放つ直前に、あの「写し」が再調整した。
 それはつまり、後方に逃げることを読まれていたということ。
 そしてそこまで事前に読まれていたのならば――

(やはり!)

 シャロンの眼前で生まれた濁流は、右に傾いていた。
 再び追いかけてくるように迫る嵐。
 しかしこの時のためにシャロンはすり足を選んだのだ。地を蹴りなおすために。
 即座に反転して左に跳ぶ。

「!?」

 が、その直後にシャロンは後悔した。
 なぜ足を地面から離してしまったのかを。
 目の前から別の小さな三日月が迫ってきている。
 雲水が連射したのでは無い。これは濁流の中から現れた。
 そうだ。読まれていたのだ。左に反転することも。
 そしてその小さな三日月はシャロンの前で弾けた。

「っ!」

 シャロンは突きで迎撃したが、いくつかの破片が彼女の肌を撫でた。
 浅く致命傷にはほど遠い。が、

(……このままだと、)

 いつか追い詰められるのではないか、そんな考えがシャロンの脳裏によぎった。
 しかしシャロンはその言葉を奥底に封じ込めた。
 こんな戦い、いつでも終わらせられる自信があるからだ。
 いまだに手加減している理由は、この雲水という男がケビンを、サイラス達を守るように立ちふさがったからだ。ただの敵であればとうに終わらせている。
 そんなことを考えながら、シャロンが構えを整えると、

“それはわからないわよ?”

 声が頭の中に響いた。
 それが自分の声だとシャロンはすぐに気付かなかった。
 だから声は名乗った。

“こんにちは、私”

 その声は妙にシャロンの神経を逆撫でた。
 そして声の主はシャロンのその苛立ちを感じ取ったが、あえて言葉を続けた。

“自分と戦うなんて、奇妙な事だけど面白いわよね。だから一緒に楽しみましょう”

 これにシャロンは答えなかった。
 シャロンは探していた。自分が苛立つ理由を。
 それはすぐに見つかった。

「……るな」

 それは自然に声となって漏れた。
「ふざけるな」と言おうとしたのか、それとも別の言葉だったのか、それすらはっきりしないほどにシャロンの神経は荒んでいたが、それはどうでもよかった。
 とにかく、なんでもいいからこの苛立ちを言葉にしたかった。
 だからシャロンは声を上げた。

「……そんな薄っぺらい中身で私を騙るな(かたるな)!」

 叫びながら、シャロンは構えを変えた。
 それは閃光魔法の構えに似ていた。
 以前述べたように、雲水が相手の心を読むことを得意としているように、シャロンにも得意分野がある。
 これがそれだ。
 シャロンは遂に見せるつもりであった。自身の奥義を。

「……」

 静かに、指先に意識を集中させ、針を撫でる。

「!」

 たったそれだけで、雲水は表情を変えた。

(あれは……?!)

 針を凝視する雲水。
 雲水の意識はその奥、針の中に向けられていた。
 そこには同じものがあった。
 女の中にある混沌に似た何かだ。
 例えるならば、毒。
 悲しみ、怒り、堕落、そのような様々な負の感情を混ぜたもの。
 あの細い刀身にどれだけの感情が込められているのか数え切れない。しかも女の意識と同じようにめまぐるしく入れ替わっている。
 まるで万華鏡。

(いや……違う?)

 万華鏡という言葉に違和感を覚えた雲水は、針の中を見つめながら別の表現を探した。
 それはすぐに見つかった。
 これは蟲毒だ。
 これは万華鏡では無い。入れ替わっているのではなく、「食い合っている」。
 強い感情が弱い感情を次々と飲み込み、大きくなっている。
 しかしその弱肉強食は終わらない。膨らんだ感情はどこかで破裂し、小さな別の感情に分裂する。
 まるで永遠に続く地獄だ。
 こんな得体の知れないものを受け止められるか?
 考えるまでも無い。今の自分では無理だ。防御する術が思いつかない。あれは間違いなく女の中にある混沌を応用して生み出されたものだ。あの混沌の仕組みを完全に理解出来ていなければ防げる代物では無い。

(ならば、)

 受けられないのであれば、取れる手は回避か飛び道具での迎撃ということになる。
 そう考えた雲水は居合いの構えを維持したまま、全身に巡らせた回路を輝かせた。
 水面を静かに整え、その時を待つ。

(……?)

 が、その時が来る気配は無かった。
 シャロンは針をこちらに向けた構えのまま固まっている。
 そして何も考えていない。脳波が発せられていない。
 魂も同じ。まるで突然眠ったかのよう。
 混沌もその変化が緩慢になっている。
 妙な、そう思った雲水が虫の何匹かに探らせようとした直後、

「……分かったわ。悔しいけど交代ね」

 突然、シャロンがそんなことを言った。
 すると、彼女の中の混沌に変化が起きた。

「な!?」

 その変化に雲水は驚いた。
 雲水はシャロンの中に何人かいると読んでいた。ゆえに戦況次第では相手が「交代」するであろうことも当然予想していた。
 だからその時に備えていた。基本動作や戦闘に関わる部分は共有するであろうと踏み、そういう情報だけを写すようにしていた。
 しかし、水面に写していたシャロンの像は消えてしまった。
 それが意味することは一つ。
 直後に虫から送られてきた情報がその証拠となった。
 彼女は完全に変わっていた。気質、記憶、それに伴う趣味趣向、全てが組み替えられたのだ。
 それは解き慣れたパズルのような鮮やかな変化であり、まさしく芸術であった。
 そして、入れ替わった女は髪を掻きあげながら口を開いた。

「あなたは戦いに強い感情を抱きすぎている。だから簡単に心を写される。その強い感情をかくれみのにした虫に心を覗かれる。……でも、それがあなたの善いところであり、先兵を任せている理由なのだけれどね」

 その声は声色は同じであったが調子が異なっていた。前と比べると上品さに欠け、少し冷たい印象を受けた。
 そして、シャロンと呼ぶべきか分からぬその女は、突然その場で体を動かし始めた。
 それは拳による突きや蹴りなどの、体術の型であった。
 そんなことをする理由を女は答えた。

「戦いは久しぶりだ。少し肩慣らしさせてもらうぞ」

 今のうちに少しでも探りを入れておかなければ、と雲水は考えたが、その準備運動はすぐに終わった。

「お待たせした」

 そして女が放ったその言葉と同時に戦いは再開した。
 女が地を蹴り、雲水が溜めた力を居合いで放つ。
 三日月が割れ、生まれる嵐。
 しかし当たらない。かすりもしない。
 雲水がわざと外したように見えるほどに。
 雲水は先と同じく、回避先を予測して三日月を放った。
 しかしその予測は以前のシャロンに対して使っていたもの。今回はそれが完全に裏目になった。

「っ!」

 やはり駄目か、雲水はそんな思いを込めた歯軋りをしながら、構えを水鏡流本来のものに戻した。
 しかしまさか記憶から何まで全て変わるとは思わなかった。
 これではいくら写しても無駄なのでは? こいつの意識は一体どうなっている?
 そんな思いが脳裏をよぎるよりも速く、女が目の前まで接近。
 女が右手にある針を発光させる。
 対する雲水も刃を輝かせる。
 そして二人は同時に叫んだ。

「「破ッ!」」

 二本の閃光が交差し、光の粒子が散る。
 その粒子が消えるよりも早く、女がさらに踏み込む。
 しかし二人の間合いは縮まらない。
 同じ速度で雲水が退がっているからだ。

「「疾ッ!」」

 同じ間合いのまま、二本の鋼が再び交錯。
 すぐさま女が再び踏み込む。
 地を這うような低姿勢の突進で刀の下に潜り込もうとする女。
 それを見た雲水が、上に向けていた刃を下向きに返しつつ、振り下ろす。
 同時に、女は針を突き上げるように放った。

「蛇ッ!」「断ッ!」

 蛇のように地から跳ね上がる閃光と、斧のような斬撃がぶつかり合う。
 耳に痛いほどの金属音と、先には無かった火花が散る。
 しかし違うのはそれだけでは無かった。

「!?」

 今度は女が後ずさった。押し負けた。
 そして直後に踏み込んだ者も逆。

「斬ッ!」

 後ろによろめいた隙を突いて雲水が水平斬りを放つ。
 これを女は針で受け止めたが、

「くっ!」

 雲水の刃はその細い盾を吹き飛ばし、女の腹を薄く撫でた。
 たまらず、後方に大きく跳び下がる女。

「……」

 雲水は追わず、その場で構えを戻すだけに留めた。
 妙だ、と思ったからだ。
 女が弱くなったように感じる。これでは交代した意味が無い。
 先の一合の間に虫から送られて来た報せによると、この女の意識、神経は針の方にはあまり向けられていないようだ。
 針の扱いはシャロンほど得意では無い、ということだろうか?
 雲水がそんな疑問を抱いた直後、それを察知した女が自ら答えた。

「その通りだ」

 女は視線を針のほうに向けながら言葉を続けた。

「やはりこれは私には合わないらしい」

 私の得手は先ほど見せたように体術だ。この右手にある長物とは間合いが噛み合わない。
 しかし捨てるとシャロンに文句を言われてしまう。この特殊な形状の武器は簡単に手に入る代物では無いからだ。
 だから困っている。

「どうしたものか……」

 そんなことを言いながらも、女は楽しそうであった。
 戦いを楽しむところは同じか、そんなことを雲水が思った直後、女は口を開いた。

「そうだ、こうすればいい」

 言いながら、女は左手の人差し指を刺突剣の握りの部分に当てた。
 幸いなことに、この刺突剣は刀身と鍔、そして握りの部分をそれぞれ分解可能な、組み立て式のものだ。
 女の人差し指は刀身と握りを接続している金属部品、刀でいうところの目釘に当てられていた。
 それを外すための道具は当然持っていない。しかし女には光魔法がある。
 女は人差し指に意識を集中させ、その先端を輝かせた。
 軽い金属音と共に部品が外れる。
 そして女は針を右手で持ちながら左手で握りと鍔を取り捨てた。
 これにシャロンは少しだけ文句を垂れたが、女はこれを無視した。
 新しい鍔と握りの入手は難しく無いからだ。大抵の鍛治屋で出来る。新調するのが難しいのは針の方だ。
 そして女は本当にただの太い針になったそれを右手に持ち直した。
 しかしその持ち方は普通では無かった。
 普通は親指と人差し指で輪を作るようにして握る。
 が、女は中指と薬指の間に針を通し、そのまま握り締めた。
 まるで握り拳から針が生えたかのような見た目。
 これに女は不満足そうな顔を浮かべた。
 見た目が悪いからではない。このままだと扱いにくいからだ。

(これだと重心が前に出すぎている。出来るだけ短く持ったほうがいいな。針を肘のところまで下げて……だめだ。これだと針がふらつく。何か固定するものを……)

 そう思った女は胸元に手を伸ばし、襟元から布を細く引き裂いた。
 雲水の攻撃ではだけていた胸元がさらにあらわになる。
 しかしこれにはシャロンは文句を言わなかった。
 そして女は破り取った布を腕に巻きつけ、針を固定した。

「これならよさそうだ」

 その確かな感触から、女は顔に満足感を浮かべながら、

「お待たせした」

 再開を宣言した。
 その時既に嵐は目の前。
 宣言よりも早く雲水は動いていた。先手を取ったのだ。
 相手の準備を律儀に待つ義理など無い。女が試行錯誤しているうちに雲水は魔力を刀に溜め、それを居合いで放ったのだ。
 かなり規模の大きい嵐。
 左右への回避はもう間に合わない。
 しかも一撃では終わらない。雲水は連射しようとしている。
 が、女には避けるつもりなど最初から無かった。
 雲水が魔力を溜めていたのも当然分かっていた。
 あえて受けようと思ったのだ。この武器の使い心地を試すにはちょうどいいと思ったからだ。
 だから女は、

「疾ッ!」

 嵐に向かって踏み込んだ。
 気勢と共に放たれた一撃が一本の閃光となって嵐に突き刺さる。
 嵐を形成する光る刃の何本かがちぎれ飛び、粒子となって掻き消える。
 しかしその程度でこの濁流は止まらない。
 その細い首を切り飛ばさんと、光る刃が迫る。

「破ッ!」

 女はそれを光る左手で叩き払いながら、右拳を再び繰り出した。
 あまりの速度に霞む右拳。
 しかしその針が描く光の直線は対照的に鮮明。
 幾重にも描かれる閃光が嵐を次々切り裂いていく。
 左右から迫る光る曲線は左手で叩き払い、時に避ける。

「雄雄雄ォッ!」

 その激しさの中で、女は自然に叫んだ。
 その叫びに呼応するかのように、女の手が早まる。
 幾重にも重なる閃光と光の粒子が女の視界を埋め尽くす。
 その白い世界での攻防は、まるで永遠に続くかのように長く感じられた。
 が、その夢のような時間にも終わりのきざしが見え始めた。
 女の目に新たな色が、赤色が映り込んだのだ。
 空だ。夕焼けの色だ。
 それはつまり、この嵐を抜けつつあるということ。
 もう終わってしまう。

(ならば――)

 最後は派手な動きで、そう思った女は、

「せぇやっ!」

 輝く右足でなぎ払うように一閃した。
 光が消し飛び、大きな夕焼け色が女の視界に飛び込む。
 その色の鮮やかさは女の心をさらに熱くした。
 一瞬遅れて前方にいる雲水の姿が映りこむ。
 これからどうしようか、などと考えるまでも無かった。

「ゥ雄ォッ!」

 体の中から湧き上がる熱に突き動かされるまま、女は獣のように突進した。
 しかし場に響いた地を蹴る音は二つ。
 雲水もまた同時に、居合いの構えを維持したまま飛び出していた。
 二人の距離は瞬く間に縮まり、

「斬!」「破ッ!」

 輝く曲線と直線が交錯した。
 先のぶつかり合いと同じように甲高い金属音が鳴り響き、火花が散る。
 しかし今回は揺るがない。女の体勢は崩れない。
 崩されたのは逆。雲水の方。
 それにより、斬撃と同時に放たれた三日月はあさっての方向に。
 だが、雲水は退かない。
 即座に振り抜いた手首を返し、再び斬撃を放つ。
 再び交錯する刃と針。
 再び散る火花。
 ふらつく雲水。外れる三日月。
 先と同じ結果。
 しかしその交錯は針の方がわずかに速く見えた。
 斬撃の繰り返しではいつか詰められる、そう思った雲水は手首を返した勢いを利用して刃を顔のそばに引き寄せ、水鏡流本来の構えに戻した。
 直後に鋼が再び交錯。
 しかし今度は同じ直線同士。
 擦れたような音が響き、小さな火花が散る。
 その速度は五分に見えた。
 負けじと二人が同時に手を出す。
 再び二閃。
 しかし五分。
 まだまだ、そんな思いをどちらかが、いや、双方が鋼に込めながら一閃。
 だが、やはり五分。
 ぶつかり合った思いの強さも同じ。
 肌から伝わるその思いが、互いの心の火を強くする。

「雄雄雄ォッ!」「でぇやあああッ!」

 そして同時に二人は叫び始めた。
 二人の間に光の線が幾重にも折り重なる。
 まるで糸を編むかのように。
 かつてのアランとリックのように。
 もっと速く、もっと前へ。
 そんな思いが肌を通して双方に伝わる。
 描かれる光の芸術がさらに加速する。
 閃光と火花で埋め尽くされる二人の視界。
 しかしその攻防は繊細。
 女の狙いは武器破壊。
 突き折らんと針を繰り出している。
 しかし直撃しない。触れることは出来ても受け流される。擦れるのみ。
 そして対する雲水の狙いは小手。
 針を握るその手を突き裂かんと刃を繰り出している。
 しかし当たらない。寸前のところでするりと逃げられる。
 刃が擦れた時に軌道を変えられている。
 互いの攻と防が綺麗に噛み合っている。
 そして同時に気付く。
 これは速さ比べでは無い。力比べであると。
 擦れ、せめぎ合う鋼。その押し合いを先に有利なように崩した方が勝ちであることを。
 その思いが肌を通して双方に伝わった瞬間、

「「破ッ!」」

 二人はまたも同時に叫んだ。
 閃光が交差し、これまでよりも一際大きな衝突音が場に鳴り響く。
 比例するように、衝突点から散った光の粒子の量も盛大。
 まるで花火のよう。ゆえに双方の視界は白一色。
 全く見えない。が、二人はすぐに互いの状態を知った。
 崩された、という思いが肌を通して伝わったからだ。
 直後に耳に入った音がその証拠となった。
 地面を削るような音。
 それが体勢を戻すために踏ん張った時に生じたものであることを、言葉で認識したのとほぼ同時に視界が回復。
 双方の瞳が崩れた姿勢を戻そうとしている相手の姿を映す。
 状況は五分、のように見えた。
 しかし二人ともそう思っていなかった。
 同じなのは崩されたという事実だけだ。
 姿勢は完全に一致しているわけでは無い。それに武器も違うのだから、次の攻撃動作に移るまでに要する時間には差が生じるはず。
 二人は虫を使ってそれを計算した。
 それはまたも同時に終わり、

「「!」」

 二人は同じように目を見開いた。
 しかし双方の目に湛えられた感情は異なっていた。
 どちらが先に動けるのか、その有利不利の差は目以外の場所にはっきりと表れていた。
 女は薄い笑みを浮かべている。
 これだけでどちらが有利かなど一目瞭然であった。
 そして、女は生き生きとその感情を声に出した。

「せぇやっ!」

 気勢とともに突き出される針。
 対する雲水は歯を食いしばっている。
 しかしその目はあきらめていない。
 防御は間に合うことが分かっていたからだ。
 だから雲水は、

「ォ応ッ!」

 同じように気勢を持って、女に応えた(こたえた)。
 閃光となった針を刃で受け止める。
 その次の瞬間、

「!」

 女が顔色を変えた。
 少し驚きの色が混じった表情。
 丸く開かれた目から、強い好奇心を抱いたことが分かる。
 雲水は目の前。互いの吐息が届きそうな距離、
 しかし二人の視線は重なっていなかった。
 女はその子供のような目を手元に向けていた。
 針を握る女の拳と刀を握る雲水の拳がぶつかり合っている。
 まるで女が手の甲で雲水の拳を受け止めたかのように。
 その上では針と刃が押し合い、せめぎ合っている。
 俗に言う鍔迫り合いの形。
 本来であれば女の方が不利な形だ。
 女の武器に鍔は無い。
 それは雲水の刃を食い止める壁が無いということ。
 丸みのある針の上はよく滑る。雲水は針を撫でながら刃を振り下ろすだけで女の指を切り裂けるのだ。
 当然、雲水はそれを狙っている。そうしようと腕に力を込めている。
 しかし刃は微動だにしない。
 雲水の刃は押さえ込まれていた。
 腕力によってでは無い。雲水の刀を捕まえているのは電撃魔法。
 からみついた糸から生じる磁束によって針と刃が磁石となり、互いを引き寄せあっているのだ。
 糸は複雑にからみあっており、どれがどちらのものか分からぬほど。刀身からは電撃魔法特有の火花が激しく散っている。
 この拘束から脱出する方法は単純。針と同じ方向の磁束を刃に通すだけでいい。
 当然やっている。しかし脱出出来ない。
 女が同時に極性を反転させているからだ。
 そして、単純な魔力量は女の方が上。
 ゆえにこの鍔迫り合いは雲水の方に不利がついていた。筋力では勝っているが、それだけで覆せる差では無い。

(なんたることだ……!)

 押し込まれる感覚を全身で感じながら、雲水はその無念さに歯軋りした。
 今の状況を招いたのが雲水自身だからだ。
 閃光のように放たれた針を雲水は刃で受けた。
 その瞬間、雲水は針に糸をからめて引き込もうとした。
 自分に有利なように針の軌道を捻じ曲げ、左右のどちらかに受け流そうとしたのだ。
 しかし女はこれを読んでいた。即座に反応し、同じ電撃魔法で抵抗した。
 そのせめぎ合いに決着は着かなかった。双方はそのままぶつかり合うように、鍔迫り合うことになったのである。
 だから雲水は歯軋りした。引き込むべきでは無かったのだ。
 しかし女の顔に好奇の色が浮かんでいる理由は少し違う。
 刹那的な攻と防の積み重ねによってこのような状況が作り出されたことが、単純に面白いと思えたからだ。
 以前のシャロンであればこの状況をゆっくりと楽しんだだろう。
 しかし今の彼女は楽しみつつも仕事は着実にこなす気質に変わっていた。
 だから彼女は口元を吊り上げながら、拳から糸を伸ばし、雲水を包み込むように広げた。

「!? ぐ、ああぁっ!」

 獲物をからめとる蜘蛛のように、糸を雲水の体に巻きつけていく。
 紫電が雲水の体に数え切れないほど走り、炸裂していく。

「ああ、ぐ、おおおぉ?!」

 悲鳴もままならぬほどに痙攣(けいれん)する雲水。
 装甲の上からでもその下にある肉が焼けているのが匂いでわかる。

「おおおおお雄雄ッ!」

 しかし雲水は粘りを見せた。
 鍔迫り合いを維持しながら、雲水は意識を水面に向けていた。
 これだけの惨事の中でも水面は静かであった。
 その水面には一つの像が完成しつつあった。
 雲水はこれに賭けていた。
 女はこちらが磁束の向きを反転させようとする意識を事前に察知し、それに合わせることでこの鍔迫り合いを維持している。しかし相手の心を写せれば、それを騙すことが可能になる。
 精巧に写す必要は無い。おぼろげでもいい。今の状況から脱出できさえすればそれでいい。
 そしてそれは、

(あと、少し……っッ!)

 で完成するはずであった。

「!?」

 しかし次の瞬間、雲水の目が見開かれた。
 その表情は明らかに驚きよりも絶望の色が濃かった。
 なぜなら、水面に写されつつあった像が、

(……消えた?!)

 しまったからだ。
 だが、雲水が絶望の念を抱いたのは写しが出来なかったことに対してでは無い。
 表面的な部分を単純に写しても無駄であることに気付いたからだ。
 そして、その事実に雲水が言葉を失いかけた瞬間、頭の中に声が響いた。

「悪いが、その技はもう対策済みだ」と。

 その言葉の意味を雲水は知った。だから絶望の念を抱いた。
 女はまた変わったのだ。
 しかし今回の変化は前のとは違う。
 少しだけなのだ。雲水が読み取ろうとした部分だけが組み替えられたのだ。
 雲水は女の中に「何人かいる」と考えていた。
 しかしそれは間違いだった。「何人かいる」のでは無い。この女は「何にでもなれる」のだ。シャロンから今の女に変わったように、全部入れ替えることも出来るし、今回のように一部だけ変えることも出来るのだ。
 今回は読み取ろうとした記憶の一部が入れ替えられた。女の趣味趣向や戦い方の癖が少し変わったのだ。
 新しく組み込まれたその記憶は、前後関係も時系列も不明な、「完全に別人のもの」のように見えた。
 そして重要なのは、その改造は女が自らの意思で行ったものでは無いということ。
 何かが強制的に介入したような気配があった。「神の見えざる手」のような何かが。
 しかし不思議なことに女の意識に混乱は無い。当然のように受け入れている。普通、自分の記憶が突然変われば戸惑うはずだ。
 このような変化に慣れているのだろうか? それとも、この小さな変化にも規則性があるのだろうか?
 分からない。情報が足りない。
 そして、ゆえに表面的な部分を写しても意味が無いのだ。写すべきは混沌の原理であり、その混沌を制御している何かなのだ。
 そして、気付いたことはもう一つある。
 シャロンが交代させられた理由だ。
 あの時、シャロンは混沌を針に乗せて放とうとしていた。
 だから交代させられたのだ。
 もしも、自分がその技を耐えるようなことがあれば、そして万が一、見切ることが出来たとしたら、それはあの混沌を理解するということであり、完全に写すことが可能になるからだ。それを恐れたからシャロンは退場させられたのだ。
 よって問題なのは、結局のところ、

(どうすれば……!)

 いいのかということだ。
 今のままでは写しは役に立たない。
 今の自分に何が出来る? 見鏡流の奥義を封じられた今の自分に出来ることなど――

「!」

 瞬間、雲水の水面に光明が差した。
 が、暗雲の隙間から差し込まれたその光は細く、頼りないものであった。
 こんな手に頼るべきなのかどうか分からなかったからだ。
 しかし、これしか無いようにも思えた。
 だから雲水はその光に手を伸ばそうとした。
 その次の瞬間、

「!?」

 雲水の片膝が崩れた。
 足に絡み付く糸の量が急に増えたからだ。
 このまま押し倒すつもりなのだろう。
 しかし自分はまだ粘れている。

(? ……いや、)

 粘れている、という表現に雲水は違和感を抱いた。
 その違和感の正体はすぐに分かった。
 彼と、ケビンの時と同じなのだ。
 女は終わらせようと思えばいつでも出来るはずなのだ。
 なのに死なない程度の電流を流すだけ、という中途半端なことをしている。自分がまだ立っていられるのは手加減されているからだ。
 女はこの状況でもまだ武器破壊を狙っている。だから慎重に、ゆっくりとこちらを追い詰めようとしている。
 しかしなぜ?

「それはな、」

 直後、雲水の心にまたも女の声が響いた。
 その声に雲水の水面は揺れた。
 察知したからだ。女が言おうとしていることを。
 その言葉の意味に、水面は乱れたのだ。
 そして、女はその乱れを楽しんでいるかのように、感情を込めて言葉の続きを水面に響かせた。

「お前が欲しくなったからだ」と。

 この混沌にお前を迎え入れたいのだと、女は正直に答えた。
 これに雲水の心は声を上げた。
 ならばなぜ、あの兵士にしたように殺さないのかと、その針で頭を貫かないのかと。肉体を破壊すればすぐに終わることだろうと。

「……」

 女はこの質問には答えなかった。

「……っ」

 その沈黙に、雲水は歯軋りすることしか出来なかった。
 この俺を、水鏡流をなめるな、と声を上げたかったが出来なかった。
 師範代の肩書きを持つ自分の技が、奥義が封じられているからだ。
 だが、まだ手はある。あるのだ。
 このような事態を想定した技が、奥義が通じない、水面に写せない相手に対抗するための技が!
 その名も、

(水鏡流奥義――)

 言いかけて、雲水は言葉を止めてしまった。
 水面に心を写す、という水鏡流の原点から離れすぎている技だからだ。
 これは新たな境地、その出発点に立つ技だ。新たな流派の基本となる異なる奥義なのだ。
 だから、雲水は「水鏡流」という部分を消して言い直すことにした。

「奥義――」

 新たな世界が雲水の中で開かれようとしていた。

   ◆◆◆

 同時刻――

 奇しくも遠く離れた白き大陸にて、雲水が開こうとしている世界について語ろうとしている者がいた。
 それは魔王。
 場は変わらず談話室。
 オレグとの話合いはまだ続いていた。
 しかしその内容は、「ザウルとキーラをどう鍛えるか」から変わっていた。
 今ではオレグが魔王に質問を重ねているだけだ。
 その内容はほとんどが感知能力とそれに伴う戦闘技術に関するもの。
 そしてオレグの口は止まる気配を見せておらず、新たな質問を声に出した。

「では、『虫』と『複眼』の違いについて明確な定義は無い、と?」

 これに魔王は「そうだ」と即答し、言葉を続けた。

「はっきり言えば、『虫』と『複眼』の機能自体は『ほとんど』同じだ。基本は情報を集める、ただそれだけよ。目に見える違いは発動者からの距離。体に散りばめて使えば『複眼』、遠くに飛ばせば『虫』だ」

 この答えに長年の疑問が晴れたオレグは、二回の浅い頷きを返した。
 そしてその頷きに応じるように、魔王は言葉を続けた。

「しかしこの距離に明確な定義は無い。体に貼り付けて使うものだけを複眼と呼ぶ者もいれば、手が届く範囲までが複眼だと言う者もいる」

 そうなっている理由をオレグはすぐ思いついた。
 それは正しかった。
 が、それは正解の一つに過ぎなかった。
 そして、オレグが別の正解に気付いていないことを察した魔王は、口を開いた。

「お前が思っている通り、『魂』を自在に扱える域に至れる者の数自体が少ないからというのが大きな理由だ。しかしそれはあくまで大きいというだけに過ぎん」

 これにオレグが「では、別の理由とは?」と尋ねると、魔王は答えた。

「距離が定義されないのは、していないからでは無い。出来ないからだ」

 この答えの意味をオレグはすぐに理解出来なかった。
 しかしオレグは魔王の心を読もうとはしなかった。自分で考えるべきだと思ったからだ。
 だが、今の魔王にそれを待つ気は無かった。

「……オレグ、お前は『首なし騎士(デュラハン)』の話を知っているか?」

 突然の質問に、意味が分からなかったオレグは面食らった。
 魔王はその表情を楽しむかのように、口尻を吊り上げながら言葉を続けた。

「オレグよ、ヒトの中には理性や本能、そして魂などがあるが、それらの中で『最も上位』に位置するものは何だと思う?」

 再びの質問。
 この答えは浮かんだ。
 同時に意地悪だとも思った。『それら』と言っておきながら、その中に答えが無いからだ。
 だからオレグは少し眉をひそめながら答えた。

「それはこの『肉の体』でございましょう」

 これに、魔王は「どうしてそう思う?」と尋ね返した。
 オレグは答えた。
 それは少し古い思い出話、オレグが「毒の試練」に挑んだ時の話であった。
「毒の試練」とは五感を麻痺させる毒を飲んだ状態で「飢餓の試練」、「走破の試練」、そして「武技の試練」を行うというもの。
 その最後の関門である「武技の試練」で、オレグは答えに相当するものを経験した。
 実戦に近い戦闘を行う「武技の試練」、その戦いの中でオレグは魂の力を使い果たしたのだ。
 追い詰められたオレグは力を振り絞って最後の一撃を放った。
 そこでオレグの意識は完全に消えた。
 理性と本能を殺した状態で魂を失ったのだ。当時のオレグの認識では、それは「完全な死」であった。
 しかし違った。オレグは目覚めた。
 そして不思議な事に、全てを失った後も自分の体は動いていた。そういう記憶がおぼろげに残っていた。
 動けた理由はすぐに分かった。魂が再生されたからだ。
 考えてみれば当たり前のことであった。魂はこの肉体から養分を受け取って生きているのだから。
 理性と本能が都合に応じて殺され、そしてまた再構築されるように、魂でも同じことが可能なのだ。
 それに気が付いた時、オレグは思った。
 自分とはなんなのか? と。
「自我」というものの意味、そして価値が分からなくなったのだ。
 しかしオレグはすぐにこの迷いを振り払った。
 その迷いを打ち破った智慧(ちえ)は意外にも単純なものであったが、力強く、揺ぎ無いものであった。
 そして奇しくも、魔王もかつて同じ迷いを抱き、同じ智慧を持って打ち破っていた。
 だから魔王は口を開いた。

「その通りだ。理性も本能も、そして魂すらも、全て交換出来る。この身を効率よく動かすために肉の体から生み出されたものに過ぎない」

 魔王は言葉を続けた。

「ゆえに思う。我とは何か、と」

 そう言って、魔王は「ふふ」と、鼻で笑った。
 その笑みの理由を魔王は続けて声に出した。

「今思えば、なんと若く、青臭い悩みであろうか。考えてみれば単純なことよ。重要なのは、いかに有利に立てるかなのだ。『自我の交換』はそのための一つの手段に過ぎん。全ては生き残るためよ」

 そう言って、魔王は「くっくっく」と含み笑いをした。
 そして魔王は貼り付けた笑みはそのままに、口を開いた。

「……では、もう一度聞くぞオレグ。『頭を失うと』どうなる?」

 考えるまでも無い質問であった。
 ゆえにオレグは即答した。

「その肉体の死は免れぬでしょうな」

 これに魔王は「その通りだ」と返し、言葉を続けた。

「体を制御する理性と本能は頭の中にある。魂は自由に動けるが、養分を作り出しているのは脳だ。補給が無くなればいずれ消滅することになる」

 そこまで言って魔王は笑みを消した。
 やっと話が戻ってきたからだ。
 魔王は気持ちを仕切り直すために冷めた紅茶を一口含み、それから口を開いた。

「……だが、魂がその力を使い切るまでは遠隔操作出来る。これが『首なし騎士』の正体だ」

 魔王はそれを数多くの戦いの中で幾度と無く見ていた。
 それは圧倒的な実力差がある戦いにおいて、弱者が取る最後の手としてよく選ばれるものであった。
 そしてここまで話を重ねてようやく、オレグは魔王が何を言いたいのかを理解した。
 だからオレグは答え合わせをするために口を開いた。

「つまり、『複眼』でも同じことが出来るということですな?」

 言いながら、オレグの心の中に新たな疑問が浮かび上がった。
 それを察した魔王は、その新たな疑問に対して答えた。

「その通りだ。そしてそれはお前が思っている通り、かなり難しい技術だ。複眼の距離を定義出来ない理由はそこにある。遠隔操作の限界距離が使い手の技量によって変わるからだ」

 魂本体で体を動かすことすら難しいのだから、想像するまでも無いことであった。
 さらに、複眼は小さいゆえに本体ほどの情報処理能力を持たせることが出来ない。
 だからほとんどの者が複眼を情報収集専用として割り切って使っている。
 そして問題はそれだけでは無い。
 それについてオレグが尋ねるより早く、魔王が口を開いた。

「しかし、複眼を使った姿勢制御を困難なものにしている最大の理由は別にある」

 それがオレグの中に浮かんだ疑問の正体であった。
 そして、魔王はゆっくりとその問題について語り始めた――

   ◆◆◆

「言わずとも分かっているだろうが、これだけではただの博打技に過ぎぬ。これはあくまで、最後の手段として覚えておけ」

 あの時、師はそう言った。

「……でしょうな」

 雲水もそれを理解していた。ゆえに雲水はそれ以上何も言わなかった。

「……」

 そして師も、そこで言葉を一度止めた。
 師が再びその技について口を開いたのは、次の日のことだ。
 雲水は知識として学んだその技を実際に使って試してみた。
 しかしその時は上手くいかなかった。みっともなく何度も転んだ。
 それを見ていた師が声をかけてきたのだ。

「気にするでない、雲水。それは誰が使ってもそうなるものだ」

 分かっていたが雲水はその言葉を素直に飲み込めなかった。
 何かいい使い道がある、欠点を補う工夫がどこかにあるはずだ、雲水はそう考えていた。
 その熱意を師は察し、口を開いた。

「……その技は非常に難しい。ゆえに博打技だと言われており、伝承すべき技として定められていない」

 そう言う師の瞳には励ましの色が滲んでいたが、期待感の色の方が明らかに濃かった。
 だから師は次のように言葉を続けた。

「しかしそれはその技に対して研鑽を重ねた者がいないからだ。儂はお前に期待している。だから教えたのだ。失敗など気にせず、好きに励むがよい」

 その言葉に、雲水は素直に喜んだ。
 が、直後に師の口から出た言葉は、その感情を難しくするものであった。

「だがな……儂個人の感情を言わせてもらえば、お前がこの技に頼るような事態は来ないでほしいと思っておるよ」

   ◆◆◆

 それから、雲水は師の期待通り研鑽を重ねた。
 が、雲水が思っていたほどの成果は出なかった。
 なのに、この技に頼らざるを得なくなった。
 だから雲水は言葉に謝罪の念を込めた。
 未熟な自分をお許し下さい、と。
 そしてその言葉は思いと共に女の心に響いた。

“奥義、無形(むけい)”と。

「!」

 その声が心に響いた瞬間、女は表情を変えた。
 剣の中にある雲水の意識が消えたように感じたからだ。
 しかしそれが間違いであることに気付いた女は、心の中で言い直した。

(雲水の意識が止まった?)

 その直後、女の腹部に衝撃が走った。

「ぐっ!?」

 何かが腹にめりこんだ感触。
 見るまでも無かった。虫の報告で分かった。
 それは右足。
 雲水が蹴りを放ったのだ。
 いや、放ったという表現は正確では無いように思えた。
 だから女は再び言い直した。

(利用した?)

 感電によって生じる筋肉の痙攣を逆に利用して右足を振り上げたのだ。
 足を監視していた虫はそう言っている。
 しかし、何も考えずにどうしてそんなことが出来た?

「!?」

 その疑問が浮かんだ直後、女の体は浮遊感に包まれた。
 まるで背が急に伸び始めたかのように、視点が上昇する。
 対する雲水は後ろに倒れ始めているように見える。
 これは、

(投げられている?!)

 足裏を相手の下腹部に押し当てながら引き込み、後ろに転がりながら投げる、いわゆる巴投げであった。
 女はすぐに鍔迫り合いを解除して拘束から脱出。
 雲水の足裏が腹から離れ、勢いのまま女の体が後方に放り投げられる。
 何もしなければ顔面から地面に着陸する軌道。
 ゆえに女は即座に空中で体を前に回転させ、体勢を立て直そうとした。
 が、その直後、虫からの警告が届いた。

「!」

 頭が真下を向き、女の瞳が背後を映したと同時に、その脅威は明らかになった。
 雲水が追いかけてきて、追撃を仕掛けてきているのだ。
 それも奇妙な動きで。
 鍔迫り合いを解除した直後、雲水は左手で体を支えながら左足で飛ぶように地を蹴ったと、虫は言った。
 しかしそれにしては、雲水の体勢が妙なのだ。
 上半身が大きく反っているのだ。
 上と下の動きがちぐはぐに見える。
 まるで上半身が下半身とは違う考えを持っていて、別の動きをしようとしていたかのように。

(これは、もしや――)

 この時点で女は雲水の身に何が起こっているのかを察した。
 そしてそれは正解であった。
 雲水の上半身は別の動きを考えていた。ブリッジの姿勢から倒立後転しようとしたのだ。だから反っている。
 しかし下半身は、左足は少しでも早く女に迫ろうと、地を蹴った。
 ゆえに奇妙な体勢になっている。
 だが、今回はそれが逆に功と成った。
 雲水は反りによって蓄えられた力を刀に乗せ、女に向けて振り下ろすように放った。
 対し、女は叩き払うように針を真左に一閃。
 銀色の軌跡が十字の形で交錯する。
 衝突点から火花が散り、痛いほどの金属音が女の耳を打つ。
 反動で女の視界が右に傾く。
 女は姿勢が崩れることも気にせず、その力に身を委ねた。
 雲水から見て細く見えるように体を回転させる。
 直後、雲水の刀から放たれた三日月が女の体に触れた。
 しかし三日月は女の体に食い込まない。
 その速度は衝突の反動を利用した女の回転と一致していた。
 まるで三日月が女の体を押し、回転させているように見えるほどに。
 そして女は三日月をやり過ごしながら右腕に力を、針に魔力を込めた。
 通り過ぎていく三日月を目で追いながら。
 視界から三日月が消えぬように、体の回転を制御する。
 振り下ろしと同時に放たれた三日月、ゆえに女の視線も自然と下へ向いた。
 そして女の視界が半分ほど地面を映した瞬間、

「破ァッ!」

 女は通り過ぎていった三日月に向かって針を繰り出した。
 直後、女の視界は白一色で埋め尽くされた。
 女が放った閃光によるものでは無い。
 それは濁流。
 地面に激突して砕けた三日月から溢れたもの。
 女はその発生を抑えるために、閃光を差し込んだのだ。
 しかしそれは一本の線で封じ込められるものでは無かった。

「ぐっ!?」

 浮かされるような風圧と共に数え切れぬほどの銀色の蛇が、女を、そして雲水自身を飲み込んだ。
 噛み付いてくる白蛇を針で突きつぶし、左手で叩き払い、時に蹴る。
 しかし全てを追い払うことは出来ない。数が多すぎる。
 だから選ぶ。大きな蛇を、致命傷に至るものだけを。
 その選別から外れた小さな蛇が女の体に赤い線を引き残していく。

「……」

 細く鋭いその痛みの中で女は声一つ上げず、淡々と手足を動かしながら雲水に意識を移した。
 雲水も同じく、大きな蛇だけを選んで防御している。
 しかし装甲に守られているゆえに、引かれた線に赤色は滲んでいない。
 ゆえにこのような手を、自身を巻き込む攻撃を選んだ?
 いや、そうは思えない。そうは見えない。
 その無茶苦茶な防御が、動きが違うと教えてくれる。
 まるで各部の関節が好き勝手な方向に逃げようとしているよう。
 まともな動きをしているのは右腕だけ。
 自爆というこの緊急事態に焦ったのだろう、雲水は先ほど自意識を再び目覚めさせた。
 しかしそれが少し遅かった。全身の制御の掌握が間に合わなかった。
 だからあんな奇怪な動きになっている。ぎくしゃくと回転し始めている。回る必要など無いのに。
 どうやら彼は、

(その技に慣れていないようだな)

 そんな事を考えている間に濁流は過ぎ去り、地面に到着。
 地の上を一転して衝撃を殺す。
 全身の制御を取り戻した雲水も同じ動きで受身。
 同時に体勢を立て直した二人の視線が交錯する。
 そこで二人の動きは硬直。
 相手の出方をうかがうために、互いの瞳を覗き合う。
 視線を一つの線で結び合い、探り合う。
 その静かな情報戦の中で先に変化を見せたのは雲水。
 刀から放たれる意識の波が薄れ、そして消える。
 その選択に、女は、

(それでもその手に頼る、か)

 少し悲しくなった。
 対処法を知っているからだ。
 それはかつて彼女「達」が通過した道であった。
 ゆえにか、悲しさの中に僅かであるが喜びがあった。
 その小さな喜びに心をくすぐられたからか、女の顔に薄い笑みが浮かんだ。
 女はその笑みを少しずつ消しながら放っていた虫を呼び戻し、体に纏わりつかせた。
 奇しくも、女が選んだ手は雲水と同じ複眼。
 しかし対照的。雲水が体の制御を個々の複眼に任せているのに対し、女の複眼はあくまで情報収集のみ。

「……」

 そして二人は虫を体に身に纏ったまま、にらみ合った。
 女は雲水が来るのを待っている。
 応えるまでも無く、雲水は攻める気だ。
 が、雲水は迷っていた。
 正確には、複眼達が動くのを躊躇していた。
 複眼達はなんとなく感じていた。このまま攻めるのはマズいのではないか、と。
 珍しく全ての複眼の意見が一致したゆえに、雲水の体は動かないのだ。
 だから複眼達は本体に、剣にそれを訴えた。

「……」

 その声は届き、雲水は静かに意識を戻した。
 そして、それを感じ取った女は賞賛の念を抱いた。

(そうだ……それで正解だ。『今の状態の私』と戦うには、いざという時に全体をまとめられるやつが、まともに考えられるやつが一人はいないと話にならない)

 しかしそれでも不利がつくぞ――女がその言葉を心の中でつむぐよりも早く、雲水は地を蹴った。
 女の瞳に映っている雲水の像が「ずい」と迫り、大きくなる。
 その初動は雲水自身が考えて起こしたものであるゆえに、無駄が無く、そして隙も少ない、良い踏み込みであった。
 が、直後に見せた攻撃動作は一転して奇怪なものであった。
 雲水の意識が直接つながっている右腕が突きを放とうと伸び始めた、そこまでは良かった。
 しかし左腕がその動きにちゃんとついていけなかった。その遅れが逆に引っ張る力となって、突きを弱くしてしまっている。
 そして足はもっと酷い。上半身の動きとまったくかみ合っていない。減速するのが早すぎる。そのせいで上半身だけが前に倒れるかのように飛び出している。

「……」

 その奇妙な動きに女は半ば呆れつつも、左に地を蹴りながら右に払うように針を振るった。
 女の足裏が地の上を滑り、針が突きの軌道を反らし始める。
 直後、

「!」

 雲水の動きはさらに奇怪なものに変わり始めた。
 両足が地から離れたのだ。
 小さな跳躍をしようとしているように見える。
 同時に、雲水の背が大きく反り始めた。
 突きの軌道は下向きに。
 剣を地面に突き立てて逆立ちしようとしているかのような動き。
 腰が地に対して水平になったあたりで、その動きにさらなる変化が。
 軸である背骨が曲がり、足裏が女の方に向けられたのだ。
 これはつまり、体を縦に回転させて踵を相手に叩き込むという、いわゆるあびせ蹴り、

(……なのか?)

 と、女は自分の考えに疑問を抱きながら雲水の奇妙な動きを眺めた。
 足はこれを狙っていたから上半身とかみ合わなかったのかもしれない、などという思考を巡らす余裕すら女にはあった。
 雲水の足裏はゆっくりと弧を描きながら迫ってきている。
 そう、「ゆっくりと」だ。
 女は複眼から得られる大量の情報と高速演算が生み出す緩慢な世界にいるのだ。
 そんな状態の相手に対して、こんな動作の大きい攻撃が通用するわけがない。大きな隙を晒しているだけだ。
 確かに、動きを読みにくくはなった。体を操作する司令官が増えたのだから当然だ。完全に読もうと思ったら全ての複眼の思考を監視するしかない。
 しかし今の雲水相手にそんな面倒な事をする必要は無い。動きに無駄があり、遅いのだから見てから対処すればいい。つまり、同じ複眼を使って「見(けん)」からの「後の先」に徹すればいいのだ。
 結局は雲水がこの技を使いこなせていないことが原因である。が、女はその未熟さを無礼と受け取った。
 愚かな攻撃には冷たい反撃を。そう思った女はあびせ蹴りを左手の防御魔法で受け止め、がら空きになっている雲水の背中にその防御魔法を叩きつけた。

「ぐっ!?」

 背中が軋む音と共に吹き飛ぶ雲水。
 間も無くその体は痛々しく地面の上を滑ったが、雲水はすぐに立ち上がった。
 しかしその時既に女は目の前。
 女は雲水が構えを整えるよりも早く、針を突き出した。
 狙いは正中。雲水の胸の中心。
 心臓付近に迫るその銀色の先端に、雲水は、

「!?」

 まともに動けなかった。
 これもそう。対処法の一つであり、弱点の一つ。これがあるゆえに相手の回避先を読む必要が無い。
 この攻撃は左右、どちらに逃げてもいい。
 だが雲水はそのどちらにも動こうとしていない。
 左足は右に、右足は左に跳ぼうとしているからだ。
 ぶつかりあった力は逃げ場を求めるように後ろへ。
 結果、雲水の動きは後退になっている。
 だがその速度は迫る先端に比べれば緩慢。
 ゆえに雲水は刀で迎え撃った。それしか無かった。
 迫る針とそれをなぎ払おうとする刃、二つの鋼がぶつかり合う。
 瞬間、

「っ!?」

 刃と針の動きはそこでぴたりと止まった。
 鍔迫り合いの時と同じ。電撃魔法による拘束。
 そして女は雲水の刃を捕まえたまま、左足に魔力を込めた。
 輝き始めたその爪先が地を押し、かかとが浮き上がる。
 雲水はその動きが蹴りの初動であることを察し、刹那の間を置いてその軌道を読んだ。
 女の狙いはやはり武器破壊。
 電撃魔法で固定した刃を蹴り砕くつもりだ。
 どうする? 雲水がそれを考えるよりも早く、右足が勝手に動いた。
 蹴りの軌道を変えようと、前へ飛び出す雲水の右足。
 それを見た女は蹴りの目標を変えた。
 女の意識が刀から雲水の腹へと移る。
 魔力の通っていない右足では止められない、そう判断したのか、今度は左手が動いた。
 光る手の平と輝く足裏がぶつかり合う。

「がっは!」「ぐっ!」

 直後、二人は同時に悲鳴を漏らした。
 女が放った前蹴りは雲水の左手ごと腹に押し込んでいた。
 その圧迫感に、雲水は嗚咽を漏らした。
 そして、女の腹にも同じように雲水の右足がねじこまれていた。
 左手が動いたことを察した右足が目標を変えたのだ。

「「げ、ごほっ」」

 刃と針が離れ、同じ嗚咽を漏らしながら後ろによろめく。
 この時、雲水は察し、そして学んだ。
 この女に対し、この手は奇策にならないことを。この女はこの技のことをよく知っている。
 なぜだ。
 まさか、これがそうなのか? この技術の先に混沌があるのか?
 わからない。
 もしそうだとしても、この戦いでその域に辿り着けるとは思えない。
 しかし、だからといってこの手が全く使い物にならないというわけでもない。
 咄嗟の防御に使う限りにはこの手は悪くない!
 そう思った雲水は、

「雄雄ォッ!」

 嗚咽の唾液を気勢に変え、女に向かって踏み込んだ。
 女の喉元目掛けて突きを繰り出す。
 対する女も同じように針を突き出し、迎え撃つ。
 交差する二つの軌道。
 二つの鋼はその交差点でぶつかり合うように見えたが、

「!」

 直後、女の顔に驚きの色が浮かんだ。
 直前で雲水が刃を引き下げ、鞘の方に戻したのだ。
 捕まえる相手を逃した電撃魔法の糸がむなしく空気を掴む。
 女の狙いが変わらず武器破壊であることを雲水は読んでいた。
 そしてこの一撃は囮。
 雲水はすかさず地を蹴って突き出された針の下にもぐりこみ、右肩を女の腹にぶちかました。

「ぐっ!」

 女の口から再び嗚咽が漏れる。
 雲水はその苦悶の吐息を頭上で感じながら、鞘の中に戻した刃に魔力を流し込んだ。
 胴を撫で斬る、その意思と共に魔力を爆発させる。
 鍔と鞘の接触部から火花が散り、白刃が鞘の中から顔を出す。
 が、抜刀はそこで止まった。
 柄の底に押し当てられた女の右足裏が抜刀を阻んでいた。
 雲水の攻撃を読んだ女はすかさず柄の底を右足で踏みつけ、抜刀の起点を潰したのだ。
 そして女は右足に体重を乗せながら、足裏から糸を垂れ流した。

「ぐっ!?」

 雲水の右手と刀に電流が走る。
 その痛みが鞘を通じて左手に伝わった瞬間、さらなる衝撃が雲水の右手に走った。

「ぬぅっ!?」

 雲水の視界が大きく揺らぎ、そして白む。
 電撃魔法によるものでは無い。
 雲水の視界を埋め尽くしたのは防御魔法。
 女の右足裏から生まれた光の壁が雲水を押し返し、そして崩す。
 後ろへよろめく雲水。
 そこへ当然のように女が仕掛ける。
 後ろに残していた左足で地を蹴り、間合いを詰める。
 しかし次の瞬間、

「!」

 雲水の意識が止まったのを女は感じ取った。
 そして直後、

「?!」

 雲水は後ろに振り返るように、腰をひねった。
 女の目の前に無防備な背中が晒される。
 しかし女は別の場所に意識を、視線を向けた。
 これは回転動作。柄の底を踏み抜かれた時に受けた勢いを利用したもの。
 ゆえに今見るべきはその力がどこに乗せられるのか、ということ。
 それは間も無く女の視界に入り、そして迫ってきた。
 黒く輝く棒、鞘であった。
 女は浅く弧を描いて迫ってきたその棒を針で受け止めた。
 このまま受け流してからその無防備な背中に一撃、女はそう考えたが――

「!?」

 女は動けなかった。
 見ると、針は鞘から伸びてきた糸に拘束されていた。
 捕まった、その事実を言葉として認識した直後、今度は女の耳に軽い金属音が届いた。
 刀の鯉口を切った音、抜刀した音だ。
 まずい、そう思うよりも早く、女は電撃魔法で拘束を解除しながら、「左後方」に地を蹴った。

「斬!」

 正面に向き直る回転動作と共に雲水が白刃を一閃。
 同時に放たれた三日月が地に対して水平に奔る。
 しかし、この時点で既にその軌道上に女の影は無い。
 回転する方向は決まっていた。ゆえに、女は雲水の背中を追いかけるように、回り込むように「左」に地を蹴ったのだ。「後方」への力も加えたのはもしもの時の保険だ。
 今回はその保険は必要では無かったように見えた。
 が、直後、

「!?」

 空中分解した三日月から生まれた濁流が、追いかけるように迫ってきたのだ。
 この濁流は左に傾いている!
 そう、右腕は、雲水は読んでいたのだ。背中側に回り込むように動くことも、そして同時に距離を取ろうとすることも!
 保険が完全に裏目に出てしまった!

「くっ!」

 ゆえに、女は歯を食いしばりながら追いついてきた白蛇に向かって輝く針を繰り出した。
 女の腕が描く直線と、荒れ狂う曲線がぶつかり合う。
 幸いにも、女はこの窮地をほぼ無傷でやり過ごした。

「……っ」

 が、女は表情をさらに曇らせた。
 構えを整えながら、女はその理由をぽつりと漏らした。

「……時間切れか」

 急用が出来た、と言う方が正しい。
 遠方に飛ばしておいた虫から報せが届いたのだ。
 その虫にはある人物の監視をやらせていた。
 信号が送られて来たということは、その者が大きく移動し始めたということ。
 追いかけながら定期的に信号を送るように設定してあるが、その尾行には時間制限がある。虫が力を使い果たした時点で連絡は途絶える。
 そうなる前に追いつかなくてはならない。

「……」

 女は迷い、そして考えた。
 一番無難な選択肢は早々にここから立ち去ることだ。
 しかし女には欲があった。雲水の魂を手に入れたいという願望が。
 だが時間はあまり残されていない。
 だから女は、

「……」

 静かに、そしてゆっくりと眼前に針を構えた。
 祈りをささげるような、ケビンに見せたものと同じ構え。
 しかし祈りの理由は全く違っていた。
 それは雲水だけでなく、自分自身、そして見えない何かに対してささげられていた。
 女には自信が無かった。これから使う技を確実に成功させる自信が。
 だから祈っている。
 この祈りは彼女の中に僅かに残っていた神聖なるものへの敬意の表れなのだ。
 女はそれらの思いを順番に雲水に伝えた。

「急用が出来た」と。

「残念だが、すぐに移動しなければならなくなった」と。

 そして最後の言葉は映像や印象と共に送られた。
 それらは雲水の水面に次々と映された。

偉大なる者の地

 最初に水面に写りこんだのは雲水が見知らぬ風景。切り立った崖が目立つ、険しい山々が並ぶ光景。

バージルの中に広がる夜空

 次に映ったものは満天の星空。
 そして最後に映ったものに、

「!」

 雲水は目を見開いた。

ゴボウセイ2

 それは五芒星。
 そのシンボルが持つ意味を雲水は知っていた。だから驚いた。
 そして驚きはまだ続いた。

「だからもう手加減出来なくなった」という最後の言葉と共に、女は「変わり始めた」。

 その変化は女の表面に現れた。
 女の体に新たな光る線が描かれ始めたのだ。
 その模様は既に描かれている回路とは対照的に幾何学的なものでは無く、艶かしさすら感じるものであった。
 血管のそばを走っている魔力の経路が光っているからそう感じるのだ、雲水がその事に気付くのに時間はさほどかからなかった。
 ゆえに、女の体に流れる魔力量が爆発的に増加していることにもすぐに気付いた。

「……っ!」

 その変化に、雲水は思わず後ずさりしそうになった。
 冷や汗と悪寒が止まらない。
 逃げるべきだと本能が声を上げている。
 逃げても無駄だ、どうせすぐに追いつかれると理性が声を上げている。
 そのやり取りから生まれる危機感に呼応するかのように、心音が速く大きくなって――

(? いや、違う。これは――)

 これは自分のでは無い。女の心音だ。
 女の心を通じて水面に響いている。
 脈打つその鼓動に合わせて水面に波紋が、輪が広がっている。
 輪の感覚はどんどん狭くなってきている。
 異常なほどに、恐ろしいほどに心音が速くなっている。
 そして同時に痛みが伝わってくる。
 心音が鳴る度に、輪が生まれる度に痛みが走る。
 なぜだ。
 その答えは女の胸元にあった。
 音が鳴る度に光っている。
 いや、違う。逆だ。
 光っているから音が鳴っているのだ。
 魔力を爆発させて、心臓を無理矢理動かしているのだ。

(なんという……)

 なんて無茶な、という思いが雲水の水面に浮かんだが、それよりも別の驚きのほうがはるかに強かった。
 人間はこれほどまでに魔力を引き上げられるのか、人間にはこんな力があるのか、という驚き。
 それは感動に近かった。
 が、その感覚はすぐに恐怖に変わった。
 もし、この力を使って攻撃したらどうなる?
 その疑問の答えを女は動いて見せた。

「!」

 それは、その攻撃は雲水の目をもってしても光ったようにしか見えなかった。
 速過ぎた。圧倒的であった。
 しかし、抵抗しなければならない、という思いが雲水を突き動かしていた。
 どう迎撃すべきかなど分からなかった。だから雲水は自身が最も得意とする型を、突きを選んでいた。
 ゆえに、この激突はあの時のアランとリックと同じ、二本の閃光の交差という形になった。

「っっっ!!」

 そして気付けば、雲水は万歳するように両手を上げていた。
 その少し可笑しな体勢を、雲水の魂は刀の中から「見下ろしていた」。
 何が起きた? その答えは本体の右手にあった。
 その手に握られている刀は根元から折れていた。
 だから自分は宙を高く舞っている。
 本体に戻らなければ。雲水の魂はそう思ったが、出来なかった。
 動けなかった。糸に捕まっていた。
 女は雲水の後方、少し遠くにいた。
 女は元に戻っていた。体から紋様が消えていた。
 きっとこの技は長く使うことが出来ないのだろうと、雲水は思った。
 そして見れば、彼女の針も同じように折れていた。
 激突の衝撃に耐えられなかったのだろう。
 動作そのものは単純。
 針を突き出しながら横を通り抜けただけだ。
 しかし、その速度の凄まじさが地面に残っている。
 太く硬いもので削ったかのような減速の痕。
 それが雲水の真後ろから長く、女の足元まで続いている。

(なんという一撃だ)

 高みから雲水はそんなことをのんびりと考えていた。
 もう自分にはどうすることも出来ないからだ。
 しかし、その心にあきらめの色は無かった。
 運がよほど悪くない限りなんとかなる、雲水はそう思っていた。
 その思いの源泉は信頼。
 雲水は信じていた。仲間の事を。仲間の技術を。
 そしてその願いの結果は直後に女の顔に表れた。

「!?」

 女の顔が驚きの色に染まる。
 糸が切断されたからだ。
 何に? 振り返らずとも女には分かっていた。感じ取っていた。
 それは光の矢。
 魔力を込めた鉄の矢による遠距離からの狙撃だ。
 だから女は地面に突き立った矢の方にでは無く、遠方にいる狙撃主に向かって振り返り、睨み付けた。
 狙撃主は女であった。雲水と一緒に屋根の上にいた忍者だ。

「……ふう」

 その女忍者は強い苛立ちが込められた視線を受け取りながら、安堵の息を吐いた。
 この狙撃は運の要素が強かったからだ。
 女忍者は二人の戦いを目で追えていなかった。感知による予測を用いても追いつけなかった。
 だから女忍者は雲水に頼った。
 雲水の魂からの思いを受け取った直後、女忍者は逆に要求した。女の左手の正確な位置を。
 糸を最短距離で伸ばして魂を捕まえようとするだろうと踏んだ女忍者は、女の左手と雲水の魂を結ぶ直線を狙ったのだ。
 もし、糸が空いている左手からでは無く、折れた針を握る右手から伸ばされていたら外していただろう。
 だから女忍者は「安堵の息をこぼしながら」、「念のために」次の矢を構えた。
 この後の展開を女忍者は予想出来ていた。
 あの女はすぐにもう一度糸を伸ばして雲水を捕まえようとするだろう。
 しかし慌てる必要は無い。
 なぜなら――

「!?」

 直後、女は「矢の方に」振り返った。
 感じ取ったからだ。矢に込められていた思いを。
 それは言葉にすれば、「複眼に虫を使いすぎているせいで周囲への警戒が甘くなっているぞ」というものであった。
 挑発的に感じる内容。

「……!」

 だが、女は再び振り返らずにはいられなかった。
 誰かが立ち上がる音が聞こえたからだ。
 それが誰なのかも虫の報告で分かった。しかしそれでもこの目で見ずにはいられなかった。
 だから女は振り返った。
 そこにいたのは赤い男。
 ケビンである。
 真っ赤なその立ち姿の中で、唯一色が違う白目が異様に目立つ。
 ゆえに、女は自然と目を合わせた。
 すると、その白から思いが伝わってきた。
 それは「こっちを見ろ」という言葉となって、女の心に響いた。
 その木霊は響き続けた。木霊のように。
 だから女は気付いた。

(完全に気を失って……いや違う、これは――)

 ケビンの理性と本能が機能していないことを。
 ケビンの魂が本体の中に無いことを。
 ではどこに?
 それはすぐ上にあった。
 大上段に構えられたその手の先に、掲げるように、空に向けた剣の中に。
 ケビンは雲水と同じように鋼の中に入っていた。
 それに気付いた女は尋ねた。どうするつもりなのかと。瀕死のお前が立ち上がっても、雲水の真似事をしても、今の私には脅威では無いぞ、と。
 女はそんな言葉をケビンの魂に投げかけた。
 それはケビン自身、同じ思いのようであった。
 しかし、こんなぼろぼろの自分でも、一つだけ出来る事があるのだ。時間稼ぎでは無い、やるべきことがあるのだ、という思いもあった。
 女はその思いを、ケビンの中に残った記憶と残留思念を辿った。
 それは雲水から教えてもらったという。
 朦朧とした意識の中でケビンは感じ取っていた。雲水が苦戦しているのを。
 だから尋ねた。俺に出来ることは無いか、と。
 その答えはすぐに返ってきた。
 やり方も教えてもらった。
 その後どうなるかも。
 それでも少し怖い。
 しかし、これは俺にしか出来ない事なのだ。
 ならば迷う必要は無い。

(……)

 ケビンの声は、残留思念はそこで途絶えた。
 ケビンはもう何も考えていない。
 今の彼には意識も感情も無い。与えられた仕事をこなすためにある、ただ一つの機械だ。
 そしてその機械の歯車は、ゆっくりと回り始めた。
 天に向けて掲げられた剣が光り始める。
 剣を握る両手に、両腕に力がこもる。

「あ、お……」

 そしてケビンは口を開いた。
 呻き声のような音がその赤黒い空洞から漏れる。
 それは機械となったケビンに残っていた、染み付いていた最後の感情であった。
 ケビンの口は、喉はそれを可能な限りの声量を持って搾り出した。

「お、おぉ雄雄雄ッ!」

 雄叫びとともに一閃。
 振り下ろしと同時に放たれる三日月。
 その光る刃はケビンと女を結ぶ線のちょうど中央で地面にぶつかり、そして弾けた。
 溢れる濁流。
 これを女は受けることにした。
 大した規模の濁流では無かったからだ。軌道も上に外れている。だから避けるまでも無かった。
 が、

「!」

 襲い掛かってきた最初の白蛇を折れた針で叩き払った瞬間、女の目は見開いた。
 その蛇に込められていた感情が針を通して伝わったのだ。
 これはただの濁流では無い、攻撃を目的としたものでは無い、そのことに気付いた女は空を見上げた。
 叩き付けられた反動で空に舞い上がった白蛇達は空中で分解消滅し、小さな粒子となった。
 その白い小さな輝きは星空を描くように空を埋めた後、風に乗り、戦場に降り注いだ。
 まるで雪のように。
 女の体に、そして顔にふりかかる。
 瞬間、女は心が熱くなるのを感じた。
 これはなんだ。
 女はすぐに気付いた。
 これは勇気だ。ケビンが有する「無条件の勇気」から生み出されたものだ。
 文字通り、ケビンは三日月に魂を込めたのだ。

「!」

 そして直後、女はサイラスの方に振り返った。
 二人の視線が交錯する。
 サイラスの瞳にはもう恐怖の影は残っていない。
 揺ぎ無いと思えるほどに、力強い目。
 見回せば、周りにいる兵士達も同じ目をしている。
 そして直後、サイラスの背後で一つの影が立ち上がった。
 まだ完全には回復していないと見える、緩慢な動作。
 影はゆらりと構え、その手の中に光球を作り出した。
 それは薄赤く光っていた。
 サイラスはその輝きを背負い、後光としながら叫んだ。

「反撃開始!」

 その声が場に響いた瞬間、サイラスが背負っていた後光は弾けた。
 薄赤い日輪と共に光が溢れ、そして広がる。
 リーザと、彼女の近くにいる者達による射撃で生まれた光。
 日輪にはその思いが、攻撃意識が乗せられていた。
 その輪に触れた者達が、リーザ達と同じように次々と射撃する。
 思いが伝播し、新たな光が生まれる。
 場が光に包みこまれる。
 数瞬遅れて轟音が響き始める。
 混じって出来た一つの音では無い連続音。
 赤い弾から生まれた爆発音から始まり、光弾が地面に、そして家屋に炸裂して生じた音が次々と鳴り響く。
 その凄まじさたるや一つの長い音のように聞こえるほど。
 神々しさすら感じるほどの攻撃。
 しかしサイラスは表情を緩めなかった。
 これで終わる相手では無いと確信していたからだ。
 そしてそれは直後に事実となった。
 閃光の中から一つの影が、女が飛び出したのだ。
 しかしその顔はサイラスとは対照的に、戦意の感じられないものであった。
 そして少し嬉しそうでもあった。口尻が、僅かにひくついていた。
 理想とは違うが、もう潮時だろう、ここを離れようという思いが女の心の中心にあった。
 あの怪物、リーザ相手に手加減し続けるのは多分難しい。女はそう思っていた。だから最初に狙った。
 そして、肝心のサイラスも教えたことをちゃんと理解しているようだ。
 その証拠に兵士達の後ろに隠れるように後退し始めている。
「神楽」を起こせるのは、軍全体を巻き込むような大規模の連鎖の起爆剤になれる人間はこの中で彼しかいないからだ。
 そのような人間は基本的に前に立ってはならない。他にも発動出来る人間が後ろに控えている、などの保険が無い限りは。
 私はそれを身をもって学んでもらおうと思った。だから恐怖で染め上げた。
 あの時、彼だけでも無事であったならば、「神楽」の再発動によって感情を上書きし、全体を即座に立て直すことが出来たのだ。ゆえに「神事」を引き起こせる「神官」や「巫女」は後方からの支援に徹するのが基本だ。
 一つ誤算だったのはケビンがいたこと。

(……ん?)

 そこまで考えたところで、女は自身の顔が少し引きつっていることに気付いた。
 心の中に、ケビンから貰った勇気以外の熱い感情があった。
 どうやらそれは、シャロンから湧き上がっているもののようであった。

(そういえばシャロンはこうなることを望んでいたな)

 女は迫り来る攻撃を適当に避けながら、混沌の中に潜むシャロンの様子をうかがった。
 やはりシャロンは興奮していた。針が折れたことによる悲しみを忘れるほどに。
 それを見た女は少し呆れた。

(まったく……ロマンチストな奴め)

 しかし同時に、「うらやましい奴だ」とも思った。

「……ふっ」

 女はそんな感情を抱いた自分に対して笑みを浮かべながら、地を蹴り直した。
 サイラス達との距離が瞬く間に離れる。
 全力で逃げながら、女は小さくなるサイラスの気配に向かって、心の声を飛ばした。

(また会えるといいな。こんな良い機会がもう一度あるかどうかは分からないが)

 その言葉を受け取ったサイラスは「ふざけるな」と返したが、その声が届いたかどうかは分からなかった。

   ◆◆◆

 深夜――

「それで、お前達は何者だ? この国で何をしている?」

 戦後処理を適当に部下に押し付けたサイラスは開口一番、そう尋ねた。
 相手は当然雲水。場所はある宿の一室。

「……」

 雲水はサイラスの質問にすぐには答えなかった。
 サイラスの態度が気に食わなかったからだ。
 焦りすぎているせいで高圧的になっている。
 あの女と、そして私との実力差を知ったからだ。
 それを隠そうとして自然と高圧的になっている。
 この調子で話を進めても、お互いにとって良いものにはならないだろう。
 雲水はそんなことを考えながら口を開いた。

「最初の質問の答えは貴殿の予想通り、私は和の国の人間だ。そして私はその二つ目の質問を『あの女』にするためにここに来た」

 そう言って、雲水は両手の平をサイラスに見せながら、肘が肩の高さになるように両腕を上げた。
『無抵抗』、または『降参』の意思表示だ。
 そして雲水は嘘を吐くつもりもないという思いを込めながら再び口を開き、言葉を続けた。

「……のだが、私は返り討ちにされ、今こうしてお前に質問されているわけだ」

 言いながら、雲水は大げさに眉をひそめ、肩をすくめた。
 火傷が痛むからというのも理由として少しあるが、『自分はあの女に負けた』という事実と、『予想より手強くて驚いた』、『だから困っている』という思いを柔らかく伝えるためである。
 同じ敗北者であるということを示して態度を軟化させようと思ったのだ。
 事実、最後にあの女が見せた技には本当に驚かされた。
 だが驚きだけだ。実はもう困ってはいない。
 対処法は既に雲水の中にあった。
 恐ろしいほどに速くなるが、長くは使えないようだ。ならばこちらが取るべき手は「逃げ」が無難。飛び道具を撃ちながら後退し、少しでも時間をかせぐのだ。
 しかし近距離で発動されたら対処のしようがない。だから次の戦いは徹底して遠距離戦にするつもりだ。
 いざという時はあの技を同じように試してみるのもありだろう。
 あくまでも次があればだが。

「……」

 そして、対するサイラスは雲水のその答えに満足そうな表情は浮かべなかった。
 肝心な事は何も答えていないからだ。
 しかし、サイラスはなぜ雲水が大げさな態度でそんな答えを返したのかということに気付いていた。
 頭を冷やさなければならない。
 そう思ったサイラスは少し遠い質問をぶつけることにした。

「そういえば、一緒にいた連れの姿が見当たらないが、何をしている?」

 この質問に雲水は表情を軟化させながら答えた。

「彼女はちょっと様子を見に行った」

 これにサイラスが「様子? 何の様子だ?」と尋ねると、雲水は言葉を選ぶように少し考えてから口を開いた。

   ◆◆◆

 同時刻――

 街から離れたある場所で、一人の男が馬を走らせていた。
 夜の闇に顔が覆われているせいで誰なのかは分からない。
 動きもよく見えないが、蹄の音からかなりの速度であることが分かる。
 そしてその音には、

(急がなければ……!)

 という思いが染み付いていた。
 蹄の音が重なる度に、その焦りは徐々に大きく、強くなっていった。
 ムチを握る男の手に新たな力が込められる。
 もっと速く、これで馬が壊れても構わない、そんな思いと共に、男は腕を振るおうとしたが、

「!?」

 直後、男は馬を急停止させた。

「……!」

 前方に、暗闇の中に誰かがいる。立ちふさがっている。
 雲が月を隠してしまっているせいで目はほとんど役に立たない。
 が、男はその存在を「感じ取った」。
 誰なのかもはっきりと分かった。
 しかし、男は理性の活動を抑えながら、

「あ……ええと、シャロン様、ですか?」

 と、尋ねた。
 その声はシャロンの付き人のものであった。
 自信無さげな声が闇に響く。

「……」

 が、返事は無かった。
 まるで闇に吸い込まれたかのように。

(……?)

 瞬間、男は違和感を抱いた。
 本当に声が吸い込まれたように感じたからだ。
 何かがおかしい、そう思った付き人はもう一度口を開いた。

「シャロン様?!」

 付き人はある事を確認するために少し大きな声を闇に響かせた。
 しかし、声はまたしても闇に吸い込まれた。
 声が、波が帰ってこなかったのだ。
 人体という障害物で生ずるはずの音波の反射が全く無い。
 それが意味することは一つ。
 そこには誰もいないということ。
 しかし気配を感じる。
 それが意味することも一つ。それは、

(外されている?!)

 ということ。
 それに気付いたと同時に、付き人は馬から飛び降りていた。
 すると次の瞬間、付き人の視界は、馬は閃光に包まれた。
 独特の炸裂音と共に。
 一瞬遅れて、付き人はその閃光の正体に気付いた。
 雷だ。落雷のような電撃魔法だ。
 これほどの規模の電撃を扱える人間は一人しか心当たりが無い。
 それは――

「ん? 外した?」

 直後、その者の声が「後ろから」届いた。
 よく知っているその声は足音と共に続いた。

「いや、違うか。避けたのだな」

 そこで足音は止まり、今度は心に声が響いた。

(方向感覚を狂わせるのは目が見えない相手や闇夜においての常套手段。とはいえ、よく気が付いたわね。さすが、と褒めてあげる)

 その言葉が意味するところも一つ。
 だから、付き人は声がした方に振り返りながら、光弾を放った。
 手から生まれた光が付き人の顔を照らす。

「!」

 その顔は驚いていた。
 恐怖と焦りが滲み始めていた。
 光弾を放ったと同時に付き人は気付いたのだ。
 そこにも誰もいないことに。
 あるのはシャロンの魂、その一部だけ。
 耳に届いた足音と声は本物だった。その時はまだそこに、後ろにいた。
 足音が止まった時点で、本体は別の場所に移動したのだ。魂の一部を置いて。
 方向感覚は今も狂わされている。
 本体はどこに?
 いや、今は索敵するよりも回避行動を取るべきだ、そう思った付き人は地を蹴ろうとしたが、

「あがっ?!」

 足は動かず、代わりにその口から悲鳴が漏れた。
 頭蓋を砕かれた感覚。
 上から攻撃された? 踏まれた? 痛みとともにその事実を認識しながら、付き人は膝をついた。
 足音が消えたのは、上に跳んだからか――付き人はそんなことを考えながらそのまま前のめりに倒れた。
 その衝撃で、開いた頭蓋の中から何かがこぼれ出たのを付き人は感じた。
 そして、その何かから付き人の魂が昇った。
 付き人は頭からこぼれ出てしまったそれを見下ろしながら思った。
 馬を止めるべきでは無かったのだと。
 いや、もしかしたらこうなるのは時間の問題だったのではと。
 シャロンは自分が鈍いフリをしていることに気付いていたようだ。
 この女はやはり、魔王様が睨んだ通り、国に仇成す存在のようだ。
 しかしそれを誰かに伝えることは出来ないだろう。この魂もすぐに砕かれるはずだ。見逃されるはずがない。
 それが唯一の心残り――

(……いや、)

 口惜しいことはもう一つある。
 それは、この女が騙されているフリをしていることに気付けなかったこと。

(全ては、自分が未熟で――)

 付き人の意識はそこで終わった。
 夜の闇に砕かれた魂が蛍のように舞う。
 その様を純粋に美しいと感じながら、女は口を開いた。

「気付けなかった事を恥じる必要は無い」

 それは消え行く魂への手向けであった。

「なぜなら――」

 そう言って、女はシャロンと入れ替わった。
 そしてシャロンとなった女は、理由を述べた。

「あれはフリじゃ無いのよ。私はそういう風に作られていたの。私はあなたの事を本当に鈍いと思っていたのよ」

 その言葉が終わると同時に、蛍はその命を終えた。

「……それに、」

 伝えるべき相手が完全に消えた事を分かっていながら、シャロンは言葉を続けた。

「こんな派手な事が出来たのは、運が良かったからなのよ」

 しかしそれは独り言では無かった。

「『あなた達』が来るはずだった援軍を潰してくれた。だからこんな事が出来た」

 その言葉は背後の闇に向けてのものであった。

「だから、感謝してるわ。本当よ」
「……」

 闇は答えない。
 だが、音の反射はあった。
 そこに誰かがいるのは明らか。
 しかも一人では無い。
 そして、そのいずれもが警戒の色を纏っている。
 シャロンを包囲しようと、静かに動いている。

「……」

 その動きに、シャロンは少し「考えた」。
 わざと捕まってもいいかもしれないと思ったからだ。
 こいつらと手を組むのも悪くない。
 シャロンは本当にそう思った。
 が、

(……いや、)

 組むにしてもまだ早い、シャロンはそう考えを改めた。
 まだ奴らの仲間として振舞っているほうが善いと、混沌から声が響いたのだ。
 だからシャロンは、

「……魅力的なお誘いだけど、今回はこれで失礼するわ」

 そう言って、右手を胸に添えながら闇に向かってお辞儀をし、

「それでは皆様、また会う日まで」

 頭を上げながら別れの挨拶を述べた。
 これに対し、影は、くの一は、

「待て!」

 と声を上げた。
 しかしその声に敵意は無かった。
 雲水が止められなかった相手をどうこう出来るとは思っていなかったからだ。
 ただ、一つ二つ質問に答えてほしい、そう思っていたゆえに反射的に声が出たのだ。
 それをシャロンは質問の内容を含めて分かっていた。
 だからシャロンは答えてあげた。

「……安心して。私と『サイラス』の邪魔をしない限り、私があなた達の敵になることは無いわ」

 なぜそこで『彼』の名前が出る? それをくの一は尋ねようとしたが、

「悪いけどそれは教えられないわ」

 それは叶わなかった。
 そしてその言葉を最後に、シャロンの気配は闇の中に消えた。

   ◆◆◆

 そして夜が流れ、空が白み始めた頃――

「……」

 サイラスはまだ起きていた。
 戦闘を終えたばかりで疲れているにもかかわらず眠れなかった。眠る気にならなかった。
 あの後、雲水は言った。
 自分達がこの国に来た理由を。
 その答えは我々と同じだった。
 彼らも攻撃されたのだ。内部から侵食されたのだ。
 しかし彼らはそれを早期に見つけ出し、駆除した。
 仕掛けてきた相手、「敵国」を見つけ出すのにも時間はそれほどかからなかった。捕虜の記憶から辿ったのだ。
 ここに雲水達がいるのは、その「敵国」と「我々」の繋がりを調べるため。
 同時に、「敵国」への反撃も行われている。
 あくまでも、表沙汰にならぬように。
 表面上は仲良く交易している。
 静かで冷たい戦いである。「冷戦」を繰り広げているのだ。
 そしてその「敵」の「名」は――

(魔王……)

 なぜだか、サイラスの頭の中でその名が木霊していた。
 何度も、何度も。
 疲労のせいか、思考が上手くまとまらない。
 だから寝るべきだ。意識を落とせないにしても、体を横にするべきだ。
 しかし出来ない。気になるのだ。
 いや、気になるなどという緩い(ゆるい)感覚では無い。
 私は間違いなくその呼び名を「知っている」。
 いや、「識っていた」?
 どちらでもいい。とにかく、魂がそう叫んでいるのだ。
 しかしそこまで。
 それ以上は何も分からない。

「……」

 ゆえに、サイラスの思考は迷路にはまっていた。
 だが、こういう時にどうすればいいのかをサイラスは知っていた。

「……わからぬことを考えてもしょうがない。今はそれよりも大事なことがある」

 現実に目を向け、目先の事を考えることだ。
 そしてその答えは既にサイラスの心の中にあった。
 サイラスはそれを確認するように声に出した。

「……とにかく、強くならなければならない」

 あの女と、雲水達との実力差を詰めなければならない。
 いや、越えなければならない。
 侵略する気が起きなくなるほどに、戦力を、国力を高めなければならない。

「……そうだ、強くなければ。弱ければ死ぬ。どんなに正しくても。どんなに善良であっても」

 言いながら、サイラスは見えない何かに毒を吐いていた。
 その心を埋めていた感情は焦りなどという生優しいものでは無かった。
 サイラスの脳裏には同じ映像が何度も流れていた。
 それは古い記憶。
 頭を掻き毟りたくなるほどに、苦く(にがく)苦しい(くるしい)記憶。
 師がヨハンに突撃する映像だ。
 その後どうなったのかを鮮明に思い出さないように、奥底に封じ込め直すために、サイラスはもう一度口を開いた。

「だから、強くならねばならない。どんな手を使ってでも……!」

 その言葉は「善良でありたい」、「高潔でありたい」というサイラスの願いと矛盾していた。
 しかしサイラスはそれに気付いていなかった。

 そして、気付いていないことはもう一つ。
 脳裏に流れた映像の一つに、「魔王」が映っていたことだ。

   ◆◆◆

 一方、その魔王も、

「……」

 同じように眠れないでいた。
 魔王も同じように考え込んでいた。
 その内容は、「敵に考えを読まれないようにするにはどうすればいいのか」ということ。
 あの後、オレグがそう尋ねてきたのだ。

「……」

 その質問に、魔王は「完璧な」答えを返せなかった。
 技術自体は色々知っている。が、そのいずれも「絶対」たるものでは無いからだ。
 理想形はある。知っている。
『あやつ』がそうだ。体現している。
『あやつ』の考えは全く読めない。
 しかしどうやっているのかが分からない。

「……」

 しかしその答えを見つけることは随分昔に諦めがついていた。
『あやつ』は我とは、我々とは違う生き物なのだ。
 なぜなら――

「……いや、あれについて考えるのはやめておこう。考えてもしょうがない」

 そこで魔王は一度思考を止めた。
 決して手に入らぬものを欲しがってもしょうがないと思ったからだ。
 ならば、我々は我々なりに努力するしかない。
 手に入らぬまでも、その域に近づかなくてはならない。

「……」

 そう思った魔王は目を閉じた。
 自身の記憶を深く漁るために。
 ひらめきに通ずるものが眠っているかもしれないと思ったからだ。
 魔王はその思い出の旅を最初から、幼少時の時から始めることにした。

(我が最初に感知を自覚したのは、確か――)

 一歳か、二歳になったばかりの頃だったはず。
 幼い頃の我は感知というものは出来て当たり前のものだと思っていた。
 その考えが間違いであることを知ったのは五歳の頃。
 ほぼ同時期に三位一体も成した。
 そして、悪童であった我はそれを悪用した。魂を使えない者達を手玉に取って遊んだ。
 正直、楽しかった。
 しかしその楽しい時間は十五歳の時に終わった。
『あやつ』と出会ったのだ。
 その時、我は初めて敗北の味を知った。
 そしてその出会いは人生の転機となった。
 償いと称して、『あやつ』は我をこき使うようになったのだ。
『あやつ』は出会った時から軍人だった。ゆえに、我も兵士となった。
 そう、この出会いが無ければ、我は「魔王」になどならなかったであろう。一つ二つの町を仕切る悪人が関の山であっただろう。
 そこから全てが変わった。
 生ぬるい生活は終わりを告げた。
 死と隣り合わせの日々が始まった。
 しかし、我は逃げ出さなかった。
 正確には逃げ出せなかった。逃亡は重罪であり、当時の我にそんな度胸は無かった。
 しかしいつしか、「逃げる」という選択肢は我の頭から消えていた。
 我は『あやつ』の強さの虜になっていた。
『あやつ』は強かった。他の仲間が苦戦していても、『あやつ』だけはいつも圧倒的だった。
 こいつと一緒にいれば将来良い思いが出来るかもしれない、そんな考えがあったのは確かだ。しかしそれ以上に、いやはるかに、一緒に戦いたいという気持ちの方が大きかった。
 そしてその感情は正しかった。
 戦いを重ねるごとに我は強くなった。
 虫を使えるようになり、出来る事が増えた。
 が、ある戦いで同じ虫使いに苦戦を強いられた我は、工夫が必要だと思うようになった。
 そうだ、その頃からだ。我が「敵に考えを読まれないようにするにはどうすればいいのか」ということを真剣に考えるようになったのは。
 オレグに話した「複眼の利用」を思いついたのもその頃。
 我の技術はそれが基本になっている。

「……」

 そこまで思い返したところで、魔王は思考を再び止めた。
 オレグにその事を、「複眼を利用した技術」について話さなかったからだ。
 なぜか。
 その理由を一言で説明するのは難しい。
 かつて、魔王はその技術に絶対的自信を持っていた。
 その技術のおかげで勝ち続けることが出来たと言っても過言では無い。魔王と呼ばれ始めたのもその頃だ。
 しかしある戦いでその自負は粉々に打ち砕かれた。
 その戦いで魔王はかつてない苦戦を強いられた。
 いや、苦戦などというものでは無い。
 魔王一人では勝てなかった。『あいつ』が助けに来てくれなければ、確実に殺されていた。
 小国を軽く捻り潰して終わり、そう思っていた。
 しかし違った。だから驚いた。焦った。疑問に思った。
 なぜこんな小さな国にこんな怪物がいるのかと。
 そしてその時、魔王は知った。
『あいつ』との実力差が埋まるどころか、広がっていたことを。
 自分の方がもう強いと思っていた。思い込んでいた。
 しかしそうでは無かった。
 なのに、なぜ自分が上に、「王」になったのか?
 その理由はすぐに分かった。
 自分の能力の影響範囲がとてつもなく広く、派手だからだ。単純に目立ったからだ。
『あいつ』は強いが、目立たない。それに何より、理解されないから正当に評価されない。「なぜ強いのか」「なぜ勝てるのか」が分からないからだ。
 そして、『あいつ』が苦戦するのを見たのはその戦いが初めてであり、最後であった。

「……」

 しかしそれよりも強烈に印象に残ったのは、あの『男』が使っていた、

「……混沌」

 自然と、魔王の口から言葉が漏れた。
 あれを正しく表現出来る言葉はこれしか見つからなかった。
 そして、それは魔王が探して求めていたもう一つの理想であった。
 しかし、魔王はその事をオレグに話さなかった。
 いや、話せなかった。
 なぜなら――

「……シャロン」

 その原因となっている『女』の名を、魔王は漏らした。
 あの戦いの後、一年、いや二年か? とにかく、あの『女』は、シャロンは突然現れた。
 味方として。志願兵として。
 調べたところ、シャロンが混沌に目覚めたのは志願する直前であったようだ。家族がそう証言した。
 それだけならまだ、「人体の神秘」などの都合の良い理由で納得出来たかもしれない。
 しかしそうでは無いのだ。あの女にはとにかく奇妙な点が多い。
 混沌を宿す直前、一週間ほど行方不明にもなっていたという。
 そして、帰ってきたシャロンは『少し』性格が変わっていたそうだ。

「……」

 これは『そういうこと』なのだろうかと思った。
 だから我は試した。
 空っぽの他人の肉体に、自分の魂を入れてみることだ。
『複製』が可能なのかと実験したのだ。
 しかし出来なかった。
 入れた魂が別のものに作り変えられてしまったのだ。
 どうしてそうなるのか、それを知るまでにかなりの回数を要した。
 しかし、よく考えてみれば当たり前のことであった。
 魂の養分を作っているのは肉体である。
 養分は言い換えれば部品、魂を構成する材料だ。
 そして魂の構造は個人個人でかなり違う。
 構造が、『設計図』が共通化されている肉体とは対照的だ。魂は構造に個性がある。人によって手が三本あったり、目が三つあったりするように、それほど違う。
 そう、『設計図』が違うからなのだ。だから他人の体に自分の魂を入れても、別のものに作り変えられてしまうのだ。
 ゆえに魂の技術を共感だけで習得することは難しい。いくら練習を積んでも虫を使えない、そういう魂もあるかもしれない。
 最上位にあるのはやはり肉体なのだと、再認識させられた実験であった。

「……」

 その時はそれで納得した。あくまでもその時は。
 しかし気になる。
 怪しすぎる。
 だが、決定的な証拠は無い。
 ゆえに、オレグには話せなかった。
 オレグとシャロンが知り合い、そして仲良くなるなどという事態は絶対に避けねばならない。
 そう感じる。そうすべきだと本能が、魂が訴えているのだ。

「……」

 そこまで考えたところで、魔王の意識はようやく沈み始めた。
 今寝たら昼まで起きれないだろう、そうなるとオレグ達が不満を抱くかもしれない、そんな考えが脳裏をよぎったが、どうでもよくなるほどに魔王は疲れていた。

「……」

 ゆえに魔王はそのまどろみに身を委ねた。

 魔王は気付いていない。
 自分の心の奥底に不安が横たわっていることに。
 その不安の原因を見落としていることに。

 そう、だから、シャロンは本当に運が良い。

   第四十二話 魔王 に続く
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Author:稲田 新太郎
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