シヴァリー 第三十九話

   ◆◆◆

  二刀一心 三位一体

   ◆◆◆

 同時刻――
 アランとクラウスが武神の号令を発動させた戦場からはるか北西の位置、大きな海をまたいだところに白い大陸が存在する。
 大地の多くが万年雪に覆われている極寒の地であるが、この大陸には強靭な国家が存在していた。
 その象徴たるものが王が住まう城。
 厳しすぎるこの白い大自然の中では不釣合いと思えるほどに巨大。
 それを見たある者はこう言った。「山と城がくっついている」と。
 それは正解であった。その城は山をくりぬいて作られていた。洞窟の暖かさを利用したい、たったそれだけの理由で残酷とも言える工事は実行された。当時の王は、それを行使できるほどの権力を、力を備えていた。
 そしてその力は今だ衰えていない。むしろ増している。
 現在の王はある理由からこの城をあまり利用しないが、今日は珍しく城主の姿があった。

「……ふう」

 広く、高く、そして長い廊下を歩きながら、王はため息をついた。
 王はある仕事のために城に戻ってきていた。
 王はその仕事が好きでは無かった。
 そしてこの城も好きでは無かった。広すぎるからだ。王はもう若くない。

「まったく、玉座に着くまでに一苦労だな」

 歩きながら王は堂々と不満を漏らした。
 理由は、喋らずとも皆知っているから、または、「心を読まれるから」だ。
 気を紛らわそうとしてくれているのか、廊下の脇に控えている守衛達が深々と頭を下げてくれたが、何の気休めにもならない。

「……ふう」

 今日何度目かになるため息。
 しかしそのため息はそれまでのものとは違い、幾分か落ち着いた気配を持っていた。
 理由は単純。やっと着いたからだ。

「皇帝陛下の御入室である! 全員控え!」

 独特の言い回しと共に、重そうな扉が開き始める。
 門番の言葉の通り、王は最近になって皇帝を名乗り始めた。
 しかしその呼び名は定着していない。皇帝の冠をかぶって一年ほど経つが、いまだにである。
 だが王自身それを気にしていない。
 もっとふさわしい別の呼び名があるからだ。
 
「……」

 王はため息をやめ、静かに入室した。
 この部屋を初めて目にした者の多くはため息をつく。
 上には本物の宝石で作られたシャンデリアがぶらさがっており、下は高級石材が敷き詰められた床が広がっている。
 そして中央には、それらに勝る煌びやかさを備えた玉座がある。

玉座

 派手すぎる、と言えるほどに金細工と宝石があしらわれているが、白を基調とした色使いがその下品さを消していた。

「……」

 しかし王にはそのどれもが色あせて見えた。何の感動も無い。
 見慣れているからでは無い。今の王は疲労感と倦怠感に包まれている。
 左右でひざまずき、頭を垂れている臣下達の姿も気休めにならない。

「……」

 王は何も言わず、黙って玉座に座った。

魔王イメージ3

 すると、一人の臣下が王の前に歩み出で、頭を垂れたまま口を開いた。

「陛下、本日は遠路はるばる……」

 臣下はそこで言葉を止め、顔を上げた。
 王が怒気を抱いたのを「感じ取った」からだ。
 臣下が察した通り、王は苛立ちを滲ませながら口を開いた。

「そういうのはいい。早く連れて来い。さっさと済ませたいのだ」

 王がそう言い追えるよりも早く、一人の男が守衛にひきずられながら姿を現した。
 そして守衛が男をひざまずかせると、臣下は口を開いた。

「この者の真偽のほどを陛下の目で見定めて頂きたいのです」

 これに王は尋ねた。

「なんだこいつは」

 臣下は頭を垂れたまま答えた。

「『和の国』の密偵、『忍者』と呼ばれる者の一味ではないかと、疑いがかけられております」

 この言葉に、王は興味を持ったのか、

「ほう……どれどれ」

 と、身を乗り出した。

「……」

 対し、ひざまずかされている男は、静かに目を閉じた。
 男は何も話さないつもりであった。
 そのために男は目を閉じ、そして心を閉じた。
 黒い視界の中で、意識を奥底に沈める。
「一族」に伝わる、「読心術」からの防御術だ。
 男はこの防御術に自信を持っていた。だから男は今まで生き残ってこられた。
 完全に意識を沈めれば、感情の気配も読まれなくなる。
 はずであったが、

「?!」

 瞬間、男の背は「びくり」と跳ね上がった。

(……なんだ? これは!?)

 引きずりこまれるような、引きずり出されるような感覚。
 同時に、男はありえないものを見た。いや、感じた。

手

 手だ。
 数え切れないほどの手が、暗闇の中から伸び、自分を掴んでいる。
 体に走る悪寒をふりほどくように、抵抗する。
 しかしどうにもならない。数が多すぎる。そもそもこれはなんなのだ。

(……っ!)

 男は歯を食いしばった。
 頭の中をかき回されているような感覚が続いている。
 頭痛がする。が、それよりも嫌悪感のほうが酷い。
 早く終わってくれ――男がそう願った直後、声が耳に入った。

「黒だ。連れて行け」

 王が発したその言葉に、男は「はっ」と目を開いた。
 守衛が後ろから自分に手を伸ばそうとしているのを感じる。
 どこかに連れて行くつもりだ。
 つまり、もう終わったのだ。この尋問は王が発した今の一言だけで終わってしまったのだ。
 そしてこの後、連れて行かれた後、どうなる?
 確実に拷問される。いや、もっと恐ろしいことが待っているかもしれない。それも死ぬまで。

(ならば!)

 男は守衛の手を叩き払い、王に向かって駆け出した。
 手の形は貫手。
 男はその光る槍を、助走の勢いを乗せて突き出した。
 はずだったのだが、

「!」

 守衛に腕を掴まれた感覚に、男は「はっ」と目を見開いた。

「……な」

 何が起きた? そう言おうとしたのだが、あまりの事に声が出ない。
 自分は王の言葉を聞いた時に目を開けたはずだ。
 そして攻撃を仕掛けたはずだ。
 なのに、一歩も動いていない。自分はひざまずいたまま全く動いていない!
 何が起きたか、いや、何をされたのかすら分からず混乱する男。
 その心を、王が代弁した。

「何が起きたか、何をされたか、知りたいか?」

 その声に男が顔を上げると、笑みを浮かべる王の顔が目に入った。
 王はその笑みを崩さずに言葉を続けた。

「私はお前に夢を見せたのだよ」

 夢? あれが、あんな生々しいものが夢だと?
 男が抱いた疑問に、王は、

「そうだ」

 と答え、言葉を続けた。

「お前に夢を見せるために私は直前の記憶を使った。近い記憶は探しやすいのでな。気付かなかったか? お前が攻撃を仕掛けた時、私は微動だにしなかっただろう? それは防御しようとする私をお前が想像しなかったからだ。恥じることは無い。こんな状況では、自分に都合のいいことだけを考えてしまうのが普通だ」

 王は顔から笑みを消した後、再び口を開いた。

「しかし体を動かす感覚まで近くにあったのには驚いたぞ。お前は相当に鍛錬を積んでおるのだな。体を動かすのに必要な情報や、その時の感覚が取り出しやすい位置に整理されておったわ。そのおかげで夢に現実感を持たせることが出来た」

 そう言われてもやはり信じられない、そんな顔をする男に対して王は小さなため息をつき、口を開いた。

「だが、これらは全てお前が目を閉じてくれたから出来たのだよ。目から入り続ける視覚情報をごまかすのは難しいからな。しかもお前は意識を自ら落としてくれた。心を読まれまいと思ってそうしたのだろうが、その手は私には逆効果よ。夢の中でお前は私に色々と話してくれたぞ」

 私が色々と話した? 何のことだ? そう聞きたげな男に、王は答えた。

「……まあ、それは覚えていないだろうがな。十分ほど眠っていたことにすら気付いておるまい?」
「……」

 あまりのことに男が言葉を失うと、

「そうだ。その顔が見たかったのだ」

 王は「にんまり」と、嫌らしい笑みを浮かべながら語った。

「すまんな。これは私の悪い癖なのだ。どうしても、自分の力を自慢するのが楽しくてたまらぬ。お前のその顔が見たくてたまらぬのだ。説明されても理解出来ない、その諦めと驚きが混じった顔が大好きなのだ。自分の強さを実感出来るからな」

 王はそう語った後、笑みを消し、

「……話は終わりだ。連れて行け」

 別れの言葉を述べた。
 守衛が男を立ち上がらせ、引きずるように入り口の方に連行していく。
 小さくなっていくその背を見ながら、王はぽつりと言葉を漏らした。

「……内部からのかく乱は我が国の専売特許かと思っていたのだが、どうやらその考えを改めねばならないようだ」

 その内容に、目の前でひざまずいている臣下達の気が惹かれたのを感じ取った王は、言葉を続けた。

「あれはよく出来ておるよ。間違いなく洗脳は通じん。人格と記憶が強く結びついておるゆえ、どちらかをいじれば両方壊れる。そうなるように訓練されているのだろう。だから私は、奴自身に夢の中で喋らせる、という手を取った」

 十分という短い時間でそこまで、その凄まじさに若い臣下の一人が思わず声を上げた。

「さすがは『魔王』様。その力、敬服至極に存じます」

 若い臣下は「皇帝」では無く、『魔王』と呼んだ。
 この場では「皇帝」と呼ぶのが正しい。
 が、王はこれを改めさせるつもりは無かった。
 理由は二つある。一つは、そっちの呼び名の方が好きだからだ。自分の力の強さをより実感出来る。
 もう一つはこの国の歴史と御伽話(おとぎばなし)が関係している。
 王はその御伽話が好きであった。

「……ふふ」

 そして気を良くした魔王は、優越感に笑みを浮かべた。
 が、直後、

「!」

 一転、魔王の目つきは鋭いものに変わった。
 魔王はすぐさま玉座を立ち、窓へ歩み寄った。
 窓の向こうから、はるか遠いところで何かが起きたのを感じ取ったからだ。
 その何かは熱く力強い。おそらく海の向こう、我々が内部から攻撃を仕掛けている国から発せられている。
 その正体を察した魔王はゆっくりと口を開いた。

「……もう一つ、考えを改めねばならないようだ」

   ◆◆◆

『魔王』と呼ばれる者が武神の号令の発動を察知するよりも一瞬早く、

「!」

 ある女が鋭く席から立ち上がった。
 椅子が倒れるほどの勢い。

「あ……いかがなされました?」

 女に報告を行っていた部下は、突然のことに間抜けな口を開いた。

「……」

 しかし女は部下の方に見向きもしない。
 ここはある宿屋の一室。

シャロンイメージ

 妖美な雰囲気を纏う女は、食い入るように窓の外を見ている。
 その視線の先にあるのはサイラスとアランがいる戦場。
 そう、この女はサイラスが捜しているあの女だ。
 その女の目が今、まっすぐにサイラス達の方に向けられている。
 女はまばたきすら忘れ、思考にふけっていた。

(……これは、『神楽』? いや、少し違う? 『楽器』が使われている気配は無い。人間が発する波しか感じない)

 女は現象を引き起こした者の気配を探ろうとしたが、それは出来なかった。あまりに多くの人間の脳波が混ざり合っているし、ここからでは遠すぎた。

(これほど大きな共振の連鎖を起こせる人間がこの国にいたとは思わなかったわ)

 直後、ある男の顔が女の脳裏に浮かんだ。
 一人、心当たりがあった。

(……いや、可能性のある人間が一人、アランがいる。収容所に連行されたという報告が正しいとすれば、方角が一致している)

 女は考えた。これからどうするかを。どうなるかを。

「……」

 考えがまとまると同時に、女の口は動いた。

「……装備を持ってきてちょうだい」

 これに部下は再び間抜けな口を開いた。

「装備、ですか? 直ちにお持ちいたします……ですが、なぜ?」

 この質問に女は少しあきれた。部下がこの強烈な波をまったく感知出来ていないことが明らかになったからだ。

(……あなたは本当に鈍いのね。まあ、だからこそあなたを使っているのだけれど)

 女はそう思ったが、別の言葉を口に出した。

「戦闘になるからよ。この国で最後の仕事になるかもしれないわね」

 女はアランの暗殺を依頼されるであろうことを予測していながら、それを「戦闘になる」と表現した。
 女にはこれからやらされるであろう仕事を秘密裏に済ませるつもりは一切無かった。望む未来を引き寄せるにはそれが最善手だと、彼女は信じていた。

   ◆◆◆

 アランとクラウスが起こした「武神の号令」に気付いた者は他にもいた。

「なんだ……?」

 胸が熱くなる感覚に、ディーノは手を止めた。

「これは……アラン? それと、クラウスのおっさん?」

 あの女ですら探知出来なかった発動者の正体を、ディーノは一瞬で見抜いた。
 数多く混じっている脳波の中から、アランの意識を探り当てたわけでは無い。連鎖し、蜘蛛の巣のように繋がった意識の線を辿ったりなどは一切していない。
 単純に、ディーノはこの感覚が誰のものなのかを知っていたからだ。
 今、戦場で兵士達を鼓舞しているのはアランとクラウスだ。兵士達はアランとクラウスがかつて抱いた感動や戦意、そして闘志などの感覚を共有している。
 ディーノはその感覚を知っていた。アランとクラウスが戦場で抱いていた戦意を、闘志をディーノは肌で感じ、覚えていた。
 そしてディーノはアランとクラウスが何をやったのかをすぐに理解し、素直に受け入れた。

「すげえなあ……アラン」

 素直な心から素直な賞賛の言葉が生まれる。

「お前はどこまで行くつもりなんだよ……」

 しかし間も無く、違う感情がディーノの心を塗りつぶした。

「……置いてきぼりにはさせねえぞ」

 その感情に突き動かされるまま、ディーノは槍斧の素振りを再開した。
 ディーノが抱いている感情、それは対抗心。アランのライバルは自分だけである、そうであってほしい、そうでない今の状況が許せない、そんな思いがディーノの心に火をつけていた。

   ◆◆◆

 一方、

「……」

 カイルの体は浮遊感に包まれていた。
 しかし視界は無い。上も下も真っ暗だ。

「なんだこれは? 私はどうなったのだ?」

 その答えに内心気付きいていながらも、カイルは疑問を口に出した。
 すると間も無く、予想していた答えが頭上に現れた。
 そのまばゆさに目を細める。
 目が慣れた頃、その中にカイルは美しい景色を見た。

バージルが覗き見た世界

 頭上に空間の裂け目のようなものが出来ている。
 自分の体はそこに吸い込まれているようだ。
 吸い込まれた後、どうなってしまうのか。
 帰れなくなるような気がする。
 それは少し怖い。のだが、

(どうでもいいか……もう、疲れた)

 今のカイルにはどうでもよかった。
 何をしていたのか、何をするべきなのか、何をしたかったのかも思い出せないが、とにかくカイルは疲れていた。
 それは指一本動かすのすら面倒になるほどの倦怠感であったが、

「……ん?」

 ふと、カイルは下を向いた。
 下で何かが起きている。
 真っ暗だった下界から光が生まれている。
 それは薄赤く、まるで炎のよう。
 その小さな灯火(ともしび)に、カイルの目は釘付けになった。
 そして間も無く、カイルの口は自然と開いた。

「……思い出した」

 自分が何をしていたのかを。炎を使う女魔法使いと戦い、そして敗れたことを。
 あのあとどうなったのか?
 下界にあるあの光は、炎は、兵士達が放つ熱気だ。なぜだかそれが分かる。
 不思議だ。なぜそのように熱くなれる。なぜ、あの怪物を前にして怖気づかない?
 知りたい。見たい。そして感じたい。今、戦場で何が起きているのかを。
 カイルがそう思った直後、

「!」

 突如、カイルの体から浮遊感が消えた。
 落ちる、そう思うよりも早く、カイルの視界は炎に、薄赤い光に包まれた。

   ◆◆◆

「げほっ!」

 目覚めると同時に、カイルは吐血した。

「ごほっ! ごほっ!」

 口から赤い泡を出しながら激しく咳き込む。
 痛い。苦しい。
 だが咳き込んだおかげで、血を吐いたおかげで気道を確保出来た。これで窒息死は回避出来た。
 しかし体を動かせない。
 死に瀕している自分の体。
 にもかかわらず、カイルは意識を自分では無く別のところに向けた。

(……何が起きている?)

 唯一動かせる目を使い、戦場を見回す。
 地面には地獄が広がっている。
 原型をとどめていない人間の部品がそこら中に散らばり、赤い川が出来ている。
 しかし、それがどうでもよくなるほどの光景が、赤い絨毯の上で繰り広げられている。
 兵士達があの怪物に立ち向かっている。
 恐ろしく統率が取れた動き。
 爆発魔法に数百の光弾を同時にぶつけて相殺するという、信じられない防御。
 なぜそんなことが出来る。
 その疑問が浮かんだと同時に、答えも見えていた。
 兵士達の間に線が繋がっている。
 自分にもだ。
 この線を通じて、兵士達は、自分は新たな世界を見ている。
 なんということだ。人間はこんなことが出来るのか。
 もっと知りたい。もっと感じたい。

「がはっ!」

 しかしこのままだと死ぬ。失血死してしまう。
 嫌だ。こんなすごい世界を見た後で、知ってしまった後で死にたくない。

(誰か――)

 助けてくれ、そう願いを込めた線を、カイルは近くにいる兵士に向かって伸ばした。

   ◆◆◆

「押し込めっ!」

 誰かがそう叫び、声も無く皆が応える。
 兵士達の足が一斉に前に出る。
 兵士達の列が前に進むたび、リーザが後退する。
 状況は完全に一転していた。
 リーザの攻撃は全く届かなくなったのに対し、兵士達の反撃をリーザは捌ききれていない。
 追い詰めるのは時間の問題だ。
 にもかかわらず、

「……」

 アランの顔は明るくなかった。
 何かをうかがうような、探るような表情。
 クラウスも同じである。
 クラウスはアランの顔が浮かない理由を感じ取っていた。
 リーザが攻撃をためらっているからだ。
 特に、アランに対しては攻撃意識すら向けられない。
 何が彼女をそうさせるのか。
 アランはそれを知りたがっていた。
 しかしなかなか探りきれない。自分の脳波が外に出ないように自身で相殺している。
 無意識のうちにそうしているのだろうが、隠しきれてはいない。相殺し切れなかった微弱な波が漏れている。
 だから距離を詰めれば明らかになる。ここからでも罪の意識を感じているのが分かる。そしてその理由次第ではこの戦いを止めることになるだろう。
 アランはそう考えていたのだが、

「「!」」

 直後、アランとクラウスは同時に真後ろに振り返った。
 この場に異物が混じったのを感じ取ったからだ。
 しかもその異物の存在感たるやまさに怪物。
 その怪物とは、アランとクラウスの目に映ったのはラルフであった。
 彼の登場に、兵士達は攻撃の手を止めた。
 しかしラルフは同じ軍に所属する味方。兵士達が手を止める理由は無い。
 だが、兵士達は不穏な気配を、その原因を感じ取っていた。
 ラルフがアランに対して敵意を放っているのだ。
 ラルフは感じ取ったのだ。この後、アランがリリィを連れて帰るつもりであることを。
 アランもまたその敵意と、その感情の強さを感じ取っていた。

(なんという執着心だ。しかもリリィの意思は無視されている。リリィが誰を選ぶか、誰を好いているかなど関係ないというのか。なんという身勝手な……この女狂いめ)

 そしてアランはこの「武神の号令」が失敗であることに気付いた。
 条件付けが足りなかったのだ。判別手段は敵味方だけで、この場で敵と認識されているのは、共感の連鎖から除外されているのはリーザだけだ。
 だからラルフにまで、自分にとって厄介なこの怪物にまで力を与えてしまった。
 接続は切れない。兵士達とラルフは既に強く結びついてしまっている。

「「!」」

 直後、それを見たアランとクラウスは反射的にラルフに向かって構えた。
 ラルフが攻撃態勢を、あの「光る嵐」の構えを取ったのだ。
 彼の攻撃意識はリーザに向けられているが、当然、その線上にはアランが含まれている。
 そして間も無く、アランとクラウスに従っていた兵士達が左右に引いた。
 ラルフが「そこをどけ」と心で命令したからだ。
 兵士達はこの意思に従った。そも、本来この場において異物であるのはアランとクラウスの方だ。捕虜なのだから。その彼らがこの場を仕切っていることが、部隊を操作していることがそもそもおかしい。
 なんとかならないか。せめて、兵士達からまで攻撃される事態だけは避けたい、そう考えたクラウスはその何かを探した。
 するとあるものが目に入った。
 それはケビン。
 ケビンは周りの兵士達を抑えていた。この場は様子見に徹しろと、適当な理由をつけて言い聞かせていた。
 クラウスはそんなケビンに感謝の念を送った後、ラルフの方に向き直った。
 直後、

「クラウス!」

 アランが叫んだ。
 言葉を待つまでも無く、主君の意を感じ取ったクラウスは即座に答えた。

「御意!」

 そして二人は同時に動いた。
 ラルフから距離を取るように地を蹴る。

「!」

 リーザは迫る二人に対して警戒の色を示したが、それは一瞬のことであった。

(……何?)

 リーザの体に経験したことの無い感覚が走る。
 すると間も無く、線が見えた。
 自分とアラン、そしてクラウスが三角の形に繋がっている。
 そして二人が目の前に立った瞬間、アランの声が聞こえた。来るぞ、と。
 アランは口を開いていない。しかし、心に響いた。
 何が起きてる? そう戸惑う間も無く、リーザはさらに驚かされた。
「台本」が開いたのだ。
 未来予測が、ラルフがいつ仕掛けてくるのか、どんな攻撃なのか、兵士達は動くか、などの情報が一斉にリーザの意識へ流れ込んできた。
 膨大な情報量。しかし混乱はしない。理解しやすいように整理されている。
 そして、リーザの体は自然と動いた。
 それは爆発魔法の構え。
 リーザの動きに合わせるように、前左右にいるアランとクラウスも構えを整える。
 アランは刀を持つ左腕を胸元に、クラウスは右腕を引き絞る。
 二人の動きが合わせ鏡のように重なる。真横から見れば二人の像が寸分違わず重なるほどに。
 そして二人の像が静止した瞬間、リーザとラルフが動いた。
 リーザの手から赤い閃光が、ラルフの手から光る嵐が放たれ、ぶつかり合う。
 赤い槍は次々と光る荒波を引き裂いていったが、

「っ!」

 瞬間、リーザの顔は歪んだ。
 歯軋りの音がリーザの頭に響くよりも早く、赤い槍は掻き消え、光る嵐の中に飲み込まれた。
 これで明らかになった。貫通力ではこちらの方が遥かに上。しかし物量で大きく劣る。
 さらに射程でもかなりの開きがある。こちらはここからでは届かない。これは防御行動であったのだが、単発では相殺し切れなかった。
 リーザを飲み込もうと光る波が迫る。
 しかしリーザの顔に恐怖の色は無い。
 なぜなら、前左右にいる二人が恐怖していないからだ。
 そして、光る嵐が二人の射程内に入った瞬間、

「「雄ォォっ!」」

 裂帛の気合と共に二刀二閃。
 型は双方ともに突き。
 槍のように放たれた閃光が嵐を穿つ(うがつ)。
 双方とも、即座に手首を返してそれぞれ別の型へ。
 袈裟斬りを放つアラン、水平斬りに繋げるクラウス。
 そして即座にまた別の型へ。
 二つの刀が踊るように、リーザの撃ち漏らしを切り裂いていく。
 リーザの目の前で光る線が幾重にも重なる。
 しかしぶつかりあわない。双方とも好き勝手に動いているように見えるのに、その刀は決して衝突することが無い。

「……」

 戦闘中に許されないことかもしれないが、リーザは二人の剣舞に見とれた。
 遠い昔の彼女にとって剣は取るに足らないただの棒切れだった。それがクラウスとの戦いで恐怖の対象に変わり、今では得体の知れない何かだ。
 その畏怖たる存在が目の前で芸術を描いていることに、リーザは心を奪われたのだが、

「「破ッ!」」

 二人が同時に放った声とともに、その剣舞は終わってしまった。
 リーザを包んでいたゆるいまどろみのような感覚が別のものに押し流される。
 それは緊張感。
 すぐに次が来るぞ、というアランの声が響く。
 その響きに身をゆだねるように、リーザは次弾の発射体勢に入っていた。
 ラルフとリーザ、二人の手が同時に輝く。
 ぶつかり合う、光る嵐と赤い槍。
 そして描かれる線の芸術。
 それに心奪われることなく、リーザは次の準備に入った。
 撃ち続けろ、そう響いたからだ。
 その響きに身を任せるまま、爆発魔法を放つ。
 再びぶつかり合う光る嵐と赤い槍。
 舞い上がった土砂と砂埃が場を包み込む。
 視界はほとんど無い。
 しかし攻撃は止まらない。
 ラルフはもうこちらを視認して撃っていない。
 その必要が無いからだ。ラルフもまた、アラン達と同じように相手の生存を感知しているからだ。
 場に轟音が連鎖する。
 耳が機能しなくなるほどの轟音の中で、二人の男が、刀が踊り続ける。
 砂煙のカーテンと閃光が二人の影を美しく彩っている。
 リーザはその幾度も描かれる芸術を目に焼き付けていたが、

「「!」」

 直後、リーザとクラウスの顔は驚きと焦りの色に染まった。
 アランの膝が「がくり」と崩れたのだ。
 倒れはしなかった。アランは即座に姿勢を持ち直した。
 しかしよく見ると、アランの膝は笑っている。
 忘れていた。アランは重傷者だ。こんな激しい攻防をいつまでも続けられる状態では無い。アランの心の声が力強すぎたがゆえに気付けなかった。
 限界が見えたのだ。アランの体がアランの心の指示通りに動かなくなってきている証拠が見えたのだ。

「アラン様!」

 クラウスが思わず口を開く。

「……」

 アランは「大丈夫だ」と答えられなかった。
 既に感じ取られている。嘘をついても意味が無い。
 クラウスが察した通りだ。自分の体はいつか限界を迎える。
 そんなアランの返事を感じ取ったクラウスは、

(後退するぞ!)

 心の中からリーザに向かって叫んだ。
 クラウスとリーザの足が後ずさり、それに引きずられるようにアランの脚がついていく。
 それから一呼吸分ほど遅れて、ラルフが、そして兵士達が足を前に出した。

(……っ)

 これにリーザが顔を少し曇らせた。
 あの男、ラルフにはこちらを逃がすつもりは無いようだ。兵士達は今のところラルフについていっているだけのようだが、ケビンとかいう男の抑えがいつまでも通じるとは限らない。

(……いや、これは少し違う?)

 考えながら、爆発魔法を放ちながら、リーザは自分の考えを訂正した。
 逃がすつもりは無い、という部分が弱い。これではラルフの思いを正確に表せていない。
 ラルフはアランの存在を許せないのだ。リリィの心を手に入れるには、独り占めするには、アランの存在が邪魔だ。
 しかも、「リリィは自分のことも好きであるはずだ」などと思い込んでいる。
 ラルフは都合の良いことしか考えていない。そしてそれは自己洗脳の域に達している。恋人を殺してもリリィは分かってくれる、などという普通ありえない事を考えている。

「……」

 アランとおなじようにラルフの狂気を感じ取ったリーザ。
 一瞬言葉を失ったが、その感想をリーザはぽつりと呟いた。

「……イカれてるわね」

 言いながら、リーザは視線のようなものを感じた。
 それはアランから放たれている。
 顔はこちらに向けられていない。そんな余裕は無い。前を向いて剣を振り続けている。
 アランはリーザの心の中を見たがっていた。
 アランは知りたがっていた。なぜ、自分に攻撃意識を向けなかったのかを。
 今、アランはリーザの心を深く探ろうとしていない。ゆえに、情報の流れはアランからの一方通行に近い状態だ。戦闘に関することしか読み取られていない。クラウスも同じ。アランの意思に従っている。
 アランは自分の全てをさらけ出している。だからアランとラルフ、そしてリリィの関係を知ることが出来た。
 リーザはこういう状況、精神的に不公平な関係はあまり好きでは無かった。しかし、

「……」

 それでも、リーザは心を開けなかった。
 しかし直後、アランはとんでもないことを言い出した。
 一人だけ逃げて構わない、と言うのだ。
 あの時、武神の号令を発動した直後、全力で攻撃されていたらどうなっていたか分からないから、と。理由はしらないが手加減してくれて助かったから、と。
 このアランの弁にリーザは反論した。
 それは違う。おかしい。そもそも助けられたのは私のほうだ。あなた達二人が守ってくれなかったら、教えてくれなかったら、私はラルフが放った最初の一撃で終わっていた可能性が高い。それに、私があなたを攻撃しなかった理由は――

「……っ」

 言いかけて、心を開きかけて、リーザは唇を噛んだ。
 まだ迷っている。が、覚悟が出来た。
 しかしその覚悟を伝えるには心を開かねばならないだろう、そう分かっていながらも、リーザは心を閉ざしたまま口を開いた。

「……逃げるのはあなた達のほうよ。ここは私が食い止めるわ」

 これにアランが何故と、当然の問いをする。
 ラルフの標的は自分だ。リーザを止めるためにここに来たようだが、今は違うと。
 だからリーザは逃げて構わない。兵士達も追わないだろう、と。

「……」

 アランの弁にリーザは何も答えなかったが、別の覚悟が彼女の心に生まれ、その口を開かせた。

「……それでも、逃げるのはあなた達のほうよ。なぜなら――」

 言いながら、リーザはゆっくりと心を開いた。
 罪の意識の原因を、アランを収容所に送ったのは私だと、告白する。

「……!」

 これにクラウスは眉をひそめたが、

「……」

 対照的に、アランの表情は変わらなかった。
 アランは眉ひとつ動かさぬまま、剣を振りながら尋ねた。何故、と。

「……」

 何故か。
 リーザはすぐに答えられなかった。
 思い返してみれば、自分が抱いた感情と行動について深く考えたことが無かった。
 あの時は、アランを収容所に送ることを決めた時は、とにかくねたましかった。それが怒りに、殺意に変わった。
 何がねたましかったのか。それはリックがアランに、炎の一族に帰ってきてほしいと言ったからだ。その言葉がなぜ同じ血を有する我々にかけられなかったのか、それが許せなかった。
 自分にとって炎の血は忌々しいものだ。この血のせいで苦労した覚えしかない。この血を引いていることそのものが恥なのではないかと苦悶したことすらある。同じ血を引いているのに、アランと私とではこんなにも違う。

「……」

 そこまで告白して、リーザは一度言葉を切った。

「……」

 アランは変わらず表情を変えていない。
 その顔が今のリーザには恐怖でしかなかった。
 軽蔑されているだろう、怒っているだろうと、リーザは怯えていた。
 だからリーザはアランの心から目を背けていた。アランの思いを読み取ろうとしなかった。先よりも強固な心の壁を作り直して。
 それを察したアランは、周囲を包む轟音に負けないように、大きく口を開いた。

「相当苦労したみたいだな! ならしょうがない!」

 そのあまりにもあっさりとした答えに、リーザは思わず「え?」と返しそうになった。
 納得いかなそうなリーザの顔に、アランが答える。

「きみは、クラウスが放った技をすぐに破っただろう!?」

 確かに破ったが、それがなんだというのだ。
 アランは剣を振りながら言葉を続けた。

「俺はあの技が決まった時、勝ったと思った! きみが技を軽く破って見せた時は軽く絶望したよ! でも俺が抱いた絶望は、あの剣に込められたものと比べれば大したものじゃない! 俺はあの剣を直視出来なかった! 心が引きずり込まれて二度と元に戻れなくなる、そう思ったからだ!
 でもきみはそれを破った! きみはあの絶望を知っていた! だから破れた! そして思った! 何を経験すれば、どんな人生を歩めば、あんな絶望を抱くのかと! もし自分がそうなったら耐えられるか?! 俺には全然自信が無い!」

 クラウスの剣がリーザが抱いた絶望の深さをアランに教えていた。
 その奇妙な事実に、あまりに運命的な事実に、リーザの心は揺れた。
 その揺れを、リーザの心の壁にひびが走ったのを感じたアランは、結論を叫んだ。

「だから今回は許した! そんな絶望の中ではなにかおかしなことをしても、気が狂ったようなことをしてもしょうがないと思ったからだ!」

 アランの言葉がリーザの心の壁に穴を開ける。
 しかしまだ小さい。
 だからアランは言葉を続けた。

「とにかく、今は助け合ってるんだから貸し借り無しだ! これでいいか!? 罪の意識を消すために自分を犠牲にするとか、そういうのは無しだ!」

 穴は広がらない。
 これでも足りないのか。ならばと、アランは別の方角から攻めることにした。

「まだ納得出来ないのか! だったら……!」

 だったらなんだと、リーザが身構えると、アランはとんでもないことを言い出した。

「今の境遇がつらいのなら俺達のところに帰ってくればいい! 次の当主はアンナになると思うが、俺がなんとか説得してやるから!」

 言いながら、アランは自分の言葉に力が無いなと感じていた。青臭いからだ。

 青臭いものはそのほとんどが「感情」を基本にしている。
 だから弱い。「感情」だけでは組織や社会のような大きなものを、この場合だと炎の一族全体、それにぶら下がる傘下組織全てを納得させることは難しい。個人を懐柔、説得するには有効であるが。
 商売でもなんでもそうだが、戦いに身を置く者達は「感情だけで動けば時に破滅する」ということをよく知っているからだ。そして組織などの大きなもののほとんどは厳しい戦いの中で生き残るために結成されている。ゆえに、そうすることが自然である、すなわち「道理」や、共通の「利益」、従うに値する「志」、「愛郷心」や「愛国心」、そのようなものが無ければ大きなものは動かない。この場合、アランが言っていることは「敵を身内に招く」ことに近い。

 それをアラン自身よくわかっているゆえに、アランは次の言葉を考えようとしていたのだが、

「……」

 アランが放った青臭い言葉に、リーザは呆けたような顔を返した。
 ぴしりと、リーザの心の壁に亀裂が入っていた。
 亀裂だけで終わったのは、リーザもアランの言葉が弱いことを、現実を知っているからだ。
 それでも、リーザはその言葉に強く惹かれた。
 なぜだ。鼻で笑い返してもいい言葉だ。
 リーザは自分の心が惹かれる理由を探した。
 それはすぐに見つかった。
「可能性」を感じるからだ。
 この「可能性」は何が生み出している?
 それもすぐに見つかった。
 目の前にある、今まさに感じている、この神秘だ。
 この神秘の力をもってすれば、アランが言ったことを現実に出来るのではないか。そんな風に考えさせてくれるほどの力をこの神秘は持っている。

「……ふふ」

 思わず小さな笑みがこぼれた。
 馬鹿げたものに惹かれている自分を笑ったのだ。
 これをアランは自分が馬鹿にされていると捉えた。
 そしてそれを感じ取ったリーザは、口を開いた。

「……面白いわね。そして素晴らしいわ!」

 予想外の答えに、アランの顔に驚きが浮かぶ。
 その顔を楽しむかのように、リーザは笑みを強くしながら言葉を続けた。

「でもね、一つ気に入らないことがある! 『次の当主はアンナになる』というところよ!」

 喋りながら、リーザは自分の心の亀裂が大きくなっていくのを感じた。

「こんなことを、こんな神秘を起こせる人間が、そんな気弱なことでどうするの! あなたは自分のことを過小評価しすぎているわ! そんな軟弱な物腰では誰もついてこない! 私達のような呪われた血と縁を戻すなんて出来るわけがない!」

 ここで一度言葉を切る。
 後一押しで自分の心の壁は完全に崩れるからだ。
 静かに、そして深く息を吸い込む。
 肺にためたその空気を力として、リーザは心の壁に最後の一撃を入れた。

「……だから、胸を張りなさいアラン! 私のために!」

 その言葉に、アランの腕が止まった。
 しかしその時間は一瞬。戦況への影響は皆無。
 アランの腕を止めたものの正体は、心を埋め尽くしたある二つの感覚。
 一つは喜びに似た何か。
 照れ、はじらいの感覚にも似ているが明らかに違う。今の自分を隠したいとは思えなかったからだ。
 そしてはじらいの感覚に似ている理由も分かった。
 認められたからだ。自分の力を。親しくもない人間に。
 自分は落ちこぼれだった。炎の一族の出来損ないだった。その自分が胸を張れと言われたのだ。
 その事実に心が、腕が震えた。
 しかしその感覚の名を、アランは知らなかった。
 その感覚の名は「立身」。
 世に認められたり、出世した時に味合う感覚。正しく人に認められ、高みに昇ることを許された人間だけが知りえる感覚。ゆえに恥ずべきことは無い。照れや恥じらいとは似て異なる。

「……」

 その感覚にアランは言葉を失った。
 そしてアランは目頭が熱くなるのを感じた。
 この時初めて、アランは目を失ったことを、焼かれたことを悲しんだ。
 涙を流せないからだ。アランのまぶたはくっついてしまっている。
 しかしその悲しみはすぐに別の感覚に、「立身」とは違う、自分の腕を止めたもう一つの感覚に押し流された。
 その感覚はリーザが心を開いたことによるもの。
 アランとリーザの血は共鳴していた。
 その感覚にリーザの心も震えていた。

(なんて素晴らしいの!)

 リーザの心は思わず叫んでいた。
 そしてその叫びはすぐに口から飛び出した。

「この同じ血を宿しているという確信、そして共感! なんて……」

 その叫びに共感し、アランの口が開く。
 そして二人の口から飛び出した言葉は、奇しくも同じであった。

「「なんて甘美な!」」

 その叫びに、クラウスは身震いした。
 アランとリーザが抱いた感動に引きこまれたのだ。
 剣を振る手に力がこもる。
 剣速が増し、描かれる線が細く、そして鋭くなる。
 それはアランも同じであった。
 リーザの爆発魔法の精度も冴え渡る。
 三人の心が一体となり、震える。

「「「ウオォォォーーッ!」」」

 同時に雄叫びを上げる。
 遅い来る光る嵐を叫びと共に吹き飛ばし、切り払う。
 目の前から迫る危機、それを跳ね返す手ごたえ、その全てが心地よい。
 命を賭けた、いやだからこそか、全てが至福。
 まるで夢のような時間。
 しかし現実は残酷だ。
 この夢のような時間は永遠には続かない。
 そして、その時はついに訪れた。

「!?」

 瞬間、アランの顔に驚きが浮かんだ。
 視界がぐらりと傾いたのだ。
 またか、そう思いながら足に力を込める。

「!」

 直後、驚きが焦りに一変。
 足に力が入らないのだ。
 アランの体が浮遊感に包まれる。

(くそ、これは、)

 倒れるな、そう覚悟を決めた瞬間、

「?!」

 がしりと、誰かに腕を掴まれた。
 浮遊感が消えると同時に、力強く引っ張られる感覚が右腕から肩へ走る。
 アランを支えた細腕の主はリーザ。
 リーザはアランを力任せに引き寄せ、その勢いのままクラウスに放り投げた。
 ふらつくアランの体をクラウスが受け止める。
 そしてリーザはアランを手放しながら、かばうようにクラウスの前に出た。
 その手には既に爆発魔法がある。
 一つでは無い。両手にそれぞれ一つずつ。
 その二つの爆発魔法を、リーザは前に出ると同時に放った。
 光る嵐に二本の赤い槍が突き刺さる。
 二本の赤い直線と光る曲線は、轟音と共にぶつかり合い、光の粒子と火の粉を散らせながら静かに消えた。
 まるでこうする事があらかじめ決まっていたかのような流れ。
 事実、その通りであった。
 リーザとクラウスはいつか訪れるこの時に備えていた。狂気のような感動の中でも二人の理性は至って冷静であった。

「リーザ!」

 無駄と分かっていながらも、今の自分ではどうにもならないことを分かっていながらも、アランはリーザに向かって叫んだ。
 リーザはこの場に残るつもりであった。その覚悟は揺ぎ無いほどに固まっていることをアランは感じ取っていた。
 リーザは振り向かず、背中越しに答えた。

「……十分は食い止めるわ。その間に逃げて」

 これにクラウスは頷きを返しながら、弱った主君の体を引っ張り始めた。
 アランの足がずるずると引きずられる。
 抵抗するどころか、クラウスに支えられていなければ立っていることも難しい状態。

「リーザ!」

 それでも、だからこそと言うべきか、アランは再び叫んだ。
 リーザの言葉に死への覚悟が混じっていることを感じ取ったからだ。
 この叫びに、リーザは淡々と答え始めた。

「少しは信用してほしいわね。それに、」

 それに? アランがそう続きをうながすまでもなく、リーザは言葉を続けた。

「……あなたに死なれたら、私の望みは永遠に叶わなくなるのよ」
「……」

 もっともな答えに、アランは何も言えなくなった。
 黙るアランに対し、リーザが再び口を開く。

「だから十分は食い止める。食い止めて見せるわ」

 その言葉には熱がこもっていた。
 そしてリーザはその熱を発散させるかのように、大きく口を開いた。

「この身に流れる炎の血にかけて!」

 その力強い言葉にアランは、

「……リーザ」

 名を呼び返すことくらいしか出来なかった。
 言いながらアランは足から力を抜いた。
 踏ん張り、抵抗することを止めたことで、クラウスに引きずられる速度が増す。
 リーザとの距離が開き、背中が遠くなっていく。
 リーザとの心の距離が開いていく。
 それはつまり、少しずつであるが、アランとクラウスの神秘による加護が薄れていくということ。
 だから、アランは意識を集中させた。
 十分間はリーザへの支援を続けなければならないと思ったからだ。
 いや、十分である必要は無い。少しでも長くこの神秘を維持しなければならない。
 その思いを背中で受け止めながら、リーザは対峙するラルフを睨み付けた。
 対するラルフは涼しい顔をしている。
 余裕の表情だ。リーザ一人なら脅威では無いと考えている顔だ。ラルフは速く動けるアランの方を強く警戒していた。
 理由はそれだけでは無い。カルロを倒したという自信からもきている。今の爆発魔法を考慮してなお、リーザはカルロより楽な相手であると考えている。
 その考え方は決して間違いでは無い。リーザはカルロよりも射程と範囲、さらに物量の面で大きく劣る。どれだけ威力があろうと届かなければ、近づかれなければ問題無い。

「……っ」

 その事実を自身分かっていたが、リーザは歯軋りした。
 なめられているという事実に強い怒りを抱いたのだ。
 カルロと比べてどうだという部分では無い。それはどうでもいい。
 リーザの怒りの根源は少し違うところにあった。
 その思いはリーザの口を自然とひらかせた。

「この私を……」

 なめるな、と言いかけてリーザは言葉を切った。
 これは違う。自分の気持ちを正確に表せていない、と思ったからだ。
 だからリーザは言いなおした。

「……この私を、炎の一族をなめるなぁっ! この糞餓鬼ィッ!」

 奇しくも、その言葉はかつてクリスがリックに向かって放ったものと同じであった。

 リーザ、彼女の心はこの時まさしく炎であった。

   ◆◆◆

「はあ、はあ、はあ」

 激しく上下するリーザの胸元と肩。

「はあ、はっ、ぜっ」

 痛むわき腹。荒れる呼吸。

「げほっ、はっ、はあ」

 全てを酷使してラルフの攻撃を捌く。
 自分の心音がやけに大きく聞こえる。
 時間の間隔が薄い。あれから何分経った?
 わからない。でもアランの神秘を、アランとまだ心が繋がっているのを感じる。
 それはつまり、まだアランは遠くまで逃げていないということ。

(ならば、まだ粘らなければならない!)

 覚悟を固めなおすリーザ。
 しかし直後、

「っ!」

 リーザの顔は歪んだ。
 借り物の「台本」に目をそらしたい予測が記されたからだ。
 それはすぐに現実のものとなった。
 焦りに見開かれたリーザの瞳が映したものは、光る嵐ではなく光弾の雨。
 遂にこの時が来てしまったのだ。ケビンの抑えが効かなくなってしまったのだ。
 視界を埋め尽くすほどの弾幕。
「台本」に従って回避行動を取る。
 しかし避けきれない。
 直撃に至る直前に防御魔法を展開する。
 防御魔法の維持は一瞬だけ。当たる瞬間を正確に予測出来るからこそ出来る芸当。
 しかしそれでも、単位時間当たりの爆発魔法の手数は減る。攻撃の回転速度が下がってしまう。
 そこへ容赦無く襲い掛かる光る嵐。

「!? きゃぁぁあっ!」

 嵐の通過と同時に鳴り響くリーザの悲鳴。
 一撃は爆発魔法を叩き込めていたためか、幸いにも被害は軽微。体の数箇所を浅く裂かれただけだ。
 そして、リーザの顔に浮かんでいる色は、痛みによる苦悶よりも驚きの色が強かった。
 なぜならば、体が思うように動かなかったからだ。
 この光る嵐は相殺出来るはずだった。
 なぜ? という言葉が浮かぶよりも早く、リーザは自身の体の異常に気がついた。
 それは初めての感覚であった。
 体が重いというのは違う。鈍い、と言えば近くなるがそれも少し違う。体の反応が遅れている、という表現がかなり近い。
 何かがズレている。脳と体が同期していない。思考と動作の間に致命的な遅れが生じている。
 そしてそのズレは徐々に大きくなってきている。
 リーザの心が恐怖に染まる。
 このまま動けなくなるのでは、と思ったからでは無い。
 さらなる異常がリーザの体を包んだからだ。
 それは快楽。
 経験したことのない、圧倒的快楽。

(なに、これ――)

 リーザの問いは暗転する視界と共に消えた。

   ◆◆◆

 気付けば、リーザは闇の中に立っていた。

「で、またこれなのね」

 しかしリーザはもう驚かなかった。

「それで、今度は一体なんなの?」

 そしてリーザは目の前にいる男、既に亡き自分の父に尋ねた。
 尋ねながら、リーザは目の前にいるものの正体を察した。
 たぶん、これは自分自身だ。本能だ。アランの力のおかげでわかった。
 そして尋ねている私が理性だ。
 対峙する本能は、悲しげな顔をしている。
 その理由を、リーザはもう一度尋ねた。

「どうしたの? 私はもうあきらめるつもりはないわよ。だからこんなことしている場合じゃない、早く戻らないと」

 自分に質問するなんて不思議ね、などと思いながら、リーザは本能の考えを探った。
 しかし分からない。本能は活動に魔力をほとんど使っていないからだ。ゆえに感知も難しい。アランの力を借りている今ですら「たぶん」と推察出来る程度だ。
 光や電気の波も強く拾えるクラウスの力を借りていれば分かったのだろうが、彼は今アランのことで精一杯のようだ。だから目の前にいる本人に聞くしかない。

「……」

 そして本能はやはり口を閉ざしたままであったが、声無き声をリーザは感じ取った。
 本能は、すまない、私の力不足のせいだ、と言いながらうつむいた。
 そのはっきりしない答えに、リーザは少しイラつきながら再び尋ねた。

「だから、一体どうしたのかと聞いているの」

 本能は静かに答えた。
 限界がきてしまったと。
 思い返して欲しい。この戦いでいろんなことがあった。ありすぎた。
 生死のはざまで、君は新たな世界を知った。
 素晴らしかった。しかし、それはタダで得られるものでは無かった。
 大量の脳内麻薬の分泌、神秘の維持に伴う計算負荷の増加、それは安い代償では無かった。
 限界とは筋肉や神経のほうじゃない。脳が限界をむかえつつあるのだ。もうすぐまともに考えられなくなる。動けなくなる。既に難しい計算は困難になっている。動きの微調整を担当している小脳は機能不全寸前だ。

「……」

 その驚愕の内容にリーザは言葉を失ったが、すぐにある疑問に気付き、口を開いた。

「脳内麻薬を分泌しすぎた? じゃあ、今感じているこの快楽はなんなの? なんのためにこんなことを?」

 尋ねながら、リーザの顔は「はっ」となった。聞かずとも、答えに気付いたのだ。
 これは優しい死だ。
 これから受けるであろう苦痛を消すためのものだ。
 本能なりに気遣ったのであろうが、リーザはそれでも尋ねた。

「……私の許可無く、勝手にあきらめたというの?」

 本能は首を縦に振らなかったが、リーザは肯定の意思のようなものを感じ取った。
 その声無き答えに、リーザは怒りを抱くよりも早く叫んだ。

「ふざけないで! そんなこと許さないわ!」

 本能を責めながら実のところリーザ自身、本当にどうしようもないのではないかと思っていた。
 それでもリーザは口を開いた。あきらめたくない、ただその一心だけで。

「……何か、何か手は無いの?」

 これに、本能が迷いのような、ためらいのような感情を抱いたのをリーザは見逃さなかった。

「あるのね?! 教えて!」

 すがるリーザに、本能は渋々といった感じで答えた。
 しかしそれは具体的な手段の内容では無く、本能がためらう理由であった。
 本能いわく、この手を使うと私達は「一度死ぬ」ことになる、と。
 さらに、完全に元に戻れる保障は無く、最悪人間性を失う可能性がある、と。
 その内容に、リーザは当然のように尋ねた。

「……どういうこと?」

 本能は答えた。
 それはリーザにとって衝撃的な内容であった。
 私達はあるものから創られた「写し」であるということ。
 元々は一つであったが、理性と本能という形で分けられたと。
 君が、理性が前線に立って采配を振るう将軍のような存在で、私は、本能は影の参謀のような存在であること。
 そうした理由は、その方が生きる上で有利だと、私達を作ったものが考えたからだと。

「……」

 その内容にリーザは言葉を失ったが、理解は早かった。
 つまり、私達を作り出した存在が、権力を分割して割り当てたものが、理性と本能の上位にあたる存在がいるということ。
 そしてリーザはその疑問を当然のように尋ねた。

「それは……何? 私達を作り生み出したものは、一体なにものなの?」

 この質問に、本能は初めて口を開いて答えた。

「……言葉で表すならば、『魂』と呼ぶのが一番近いだろう」

 その声は、やはり父のものと同じであった。
 そして、リーザは『魂』というものがどういうものなのか想像すら出来なかったため、別の質問をぶつけた。

「……私達が『一度死ぬ』ことになるのは、何故なの?」

 これに本能は父の声で答えた。

「『魂』がこの体を自由に動かすためさ。そのために私達は一度消されることになる。同じ権利を有するものが複数存在すると、操縦される体が混乱してしまうからな」

 死ぬ理由が手段の説明にもなっていた。
 リーザは間を置かずに次の質問をぶつけた。

「『人間性を失う可能性がある』というのはどういうことなの?」
「……」

 リーザの質問に本能は即答しなかった。
 本能はどう言えば理解してもらえるか考えているようであった。

「……」

 だからリーザは黙って待った。
 しばらくして、本能はゆっくりと口を開いた。

「私達は『魂の写し』だが、完全に同じというわけではない」

 何が違うのか、本能はそれを語り始めた。

「『魂』はとても小さなものの集合体だ。目に見えるような大きさではない。もっともっと、小さなものだ」

 後に、人類はその小さなものを解明し、原子、素粒子などと名付けることになる。

「小さなものの集合体である『魂』は、肉の体には無い独自の感覚器官と処理能力を有している。ゆえに、『魂』は脳に頼らずとも体を動かせる」

 情報収集、処理能力を有する素粒子のような小さなものの集まり、それが『魂』の正体であると本能は答えたのだが、リーザにはやはり理解出来なかった。
 本能はリーザの不理解を察したが、話を次に進めることにした。魂の正体を完全に理解する必要は無いからだ。

「問題はそこにある。私達と感覚器官が違うという部分だ」

 それの何が問題なのか、尋ねずとも本能は答えた。

「それは私が今まで君とこうして話し合う機会を作らなかった理由と似ている。私は今まで、君がこの世界で生き残れるように、生きやすいように、感情と欲望を操作してきた。眠るべき時に睡眠欲を与え、食べるべき時に食欲を与え、戦うべき時に闘志を与えてきた」

 なんだ、それでは私は感情や欲望の操り人形だったのかと、リーザは意地悪なことを言おうと思ったが、この場はやめておくことにした。本能がそういう立場を取った理由が分かったからだ。
 そして本能はリーザが思ったとおりのことを述べ始めた。

「しかしそれを知ってしまうことで、君にとっての『感情や欲望の価値』が下がってしまう、または失われてしまうことを私は恐れていた。同じようなことで、『魂』の存在を知ってしまうことで、君が感じている生への欲求がその意味を失ってしまう可能性があることを私は恐れている」

 生の意味が失われる、そんなこと本当にあるのかしらと、本能とは対照的にリーザは楽観的であったが、その時ふとわいた疑問を、リーザは尋ねた。

「……んん? でも、私達は『一度死ぬ』んでしょ? だったら関係無いんじゃない?」

 これに本能は小さく首を振って答えた。

「記憶はほとんど共有しているんだ。普段は脳のある部分に情報を格納をしているが、『魂』も似たような機能を持っている。『魂』だけが有する特別な記憶もあるが、それは少ない」

 記憶が共有されている。つまり死んだ時のことも覚えている? それは死んだことにならないんじゃ?
 リーザは本能が言う「死」というものが理解出来なかった。
 それを察した本能は言葉を付け加えた。

「上手く事が終われば、この窮地を脱すれば私達は再び作り直されるだろう。つまり生き返る。しかしそれは同じ記憶を有しているだけの違う私達だ。もしかしたら、性格も何もかも違う別のものに変えられるかもしれない」

 本能が言っていることは読者が知るクローン問題と同じことである。が、今のリーザにはやはり理解出来なかった。
 ゆえにリーザは楽観的であり、

「……よく分からないけど、そうなのね」

 曖昧な答えしか返せなかった。
 そしてそのリーザの答えに本能はやや不満足そうな顔をしながら、口を開いた。

「問題はまだある。『魂』が直接体を動かすという行為は、決して効率のいいものでは無いのだ。君が操縦する時と比べると、運動能力は半分以下にまで落ちるだろう。小さなもので大きなものを動かすのは難しいんだ。だから私達が作られた。この肉の体を上手く動かすためにな」

 先と比べるとかなり簡潔な内容だったゆえに、これにはリーザも理解を示した。
 その様子に本能は表情を戻しながら言葉を続けた。

「勝ち目は薄い。勝っても、生き残っても、私達はここで一度終わる。そういうわけだが……どうする?」

 これにリーザは薄い笑顔で答えた。

「それしかないなら、そうするしかないでしょう。ためらいなんて無いわ。まったくね」

 気持ちのいいその答えに、本能も笑みを浮かべながら口を開いた。

「……私の相棒が君で良かった」

 これに、リーザは笑みを強くしながら口を開いた。

「なにそれ? 自分にそんな告白されても嬉しくないし、何も出ないわよ」

 口ではそう言いながらも、リーザはまんざらでもなさそうだった。
 対する本能は、それもそうだなと、笑みを消した。
 そして、本能は最後の確認に入った。

「よし、じゃあ……始めるか?」

   ◆◆◆

 直後、ラルフは空を見上げた。

「見られている……?」

 視線のようなものを感じたのだ。
 兵士達も同じように上を見上げている。

(何もない上空から? ありえない!)

 理性で否定しても、神秘は上だと言っている。
 ラルフはリーザの方に視線を戻した。
 何が起きているのかを調べるためだ。
 すると、すぐにある異常に気付いた。
 リーザの脳がほとんど活動していないのだ。
 しかし、リーザはゆっくりと構えを整えた。

「……?」

 その緩慢な動作に、ラルフは奇妙な感覚を抱いた。
 リーザの構え方がぎこちなく見える。
 なぜだか、リーザが弱くなったように感じる。
 しかしラルフは攻撃を躊躇してしまった。

(……なんなんだ?! これは!)

 警戒心から、ラルフはその手を止めてしまった。
 そしてそれは兵士達も同じであった。

   ◆◆◆

 同時刻――

「……」

 ある宿屋の一室にて、ラルフ達と同じように手を止めた者がいた。
 それはやはりあの女。
 しかし女の顔に驚きの色は薄い。
 女は戦場で起きていることの正体を見抜いていた。いや、知っていた。

(これは……)

 女はそれが自分が使う隠密術と同じものであることをすぐに理解し、同時にそれがおかしいことにも気がついた。

(……発動者は変わらず交戦状態にある。なのに理性と本能の活動を止めた? これでは大して動けないはず。そんなことをしたのは、そうしなければならなかったから?)

 女はすぐに事の全てを紐解いた。
 そして女は止めていた手を動かしながら呟いた。

「……また仕事が増えるかもしれないわね」

 その声色は少しうんざりした様子であった。

 リーザが開いた新しい世界は、女にとっては既知のものであった。
 そして恐ろしい事に、この新たな神秘を既に技術として体系化している者達がいた。

   ◆◆◆

 遠く離れた白い大陸にて、その神秘について話している者がいた。

「おい、聞いたか? 『狼の一族』の新しい当主が決まったってよ」

 語り部は二人の男。
 男達は酒場で飲み交わしながら話をしていた。

「喜ばしいことだな。 ……しかし、どうしてあの御方なんだ? 他にもっとふさわしい人がいたと思うが」

 これに顔を赤くした男は答えた。

「……これは聞いた話なんだがな、どうやら『あの噂』、本当だったみたいだぞ」

 そんなにもったいつけなくてもいい話だろうと、素面の男は思いながら『噂』の内容を確認した。

「『あの噂』っていうのは……『天国への階段を登った』っていうやつか?」

 これに赤い男は大きく鋭い頷きを返した。しかも三度も。
 そして男はその顔をさらに赤くしながら大きく口を開いた。

「おお神よ! この素晴らしき出来事に感謝します!」

 まるで自分のことのように嬉しそうであった。
 対照的に、もう一人の男は素面のまま口を開いた。

「……俺にはどうも信じられないな」

 この言葉に、赤い男はその目を見開きながら声を上げた。

「なぜ?! こんな素晴らしいことを、どうして素直に祝福出来ない?!」

 これに素面の男は、それぐらい言わなくても分かるだろう、といいたげな顔で答えた。

「『理性と本能の力をもって魂を呼び起こせ。三位一体となった時、天国への門は開かれん』、だっけか? それが俺にはどうにも理解出来なくてな」

 その弁に赤い男は大げさに肩をすくめながら口を開いた。

「……そういやあ、お前は感知能力に関してはさっぱりだったな。それじゃあ、信じられないのもしょうがないかもな」
「……」

 素面の男は何も言わなかったが、代わりに不機嫌そうな顔を返し、手にある酒をあおった。

 この大陸では理性と本能と魂の関係は一般人ですら知るところであった。
 ゆえにこの大陸では、いや、この世界において「三」という数字は特別な意味を持っていた。

   ◆◆◆

「……勝った、のか?」

 肩で息をしながら、ラルフはそう呟いた。
 眼前には、地に伏せたまま動かなくなったリーザの姿がある。

「……ふう」

 息を整えながら、汗をぬぐう。
 激しい戦いでは無かった。振り返ってみれば苦戦と呼べるものでは無い。疲れの大部分は緊張から来たものだ。
 そして落ち着きを取り戻したラルフは、

「さて……」

 最後の一手の動作に入った。
 が、直後、

「そこまでだ」

 静止の声と共に、ラルフは肩を掴まれた。

「!」

 それはよく知っている声であったが、緊張が抜けきってなかったラルフは肩をびくりと震わせた。
 もう一つの理由は感知が機能しなかったこと。
 いつの間にか自分は孤立していた。自分はもう誰とも繋がっていない。神秘が機能していない。
 所詮、借り物の能力だったのだ。訓練しなければ自力だけで維持出来るものでは無い。
 そして孤立してしまった原因はすぐに予想がついた。
 少し前に切断されたのだ。肩を掴んでいるこの男が、兵士達に心でそう命じたのだ。
 根拠は無い。が、いま自分の肩を掴んでいる男の能力はそれを容易くやってのけそうなほどに強力だ。多分、アランより強い。
 そこまでおぼろげに考えた後、ラルフはゆっくりとその男の名を声に出した。

「……どうして止めるのです? サイラス殿」

 振り返ると、そこには自信に満ち溢れたような顔をしているサイラスの姿があった。
 サイラスは先ほどまで脱走したアランを探していた。が、ある者に呼び寄せられてここに辿り着いた。
 それは、呼んだ者はケビン。
 彼ならば、サイラスならばこの戦いを止められると思ったからだ。
 そしてサイラスはラルフの質問に答えた。

「彼女が炎の一族だからだ。我々の敵は教会のみ。炎の一族とまで事を構える必要は無い。そのためには彼女をいかしておいたほうがいい」

 さらに付け加えるならば、彼女の敵意が薄いことをサイラスは感じ取っていた。
 サイラスはリーザを戦力として残すことをあきらめてはいなかった。今の状況はその好機であると、サイラスは考えていた。
 しかしサイラスはその事を、外界の脅威のことをラルフに伝えようとはしなかった。心を繋ごうとはしなかった。
 ヨハンを殺した犯人が自分であると悟られては困るからだ。
 だからサイラスは早々に場を締めた。

「戦いは終わった。無事な者は負傷者を運べ。撤収するぞ」

   ◆◆◆

 その夜――
 サイラスは自室で思索にふけっていた。

「……人間にこんな能力が備わっているとはな」

 話し相手もいないのに、サイラスは呟いていた。
 その内容はやはり神秘のことであった。

「しかしこれはまいったな……こんな技術が存在するのであれば、戦術を一から考え直さなくてはならない」

 うんざりした口調であったが、その顔は対照的に嬉しそうであった。
 サイラスは気付いていた。自身の神秘がかなり強力であることに。
 思い返してみれば、自分はこの神秘を無自覚で使っていたような気がする。
 昔から相手の考えが読めていた。だから裏をかけた。上手く世の中を渡れた。大した魔法能力を持たない自分が将軍の座につけた。
 それらは全てこの神秘のおかげだったのだ。

「……しかしこの能力、まだうかつには使えんな」

 サイラスは自身の能力が現状抱えている問題にも気付いていた。
 まず第一に、無差別に使えば敵にまで力を与えてしまうこと。アランがラルフにそうしてしまったように。
 第二に、自身の居場所が同じ感知能力持ちにばれてしまうこと。隠密行動にはまったく向いていない能力だ。
 第三に、発動中は自身の考えが他人にもれやすいこと。隠し事にも向いていない。
 第二の問題は多分どうにもならない。しかし、第一と第三の問題はなんとかしなくてはならない。この二つの問題は致命的な事態を招くおそれがある。工夫が必要だ。

「訓練でどうにかなるだろうか……なんにしても、やってみるしかないな」

 明確な目標と直近の予定が決まったサイラスは、部屋の明かりを消した。

   ◆◆◆

 一方その頃――

「……」

 アンナは眠れないでいた。
 傷が痛むからでは無い。野営用の寝具の心地が悪いせいでも無い。
 なぜだか、アンナは焦っていた。
 何かしなければならない、何かを始めなければならない――そんな脅迫観念のようなものがアンナの心を支配していた。

「……っ」

 アンナはその心に突き動かされるまま、痛む体を引きずって兵舎の外へ出た。

   ◆◆◆

 そしてアンナは当てもなく外を歩いた。
 当ては無い、そのはずであったが、足は自然と動いた。
 そして野営地から少し離れたある場所で、アンナはそれを遠くに見つけた。

「……」

 一目でアンナは心を奪われた。
 アンナの瞳に映り込んだのは素振りをするディーノの姿。
 それはアンナが知っているディーノの動きでは無かった。
 リックの魂が乗り移ったかのような動き。
 いや、吸収したと表現したほうが正しい。
 あの速さに重さと豪快さを付け加えたような動きだ。
 荒っぽい動きであるが闇雲に振り回しているわけでは無い、自然とそれが分かるゆえに、いつまでも見ていたい、そんな芸術性をディーノの動きは備えていた。
 自然とアンナの足が前に出る。
 もっと近くで見たいと思ったからだ。
 しかしその芸術は間も無く終わってしまった。
 観客の接近にディーノが気付いたからだ。
 そしてディーノはその小さな客に向かって口を開いた。

「どうした? 散歩かい、お嬢様?」
「……」

 ディーノの挨拶にアンナは答えなかったが、

「……ディーノ様、……どうして、そんなに速く動けるのですか? その動きはどうやっているのですか?」

 尋ねてから、アンナは自分の言動があまりに急で不躾であると気付いた。
 が、ディーノはそれを気にせず、

「いいぜ、教えてやるよ」

 と、軽く答えた。
 これにアンナは意外そうな顔をしたが、ディーノはアンナにならタダで教えてもいいと本気で思っていた。
 アンナもこれを使えるようになれば、それほど頼もしいことはないと考えたからだ。
 しかしアンナが意外そうな顔を返したため、代わりに何か適当な質問をディーノはすることにした。

「代わりに、俺も一つ教えてほしいことがある。答えてくれるか?」

 これにアンナは力強い頷きを返したのだが――

 ――

 問われたアンナは思わず自分の手を見つめた。
 少し呆けたような表情で。
 なぜ今まで疑問に思わなかったのか、それは、ディーノが尋ねたことは、それに気付けなかった自身が愚かに思えるほどの事実であった。
 そして、アンナのその様子から察したディーノは口を開いた。

「……嬢ちゃんにも分からないのか。まあいいさ、俺のこの速さについてはちゃんと教えてやるよ」

 これに、アンナは素直に目を輝かせながら礼を言った。

 ディーノがアンナにした質問、それはかつてリックが抱いた「魔法使いと無能力者の差」の答えに通ずるものだ。
 あの時、リックは「魔力を外に出せるか出せないか」が答えだと考えた。
 残念ながらそれは間違いである。少し遠い。
 この世界には一つ、当たり前のように行われているおかしなことがある。読者の皆様もうんざりするほど見てきたものだ。
 そして、無能力者達の体がそうなっているのは、彼らの遺伝子が、魂が、これこそ最強へ通ずる道であると信じているからだ。

   ◆◆◆

 そして夜はさらに深まり、生活の気配が完全に消えた頃――

「……」

 白き大陸にて、一人の男が野を歩いていた。
 寒き土地であるが四季が無いわけではない。九月の中ほどであるこの時期は、遅い夏が終わりを迎え始める頃である。
 夏と言っても他の国からすれば秋と呼べる涼しさであるが、標高の低いところに雪は無く、色鮮やかな植物が競うように顔を見せていた。

「……」

 男はその草の絨毯の感触を確かめるように歩いていた。
 暗くてよく見えないが、線は細い。
 身長がなまじ高いためか、その細さが病的に際立って見える。

「……」

 そして、細身の男は突然その足を止めた。
 周りには気を引くようなものは何も無い。
 しかし確かな気配を感じ取っていた男は口を開いた。

「……ここまで来ればいいだろう。それとも、もっと人里から離れないと駄目か?」

 人間味の薄い、抑揚の無い声。
 その声の気味悪さに当てられたのか、追跡者達はゆっくりと姿を現した。
 細身の男を取り囲んだ影の数は十。
 全員武技に精通した手練(てだれ)である。
 なぜ分かるか。知っているからだ。この場にいる全員が同門の士であることを細身の男は見ずに理解していた。
 そして細身の男は、主犯であろう影に向かって口を開いた。

「……私が当主に選ばれたことがそんなに不愉快か?」
「……」

 影は答えなかったが、答えずとも男は理解した。
 そして影は攻撃を躊躇していた。
 男が抱いている感情が理解出来なかったからだ。
 男は喜んでいた。暗くて見えないが、その顔には間違いなく笑みが張り付いていた。
 そして、細身の男はその声無き質問に答えた。

「そうだ。嬉しいよ。貴様が感じ取った通り、私はこの状況を喜んでいる」

 だからそれがなぜかが分からないのだ、影は心でそう呟いたが、

「……」

 細身の男はその質問には答えなかった。
 影は答えを見つけるべく、その心を探ったが、何も分からなかった。
 それが躊躇するもう一つの理由。
 何故だか、心が上手く読み取れないのだ。
 細身の男はその質問には答えた。

「私は理性にあまり頼らないように心がけているんだ。考えていることを読まれたくないからな。どうでもいいことや、単純な感情表現、そして体を動かす時には使うがね」

 細身の男の舌はよく回っていた。
 普段はこんなに口を開かない男だ。
 その舌はさらに回り、影に対しての質問をつむいだ。

「貴様は今まで自分よりも強い者達を、こうやって蹴落としてきたんだろう?」
「……」

 答えは無言であったが、心の答えまでは隠すことは出来なかった。
 舌はさらに質問を重ねた。

「一つ教えてくれ。こういうことするのに心が痛んだり、悩んだり、躊躇したりしたことは無いのか?」
「……」

 再びの無言。
 しかしやはりその沈黙に意味は無かった。
 そしてその心の答えに、舌の様子が変わった。
 舌は再び質問をつむいだが、その口調は重く、ある意味で人間味のあるものだった。

「なぜだ。なぜ迷いも無くこんなことを繰り返せる。本能がそうさせるのか? 貴様の理性に良心は無いのか? それとも……」

 聞かずとも答えを察した男は、質問をやめた。
 しかしその舌の回転は止まらなかった。

「魂が理性と本能を生むが、これらは互いに影響を与え合っている。理性と本能が魂に変化をもたらすことだってある」

 男はその舌に怒気をにじませながら、回し続けた。

「それすら、自浄作用すら起きないほどに、貴様の魂は腐りきっているのか」

 回るほどにその怒気は強くなっていったが、男はここで怒気を静めた。
 そして男は元の人間味の無い色で、舌を回した。

「……ならばその歪んだ魂、私がここで天に帰らせてやろう」

 その言葉が開始の合図となった。
 男を取り囲んでいた影たちが一斉に動き始める。
 その動きの基本は円。
 しかし個々の速さはばらばら。そして半数は逆回転。
 そして時に円以外の形、三角や四角などの直線軌道も混ぜられる。
 個人個人が好き勝手に動いているように見える。が、ぶつかりあうなどということは一切無い。
 無秩序のようで統制の取れた、矛盾を体現した動き。心が繋がっていなければ出来ない。しかもその速さは人外の域。
 そしてその凄まじい動きの中心にある男は、

「……」

 一切表情を変えていなかった。
 男はその人間味の薄い表情のまま呟いた。

「……『狼牙の陣』、か。芸が無いな」

 退屈の色が強く表れた声。
 この動きは集団戦闘を主とする『狼の一族』の基本技であった。
 しかし、だからとはいえ、命を狙われているこの状況で、退屈を声に出すのは明らかに異常。
 そしてその異常さが影達の攻撃心に火をつけた。
 男はその攻撃意識が「全員から同時に」発せられたのを感じ取った。
 しかし飛び出したのは「一人」。
 その手の形は、手の平を相手に見せるように開いた開手。
 手首の近くにある肉厚で硬い部分を叩きつける掌打(しょうだ)の型に似ているが、明らかに違うところがあった。
 五本の指先が、爪が激しく発光しているのだ。
 飛び出した影は手の平を叩き付けようなどと考えていはいない。
 魔力を集中させた五指で、相手の肉をもぎとるつもりなのだ。
 その身の毛もよだつ思惑を秘めた一撃は人外の速度で放たれたが、

「……」

 男は無表情のまま、いとも簡単そうにその一撃を光る手甲で叩き払って見せた。
 しかしおぞましき時間は、攻撃は終わらない。
 次々に別の影が円から飛び出し、襲い掛かる。
 空中に、男の周りに幾重もの光る五線が描かれる。
 その攻撃の苛烈さは光の線で男の姿が見えなくなるほどの、男が光る繭(まゆ)にくるまれたかのように見えるほどであった。
 が、しかし当たらない。白い繭に赤色が滲まない。全て受け流される。回避される。
 なぜ当たらぬと、影の誰かが戸惑う。
 避け続けられるはずがないと、影の誰かが戸惑う。
 理性で攻撃意識だけを発し、本能で体を制御する。ゆえに攻撃を予測することは困難。
 そしてこの手数。目でどうにかなるものでもない。
 ゆえに基本であり必殺の技であった。
 しかしそれは彼らの常識においてである。
 ただの感知能力者に対しては確かに必殺だろう。
 だがこの男は違う。彼は天国への階段を登った者なのだ。
 ただ登っただけでは無い。新たな世界を知った後も、彼は研鑽を積み重ねた。
 実は、彼が最初に天に至ったのは幼少時である。
 しかし彼はそれを隠し続けた。
 こういうことをする輩がいることを知っていた、感じ取っていたからだ。
 そして幼い自分がこの暴力に対抗出来ないことも知っていた。
 だから彼は待った。
 鍛錬という繰り返しの中で、自分の力が十分な域に高まるのを待った。
 そして時は来た。
 男は我こそ一族の長であると名乗りを上げ、この腐った連中に挑戦状を叩き付けたのだ。

「……」

 しかしその熱い思いに反して、今の彼は冷めていた。
 そして男はそれを正直に口に出した。

「……拍子抜けだ」

 これに影の何人かが動揺したのを男は感じ取った。
 何が拍子抜けなのか。
 それは攻撃の激しさだ。
 男はもっと強烈なものを想像していた。
 文献には、達人達の使う「狼牙の陣」はまるで光る嵐のようであると書いてあった。
 男はそれに備えて鍛錬を重ねてきた。
 だから拍子抜けなのだ。
 これは光る嵐にはほど遠い。
 貴様らは魂だけでなく技まで腑抜けている。
 男はそれを教えてやろうと思った。
 そう思った次の瞬間、男は反撃に出た。

「ぐがっ!」

 襲い掛かった影の顔面に男の手が叩き込まれる。
 しかしそれは光る五指を用いた一撃では無い。
 ただ単純に叩き払っただけだ。
 なぜそうしたのか。確実に殺せる機会を逃したのか。
 全員に見てもらいたいからだ。
 男は影を叩き払いながら、するりと、いとも簡単に包囲の輪から脱した。
 そして男はすぐに輪の方に振り返り、構えた。
 輝く五指を右脇の下に置いた構え。
 そこへ、右手首を掴むように左手を添える。
 そして男は左手を発光させると同時に踏み込んだ。
 その踏み込み速度はやはり人外の域。
 感知も困難。通常の感知では動き始める直前に「来る」ということがわかるだけ。
 しかし影達は腐っても手練。全員この踏み込みに対して身構えた。
 回避しようとする者、防御しようとする者、どちらの行動も取れるように構える者、その形は様々であったが、男はそのいずれも見てはいなかった。
 男は円の中心を見ていた。
 そして男はその場所に向かって地を蹴った。

「何!」

 直後、男は消えたように見えたが、影達はすぐに男が上に跳躍したことを感じ取った。我々を飛び越えるつもりなのだと察した。
 しかしなぜそんなことをするのかが分からなかった。
 なぜわざわざまた包囲網の中に入る?
 その答えはすぐに明らかになった。
 男は包囲網の中心に、落下の勢いを乗せた右手を叩き付けた。

「!?」

 直後、男から光があふれた。
 それは濁流のようであった。
 影達の何人かは見えていた。
 男が右手よりも一瞬早く、左手を先に出したこと。その左手から防御魔法のようなものを展開したことを。
 そして影達を率いる、事の首謀者の目はその先まで捉えていた。
 男が右腕を捻りながら突き出し、その輝く五指で防御魔法を引き裂いたことを。
 その通り、これはラルフが使うものと同じ原理の技だ。文献にあった光る嵐という言葉から、男はこの技を編み出すに至った。
 しかし恐ろしいのは、嵐の中心に身を置きながら自身が傷つかないように制御されていることだ。
 そしてこの圧倒的暴力に対し、影達にはどうすることも出来なかった。悲鳴を上げることしか出来なかった。
 しかしその悲鳴すら濁流にかき消された。
 そして後には静寂と残酷な光景だけが残った。
 男はその静寂の中でぽつりと呟いた。

「冥土のみやげだ。あの世で語るといい。この技の名は……」

 男はそこで言葉を切った。
 ある大陸に、この光る嵐を飛び道具として使う者がいることを思い出したからだ。
 男は個性を際立たせるためにこの技に「狼牙」という名をつけた。「狼牙の陣」と同じ破壊力を一人で放つ、ゆえに陣の字を取り去ってそう名づけた。
 しかし男はその名に興味を失ってしまっていた。男は個性というものこだわりを持っていた。唯一無二のものにだけ名付けたい、男はそう思っていた。
 それにこの技はまだ未完。自分の理想には届いていない。
 だから男は訂正した。

「……いや、今言ったことは忘れろ。この技に語り継ぐ価値は無い」

 男は誰に対してでもなくそう呟き、その場から立ち去った。
 家へ足を進ませる男の姿を月が照らす。

影の剣士イメージ3

 その姿はかつてアランが想像した影の剣士に似ていた。剣は持っていないが同じ雰囲気を纏っていた。

   ◆◆◆

 次の日――

 早朝、あの女は仕事への準備をしていた。
 部屋は既にほとんど片付けられており、最小限の生活用品以外の荷物は綺麗にまとめられている。
 女は荷物の中身の再確認を行っていた。
 その中に一つ、とても目立つものがある。
 細長い白い包みだ。
 ある皮袋の確認を終えた女の手がそれに伸びた。
 女が慣れた手つきで白い布を取り去ると、中から現れたのは細身の剣。
 女は迷い無く、その剣を鞘から引き抜いた。
 その刀身は鞘よりもさらに細く、握りと鍔の部分が無ければただの太い針と呼べるような形状をしていた。
 一般には全く普及していないが、刺突剣という見た目どおりの名がついている。
 これが彼女の仕事道具。精神攻撃に特化した剣だ。
 女は剣に祈るように、刀身を眼前に置いた。
 そして間も無くその刀身は発光を始めた。

「……」

 意識を集中させ、剣に通う魔力の流れを感じ取る。
 どうやら調子は悪くないようだ。
 それを再確認した女は、別のものを刀身に流し込んだ。
 すると間も無く、刀身は別の輝きを放ち始めた。
 薄青く、そして時に黄みがかった光を放つ。
 変化は目だけでなく耳にまで及んだ。
 ぱちぱちと、何かが弾けたような音がその刀身から発せられるようになった。

「……」

 そこで、女は懐から銅貨を一枚取り出した。
 女はコイントスの要領でその銅貨を飛ばした。
 軌道は真上では無く前。
 ゆるやかな放物線を描いて飛んだその銅貨に向かって女は、

「疾ッ!」

 気合とともに剣を突き出した。
 直後、銅貨は軽い衝撃音と共に吹き飛んだ。
 明らかに剣が届かない距離。
 銅貨を打ったのは鋼の刀身では無い。
 銅貨を襲ったのは薄青く黄みがかった閃光。刀身から放たれた紫電。

「まあ、問題は無い、かな」

 自身の調子が良いことを声に出して確認した女は、剣を白い布で包みなおした。

   ◆◆◆

 同時刻――

 ある街で一人の酔っ払いが歩いていた。
 夜通し飲み続けたせいか、その足はふらついている。
 そして意味も無く上機嫌だ。
 思考も定まっているか怪しいその男は、ふとある場所で足を止めた。
 気付けば、前方に女がいる。壁に背を預けて立っている。
 外套を深くかぶっているせいで顔は見えないが、線の細さと外套の上からでも分かる色気から、酔っ払いはそう思い込んだ。
 そしてこの時ようやく、酔っ払いは自分が裏通りにいることに気付いた。この方向は帰り道では無い。
 しかし今の酔っ払いにはどうでもよかった。
 酔っ払いはあれは商売女であると勝手に思い込んでいた。こんな時間にこんな裏通りに、あんなに外套を深くかぶって立ってるんだからきっとそうだと。
 だから酔っ払いはいくらなのか尋ねようと近づいた。
 そして目の前まで迫った瞬間、

「おっと」

 酔っ払いはお約束のように足を滑らせた。
 体をささえようと反射的に手を伸ばす。
 その時、左手は壁を掴んだが、右手は意味も無く女の外套を掴んでしまった。
 左腕一本だけでは自重を支えきれず、酔っ払いの視点が大きく傾く。
 その傾きに応じて、女の外套は酔っ払いの右手によってはぎとられた。

「……あ?」

 そしてそれを見た酔っ払いは素っ頓狂な声を上げてしまった。
 予想外だったからだ。
 女という部分はあたっていた。しかも上玉だ。
 しかしその格好は明らかに商売女のそれでは無かった。
 胸元に鎖帷子(くさりかたびら)のようなものが見える。
 ということはこの女は兵士なのか?
 それにしては何か、雰囲気が違う。
 それに珍しい顔だ。どこの国のものかわからない。奴隷にもこんな顔をしたやつはいなかった。

「……?」

 酔っ払いが変な顔でみつめていると、女が口を開いた。

「……放セ」

 威圧的なその声色に、酔っ払いは慌てて女から離れ、来た道を戻り始めた。
 足を進ませながら酔っ払いは確信した。やはりこいつは異国の者だったと。
 妙ななまりがあった。なまりというより、この国の言葉に慣れていない感じだった。

「……ったく、なんだってんだ」

 そして男は愚痴をこぼした。
 自分が悪いのは分かっているが、あんなに高圧的に言わなくても、などと自分勝手な言い訳を頭の中で並べていた。
 だから気付かなかった。
 女と同じくらい異質な男をすれ違ったことを。
 体格の良い筋肉質なその男は女の客であった。女はこの男を待っていた。
 だから女のほうから男に声をかけた。

「……遅い」

 流暢な異国の言葉で。
 そして男は同じ言葉で答えた。

「お前が早すぎるんだ」

 少し遅刻したにもかかわらず軽い口調。
 これに女は表情を変えることは無かったが、直後発せられた言葉には怒気が含まれていた。

「……その格好は何?」

 女の言うとおり、男の格好は普通では無かった。
 それは二人の祖国の、「和の国」の「着物」と呼ばれる衣装であった。
 ゆったりとした雰囲気を放っており、広い袖がその印象を強くしている。
 豪勢なものではない、礼装でもない、袴(はかま)と呼ばれる衣服を着用しない、着流しと呼ばれる庶民的なくだけた格好である。
 だから男は明らかに異質であった。
 しかし男は先と同じく軽い調子で答えた。

「何って? いつもどおりだが?」

 茶化されてることは分かっていたが、女は真面目な質問を続けた。

「他人の目から自分を隠す気は無いの?」
「……」

 男は少し沈黙した後、答えた。

「……顔がまったく違う異国で活動するならば、下手に隠すよりも、観光客や商売人として振舞ったほうがいいと思ってな。それに、俺から言わせてもらえばお前のほうが怪しい。それではまるで商売女みたいだぞ」

 その言葉からは軽い調子が消えていた。

「……」

 女は何も答えなかったが、しばらくして本来の用事について口を開いた。

「……私のことはどうでもいいでしょう。それより、あなたが注文していた品、手に入ったわよ」

 これに男は「やっとか。待ちかねたぞ」とうんざりしたような口調で答えたが、その顔は少しほころんでいた。
 そして女は外套の下からその品を覗かせた。
 それは刀であった。
 が、握りの部分、柄(つか)と呼ばれる部位の下部に、特徴的な紋様が掘り込まれていた。

三つ葉葵

 その紋様は、円の中に葵の葉を三つ描いた「三つ葉葵」。
 これは彼の愛刀であった。わざわざ祖国から取り寄せたのだ。
 男は素早くその刀に手を伸ばしたが、

「今は駄目。あなた、これをどうやって持ち帰るつもり? まさか腰に差して、なんて考えてるんじゃないでしょうね?」

 そう言いながら、女は男の手が届くよりも速く、刀を外套の下に戻した。
 これに、男は「確かに、その通りだな」と納得しながらも、残念そうな顔を返した。

 天国への階段を登る技術を体系化しているのは白い帝国だけでは無い。
「三」という数字は「和の国」にとっても特別なものであった。

 そして、戦地におもむく準備を整えている「あの女」にも予想出来ていないことがあった。
 次の戦いが想像以上の激戦になることだ。

   第四十話 稲光る舞台 に続く
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