シヴァリー 第二十八話

   ◆◆◆

  迫る暴威

   ◆◆◆

 アランが関所を出発して二週間後――

 長い谷間の道をようやく抜けたアランは、眼前に広がる平原の景色に心を洗っていた。
 ずっと崖に挟まれていたせいか、広い景色が目に心地よい。
 そして、遠くにクリスの城が見える。
 自然とアランの心が引き締まる。その時は、別れを告げる時は近い。
 
   ◆◆◆

 一方、穏やかなアランに対し、偉大なる者の地は緊張に包まれつつあった。

「クレア様!」

 従者の一人がノックも無しに、主人であるクレアの私室に踏み込む。

「騒々しいですね。何があったのです?」

 ソファーに腰掛けたまま至って冷静に尋ねるクレアに対し、従者は慌てた様子のまま口を開いた。

「軍が! ヨハンが軍を連れてこっちに向かってきています!」

 この言葉に、クレアは思わず立ち上がった。

   ◆◆◆

 クレアは十名ほどの側近だけを連れて外に出た。

「……」

 目の前にある光景に、クレアは何も言えなかった。
 軍隊が屋敷を包囲している。
 クレアは周囲を見回して状況を確認した後、正面にいるある人物を睨み付けた。
 その人物、ヨハンはクレアの目線に対し白々しい礼と笑みを返した後、ゆっくりと前に歩み出た。
 その背後に、カイルを含む側近達が列を成す。
 そして、クレアも同じように側近達を連れて前に歩き出した。
 互いの距離が縮まる。
 二人の表情は変わらない。クレアの目つきは鋭く、ヨハンは不気味な笑みを張り付かせたままだ。
 そして、声がはっきりと届く距離になった所で二人は足を止めた。
 互いの表情がはっきりとわかる距離。ヨハンが浮かべている笑みに、クレアは苛立ちを強めながら口を開いた。

「一体どういうつもりなのです、ヨハン」

 ヨハンは表情を変えずに答えた。

「クレア様、今日は話し合いに参りました」

 話し合い? 馬鹿にしているのか。
 クレアは怒りを面に出さないように意識しながら、その話し合いとやらの内容を尋ねた。

「何を話すのです?」

 ヨハンは笑みをそのままに、顎鬚をいじりながら答えた。

「……クレア様、お孫さんの魔法能力は開花しましたか?」

 白々しい。分かっていて言っているはずだ。
 まだるっこしい。少しずつ追い詰められている、そんな気がする。
 苛立たしい。だから、

「……いいえ」

 クレアはそう答えるだけで精一杯だった。
 これにヨハンはわざとらしく小さなため息を吐いた後、口を開いた。

「……それでは困るのですよ、クレア様」

 そして、ヨハンはその顔から笑みを消し、言葉を続けた。

「示しがつかないのですよ。周りの者達に対して」

 それがどうしたと言うのだ。まさか――
 ヨハンはそのまさかを口に出した。

「ですのでクレア様、あなたのお孫さんの身柄を我々、教会に預けて頂きたい」

 ふざけるな。クレアはそう声を上げそうになったが、ぐっと堪えた。
 教会に、ヨハンに孫エリスの身柄を預ける。それがどういう意味を持つのか馬鹿でも分かる。人質を取られるということだ。
 クレアは怒りを抑えながら口を開いた。

「そのようなこと、この私が許すとでも?」

 が、その言葉には僅かに怒気が滲んでいた。
 そして、この答えが予想通りであったヨハンは、即座に次のように言い放った。

「従って頂けないのならば、我々はクレア様の気が変わるまで粘り強く待たせていただきます」

 待つ――それがどういう行為なのかはすぐに明らかになる。

   ◆◆◆

 その頃、アランはあるものに足を止めていた。
 城のすぐ傍に軍が整列している。
 これから戦いに行くのだろうか? いや違うな。どうもそういう雰囲気では無い。
 なんだろう、そう思ったアランはその集団に近づきながら、全体を見渡した。
 少し遠くで二つの部隊が左右に対峙している。左側の兵数はおよそ五百、右側は二千ほどに見えた。
 そしてその二部隊から少し離れたところ、アランから見て手前側に、炎の一族の軍旗を掲げる百ほどの小さな部隊があった。

(これは……訓練か?)

 配置からアランはそう思った。
 そして、近くにいる百名ほどの小部隊に目を凝らすと、その中にクリスとアンナの姿が見えた。

「アンナもここに来ていたのか」

 アランは見たままの感想を口にした後、その部隊に近づいていった。
 しばらくして、近づいてくるアランの存在に気づいたのか、クリスの部隊はアランの方へ移動し始めた。
 そして互いの表情が認識できるくらいの距離になった頃、部隊の中からアンナが飛び出してきた。

「お兄様!」

 その顔は笑顔であった。アランがここに来た事を怒っていないようであった。
 だからアランも笑顔で迎えた。

「久しぶりだな、アンナ」

 傍に駆け寄ったアンナは、目を輝かせながら尋ねた。

「どうしてここに?」
「仕事で近くまで来たから、そのついでだよ」

 その答えにアンナはほっとしたような表情を浮かべながら口を開いた。

「そうですか、良かった」

 その言葉にアランは内心首を傾げた。

「良かった? 何が良かったんだ?」

 これにアンナは何故か申し訳なさそうな顔をしながら答えた。

「……また戦いの中に身を置くつもりなのかと、少し不安だったので」

 アランの胸がちくりと痛む。
 未練を突かれた痛みであった。
 その痛みに表情を硬くする。
 それは一瞬のことであったが、妹であるアンナは兄の機微に触れてしまったことを察した。

「……」

 謝る必要は無い。ゆえに、アンナは口を閉ざした。

「……」

 アンナは兄の言葉を待ったが、アランも口を開こうとはしなかった。
 二人の間に微妙な空気が漂う。しかしこれは場に現れた第三の人物によって破られた。

「これはアラン様、ようこそいらっしゃいました」

 その男、クリスは穏やかな笑みで二人の間にあった嫌な空気を吹き飛ばし、言葉を続けた。

「このような場所に再び足を運んでくださるとは。知っていれば迎えの準備をしておきましたのに。今日はどのような用で?」

 アランは小さく首を振り、対峙する二つの部隊の方を見ながら尋ねた。

「特に用がある訳では……ところで、これは演習ですか?」

 クリスはアランと同じ方向に視線を移しながら「そうです」と答えた後、再びアランの方に向き直りながら言葉を続けた。

「これはディーノの指揮能力を見るためのものです」

 ディーノだって? その言葉にアランは驚きながら、対峙する二つの部隊を注視した。
 すると、五百ほどの小部隊の中央にディーノがいることが確認できた。
 アランの顔色が驚きから疑問の色に変わる。それを察したクリスはどういうことかを説明した。

「つい先日、ディーノに兵を与えてみたのです。魔法使いから反感を買うのは怖いので、全部奴隷兵ですがね」

 薄い笑みを浮かべたままそう言うクリスに対し、アランは確認するように尋ねた。

「それはつまり、ディーノが隊長に昇進した、ということですか?」

 これにクリスは即答した。

「そういうことになります」
「……」

 アランは黙ったままディーノの方に視線を移した。
 無能力者であるディーノが隊長になった。その事実にアランは何も言えなかった。
 嫉妬などの暗い感情を抱いたからそうなったのでは無い。今のアランの中にある感情は一つでは無く、それらはいずれも明るく心地良いものであった。
 その中で最も強い気持ち、それは「祝福」であった。無能力者が隊長になった、その事実を祝いたい気持ちで一杯であった。
 その気持ちの強さ、それは感動と呼べる域であった。

(おめでとう。ディーノ)

 アランは心の中でそう呟いた後、横目でクリスの方を見た。
 アランはクリスに対し「ありがとう」と言いたかった。だが、そんなことをしてもクリスは困惑するだけだろう。
 魔法が大きな価値を持つ今の時代にこのような事が出来る人間は少ない。ある程度の反感ならば黙らせることができるクリスだからこそ出来たことであると言える。
 そして、立場や権力を持っているだけでは駄目だ。無能力者の価値を認められる感性が無くてはならない。
 アランの中にはクリスに対しての感謝だけでなく敬意が芽生えつつあった。
 クリスはかつて抱いた自分の理想、憧れに最も近い存在なのではないか? 強く優しい、そんな理想を体現しつつあるのではないだろうか。

 そんなことをアランが考えていると、クリスが兵士達に向かって声を上げた。

「それでは演習を始める! 合図を鳴らせ!」

 場に金属性の打楽器の音が一発、大きく鳴り響く。
 直後、対峙していた二部隊は気勢を上げながら前進を開始した。
 アランの目がその動きに釘付けになる。
 ディーノはどう戦う? 戦場は開けており障害物は無い。そして数の不利は明らかだ。正面から突撃すれば玉砕するだけ。不利は立ち回りで補うしかない。
 数の差を補う戦法は幾つかある。ディーノはそれを分かっているのだろうか。
 ……どちらにしても今の自分には何も出来ない。そう思ったアランは黙ってこの演習の行方を見守ることにした。
 二つの部隊の距離が縮まる。
 そして、先に攻撃を仕掛けたのはディーノの部隊であった。
 ディーノの部隊から矢が一斉に放たれる。
 矢は奇妙な形をしていた。先端が白く膨らんでいる。
 殺傷力のある矢尻はつけられていないようだ。その代わりに、綿か何かを詰めた袋をつけているのだろう。
 対する部隊に矢が降り注ぐ。相手は反撃する様子を見せず、防御しながら前進を続けた。
 同じ射程を持つ弓で反撃しないということは、あの部隊は魔法使いと大盾兵だけで構成されているのだろう。
 一方、ディーノには奴隷兵しか与えていないとクリスは言った。ならば、ディーノの部隊は大盾兵と弓兵だけで構成されているということになる。
 火力差は圧倒的だ。やはりまともにぶつかってはディーノに勝ち目は無い。数が多いほうはそれを分かっているらしく、ひたすらに前進を続けた。
 対し、ディーノの部隊は相手から一定の距離を保ちつつ、引き撃ちを開始した。
 この状況であれば正解の一つであると言える。だが、実際の戦闘では他の部隊が挟撃される危険性を生むため、一部隊だけがこのような戦い方を続けることは難しい。しかも、弓矢だけで魔法使い達を全滅させることは非常に困難だ。
 魔法使いに有効な一撃を与えられるのは隊長であるディーノだけだ。ならば、どうにかして接近戦を仕掛けるしか無い。
 アランがそこまで考えた時、ディーノの部隊は新しい動きを見せた。
 それは旋回であった。ディーノ達は相手の部隊を中心に、反時計回りに回転を始めた。
 双方の距離が縮まる。そして、相手の部隊は遂に攻撃を開始した。
 大量の光弾が部隊から放たれる。
 それらの光弾はいずれも小さかった。死者が出ないようにちゃんと手加減がされていた。
 これに対し、ディーノの部隊は回避行動を取ったように見えた。
 旋回速度を増し、相手の裏に回りこむような動きを見せる。
 だがその直後、ディーノの部隊はさらに動きを変えた。
 旋回から直線へ。ディーノの部隊はさらに加速しつつ、相手部隊の端に向かって突撃を開始した。
 光弾を大盾で受け止めながら一気に詰め寄る。ディーノの部隊は勢いのまま相手に体当たりをぶちかました。
 双方の前列に並ぶ大盾兵同士が激しくぶつかりあう。
 この一連の動きに、アランは「上手い」と、素直な感想を抱いた。
 相手の端を攻める、戦力の少ない箇所を突くのは火力や兵力の差をごまかすための常套手段だ。珍しくない至って基本的な戦い方だが、手本となるような無駄の無い良い動きであった。
 そして、ディーノの部隊はすぐに離れ、再び旋回を開始した。
 先のぶつかり合いにおいてディーノは何もしていない。これは訓練なのだ。本当に槍斧を振り回すことは出来ない。実戦ならばそのまま敵中に切り込んでいくという選択肢もあった。
 ディーノの部隊は暫く旋回した後、再び相手部隊の末端に向かって突撃を開始した。
 ぶつかる、離れる、この応酬はしばらく続いた。
 そして、何度目かの衝突の直後、場に訓練の終わりを告げる打楽器の音が大きく鳴り響いた。
 訓練を止めたクリスは満足そうな表情で口を開いた。

「ちゃんと様になっているな。部隊の動きに乱れは感じられない。これならば実戦でも問題無いだろう」

 この感想はディーノの指揮に対してのものだろう。同じ感想を抱いたアランはクリスの言葉に同意の頷きを返した。

   ◆◆◆

 その後――
 城に戻った一同は、アランとの再会に笑顔の華を咲かせた。

「いやー久しぶりだなあ、一年ぶりか? ……なんか、前にも同じことを言ったことがあるような気がするが」

 何の照れ隠しか、ディーノが頭を掻きながらそう言うと、

「そうだな。また一年ぶりだ」

 と、アランは薄い笑みで同意を示した。
 リックと初めて戦ったあの日、刀を携えてこの地に戻ってきたあの日以来の、二度目の一年ぶりであった。
 手を頭から離し、ディーノが尋ねる。

「それで、この一年どうしてたんだ?」

 期待に目を輝かせるディーノに対し、アランは首を小さく振りながら答えた。

「ディーノが喜ぶような話は無いよ……毎日同じ机に座って、似たような書類を読んで、いつも通りのことをする。そんな同じことの繰り返すだけの日常だった」

 その答えにディーノは表情を一瞬曇らせたが、すぐに元の笑顔を浮かべながら再び口を開いた。

「……そうか、そっちはそっちで大変だったみたいだな。まあ、こっちも毎日同じようなことばっかりだったぜ」

 ディーノは笑顔を崩さなかったが、その口調は軽さを失っていた。
 ディーノの無意識は察していた。アランが何をしに来たのかを。それは嫌な予感という形で意識に伝わっており、ゆえにディーノの口は重くなっていた。
 そして、そんなディーノの重い口調を補うかのように、今度はアランが口を開いた。

「そういえば、クリス将軍から聞いたよ。隊長になったんだってな」

 この言葉に、ディーノは目に見えてわかるほどの動揺を浮かべた。

「え、あ、ああ。まあな。自分なんかが隊長やって、大丈夫なのかって、不安しか無いんだけどな」

 ディーノの弱気な発言に、アランは小さく首を振った。

「自信を持って大丈夫だと思うぞ。さっきの訓練、見させてもらったけど、マズいところは何も無かった」

 これにディーノは照れ臭そうに頭を掻くだけであった。
 その反応はアランにとって新鮮であった。こういう賞賛には慣れているものだと思い込んでいた。
 そして、ディーノは照れ隠しをしたいのか、別の人間に話を振った。

「俺なんかよりもクラウスのおっさんの方がすごいぜ」

 アランが部屋の壁際に立っているクラウスの方へ視線を向けると、ディーノは再び口を開いた。

「アラン、爆発する魔法を使う女のことを覚えているか?」

 よく覚えている。いろんな意味で印象深い戦いだった。あの戦いで、俺は自身の能力をはっきりと自覚したのだから。
 アランが頷きを返すのとほぼ同時に、ディーノは再び口を開いた。

「聞いて驚くなよ、なんと、クラウスはその爆発魔法を斬ったんだぜ!」

 その言葉に、アランが驚きの表情を向けると、クラウスは首を振りながら口を開いた。

「あれはただのまぐれです。無我夢中でやったら出来た、それだけのことです」

 謙遜するクラウスの態度を否定するかのように、ディーノは声を上げた。

「いやー、あれは本当に凄かったぜ。その時クラウスのおっさんはな、女が放った爆発する弾に向かって『だー』っと突っ込んで行ってな、こう、振り上げた剣を真下に振り下ろしたんだよ。そうしたら、弾がこう綺麗に『ぱか』ってな感じに真っ二つになったんだ」

 身振り手振りを交えているにもかかわらずよくわからない説明であったが、なんとなく理解したアランはクラウスに尋ねた。

「あの爆発する弾を斬ったのか。よく無事だったな」

 クラウスは一息分間を置いた後、その時のことを説明した。

「あの時は避けられなかったからそうするしか無かったのです。斬ったらその場で爆発するのではないかと私も思っていたのですが、そうではありませんでした」
「弾は爆発しなかったのか」

 これにクラウスは頷きを返した。

「ええ。斬った断面から炎が激しく溢れ出た後、弾はそのまま消滅しました」

 何故爆発しなかったのだろう。アランは考えたが、クラウスの次の言葉に思考を中断させられた。

「それに、すごいのは私では無く、この剣の方でございます」

 そう言って、クラウスは腰に差していた刀を抜いた。
 その刀身を場にいる皆に見せ付けるように、切っ先を真上に向ける。
 クラウスは暫しの間そうした後、刀を鞘に納めながら尋ねた。

「それでアラン様、今日はどうしてここに?」

 これにアランは体を硬くした。他人に気づかれないほどであったが。
 遂にこの時が来た。別れを告げる時が。
 どのように告げるか、それはもう決まっている。この瞬間を頭の中で何度も想像して練習した。
 なのに口が重い。胸が、肺が締め付けられているような感じがする。
 ……ここで言わなくてはならないのだ。こんな機会は、きっと二度と訪れない。
 そして、アランは意を決した。

「……実は、この後、俺は王の娘と結婚することになってるんだ」

 この一言で場の空気が一変した。皆、アランが何を言おうとしているのかを察したのだ。
 そしてその空気に気後れしたのか、アランは少しだけうつむきながら言葉を続けた。

「そうなると俺に自由は無くなる。こうして皆に会いに来る事は出来なくなるだろう」

 場の空気がさらに重くなる。アランはそれを払うかのように顔を上げ、

「だから……今日は皆にお別れを言いに来たんだ」

 はっきりと、そう告げた。
 場の空気がさらに重くなる。
 そんな中、ただ一人、クラウスだけが口を開いた。

「……そうですか。寂しくなりますが、これも時代の流れによるものなのでしょう」

 そう言って、クラウスはやや深めに礼をしながら再び口を開いた。

「このクラウス、アラン様のますますのご清栄とご活躍をお祈りしています」

 型にはまった言い回しであったが、丁寧な別れの返事であった。

   ◆◆◆

 夜――

「今日は二人で呑もう」

 と、ディーノに誘われたアランは、兵舎へと足を運んでいた。

「いつも通り汚い部屋だが、まあ我慢してくれ」

 ディーノがお約束の台詞を言いながら、自身の部屋のドアに手をかける。
 と、その時、

「あ、そうだ」

 ディーノは思い出したというような表情で口を開いた。

「実は今、部屋に一人いるんだけど、構わないよな?」

 アランがよく考えずに「ああ」と答えると、ディーノは勢いよくドアを開けながら、室内に向かって口を開いた。

「帰ったぞ」

 アランはその台詞の意味が一瞬わからなかった。帰ったぞ? それではまるで身内への――

「お帰りなさいませ、ディーノ様」

 アランの思考を断ち切るように室内から女性の声が届く。

「だから、様を付けて呼ぶのはやめてくれっていつも言ってるだろう?」

 ディーノの視線の先、そこには膝をついて頭を下げる一人の女性の姿があった。

「ディーノ、この人は……」

 アランが思わず尋ねると、

「ああ、サラっていうんだ」

 と、非常にあっさりとした紹介をされた。
 聞きたいのは名前だけでは無いのだが。まあ、それは順に聞いていけばいいか。

「まあ座れよアラン。サラ、酒を出してくれ」

 ディーノに促されるままアランが席につくと、サラが棚から酒とコップを取り出してきた。
 サラが取り出したのは麦の発酵酒であった。
 世に多く普及している一般的なお酒だ。庶民が好んで呑むものなので安酒の印象が強いが、伝統ある高級品も存在する。
 今サラが手にしているものは高級品のほうだ。瓶に美しい絵が描かれた貼り札がされているのがその証拠だ。
 そして、サラは客人であるアランのほうから先に御酌をした。
 サラは張り紙が上になるように、アランからよく見えるように瓶を持った。片手で瓶の底を支え、もう片方の手で注ぎ口の傍を支えていた。
 アランは何故かサラのその何気ない動作に目を奪われた。その所作がどういうものなのかをアランはよく知っていたからだ。

(これは……)

 言葉にはしなかった。知っていても不思議では無いなと思った。この時は。

「それじゃあ、乾杯」

 そして、耳に入ったディーノのその言葉にアランは思考を中断し、酒が注がれたコップをぶつけあった。

   ◆◆◆

 その後――
 ディーノとの宴は静かに終わった。
 呑んだ量も多くなく、二人の顔色は全く変わっていない。
 いつ戦いがあるか分からないからだ。しかも今のディーノは一つの部隊を指揮する身なのだ。翌日に引き摺るまで呑むことなどあってはならない。
 そして今、アランは兵舎を離れ、クリスに用意された部屋へと向かっていた。
 アランの傍にはディーノの姿もあった。
 部屋まで送る、という申し出をアランは遠慮したのだが、ディーノはこうして強引に付いてきていた。
 だが、二人の間に会話は無かった。
 そして、アランの部屋が視界に入った瞬間、

「ちょっと聞いていいか?」

 と、ディーノが声を出した。
 これにアランが「なんだ?」という視線を返すと、ディーノは再び口を開いた。

「こんな時にこんな事を聞くのはどうかと思うんだがよ……その、サラのこと、どう思う?」

 何を聞きたいのかよく分からなかったアランは尋ね返した。

「どうって?」

 これにディーノは言葉を詰まらせた。上手く表現できる言葉が見つからないのだろう。
 暫し後、ディーノは口を開いた。

「……なんか、普通とは違わないと思わねえか?」

 ディーノの言葉に思い当たることがあったアランはすぐに答えた。

「彼女は多分、貴族の娘だ。でなければ、貴族の家で働いていた召使いだろう」
「どうしてそう思うんだ?」
「彼女の動作が全て貴族の作法に則った(のっとった)ものだったから」

 この答えに、ディーノは「分かっていたけど聞きたくなかった」というような顔をしながら口を開いた。

「……あー、やっぱりそうなのか」

 ディーノのその表情に、アランは理由を尋ねた。

「どうした? 彼女が貴族と関係がある人間だとして、何か困ることがあるのか?」

 まさか、既に男女の営みを終えていて、彼女のお腹には俺の子供がいるんだ、とか言い出すつもりなのだろうか。アランがそんなことを考えていると、ディーノは再び口を開いた。

「あー、いや、なんとなくそんな気はしてたんだ。いやしかし、これはどうしたもんかなー……」

 頭を掻きながら唸るディーノに、アランは再び尋ねた。

「おいおい、一体どうした? 何を悩んでるんだ」

 ディーノは頭に添えた手をそのままに、ゆっくりと答えた。

「……クリス様に縁談の話があったっていうのは知ってるか?」

 アランが頷きを返すと、ディーノは言葉を続けた。

「実は、その……サラはもしかしたら、その縁談の相手だった、ディアナなんじゃないかなあ……ってな」

 ディーノの語気は喋るほどに弱くなっていた。最後の「ってな」の部分に関しては、注意していなければ聞き取れないほどであった。
 そんなディーノに対し、アランは驚きを返した。

「サラがディアナだって!? どうしてそう思うんだ?」

 ディーノは頭に添えた手を再び動かしながら答えた。

「いや、出会いからして普通じゃなかったんだよ。でも、サラがディアナなんだとしたら、あそこであんな出会い方をしたのにも合点がいっちまうんだ」

 その言葉に興味が沸いたアランは尋ねた。

「普通じゃない出会いっていうのはどういう?」

 ディーノは頭を掻いていた手の速度を緩め、ゆっくりと口を開いた。

「……えーと、初めて出会った時、サラは妙な男達に追われてたんだよ。そいつらは俺が黙らせたんだが、そん時のサラはそれはもうぼろぼろでな、まるで森の中を駆け抜けてきたみたいだったぜ。
 それだけじゃあねえ。俺がサラと出会ったのは、クリス様のお見合い相手が襲撃されてからまだあまり時間が経ってない頃ときた。ここまでくれば、サラはディアナだとしか考えられないだろ?」
「……」

 ディーノの弁に、アランは同意を示す沈黙を返した。
 確かに、サラはディアナだとしか考えられない。
 ならばどうする? 彼女をリチャードに引き渡すか?
 ……いや、それは出来れば避けたい。だが、彼女の意思も尊重したい。
 だからアランは尋ねた。

「彼女は、サラは家に帰りたいと口にしたことはあるか?」

 突然の質問に、ディーノは首を振った。

「? いや? それどころか、ここに置いてくれって泣きつかれたぞ」

 この答えにアランは胸を撫で下ろした。

「そうか、それならいい。気にしないでくれ」

 安心するアランに対し、ディーノは不安げに口を開いた。

「……しかし、クリス様のお見合い相手だった人を、逃げ出した貴族の女を囲っておくっていうのは、まずくねえか?」
「……」

 アランはすぐには答えられなかった。問題が無いと言えば嘘になる。
 例えば、アンナがどこの馬の骨とも分からぬ輩とそういうことになったら、父はどうするだろうか。

「……」

 どう考えても穏やかな未来が想像できない。リチャードにしても同じだろう。激怒するのではないか。怒るだけならまだいい。もしリチャードが何かしらの報復行動に出たら? 何か厄介な要求を突きつけてきたら?
 しかし、それでもサラを、ディアナをリチャードのもとに返すという選択肢はアランには選べなかった。

 だからアランは、

「バレなければ問題無いだろう。バレたとしても、貴族の女だとは知らなかったと言い切ってしまえばいい」

 などと、気休めにもならない言葉をディーノに返した。
 これにディーノはやはり納得出来ない様子で、

「そうかあ? まあ、お前の言うとおり何事も無ければいいんだがよ」

 疑問交じりの返事をアランに返した。
 そして、ディーノは頭に添えていた手をようやく下ろしながら、続けて口を開いた。

「変な話をして済まなかったな。じゃあ俺はそろそろ帰るわ」

 淡白な言葉の後、ディーノはアランに背を向けた。
 ディーノの足が帰路を辿り始める。離れ始めたその背中に、アランは何故か何も言うことができなかった。

   ◆◆◆

 一方その頃、中央では――

「食料が届かない?」

 当主クレアの言葉に、召使いは頷きを返し、口を開いた。

「本来ならば三日前には届いているはずだったのです。遅れているだけかと思いましたが、クレア様、これはおそらく――」

 その言葉の続きはクレアが口に出した。

「兵糧攻めをされている、と考えて間違いないでしょうね」

 クレアは召使いから視線を外し、窓の外を見た。
 窓からは屋敷を囲むように灯されている数え切れないほどのかがり火が目に入った。
 その光景に、クレアは眉をひそめながら口を開いた。

「あの狸爺はこのまま我々を弱らせ、無理矢理にでも要求を飲ませるつもりなのでしょう」

 目に自然と力が入る。クレアはそんな眼差しを召使いの方に向け、尋ねた。

「食料の備蓄はあとどれくらいあります?」

 緊張が伝染したのか、召使いは一瞬言葉を詰まらせた後、声を出した。

「出陣したリック様にかなりの量を持たせてしまったので、このままだともって一ヶ月ほどかと……」

 短い。猶予はあまり無い。クレアは続けて召使いに尋ねた。

「今、この屋敷に戦える者はどれくらいおります?」
「おそらく百名ほどかと」

 たった百。当然だ。兵士のほとんどはリックが連れて行ってしまったのだから。
 なんという間の悪さ。もしリックと兵士達が残っていてくれれば、戦うという選択肢もありえた。
 戦うのは無謀。ならば選択肢はあと一つしかない。

「……なんとかして救援を、誰かにこのことを伝えに行かねばなりませんね」

 言うや否や、クレアは机から筆記用具を取り出し、紙の上に筆を走らせた。
 あっという間に十通の手紙が仕上がる。クレアはそれを召使いに差し出しながら口を開いた。

「これを使い走り十人にそれぞれ持たせなさい。夜の闇に乗じてこの包囲を潜り抜け、救援を呼びに行かせるのです」

 召使いは礼を返しながらその封筒を受け取り、駆け足で部屋を出ていった。
 召使いの足音が廊下の奥に消える。
 そして、クレアは小さなため息をつきながらソファーに腰掛けた。

「……バージル、そこに隠れて盗み聞きしていたのは分かっていますよ」

 クレアがそう呟くと、静かに部屋のドアが開き、その奥からバージルが姿を現した。
 何故気づいたのかをバージルは尋ねようとはしなかった。この女ならばそういうことが出来ても不思議では無いと思ったからだ。
 そして、何も言わぬバージルに対しクレアは口を開いた。

「……あなたは部外者。この件に関わる必要はありません。明日にでもここを出て行くといいでしょう」

 これにバージルは首を振った。

「……いや、悪いがもう少しここにいさせてもらう」

 クレアが「何故?」というような視線を返すと、バージルは答えた。

「この後どうなるのか、とても興味があるからだ」

 そのあんまりな理由に、クレアは薄い笑みを浮かべながら口を開いた。

「悪趣味ですね」

 これにバージルは悪びれた素振りすら見せず、

「では、俺は部屋に帰らせてもらう」

 と、一方的に話を打ち切り、その場を去っていった。

   ◆◆◆

 翌日――

 日が昇ったばかりであったが、ヨハンの陣中は不穏な空気に包まれていた。
 場にあるのは縛られ、跪く男。
 そして彼の傍には、見下ろすかのように立つ兵士の姿。
 兵士の手には剣が握られていた。
 兵士が剣を振り上げる。
 白刃に太陽の光が反射する。その眩さに跪く男が目を細めた瞬間――
 ざくり、と、肉を断つ音が場に響いた。
 男の首が地面に転がり、それを包むように赤い花が描かれる。
 その凄惨な光景に周囲にいる者達の視線が釘付けになる。
 いや、一人、それとは違うものを見ている者がいた。
 それはヨハンであった。ヨハンは男が持っていた封筒に目を通していた。

「予想通り、外に救援を呼びに行こうとしたか」

 ヨハンがそう言うと、傍にいた従者カイルが情報を付け加えた。

「たった今処分したその男を含めて『九名』捕らえました。どうなさいますか?」

 ヨハンは地面転がる首を顎で指しながら答えた。

「この男と同じで構わん。さっさと処分しろ。どうせ手紙の内容も同じであろう」

 そう言いながら手紙を破り捨てるヨハンに対し、カイルは小さな礼を返した。

 その頃――
 ただ一人、包囲網を潜り抜けたクレアの部下は、森の中をひたすらに走っていた。
 彼が目指す場所、それはクリスの城、戦いに向かったリックのもとであった。

   ◆◆◆

 そして、彼が目指すその地では、今まさに戦いの火蓋が切られようとしていた。

「アラン様、おはようございます」

 早朝、主の部屋を訪ねたマリアは、中に入ると同時に一礼した。

「ああ、おはよう、マリア」

 それにアランが簡単な挨拶を返すと、マリアは頭を上げながら口を開いた。

「出発の準備は既に出来ております」

 柔らかい口調であったが、マリアは遠まわしに早く身支度をするようにアランを急かしていた。
 だが、アランはこれに不快感を抱かなかった。アランは既に多くの人達が見送りのために外に出てきてくれているのを感じとっていた。だからマリアはこんな言い方をしたのだ。
 そして、アランは「わかった、急ぐよ」と、軽い返事を返そうとしたのだが――

(……?!)

 ふと感じたある気配に、アランの手は止まった。
 思わずその方角に向き直る。
 何かが、大きな何かが近づいてきている。

(これは、軍隊?)

 敵襲だ。それを声に出すよりも早く、城中に警鐘が鳴り響いた。

   ◆◆◆

 一転、城内は慌しさに包まれたが、そこは慣れたもの。兵士達は規律を持って行動し、すぐに出陣した。

 そして、両軍は平地にて対峙した。
 双方の陣形は同じであった。ある一部隊を前に突出させており、総大将の部隊はその背後にあった。
 クリスの前に立つのはアンナ。最大の火力を持つ主力を最前に置いた形。
 対し、リーザの前に立っていたのはリックであった。
 両軍が同時に前進を開始し、双方の距離がゆっくりと縮まる。

 その様子を、アランは遠くから感じ取っていた。
 今回の戦いにはアンナがいる。負けることは無いだろう。

「……」

 そう思っていても、手は自然と刀を握り締めていた。
 そして、アランの胸中に一抹の不安が湧き上がる。
 アンナがここにいることを敵は知っていたはずだ。なのに正面から堂々と攻め込んでくる? アンナに勝つつもりでいるのか?

「……」

 柄を握る手と眉間に力がこもる。
 その思いつめたかのような表情に、マリアは口を開いた。

「アラン様、わかっているとは思いますが、くれぐれもこの部屋から出ないようお願いします」

 その言葉に、アランは頷きを返すことが出来なかった。

   第二十九話 奴隷の意地 に続く
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