シヴァリー 第二十六話

   ◆◆◆

  ディアナからサラへ

   ◆◆◆

 三ヵ月後――

 新年を迎えたばかりであったが、クリスの城では忙しく縁談の準備が行われていた。
 城主クリスは広間にあるソファーに腰掛け、忙しなく動き回る従者達を眺めていた。
 その表情は決して良いものでは無かった。その原因を知る臣下ハンスは、クリスに声を掛けた。

「レオン将軍の調査で望む結果が得られなかったのは、真に残念でなりませんな」
「……それは仕方が無い。結果はどうあれ、我々の為に尽力してくれたことを感謝すべきだろう」

 クリスは「それに――」と言って言葉を続けた。

「まだ結婚すると決まったわけでは無い。向こうに何か無礼があれば、それを理由に縁談を反故にできるかもしれん」

 そう言ってクリスは笑った。
 恐らく相手はそんな下手なことはするような輩ではあるまい、ハンスはそう思ったが、それは口に出さず、

「そうかもしれませぬな」

 とだけ答え、クリスと同じように笑った。
 
   ◆◆◆

 その頃、クリスに縁談を持ち込んだ男、リチャードは妻と娘ディアナと共に馬車に乗り、クリスの城を目指していた。
 一行はちょっとした軍隊のようであった。リチャード達が乗る馬車の周りには多くの屈強な兵士達が並んでいた。
 リチャードはそんな馬車の窓から外をうかがいながら口を開いた。

「クリスの城へと続く谷間の道が見えてきたな。その手前にある関所に着いたら、そこで少し休憩しよう」

 彼の隣に座る妻は、その顔に喜びの表情を浮かべながら口を開いた。

「早く外に出て少し動きたいわ。ずっと座りっぱなしなせいで、お尻が痛くなってきちゃった」

 リチャードは妻の言葉に軽い笑い声を返した後、対面に座る娘ディアナに声を掛けた。

「谷間の道に入ったらもう休める場所は無いからな。関所に着いたらちゃんと便所に行っておくんだぞ」

 そう言ってリチャードは笑ったが、娘ディアナは頷きを返しただけであった。

「まったく、下品な言い方ね。もう少し上品に言いなさいよ」

 妻はそう言ってリチャードの笑みに釘を刺した後、娘ディアナの隣に座る召使いサラに声を掛けた。

「サラ、関所に着いたらディアナをお手洗いに連れていってあげて。それと、身だしなみに問題は無いかもう一度見てちょうだい」

 これに召使いサラは「かしこまりました」と答えながら深い礼を返した。
 妻の言葉を聞いたリチャードは少しあきれながら口を開いた。

「おいおい、またか? 身だしなみの確認は城に着く直前でいいだろう。何も道中でそこまで気を張らなくても……」

 妻はやや大げさに首を振りながら答えた。

「駄目よ。娘を見るのはクリス様だけじゃないわ。道行く人々全員に良い印象を与えるつもりでなきゃ駄目」

 妻は語尾の「駄目」という部分に少し溜めを効かせ、自分は譲るつもりは無いということを主張した。
 これにリチャードは少しうんざりしたような表情を浮かべながら、小さく鼻で笑った。
 その直後、馬車の中の空気が凍りついた。妻がリチャードの態度に怒ったからでは無い。外から兵士の悲鳴が聞こえたからだ。
 リチャードは何事かと窓から外の様子をうかがった。
 そこには矢にやられた兵士の死体と、戦闘体勢を取って声を上げる兵士の姿があった。

「賊の襲撃だ! 馬車を守れ!」

 兵士のその声が合図になったかのように、新手の賊が周囲の茂みなどから次々と姿を現した。
 兵士達と賊は激しくぶつかりあい、場はあっという間に乱戦となった。

「前方の賊を蹴散らして馬車を走らせろ! リチャード様達を関所まで避難させるのだ!」

 リチャードの側近はそう声を上げながら、賊に向かって突撃していった。

   ◆◆◆

 レオン将軍の臣下マルクスは、その様子を少し離れたところから見守っていた。
 マルクスは眉をひそめながらぽつりと言葉を漏らした。

「分が悪いな。リチャードはかなり強い兵士を雇っているようだな」

 これに傍にいた一人の兵士が口を開いた。

「前方は間も無く突破されてしまうでしょう。マルクス様、如何いたしますか?」

 マルクスは配下の兵士達を見回しながら口を開いた。

「仕方が無い。我々も出るぞ。ただし、我々がここにいた証拠を残すことはあってはならん。たとえ死体でもだ」

 マルクスの言葉に兵士達は頷きつつ力強い眼差しを返し、その士気の高さを示した。

   ◆◆◆

 マルクス達は茂みに隠れながら移動し、関所へと続く道の脇に伏せた。
 そして間も無く、リチャード達を乗せた馬車が迫ってきた。

「ぎりぎりまで引きつけるぞ。合図と同時に馬と車輪を狙って撃て」

 マルクスの指示に兵士達は頷きを返し、身構えた。
 そして馬車が目の前まで迫った瞬間、マルクスは声を上げた。

「今だ、撃て!」

 兵士達は一斉に光弾を放った。
 光弾は車輪を完全に破壊し、馬車を横転させた。
 馬の悲鳴が響く中、横倒しになった馬車は地面の上を滑りながら土煙を派手に巻き上げた。
 しばらくして馬車が止まると、開いた天窓からリチャード達がのろのろと姿を現した。
 そこに最も早く駆けつけたのはリチャードの兵士ではなく、賊の方であった。
 絶好の機、それを得た賊は高揚感に当てられたのか、突如声を上げた。

「我が父の仇、覚悟!」

 リチャードは恐怖に背を向け、関所へと続く道を走り出した。妻もそれに続いた。
 賊は逃げるリチャードの背に向かって光弾を放った。
 光弾はリチャードの右腕に命中した。彼の右腕はありえない方向に折れ曲がり、その衝撃と痛みにリチャードは悶絶しながら倒れた。
 リチャードの妻は夫を心配する様子を見せたが、それは一瞬だけであった。後方から迫ってくる賊に恐怖した妻は、夫を置いて一人で走り出した。
 リチャードはそんな妻の背に向かって左手を伸ばしたが、彼女が振り向くことは無かった。
 あきらめたリチャードは振り返り、賊との距離を確認した。
 賊はもう目の前まで迫っていた。その賊は光る手をリチャードに向けており、今にも光弾を撃ちそうな様子であった。
 リチャードは仰向けになりながら目の前に防御魔法を展開した。
 防御魔法は間も無く放たれた賊の光弾を弾き飛ばすことに成功した。リチャードの魔力は腐っても貴族のそれであった。
 これに賊は焦ったのか、狂ったようにリチャードの防御魔法に向かって光弾を撃ち込み始めた。
 この猛攻にリチャードの防御魔法はすぐに悲鳴を上げた。
 もう耐えられない、リチャードの顔が絶望に染まった瞬間、その賊の体は前のめりに吹き飛んだ。

「!?」

 リチャードは驚きに目を見開きながら、吹き飛んだその賊を目で追った。
 うつ伏せに倒れたその賊の背中は真っ赤に染まっていた。かなり強力な魔法がその背に炸裂したのであろう。

「リチャード様、ご無事ですか!?」

 直後、声がした方にリチャードが目を移すと、そこにはこちらに向かってくるリチャードの兵士達の姿があった。
 リチャードは安堵と怒りが混じった表情を見せながら兵士達に口を開いた。

「これが無事に見えるのか?! 貴様ら、私をちゃんと守らんか!」

 怒鳴るリチャードに対し、馬に乗った兵士が口を開いた。

「リチャード様、後ろにお乗りください! 関所までお連れします!」

 リチャードを後ろに乗せた兵士は渇を入れ、馬を走らせた。
 賊との距離はみるみる開き、それにしたがってリチャードの心は落ち着いていった。
 そんな時、後ろを見ていたリチャードの目に、あるものが映りこんだ。
 それは自分を置いて逃げていった妻であった。妻は腹を押さえながら横向きに倒れていた。
 その腰には矢が突き立っており、貫通した矢尻が妻の腹から飛び出していた。
 リチャードはそんな妻に対し、軽蔑した眼差しを向けながら唾を吐いた。
 賊との距離が十分に開いた頃、リチャードは折れた右腕を見ながら口を開いた。

「どこのどいつか知らんが、絶対にただでは済まさんぞ。この私にこんな事をしたこと、必ず後悔させてやる」

 リチャードはそう毒を吐きながらその場から去っていった。

   ◆◆◆

 一方、マルクスは遠くなっていくリチャードの背を忌々しいと言わんばかりの表情で見つめながら口を開いた。

「リチャードには逃げられたか……娘はどこに行った!?」

 これに傍にいたマルクスの兵士の一人が遠くを指差しながら口を開いた。

「娘は森の方へと逃げております!」

 マルクスがそちらに目を向けると、そこには草原の中を走るディアナと召使いサラの姿があった。

   ◆◆◆

 ディアナはサラの手を引きながら森を目指し走っていた。
 走るディアナの髪に矢が掠める。追ってきている賊との距離が縮まってきているのか、二人を襲う矢の数は明らかに増えてきていた。

「頑張って、サラ!」

 ディアナはちらりとサラのほうを見てそう言った。
 サラの方が体力はあるはずなのだが、その足は徐々に遅くなり、今ではディアナが彼女を牽引しているという有様であった。
 そしてとうとう限界を迎えたのか、サラは足をもつれさせ、その場に崩れ落ちるように倒れた。

「サラ……!」

 ディアナは倒れたサラに手を差し伸べようとしたが、その手は途中で止まった。
 うつ伏せに倒れたサラの背中には矢が刺さっていた。それも一本では無かった。

「走ってディアナ様。私はここまでで御座います」

 サラは申し訳なさそうにそう言ったが、その目は鋭く、力強かった。
 その視線と、迫る賊の姿に押されたディアナは、何も言わず振り返り、再び森へと走り始めた。

   ◆◆◆

 リチャードが襲撃された――
 この報せはすぐにクリスの耳に入った。
 当然のように縁談は中止となった。クリスは広間のソファーに腰掛け、片付けに併走する従者達の姿を眺めながら、傍に控える臣下ハンスに尋ねた。

「この事件、どう思う? ハンス」
「……レオン将軍が裏で何か手を引いた可能性はありますが、証拠はありませぬ」

 クリスは訝しげな顔をしながら再び尋ねた。

「賊を率いていた男は南の貴族だったそうだ。……ハンス、この貴族の家はこの後どうなる?」
「……このようなことをした以上、ただでは済みますまい。王から厳しい処罰が下されるでしょう。最悪、家は潰されることになるかもしれませぬ」

 ハンスの言葉にクリスはやるせない表情を浮かべながらただ一言、

「……そうか」

 とだけ口にした。

   ◆◆◆

 次の日の夜――

 ディーノは町のはずれで素振りをしていた。
 何百回目かになるその行為を終えたあと、ディーノは汗を拭きながら独り言を呟いた。

「そろそろ帰るか」

 槍斧を担ぎながらディーノが帰り道に足を向けると、そこには一人の女が立っていた。
 その格好にディーノは息を呑んだ。
 その女はぼろぼろであった。服はあちこち破けており、瑞々しい素肌を外気に晒していた。
 しかしその姿に艶かしさは感じられなかった。何度も転んだのか、その体は泥に塗れており、あちこちに擦り傷と引っかき傷ができていたからだ。
 その様子からディーノは、

(この女はきっと男に乱暴されてしまったんだろう)

 と考えた。
 そしてディーノは困った。この女に何と声を掛ければ良いのかわからなかったからだ。

(とりあえず何があったのかは聞かないほうが良さそうだな)

 そう思ったディーノは、怪我について尋ねようとしたが、ディーノが口を開くよりも早くその女は声を上げた。

「追われているんです、助けて下さい!」

 女がそう言うや否や、後ろに広がる夜暗の中から二人の男が姿を現した。
 これにディーノは女を庇う様に前に歩み出ながら口を開いた。

「おいお前ら、この女をどうするつもり……!」

 ディーノは自身の台詞を最後まで喋ることができなかった。その二人の男が突然光弾を女に向けて放ったからだ。
 ディーノは咄嗟に女を突き飛ばした後、槍斧を構えつつ二人の男に向かって踏み込んだ。
 二人の男は突っ込んでくるディーノを見て防御魔法を展開したが、それは何の意味も成さなかった。手加減無く放たれたディーノの一撃はその壁を容易に突破し、二人の男の胴をなぎ払った。
 二人の男が物言わぬ躯になったことを確認したディーノは、槍斧に付いた血を拭った後、地面に倒れたままの女に声を掛けた。

「もう大丈夫だ。怪我は無いか?」

 既にぼろぼろなのにこんなことを聞くのはちょっと変だな、とディーノは思ったが、女は小さくもはっきりとした頷きを返した。
 しかし、何故か倒れたまま動こうとしない女に対し、心配したディーノは再び声を掛けた。

「どうした、立てないのか?」

 言われた女は、少し慌てた様子で立ち上がった。
 ディーノは女の傍に歩み寄り、その体に大きな傷が無いかどうかを調べた。

「……派手な傷はねえが、泥が付いた傷口はちゃんと洗っておいたほうがいいな。足は大丈夫か? 歩けるか?」

 これに女が頷きを返したのを見たディーノは、兵舎の方を指差しながら口を開いた。

「近くに俺の家がある。そこで手当てしてやるから、付いて来い」

 そう言ってディーノは女の返事も聞かず歩き出した。女はそんなディーノの後ろに黙って付いていった。

   ◆◆◆

 兵舎に戻ったディーノは女をベッドに座らせ、慣れた手つきで傷の手当をしていった。
 見える部分の治療を手早く済ませたディーノは、「見えない部分」をどうすべきか悩んだ。
 相手は女性なのだ。その「見えない部分」には女性らしさを象徴するものがある。さすがのディーノでも、その部分に安易に手を出すことはできなかった。

(……子供じゃねえんだし、あとは自分でできるだろう)

 そう思ったディーノは棚から替えの服を取り出し、女の隣に投げ置いた後、口を開いた。

「見えない部分は自分でやってくれ。俺がやったのと同じようにすればいい。そいつは着替えだ。俺の服だからちょっと
でかいかもしれないが、それは我慢してくれ」

 ディーノはまくしたてるようにそう喋った後、「終わったら呼んでくれ」と言い残して部屋を後にした。

   ◆◆◆

 しばらくして、「終わりました」という女の声を聞いたディーノは、再び部屋の中に戻った。
 着替え終わった女は恥ずかしそうにベッドに座っていた。
 予想通りディーノの服は女には大きく、その胸元はぶかぶかであった。
 女はそれが気になるのか、見えそうになる胸元を隠そうと手で押さえていた。
 その初々しい反応はディーノの心を掻き立てたが、ディーノはそれを振り払うかのように口を開いた。

「とりあえず今日はもう寝よう。明るくなったら自分の家に帰るといい。俺は床で寝るから、お嬢さんはそのままそのベッドを使ってくれ」

 そう言ってディーノは明かりを消し、ボロ布を纏いながら床に寝転がった。
 ディーノは女に対し背を向ける姿勢を取った。それは「これ以上干渉するつもりは無い」という意思の表れであった。
 そして、暫くしてベッドから聞こえてきた衣擦れの音を最後に、夜は静かに過ぎていった――

   ◆◆◆

 次の日の朝、目を覚ましたディーノはあちこち痛む体をほぐしていた。固い床の上で寝たせいであろう、体の節々に鈍い痛みが残っていた。
 女は既に目を覚ましていた。よく眠れなかったのか、その顔には疲れが表れていた。
 疲れた顔をしているのはディーノも同じであったが、ディーノは自身に活を入れるかのように口を開いた。

「……じゃあ俺はこれから出かけるが、お嬢さんは好きな時に出て行ってくれ。戸締りはしなくても大丈夫だからな」

 女は何も答えなかったが、言いたいことはちゃんと伝わっているだろうと思ったディーノは女に背を向け、

「じゃあな。気をつけて帰れよ」

 という、とても味気無い別れの言葉を背中越しに投げ掛けた後、部屋を後にした。

   ◆◆◆

 夜が更け始めた頃、その日の仕事と訓練を終えたディーノは、疲れた体を引き摺りながら兵舎へと戻ってきた。
 女はまだ部屋にいた。ずっとそうしていたのだろうか、女はベッドの上にディーノが部屋を出た時と変わらぬ姿勢で座っていた。

「……なんでまだ帰ってねえんだ?」

 疲れからか、ディーノの口調には少し棘があった。
 女はおずおずと頭を下げながら口を開いた。

「……どうかお願いします、私をここに置いて下さい」

 これをディーノは予想していたが、実際こうなるとどうしていいか分からなかった。

「それは……」

 駄目だ、ディーノはそう言おうとしたが、女は頭を下げたまま再び口を開いた。

「帰りたくないんです。お願いします、ここに置いて下さい」

 女の肩は震えていた。これがディーノの情を揺さぶったのか、ディーノはあきらめた顔で口を開いた。

「……わかった、俺の負けだ。ただしずっとここに居てもいい、という意味じゃねえぞ。暫くの間だけだ。いつかは出て行ってもらうからな」

 これに女は顔を上げ、

「ありがとうございます」

 と感謝の言葉を述べながら、出会ってから初めての笑顔をディーノに見せた。
 その素直な感情表現に何故か照れたディーノは、目を背けながら口を開いた。

「……今日はもう疲れた。先に休ませてもらう」

 ディーノはそう言って昨日と同じボロ布にくるまりながら床の上に横になろうとしたが、突然思い出したかのような顔で口を開いた。

「そう言えばまだお互いの名前も知らなかったな。俺はディーノ。お嬢さん、あんたの名前は?」
「……サラと申します」

 ディアナは咄嗟にサラの名前を使った。

「そうか。じゃあお休み、サラ」
「お休みなさい、ディーノ様」

 その言葉を最後に、夜は昨日と同じように静かに過ぎて行った。

 こうしてディアナはサラとなり、ディーノとの奇妙な生活を始めることになったのであった。

   ◆◆◆

 一方、バージルの修行の日々は淡々と続いていた。
 それは緩やかであったが、着実に変化していった。
 バージルは今では十秒ほど石を浮かせられるようになっていた。

 そして、リックにも変化が現れていた。
 あの「見えない訓練」の後、右手に巻かれる包帯の量が明らかに減ったのだ。

 そして季節が移り、春が訪れた頃――
 その日、バージルは訓練場にてリックと対峙していた。
 双方は既に構えている。後はどちらが先に仕掛けるか。
 クレアはその様子を少し離れたところから見守っていた。


 一時間前――

「息子と手合わせさせて欲しい?」
「はい」
「……」

 バージルからの突然の申し出に面食らったクレアはすぐには答えられなかった。

「いけませんか?」

 バージルの眼差しに悪意は感じられない。だが、それでもクレアはその訳を尋ねた。

「何故です。見るだけでは不服ですか?」

 これにバージルは「はい」とはっきり答えた。

「……」

 クレアは暫し沈黙し、考えた。

(……精鋭の肩書きを持つ盾の一族の男。息子の修行の成果を見るには不足ない相手。悪い話では無い。それに技の「理」を教えさえしなければ見られるのも組み手も大して変わらない)

 クレアは「いいでしょう」と答えた後、言葉を付け加えた。

「ただし、真剣勝負は許しません。相手を殺さないように手加減すること。それと、有効な手が一撃決まった時点で終わりとします」

 この言葉を聞いたバージルは、深い礼を返した。
 だが、その顔は僅かに笑みを浮かべていた。

(……ここまではよし。後は勝負で技を使わせるだけだ。……お前たちが祖先から受け継いできた技術、もっと見せてもらわねばここに来た意味が無いからな)


 そうして今に至る。
 リックとバージル、双方の距離は少しずつ縮まっていた。
 間合いの広さでは槍斧を持つバージルの方に分がある。既に大きく踏み込めば攻撃を仕掛けられる距離。
 だが動かない。「一撃入った時点で終わり」というルールがバージルに緊張を与え、慎重にさせていた。
 対し、リックの緊張はバージルよりは軽かった。
 それはバージルが構えている武器がリックのよく知るものであったからだ。
 ゆえに、リックは先に仕掛けた。
足に魔力を込め、鋭く踏み込む。

「!?」

 その速度に、バージルは驚きをあらわにしつつも迎撃を放った。
 槍斧を右から左へ水平に一閃。直撃すれば首が飛ぶ一撃。
 これをリックは斧先が届くか届かないかのところで急減速をかけることで回避した。
 リックの足が一瞬止まる。バージルはそれを見逃さなかった。
 さらに一閃。リックの右肩を狙って斜めに振り下ろす。
 これをリックは体を右斜めに大きく傾けて回避した。
 槍斧を振り抜いた隙を突いて踏み込む。
 だが、リックはすぐに足を止め、後方に飛び退いた。
 バージルが光の壁を展開したからだ。
 リックはそのまま距離を取り、構えを整えた。

「……!」

 一方、クレアはバージルが放った一連の攻撃に目を見開いていた。
 加減が全く感じられない。あの振り方で寸止めが出来るとは到底思えない。一体どういうつもりなのか。

「……っ」

 答えの出ない問いに、唇をかみ締める。
 しかしクレアは試合を止めるべきだとは思わなかった。
 息子の回避動作に慣れと余裕が感じられたからだ。
 かつて長物を使う無能力者と何度か戦ったと聞いた。バージルが使っている獲物はそれと似ているか同じものなのだろう。
 そう考えたクレアは見開いていた目を細め、この戦いの行く先を思案した。
 そしてその視線の先、構えたまま微動だにしない息子は、母と同じくバージルとどう戦うべきかを思案していた。

(奴の攻撃、あの無能力者には劣るが侮れん。それに何よりもあの防御魔法、厄介だ)
そう考えた直後、リックはこの戦いが始まる前に母から言われた言葉を思い出した。


「息子よ、もし危ういようであれば奥義を使いなさい」
「バージルに見せてよろしいのですか?」
「構いません。戦場で強者と対峙すれば使わざるを得ないのですから。戦場で見せるもここで見せるも大差はありません」

 クレアは「それに――」と、言葉を繋げた。

「見るだけで簡単に盗めるようなものではありませんし」


「……」

 覚悟を固めるように、構えを再度整える。
個人的な感情を言えばこの男に見せたくは無い。だが、盾の一族の男――奥義を試す相手としては申し分無いことは確かだ。

(さて、どうするか)

 相手の構えを見ながら思案する。
 少しずつ浮かび上がってくる勝利への手筋。
 その手筋にはやはり奥義の使用が含まれていた。

(……やってみるか)

 確認するように心の中でそう呟いた後、リックは地を蹴った。
 リックの影が流れるように前に飛び出す。しかし速くは無かった。足に魔力は込められていたが、軽い踏み込みであった。
 ゆえに、バージルはその突進に容易に対応することが出来た。
 背負うように持っていた槍斧を振り上げつつ、左を向くように腰を捻る。
 そして、バージルは斧頭で頭上に半円を描いた後、腰にためた力を解放しつつ、リックの右肩を狙って槍斧を振り下ろした。
 腰による真横への回転の力が加わったことで、その一撃は斜めの軌道に、右肩から入って左わき腹に向ける袈裟斬りとなった。
 それを見たリックは目を見開いた。

(これだ!)

 予定とは違う。真横に払う攻撃を期待していた。だがこれでも問題は無い。
 そして、リックはついに使った。
 リックの足が常軌を逸した速度で動き、地を蹴る。
 だん、と、重い音が場に響き渡る。
 リックの像が伸びるように加速し、バージルの左手側に回り込む。
 直後、だん、と、先と同じ音。
あまりに速いため二つの音は重なって聞こえるほどであったが、その音を機に伸びていたリックの姿は急速に縮み、実像を取り戻した。

「!?」

 バージルの表情に変化が起きる。
 その変化は口を僅かに開いただけ。おそらく驚きを顔に表そうとしているのだろう。
 しかしそうはならない。その顔に驚きがはっきりと表れる前に、決着がつく。
 リックは勝利の確信と余裕を持って左拳をバージルの左頬に向けて放った。
 しかし、その拳は明らかに手心が加えられていた。魔力が込められていないし、素人目でも追えるくらいに遅い。
 これは悪戯であった。驚いているバージルの頬に、「ぺちり」と拳を当ててやるつもりであった。
 だが、次の瞬間――

「!」

 突如リックの視界に映りこんだ白い影。
 それが裏拳の要領で放たれたバージルの光る左拳であることを理解するのに、数瞬の間もかからなかった。
 バージルの顔面へ向けていた左拳の軌道を修正しながら魔力を込める。
 だが、この選択は間違いであったことをリックはすぐに悟る。
 瞬間、バージルの光る拳は突如輝きを増したのだ。

(!?)

 目を開けていられないほどの眩しさ。とんでもない魔力が込められているのがわかる。
 ぶつかり合いは絶対に勝てない。回避を――
 脳内でそれが言葉として浮かび上がるよりも早く、本能がリックに回避行動を取らせたが、それは間に合わなかった。
 両者の拳がぶつかり合い、甲高い衝突音と共に光の粒子が周囲に拡散する。

「がっ!?」

 直後、リックは大きく体勢を崩した。バージルの裏拳はリックの拳を一方的に叩き払っていた。
 リックは痛む左拳を押さえながら二歩よろめいた後、自身の拳を叩き払ったものの方へ目をやった。
 それはまだ輝いていた。バージルの左拳を包み込むように光が――

(いや、違う)

 光はバージルの拳全体を覆っているわけでは無かった。目を凝らすと、その光と輝きは甲の上だけにあった。

(これは――)

 それがどういうものなのかをよく知っていたリックは声を上げようとしたが、それよりも速くバージルのほうが先に口を開いた。

「ずっと疑問だった」

 そう言ってバージルは魔力を解除し、足元にある手ごろな石を拾い上げた。

「この訓練に何の意味があるのかと」

 バージルは石を手の平の上に乗せ、魔力で浮かせた。
 ……振動は無い。少しゆらついてはいるが、安定している。
 と思った矢先、石は突然弾かれたかのように手から飛び落ちた。
 バージルは石の行方を一瞥した後、リックの方に向き直り、口を開いた。

「最初は出力を制御するためだけの訓練だと思っていた。が、そうでは無いのだろう?」
「……」

 リックは何も言わなかったが、それが逆に答えとなった。ゆえにバージルは自信を持って次の言葉を発した。

「この訓練の目的は、魔力をある一点に集中させられるようにするため、違うか?」

 言いながら、バージルは指を一本立て、その先端部に魔力を集中させた。
 瞬く間に指先は光り出し、その輝きは眩しいほどになった。
 バージルは暫しの間そうした後、少し驚いた顔を見せるリックと視線を合わせ、再び問うた。

「……違うのか?」

 これにリックは仕方ないというような顔をしながら口を開いた。

「ああ、そ「正解です」

 だがその時、母クレアがリックの答えに割り込んだ。
 バージルとリックが視線を向けると、クレアは二人に歩み寄りながら言葉を続けた。

「その訓練は魔法制御の基礎訓練ですが、魔力の瞬時集中という応用を成すためのものなのです」

 そしてその延長線上に奥義がある。……とは、口が裂けても教えられないが。
 クレアは言葉を飲み込んだ後、バージルと同じように足元の石を拾い上げ、真上に放り投げた。
 何をする気だ? バージルはその一挙一動を注意深く見つめた。
 だが、クレアがやったことは至極単純であった。
 落ちてきた石を「つん」と人差し指でつついたのだ。
 すると、石は派手な音を立てながら粉々に砕け散った。

「!」

 これにバージルは驚きの表情を浮かべた。

(……魔力を込める予備動作が全く無かったように見えた。石を砕くほどの魔力を一瞬で指先に込めたというのか?)

 魔力を扱う際、人はなんらかの予備動作を見せる。
動きが止まる、または緩慢になる、手が発光を始めるというのはその代表だ。より正確に扱うため、決まった構えを取る者も多い。
 予備動作で行われていることは魔力を外に放出する前の「溜め」である。言い方を変えれば、扱う魔力が少ないのであれば予備動作はほとんど必要無いのだ。

(魔力の溜めと発動の早さには個人差があるが、訓練である程度補うことが出来る。そう、確かに出来るのだが……)

先のクレアの動作はバージルが知る「ある程度」を遥かに凌駕していた。

(何かが決定的に違う。どのような訓練を積めば、あのようなことが出来るようになるというのだ)

 ほとんどの人間は魔力を直感的に扱っている。ある日突然使えるようになり、その感覚を頼りに試行錯誤を重ねて上達するのだ。
 彼女は何かが違う。魔力を扱うという事の何たるかが彼女には見えているのではないか?
 もし、殺す気の彼女に触れられたら、手ごろな石を砕く程度ならば予備動作を全く必要としない彼女に触れられたらどうなるのか。恐らく、あの石と同じように事は一瞬で終わるのだろう。

(……)

 考えても分からぬ謎に、バージルは黙ることしか出来なかった。
 一方、表情を固めたまま黙り込むバージルに対し、リックのほうは誇らしげであった。
 魔力の扱いに関して母は間違いなく天賦の才を持っている。肩を並べられるものはこの世にいないだろう、リックは本気でそう思っており、それは事実であった。
 クレアの制御技術が卓越しているのは彼女が持つ「超感覚」のおかげである。魔力の流れを正確に感知することが出来るがゆえに扱いが上手いのだ。こうすれば魔力はこう動く、というのが分かっているのだから当たり前である。
 そして、クレアはバージルに向かって口を開いた。

「……とにかく、この勝負はバージル、あなたの勝ちです」
「……」

 勝利をいただいたバージルであったが、その顔はまったく嬉しそうでは無かった。
 そんなバージルに今度はリックが声を掛けた。

「しかし驚いたぞ。先の裏拳、見事だった」

 賞賛されたバージルであったが、やはり表情を変えないまま答えた。

「……いや、あれはただのまぐれだ。俺はお前の動きを全く追うことが出来なかった。反射的に体が動いただけだ」

 言いながらバージルは先の勝負を振り返っていた。

(あれは本当にただのまぐれだった。もし、実戦であったならば殺されているのは自分の方だっただろう。あの尋常ならざる加速、一体どうやったのか。集中させた魔力で地を蹴っただけでは無い。あれはそれだけでは無かった。コソコソ隠れてやっていたのはその訓練か?)

 そして、バージルはリックとクレア、二人の顔を見回しながらため息をついた。

(まったくとんでもないな。この家は怪物屋敷か?)

 リックとクレアのことを「怪物」と例えたバージル。
 しかし、自身もその怪物の領域に近づいていることを、バージルは気づいていないのであった。

   ◆◆◆

 夕食後――
 リックはクレアの私室に呼ばれた。それは先の勝負の内容とバージルについて話をするためであった。

「驚きましたね」

 クレアが手にある紅茶をスプーンでかき混ぜながら同意を求めると、リックはそれに答えた。

「はい。あのバージルという男、かなりの素質を持っているように思えます」

 クレアは紅茶を一口含んだ後、口を開いた。

「同意です。強い魔力を持つものは制御が不得意な傾向にありますが、バージルにはそれが無い。盗めとは言いましたが、こうもあっさりやられると、焦りを通り越して興味が沸きますね」
「……それは、あの男に技を教えてみたくなった、という意味でしょうか?」

 紅茶をテーブルの上に置きながらクレアは答えた。

「正直、そうしてみたい気持ちは少しだけあります」

 冗談のつもりであったリックはその意外な答えに少し驚いたが、クレアはすぐに「ですが」と言って言葉を続けた。

「あの男が盾の一族の人間であるという事実がその気持ちを抑え込むのです」

 それはどういう意味なのか、リックが問うような眼差しを向けると、クレアは一息分間を置いた後、答えた。

「……我ら偉大なる者の一族と盾の一族の間には、ある確執による因縁があるのです」
「確執? それはどのような?」

 あまり好まぬ話なのか、クレアは少しうんざりしたような顔で口を開いた。

「古い話です。まだ魔法信仰というものが形を成していない頃の」

 興味が沸く切り出しに、リックが身を乗り出すような仕草を見せると、クレアはゆっくりと語り始めた。

「……かつて大陸を統一した我が一族は繁栄し、栄華を極めました。多くの民達に称えられながら、淡々と技を磨くだけの時代が暫くすぎた後、ある不幸が我が一族を襲いました」

 リックが「それは?」と尋ねるよりも早くクレアは言葉を続けた。

「血が急に弱くなったのです。これは当時の我が祖先達の血縁関係がとても閉鎖的だったのが原因だと考えられています。そしてそんなある日、ある者達が我々に物申しました」
「その者達が……」
「そうです、盾の一族です。当時はまだそう呼ばれておらず、盾の一族たる特徴も備えていませんでしたが」
「その者達は何と言ってきたのですか?」
「その者達は技を磨くよりも他の強い血を積極的に取り込み、優秀な魔法使いを生み出すべきだと主張してきたのです」
「その主張に我が祖先達はどうしたのです?」

 クレアは再び紅茶を手に取り、一口含んでから答えた。

「どうもしませんでした。相手にしなかったのです。ですが、その者達は自分達の考えこそ正しいと信じ、行動に移しました。彼らは強い魔法使い達と交配を繰り返し始めたのです」

 リックが「それはまるで……」と続きを促すように言うと、クレアは頷きながら答えた。

「そうです。彼らが始めたことは今の我々が、魔法信仰がやっていることと同じです。そして彼らの行為は一つの成果を、強力な魔法使いを生み出しました」

 クレアは再び紅茶を口に含んだ。

「そして、その魔法使いは我々に勝負を挑んできたのです」

 これにリックは再び身を乗り出すような仕草を見せた。

「結果は?」

 興味津々(しんしん)と言ったリックに対し、クレアは少し暗い面持ちで答えた。

「我々の敗北で終わりました。その魔法使いは純粋な魔力の強さだけで、我が祖先達をねじ伏せたのです」

 この答えに、リックの顔も少し暗いものとなった。

「これは非公式な試合だったので外部にあまり知られなかったことが救いでした。ですが、ある者の耳に入ってしまいました」

 やや遠まわしな言い方であったが、リックは黙って次の言葉を待った。

「……それが今の魔法信仰の頂点に座る者、ヨハンの祖先にあたる者です。ヨハンの祖先は盾の一族の祖先と手を組みました。彼らは強い魔力こそ絶対かつ唯一の価値を持つと、魔力至上主義の時代が訪れると声を上げ始めたのです」

 ヨハンの一族の原点がそんな古いところにあるという事実に、リックは驚きでは無く感心を抱いていた。

「そして彼らのその行いに我らも巻き込まれることになりました。負けたという事実があるゆえに、我が祖先達はこれに強く反抗することができませんでした」

 その後どうなったのかは簡単に想像できる。そしてクレアはリックが思った通りの展開を話し始めた。

「そうしてヨハンの祖先達は誰とも敵対せずに一族を大きくし、勢力を伸ばしたのです。魔法信仰はそうして誕生しました。今の魔法信仰があるのは盾の一族のおかげだと言えるでしょう。
 その盾の一族の祖先達も順調に勢力を伸ばしました。が、いつからか彼らは魔力を遠くに飛ばすことができなくなりました。そして魔法の射程が完全に無くなった頃、周囲の者達が皮肉を込めて盾の一族と呼ぶようになったのです」

 クレアは紅茶に口をつけ、最後の一口をゆっくりと飲み込んだ後、締めの言葉を述べた。

「……以上が盾の一族と我々の歴史、魔法信仰誕生の歴史です」

 だが、クレアの話は終わらなかった。クレアは空になったカップの底を見つめながら再び口を開いた。

「ヨハンの祖先達は我等を担ぎ上げ、魔法信仰の象徴の座に座らせました。悲しいことですが、私達は彼らの傀儡なのかもしれません」

 考えたくないことであったが、それは真実のように思えた。

「そして我等は魔法信仰の象徴としては既にその価値を失っています。一方、教会の力は増すばかり。
……このままでは、いつかなにか良くないことが起きるのではないか。最近、そんなことばかり考えるようになってしまいました」
「……」

 不穏な言葉にリックは何も言えなかった。
 良くないこと、その想像はなんとなくつく。しかし口に出すことは出来なかった。

 強大な魔力を秘めた盾の一族と、技を受け継ぐ偉大なる者の末裔、その二つの怪物を取り込んでいる巨大な組織、教会。
 その巨木に新たな怪物が加わろうとしていることを、クレアとリックは知る由も無いのであった。

   第二十七話 移る舞台 に続く
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テーマ : オリジナル小説
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