シヴァリー 第四十話

第六章表紙

”アランの力は遂に一つの頂点に”

   ◆◆◆

  稲光る舞台

   ◆◆◆

 様々な事があったあの戦いから一週間後の朝、

「……」

 リーザは静かに目を覚ました。
 場所は分からない。知らない天井だ。ベッドの上ということだけは分かる。
 ここはどこ? あの後どうなった? それを確認するため、上半身を起こそうとした瞬間、

「ここは私が用意した部屋だ。戦いの後、傷だらけだったお前をここに運ばせたのだ」

 と、男の声が耳に入った。
 痛みをこらえながら体を起こしつつ、声がした方へ振り向くと、そこには本を片手に椅子に座っているサイラスの姿があった。
 サイラスは本を机の上に置きながら口を開いた。

「そろそろ目覚める頃だと思ってな」

 サイラスは嘘をついた。「思った」のではなく、「察した」。
 リーザにはそれが分かった。いつの間にか心が繋がれていたからだ。
 その事実から、リーザはサイラスもアランのような能力を持っていることを理解した。そしてそれが強力であることも。心の奥底まで見透かされているようだ。この男ならば剣に頼らずとも、本能の考えを読めるのではないだろうか。
 そして逆に、こちらもサイラスが考えていることが分かる。わざとそうしているのだろう。嘘を隠すつもりは無いようだ。もっと言えば、隠し事無く腹を割って話したいということか。
 そこまでリーザが理解したと同時に、サイラスが再び口を開いた。

「目覚めはどうだ? どんな気分だ?」

 サイラスがいう「目覚め」とは、「生まれ変わり」のことであった。
 サイラスはリーザの理性と本能が作り直されたことを知っていた。感じ取っていた。
 そしてどうやらサイラスはそのことについて話を聞きたいようであった。

「……」

 しかしこの問いにリーザは困った。
 自分でもまだよくわからないからだ。
 それに記憶が曖昧だ。はっきりと思い出せない。
 何故だろうとリーザが考え込むと、それは以前の自分の記憶がまだ馴染んでいないからだろう、と思った。
 なぜだかそれが正解のように感じられ、そしてその言葉が本能から伝えられたものであることを理解するのにさほど時間は要さなかった。
 そしてリーザはそれを言葉で説明しようとしたが、

「そうか、それならばまた後で話を聞かせてもらうことにしよう」

 今のサイラスに口での説明は不要であったらしく、そう言い残して部屋から出ていった。

   ◆◆◆

「……くっ、はっはっは」

 リーザの部屋を出てからしばらくして、サイラスは突然噴出した。
 リーザを上手く騙すことが出来たからだ。
 実は、サイラスに腹を割って話し合うつもりなど微塵も無かった。
 しかしリーザは騙された。そう思った。感じた。
 どうしてそんなことが出来たのか。
 サイラスは笑いを抑えながら、その答えをつぶやいた。

「……『思い込む』、ということがこれほど便利とはな」

 サイラスは腹を割って話していると自身を思い込ませていた。一時的な軽い自己洗脳である。
 実際は腹など割られていない。隠し事だらけだ。
 腹を割って話す、その感覚だけをリーザに放ったのだ。
 嘘の感覚を発しないことも重要だ。詐欺師の技の一種である。
 サイラスはたった一週間で感知能力者に対して隠し事をするのに必要な基本技術を身に着けていた。
 何故か。
 良い師がいたからだ。

   ◆◆◆

 その後、サイラスは人気の少ない広場に足を伸ばした。
 そこには二人の男がサイラスを待っていた。
 二人を待たせた形であるが、サイラスは悪びれた様子無く声をかけた。

「じゃあ今日も頼むぞ、フレディ、ケビン」

 師とはフレディのことであった。
 サイラスはフレディが感知能力の素質を有していることをすぐに見抜き、共感を使って同じ道に引き込んだ。
 そして予想通り、フレディの感知能力は中々強力であった。
 フレディも同じく、自覚無しにその能力を使っていたのだろう。だから隠密行動に長けていたのだ。
 さらに、フレディは騙し技、詐術に長けていた。
 それらは感知能力者に対しても有効であった。ケビンを練習相手にして試したからだ。
 共感を使えば習得にはそれほど時間はかからなかった。感覚的な技術の習得に共感は便利な代物であった。
 サイラスはこれとは別に、兵士達との訓練も行っている。
 しかしその中にラルフは含まれていない。
 サイラスは警戒していた。ラルフに余計なことが吹き込まれないかどうかを。妙な知恵をつけてしまわないかどうかを。ラルフには便利な駒のままでいてほしいからだ。
 ゆえに、サイラスはリーザに興味を持っていた。
 あの時、彼女の身に何が起こったのかは分からなかったが、考えが全く読めなくなったとケビンから聞いたからだ。
 その技術に、神秘にサイラスは惹かれていた。
 今の詐術は完璧とは言い難い。優秀な能力者相手だと見破られる可能性がある。
 そして完璧な詐術を身に付ければ、よりラルフを扱いやすくなる。

(リーザには協力してもらわねばならないな……)

 どんな手を使ってでも、という言葉がサイラスの奥底に漂っていた。

 サイラスは気付いていない。
 既に自分の足が泥沼にはまっていることを。
 サイラスが進もうとしているのは束縛と支配の道。
 詐術や脅迫を使わねば歩めぬ不安定で危うい道。
 サイラスは後に思い知らされることになる。
 隠し事が無い者の強さを。「威風堂々」という言葉の重みを身を持って知ることになるのだ。
 
   ◆◆◆

 一ヵ月後――

 狼の一族の当主は城を訪ねていた。
 ここに珍しく長期滞在している魔王に用があるからだ。
 謁見の間に入った狼の男は、窓際でたたずんでいた魔王の傍にひざまずき、口を開いた。

「……仰せつかっていた、『腐った連中を戦力として懐柔せよ』という件、果たすことが出来ませんでした。お許しを」

 許しを請う文面であったが、狼に悪びれた様子は一切無かった。
 そして、当の魔王もそれを特に気にした様子無く口を開いた。

「出来なかったか、ザウル」

 ザウルと呼ばれた狼の男は即答した。

「はい。殺しました」

 どうやって、と聞くより早く、魔王は狼の記憶を読んだ。

「……十人相手に一人で挑んで勝ったのか。ならば良い」

 なぜ良いのか。その意を魔王は続けて語った。

「我は戦力が欲しかっただけだ。お前がその十人以上の働きをしてくれるのであれば何も文句は無い」

 その言葉に、ザウルは深く頭を下げようとしたが、

「面(おもて)を上げよ。この話はこれで終わりだ」

 魔王はそれを制した。
 そして魔王は続けて口を開いた。

「……ところで、今日はお前に会わせたい者が二人おってな。偶然にも今日ここにきておる」

 その言葉に嘘があることをザウルは感じ取った。
 偶然では無い。魔王様は自分がここに来ることを察知し、その二人を呼んでおいたのだ。
 相変わらず化け物じみた感知能力だ。
 そして魔王様が嘘を隠していないのは、嘘がばれること自体を楽しんでいるからだ。
 まったく、御意地の悪い人だ、ザウルがそんなことを考えていると、魔王は視線を部屋の入り口の方に移した。
 釣られるようにザウルの視線もそちらへ流れる。
 どうやらそのうちの一人が来たようだ。
 理性をほとんど殺して気配を隠しているようだが、足を動かす感覚が伝わってくる。
 こんな事が出来るということは、この者は自分と同じく天に至っているのだろう。
 そして魔王様が自分に会わせたくなったということは、自分と同じ道を歩んでいる者だろうか。
 一体どんな猛者なのか、ザウルが視線にそんな期待を込めると、間も無くその者が姿を現した。

「女……?」

 その姿を見たザウルは思わず呟いた。
 意外だった。ザウルは筋骨隆々な男を想像していた。
 現れた女は対照的に線が細い。
 しかし自分と同じ道を歩んでいるのではないかという予想は正解だったようだ。
 服の上からでもかなり鍛えられているのが分かる。線は細いがかなり筋肉質だ。
 しかし色気は失われていない。筋肉の鎧を身に纏っていても、女性特有の美しい線は健在だ。
 その鍛えられ方と美貌からザウルは、見事だなと、女を称えた。
 そしてその女は魔王に向かって頭を垂れながら口を開いた。

「ご機嫌麗しゅう、魔王様」

 形式的な挨拶の後、女は独特の色気を放ちながら歩き始めた。
 その色気の原因は歩き方にあった。
 常に爪先から足を下ろしている。音を殺すためだろう。
 こんな歩行方法を習得しているということは、この女は隠密を生業とする者だろうか、ザウルがそんなことを考えた直後、隣にいる魔王が口を開いた。

「歩くな。早く来い」

 その言葉が言い終えられた直後、

「!」

 ザウルの目が驚きに見開かれた。
 女は一呼吸のうちに目の前まで接近してきたのだ。
 しかしその速さに驚いたのでは無い。問題はほとんど音がしなかったことだ。
 軽く地を蹴ったようにしか聞こえなかった。
 走り方もやはり独特。
 体のしなりを極限まで活かした、全身を鞭として扱ったかのような動き。
 ある動物を連想させるその動きから、ザウルは女の正体を察した。

「まさか、貴女は豹の……」

 言い終える前に、女の方から自ら名乗った。

「お初にお目にかかります。私の名はキーラ。豹の一族の当主を務めております。あなたは狼の一族の当主、ザウル様ですね? 以後お見知りおきを」

 そう言いながら、キーラは右手を胸に添えて頭を下げた。
 走り方もそうだが、全ての動作に独特の品性がある。
 それをザウルは素直に口に出した。

「話には聞いていましたが驚いた。本当に音を立てずに走るのですね。しかも美しい」

 口説き文句のようにも聞こえる台詞であったが、キーラは表情を変えず口を開いた。

「お上手ですね。お世辞として受け取っておきます」

 ザウルは正直に思いを言葉にし、心も隠さずに開いていた。キーラもそれを感じ取っていたのだが、彼女は謙遜する性格であった。
 そして互いの紹介は終わったと判断した魔王が口を開いた。

「狼の一族の新当主が決まったことだし、一度顔合わせしておいたほうがいいと思ってな。戦闘を主とする一族の当主をここに呼び集めたのだ」

 その言葉のある部分に引っかかったザウルは尋ねた。

「戦闘を主とする、ということは、熊の当主もここに?」

 これに魔王は頷きを返しながら口を開いた。

「その通りだ。城の中を見て回ると言って出て行ったが、そろそろ戻ってくるはずだ」

 この言葉にザウルは嘘が含まれているのを感じ取った。
 熊の当主は自分の意思でこの部屋を出たのでは無い。一度追い出されたのだ。私達二人よりも後からこの場に登場させるために。
 なんでわざわざそんなことを、とザウルは思ったがそれは一瞬のことで、狼の当主の興味は魔王の嘘よりも熊の当主のほうに向いていた。
 熊の一族は謎が多い。
 ほとんど表舞台に出てこないのもあるが、彼らは自分達のことをあまり語らない。
 狼の一族とは対照的に、個人戦闘を主としていることくらいしか世間には知られていない。
 ゆえに彼らの強さ、技などに関しては謎だらけだ。
 だからザウルは興味を持った。
 そしてそれを感じ取った魔王は口を開いた。

「……どうやら戻ってきたようだ」

 その言葉に、ザウルとキーラは少し驚いた様子で同時に入り口のほうに振り返った。
 気配を感じ取れなかったからだ。
 言われて見れば、そこに何かいるような気がする。
 その程度しか気配を感じない。

「「……」」

 二人が息を殺すようにして入り口を見つめると、ようやくといった感じでその者は登場した。
 その風貌は一言で表すならば大男。
 キーラとは対照的に筋骨隆々。
 背はザウルより少し高い程度。
 口の周りには髭が蓄えられている。
 しかしそのいずれも二人は見ていなかった。
 二人は大男の眼に心を奪われていた。
 焦点が定まっていないような、人間味の薄い眼差し。
 瞬間、二人は感じた。

((この男……!))

 こいつは自分よりも倍は強いと。
 直感的に感じた。
 この男は完成されている、と。
 何が完成されているのかは言葉に出来ない。が、自分達よりも高みに昇っていると感じる。
 どうしてそう感じる、そう思うのか、二人はそれを探ろうと大男の瞳を見つめた。
 生気を失っているような、理性と本能が機能していない瞳。
 この大男は魂だけで活動している。理性と本能の活動を感じ取れない。
 だが、その足取りは理性が動かしているかのように軽快。
 そのしっかりとした歩みに、魔王がまたしても口を出した。

「お前も歩くな。早く来い」

 魔王がそう急かした直後、

「「!」」

 二人の顔に驚きが浮かんだ。
 大男はあっという間に距離を詰めた。
 陽炎を纏ったかのように見える、像がぶれて見えるほどの加速で。
 人外の踏み込みである。が、それ自体は二人にも出来る。
 問題はそれを魂だけで成したこと。
 魂だけでこのように上手く動けるものなのか、と、二人は驚いたのだ。

 狼と豹の一族がその種の動きを真似た技を身に付けたように、熊の一族もまた同じようにその種を真似た。
 しかし彼らが真似たのは動作では無かった。
 熊の一族は、熊が有するある特徴にまず目を付けた。
 それは冬眠。
 一族のある者は気付いた。熊が冬眠時に理性と本能を殺していることを。
 さらにそれは冬眠時に限らなかった。冬眠からの起床直後や極度に飢えている状態でも、熊は理性と本能を殺し、または抑制して活動していることに気付いた。
 そしてその状態にある熊は攻撃性が非常に高く、吹雪や夜などの視界が悪くなる状況を好んで選び、狩りを行っていることも知った。
 この白き大陸の熊は普段肉を好んで食べない。草食であり活動性が低く、ほとんどの時間を寝ている。起きている時間は冬眠に備えて木の実や皮などを巣に蓄えているだけだ。が、極度の飢えに晒されるとそれが反転する。
 その際に理性と本能を抑制するのは、気配を殺して獲物に接近するためであると考えれらている。
 しかし問題なのは、その状態にある熊の動きが非常に良いことだ。
 だが、単調でもあることに一族の者は気付いた。
 狩りに必要な特定の動作だけが洗練されていたのだ。それ以外の動きは非常に緩慢であった。
 そしてその秘密は睡眠時にあった。
 熊はただ寝ているだけでは無かった。
 無意識の状態で、脳を休ませている間に熊は魂を使って体を動かす練習を行っていたことに、感知能力の高かった一族のある者が気付いた。
 熊の一族はそれを真似し、伝承してきたのだ。

 そして大男は身を強張らせる二人に向かって口を開いた。

「熊の一族の当主、オレグだ。御二人は狼と豹の当主であるな? 同じ戦いを生業とする者同士、よろしく頼む」

 人間味の薄い眼差しとは対照的に、その口調はしっかりとしており、そして重かった。

「「……」」

 対し、二人に出来たことは小さな会釈を返すことだけであった。
 オレグがほぼ魂だけで活動していることを二人は既に理解している。
 二人はそこから生まれる脅威について考えていた。
 まず、気配を感じ取りにくくなり、攻撃を事前に察知することが困難である。
 ここまでは誰にでも分かる。
 そしてそれだけならばこの男に対してこれほどの緊張を抱かないはずだ。
 攻撃が読めなくとも、速度を活かした一撃離脱を行えば勝ち目は十分にある。
 だから自分が気付いていない何かが、緊張の原因があるはずだ。
 二人は意識をその見えない脅威に向けた。
 もし、自分が魂だけで体を動かせたらどうする? と、想像しながら。
 そして二人はすぐに気付いた。
 そして二人の心は同時に震えた。
 そんなことが出来るのか、出来てしまうのだろうか、と。
 攻撃に感情を乗せ、相手の理性や本能に叩き付けることが出来るように、魂を乗せた攻撃が可能なのではないかと。魂を震わせる攻撃が可能なのではないかと。
 まさか、という言葉が二人の心に浮かび上がる。
 しかし二人はその「まさか」という感覚をすぐに振り払った。
 この男ならばきっと出来る、と。
 この男が自分よりも強いと感じる理由はきっとそこにあると。

「……っ」

 狼の男、ザウルは思わず歯を少し食いしばった。
 悔しかったのだ。
 なぜ、自分は今までそこに気付けなかったのかと。
 自分が天に至ったのは幼少時だ。
 なのに、今までそれに気付けなかった。
 魂だけで体を動かすという挑戦を放棄していた。
 魂の存在を知り、それが有する独特の感覚器官を利用するだけで満足していた。
 悔しさと焦りを抱く狼。
 それは豹も同じであった。
 そしてそれを感じ取った魔王は、

(……ふふ)

 内心ほくそ笑み、口を開いた。

「顔合わせは終わったな? では、食事まで解散とする。長旅で疲れているだろう、部屋でゆっくり休んでいろ」

 これに狼と豹は、

「「……では、お言葉に甘えて失礼します」」

 と、同時に頭を下げて謁見の間から出て行った。
 そして後には魔王とオレグだけが残った。
 しばらくして、オレグが口を開いた。

「……このために私を呼び、そして一度この部屋から追い出したのですな。まったく、相変わらず御意地が悪い」

 これに魔王は笑みを浮かべながら答えた。

「嫌な役をやらせてしまってすまんな。しかしこれであの二人はさらに努力を重ねるだろう」
「……」

 魔王の言葉に、熊は少し考えた後、

「……彼らを焦らせたかったのであれば、」

 思いついたことを口に出した。

「『あの御方』に会わせたほうが良かったのでは?」

 これに魔王は首を振った。

「あれはだめだ」

 熊がなぜかと問うと、魔王は答えた。

「あれは目標にするには遠すぎる。力の差がどれくらいあるかすらわからんよ」

 その言葉に熊は初めて『その御方』と出合った時の事を思い出した。
 オレグは武者修行と称して大陸を放浪していたことがあった。
 その時にオレグは『それ』と出会った。
 オレグは挑み、そして敗れた。一撃も入れることかなわずに。
 確かに、あの時の自分はなぜ負けたのかすら分からなかった。ただ圧倒的だった。
 しかし今戦えばどうだろうか。差は縮まっただろうか。それとも開いただろうか。
 熊がそんなことを考えていると、魔王が「それに、」と言葉を続けた。

「あいつは我らとは違うのだ」

 これに熊が「違うとは何がでしょうか」と尋ねると、魔王は少し考えてから答えた。

「……人が能力を磨き、それを子に伝えることを進化と呼ぶならば、あいつはその最前を行く者よ」

 魔王は「そして、」と言葉を続けた。

「その道は一つでは無い。私のように騙しあいや探りあいに長ける者もいれば、そうではない者、違う長所を磨いている者もいる」

 では、その者の長所とはなんなのか。好奇心から熊が口を開くよりも早く、魔王は答えた。

「……奴の力に興味があるか。まあ、お前なら当然よな。しかし我が教えずとも、お前はもう知っているはずだ」

 これに熊が内心で首を傾げると、魔王は答えを述べた。

「奴は私とお前の『天敵』よ。御伽噺に出てくるだろう?」

 その答えに熊は驚いて口を開いた。

「『天敵』……ですと? あの御伽噺に出てくる出鱈目(でたらめ)のような存在が、現実にいるとおっしゃられているのですか?! あの御方がそうであると?!」

 これに魔王は「そうだ」と答えた。
 そして魔王は再び笑みを浮かべながら口を開いた。

「誰が作ったのか、いつどこで生まれたのか、何も分からぬ御伽話だが、あれは良く出来た話よ。感の良い何者かが未来を予想して作ったとしか思えんわ」
「……」

 熊は言葉を失ったが、魔王は気にせず言葉を続けた。

「さて、お前には明日から手伝ってもらうぞ」

 その手伝いが何であるか察した熊は口を開いた。

「ザウルとキーラを鍛えるのですな?」

 魔王は頷きを返しながら「そうだ」と答え、言葉を続けた。

「『共感』を使えばある程度まで伸ばせるだろう。魂の感覚は人によって異なるゆえ、あくまでもある程度までだがな。そこからは本人の努力次第。ゆえに彼らには焦ってもらう必要があった」
「……」

 魔王の言葉に熊は再び押し黙った。
 聞きたいことはあった。しかし、それを安易に尋ねてもよいものか悩んだのだ。
 しかし結局、好奇心に負けた熊は口を開いた。

「なぜそうまでして彼らの成長を急かすのです?」

 近々大きな戦いを仕掛けるおつもりなのですか? という言葉を熊は飲み込んだ。
 が、魔王はその心を読み、答えた。

「……お前が考えている通り、になるかもしれん。まだはっきりとは決めかねている」

 何が魔王の決断を妨げているのか。その疑問の答えも魔王は続けて言葉にした。

「仕掛けるならば勝たねばならん。そしてただ勝つだけでは駄目だ。短期決着、しかも圧勝でなければならぬ。長期戦で国を疲弊させたくはないからな」

 魔王は窓の外に視線を戻し、言葉を続けた。

「……少し前までは頃合かと思っていたのだがな。最近風向きが変わってしまったのだ」

 そう、あの焼け付くような、アランとクラウスが発動した「武神の号令」を感じ取ったあの日、魔王の自信は揺るいでしまった。
 そして魔王は目を細めながら、言葉を続けた。

「……『あいつ』が戦いに出てくれるならば、こんなに悩まずにすむのだがな」

 その言葉に、熊は尋ねた。

「どうしてあの御方は戦わないのです?」

 これに魔王は少し考える素振りを見せてから答えた。

「……戦うにはもう年を取りすぎた、と奴は答えたが、それは理由としては半分『だろう』な」

 その言葉に引っかかった熊は、即座に尋ねた。

「『だろう』、とは? 魔王様の力を持ってしても、読めないのですか?」

 これに魔王は、

「そうだ」

 と即答し、言葉を続けた。

「お前も読めなかっただろう?」

 その通りであった熊は頷きを返した。
 そして熊は考えた。
 あの時は自分が未熟だったからだと思った。
 しかし魔王様でも読めないという。
 魔王様はあの御方は違う道を歩んでいると言った。
 それは一体どんな道なのか。
 熊はそれを魔王に聞きたいと思った。分からずとも、考えを聞きたいと思った。
 そして魔王は熊のその興味を察していたが、その口から出たのは先の話の続きであった。

「……もう半分の理由は恐らく、最強に至ったと、一つの道の頂点に達したと感じているからだろう。戦いへの意欲を失ってしまったのだ。元々、奴が戦っていた理由はただの力試しだったからな」
「……」

 自分もいつかその高みに昇りたい、熊はそう思ったが言葉にはしなかった。
 そして同時に、熊は『あの御方』が戦わない理由はそれだけではないような気がしていた。

 オレグの考えは正解であった。
 その者が戦わない理由は他にもあった。
 それは魔王も抱いている感情、考えである。
 が、魔王はその奇妙な共通点にまだ気付いていなかった。

「……」

 熊のその心を読んでいた魔王は、そうかもしれないな、という言葉をあえて飲み込んだ。
 分からないものを話し続けても仕方が無いと思ったからだ。
 そして魔王は熊が『あいつ』に対して敬意を抱いていることを喜んだ。
 その眩しい感情を糧にもっと成長してほしい、成長してもらわねば、と魔王は思った。
 なぜなら、魔王はオレグを次の皇帝候補として見ているからだ。
 だから、魔王は三人をここに呼んだもう一つの理由を言葉にした。

「ところでオレグよ。ザウルとキーラのことを気にかけるのはいいが、それだけでは困るぞ。ここにお前を呼んだのはお前を鍛えるためでもあるのだからな」

 これに熊は嬉しそうな表情を作り、口を開いた。

「魔王様自ら御指南いただけるので? それは楽しみですな」

 気持ちの良いその答えに、魔王も笑みを浮かべた。
 が、魔王はすぐにその笑みを消し、口を開いた。

「……しかし歯がゆきは、お前のような者が少なくなったことよ」

 熊は魔王が何を言わんとしているのか掴みかねたが、魔王はその意を続けて言葉にした。

「最近ではお前達のような『天に至る者』がめっきり減ってしまった」

 これに熊は尋ねた。

「やはり『共感』ではどうにもならないので?」

 この言葉に、魔王は少し悲しくなった。
 オレグの魂というものへの理解がまだ弱いことに気付いたからだ。
 が、魔王は瞳に失望の色が宿らせることなく、答えた。

「……魂というものを何か誤解しているようだな。魂というものは必ずしも神聖なものでも、綺麗なものでも無い。それは人によるのだ」

 オレグの魂は高潔で少し世間ズレしているようだから、それが分からないのだろうと、魔王はオレグへの失望を消した。
 それは正解であった。これに関してはザウルのほうが理解が深い。
 そして、ここではっきりと教えておいたほうがいいだろうと思った魔王は言葉を続けた。

「おかしいと思ったことは無いか? 結局、三位一体というものが発動するかどうかは、魂が理性と本能からの要望に答えるかどうかであることに」

 確かにその通りだと、熊は頷いた。『共感』を使っても、天に至る感覚を完璧に伝えたとしても、魂がそれに応じなければ何も起きない。

「魂が理性と本能のかわりに表に立っても、普通の生活においては有利になることはあまり無い。余計な手間と情報が増えるばかりよ。その情報も、普段は本能が秘密裏に、そして必要に応じて理性に伝えているしな。俗に言う『感』が良いというのは、それも含めてのものよ」

 これにも熊は頷きを返した。
 ここまでは熊も同じ認識であった。
 問題は次だ。そう思った熊が言葉を待つと、間も無く魔王は口を開いた。

「では、ゆえに魂は普段表に出ないのか? それは間違いだ」

 その上手い話の進め方に、熊は興味を強くした。
 そして魔王はその興味をさらに煽ろうと、口を開いた。

「現在、天に至る者が少ない理由、それは多くの魂が腑抜けているからよ」

 腑抜けているとはどういうことなのか、魔王は言葉を続けた。

「分かりやすく言えば、感覚を与えても発動しないのは単純に魂が表に出ることを嫌がっているからよ。理性と本能を盾に奥に閉じこもっていたい、表に出る勇気を持たない臆病者なのだよ」

 魔王は「それが理由の一つ」と繋げ、間を置かず口を開いた。

「もう一つの理由は怠け者であること。時に理性が本能から与えられる欲求に振り回されるように、魂にも独自の欲求がある。それを満たすことしか考えていない魂はろくに仕事をしない。魂が情報を本能に伝達しないがため、そういう連中は『感』が鈍くなっている」

 言いながら魔王は皮肉の色が濃い笑みを浮かべた。魔王が言う府抜けた連中を馬鹿にしているように。
 しかし魔王はすぐにその笑みを消した。
 自国民のほとんどがその腑抜けた連中だからだ。
 そして魔王は怒気をわずかに滲ませながら言葉を続けた。

「考えてもみろ。魂はこの世に生を受けてからずっと理性と本能を盾にして奥に引きこもっているのだぞ。そんな環境でたくましい人格が育つと思うか?」

 魔王は「そして魂が腑抜けになりやすい理由はもう一つある」と言葉を続けた。

「それは安全になったからよ。今の人間は文明というものに守られている。魂は危険察知能力に長けるが、今の世ではそのような能力はほとんど必要が無くなってしまった。まともな文明が無かった時代、ヒトという種が自然の中で摂理に怯えながら生きていた太古の時代においては、三位一体というものは当たり前のものだったのかもしれぬ」

 話しながら魔王は口調から怒気を消していった。
 そして魔王はオレグに質問を投げた。

「……オレグ、お前はどうやって三位一体を発動した? どのような修行を積んだ? どんな環境に身を置いた?」
「……」

 オレグは即答しなかった。
 オレグは言葉を捜していた。
 単純に、厳しい、という表現ではあまりにも弱かったからだ。
 オレグは三位一体に至るために、一族に伝わる様々な試練を受けた。
「飢餓の試練」、「走破の試練」、「武技の試練」と続き、最後に待ち受けるのが「毒の試練」だ。
 この最終試験は一族の中でも賛否が分かれている。
 その理由は単純。生存率が低すぎるからだ。
 その内容は五感を麻痺させる毒を飲んだ状態で「飢餓の試練」、「走破の試練」、「武技の試練」を行うというもの。
 通常の感覚がほとんど機能しなくなるため、魂の力を借りなければ突破は不可能に近い。
 挑むものすら久しくなった現代で、オレグはこの試練に挑んだ。
 それはあまりに過酷であったが、学んだことも数え切れないほどにあった。
 今の自分があるのはこの試練のおかげだと言っても過言では無い。

「……」

 オレグはどうやってあの過酷さを伝えようかと悩んだが、心を読んだ魔王の方が先に口を開いた。

「……そうとう過酷なものだったようだな。だからお前は発動出来たのだ。今の時代で三位一体を成すには、厳しい環境に身を置くことが手段の一つだと断定してもいい」

 その口ぶりから、魔王は他の手も知っていることは明らかであった。
 オレグが尋ねるよりも早く、魔王はそれを言葉にし始めた。

「しかしもっと手っ取り早い手があるのは確かだ」

 それは何かと、オレグの興味が湧く。
 それを感じ取った魔王はいたずらを楽しむかのような笑みを浮かべ、口を開いた。

「知りたいか? 死ねばいいのだよ」

 この言葉にオレグは困惑の念を抱いた。
 そしてそれを感じ取った魔王は、顔に貼り付けていた笑みをさらに濃いものにした。

   ◆◆◆

 空が夕陽に赤く染まった頃、

「さて……ここね」

 あの女が現地に到着していた。
 女の視線の先にあるのはサイラス達がいる街。
 感知を使って様子をうかがいながら、女は呟いた。

「……これは面倒そうね」

 女は街のある一箇所だけ警備がやたら厳重なことに気がついた。
 感知能力を有する兵士達が街を巡回している。
 ここからでも警戒と探知の意識の線が幾重にも張られているのを感じる。
 人数はわからない。あまり深く探ろうとすると、こちらの意識を逆に察知される可能性がある。
 この大陸での仕事でこんな面倒なものは初めてだ。
 誰かが共感を使って鍛えたのだろう。
 そしてその誰かは「神楽」を発動した暗殺対象である可能性が高い。

「……」

 女が黙って意識を集中させていると、後ろから一人の兵士が走ってきた。
 兵士は女のそばでひざまずき、口を開いた。

「シャロン様。夜に味方が到着するそうです。待ちますか?」

 シャロンと呼ばれた女は答えた。

「どうしようかしら。人数が増えても動きづらくなるだけのような気がするのよねえ……。感知出来るやつが結構いるみたいだから」

 シャロンはしばし考えた後、口を開いた。

「……まずは私が一人で先行して敵の配置を見るわ。もし見つかっても、一人なら逃げやすいし。日が沈む前にはここに戻るつもりだけど、もし遅れたら仲間にはそう伝えておいて」

 これに兵士が頷きを返したのとほぼ同時に、シャロンは街へ駆け出した。
 その速度は人外の域。
 そしてシャロンは既に理性と本能を殺している。
 シャロンの操縦術はオレグと同じ域に達しているのだ。
 しかしシャロンの待遇は良くない。ほとんど下っ端と同じ扱いな上に、監視付きだ。
 これほどの強者が何故そんな境遇なのか。
 それは後に明らかになる。

   ◆◆◆

 問題の地点までの侵入はそれほど難しくなかった。
 まだ街に市民がうろついていたからだ。
 刺突剣を隠すために大きな外套を羽織っていたが、それがあまり目立たないほどには人通りがあった。
 しかし兵士がうろつく場所はそうもいかなかった。
 そこに市民の姿は一切無かった。家屋にも人気は無い。
 この区域から市民は追い出されているようであった。

(ここからは慎重にいかないと……)

 だからシャロンはまず「試す」ことにした。
 物陰に身を隠したまま、意識の線を伸ばす。
 そしてシャロンはその先端を、ある兵士から伸びている警戒の線に触れさせた。
 しかしそれは一瞬。シャロンはすぐに自分の線を引っ込めた。

「……ん?」

 警戒の線を伸ばしていた兵士が、何かに気付いたように呟く。

(今、何か……)

 自分の線が乱れたような、兵士はそう思ったが、その感覚があまりに微弱であったため、

(……なんでもないか)

 彼はそれ以上のことをしなかった。
 その反応から、シャロンはその兵士の感知能力の強さを推測した。

(あいつの感はそれほどでもなさそうね)

 こちらから意識の波をぶつけても一瞬ならば問題無いようだ。
 もっと微弱な波ならば長時間ぶつけても感知出来ないだろう。
 感知範囲も全方位にはほど遠い。特定の方向にだけ意識を集中させている。
 しかもその方向が視線とほぼ同じだ。
 まだ感知能力の扱いに慣れていないのだろう。
 やはり、この前の「神楽」で目覚めた者ばかりのようだ。
 線が向いていない方向から波をぶつけても全く反応しないかもしれない。

(まあ、試すまでも無いわね)

 そんなことを考えながらシャロンは物陰から物陰へ移動し、兵士の様子を探っていった。
 その足取りは隠密行動とは思えないほどに軽快であった。
 が、

(これは……)

 ある場所でその足が止まった。
 物陰から顔を出さずに、感知のみで先を探る。
 人数が多い。飛び出せば確実に見つかる。いくら脳波の発生を微弱に抑えているとはいえ、相手の視界に入れば当然認識される。

(……)

 そして考えたシャロンは大胆な手を取った。
 なんと道を塞ぐ兵士全員に線を接続したのだ。感覚を繋いだのだ。

「!」

 その接続時間は数瞬ほどであったが兵士達は当然気付いた。
 しかしその視線が向けられた方向はまったくの別方向。
 これは共感を利用した逆手、「侵食」と呼ばれる技。
 出鱈目な方向感覚を兵士達に与えたのだ。クラウスがリーザの攻撃方向を曲げるのに使った、俗に「外し」と呼ばれている技と原理は同じである。

「何者だ!」

 そして兵士達は声を上げながら走り出した。あさっての方向に向かって。
 シャロンはそれを見送ってからゆうゆうと道を横断した。
 しかしこの後、周辺の警戒が増すことは確実。
 本当に隠密を重視しているならばこの手は愚手。どうしようも無い時に取る手だ。
 なのにこんな方法を選んだのは、シャロンが隠密とは逆のことを考えているからだ。隠密行動は最初だけでいいと考えているからだ。
 ゆえにシャロンは、

(たくさんお仲間を呼んできてちょうだいね)

 などと考えながら兵士達の背中を見送り、その場から移動した。

   ◆◆◆

「……!」

 シャロンが兵士達を「侵食」した直後、リーザの目が驚きに見開いていた。
 その様子に、隣にいたサイラスが口を開いた。
 サイラスも気付いていた。

「来たか。思ったより早かったな」

   ◆◆◆

 そしてシャロンの足はある場所で再び止まった。
 シャロンの眼前には少し開けた場所があった。
 目に付くのは夜に場を照らすためのかがり火台だけだ。
 兵士の姿は見えない。
 感知を使って探っても近くには誰もいない。
 遠方から警戒の線が張られているわけでもない。

「……」

 しかしシャロンはその空間の意味を理解していた。
 そしてシャロンは、

(素晴らしいわ)

 などと笑みを浮かべながら、その空間に踏み込んだ。
 すると次の瞬間、少し離れたところから鐘の音が一度だけ鳴った。
 そうだ。この無防備な空間は罠だ。
 しかし感知の気配は無かった。
 相手はどうやってシャロンの存在を認識したのか。
 それは至極単純。視線である。
 だが、視線には意識が含まれるのが普通。見ているものを全く意識しない、というのはかなり難しい技術だ。ゆえに人は見られるとその気配を感じることが出来る。シャロンでも視線に含まれる意識を完全には殺せない。
 その秘密の答えは鏡であった。
 鏡を使って視界だけを確保していたのだ。意識は鏡の方に向けられており、脳波は光のように鏡で反射したりはしない。
 このように道具を通して視ることで、感知能力者に気取られることなく一方的に相手を察知することができる。能力者を騙す手段というものは意外に多いものなのだ。
 そして逆も然り。道具を使っている相手を感知する対抗技術も存在する。が、それは高度なものであり、使い手は限定される。
 シャロンはその一人であり、道具を使って視られていることに気付いていた。
 そして、だから嬉しかった。目覚めてからたった一ヶ月でこのような手を思いついてくれたことに、シャロンは感謝と敬意のような念を抱いていた。
 ゆえにシャロンはその場で待った。この感情をある者に伝えるために。
 そしてしばらくしてその者は現れた。
 大勢の兵士達を連れて。
 兵士達はシャロンを包みこむように左右に広く展開した。
 その動きが止まった頃、その者は口を開いた。

「お前がヨハンが言い残した『あの女』だな?」

 シャロンの待ち人は、声の主はサイラス。
 隣にはリーザの姿。
 ラルフの姿は無い。
 サイラスはリーザに「影の脅威」について話していた。
 しかしラルフには話していない。
 サイラスは考えた末、ラルフには話さないことにした。ラルフは表の世界だけ知っていればいいと判断した。
 ラルフの感知力はそれほど強くない。ゆえにシャロンのような隠密能力に長ける存在は察知出来ない。話さなければ知る機会は滅多に訪れないだろうと、サイラスは考えたのだ。
 そして戦力的な問題はリーザが解決してくれた。サイラスは今のリーザをラルフに匹敵する戦力として見ていた。
 そも、ラルフは既にこの街にいない。
 教会打倒という当初の目的のために、リリィと共に別の場所に移動している。
 妙なことが起きないように護衛という名の監視をつけてはいるが、サイラスがラルフを手元から離したのには理由があった。
 直後、サイラスはその理由をシャロンに見せた。
 それはシャロンを驚かせるのに十分であった。

(ここまでとは……! これは想像していなかったわね)

 サイラスとリーザに上から見下ろされたのだ。
 サイラスは既に天に至る術を身に着けていた。
 リーザと共感するだけでサイラスはそれをあっさりと成した。
 サイラスの魂は理性と本能の要望に素直に答えた。サイラスの魂は腑抜けてはいなかったのだ。
 そして腑抜けていない者はサイラスだけではなかった。
 サイラスとリーザに続き、何名かの兵士達の魂が天に昇った。
 その中にはケビンの魂もある。
 なぜ彼らはこうも簡単に天に至れたのか。
 彼らには共通点があった。
 彼らはいずれも修羅場を何度もくぐりぬけた歴戦の戦士であった。
 この大陸では天に至る素質を持つ者は多い。戦いが長期化しているからだ。激戦を何度も経験したこの大陸の戦士に腑抜ける余裕など無いのだ。
 しかしここまではシャロンの予想通り。
 この街に到着するまでに、シャロンは魂が天に至る気配を何度も感じ取っていたからだ。
 シャロンが驚いたのは別のところ。
 天に昇った者達の魂が、まだ地上に残っている者達に線を降ろしたことだ。
 その線からは魂が収集した情報が送り込まれ、相互に共有されている。
「武神の号令」の魂への応用版だ。
 サイラスはこれをまだラルフに見せたくなかった。感じ取られたくなかった。だから距離を置いたのだ。

(本当に素晴らしいわ……)

 シャロンはこの短期間にこのような技を編み出したサイラス達に拍手を送ったが、

(でもね……それは今の状況で使っていい技では無いのよ)

 同時にサイラス達がやはりまだ未熟であることを知った。
 だからそれを教えてあげようと思ったシャロンは、

「じゃあ、始めましょうか」

 と、刺突剣を鞘から引き抜いた。
 それが開始の合図となった。
 兵士達の手から光弾が放たれる。
 しかしそれは一斉にではなかった。
 光弾の数はまばら。狙いも足元に絞られている。
 そして明らかに意図して攻撃の厚みに差が作られている。
 相手をどこかに誘導したい、または追い詰めたいのだろう。
 そのシャロンの予想通り、逃げやすい方向にはサイラスの手から生まれた電気の糸が張り巡らされていた。
 その糸も足首を狙って張られている。そして込められている魔力は明らかに弱い。
 その薄い弾幕を回避しながら、シャロンはサイラスが何を考えているのか読んだ。

(私を生け捕りにしたいのね)

 しかしそれはシャロンにとって気持ちのいいものでは無かった。

(……私からいろいろ聞きたいことがあるみたいだけれども、これはなめられているみたいで、あまりいい気はしないわね)

 だからシャロンは少し大人気無い行動を取った。

「!」

 その動きに、兵士達は驚きを浮かべた。
 刺突剣を構えながら突っ込んできたのだ。
 陽炎を身にまとったかのように、影がぶれてみえるほどの踏み込み速度。
 そして低姿勢。足元狙いの光弾が胸にあたりそうなほどの。
 シャロンのたくらみはまさにそれであった。
 光弾を胸元で受けたかったのだ。迎撃しやすいように。
 シャロンは地の上を滑空するように走りながら、向かってくる光弾に対して刺突剣を突き出した。

「破ッ!」

 一声と共に放たれた剣閃は数多(あまた)。
 針のような剣先が数え切れぬほどの直線を空中に描く。
 その線はどれも独特の光を帯びていた。
 紫がかった電光だ。
 紫電を帯びた剣閃が次々と光弾を穿つ。
 雷が爆ぜた(はぜた)時に生じる独特の破裂音を発しながら、光弾は掻き消えていった。

「……っ!」

 その鮮やかな剣捌きに、兵士達が警戒を強める。
 そして兵士達はサイラスに心で訴えた。
 これは手加減できる相手では無いのではないかと。
 しかし当のサイラスは、

「……?!」

 困惑した表情を浮かべていた。
 サイラスはシャロンが電撃魔法を使って見せた直後に表情を変えていた。
 まず驚いた。
 希有な電撃魔法の使い手に出会ったからでは無い。
 シャロンが電撃魔法を使ったことに既視感を覚えたからだ。
 まるで自分がシャロンのことを既に知っているかのように。
 だから表情が困惑に変化した。
 そして、サイラスは兵士達からの訴えがもっともであると感じていた。
 手加減出来る相手では無いことは、ヨハンの刺客があっさりと退けられたという話から予想出来ていた。
 なのに、サイラスは躊躇していた。
 何が自分の決断を遅らせているのかは分かっていた。
 シャロンを傷つけてはいけないと、傷つけたくないと思っている、感じているからだ。
 しかしその理由が分からない。
 自分はやはりこの女のことを知っているのか?

「……っ」

 記憶を漁れど答えの見つからぬそのもどかしさと焦りに、サイラスは歯軋りした。
 そしてその疑惑の対象であるシャロンは、サイラスが抱いている感情に気付いていた。
 その疑問の答えを自分が知っていることも。
 だからシャロンはその顔に笑みを張り付かせながら突進した。

「!」

 戦闘中に笑みを浮かべながら突撃してくる、その異常性に気圧された兵士達は思わず反撃した。
 手加減の無い、そして統率の取れた一斉射撃。
 それは単純な一点集中では無く、回避先を潰すような予測射撃も含まれていたが、シャロンにとっては脅威では無かった。
 正面から受けることも出来た。が、シャロンはあえて回避を選択した。
 見せたかったからだ。

「何ッ!?」

 そしてそれを見たサイラスは声を上げた。
 傍目にはシャロンは高速移動しただけだ。
 サイラスが驚いたのはその速度では無く、移動の原理。
 体内で魔力の爆発が無かったのだ。
 思い返せば、先の突進もそうだった。
 今になって気付けたのは、シャロンの足から派手に紫電が散ったからだ。
 実は紫電を散らす必要は無い。シャロンはサイラスに気付いて欲しいがためにそうしたのだ。
 しかしサイラスはその移動の原理までは分からなかった。
 サイラスに見えたのはある事実だけ。
 紫電が散るよりも一瞬早く、シャロンの足裏から光弾が発射されたことだ。
 つまりこの女はリックと、偉大なる一族と同じことが出来るということ。
 しかし加速の原因は光弾の発射自体によるものでは無い。それは間違いない。
 何かしらの理由で光弾は発射しなければならなかったのだ。そしてそれは紫電と関係があるはず。

「……ッ」

 光弾を謎の移動で回避し続けるシャロンの姿を見ながら、サイラスは再び歯軋りした。
 サイラスは痛感していた。自身の「電撃魔法」というものへの理解の浅さを。
 サイラスは電撃魔法を「なんとなく」使えているだけだ。
 なぜ電気が流れるのかは全く分かっていない。
 そして、サイラスはそれを恥ずかしいことだと感じていた。
 自身の不理解をシャロンに読み取られたからだ。
 しかし奇妙なのは自身の考えが読まれること自体には抵抗が無いこと。
 そもそも、なぜ隠さないのか。防御しないのか。
 現在、サイラスは理性と本能を殺していない。魂は情報収集と共有だけ行っている。
 何のためにこの一ヶ月訓練してきたのか。このような能力者との戦いに備えるためでは無かったのか。
 この現状に兵士達は明らかに困惑している。
 相手に心を読ませているのは、感知に対してサイラスがほとんど無防備なのは、敵と話し合いの場を設けるためなのだろうと、兵士達は勝手に思い込んでいた。
 しかしそれが間違いであることは今のサイラスの状態を見れば馬鹿でも分かる。
 だから兵士達は叫んだ。

「「「ご決断を!」」」

 と。
 この心の叫びに、サイラスは、

「……ッ」

 またも歯軋りした。
 サイラスは正体不明の迷いと戦っていた。
 その天秤の揺れは拮抗していたが、少しずつ、ある方向に傾いていった。

「……こ、」

 その傾きが、サイラスの口をこじ開けた。
 たった一文字であったが、声にしたことで天秤の傾きは決定的なものになった。
 そしてサイラスは叫んだ。

「全力で攻撃しろ! この女相手に手加減は無用だッ!」

 待ち望んでいたその言葉に、兵士達は、

「「「応ッ!」」」

 力強い気勢を返した。
 空気が震えるほどの声量。
 シャロンはその揺れを肌で感じながら、

「……素晴らしいわ」

 と呟き、その顔に新たな笑みを作り直した。
 全力で、殺す気で向かってくるこの展開こそ、シャロンが望んでいたものであった。
 シャロンは知りたかった。サイラスの今の全力を。
 その結果、自分が死ぬことになったとしてもそれは本望であった。
 目覚めて間もないサイラスに倒されるのであれば、自分はその程度であったということ。

(―見たい。あなたの力を)

 シャロンの中で狂気のような感情が膨らんでいた。

(――見せてほしい。あなたの可能性を)

 欲望のようなその何かは重く、濁流となってシャロンの胸をさかのぼっていった。

(―――魅せてみよ。私を感動させてみせよ)

 そしてそれが喉に達した瞬間、シャロンは叫んだ。

「見せよ! 魅せてみよ! あなたの力で、私を震わせてみせろッ!」

 これが新たな開始の合図となった。
 そしてこの合図に最も早く反応したのはリーザ。
 シャロンの叫びが終わると同時に爆発魔法の構えを取る。
 その動きは素早く、そして滑らか。

(右に避けるみたいね)

 シャロンの考えを読みながら、軌道修正も行う。
 リーザはこの動作を魂だけで行っていた。
 この一ヶ月、リーザはサイラスと共に魂を扱う訓練を続けていた。
 そして分かったことがある。
 魂の考えは魂にしか読めないということ。これが分かったことの一つ。
 シャロンは魂だけで体を動かしている。リーザはシャロンの魂を読んだのだ。
 しかしはっきりと読めるのは単純な動きと感情くらいだ。
 複雑な思考は読めない。
 というよりも、深い部分については仕組みや作りが人によって、魂ごとに違うように思える。サイラスと共感してリーザはそう思った。
 なぜ魂というものがそういう風に出来ているのかは分からない。
 しかし言い換えれば、天に至った者に立ち向かえるのは同じ天に至った者だけということ。でなければ、相手の動きは読めないがこちらの動きは読まれる、という一方的な戦いになってしまう。体力や魔力などの身体的な条件が五分であれば、これは致命的な差と言える。
 本能で立ち向かえばそれなりに戦えるかもしれない。本能は魂から情報を受け取っているからだ。
 しかしそれでも不利が付く。なぜなら「魂から情報を受け取る」という手間がかかるからだ。反応速度で劣る。本能の情報処理能力にも依存するだろう。

(……よし)

 リーザの手の中に爆発魔法が完成する。
 兵士達の援護射撃と合わせてこれを放つ。
 リーザがその合図を送ろうとした瞬間、

「!?」

 リーザの身が硬直した。
 原因は全身に走った悪寒。
 いや、悪寒なんて言葉では足りない。
 おぞましい何かが自分の体を包んだ。
 同時に声も聞こえた。
 その内容は、

「そんな危ないものをそんな状態で持つべきじゃない」

 だ。
 女の声のように思えた。
 あの女が何かをした?
 しかしどうやって意識は繋がってない。
 それにそんな状態とは、どういうことだ。
 分からない。
 ゆえに、リーザはその謎の忠告を無視して爆発魔法を放とうとした。
 が、相手の女の方が、シャロンの方が速かった。
 一瞬だが身を硬直させたせいだ。
 シャロンの輝く左手が前に突き出される。
 直後、

「「……網?!」」

 それを見たリーザとサイラスは同じ名詞を同時に声に出した。
 シャロンの手から放たれたそれはそうとしか見えなかった。
 数え切れないほどの電撃魔法の糸。
 天を覆うような勢いで伸びている。
 左右に逃げ場は無い。後退するにも間に合わない。回避不能。
 だからサイラスは、

「防御!」

 と叫んだ。
 その声に反応したリーザと兵士達が防御魔法の姿勢を取る。
 この時、リーザの身に再び悪寒が走った。
 この選択は、防御魔法は間違っている、そんな感覚。

「……っ」

 降ってくる糸を眺めながら、リーザは迷った。
 しかし答えは出ない。出るはずが無い。
 だから、結局リーザに選べた選択肢は、防御魔法を張ることであった。
 リーザの頭上に光の盾が形成される。
 その直後、

「っうぁ!?」

 悲鳴と共に、リーザはその場に膝をついた。

「!?」

 その様子に、サイラスは目を見開いた。
 どうしてリーザが崩れ落ちたのか分からなかったからだ。
 電撃魔法のせいじゃない。まだ当たってない。

(……いや、)

 サイラスはその考えが違うことに即座に気付いた。

(違う! 当たっている!)

 肉体の方にではない。上空にある魂に糸が当たっている! からみついている!
 これは、この網は魂への直接攻撃を狙ったものだ!
 気付いたサイラスは、

「魂を戻せ!」

 と叫んだが、既に手遅れであった。
 天に昇っていた魂は全て網にからまれていた。
 当然、自分の魂もだ。
 自分もリーザのように何かされるのか? そう思ったサイラスは歯を食いしばった。
 が、サイラスが恐れたようなことは起きなかった。
 代わりに声が聞こえた。

「……魂への攻撃は不可能だと思ってた?」

 女の声だ。
 魂に響くその声を、サイラスは懐かしいと感じた。
 声は続いた。

「そう思ってしまうのはしょうがないわね。光魔法も電撃も魂にはほとんど通じないから。もう試したと思うけど、すり抜けちゃうでしょう?」

 声と同時に、映像が流れ込んでくる。
 それは魂に光と電撃が通じない理由。
 そも、破壊とは何か?
 破壊とは物質を、あるものを変形、変化させることだ。原子、分子の繋がりが変化、曲げられ、引き裂かれることだ。それを成すものが力だ。
 我々は様々な破壊現象を見て、感じて知っている。
 では、物体を原子または分子単位に細かく砕く、または変化させる破壊とはどのようなものか。
 これも我々はよく知っている。
 それは熱によって成されるものだ。
 熱によって水が沸騰する様を見たことが無い人はほぼいないだろう。
 温度の増加によって物質が固体から液体へ、そして液体から気体へ変化する、これが熱による破壊。原子、分子単位で物質が変化する破壊だ。
 では魂はどうか。
 魂は固体なのか。
 否。
 ならば液体か。
 それも否。気体でもない。
 魂とはもっと上位のものだ。
 感の良い方は気付いただろう。
 光魔法でも電撃魔法でも、強大なエネルギーであれば魂を変化させることが、破壊することが出来る。
 しかしそれは途方も無いものだ。生身の力で成せるものでは無い。
 だから魂を攻撃するならば同じ状態にあるもの、同じ魂を使うのが手っ取り早い。

「……」

 突然流れ込んできたこの説明に、サイラスは言葉を失った。
 だから気付けなかった。

「……?」

 すぐ隣で気を失いかけているリーザが、ある物に注目していたことを。
 それはとても小さなもの。
 リーザはそれが魂だとすぐに気付いた。
 しかし何かがおかしい。
 弱弱しく、人格の存在を感じない。
 単純な思考能力しか持たない虫のようだ。
 とても小さく、注視していなければすぐに見失ってしまうだろう。
 普段ならば気にも留めない。
 しかしこの小さな魂は自分の体から出てきたように思えるのだ。。
 そしてこれは自分のものでは無い。それははっきりと分かる。
 自分の体にくっついていたのか? 入り込んでいた?

「……?!」

 入り込んでいたという言葉に、リーザは目を見開いた。
 ひらめきのようなものが、怖気と共にリーザの中で湧き上がった。

(入り込んでいたのではなく、取り憑いていたのでは?!)

 瞬間、リーザは察した。

(これはあの女の……!?)

 だからあいつは私の爆発魔法のことを知っていたのだ。この小さな魂は私に取り憑いて情報を盗んでいたのだ!
 魂を切り分けて斥候や偵察を行う、そんなことが本当に出来るのかどうかは知らない。しかしそうとしか思えない!
 悔しい。しかしこんなに小さくては気付けるわけが無い。自分の意識の波に紛れてしまう。サイラスでも注意深く自身の体を検査しなければ難しいだろう。
 自分がこれを見つけられたのは運が良か――

(いや、)

 違うと、リーザは自身の考えを否定した。
 そんな間抜けなことをする相手とは思えない。私の体からわざわざ出て、発見される危険を冒す必要性なんて無いのだから。
 これはわざとだ。あの女は私に気付かせたのだ。

(この女……!)

 苛立たしい。明らかに私達はなめられている。格下として見られている。
 しかし奇妙なのは、楽しむために手加減しているようには見えないこと。
 私達を鍛えようとしているように思える。
 だが、一体なぜそんなことを?
 この女は敵では無いのか?

「……っ」

 リーザの視界が黒く染まり、思考が薄れる。
 それと同時に体が地面に吸い込まれ始める。

「リーザ!」

 だが直後、その肩をサイラスが掴んだ。
 そしてサイラスはもう片方の手を自身の胸に当てた。
 手から波を自身の体内に送り込む。

「!」

 そしてサイラスは見つけた。
 リーザが教えてくれた通りだ。自分も取り憑かれている!
 取り除かなければ。

(しかしどうやって?!)

 疑問の答えはすぐに分かった。
 さきほど教えてもらったばかりだ。

(そうだ、魂を使えば!)

 情報共有と体を操縦するための魂の尾は、線はまだ繋がったままだ。
 これを使えば、サイラスがそう考えた直後、

「ぐっ!?」

 サイラスはリーザと同じようにその場に膝をついた。
 自分の魂を包んでいる糸の締め付けが増したのだ。

「う……ぁっ!」

 自分の魂が砕かれる、そんな恐怖と共に経験したことの無い痛みような感覚が線を通じて脳に伝わってくる。
 しかし糸の締め付けはそれ以上強くならなかった。
 自分をなぶって楽しんでいる?
 そうは思えない。感じない。
 多分、気に食わないのだ。既に繋がっている線を使うという答えが。

(ならば、どうする?)

 別の線を糸の隙間から伸ばすという答えも、きっとお気に召さないだろう。
 されば、答えは一つ。

(しかし……出来るか?)

 自信は無い。やったことが無いのだから、あるはずが無い。
 だが、

(ええい、ままよ!)

 やるしかない。
 意識を集中させる。
 すると間も無く、糸の隙間から線が伸び出た。
 しかしそれはすぐに切れた。
 粘りのある液体から雫が一滴垂れたかのように、細い糸を残しながらサイラスの体に向かって放たれる。
 それは飛ばしたというよりも落としたように見えるほどの緩やかな速度であったが、狙いは正確であった。
 その雫はサイラスの首筋に落ち、

(よし!)

 女がつけていた虫を叩き払った。
 すると直後、魂を拘束していた糸が緩んだ。
 サイラスのものだけでは無い。他の兵士達の拘束もだ。
 そして同時に声が響いた。

「とりあえずは、合格よ」と。

 言葉が終わると、拘束は完全に解除され、糸は主人の手元に巻き戻り始めた。
 サイラスは糸が引いていく様を見ながら、

「……何が、合格だ」

 先のリーザと同じ感情を抱いていた。
 激しい苛立ちがサイラスの心を熱くしていた。
 拘束された時点で勝負は決まっていたはずだ。真剣勝負ならば魂を砕かれてそれで終わっていた。
 手加減される理由は知らないし、色々教えてくれるのはありがたいが、無性に苛立つ。
 この煮えたぎるような感情はその時から、破壊というものについての話を聞かされ始めた時から抱いていた。
 しかし今まで表に出てこなかった。困惑や恐れの方が強かったからだ。
 だがそのような戦意を削ぐものは今や完全に消えた。
 なぜか。
 その答えをサイラスは叫んだ。

「糸を逃がすな! 捕まえろッ!」

 その声が場に響いた直後、兵士達は巻き戻る糸に向かって魂を伸ばし、逆に絡め取った。

「!」

 直後、シャロンの顔に驚きが浮かんだ。
 対照的に、サイラスの顔には僅かな笑みが。
 サイラスは口尻を釣り上がらせたまま、声を出した。

「言ったはずだ! こっちは全力でいかせてもらうと!」

 声を出しながら、サイラスは心で兵士達に次の行動を示していた。
 そしてサイラスは続けてそれを言葉にした。

「引き千切れッ!」

 その声が発せられたと同時に、シャロンの体が前に傾いた。
 倒れまいと、シャロンが足に力を込める。
 だが、シャロンの足裏は地の上を滑った。
 脚力だけでは足りない。
 だからシャロンは足裏に紫電を纏わせた。
 その次の瞬間、

「?!」

 突如、シャロンはその場に膝をついた。
 踏ん張る力と引きずり込む力が拮抗した直後、糸が千切れたのだ。
 その様子にサイラスは確かな手ごたえを感じたが、すぐには行動を起こさなかった。

(予想通りならば、この後……)

 サイラスは様子を見た。
 すると直後、事態はサイラスが予想した通りになった。
 シャロンが操縦権を理性に返したのだ。
 それを見たサイラスは即座に声を上げた。

「全員反撃しろ!」

 兵士達が防御魔法を解除し、一斉に光弾を放つ。
 今が千載一遇の好機、サイラスはそう考えていた。
 魂を練りこんだ電撃魔法の糸をあれだけ千切ったのだ、魂の総量はかなり削られているはず。
 今のシャロンはかなり弱っていると、サイラスは読んでいた。
 理性に操縦権を返したのがその証拠だ。
 兵士達の光弾がシャロンに迫る。
 これをシャロンは刺突剣で迎え撃った。
 紫電を纏わせた針で光弾を次々と突きつぶす。
 この時、サイラスは見逃さなかった。
 シャロンが後退したのだ。
 退きながらでなければ、距離と時間を稼ぎながらでなければ光弾を受け切れなかった、と考えていいはずだ。
 だからサイラスは再び声を上げた。

「攻撃を続けろ! 休む暇を与えるな! 魂だけで動ける者は前進! 奴を物陰から攻撃しろ!」

 その指示に二つの部隊が移動を開始。
 それぞれ左右に展開し、民家の影に消えた。
 この手も有効なはず。奴の魂は操縦性能だけでなく、感知力も弱まっているはずだ。
 サイラスはそう考えていた。
 そしてその考えは正解であった。
 にもかかわらず、

「……っ」

 サイラスの苛立ちは強まった。
 自身の考えに自信が無いからではない。
 シャロンが再び笑みを浮かべたからだ。
 まだ余裕があるというのか? 

(ならばその余裕ごと叩き潰してやる!)

 サイラスのその考えに兵士達も賛成であった。
 そしてサイラスは兵士達の戦意に応えるように声を上げた。

「前列前進! 後列は前列の移動に追従しつつ、左右に展開!」

 重装備の前列に敵の注意を引かせ、左右から狙撃、さらに民家の影に隠れた部隊に背後をつかせる。
 奴の魂が活動を再開した気配はまだ感じられない。今ならばこの包囲攻撃は最善手のはずだ。
 サイラスはそう考えていた。
 そしてその考えをシャロンは読んでいた。
 感知を使ったわけでは無い。使わずとも分かる。狙いが見え見えだ。
 それが笑みが浮かんだ理由の一つ。

(弱った相手を攻めるのは当然よね。……でも甘い)

 甘い、という部分に違和感を感じたのか、シャロンは自身の言葉を訂正した。

(いや、甘いと言うよりは詰めが弱いわね。考えが浅いわ)

 だからこれも教えてあげなくては、そう思ったから笑みが浮かんだのだ。
 そしてシャロンはその笑みを張り付かせたまま、刺突剣を構えなおした。
 足は変わらず後ろに下がり続けている。
 その様子からシャロンは回復を待っていると、サイラスは考えた。
 シャロンに魂を締め付けられたことで、魂の痛みというものを経験した上で、分かったことがあった。
 肉体は魂にとって枷(かせ)であり、安息を与えてくれる揺り籠(ゆりかご)でもあること。
 魂を肉体に戻した途端、痛みが鎮まった(しずまった)のだ。
 しかし肉体の中では外に対しての感知能力が弱まってしまう。
 だから魂は外に出して使ったほうがいいのだろうと思っていた。空に高く上げれば周りを広く見下ろせて好都合だ。シャロンに教えられるまではそう思っていた。
 シャロンの魂はこの肉の揺り籠の中で回復を待っているはず。
 だから急がなくてはならない。ゆえにサイラスはもう一度声を上げた。

「前列突撃!」

 後列の展開が間に合っていないがやむを得ない。
 重装歩兵が大盾を構えて走り始める。
 それを援護するように後列が射撃。
 重装歩兵の隙間を光弾が通り過ぎていく。
 重装歩兵が光の中を走っているように見えるほどの射撃数。
 しかし重装歩兵には当たらない。ただの一発の誤射も無い。
 心が繋がっているからこそ出来る芸当だ。
 シャロンに光の雨が降り注ぎ、それを追う様に鋼の肉壁が迫る。
 これに対しシャロンが選んだ選択肢はまたも防御。
 紫電を纏わせた針で光弾を突き潰しながら、光る雨をくぐり抜ける。
 雨が止む、そう思った時には既に鋼の壁は目の前。
 硬度、重量差は圧倒的。
 細い針で止まる代物では無い。
 にもかかわらず、シャロンは再び刺突剣を繰りだした。
 針の先から糸が伸びる。
 それは低い軌道であった。地を這う蛇のように見えた。
 地面と盾の隙間を狙った攻撃だ。
 しかしこれを重装歩兵は読んでいた。感知も出来た。
 だから歩兵は一歩、右に体をずらした。
 それで糸の射線を外した、そのはずであった。
 なのに、

「?! ぅあっ!」

 歩兵の足に紫電が走った。
 何故――倒れながら歩兵は考えた。
 この女が何かしたのか?
 方向感覚や距離感を狂わされた?
 そうは思えない。この女は波を発していない。
 答えが見えぬまま歩兵の体が地に落ちる。
 その時、兵士は見た。

(これは……?)

 それはリーザが見たものと同じものであった。
 虫の様な小さな魂が歩兵の感覚を狂わせていたのだ。
 いつ取り憑かれたのか。
 それはシャロンが光の雨を突き潰している最中であった。
 あの時、シャロンは突きと同時に虫を放っていたのだ。
 そして直後の精神攻撃があっさり決まったのは、重装歩兵の視界が自身が持つ大盾と光で遮られていたせいだ。
 目に頼らない、目に頼れない者の距離感と方向感覚を狂わせるのは容易いことなのだ。
 そして転ばされた歩兵の体はシャロンの足元で止まった。
 兵士はシャロンの爪先を視界の片隅に映しながら、石畳の地面から伝わる振動を感じ取っていた。
 味方が、同じ重装歩兵達が駆けてきている。
 その形はシャロンを中心とした六角形。
 その六角は急速に縮まり、点となった。
 六人の大盾が一点でぶつかり合う。
 しかし響いたのは金属音のみ。散ったのは鮮血では無く火花。
 シャロンはどこへ消えたのか。逃げたのか。
 考えるまでも無い。感じ取るまでも無い。一つしかない。
 それは、

「上だ!」

 消去法で残るたった一つのその答えを、地に伏せたままの者が叫んだ。
 そしてその声が響くよりも早く、他の重装歩兵達は上を向いていた。分かっていた。
 だから重装歩兵達は一斉に手の平を空に向かって突き出した。
 輪の形に並んだ手の平が同時に発光する。
 対し、シャロンは既にこの事態に備え、構えていた。

「!」

 その構えに、サイラスの目は釘付けになった。
 アランの、師の構えに似ていたからだ。
 掌を柄の底に押し当てた構え。
 しかし次の瞬間、サイラスはさらに驚くべきものを目にした。
 糸だ。
 一瞬では数え切れないほどの数の糸が、柄の底に押し当てられた手の平から伸びた。
 そしてそれらの糸が一斉に剣に絡みつき、巻きつき、一本に束ねられたのだ。
 この時点で重装歩兵達が放った光弾はもう目の前。眼下。
 シャロンは六角の形で迫るその光弾に向かって、

「破ァッ!」

 太くなった針を突き降ろした。
 一点に収束した六つの光弾と針の先端がぶつかり合う。
 直後、

「っ!」

 場を包んだ閃光と轟音に、サイラスは目を細めた。
 しかしそれは一瞬。サイラスはすぐに細めた目を大きく開いた。
 凄まじいものを目にしたからだ。
 それは落雷。
 そうとしか表現出来なかった。
 針の先端から放たれた雷が光弾を消し飛ばし、重装歩兵を貫いたのだ。
 その凄まじさにサイラスは心奪われたが、

「ひるむな! 撃て!」

 心の奥で燃え盛っていた戦意が、サイラスを叫ばせた。
 相手は回避行動が困難な空中にいる。この機を逃す手は無い。
 そしてそれを分かっていた兵士達は指示を受けるよりも早く、既に撃っていた。
 光の弾幕が再びシャロンに襲い掛かる。
 重装歩兵という障害物が無い分、その数は先よりも多い。
 普通ならば、絶体絶命だ。
 しかし、シャロンの心は至って平静であった。
 むしろ、この状況を切り抜けるにはそうでなくては、そうしなくてはならなかった。
 焦りや恐怖などは邪魔なだけだからだ。人間的な感情、その全てが今は必要無い。
 脳の処理能力全てを光弾の軌道計算と身体制御に使わなければならない。

「……」

 シャロンの表情から人間性が消えていく。
 時が止まったかのように感じるほどの静寂と集中の中で、シャロンは不必要なものを切り捨てていった。
 シャロンは己を弾を避けるだけの機械に変えていった。
 だから色覚も、聴覚も殺した。
 しかしまだ足りない。
 この肉の身が持つ能力だけでは足りない。
 だから、シャロンは魂を使って工夫することにした。
 それはサイラスに教えてあげたいことの一つであった。
 その工夫とは――

   ◆◆◆

 同時刻――
 夕食を済ませた魔王とオレグは談話室で話し合っていた。
 その内容は今後のことについてであった。

「では、その国では天に至る者が我が国よりもはるかに多い、と魔王様は考えておられるので?」

 オレグの問いに魔王は「そうだ」と答え、そのまま言葉を続けた。

「あの国は我が国よりも貧しく、そして戦い続けている。そのような環境で生き残っている者達なのだ。天に至れる者は多いのが道理だろう」

 これにオレグは口を挟むように声を出した。

「では、次の戦いは我らのほうが不利になる可能性があると?」

 その問いに魔王は小さく首を振った。

「いや、それについては一つ考えがある」

 善いものではないが、という言葉を魔王は飲み込んだが、オレグは察した。
 そしてその「善くないこと」について、オレグは尋ねようとはしなかった。
 互いに気を使うことで生じる、感知能力者特有の静寂をしばし挟んだ後、魔王が口を開いた。

「まあ、それについては時期を見て、な……」

 そう言って、魔王は話題を変えた。

「さて、明日からザウルとキーラを鍛えるわけだが、」

 何から始めるべきか、と、魔王は心でオレグに尋ねた。
 その声無き問いに、オレグは同じく声無き声で答えた。
 その内容は魔王が考えていたものと同じであった。
 そして魔王は確認するように、その答えを声に出した。

「考えていることは同じか。やはり無難に『虫』と『複眼』あたりから始めるのがいいだろう。『複眼』についてはザウルは既に使えているようだが」

 その言葉に、オレグは頷きを返した。

   ◆◆◆

 感情を殺し、不必要な機能を殺し、機械と化したシャロン。
 しかしまだ足りない。
 何が足りないのか。
 それは目だ。
 迫る弾幕。その全ての軌道を読むには、見るには目が足りない。
 ならば増やせばいい。
 目と同じ機能を持たせた小さな魂を体中にばらまく。
 全方位、隙無く見渡せるように。
 体の中に星空が広がるように。
 そしてこの目は普通の目では無い。
 動くものしか捉えないのだ。動体検知能力に特化した目だ。
 さらにこの小さな目の役割はただ情報を集めるだけでは無い。
 全ての小さな魂は繋がっている。
 それぞれが得た情報を比べるために。優先度を決めるために。
 そうして判断された緊急度の高い情報から先に本体へ転送される。
 しかし本体はすぐに決定を下さない。
 ぎりぎりまで待つ。出来るだけ多くの情報を得るために。
 初撃だけ回避しても意味が無い。この弾幕をくぐりぬけなければならないのだから。
 本体はぎりぎりまで考える。新たな情報を受け取るたびに、次の行動を修正していく。
 そうしているうちに、一つの光弾が胸元に迫ってきた。
 時間切れだ。
 だから本体は肉体に指令を出した。
 指令が電気信号となり、シャロンの全身を駆け巡る。
 その淡い雷が全身に行き渡ると同時に、シャロンは空を見上げるように顔を向けた。
 髪を後ろに放り投げるような勢い。
 首が後ろに折れ、顎先が天に向けられる。
 顎に引っ張られるかのように、胸が反れ、上半身が後方にしなる。
 指令の内容は「上半身を反らせ」であった。
 その指示には各部位の動作角度だけでなく、速度までが細かく指示されていた。
 反らした胸元の、女性特有の谷間を縫うように、光弾が通り抜けていく。
 下半身が上半身の勢いに引っ張られ、後方宙返りの初動のような動きを見せ始める。
 上に引っ張られた腰の下を光弾が通り抜けていく。
 この勢いのまま腰を曲げれば後方宙返りの完成だ。
 が、シャロンはそこで下半身の動きを止めた。意識して力を込め、そうした。
 あるものを待つためだ。
 シャロンは足裏を発光させてそれを待った。
 そしてそれは、光弾は来た。
 シャロンは全神経を集中させた。
 ここが一番大事だからだ。生死の分岐点だ。
 光弾が右足裏に触れる。
 瞬間、

(今!)

 シャロンは感情を覚醒させた。
 右足に力を込め、光弾を蹴る。
 その感触から、シャロンは成功を確信した。
 反動で宙返りが加速する。
 光弾を蹴ったのは上に逃げるためでは無い。
 放たれている光弾は直撃を狙ったものだけでは無い。逃げ場を潰すような予測射撃も含まれる。上はその密度が非常に多い。光弾を踏み台にして上に逃げるなどというありがちな選択肢など、相手は予測済みなのだ。
 ではシャロンはどこに逃げるために光弾を蹴ったのか?
 否。シャロンの頭に逃げという選択肢は無い。
 この場で避けきるためだ。
 光弾を蹴ったのは、宙返りの速度と軌道を変えるためなのだ。
 光弾を蹴ったことで宙返りの速度が増し、地に対して垂直の軌道であった回転軸が傾く。
 その変化を腰で感じながら、シャロンは両足を大の字に開いた。
 股の間に光弾を通すためであるが、足を開く勢いを利用して回転を微調整するためでもある。
 シャロンの太ももを、腰を、背中を、腹を、胸を、そして鼻先を光弾がかすめていく。
 少しでもずれていれば直撃していた。この軌道、この速度、この傾きでなければくぐりぬけられなかった。
 光弾が全身を撫でていく感触を味わいながら、シャロンの目はその色を取り戻していった。
 景色が色づくに応じて、意識も、感情もその機能を完全に取り戻していった。
 そしてその顔には再び笑みが戻っていた。
 この感覚を味わいたかった。だからわざわざ感情を戻すという無駄なことをした。
 一分の失敗も許されない困難を読み解くこの快感、筆舌に尽くしがたい。
 難しいパズルを解いた時の感覚に似ているが、命をかけているゆえに段違いだ。

「……ふふっ」

 その狂気のような愉悦は、小さな笑みとなってこぼれた。
 天地が逆になった景色を眺めながら、もっと味わいたいと思った。
 天地が元に戻った頃、彼に見せたいと思った。
 だからシャロンは足元にあった光弾を強く踏み、さらに高く舞い上がった。
 見下ろすシャロンと見上げるサイラスの視線が交錯する。
 シャロンが魅せた技は狂気とともにサイラスに伝わっていた。
 だからサイラスは声を上げた。

「……怪物め!」

 と。
 その声に、怪物は笑みをさらに強めた。
 その笑みを剥ぎ取ろうと、光弾が再び迫る。
 しかし当たらない。サイラスの目に映ったのは先の繰り返し。
 光弾の雨がすり抜け、シャロンが別の場所に飛び跳ねる。
 人間業とは思えぬ回避行動。
 全方位に目を光らせているので、左右や背後からの攻撃には包囲以上の効果は無い。不意打ちにはなっていない。
 このまま工夫無く続けても時間を稼がれるだけに見える。
 それが分かっていながらサイラスは、

「撃ち続けろ!」

 と叫んだ。
 今のサイラスにはそれしか出来なかった。
 あの女をどうにかする手段自体はとうに思いついている。持っている。
 だからサイラスは、

「起きろ! リーザ!」

 と、気を失っているリーザの肩を揺らした。

「……」

 しかしリーザの反応は無い。

「おい! 目を覚ませ!」

 サイラスは相手が女性であるにもかかわらず、その胸元を掴み、揺らしながら頬を叩いた。
 焦るサイラス。
 対し、シャロンは笑みを浮かべたまま上空を飛び跳ねていた。
 シャロンは喜びを心の中で言葉にしていた。
 こんなに派手な戦いは久しぶりだ。
 いつ以来だろうか。
 ああ、そうだ。思い出した。
 あの鎖を使う凄腕と戦った時以来だ。
 あの戦いは楽しかった。
 他の武器には見られない特徴的な軌道だった。
 動きを読んでも回避が困難な攻撃ばかりだった。
 そして時に、本人すらどういう軌道を取るのかわからない乱反射もあった。
 虫を使って相手に外させなければ苦戦を強いられていたかもしれない。
 本当に、とても楽しい縄跳びだった。
 私も針を捨てて鎖の使い手になろうかと真剣に考えたくらいだ。使ってみたいと思わせるほどに、面白そうな武器だった。
 出鱈目な威力、出鱈目な速度、出鱈目な軌道、そのような心を読むだけでは意味が無い攻撃は面倒で、そして面白い。
 しかしこいつらは違う。
 攻撃にしっかりと秩序がある。避けやすい直線ばかりで、しかもとても正確。
 感知能力者相手にはその正確さが仇となる。
 だが数は多い。
 だから派手で、ゆえに楽しい。
 しかしこの楽しい時間もじきに終わりを迎えてしまう。

「……」

 シャロンは顔から笑みを消しながらその原因を、リーザを見つめた。
 あの女がそろそろ目を覚ますはずだ。
 あの女の魔法は危険。出鱈目な威力と速度を持っている。
 だからサイラスはあの女を起こそうとしている。必死にリーザの頬を叩いている。
 その必死さがシャロンにとっては滑稽であった。
 だから呟いた。

「……そんなことしなくても、すぐに起こせるのに」

 だからシャロンは教えてあげようと、魅せてあげようと思った。
 時間を稼いでいるのはそのためでもある。

(さて、そろそろ見つかるはずなんだけど)

 シャロンは「虫」からの連絡を待っていた。
 あるものを探させるために放った虫だ。
 そのあるものとは、魂だけで動いている者達、遮蔽物から攻撃を仕掛けてきている兵士達のことだ。
 光弾の軌道から、おおよその位置は分かっている。
 人数がそれほど多くないことも光弾の数から分かっている。
 だから、少ないから襲うには好都合だ。
 なにより、「魂だけで活動している」という点が一番都合がいい。
 光弾を回避しながら連絡を待つ。

(……まだかしら)

 回避行動に飽き始めた頃、それはようやく来た。
 瞬間、シャロンは目を見開き、声を上げた。

「……見ぃつけたっ!」

 光弾を蹴り、目標に向かって飛び掛る。

「!」

 標的である兵士の顔に驚きが浮かび、シャロンと視線が交錯する。
 感知せずとも狙いが自分であることを察した兵士は、即座に光弾で迎撃した。
 しかし当たらない。光弾の雨を避けきる女に、たった数発の弾が当たるわけがない。
 だから兵士は後退しながら防御魔法を展開した。
 背後の路地から数名の兵士が援護に駆けつける。
 それを見たシャロンは糸を針に束ねた。
 対し、合流した兵士達は強力な電撃が来ることを感知し、肩を寄せあって防御魔法の壁を形成。
 その通り、シャロンは強力な電撃を見舞うつもりであった。
 しかし、一人の兵士はその感知に疑問を持っていた。
 狙いが「人間」ではなく、「路地」だからだ。
 が、兵士はその疑問を他の者に伝えることが出来なかった。間に合わなかった。

「「「っ!?」」」

 その連絡の遅れは、驚きに疑問を混ぜた形で兵士達の顔に表れた。
 空中でシャロンが放った電撃魔法は網のように広がった。
 それは予想出来ていた。
 その網は兵士達にでは無く、後方、狭い路地の壁に向かって飛んでいった。
 これには動揺を見せた者がいた。が、あくまで動揺しただけだ。
 驚いたのは次だ。
 背後の壁に向かって放たれた網が跳ね返ってきたのだ。
 糸が細い路地の間を、そして地面を跳ね回り、兵士達の体を防御魔法ごと包み込んだ。
 そして糸は生き物のように兵士達に絡みつき、その肉の体に紫電を流し込んだ。

「「「ぅあぁっ!」」」

 兵士達の顔が苦悶に変わる。
 その悲鳴が狭い路地に響き渡ったのと同時に、シャロンが着地。
 足から展開した防御魔法で衝撃を受け止めながら地の上を滑る。
 シャロンはその勢いを殺し切る前に防御魔法を解除し、前傾姿勢に切り替えながら紫電を纏わせた足で地を蹴った。
 落下の勢いを乗せた高速突進だ。
 これに対し、感電した兵士達は構えることすら出来なかった。
 しかし動けない理由は電撃のせいだけでは無い。
 魂を縛られたからだ。
 体の操縦に関する全権を魂に委ねていたゆえに、動けなくなってしまったのだ。
 理性が機能していればこの危機を切り抜けられたかもしれない。操縦権を理性に譲渡すれば可能性はあった。
 だからシャロンはこの者達を狙った。
 魂だけで動くという行為は利点も多ければ欠点も多いのだ。

「「「あああああっ!」」」

 そして、兵士達は壮絶な悲鳴を残して事切れた。
 魂を完全に砕かれたからだ。
 が、

「……?」

 一人だけ、悲鳴を上げなかった者がいた。
 その者の顔に、心に浮かんでいる色は戸惑いだけ。
 兵士の瞳には、目の前に立つシャロンの顔が映っている。
 なぜ自分だけ生かされたのか。
 それを探るために、兵士はシャロンの心を読んだ。
 いや、読んでしまった。

「……っ!!?」

 瞬間、兵士の顔は恐怖一色に染まった。
 これから何をされるのか、兵士は知ってしまった。
 知らないほうが幸せだった。
 だから兵士は心で懇願した。やめてくれ、と。
 しかしその願いは、

「……ダメ、よ」

 悪魔染みた笑みと共に叩き払われた。
 直後、シャロンの左手が兵士の後頭部に伸びた。
 兵士の首裏が痛いくらいに締め付けられる。
 狙いを定めるためだ。
 そして兵士の抵抗が弱いことを左手で確かめたシャロンは、下段に構えていた右手の針を突き上げるように振り上げた。

「おがっっ!!」

 その痛みに兵士が漏らした悲鳴は奇妙なものであった。
 顎下から差し込まれた針が舌を串刺しにしたからだ。

「ががががっ!」

 それでも兵士は悲鳴を発し続けた。
 それが彼に出来る精一杯の抵抗であり、逃げでもあった。
 そして間も無く兵士が発する心の懇願の内容が変わった。
「やめてくれ」から「早く終わらせてくれ」にだ。
 その願いを聞き終えた瞬間、シャロンは針に魔力を流し込みながら、針をさらに深く突き上げた。

「っっっ!」

 今度は悲鳴も出なかった。
 兵士に出来たことは体をがくがくと痙攣させることだけ。
 針は脳内にまで達した。
 しかし哀れなことに、まだかろうじて生きてる。
 だからシャロンは針に込めた魔力を爆発させた。
 込められていたのは電撃ではなく純粋な光魔法。
 針から放たれた光の槍は脳を粉砕し、頭蓋を突き破って外に飛び出した。

「ぁぉっ!」

 兵士の顎が、頭が衝撃に跳ね上がる。
 兵士の生はその悲鳴とも取れない奇妙な呻き声と共に終わった。
 脳天に空いた穴から血が噴水のように噴出す。
 血が雨のようにシャロンに降りかかり、穴から垂れた赤色が兵士の後頭部を掴むシャロンの左手を同じ色に染める。
 その手はぼんやりと光っていた。
 その手は握り締めていた。
 天に帰ろうとする兵士の魂を逃さず、握り締めていた。
 これが欲しかった。だからこの者達を狙い、こんな残酷なことをした。
 そしてシャロンはよく知っていた。
 出来るだけ新鮮なうちに、ということを。
 だからシャロンは、真っ赤に染まった左手を自分の顔に押し当てた。
 血を塗りこむように、左手をぐりぐりと押し当てる。
 そうだ。傍目には血を顔に塗っているように見える。

「……!!!」

 だから、援護に駆けつけたサイラス達の足はその場に止まってしまっていた。
 あまりに凄惨な光景に体が縛られていた。
 それは、人間に成せる中で最も冒涜的行為に見えた。
 だから眺めることしか出来なかった。
 しばらくして、シャロンは左手を顔から放した。
 サイラス達の目が真っ赤に染まったその顔に釘付けになる。
 が、シャロンは視線を気に介さず、呟くように口を開いた。

「……不味い(まずい)わね」

 その味は、シャロンの魂のお気に召すものでは無かったようだ。
 が、

「……ふう」

 シャロンは心地良さそうな吐息を漏らした。
 その通り、シャロンは満たされていた。
 魂に力が漲る(みなぎる)のを感じていた。

「……はは」

 その感覚が笑みとなってこぼれる。
 魂の充足、これ以外では味わえない、そして何度味わっても甘美な感覚。
 教えてあげたい。
 魅せつけたい。
 ゆえにか、自然とシャロンは胸を張っていた。
 充足を、力を誇示するように両腕を広げながら。
 見せ付けるように反らされたその胸は高鳴っていた。
 痛いくらいに。
 その痛みを吐き出すために、シャロンは吼えた。

「~~~~ッッッ!」

 その叫び声にサイラスは耳を押さえそうになった。
 その声は人の言葉の形を成しておらず、文字で表すには難しい響きであった。
 金属同士をこすりあわせたかのような、女性特有の金切り声だったと耳は言っている。
 が、サイラスの魂は別の感想を述べていた。
 獣の雄叫びのようであったと。
 共通するのは、ただ恐ろしかったということだけ。
 今はもう何も聞こえない。
 耳が痛いほどの静寂。
 否、これは静か過ぎる。
 本当に何も聞こえない。僅かな足音も、衣擦れの音すらも。この場に兵士が何人いると思ってる?

(まさか……?!)

 何かされて聴覚が機能しなくなったのか? そう思った片耳に手を当てながらサイラスは周囲を見回した。
 幸運なことに、サイラスが抱いた危惧は外れていた。
 不運なことに、状況はもっと悪いものだった。

(全員が……?!)

 皆、固まっていた。
 体がすくんで動けなくなっていた。
 サイラスは感じ取った。
 皆の魂が怯えていることを。
 そしてサイラスは気付いた。
 自分の耳と魂の感想がずれていた原因を。
 あれは魂の叫びだったのだ。魂の咆哮だったのだ。
 これは恐らく共感の逆手。
 叫び声と共に恐怖を放ったのだ。魂を震わせたのだ。
 そこまでサイラスが考えた瞬間、

「……正解よ」

 透き通るような声が耳に入った。
 その声にサイラスは「はっ」となって振り向いた。
 サイラスの目に走り始めたシャロンの姿が映りこむ。
 しかし彼女の目標はサイラスでは無かった。
 シャロンの視線の先にあるのは兵士の壁。
 無策の突撃に見えるほど数の差がある。
 しかし、にもかかわらず、

「疾ッ!」

 展開は一方的だった。
 紫電を纏った針が兵士達を次々と突き崩していく。
 兵士達は成す術も無い。
 いや、正確には何もしていない。
 防御魔法を展開しながら後ずさりしているだけだ。
 その不甲斐ない姿に、サイラスは声を上げた。

「何をしている! 反撃しろ!」

 叫びながら、サイラスは自身の膝が笑っていることを感じ取っていた。
 体が重い。
 これが恐怖に縛られるということなのか。
 戦いにならないほどに全員の戦意が落ちている。
 この状況を変える何かが必要だ。全員を奮い立たせる何かが。

「……!」

 それはすぐに思いついた。
 あるイメージを元に、サイラスはひらめいた。
 そのイメージとは「圧倒的なもの」。
 不動なる強者。カルロのような、ラルフのような存在。
 それがすぐ傍にいることをサイラスは思い出した。
 そして、それを呼び起こす手段も思いついた。
 魂を「食らう」ことが出来るのであれば、「与える」ことも出来るのではないかと。
 そう思った瞬間、サイラスの体は自然と動いていた。
 気付けば、倒れていたリーザの上半身を抱き起こしていた。
 しかしサイラスの動きはそこで止まってしまった。
 具体的にどうすればいいかは分からなかったからだ。
 何でもいいから思いついたことを試すしかない、サイラスはそう思った。
 直後、サイラスの体は再び自然と動いた。
 サイラスの顔がリーザの顔に近づく。
 眠れる姫に接吻でもするかのようであったが、サイラスはそのようなロマンチストでは無かった。
 サイラスはリーザと額を合わせた。
 そしてサイラスはリーザの名を心で呼びながら、自身の魂のかけらを投げ与えた。
 かけらはリーザの中に入り、そして消えた。

「……」

 しかし何の反応も無い。
 このやり方では駄目なのか? そんな考えがサイラスの心の中に浮かび上がった。
 それを雑念として振り払いながら、サイラスはもう一度試した。

「……」

 が、またしても反応無し。

(やはりこのやり方では駄目なのか?)

 サイラスの中にある雑念が膨らみ、迷いとなる。

(いや、そもそも、魂を与えることなど出来ないのではないか?)

 雑念が焦りに変わるのに時間はさほどかからなかった。
 兵士達が発する恐怖と悲鳴がその焦りをさらに強める。
 そしてサイラスの思考はまとまりを失い、ほどけ始めた。
 その思考が停止に至るまでに時間はさほどかからないように見えた。
 が、

「!」

 サイラスの雑念は掻き消えた。
 サイラスの中に流れ込んできた二つの思念がサイラスの心から影を取り払った。
 その一つは声。
 それで正しい、続けろ、という声。
 聞いたことの無い男の声。
 下手な、異国の者と思われる声。
 もう一つは感情。
 恐怖で凍った戦場の中に突如生まれた熱い感覚。
 声はどこから送られてきたものかはっきりと分からなかった。だから、サイラスはその熱い何かの方に顔を向けた。

「ゥ雄雄雄ッ!」

 するとそこには、突撃するケビンの姿があった。
 魂だけで動けるケビンは少数の仲間と共に路地に入っていた。
 しかし単身の突撃。
 恐怖ですくんだ仲間は誰もついてきていない。
 それでも、シャロンの背後を突く形になってはいる。
 しかしそれが有利に働いているとケビンは思っていない。だから叫んでいる。
 そして接近戦ならば有利になれるとも思っていない。
 彼の頭に勝算など無い。
 サイラスはそれを感じ取った。
 しかし、サイラスの目はその姿に釘付けになった。
 それは、その姿は、サイラスが心のどこかで求めていたものであった。
「圧倒的なもの」ではない。が、この状況を打破出来る可能性を持つものだ。
 そして、今のケビンには誰かがこれをやらなければならないという思いがあった。
 その役目がたまたま自分に巡ってきただけなのだ、ケビンはそう思っていた。
 死ぬかもしれない。そんな考えがケビンの脳裏によぎる。
 しかしケビンは本能が発したその警告を無視した。
 雑念を振り払うように、シャロンに向かって剣を振り下ろす。
 これに対しシャロンが選んだ選択肢は回避。
 ケビンの剣に強力な思念が込められているのを感じ取ったからだ。
 後方に向かって強く地を蹴る。
 鋭く後方に流れ始めるシャロンの影。
 あっという間に剣が届かない距離まで離れる。
 しかし、ケビンは剣を止めなかった。
 ケビンは振り下ろしたその勢いのまま、発光する刀身を石畳の地面に叩き付けた。

「!」

 直後、シャロンは目を細めた。
 甲高い衝突音と共に溢れた光が、ケビンを、シャロンを、そして戦場を包み込んだ。
 が、シャロンはその眩さに目を細めたわけでは無い。
 忌々しさからだ。
 剣から溢れた光に込められていた思念は一つでは無かった。
 大半は「俺を見ろ」というものであったが、隠し切れない恐怖、そしてそれを消すために振り絞った勇気など、漠然としたものも含まれていた。
 そしてその中に、シャロンに向けて放たれたものがあった。
 それは声となってシャロンの頭に響いた。
「魅せてやる」、と。
 その啖呵にシャロンは目を細めたのだ。
 ケビンのこの行動は見事であると、認めたくないから目を細めたのだ。
 しかしシャロンは自分の心を隠しきれなかった。

「……いいわ、」

 自然と口から言葉がこぼれた。

「ならば来い! 私を楽しませて魅せよッ!」

 同時にシャロンの魂は再び吼えた。
 恐怖は含まれていない。純粋な咆哮。
 しかし、空気が震えたかのような威圧感。
 それを肌で感じながら、ケビンは地を蹴った。
 意外なことに、その振動はケビンにとって心地良かった。
 雑念が咆哮で吹き飛ばされていく。
 そしてあとに残った思念は一つだけ。
 ケビンはそれを叫んだ。

「参るッ!」

 振り下ろした剣を引きずりながら駆ける。
 地面と擦れた剣先から火花が散るほどの勢いで。
 シャロンの目が見開き、迫るその像を映す。
 シャロンの顔に笑みが再び戻る。
 ケビンはその緩んだ顔を切り裂かんと、

「でぇやッ!」

 火花と共に剣を振り上げた。
 火の粉が弧を描き、銀色の三日月が描かれる。
 刹那遅れて鮮やかな赤色が銀色に滲む。
 しかしその赤色はシャロンから漏れたものでは無かった。

「……ぁ、ぐ」

 それはケビンの胸に突き立てられた針から垂れたものであった。
 半身分、体をずらす回避行動とともに放たれた反撃の一突き。
 骨の隙間を通した見事な一撃である。
 しかしそれは心の臓にはわずかに達していなかった。
 咄嗟に動いたケビンの左手が針を掴んでいた。
 なんで掴めたのかケビン自身分かっていない。
 避けられる、と感じた次の瞬間には無意識のうちに動いていた。
 運が良かった。ケビンの心に安堵の色がわずかに滲んだ直後、

「!」

 強烈な悪寒がケビンの背中を駆け上がった。
 針を握るシャロンの右手に、右腕に魔力が集まっているのを感じる。
 電撃と「あの加速技」を使って強引にねじこむつもりだ。
 ケビンはそれを一瞬で理解した。
 そしてどう対処すべきかも、刹那で理解した。
 最低でも同じものが必要だ。
 同じ力、同じ速さ、なんでもいい。とにかく、相手と張り合える、くつがえせる何かが必要だ。
 選択肢は多い。どれを選ぶべきか。
 ケビンは悩まなかった。
 悩む余裕が無かった。
 気付けば、ケビンは後方に向かって地を蹴っていた。
 ケビンの影が後ろに流れ始める。
 針が紫電を纏い、前に突き出され始める。
 その速度は完全な五分。

「っ!」

 人外の速度で流れ始めた景色の中で、ケビンは顔を歪めた。
 針によるものでは無い。膝から発せられた痛みのせいだ。
 シャロンの腕が伸び切り、ケビンの胸から離れ始める。
 シャロンが放った突きで吹き飛んだかのように。
 しかしケビンの悪寒は止まらない。
 これで終わらない、絶対に追撃してくる、ケビンの本能は、魂はそう言っていた。
 受身を取れ。駄目だ。背中から地面に落ちたら完全に終わりだ。それ以前に空中で追撃される。では、体勢を立て直しながら空中で迎撃? どうやって?
 理性、本能、魂、三位一体の自問自答が凄まじい速度で流れる。
 これに異論無き結論を出したのは本能。
 その答えは、あるイメージ。
 それはケビンが心の片隅で憧れている存在。ケビンが尊敬している武士(もののふ)の姿。
 彼ならどうするだろうか。
 そう思ったのと同時に、ケビンの体は動き始めた。
 血に染まった左手で剣を撫でる。
 手の平が、指が、刀身に赤黒い輝きを与える。

「!」

 それを見たシャロンは追撃の足を止めた。
 あれは危険だ、シャロンの魂はそう判断した。
 ケビンが何をしようとしているのか、次の動きまで分かっている。
 しかし、シャロンは危険だと判断した。
 その根拠の一つをシャロンは感じ取っていた。
 それは既に音となってケビンの剣から発せられていた。
 ケビンの剣は振動し始めていた。
 過度の魔力が注がれている。
 その剣から何が放たれるのか、シャロンは知っていたし、感じ取っていた。
 しかし、不規則に変化する濁流の流れを一瞬で読みきることは難しい。
 だからシャロンは後方に跳び下がるように、足に力を込め直した。
 濁流といえど慣性がある。発射点から距離を取れば、見てから軌道を読むことが出来るからだ。
 シャロンの足が地から離れる。
 その直後、ケビンはシャロンが感じ取った通りの動きを見せた。
 地に対して水平に飛ぶ体を捻り、横の回転を加える。
 仰向けになっていた姿勢がうつ伏せに。
 同時に腰を曲げながら縦の回転を加える。
 垂れた頭が地に擦れる。
 その寸前、天地逆さまのその姿勢で、ケビンは剣を水平に振りぬいた。
 白銀一閃。
 放たれた三日月はうねり、曲がり、そしていくつかの小さな三日月にほどけた。
 しかしケビンが視認出来たのはそこまで。

「ぐっ!」

 頭頂部から走った衝撃に、ケビンの視界は歪んだ。
 ケビンはすぐさま首を、そして背中を曲げ、衝突に備えた。
 間も無く、衝撃が首の付け根、背中、そして腰へ駆け抜けていった。
 衝撃から一瞬遅れて痛みが走る。
 下手糞だが、とりあえず後転受身にはなった。
 天地が元に戻ったと同時に足に力を込め、ふんばる。
 ケビンの目が、剣の切っ先が再びシャロンに向けられる。
 その瞳が無傷のシャロンを映した瞬間、

「おおおっ!」

 ケビンは足に込めた力を前へ解放した。
 剣から伝わる振動を感じながら、突撃する。
 深い考えなんて無い。
 考えていることは一つだけ。この嫌な音を立てる剣を、

「でぇやっ!」

 叩きこむだけ。
 再び放たれる三日月。
 対するシャロンの行動は先と同じ。後方への跳躍。
 下がるシャロンを分裂した三日月が追う。
 距離は瞬く間に縮まり、三日月はシャロンを捉えたが、

「疾っ!」

 シャロンはこれを先と同じように迎撃した。
 直撃に至るものだけを計算して放たれた突きが、紫電が三日月を砕く。
 閃光と共に生まれた雷特有の炸裂音が二人の耳を打つ。
 直後、

「えぃやっ!」

 シャロンの耳にケビンの気勢が割り込む。
 剣から放たれる嫌な雑音と共に。
 その軋みは先よりも大きくなっている。
 これが限界を迎えた時、どうなるかをケビンは知っている。
 しかしそれは今のケビンにはどうでもいいことであった。
 今の自分にはこれしかないからだ。
 魔力のぶつけ合いではかなわない。この女の魔力は精鋭を凌駕している。
 剣でも歯が立たない。剣の修練なんて真面目に積んだことが無い。体術も同じ。
 だから今の自分に出来ることは一つだけ。
 でかい一撃をがむしゃらに振り回すだけだ。
 それに自分が巻き込まれる可能性があるとしても。
 それでもこれしかない。これしか無かった。
 自分の命そのものを武器にする、それしかこの女に対抗する手段は思いつかなかった。
 クラウス殿が今の自分を見たらどう思うだろうか。共感してくれるだろうか。

「ぜぇやっ!」

 そんなことを考えながら、ケビンは後ろに、時に右に左に逃げるシャロンを追い続けた。

「……」

 その様を、サイラスは少し呆けた表情で見ていたが、

「ケビン……!」

 ぽつりと、サイラスは彼の名を口にした。
 この時初めて、サイラスはケビンに対して敬意の念を抱いていた。
 しかし次の瞬間、

「!」

 サイラスの顔は驚きに染まった。
 その瞳に映りこんだ赤色がその目を見開かせた。
 蛇口の位置はケビンの太もも。
 しかし、サイラスはすぐに目から驚きの色を消した。
 浅いからだ。
 射程ぎりぎりのところから当てただけに見える。

「……」

 が、サイラスの心は静かにはならなかった。
 驚きにかわってサイラスの心を埋めたのは疑問。
 その疑問は言葉になるよりも早く推測に変わり、そして恐怖となった。
 その推測は、今の一撃は「試し」だったのではないかということ。
 そしてこの考えが正解であるならば、この後の展開は――

「ケビン!」

 考えながら、サイラスは再び彼の名を口にしていた。
 自分の考えを、推測を覆してくれと、願いながら。
 その願いをサイラスはケビンに送らなかったが、シャロンは感じ取った。
 そして、シャロンもまたサイラスにその答えを返さなかった。
 サイラスもシャロンも、相手をただ不安にさせるだけだと分かっていたからだ。
 しかし、

「っ!」

 サイラスの顔は歪んだ。
 その瞳に再び映りこんだ赤色がその顔を歪ませた。
 今度の蛇口は右腕と右肩の二つ。
 しかも先ほどよりも穴が深い。
 この瞬間、サイラスは理解してしまった。自分の推測が正解であることを。
 そしてシャロンはその歪んだ顔に声なき声を送らなかった。
 送る必要が無かった。
 サイラスの推測は完全に正解である。
 ケビンの狙いは、要はただの「事故狙い」。
 自身もどうなるか理解していない大きな攻撃を博打感覚で振り回しているだけ。
 ならば、事故になる要素を消してしまえばいい。
 探り、そして理解すればいい。彼の光魔法の質、鋼との相性、鋼の質、そして彼自身の癖、その全てを調べればいい。どんなに複雑な攻撃でも、計算出来れば事故の確率は減る。
 最初の一合でそのために必要な虫は取り付けた。
 精度はまだ低いが、彼の剣質は大体読めた。だから「試した」。
 彼にとっては博打だろうが、私にとってはこれは数字遊びなのだ。
 そして、彼の勝率はどんどん低くなっている。
 ただ一つ哀れなのは、彼自身もそのことに気付き始めていることだ。
 悲しきかな。二人の間にあるこの温度差よ。
 彼は命を賭けているが、私にとっては「ほぼ」安全と言える位置取りをしながら手を出していくだけの作業なのだから。

「……」

 そこで、シャロンは自身の感情を一時停止させた。
 湧き上がりかけた哀愁のような感覚を止めるためだ。
 今考えるべきはそんなことじゃない。哀愁など抱いている場合では無い。
 問題は精度が「ほぼ」から高まらないことだ。

(……とりあえず、もう一度試してみよう)

 迫ってくるケビンが光る剣を振り上げる。
 動きは右肩から左脇へ振り下ろす袈裟の軌道であると、虫からの報せが入る。
 数瞬遅れて、今度は放たれる三日月の情報が。
 それらから「ほぼ」安全な位置取りを計算する。

(三日月は彼の左手側にかたよるようね。ならば――)

 考えながらシャロンは地を蹴った。
 ケビンが剣を振り下ろす動きに合わせて、彼の右脇側にもぐりこむ。
 ここに三日月は来ない「はずだ」。今のところは。
 がら空きの右脇を針の射程内にとらえる。
 もう半歩踏み込めば確実に心臓まで貫ける間合い。
 その短い距離を、シャロンが詰めようとした瞬間、

「!」

 彼女の魂が、危険察知機関が最大の警鐘を鳴らした。
 即座に地を蹴りなおし、後方に跳ぶ。
 瞬く間に双方の距離が再び大きく開く。
 踏み込みながら放った突きはケビンの右脇に蛇口を開けただけに終わった。
 そして、彼が放った三日月の軌道は事前に計算した通りであった。
 それでも後退しなければならなかった。

(……またか)

 何が「また」なのか。
 それは、シャロンが針を突き出した瞬間に起きた。
 心臓に向けた一撃を放った瞬間、彼の心にある天秤が激しく乱れたのだ。
 その天秤こそ、計算の精度向上を妨げている最後の要素。
 彼の心にある生死の境界線。
 彼の覚悟は死の一歩手前で止まっている。
 天秤は静止していない。わずかだが揺れている。
 この天秤は理性、本能、そして魂の意識の平均値を取ったもの。
 三つの意識がせめぎあっているのだ。だから揺れている。振動している。
「覚悟」は強い感情だ。ゆえに表に出る。が、その「覚悟」を実行に移すことはなかなか難しい。生死に関わることであればなおさらだ。
 あるものが事を起こそうとしても、他の二つが「まだ早い」「様子を見よう」などと時間稼ぎのようなことをするのはよくあることである。要は迷っているのだ。
 彼の、ケビンの心が今まさにそれだ。
 ゆえに、彼の剣は崩壊の一歩手前のところで上手く制御されている。
 そして、彼が温存しているこの最後の切り札はなかなかに厄介な代物だ。
 範囲は間違いなく全方位。放たれる濁流の密度も高い。
 接近した状態でこれを受けるような事態は避けたい。

「……ふ」

 問題について考えながら構えを整えようとした時、シャロンの口から小さな笑みがこぼれた。
 意外に楽しませてくれそうだと、本気で思ったからだ。
 しかし悲しきは、この問題に対しての対処法を知っていること。
 そのうちの一つは先ほど試した。
 彼の意識が追いつかないほどの速度で攻撃することだ。
 それは成功したように見えた。その証拠に、彼は私が計算した通りに動き、攻撃を派手に外した。
 が、何かが私の動きを捉えていた。小さく弱いが、何かが私を睨んでいた。それが彼の心の天秤を揺らした。
 その睨みは、目線のようなものはケビンの中から感じ取れた。しかしそれはケビンの意識じゃない。
 以上のことから導き出される答えは一つだけだ。

(……彼の魂の奥に、中に、何か別のものが棲んで(すんで)いるようね)

 彼の中には同居人がいる。
 ケビン自身はそのことに気付いていない。同居人のことを自分の一部だと思っている。
 そしてその同居人は生死の問題に口を出すことが出来る。
 つまり、その同居人はケビンにとって――な存在である、または「あった」可能性が高いということ。例えば、ケビンの――

「はあぁっ!」

 考えながらシャロンは動いた。
 久しぶりに見せるシャロンからの突進。

「雄応ッ!」

 迎え撃つ形になったケビン。
 瞬く間に距離が詰まり、二人の影が重なる。
 ぶつかり合う寸前、ケビンが一閃。
 放たれた濁流がシャロンの影を飲み込む。
 かのように見えたのは一瞬。
 地を蹴る音と共にシャロンの影が掻き消え、ケビンの体に蛇口が一つ増える。

「破ぁっ!」

 赤い蛇と共に生まれる新たな痛みを無視しながら、飛び下がるシャロンに向かって一閃。
 逃がさぬ、逃げるな、という思いが込められた濁流が、三日月がシャロンに食らいつかんとする。
 その執念じみた濁流をシャロンが針で迎え討つ。
 うるさい、というお返しの思いを込めて。
 二人の思いがぶつかり合い、火花のような紫電がシャロンの眼前に散る。
 生じた閃光の後にシャロンの目を覆ったのは影。
 背負うように構えた輝く剣を後光として生み出された影。
 同じ執念を発しながら迫ってきたその影は、

「ずぇやっ!」

 雄叫びのような気勢と共に、背負っていた後光を振り下ろした。
 地面に叩きつけられた衝撃で後光が弾け、濁流が溢れる。
 しかしそこにシャロンの姿は無い。
 シャロンの影は既にケビンの側面。
 針が届く間合い。
 であったが、シャロンは手を出さず、再び距離を取り直した。
 あることを確認するためだ。

(やはり……)

 そして、シャロンの考えは正解であった。
 ケビンより多少感が良いようだが、あの同居人も常に私の動きを追えているわけでは無い。
 大雑把な距離感と私が発する攻撃意識だけで判別している時がある。今のがそうだった。
 分かったことはそれだけでは無い。
 ただの好奇心からだが、彼の同居人が何者か調べさせてもらった。そのためにケビンの記憶を軽く漁った。
 その時に面白いものが見えた。
 神楽だ。
 二人の男がそれを発動しようとしている映像。
 片方はクラウスと呼ばれる男。ケビンが尊敬し、そして自身に重ねようとしている男だ。光る剣は彼を真似てのものだ。
 もう一人はアラン。
 強力な感知能力者。彼が起こした神楽がサイラスを目覚めさせた。
 そしてこの場にはもういない。
 つまり、

(私の仕事を増やしたのはアランなのね……)

 この後、彼を追跡する任務が与えられる可能性が高いということだ。
 ついでに同居人の正体も分かった。
 だから、

「疾ッ!」

 シャロンは積極的に攻めることにした。
 鋭く踏み込み、濁流を避けながら針を繰り出す。
 下がらず、回り込みながらもう一度。
 ケビンを右に左に翻弄しながら手を出し続ける。
 あっという間に穴だらけになるケビンの体。

「くッ!」

 糞、という言葉を飲み込みながらケビンが三日月を放つ。
 しかし当たらない。
 流れるのは自分の血だけ。蛇口が増えるのみ。

(なぜ……っ!)

 ケビンの心に疑惑の声が鳴り響く。
 疑問は一つでは、なぜ当たらないのか、だけでは無かった。
 なぜ、自分は粘れているのか、という声のほうが強かった。
 手加減されているから? それは正解だろうが、遠いように思える。
 じゃあ、

(……嬲られて(なぶられて)いる?)

 感の良い読者は今のシャロンの行動に違和感を感じ、ケビンと同じ疑問を抱いただろう。
 ご想像の通り、その気になればシャロンはケビンをすぐに終わらせることが出来る。
 同居人はケビンに死んでほしくないと思っているだけだ。
 事実、心を揺らしても結局行動には移させていない。
 つまり、あの天秤の揺れは相手を警戒させるだけの虚勢であるということ。
 シャロンはそれを分かっていてケビンを嬲っている。

 なぜか。

(なぜ……)

 その疑問の答えを、ケビンは探し続けた。
 しかし分からない。
 というよりも考えがまとまらない。

(なぜ……)

 これは分かった。
 血が足りないんだ。
 全身真っ赤だ。
 ということは、

(死ぬ……のか?)

 ケビンの中に黒い感情が湧きあがる。
 いや、それは最初からあった。気付かないふりをしていただけだ。
 その黒い感情は、恐怖はケビンの心に声を響かせた。

「そうよ」

 と。
 女の、目の前にいる敵の声だった。
 いや、実際に耳に響いたのか? それすら分からないほどに意識が薄くなっている。

「ぁうっ」

 直後、ケビンの口から悲鳴が漏れた。
 新たに出来た蛇口から生まれる痛みのせいで反射的にこぼれたものだ。
 その痛みが、死の感覚と混じってケビンの天秤を大きく揺らした。

(このまま何も出来ずに殺されるくらいならば……!)

 ケビンの腕に力が漲る。
 しかし次の瞬間、

「あなた」
「!?」

 ふと、心に響いた声に、ケビンは手を止めた。
 シャロンもだ。
 ケビンもシャロンもその声の主を知っていた。だから手を止めた。
 それはケビンにとってとても懐かしい声であった。

「……」

 そしてケビンは剣を振り上げた姿勢のまま固まった。
 それを見たシャロンが針を引き、距離を取り直す。
 シャロンは待つことにした。
 ケビンが気付くのを。

「……」

 そしてケビンはゆっくりと剣を下ろした。
 しかしその目はシャロンを見ていない。焦点が合っていない。
 あの懐かしく心地よい響きが、ケビンにある記憶を思い起こさせていた。
 それはある夢の記憶。
 行方不明になった妻と子を探していた時に見た夢だ。
 その夢に出てきた妻はただ一言、こう言った。

「あの子はここまで来られなかった。幼く、弱かったから」

 目を覚ますと、自分はこの夢の内容を、言葉を忘れていた。
 夢を見たことは分かっていた。何か大事な事を言われたような気がしていた。
 そしてその日から自分は妻と子を探すのをやめた。なぜだか、探しても無駄なような気がしたからだ。復讐という新たな目標が出来上がるのに大した時間はかからなかった。

「……?」

 その時、ふと、ケビンは自分の頬に熱いものが流れていることに気が付いた。
 ケビンは自分がそれを流している理由が分からなかった。色んな感情が混じっていた。難しかった。
 しかし、その理由の一つはすぐに分かった。
 自分の中にいる愛しい人を悲しませているからだ。
 そしてケビンは思った。
 自分はなぜこんな無茶を、この女に挑んだりしたのか。
 その答えは、映像として脳裏に流れた。
 それは若い頃の記憶。
 自分が兵士になったばかりの頃の記憶。
 初陣を生き残った時の記憶。
 その時に、当時の隊長から言われたのだ。

「お前は無茶が過ぎる。しかしそこが良い」

 この言葉が無性に嬉しかったのをよく覚えている。
 思い返せば、自分は幼いころからずっとそうだった。色んな無茶をしてきた。

(なぜ……)

 なぜ、自分はそうなのか。

「「それは……」」

 その答えは、二人の女の声となって心に響いた。
 自分はそういう性質なのだと。
『無条件の』勇気を持っているのだと。
 だから自分はこの恐怖に染まった舞台に、ただ一人飛び出してこれたのだと。恐怖というものに強力な耐性を持っているのだと。
 そのような『無条件の』何かを持っているものは決して少なくないらしい。
 しかしそれは決して良いことであるとは限らない。
 時にその『無条件なもの』のせいで暴走し、望ましくない結果をもたらしてしまうことがある。
 今の自分がそうなのかもしれない。
 だから、そう思ったからケビンは、

「……すまない」

 と、言葉を漏らした。
 これに同居人は首を振った。
 あなたのそういうところに惚れたのだから、しょうがないと。
 私達二人の力があの女には及ばなかった、ただそれだけのことだと。

「……」

 その言葉に、ケビンは何も言葉を返さなかった。返せなかった。
 ただ、頬を流れる熱いものがその量を増した。
 そして、同居人にはそれで十分だった。

「……」

 ケビンはその熱さを腕に込めた。
 焦点をシャロンに合わせながら。
 シャロンはまだ待ってくれていた。
 このために、これを見るためにシャロンはケビンを嬲ったのだ。肉体を生死の境まで追い詰めれば、ケビンはきっと最後の賭けに出る。出ざるを得なくなる。そしてその時、同居人はきっと、いや必ず何か大きな行動を起こすと踏んだのだ。
 これは同情であり、そして理解者だけが抱き、表せる矜持(きょうじ)ようなものでもある。
 それが分かったから、ケビンは、

「……」

 敵意を消しながら剣を上段に構えた。
 代わりに、剣に覚悟を込めて。
 これにシャロンも応えた。
 天に向けた針を顔前に構える。
 剣に祈るかのような構え。敬意を表す構え。
 シャロンが抱いている感情、それは愛に似ていた。
 あなたは十分に私を感動させてくれた。魅せてくれた。
 だから、次で終わらせる。痛みを感じないように、出来るだけ速く。
 そのために、あなたに見せよう。あなたを魅せよう。
 そして、あなたの死は、魂は無駄にしない。
 あなたの魂を細かく砕き、皆に分け与えよう。降らせよう。雪のように。あなたの勇気が皆に宿ることを願って。

「!」

 直後、それを見たケビンの顔は驚きに染まった。
 目の前にいるシャロンが文字通り「変わり始めた」のだ。
 まず、その体がぼんやりと光り始めた。
 それが彼女の体に巻きついた電撃魔法の糸が発する輝きであることに気付くのに時間はかからなかった。
 そしてその考えの間違いにもすぐ気付いた。

(違う、あれは巻きついているのでは無い!)

 電撃魔法の糸は皮膚の下を通っていた。
 だからぼんやりと光っているように見えるのだ。
 そしてその行為は痛みをともなっている。彼女が苦痛を発しているのを感じる。
 凄まじい激痛だ。
 そうまでして、何をしようとしている?!
 それはすぐに分かった。

(自分を……改造している?)

 全身に描かれた光の紋様の中に幾何学的な模様があったことから、そう思った。
 それは正解であったが、それが意味するところは今のケビンには分からなかった。
 これはクレアが使ったあの技と同じ類のもの。身体能力の超絶強化。
 しかし、シャロンの技にはクレアのものとは違う特徴がある。
 大きな違いは内臓に極度の負荷をかけないこと。つまり、長期戦が可能なのだ。

「……っ!」

 その凄まじさに、ケビンはたじろいだが、

「どうしたの? あなたが待つ必要は無い。来い」

 という、頭の中に響いたシャロンの声が、ケビンの心に湧きあがりかけた雑念を吹き飛ばした。
 そしてケビンの心には一つだけの感情が残った。
 ケビンは時間が巻き戻ったかのように感じた。
 それは、この戦いが始まったばかりの時に抱いたものと同じものだった。
 シャロンが放った咆哮で雑念を吹き飛ばされた時に、唯一残った感情だ。
 それをケビンは叫んだ。

「参る!」

 同時に、二人は地を蹴った。
 ケビンの足が地から離れる。
 その時点でシャロンはもう目の前。
 速い。速すぎる。
 この剣を振ることすら出来ずに自分は死ぬ。言葉にはならなかったが、ケビンはそれを察した。
 対し、シャロンの時間の流れはケビンとは対照的と言えるほどにゆっくりとしたものであった。
 高速演算によって作り出されたその緩慢な世界の中で、シャロンは自身の能力の全てを「ケビンをいかに楽に殺すか」にあてていた。
 狙いは当然脳、ただ一点。眼球から突き通す。
 一瞬で粉砕するために、腕をどう動かすか、魔力をどのように込めるかを計算する。
 腕に張り巡らされた電撃魔法がその輝きを増す。
 これは回路。腕を、体をより速く、そして効率良く動かすためのもの。
 そしてこれらの演算のために虫を大量に使っている。
 周囲に対する察知能力を犠牲にしているが、彼を、ケビンを楽に終わらせるためにはやむを得な――

「!」

 その瞬間、シャロンの背に悪寒が走った。
 虫の一匹が最大級の警告を発したのだ。
 その内容は、「高速の飛来物」。
 警告は対象の外観と共に送られてきたが、ただの光弾にしか見えないそれが「飛来物」と表現されたことがシャロンの悪寒を強くしていた。
 それはつまり、これはただの光弾では無いということ。
 この虫ではその正体の分析が間に合わなかったということ。
 これはどこから放たれたものだ?
 軌道から逆算する。
 回転はかかっていない。ならば軌道はただの直線と推定出来る。
 その直線を辿った先にあるものは――

「ッ!!」

 それを認識した瞬間、シャロンは針を片手持ちに切り替えながら、その光弾に向かって防御魔法を展開した。
 同時に地を蹴りなおす。
 間に合うか?
 その判断がつくよりも、計算するよりも速く、シャロンは閃光と轟音に包まれた。

「リーザ?!」

 直後、轟音に代わって場に響いたのはサイラスの声。
 彼女が、リーザが突然上半身を起こし、爆発魔法を放ったのだ。
 しかしサイラスは、気が付いたのか、と言葉を続けられなかった。
 彼女の意識はいまだに落ちたままであることを感じ取ったからだ。

「な……?!」

 代わりに、意味を成さないただの音がサイラスの口からこぼれた。
 なぜ、と言いそうになった。
 どうして動けた?
 そして、どうして普通の爆発魔法を撃った?
 それは分かる。ケビンを助けるためだ。普通の光弾ではあの女は止められない。指向性を持たせた爆発魔法ではケビンも死んでしまう。だからなのだ。
 しかし、なぜ、それを考えることが出来た?

「……」

 リーザは答えない。
 そして間も無く、突き出されていた彼女の右腕は、重力に従ってだらりと落ちた。
 サイラスはそんな彼女をもう一度呼びかけようとしたが、

「リ「雄雄雄ォッ!」

 かき消すように、ケビンの雄叫びが場に響いた。
 目を向けるとそこには、シャロンに向かって光る剣を振り下ろそうとするケビンの姿が。

「しま……っ!」

 シャロンはケビンが発する雄叫びの中でそんな言葉を漏らしていた。
 この「しまった」は、目の前にある窮地に対してでは無く、ケビンを即死させられなかったこと、余計な痛みを与えてしまったことに対してのものであった。
 そして二人は針で繋がっていた。顔が触れ合いそうなほどの距離で。
 ケビンの左肩は針で串刺しにされている。
 その針を握るシャロンの右手をケビンは左手で掴んでいる。
 逃がさぬために。このまま剣を振り下ろし、地獄まで一緒に来てもらうために。
 が、そう思った時には、既に剣はケビンの右手の中から無くなっていた。
 代わりに右手にあるのは痛みだけ。
 シャロンが左手で放った光弾が、ケビンの剣を弾き飛ばしていた。
 本当に終わった、ケビンの脳裏にそんな言葉が浮かび上がる。
 しかし、ケビンの体はその言葉とは真逆に動いた。

「おらぁっ!」

 それは頭突き。
 なぜ頭突きなのか。
 ケビンは深く考えていない。ただ、今繰り出せる最も速い攻撃がこれだったというだけだ。
 そしてその速度は人外。
 ケビンはあの加速技を用いて振り下ろした額を、シャロンの頭に叩き込んだ。

「っ!」

 嫌な音と共に走った衝撃に、シャロンはうつむいた。
 シャロンの頭から尾を引いて蛇が流れ出る。
 蛇はシャロンの額に垂れ、その顔をさらに赤く塗りなおした。
 激しい出血。
 頭が割れている。骨折している。
 当然、ケビンの額もだ。
 ケビンの顔が同じ色に染まり、その目に血が流れ込む。
 赤黒く染まる視界。
 ほとんど見えない。が、ケビンは感じ取った。
 シャロンが距離を取り直そうとしているのを。シャロンの右手を握る自分の左手が、引っ張られているのを。
 逃がさん、そんな思いを込めながら、ケビンは左手にさらなる力を込めたが、

「!?」

 左肩に紫電が走ったのを痛みとともに感じた直後、針は引き抜かれてしまった。
 いや、違う、とケビンは思った。
 引き抜かれただけじゃない。同時に押された。見えない力に左肩を突き飛ばされた。
 その時に一瞬だが、奇妙なものが見えた。
 それは螺旋状に巻かれた電撃魔法の糸。
 その螺旋から生まれた見えない力に自分は突き飛ばされた。

(これが……!?)

 ケビンは察した。
 この見えない力が、この女が使っている加速術の原理だと。
 そして同時にケビンはもう一つ察した。感じた。
 次の邪魔が入る前に終わらせる、とシャロンが考えていることを。
 もう脳への照準合わせと動作計算は完了していると。
 速度も圧倒的。手も足も頭も出ない。間に合わない。
 だから、

(ここまで、か)

 ケビンは心を穏やかにしてその時を待つことにした。
 そして、ケビンが自身の中にいる同居人に心を寄せた瞬間、視界が、場が、閃光に包まれた。

   第四十一話 三つ葉葵の男 に続く
スポンサーサイト

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

稲田 新太郎

Author:稲田 新太郎
音楽好きな物書き。ゲームも好き

アクセスカウンター
(14/01/05設置 ユニーク数)
カテゴリ
最新記事
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
小説・文学
192位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
ファンタジー
4位
アクセスランキングを見る>>