シヴァリー 第二十九話

   ◆◆◆

  奴隷の意地

   ◆◆◆

 そして二人は同時に動いた。
 アンナが馬に活を入れ、リックが地を蹴る。
 僅かに遅れて兵士達が前進を開始。
 そして、先頭の部隊の動きに合わせて、後方の部隊も前進を開始した。
 アンナとリックの部隊の足並みは違っていた。アンナの部隊は全て騎兵で統一されているが、リックの部隊は全て歩兵。アンナは多くの騎兵を引き連れ一丸となっていたが、リックは一人突出する形になっていた。
 双方の距離が一気に縮まる。そして先に攻撃を開始したのはアンナの方であった。
 アンナは燃える白刃を振り上げ、右に進路を切った。
 後続の騎兵達がアンナの動きに追従する。騎馬隊の列は光弾をばら撒きながら弧を描いた。
 アンナの放った炎の鞭が、騎兵達が放った光弾が次々とリックに襲い掛かる。
 これらをリックは全て軽くかわした。動作としては鋭く横に飛んだだけだ。アンナ達が放った攻撃の中にはリックの回避先を狙って放たれた偏差射撃も含まれていたが、リックの動きの方が遥かに速かった。
 後ろ目にそれを見ていたアンナは、その目に驚愕の色を浮かべた。

(速い! 話には聞いていましたがこれほどとは!)
 
 そして驚いていたのはアンナだけでは無かった。後方からそれを見ていたクリスの目にも驚愕の色が浮かんでいた。

(以前よりも速くなっている!)

 いや、それでもアンナが敗れるとは思えない。速くなったとはいえ、あの程度ならば――
 クリスは自分を納得させるために心の中でアンナの勝利を思い描いたが、それでも沸いた不安を拭い去ることは出来なかった。
 ゆえに、次にクリスの心に浮かんできた言葉は「援護」であり、その口は自然と動いていた。

「部隊を左右に展開しろ! リックの部隊を挟み込め!」

 号令が戦場にこだまする。クリスの意を察したクラウスとディーノは即座に行動を開始した。
 伸びるように部隊が左右に移動を開始する。クラウスの部隊は左へ、ディーノの部隊は右へ展開した。
 両部隊は広く、そして長く展開した。不用意に接近しては騎馬隊の、アンナ達の機動力を殺してしまうからだ。
 そして、クリス達のこの動きに対し、敵も同じような行動を取った。展開するクラウスとディーノの部隊を迎え撃つように、左右に部隊を移動させたのだ。
 クラウスとディーノが敵兵と交戦状態に入る。それとほぼ同時に、アンナの戦況にも変化が起きた。
 その時アンナは騎馬隊を反転させ、再びリックへ攻撃を仕掛けようとしていた。
 だが、リックの姿はどこにも見当たらなかった。
 直後、騎兵が落馬したような音がアンナの耳に入る。
 今のは? 音がした方向へアンナが振り返ると、そこには驚きの光景があった。
 リックはそこにいた。リックは騎馬隊の最後尾に張り付いていた。
 まさに驚きしか無いと言える光景。ただの人間が馬と並走しているのだ。
 リックは走りながらも騎馬隊の攻撃を器用にかわし、光弾による反撃を行っていた。
 一騎、また一騎と騎兵が倒されていく。

(……!)

 アンナの中に焦りが募り始める。
 攻撃を――そう思ったが、出来なかった。
 ここからでは手を出せない。斜線上には味方の騎兵がいる。

(味方を盾にされている!)

 リックは騎馬隊の列の長さを上手く利用していた。
 そうこうしているうちに、騎馬隊の列の真ん中にリックの光弾が叩き込まれる。
 中央の騎兵が倒され、後続の騎兵達が次々とそれに巻き込まれる。
 場に轟音が鳴り響き、土煙が上がる。このままではまずい、そう思ったアンナはすかさず声を上げた。

「散開して!」

 アンナの言葉は手信号で伝えられ、それを見た後方の騎兵達はあらかじめ決められていた手順に従い行動した。
 騎馬隊は百騎ほどごとの小隊に別れ、それぞれが違う方向に移動を開始した。
 本来はかく乱や陽動に使われるものであるが、対象を囲んでいる状況であれば、四方八方から光弾を撃ち込むことが出来る非常に攻撃的な戦法であった。
 そしてリックの包囲は間も無く完了した。張り付かれていた最後尾の部隊は壊滅してしまったが、包囲完了までの時間稼ぎという役目を十分に果たしていた。

「!?」

 その時、リックはようやく自身の置かれている状況に気がついた。
 前から、左右から、そして背後から光弾がリックに襲い掛かる。
 騎馬の加速を乗せた全方位からの攻撃、凌げるか? その自信が沸いてこなかったリックは思わず地を蹴った。
 リックの体が真上に高く浮き上がる。直後、先ほどまで立っていた地面に数多くの光弾が着弾した。
 巻き上げられた土と、衝撃の余波がリックの足をかすめる。
 これにリックは肝を冷やしたが、瞬間、視界に映ったより大きな脅威にその目を見開いた。
 リックの視線の先、そこには今まさに刀を振るおうとしているアンナの姿があった。
 まずい。空中にいては回避行動が取れない。
 アンナはその宙に浮かぶ的に向かって、燃える刀を振り上げた。
 直後、三日月の形をした光る刃が、ジェイクを真っ二つにしたあの光刃がリックに向かって放たれた。
 防げない。当たれば死ぬ。光刃を見たリックはそう直感した。

(ならば――)

 リックは空中で姿勢を変えた。
 地に足が着かないので不恰好であった。が、体を横に向け、片足を後ろに引いたその様は、見たものに「武術」を意識させた。
 光刃が目の前にまで迫る。
 瞬間、リックは引いていた光る足を真横に振り抜いた。
 その速度、それは明らかに人間の限界を超えたものであった。リックの像が陽炎のように揺らぎ、一筋の光る線が走ったようにしか見えないほどの。
 リックの光る蹴りが三日月形の光刃の腹に叩きつけられる。

「!」

 光の粒子が飛び散り、一刹那遅れて轟音と衝撃波が広がる。
 魔力の差は歴然。奥義による加速を用いた蹴りであっても、光刃を破壊するには至らなかったが、その軌道を僅かに逸らすことはできた。
 さらに、リックはその反動を利用して姿勢を制御し、光刃から離れるように身を引いた。
 そして、光刃はそのままリックの真横を通り過ぎていった。
 その一連の動作はまるで――

(流された?!)

 アンナにはそう見えた。ような気がした。なぜなら、速すぎたためはっきりと見えなかったからだ。
 その一連の動作をはっきりと視認出来たのは二人。
 うちの一人、ディーノはその速さに、驚きを通り越して恐怖を抱いていた。
 対し、もう一方、クラウスは驚きでは無く既視感を抱いていた。

(あれは、どこかで――)

 蹴りの動作のことでは無い。あの人間離れした加速、以前どこかで――
 クラウスの脳裏にあるものが浮かび上がる。しかしそれがなんなのかを認識することは出来なかった。
 そして、その間にも戦況は変化していた。地に降りたリックは周囲からの猛攻を掻い潜りながら、アンナに近づいていた。
 それを見たクラウスが走り出す。
 一方、ディーノの足は止まっていた。
 あんな速い蹴りを繰り出すやつ相手に、俺が戦えるのか? 瞬殺されるだけではないのか?
 臆病風に吹かれたディーノの瞳に、走るクラウスの姿が映りこむ。
 それを見たディーノは声を上げた。

「みんな聞け! 俺たちはこれよりアンナの援護に向かう!」

 クラウスより少し遅れてディーノも走り出した。
 なにかいい考えが思いついたわけでは無い。これはただの勢いだ。数で挑めば何とかなるのではないか、なんていう甘い打算はあるが、やはり怖い。それでも、行かなければならないという思いのほうが恐怖よりも強かった。

   ◆◆◆

 そして、走り出したのは二人だけでは無かった。
 遠くから戦いの様子をおぼろげにではあるが感知していたアランは、弾かれるようにドアへ走り出していた。
 その前にマリアが立ち塞がる。

「アラン様! どこへ行くおつもりなのですか!?」

 聞かなくても分かっている。そしてアランはマリアが思っていた通りの答えを口にした。

「アンナのところだ!」

 これにマリアは何も言わなかった。微動だにせず、じっとアランの目を見つめ返しただけであった。
 それが通すつもりは無いという意思表示であることをアランはすぐに理解した。
 しかし行かなくてはならない。今アンナが戦っている相手、リックは何かがおかしい。自分が知っているリックとはまるで違う。
 だが、困ったことにそれをマリアに伝える手段が無い。自分の不思議な能力のことを説明したとしても、訝しげな視線を返されるだけであろう。そもそもそんなことをする時間も無い。
 だからアランは、

「すまない!」

 とだけ言って、マリアを押しのけた。

   ◆◆◆

 アランが城を出た頃、戦場は大乱戦となっていた。
 出遅れていたリックの兵達が、分散していたアンナの騎兵達と戦闘を開始したからだ。
 そしてそのリックを目指していたクラウスとディーノは、他の敵兵達に足止めを食らっていた。

「! おっと!」

 その時、突如目の前を通過した光弾に、ディーノは思わず身を反らした。
 速度から察するに今の弾は味方の騎兵が放ったものだろう。誤射か流れ弾か、それすらも分からないほどの乱戦であった。

(妹さんはどこだ!?)

 ディーノは目の前の敵をなぎ払いながらアンナの姿を探した。
 戦場は馬蹄の音と、怒号に包まれていた。
 ゆえに耳が全く役に立たない。この状況では号令の合図も全体には伝わらないだろう。戦況の把握は目に頼るしかない。

(いた!)

 ちらりと視界に映ったアンナの姿をディーノは見逃さなかった。
 その傍にはリックの姿もあった。相変わらずアンナの部隊に張り付いているようであった。
 だが、リックは手をだしかねているようであった。アンナとその親衛隊は手数を重視した攻撃を行い、リックの接近を阻んでいるようであった。
 馬よりも速く走る化け物相手によく粘っている。しかしそれもいつまで続くか分からない。ディーノは槍斧を握る手にさらなる力を込め、眼前の敵に向かって一閃した。

   ◆◆◆

「はあ、はあ、はあ」

 一方、そのアンナは肩で息をしながら燃える刀を構えていた。
 アンナから見て右斜め後ろにいるリックに対し、なぎ払うように刀を振るう。
 放たれたのは光刃では無く炎の鞭。
 陽炎を纏いながら飛んできたそれを、リックは横に飛んで回避した。
 しかし距離が離れない。回避のために余分な移動をしたにもかかわらずだ。
 間髪いれずにアンナの親衛隊が光弾を放つ。
 リックは走る速度を殺さずにそれらを受け、流し、そして避けた。
 そしてアンナが再び燃える鞭を放つ。
 双方は数分ほど前からこれを繰り返していた。
 アンナの攻撃が光刃ではなく、魔力の放出を抑えた炎の鞭になっているのは、連射が効くからだ。周囲にいる味方への誤射を避けるためでもある。
 そしてそれは牽制だけが目的では無かった。アンナはリックの足を狙っていた。炎の鞭でも直撃させることが出来れば、間違いなく移動不能にすることが出来るからだ。全力の攻撃を叩き込むのはその後でいい。
 悪くない考えのはずだ。だが――

(当たらない……!)

 もう何度攻撃したかわからない。しかし、掠りもしていないのだ。
 さらに、相手はあれだけ走っているのに疲れている様子すら無い。
 対し、自分はどうだ。刀を握る手は痺れ、倦怠感に包まれている。
 自分は少しずつ追い詰められているのではないか、そんな考えがアンナの心を萎縮させた。

(――っ)

 直後、アンナは歯を食いしばった。弱気な自分をねじ伏せるための行為であり、かつて平原で苦しい思いをしたときに身に着けたものであった。
 だが、疲労による注意力の低下は誤魔化す事が出来なかった。

「アンナ様! 前を!」

 親衛隊の声にアランが目を前に向けると、そこにはこちらに向かって飛んでくる数多くの光弾があった。

「全員防御!」

 アンナの指示が伝わるよりも速く騎兵達は防御魔法を展開し、光弾を受け止めた。
 直後、馬の悲鳴と重たいものが地を滑る音が響き渡った。

(何騎か倒された!?)

 被害を確認しようと、アンナが振り返る。
 そこには驚きの光景があった。
 これで何度目だろうか、驚かされたのは。だがはっきりと言える。これを超える驚きはそうそう無いと。
 仲間達はリックに倒されていた。
 普通の倒され方では無い。リックは馬から馬へ、次々と飛び移りながら攻撃を行っていた。
 飛び蹴りで乗者を倒してそのまま馬を奪い、続けて別の騎兵に飛び掛る。
 まるで曲芸。しかし速い。
 速さに応じた威力もちゃんと備わっている。アンナの部下達は防御魔法で受け止めていたが、リックの曲芸技はそれを貫いていた。
 仲間達が、親衛隊が一人、また一人と倒されていく。
 徐々にリックとアンナの距離が縮まる。
 そして、アンナはリックと目が合った。

「!」

 それは一瞬であった。が、それが何を意味しているのかを理解するには十分な時間であった。
 アンナは即座に防御魔法を展開した。
 直後、その壁にリックの足裏が叩き付けられていた。
 その衝撃に、アンナの手が痺れたかのように振動する。
 アンナにはやはりリックの蹴りは見えなかった。光が一瞬走ったように映っただけであった。
 だが、アンナの防御魔法は破られなかった。
 攻撃を仕掛けたリックの体が逆に弾き返される。
 だがリックは体勢を崩さず、空中でくるりと一回転し、綺麗な着地を決めた。

(思ったよりも硬いな。あれを抜くにはもっと速度が要る)

 リックはそんなことを考えながら「すっ」と立ち上がり――

「っ!」

 右足に走った鋭い痛みに、身を強張らせた。
 しかしそれは一瞬のことで、リックはすぐにアンナを追って地を蹴った。
 右足を前に出すたびに、痛みが走る。
 その痛みは、母から言われたある忠告を呼び起こした。

「使いすぎてはいけませんよ、リック。この奥義は人間の限界を超えた動きを可能にしますが、そんなことをして体が無事ですむはずは無いのですから」

 限界を超えた結果が、代償が右足にある。
 にもかかわらず、リックはさらに強く地を蹴った。
 そうしなくてはアンナに追いつけないのだ。
 リックの瞳の中にあるアンナの像がみるみるうちに大きくなる。
 それに応じて痛みも増していった。が、リックはそれを無視した。
 双方の間合いが詰まる。距離にして四馬身ほど。
 再び近づいてきたリックに対し、アンナ達は再び攻撃を開始した。
 複数の光弾と炎の鞭がリックに迫る。
 リックは光弾を受け流しつつ、炎の鞭を『軽く飛び越えた』。
 リックは気づいていた。アンナの狙いを。

(さきほどからずっと俺の足を狙っているな)

 リックは心の中でほくそ笑んだ。

(ならばよし。どこを狙われているのか分かっていれば、対処もしやすいというもの)

 アンナが燃える刀を再び振りかざす。
 その動きに合わせて、リックは勝負を仕掛けた。
 強く地を蹴り、急加速する。
 それを見たアンナはすかさず炎の鞭を放った。
 それとほぼ同時に、リックはさらに強く地を蹴り、アンナに向かって飛び掛った。
 アンナが放った炎の鞭は先と狙いが変わっていない。完全に外れている。
 飛び掛るリックの像が伸びるようにアンナに迫る。
 尋常では無い速度。この時、双方の間合いは一馬身半ほどあったが、「まだ」、などという言葉をつける余裕は全く存在しないほどであった。
 この時、もしアンナがまばたきをしてしまっていたら、その次の瞬間に決着はついていたであろう。
 そして、伸びるように迫っていたリックの像は、突如「ぶれた」。
 それは回転であった。奥義による、高速の回転であった。
 足が引き千切れそうな遠心力がリックの右足にかかる。
 リックは苦痛に顔を歪めながら、超高速の回転蹴りを放った。
 対し、幸いなことにアンナはこの動きに反応し、防御魔法を展開することが出来た。
 何をしようとしているのかは分かっていなかった。だがそれは問題では無い。防御魔法を展開出来たことが重要なのだ。
 その壁に、リックの足が一閃する。
 綺麗な弧を描いたリックの線は、壁に触れた瞬間、少しだけ曲がり――
 そのまま、アンナの防御魔法を引き裂いた。

「あぐっ!」

 アンナの右肩に激痛が走る。
 それがリックの踵がめりこんだことによるものだと気づいた時には、アンナの体は既に宙に、真横に吹き飛んでいた。
 左手で防御魔法を展開して落馬の衝撃を受け止め、そのまま地面の上を一転してから立ち上がる。
 そしてアンナは素早くリックの方に向き直り、刀を構えようと――

(痛っ!)

 刀を構えようとしたが、出来なかった。

(右肩が上がらない……!)

 少し動かしただけで、全身が硬直してしまいそうな痛みが走る。
 痛みに身を震わせながら刀を左手に持ち替える。
 そして、痛みに顔を歪めているのはアンナだけでは無かった。
 対峙するリックもまた同じように眉間に皺を寄せていた。

(……右足の痛みが強くなっている)

 もう立っているだけでも痛い。
 リックはゆっくりと右足を前に出し、構えた。
 後ろに引いた左足に体重をかける。右足には出来るだけ負担をかけないようにしなければならないだろう。
 リックは心の中で舌打ちした。それは右足の痛みに対してでは無く、ある二つのことについてであった。
 一つはアンナを殺せなかったこと。先の攻撃の狙いは首であった。が、防御魔法に軌道を逸らされたせいで肩に当たってしまったのだ。
 そしてもう一つは追撃しなかったこと。
 反撃を警戒するあまり、慎重になりすぎてしまった。
 あの様子ならば右腕は使えなくなっているはずだ。武器を左手に持ち替えられる前に仕掛けておくべきだった。

(……)

 リックは右足を庇いながら、「じり」とアンナに詰め寄った。
 その直後、リックの眼前にアンナの姿が見えなくなるほどの兵士の壁が出来上がった。
 それはアンナの部下達であった。リックに落馬させられたのであろう、負傷している者の姿も見えた。
 それを見て、リックは余裕の表情を浮かべた。

(愚かな。アンナを守りにきたつもりだろうが、逆に邪魔になっていることがわからないのか)

 これなら兵士を盾に出来る。アンナの攻撃は飛んでこない。

(それに――)

 リックは左足に力を込め、

(貴様らでは壁にすらならん!)

 余裕の表情を浮かべたまま、兵士達に向かって地を蹴った。
 同時に、兵士達がリックに対し光弾を放つ。
 数は多いが大した攻撃では無い。見てから余裕で避け――

(っ!)

 右足に激痛が走る。
 右足が言うことを聞いてくれない。これでは方向転換が間に合わない。
 やむを得ずリックは防御の構えを取った。
 兵士達が放った光弾を受け、流し、叩き払う。
 弾幕を突破したリックは、目の前にいた兵士に対し光る拳を突き出した。
 突進の勢いが乗ったリックの拳は兵士の防御魔法を軽く突き破り、胸に突き刺さった。
 兵士の体が吹き飛ぶ。
 リックは止まらず、続けて地を蹴った。吹き飛ぶ兵士の影に隠れながら、次の標的へ向けて移動する。
 この時点でほとんどの兵士がリックの姿を見失った。
 直後、場に鈍く重い音と悲鳴が響き渡る。
 兵士達は一斉にそちらの方へ視線を向けた。
 しかしいない。リックの姿は無い。あるのは倒れた兵士の姿だけ。
 直後、再びの悲鳴。
 そちらへ視線を向けるよりも早く、さらなる悲鳴。
 悲鳴の間隔が短くなっていく。
 よく見ると、兵士の合間を縫うように動くひとつの影があった。
 影が動くたびに悲鳴が起きる。
 それを見たある兵士は、固まるな、広がって視界を確保しろと声を上げようとした。

「!」

 しかし直後、真横に何者かの気配を感じたその兵士は、口を開けただけで声を出すことが出来なかった。
 視線を向けるよりも早く、側頭部に痛みが走る。
 そして、彼は口を開けたまま絶命した。
 だが、彼が言いたかった事は別の者によって皆に伝えられた。

「固まっていてはダメ!」

 それはアンナの声であった。
 そして、兵士達は声に弾かれるように動き出した。
 散開し、射線を確保した者から攻撃を始める。
 しかし、その光弾はまばらで、少なかった。リックを倒すにはあまりにも頼りない数。
 だからリックは表情を変えなかった。まるで作業だと言わんばかりに、光弾をいなしつつ手近な者から打ち倒していった。
 そして、悲鳴の間隔が長くなった頃、リックとアンナの間を遮る者は誰もいなくなっていた。
 両者の視線が交錯する。
 直後、リックはアンナに向かって突進した。
 刹那遅れてアンナが燃える刀を真横に一閃。
 放たれたのは胴を狙った横薙ぎの攻撃。
 その炎は太く、身を低くしてやり過ごすことは出来ない。かといって真上に飛べばそこを狙われる。奥義による加速を使えば横に飛んで避けることが可能だが、足への負担が大きい。
 だから、リックは「もうひとつ」の選択肢を選んだ。
 右腕をすっと真上に伸ばす。
 その手の形は手刀。刃に見立てるように、揃えた指を真っ直ぐに伸ばした形。
 そして、リックは炎の鞭が目の前まで迫った瞬間、

「破っ!」

 気勢と共に手刀を真下に一閃した。
 縦に一本の、真っ直ぐな光る線が走る。
 その線は炎の鞭をへし折り、そのまま地に達した。
 二つの轟音がほぼ同時に上がる。
 一つは炎の鞭を割った音。光る線と炎の衝突によって生じた衝撃波は、二つに別れた炎を吹き飛ばし、熱波となって周囲に広がった。
 そしてもう一つは手刀を地面に叩き付けた音。光る手刀は地面に亀裂を作り、その衝撃はリックの体を覆うように土煙が舞い上がるほどであった。
 リックの姿が土煙の中に隠れる。
 この煙はすぐに晴れるだろう。しかし、リックを倒せていないという確信があったアンナは、既に次の攻撃態勢に移っていた。
 刃を返し、再び横薙ぎに一閃。
 振りが逆方向であるという点以外は、先と全く同じ炎の鞭が刀から放たれる。
 その直後、リックは砂煙の中から飛び出した。
 突進では無い。リックは低く跳躍していた。
 その高さ、それは炎の鞭を越えられるかどうかという際どいものであった。
 リックは読んでいた。同じ攻撃が来ることを。
 そして、リックは両足を大きく前後に広げ、またぐように炎の鞭を飛び越えた。
 着地の衝撃を殺さず、アンナに向かって地を蹴る。
 二人の距離が縮まる。リックにとってはあと数回の踏み込みで詰められる距離。
 対し、アンナは左足を引き、体を真左に向けた半身の姿勢を取った。
 正面にある右腕はだらりと垂れ下がったままであった。刀を握る左手は隠すように脇の後ろに置かれ、その剣先は真後ろを向いていた。
 それを見たリックは減速しつつ、アンナの手の内を探った。
 刀身がアンナの体に隠れてしまって見えない。手筋を読まれないようにするためだろう。
 だが、どんな攻撃が来ても問題は無い。至近距離でも見てから対処する自信がある。
 そう考えたリックは勢いよく地を蹴った。
 その瞬間、

「!」

 リックは驚きの表情を浮かべた。
 突如、アンナはだらりと垂れ下がっていた右腕を振り上げ、炎の魔法を放ったのだ。
 刀身を隠していたのは注意をそちらに向けるため? 読み間違いの後悔が立つよりも早く、火柱のような、真上に昇る炎がリックの眼前に迫った。
 完全に虚を突かれた形であったが、それでもリックの回避行動の方が速かった。
 鋭く左に地を蹴り、火柱をやり過ごす。
 直後、リックの瞳にアンナの背中が肩越しにちらりと映り込んだ。
 アンナは体を左に向けた半身の姿勢を取っている。このままアンナの右側に回り込めば、背中を突くことが出来る。
 そう考えたリックは、アンナから見て時計周りになるように地を蹴った。
 一方、アンナはリックのこの動きを読んでいた。
 リックに背中を晒すように体の向きを変える。
 この予想外の動きに、リックは戸惑いを浮かべた。
 わざと背中を晒した? そんな馬鹿なことをするはずが無い。これは――

(回転斬り?!)

 リックの脳が正解を導き出す。同時に、アンナは後ろ手に構えていた燃える刀を裏拳の要領で一閃し、リックは地を蹴った。
 放たれた炎の鞭がアンナの眼前を焼き払う。
 しかし、そこにリックの姿は無かった。
 直後、アンナの視界が僅かに暗くなる。
 何かに日の光を遮られている。それはつまり、

(真上!?)

 これは想像していなかった。どうする?
 悩む時間は無い。アンナは直感的に行動した。
 それは防御であった。刀を握る左手を頭上に掲げながら、防御魔法を展開する。

「?!」

 瞬間、アンナの心に焦りが浮かんだ。
 展開した防御魔法が明らかに弱いのだ。握る刀のほうに魔力の一部が流れてしまっている。
 防御では駄目だ。姿勢を低くして――

「っ!」

 回避行動を取ろうとした瞬間、刀を握るアンナの左手に激痛が走った。
 真上にいたリックが、アンナの手を踏みつけるように左足を振り下ろしたのだ。
 防御魔法を貫いたリックの足裏は、刀を握るアンナの指を数本へし折り、さらにその手首まで歪に捻じ曲げた。
 そして、リックはまるでアンナの防御魔法を踏み台にしたかのように小さく跳躍し、地面に降り立った。
 そのまま距離を取った後、アンナの方に向き直り、構えを整える。
 この時、リックは安堵していた。

(ふう、今のはきわどい! 防御魔法ではなくて、真上にいる俺への迎撃だったら、かなり危なかった!)

 相打ち、悪ければ一方的に迎撃されていた可能性が十分にありえた場面であった。
 息を整えつつ、相手の、アンナの状態を確認する。
 刀を握るアンナの左手は血に染まっていた。
 その真っ赤な手に刀が握られているのを見たリックは安堵感を払拭し、警戒心を取り戻した。

(手を破壊したと思ったが……まだ剣を手放してはいないか)

 油断無く身構えるリック。
 対し、アンナは動かなかった。
 正確には、動けないでいた。
 先ほどから何度も左手を動かそうと試みている。しかし、その度に走る激痛がアンナの体を止めていた。

(指に力が入らない。手首に至っては全く動かせない。今手を放したら、再びこの手で刀を掴むことは、多分、いや間違いなく出来ない!)

 手首には青黒い腫れが出来ていた。その腫れから、針が体の中に向かって流れ込んで来るような、そんな鋭い痛みが伝わってくる。
 アンナは歯を食いしばってそれを堪えつつ、ゆっくりと構えた。
 しかし、それは誰の目から見ても弱弱しかった。
 剣先は震えている。今にも何かが決壊してしまいそうな、刀を落としてしまいそうな有様だ。
 その震えが痛みとなってアンナをさらに苦しめる。
 だがアンナの心は、闘志は萎えていなかった。

(手首は動かせない、でも、まだ戦える。肘と肩だけでも、剣は振れる!)

 アンナは苦悶の表情はそのままに、鋭くとがらせた目つきをリックにぶつけた。
 その力強い眼差しに、リックは懐かしさを覚えた。

(……アランもあんな目をしていたな)

 血は争えない。兄と同じ痛みに強い精神を、逆境を力に変える炎の一族の精神をアンナも持っているのだ。
 リックが思い出に浸ったのは僅かな時間であった。リックはすぐに意識を戦いの方に戻し、アンナに向かって踏み込んだ。
 対し、アンナはこれを横薙ぎの炎の鞭で迎え撃った。
 だが、その炎の速度は明らかに遅くなっていた。
 手首の負傷による戦闘能力の低下はアンナが思っていた以上に深刻なものであった。手首を鞭のようにしならせ、剣先を加速させることが出来なくなるからだ。
 速度が落ちれば当然威力も落ちる。アンナが放った炎の鞭はリックの光る拳にあっさりと叩き払われた。
 しかし、アンナはすぐに刃を返してもう一度炎の鞭を放った。
 この時、アンナは速度を補うための工夫を加えた。剣速を少しでも上げるために、上半身を大きく振ったのだ。
 速度が増した炎の鞭が放たれる。
 リックはこれを鋭く真横に移動することで回避した。
 その回避動作は炎の鞭が放たれるよりも早く行われていた。
 アンナが続けて炎の鞭を放つ。
 まるで刀に振り回されているような大きな動き。
ゆえに剣筋が読まれやすい。動きの起こり、初動も遅い。
 だから当たらない。リックには通じない。炎の鞭が放たれるよりも早く、攻撃範囲外に逃げられてしまっている。
 しかし、アンナは今の自分にはこれしか無いと言わんばかりに、何度も同じ攻撃を放った。
 結果は同じ。やはり当たらない。
 この時、リックの顔からは緊張が消えつつあった。
 アンナの太刀筋に慣れてきたのだ。
 リックはいつでも仕掛けられるように、距離を維持したまま回避に徹していた。
 リックは機をうかがっていた。アンナの消耗を待ちつつ、その癖を見ていた。
 そして、対するアンナは自身の攻撃が楽に避けられていることに気付いていた。
 アンナの中で緊張が高まる。
 どこかで仕掛けてくるはずだ。
 問題はそれがいつなのか。警戒しつつ炎の鞭を放つ。
 直後、リックは動いた。
 リックの像がぶれ、その影がアンナに向かって伸びる。

(下!?)

 警戒していたから反応できた。
 リックは姿勢を低くして炎の鞭の下をくぐり、そのままアンナの足元へ潜り込むように突進してきていた。
 迎撃を――だが、炎の鞭は、刃を返すのは間に合わない。
 敵はもう目の前だ。この状況で、この男を止められる手段――
 アンナにはそれは一つしか思いつかなかった。
 直感を即座に行動に移す。

「!」

 次の瞬間、リックはアンナのその行動に驚きを浮かべた。
 アンナは自身の右手を振り下ろし、地面に叩きつけたのだ。
 アンナの右手を中心に、火柱が舞い上がる。
 それは一瞬では終わらなかった。アンナを包む火柱は高く燃え昇り、リックの眼前には炎の壁が出来上がった。

「……」

 リックはゆっくりと後退しながら、様子をうかがった。
 その胸に再び懐かしさが訪れる。
 以前クリスと戦った時、彼も同じことをした。
 だが、アンナの炎はクリスのものとは威力が違う。このままでは自身の体が燃え尽きてしまうだろう。
 何かを仕掛けてくるはずだ。炎の中から突然飛び出してくるか、またはこの炎の壁を盾にしながら飛び道具を撃ってくるか。
 リックはその何かに備え、間合いを計りつつ構えを整えた。

   ◆◆◆

 対し、アンナは炎の中でその身を焼かれながら次の一手を考えていた。
 無理に動かした右肩がひどく痛む。だが、そんなものは身を焼かれる痛みとは比べられるものではない。
 息が苦しい。炎の熱のせいで呼吸が出来ない。今息を吸い込めば、肺が焼けてしまう。
 この炎のおかげで相手の追撃を止めることが出来たのは事実。だが、このままでは自滅してしまう。
 多分、相手はこの炎が消えるのを待っている。この守りが消えた瞬間に、攻撃を仕掛けてくるだろう。
 それを迎撃する手を考えておかなくてはならない。やはり、右手の炎を止めた直後に、左手で炎の鞭を放つのが無難だろうか。
 その時、アンナは閃いた。
 防御と攻撃、同時に出来るのではないか、と。
 アンナはそれを即座に実行した。
 自分に纏わりつく炎を振り払うように、体を回転させながら刀を振り上げる。

螺旋を描く炎

 刀から炎の鞭が放たれる。それは螺旋の軌跡を描き、アンナの体を焼いていた炎を巻き込みながら空を目指すように上へ昇っていった。
 その途中、炎は鞭の形状を失い、回転する熱波となった。それは言うなれば小さな赤い竜巻であった。

   ◆◆◆

「!?」

 リックの顔に僅かに驚きの色が浮かぶ。
 炎の壁が、突如赤い竜巻に変わった。
 円状に広がる炎の渦。距離を取る以外に回避する手段は無い。
 にもかかわらず、リックはその場から動こうとせず、脇の下に引いた右手に魔力を込めた。
 リックの狙い、それはこの赤い竜巻を強引に突破し、アンナの虚を突くことであった。
 アンナはこの炎の渦を利用して距離を取り、仕切りなおすつもりだろう。
 そうはさせない。体勢を整えられる前に決着をつける。
 リックは息を鋭く吸い込み、右足を前に出しながら脇の下に引いていた右手を突き出した。
 閃光が奔る。奥義による加速を乗せた光る拳。
 だがそれだけでは無かった。その手の形は掌打であった。
 リックは右手を前に出しながら手首をすばやく内側に捻り込んだ。
 掌打に鋭い回転が加えられる。直後、その手から高速で回転する防御魔法のような、光る傘が放たれた。
 それは、かつてクリスの炎を打ち破った「炎払い」という技であった。
 だがあの時とは威力が違う。奥義によって目で追えないほどの速度の回転が加えられている。
 赤い竜巻と炎払いがぶつかりあう。
 リックが放った炎払いは竜巻を切り裂いていった。
 順調、そう思った瞬間、光る傘の回転の勢いが弱まったように見えた。
 それは気のせいでは無かった。回転の勢いは見る見るうちに弱まっていった。
 もう限界だ。光る傘が竜巻に吹き飛ばされる。
 その瞬間、リックは光る傘に向かって飛び込んだ。
 弱弱しく回転する光る傘に向かって左拳を突き出す。
 光る傘の回転が止まる。それよりも刹那早く、リックの左拳が叩きつけられた。
 リックの光る左拳は弱った傘を引き裂くように打ち破った。
 傘が消え、支えていた空洞が炎によって埋まり始める。それよりも早く、リックの体は竜巻の壁をくぐり抜けた。
 まるで火の輪くぐり。命を賭けた曲芸であった。
 だが、炎の壁を突破したリックの前にはさらなる脅威が待ち受けていた。

「!」

 アンナが迎撃の姿勢を取っていたのだ。既に炎の鞭を放とうとしている。
 読まれていた?! 回避、それとも防御?!
 リックの本能は理性が提案した二つの案を却下し、もう一つの案を提示した。
 リックはそれに従った。
 奥義を使い、さらに前へ加速。
 そして、アンナとリック、二人は同時に攻撃を放った。
 アンナが燃える刀を振るい、リックが光る右拳を放つ。

交差する炎刃と閃光

 直後、弧を描く炎の軌跡と、真っ直ぐな光る線が交差した。
 拳を突き出した勢いのまま、リックの影がアンナの真横を通り抜ける。
 そして数瞬の後、赤い竜巻は消え、二人の姿が大衆の前に露になった。
 二人は背を向け合ったまま、静止していた。
 リックは右肩から背中へ走る熱い痛みのせいで動けないでいた。まるで焼きごてで深くなぞられたかのような痛み。

(斬られた? いや、これは……)

 浅い。痛みは強いが、深い傷では無い。
 直後、背後から地を打ったような音が届く。
 瞬間、確信。リックは胸に熱いものが湧き上がる感覚を覚えながら振り返った。
 リックの瞳に地に膝をつくアンナの姿が映り込む。
 アンナは右脇腹の少し上に手を当てていた。押さえる指の間から血が滲み出している。
 確信は事実となり、リックはこみ上げてくる熱いものに突き動かされるまま、地を蹴った。
 勝利は目の前。後はこの右拳を振りぬけば――

「!」

 しかし直後、リックは足を止めた。
 リックの目の前を光る物体が通り抜けたのだ。
 光弾では無い。丸じゃ無い。三日月の形をしていた。
 今のはまるで――そうだ、アンナが放った光刃だ。あれをそのまま小さくしたようなものだった。
 光刃が飛んできた方向に視線を流す。
 視界の隅に映り込む人影。足音が近い。敵は、先の光刃を放った者はもうすぐそこまで来ている。
 視線の移動から刹那遅れて、体をその敵の方に向ける。
 リックの瞳に敵の全容が映る。
 それは――

「せえや!」

 光る刃を袈裟に放つクラウスの姿であった。

「!」

 反射的に地を蹴る。
 直後、クラウスが放った袈裟斬りが、先ほどまでリックがいた空間を切り裂いた。
 同時に、先と同様の光刃がクラウスの刀から放たれる。それは煌(きらめく)く粒子を含んだ風を生み、リックの頬を撫でた。振り下ろすように放たれた光刃はすぐ目の前の地面に着弾し、その場に細長い亀裂を作り出した。
 反撃を――リックは身構えたが、クラウスは既に次の攻撃動作に移っていた。
 奥義を使えばクラウスが刃を放つ前に割り込めるかもしれない。しかし、リックは様子を見ることにした。
 クラウスは斜めに振り下ろす袈裟斬りから、真上に振り上げる攻撃へと動作を繋げた。
 光刃が放たれるかもしれない。単純な後退で避けようとするのは危険だ。ゆえに、リックは先と同じように真横に回避行動を取った。
 しかし、この時リックは気づいていなかった。クラウスの視線がリックの足元へ向いていたことを。
 クラウスは見ていた。リックの足の動きを。
 リックの足が地を蹴る。先と同じ勢いと足運び。ならば、移動先も先と同じはずだ。
 クラウスは体の向きを変えつつ、振り上げていた手を止めた。
 リックとクラウス、二人の視線が交錯する。
 瞬間、リックの顔に驚きが浮かんだ。
 クラウスが持つ刀の切っ先はリックの胸に突きつけられていた。
 しかし何よりもリックを驚かせたのはその構え。
 地に対し水平な剣。引き絞るように折り畳まれた腕。

クラウスの師匠3

 見間違えようも無い。これはアランの構え。
 先の振り上げはこの構えに繋げるための動作?! ならば本命は――

「!」

 直後、一閃。
 真っ直ぐな、閃光のような突きがリックの胸に向けて放たれた。
 速い。普通の回避動作では間に合わない。
 リックは奥義を使って背を反らしつつ、右手刀で刀を叩き払った。

「っう!」

 リックの体に二つの痛みが走る。一つは背中。あまりに急な加速に、リックの背骨は悲鳴を上げた。
 もう一つは刀を叩き払った右手刀。接触の際に斬られたようだ。
 深く斬られた感覚。だが確認する暇は無い。今はそれよりも――

(好機!)

 相手の懐は丸見えだ。剣から片手を離し、防御魔法を展開しようとしているようだが、それよりもこちらの反撃のほうが速い。
 リックは再び奥義を使い、上半身を強引に起こした。
 背骨が再び悲鳴を上げる。リックはそれを無視し、腰を鋭く捻った。
 背中の痛みと引き換えに放たれる光の拳。
 一発では無かった。恐ろしく速い連打であった。三本の閃光が走っただけにしか見えないほどの。
 一撃目はクラウスの右胸骨に、二激目は防御魔法を展開しようと脇の下に引かれたクラウスの右肘に、三激目はクラウスが展開し始めた防御魔法を突き破って右頬に突き刺さった。
 クラウスの頭の中に三つの骨が折れる音が響き、その身が後ろによろめく。
 この時、クラウスの視線はアンナへと向けられていた。
 アンナはまだ立ち上がっていない。
 無念。彼女が逃げるまでの時間稼ぎすら出来ないとは。
 リックが後ろに吹き飛ぶ自分へ向かって踏み込んでくるのが見える。
 追撃が来る。先と同じか、それ以上の速さの攻撃が。
 防げない。こちらが一手繰り出す間に、相手は五手動く。
 ならば狙うは相打ち。捨て身の一撃を決めるしかない。
 クラウスは覚悟を決め、

(武の神よ、力を――)

 信じてもいない何かに祈った。
 しかし、その何かはクラウスに力を与えなかった。
 与える必要が無かったからだ。

「うおおおぉ!」

 直後、二人の間に割って入る声。
 リックは足を止め、声がした方向に視線を移した。
 そこには盾を正面に構えて突っ込んでくるディーノの姿があった。
 ディーノとリック、二人の視線が交わる。
 瞬間、ディーノは声を上げた。

「おっさん! 妹さんを!」

 言われるよりも早くクラウスは動いていた。
 クラウスがアンナの元へ走り、入れ替わるようにディーノがリックの前に立つ。
 流れるような動作で槍斧を一閃。
 しかしその一撃は空を切った。
 そして、ディーノの視界からはリックの姿が消えていた。

(左!?)

 これはただの勘であった。
 盾を左に構える。
 直後、ディーノの左腕に衝撃が走った。
 同時につんざくような音がディーノの左耳を打つ。
 それは一つでは無かった。音は三つあった。
 この時、ディーノは勝ち目が無いことを悟った。
 ふざけた速さだ。いまの短い間に三発叩き込んだっていうのか? さっきの回避もそうだ。本当に消えたように見えた。
 勝てるわけが無い。いや、それは最初から分かっていた。俺が今やるべきことは――

(ここは逃げの一手!)

 その言葉が意識の表層に浮かび上がるよりも早く、ディーノは後ろに跳ぶように地を蹴っていた。
 だがリックとの距離がほとんど離れない。食らいつくように追ってくる。
 跳び下がりながら、迫るリックに向かって槍斧を一閃。
 しかし、やはりというべきか、回避される。
 だがそれでも問題無かった。ほんの少しでも時間を稼げればそれでいい。
 直後、リックの姿が再び消える。

(右!)

 今度は見えた。
 盾を右に構えると同時に衝撃が走る。
 音はやはり複数。そして、先とは音の質が変わっていた。
 盾がもう悲鳴を上げ始めている。
 とにかく距離を取らなくては。再び後方へ地を蹴る。
 その直後、地に足が着くよりも早く、正面に構えていた盾に衝撃が走った。

(うおっ!?)

 後ろに転びそうになるのを、よろめきながら堪える。
 ディーノの瞳の中にあるリックの像が「ずい」、と、大きくなる。足を前に出しているのが見える。
 さらに追撃するつもりだ。まずい。今押されたら後ろに倒れる。
 ディーノは不安定な体勢のまま、槍斧を振るった。
 でたらめな一撃。意外性のある攻撃ではあるが、まるで勢いが乗っていない。
 避けるまでも無いと言うかのように、リックが光る手刀で弾き飛ばす。
 その衝撃にディーノの姿勢がさらに崩れる。
 踏ん張れない。倒れるのは確定だ。
 だがそこへ、リックはさらなる一撃を見舞ってきた。
 リックが放ったのは前蹴り。右足指の付け根部分を、押し込むように真っ直ぐに、ディーノが構える盾に突き刺した。

「っ!」

 ディーノの体が後ろに吹き飛ぶ。間も無くディーノの背は地に触れた。
 ディーノの背中が地の上を滑る。背に熱い痛みを感じたと同時に、ディーノの視界が影に覆われた。
 ディーノの瞳がリックの姿を再び中央に捉える。
 リックは追撃を仕掛けてきていた。後ろに吹き飛んだディーノを追いかけるように、飛び掛って来ていた。
 寝たままの姿勢で盾を正面に構え直す。対し、リックは空中で体を縦に回転させ始めた。
 それは地に手をついて前へ転がる、いわゆる受身の初動作に見えた。リックは体を回転させながら右足に魔力を込めた。
 輝く右足は空中に煌く半円を描きながら勢いを増し、地に寝そべるディーノに向かって振り下ろされた。
 リックの右踵が盾に叩き付けられる。ディーノが地に寝ているため、それは蹴ったというよりも、踏みつけたように見えた。
 が、体ごと回転させて放ったその一撃の威力は「踏んだ」程度では済まず、ディーノの体を盾ごと地面に串刺しにした。

「ぐぉぇ!」

 受け止めた盾がひしゃげ、ディーノの腹にめりこむ。
 呼吸が出来ない。意識が薄くなるのを感じる。
 盾も限界だ。次は受け止められない。
 なんとかしなくては。だがなにも思いつかない。
 リックが拳を構えるのが見える。
 ディーノは来るであろう衝撃に備えて歯を食いしばったが、

「?」

 リックはその拳を振り下ろさずに、左手側に防御魔法を展開した。
 直後、数本の弓矢らしき細い影が、リックの防御魔法にぶつかった。
 どこから飛んできたものだ――それを考えるよりも早く、ディーノは動いた。

(今だ!)

 リックを盾で押し返しながら槍斧を一閃。
 だが槍斧はまたしても空を切った。盾で押した感触はあったが。
 立ち上がり、リックから距離を取りつつ矢が飛んできた方向に視線を移す。
 そこには、この窮地に駆けつけた大勢の大盾兵達と弓兵達の姿が、自分の部下達の姿があった。
 いや、駆けつけてくれたと言うよりは追いついたと言うべきか。先行した隊長の背中を追いかけてきただけなのだろう。
 そう分かっていてもディーノは嬉しかった。その喜びは、次に発した声の大きさに表れた。

「アンナの撤退を援護するぞ! こいつの足を止めろ!」

 駆けつけてきた勢いのまま、大盾兵達が列を成して突撃する。入れ替わるようにディーノは後退した。
 対し、リックは下がるディーノを追わず、向かってくる大盾兵達の方に視線を移した。
 動かないリック。大盾兵達はその目標に体当たりをぶちかまし――
 ――たのだが、吹き飛ばされたのはリックの方では無かった。
 宙を舞う大盾兵達の姿。その影に回し蹴りを放ったと見られるリックの姿。
 続けて、二列目の大盾兵達が突撃する。
 結果は同じ。変わったのはリックが繰り出した攻撃が蹴りから拳になったことだけだ。
 その時、吹き飛ばされた大盾兵達の下をくぐりぬける大きな影があった。
 それはやはりディーノ。リックの虚を突き、一気に間合いを詰める。
 そして放たれる豪快な槍斧の一撃。
 しかし、その一撃は重い風切り音を残しただけであった。アンナの時と同じである。振る前から攻撃範囲外に逃げられている。
 ディーノは攻撃後の隙を大きく晒したが、リックは攻めてこなかった。
 矢の雨が降り注いできたからだ。
 リックが防御魔法を展開してこれを受ける。足が止まったその隙に、ディーノは再び距離を取り、入れ替わるように大盾兵達がリックに突撃する。
 良い動きであった。それぞれの息が合っている。
 にもかかわらず、ディーノは苦い顔をしていた。
 確かに連携は取れている。だが長くは続かない。それが分かっていたからだ。
 ディーノはちらりと後ろを見た。
 アンナを運ぶクラウス達の姿が目に入る。
 それを見たディーノは思わず心の中で舌打ちした。
 まだそんなところにいるのかよ。早く逃げてくれ。早く、速く。
 焦るディーノ。そして、事態はディーノが危惧した通りになった。
 何度目かになる大盾兵達の突撃が吹き飛ばされたと同時に、部隊の足が止まったのだ。
 部隊の戦意が目に見えて無くなってきている。
 だが、ディーノは躊躇する部下を叱咤することが出来なかった。
 しょうがない。誰だって死にたくは無い。あんな化け物に近付けば殺されるなんてことは誰だって分かる。勇気と勢いで誤魔化すのはもう限界だ。
 だからディーノは作戦を変えた。

「防御の陣形を組め! 奴の攻撃を凌ぎつつ後退するぞ!」

 消極的なこの戦法に部下達は即座に従った。
 前面に大盾兵の壁が形成され、背後に弓兵がつく。
 ディーノも倒された味方の大盾を拾いながら、その壁の一員に加わった。
 そして、双方は間も無くぶつかりあった。
 先に仕掛けたのはリック。一瞬で間合いを詰めたと同時に、なぎ払うように光る蹴りを一閃。
 吹き飛ぶ大盾兵達。
 ディーノが迎撃に向かい。弓兵がそれを援護する。
 対し、リックは後退せず、部隊の中へ切り込んだ。
 大盾兵達が再び吹き飛ぶ。
 これだけで状況は一変した。
 弓兵は機能しなくなった。部隊の中に入られては狙いをつけられない。
 動きが止まる弓兵達。そうしている間にも、目の前で大盾兵達が次々と倒されていく。
 ディーノは合間合間に槍斧を振るっていたが、すべて空振り。
 大盾兵達の数が目に見えて少なくなった頃、リックは攻撃目標を弓兵に定めた。
 そこから先は哀れな光景が続いた。大盾兵達と違い弓兵には防御する手段が無い。成す術も無く殺されていった。
 この戦いは素人でもこれだけは分かったであろう。ディーノの部隊が壊滅するのは時間の問題であると。
 そして、ディーノとリックが再び一騎打ちの形になるまでにさほど時間はかからなかった。
 リックが猛攻を掛ける。ディーノは盾で防ぎながら応戦したが、やはり槍斧は当たらない。
 しばらくして盾は破壊された。
 守りを失ったディーノに、リックの光る拳が突き刺さる。

「ディーノ殿!」

 その時、後方にいたクラウスは思わず声を上げた。
 しかし、その足は動かなかった。
 今から行っても手遅れだ。クラウスの理性はそんな冷たい結論を出していたからだ。
 盾を失ったディーノは槍斧を盾代わりにしていた。
 だが、その細い棒による防御はほとんど意味を成していなかった。盾無しで受けきれる攻撃では無い。致命の一撃を食らうのだけはなんとか避けているという状態だ。
 そして、ディーノは殴られながら意識を半分失っていた。

   ◆◆◆

 夢か現か、痛みと浮遊感が混在する中で、ディーノはのんびりしたことを考えていた。

(ずるいよなあ、魔法使いは)

 ディーノの左肩に痛みが走る。
 肩が砕けた? そんなことを考えている間に脇腹に一発入れられた。

(こんな速く動けるやつに勝てるわけないだろ)

 肋骨がへし折れる音が内臓に響き渡る。その痛みに腰を折るよりも早く、今度は右膝に蹴りが打ち込まれる。
 膝がいびつな音を立て、ディーノの視界が傾く。

(これは死ぬな。まったく、魔法使い様にはかなわねえな)

 直後、今度は左頬に光と痛みが走った。
 さらにぼやけていく意識。
 その浮遊感の中で、ディーノは自問自答を始めた。

 ――いつからだろう、こんな風に考えるようになったのは。

 ディーノの脳裏にある記憶が浮かび上がる。

噴きあがる炎4

 ――ああ、そうだ。あれからだ。アランの親父さんの、あの凄まじい炎を見てからだ。

 リックを空高く舞い上げた火柱。あれを見てから、自分は強い魔法使いには勝てないと思うようになった。体を鍛えれば強い魔法使いにも勝てるのではないか、なんていう甘い夢はあの時に潰(つい)えたのだ。

 ――そもそもなんで、自分は魔法使いに勝ちたいと思うようになったんだろう。

 断片的な記憶が連続で呼び起こされる。
 威張り散らすいけすかない貴族、昔は良かったとしか言わない両親、初めて会ったアランの気弱で情けない顔――そして、くそったれな貧民街での生活。

 ――なんだ、単純じゃないか。要は、俺は魔法使いのことが嫌いなだけだったんだ。

 だが、アランやクリス様と出会ったことで、魔法使いへの嫌悪感は俺の中から消え去った。
 じゃあ、後は何が残っている?

 ……

 この時、ディーノの中に浮かび上がって来た言葉は一つだけだったが、それは正解であるように思えた。
 その言葉とは――

(そうだ。俺は『意地』で戦ってるんだ。今の俺にはそれしか無い)

 ディーノの中にふつふつと、何かが湧き上がる。
 このままやられっぱなしで終わっていいのか?
 良くない。この魔法と才能に恵まれた男に、目にもの見せてやりたい。無能力者の、奴隷の意地を見せ付けてやりたい。
 ……のだが、体の感覚がほとんど無い。視界も薄暗い。
 どうすればいい。腕に力を込めようにも反応が無い。どうすれば体を動かせるのか分からないほどに。

 その時、ディーノは奇妙な感覚を覚えた。
 体の中に光の線が何本も、幾重にも走っている感覚。

巡る光

 その光の線は骨と筋肉を支えるかのように張り巡らされていた。
 なんだこれは? こんな感覚、初めてだ。
 ……いや、違う。初めてじゃあ無い。戦いの時はいつもおぼろげに感じていた。槍斧を思いっきり振るときに感じていたものだ。
 しかしこんなにはっきりとした感覚は初めてだ。
 ありがたい。この感覚があれば体を動かせる。槍斧を振れる。

 ディーノの中にさらに何かが湧き上がる。それは熱いものとなり、確かな存在感を有し始めていた。
 その熱いものはディーノの心を突き上げ、急かした。

「見せてやれ」、と。

 ディーノは湧き上がるその何かに答えるように、目を見開いた。
 視界が赤くぼやけている。いつの間にか額を割られていたようだ。
 拳を構えるリックの姿がぼんやりと映りこむ。
 槍斧を握る手に力を込める。
 やってやる。思いっきりだ。これで腕が壊れたってかまわない。

“見 せ て や る”

意地の一撃

 その言葉が心に浮かび上がったと同時に、ディーノは槍斧を振るっていた。
 意識がぼやけているせいか、自分が放った攻撃がどんなものだったかすらわからない。
 感じたのは、自分の中に走る光の線が一瞬激しく輝いたことと、槍斧が当たった確かな手ごたえ。そして、リックの体が地に叩きつけられたらしき音。

(当たった……のか?)

 槍斧を振るった右腕に激痛が走る。
 しかしそれは一瞬のことであった。ディーノの意識は急速に闇に沈み、それに応じて痛みも消えていった。

   ◆◆◆

「やっ……た?」

 それを見たアンナは思わず口を開いていた。
 とどめを刺される寸前であったディーノが放った一撃。横薙ぎに振るわれた槍斧はリックの体を捕らえ、なぎ倒すように地面に叩きつけた。
 凄まじい一撃だった。とにかく速い。アンナの目には結果しか見えなかった。
 そして、同じように口を開けた状態で固まっている人物が傍にいた。

「……」

 それはクラウス。しかし彼の表情はアンナとは少し違う。その顔に浮かんでいるのは驚きだけでは無かった。
 何かがクラウスの中で繋がりかけていた。
 今の一撃、あれは明らかに人間の限界を超えたものだった。
 クラウスの脳裏にある記憶が映し出される。
 それは剣を構える師の姿。
 記憶の中の師が突きを繰り出す。
 速い。剣先が霞んで見える。三度の踏み込みが、三度の剣戟が一つの音に聞こえる。
 その映像に、リックの人間離れした動きと、先のディーノが放った一撃が重なる。

繋がりかけている何か

 何故だ。全く違う動きなのに同じものに見える。何かを見落としている。遠いようで近くにある何かを。
 師の姿を、あの剣筋をもう一度思い出す。
 かつて自分はこの剣を求め、追いかけていた。鍛錬を重ねれば、体を鍛え続ければいつかは辿り着ける境地なのだと信じていた時期があった。
 だがその夢はただの夢に終わった。いくら体を鍛えても光明も何も見出せなかった。
 しかし、あれは、あの剣速は筋肉の力だけで成せる技なのだろうか?
 ディーノにしたって同じだ。よく考えれば槍斧を、あんな重量武器を片手で軽々と振り回すなんてことが、筋肉の力だけで可能なのだろうか?

 否。無理だ。

 何故こんな当たり前のことに気がつかなかった。三度の剣戟が一つの音に聞こえるほどの速度を筋肉の力だけで出せるわけが無い。あんな重たい武器を筋肉の力だけで振り回せるはずが無い。あまりにも当然のように、出来て当たり前のように振舞われていたからその異常性に気がつけなかった。

……

 何かを掴めそうな感覚。何かが分かりかけている。
 クラウスの意識はその何かに手を伸ばしたが、その思考はあるものに中断された。

(! 今、リックが動いたような……)

 いや、気のせいでは無い。確かに動いた。
 よく考えれば、先の一撃には人間を容易に分断する威力があったはずだ。なのにリックの体はそうならず、地に倒れただけだ。
 その事実が示すこと、それは――

(受け流された?!)

 あの一撃を? 理性が示す答えが信じられない。
 だがそうとしか考えられない。おそらく、リックは地に倒されたのでは無く、槍斧の力を受け流すために自ら勢いよく地に倒れたのだ。
 なんということだ。あの男は、あの怪物は、ディーノが放った神秘、いや、奇跡的と言っていい一撃すら凌いでしまった。
 これが伝説の、偉大なる者の血が成せる業(わざ)なのか。

「ディーノ殿!」

 無意識のうちに声を上げていた。
 しかしディーノは動かない。棒立ちのままだ。
 もしかして、意識を失っているのでは?
 クラウスは思わず足を一歩前に出した。今から駆け寄っても間に合わないことは分かっている。しかし、じっとしていられないのだ。
 直後、ディーノは動いた。
 しかし、それはクラウスが期待した動きでは無かった。
 糸が切れた人形のようにディーノの体から力が抜け、膝が崩れる。
 ディーノの体が地に沈む。入れ替わるように、傍で倒れていたリックが立ち上がった。
 リックは地に伏したディーノを見下ろしながら、赤く染まった左肩に手を当てた。
 槍斧による傷の重度を確認する。
 えぐるように深く斬られている。この出血は簡単には止まらないだろう。
 リックは適当な布をその傷口に巻きつけながら、自身の状態を確認した。
 両足首と膝が痛む。特に足首の痛みが強い。先の一撃を受け流すために奥義を使ったせいだろう。
 だが、戦闘の続行は可能だ。
 傍で倒れているディーノに視線を戻す。
 動く気配が無い。完全に気を失っているようだ。
 最後の一撃には本当に驚かされた。一体どういうことなのか。まさかこの男も自分と同じ技を、奥義を使えるのか?
 だが、この男は無能力者。そのはずだ。

(……いや、ひょっとして、この奥義は誰にでも使えるものなのでは?)

 リックの中に、ある仮説が浮かび上がる。

(もしや、魔法使いと無能力者の差とは――)

 その時、思考に浸りかけた意識は急遽現実に引き戻された。倒れているディーノが動いたように見えたからだ。
 しかしそれは気のせいのようであった。今のディーノは瀕死の状態。動けるとは思えない。放って置けばいずれ死ぬだろう。

(……)

 今は出来るだけ体を動かしたくない。奥義を使いすぎた。あちこちが痛む。
 この戦いは決した。アンナも倒しているのだから、後は何もせずとも仲間たちが終わらせてくれるだろう。

「……ふう」

 リックは深く息を吐き、緊張を解こうとした。
 しかし次の瞬間、リックの本能はその行為に警鐘を鳴らした。気を抜くのはまだ早い、と。

「!」

 直後、リックの瞳に一筋の閃光が映りこんだ。
 光る拳で叩き払う。
 手の甲に走る鋭い痛み。
 瞬間、リックは懐かしさを感じた。
 この痛みを、この細くか弱くも冷徹な鋭さを持つ太刀筋を、自分はよく知っている。
 地を蹴り、距離を取りながら相手を睨み付ける。

「アラン……!」

 リックは思わず、その懐かしい名を口にしていた。

   第三十話 武技交錯 に続く
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稲田 新太郎

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