シヴァリー 第二十二話

   ◆◆◆

  悩める者と暗躍する者

   ◆◆◆

 その頃、ラルフは寮の自室で机に向かい、羽ペンを握っていた。
 しかし筆は全く進んではおらず、ラルフの眼前にある紙は真っ白なままであった。
 夏の夜の蒸し暑さが、ラルフの指に汗を滲ませる。
 だが、ラルフは自身に流れる汗をふこうともせず、固まっていた。
 どれくらいそうしてじっとしていただろうか。ラルフは遂に意を決し、その指に力を込めた。

 リリィ、あれからいかがお過ごしですか。耐え難い暑さが続いていますが――

 ラルフはそこまで書いたところで紙を丸め、投げ捨てた。

「違う! こんなことが書きたいんじゃない!」

 あんな酷いことを自分はやりたくてやったわけじゃない、たったそれだけのことをラルフは書けないでいた。
 そもそも手紙を完成させたところで意味は無かった。ラルフはリリィが住んでいる場所の宛先を知らないからだ。届け先の分からない手紙などどうしようもない。
 しかしそんなことは最初からわかっていた。今のラルフは自分の気持ちをどんな形でもいいから表に吐き出したいだけであった。
 魔法信仰など糞ったれだ、ラルフはそう叫びたかった。いや、こんな汚い言葉をラルフは使わないだろう。魔法信仰は腐っている、くらいだろうか。

 その日、ラルフは結局何もできないまま夜を明かした。
 ラルフの心に棲む怪物は着実に成長していた。それが表に出るその時は、少しずつ迫っていた。
 
   ◆◆◆

 一方、リリィのいる収容所では熱病が蔓延していた。
 幸いにもリリィは病に侵されてはいなかったが、収容者のおよそ三割にも及ぶ人間が高熱に倒れていた。
 収容所内で労働に従事している者達の数は目に見えて減っていた。
 ほとんどの者達は部屋のベッドの上で高熱にうなされていた。
 だが、一部姿が完全に見えなくなった者達がいた。
 その者達は収容所の外に連れ出されたようであった。
 兵士達の動きからそれは明らかであった。人間一人が入っているように見える麻袋を兵士達が運んでいるのを何度も見たからだ。
 病死してしまった者達を外に運び出しているのだろう。リリィはそう思っていた。

 リリィの考えは一つ間違っていた。その袋の中に人間が入っているのは合っている。だが、その人間は――

   ◆◆◆

 そんなある日――

「リリィ、出ろ」

 早朝、まだ日が差し始めたばかりの時間に叩き起こされたリリィは、そのまま外へと連れ出された。
 連れ出された先は収容所の唯一の出入り口である大玄関であった。
 そこにはリリィ以外にも同じように連れ出されたらしい囚人達が十名ほどいた。彼らの前には収容所の管理人であるデズモンドが立ち、その周りには屈強な兵士達がいた。
 前にもこんな事があった。そして、よく見れば集められている人間は前回と同じであった。
 デズモンドが口を開く。

「今日は外である仕事をしてもらう」

 デズモンドは収容者達の顔を見回した後、言葉を続けた。

「既に分かっているとは思うが、仕事内容は前回やってもらったものと同じだ」

 そして、全ての囚人達の手足に前回と同じ拘束具が取り付けられた。

「それでは出発する。一列に並んでついてくること」

   ◆◆◆

 処分場に到着した一行は火葬場に案内された。
 リリィの脳内で嫌な記憶が蘇る。
 ラルフによってバラバラになった――そこまで考えたところで、リリィは強引に思考を切った。
 そして、押し黙る収容者達を前に、兵士が口を開いた。

「お前達にはそこに積んである麻袋の中身の処分をやってもらう」

 兵士が指し示す先には、乱暴に積まれている麻袋の山があった。
 その麻袋にリリィは見覚えがあった。収容所で兵士達が運んでいたものだ。

「麻袋を開けて中身を焼却炉に放り込むだけの簡単な仕事だ。すぐに始めろ」

 兵士の言葉に、収容者達は各自の判断で動き始めた。
 周りの人の動きを見ながら自身の仕事を決める。リリィはある老人と一緒に焼却炉の前に立った。
 他の収容者達が麻袋を開ける。その中で、最初に麻袋を開けた青年は袋の中身を見つめたまま固まった。

「あの、すいません……」

 青年が袋の中を指差しながらおずおずと口を開く。

「どうした?」

 尋ねる兵士に青年は答えた。

「この人……まだ生きて……」

 青年の発言に収容者達はギョっとなった。
 これに、兵士は特に驚いた様子も無く口を開いた。

「なんだ、そんなことか。その麻袋の中身のほとんどは病死した奴らだが、中には回復の見込み無しと判断されて、『破棄』された者もいる」

『破棄』、それは麻袋の中身を人では無く物として見ている言葉であった。

「助かる見込みが無い者を置いておいても、病が広がるだけだ。わかったらさっさと手を動かせ」

 これに青年は怒りを露にして反抗した。

「そんな! まだ生きている人を焼けだなんて!」

 これに兵士は口を開こうとしたが、青年はその暇を与えずにまくしたてた。

「それに、この熱病は不治の病なんかじゃない! ちゃんと治療すれば回復する! あんたらは病人を寝かせていただけで、何もしていないじゃないか! 薬を与えるどころか、水すらまともに飲ませて無い! いくらなんでもひどすぎるだろう!」

 そこまで言い終えたところで、青年の腹に光弾が叩きこまれた。
 青年の体が吹き飛び、壁に叩きつけられる。
 その際、後頭部を強く打ったためか、青年は地に伏したまま動かなくなった。
 だが、兵士はそれでは気が済まなかったのか、倒れている青年に何発も光弾を叩き込んだ。

「おいおい、やりすぎだ! 死んじまうぞ!」

 別の兵士の言葉に、男が手を止める。
 だが、既に手遅れであった。

「あーあ……どうするんだ、これ?」

 青年を殺害した兵士は焦りの色も見せずにこう答えた。

「死体が一つ増えただけだ。何の問題も無い」

 そう言って、兵士は青年の亡骸を麻袋の中に突っ込んだ。

「これで解決だ」

 ぱんぱんと、手を払いながら一仕事終えた顔をする兵士に、物申す者は誰もいなかった。

「ようし、お前ら仕事にかかれ」

 兵士の言葉に収容者達は一斉に手を動かし始めた。
 麻袋から生きている中身を取り出し、リリィと老人が傍に立つ焼却炉の台に乗せる。
 老人は中身を焼却炉の中に押し込もうと、台に手をかけた。
 だが、リリィは動こうとしなかった。

「逆らうな。殺されるぞ」

 老人が小声でリリィに警告する。
 しかし、やはりリリィは動かなかった。
 これに、青年を殺した兵士が気づいた。

「どうした。何を固まっている。さっさとしろ」

 もし、あの兵士を怒らせたら――予想される最悪な未来に、老人は思わず口を開いた。

「お嬢さん、どうか逆らわないでくれ。ワシは老い先短いが、ここで死にたくはないんじゃ」

 懇願するような老人の目。リリィは思わず目を背けた。

 その時、台に乗せられている男が目を細く開いた。
 リリィと視線が合う。その目はとても穏やかであった。
 台の上の男はか細い声で、しかしはっきりとこう言った。

「……気にするな。覚悟はとっくに出来てる。あんたが痛い目にあうことは無い」

 リリィの手が震える。

 この時、リリィは善たる心に従って兵士に逆らったと、そう書きたい。
 しかし、どうしようも無いことが時にあるのだ。それに、この場では逆らってもどうにもならない。
 リリィは本能に従い、生への道を選択した。

   ◆◆◆

 その後、リリィは心を殺して淡々と作業を続けた。
 だが、ある者を目の前にして、リリィの手は再び止まった。
 台の上に乗せられた女性、彼女のことをリリィはよく知っていた。
 その女性はかつてリリィが鞭打たれて倒れた時に面倒を見てくれた女性であった。
 そして、彼女はまだ生きていた。

「……」

 リリィの手が止まっていることに、あの兵士が気づいた。

「またか。同情は無用だ。さっさと手を動かせ」

 兵士の顔が険しくなる。
 このままではまずい。そう思った老人が、自分一人で台を炉に入れようと手に力を込めた瞬間――

「すまないが、一旦作業を中断してくれ」

 場に透き通るように響いた新たな人物の声。
 全員が振り返る。見ると、そこに立っていたのはサイラスであった。

「これはサイラス将軍。本日はこのような場所に一体どのような御用で?」

 兵士がサイラスに礼をしながら用件を尋ねる。
 サイラスは兵士に視線すら返さず、焼却場を見回しながら答えた。

「マギーという無能の貴族を探している。ここに来ているはずだ」

 そう言った後、サイラスの視線はある場所で止まった。

「ああ、その女性だ。良かった。間に合ったようだな」

 そう言いながら、サイラスは台に乗せられている女性の傍に歩み寄った。
 その際、サイラスはリリィと目が合った。

「おや? リリィじゃないか。こんなところで会うとは奇遇だな」

 この言葉は真実である。サイラスはリリィに会いにここへ来たのでは無い。
 声を掛けられたリリィは何と返事すれば良いか迷った。
 だが、サイラスはリリィの返事にさほど興味は無いらしく、視線を外し、入り口のほうに向かって口を開いた。

「フレディ」

 主の声にフレディが音も無く入り口から姿を現した。

「彼女を運び出せ。丁重にな。外に出したらすぐに薬を飲ませろ」
「へい」

 フレディのが返事をすると、担架を持った数人の部下がなだれ込むように部屋に入ってきた。
 部下達は慣れた手つきでマギーと呼ばれた女性を担架に乗せた。
 その時、青年を殺害した兵士が口を開いた。

「ちょ、ちょっとお待ち下さい。マギーが自由放免になったという話は聞いておりませんが」

 これにサイラスは少し得意気そうで、かつ自信ありげな顔で答えた。

「気にするな。諸君らにはなんら非は無い。あまりに急な話だったので情報の伝達が間に合わなかったのだろう」

 サイラスは懐から一枚の紙を取り出し、言葉を続けた。

「私が彼女、マギーの『免罪符』を買った。彼女の罪はもう許されている」

 免罪符、その言葉にリリィは違和感を覚えた。
 サイラスはマギーの罪が許されたと言った。その罪とは魔法が使えないことを指しているのだろう。
 そしてその罪は、収容所に入れられ、過酷な生活を強いられるほどのものであると、誰かに、または何かの組織に決められているのだろう。
 サイラスは『買った』と言った。それほどの罪が金で買えるということ、それにリリィは違和感を覚えていた。
 そして、そのサイラスは得意気な顔のままさらに言葉を続けた。

「手続きは既に済ませてある。この件に関して何かあれば教会の担当者に尋ねるといい」

 そう言ってサイラスは兵士から視線を外し、フレディと部下達に目配せをした。
 フレディ達はサイラスに視線と頷きを返した後、マギーを外へと運び出して行った。

「もう聞きたいことは無いようだな。では、これで失礼する」

 サイラスは兵士達を見回しながらそう言った後、焼却場から出て行った。

   ◆◆◆

 処分場の入り口に差し掛かった頃、ある人物がサイラス達を待ち受けていた。

「マギー! 本当にマギーなのか!?」

 紳士と呼べる佇まいをしたその男は、目を見開きながらそう叫んだ。

「間一髪だったが何とか間に合った。マギーは救い出したぞ、ジョナス」

 頷きながらそう言葉を返すサイラスに対し、ジョナスと呼ばれた紳士は深く頭を下げた。

「熱があるが、既に薬を飲ませてある。後は水と食事を与えてゆっくり休ませれば回復するだろう」

 サイラスはジョナスに歩み寄り、懐から取り出した紙切れを渡した。

「これがマギーの免罪符だ。絶対に失くさないようにな」

 ジョナスは目に涙を溜めながらもう一度深く頭を下げた。

「本当にありがとうございます、サイラス様。このご恩、どうお返しすればいいのか……」
「気にするな」

 あっさりとした返事をするサイラスに対し、ジョナスは食らいつくように口を開いた。

「それでは私の気が治まりません。なんでも、いえ何かおっしゃって下さい。私ができることであれば、どんなことでもするつもりです」

 サイラスはこれに困ったような表情を見せた。が、この顔は作り物であった。自身の望む方向に話が進んでいることに、サイラスは内心ほくそ笑んでいた。
 サイラスはその笑みを表に出さないように意識しながら口を開いた。

「あいにく、今日は忙しくてな。どうしても礼がしたいと言うのであれば、後日私の別荘に来てくれ」

 サイラスは部下に持たせていた荷物袋からペンと紙を取り出し、別荘の位置を記した簡単な地図を描いた後、それをジョナスに渡した。

「かしこまりました。後日、必ず伺わせていただきます」

 再び深い礼をするジョナスにサイラスは頷きだけを返し、その場を去った。

   ◆◆◆

 処分場を後にし、ジョナスから十分に離れたところで、フレディがサイラスに話しかけた。

「上手くいきやしたね」
「ああ」

 素っ気無いとも取れる簡素な答えを返すサイラスに、フレディは再び口を開いた。

「しかし、何だってこんなぎりぎりなんで? 冷や冷やしましたぜ」

 フレディの問いにサイラスは「何だそんなことか」とでも言いたげな顔をしながら答えた。

「ぎりぎりだからいいのだ。追い詰められているほど救いの手は輝く」
「なるほど。でも、もし手遅れになってしまってたら、その時はどうするつもりだったので?」
「その時はマギーの死を『上手く』ジョナスに伝えるだけでいい。死人でも十分役に立ってくれる」

 この答えに満足したのか、フレディは再び「なるほど」と言いながら手を打った。

「ところで、後で礼に来ると言ってやしたが、本当に来ますかね」
「それは大丈夫だろう。振る舞いと言動から義理堅い男であると感じた」
「来てくれなきゃ困りますもんね」

 サイラス達がマギーを助けたのは気まぐれや慈善活動では無い。ある目的に沿った行動である。

「しかし……あのフレディという貧乏貴族はあっしらの仲間になってくれますかねえ」
「それについてはフレディ、お前のほうが詳しいだろう。お前の見立てでは、あのジョナスとかいう貴族には『反乱分子』としての確かな素質があるのだろう?」
「ええ、それは間違いないと思うんですが」
「念のために聞いておきたいのだが、何を根拠にその素質があると思った?」
「ええとですね、それはジョナスが軍隊を持っていたからです」
「軍隊?」

 気になった言葉を声に出して尋ねるサイラスに、フレディはゆっくりと答えた。

「いえね、軍隊と言ってもそんな立派なもんじゃないんです。数十人くらいのもので」

 サイラスは頷きを返し、フレディに続きを促した。

「でも、その半数以上がただの農民で構成されてましてね。毎日夕方くらいになると、ジョナスの屋敷に隠れるように集まって、せっせと訓練してるんでさあ」

「ほう」と、言葉を返すサイラスに、フレディは言葉を続けた。

「ジョナスはその兵士達を戦争のために鍛えているわけでは無いようです。兵士を抱えていることを上に知らせていないみたいで」

 フレディの弁に納得したサイラスは口を開いた。

「それなら間違いないな。ジョナスはかなり危険な橋を渡ろうとしていたようだ」

 サイラスはあごに手を当てながら言葉を続けた。

「だが……マギーが助かったことで、ジョナスの心の中から危険な考えが消え去ったかもしれないな」
「え?! じゃあ、マギーを助けたのは失敗だったってことですかい!?」
「そんなわけ無いだろう……。マギーは私とジョナスを繋ぐという重要な役目を果たしてくれた」

 これにほっとしたような表情を浮かべるフレディに対し、サイラスは言葉を続けた。

「まあ何にしても、『こちら側』に引き込むには後一押しが必要だろうな」

 後一押し、それが何なのか、どうすべきなのか、そのイメージはこの時既にサイラスの中に出来上がっていた。

   ◆◆◆

 三日後、ジョナスは約束通りサイラスの別荘に姿を現した。
 両手に抱えきれないほどのお礼の品を持ってきたジョナスに対し、サイラスは最大限の礼儀と敬意を持って迎え入れた。
 だが、サイラスはこの場では『こちら側』についての話をしなかった。
 サイラスはジョナスと普通に談笑し、共に夕食をとった。
 そして、ジョナスは来た時と同じ笑顔で帰路に就いた。

   ◆◆◆

「本当に何も話さずに帰してよかったんですかい?」

 ジョナスとのささやかな宴が終わった後、フレディはサイラスに尋ねた。

「ああ、これでいい。それより、頼んでおいたことはどうだった?」
「それならばっちり、これくらい楽勝ですよ」

 そう言って、フレディは懐から美しい装飾が施された四角い箱を取り出した。
 それは煙草入れであった。火打石など、必要な道具が纏められている外出用のものであった。

「しかし、ジョナスの持ち物から一番高そうなものを盗んでおけだなんて、言われた通りにしやしたが、こんなものどうするんで?」
「それはもう一度会うための口実だ。明日それをジョナスのところに返しに行く」
「その時にあの話をするんですか? しかし、なんだってこんな回りくどいことを? 今日話したほうが良かったんじゃ?」
「それは明日になれば分かる。ちなみに、それにはお前も同行してもらうからな。ちゃんと寝ておけよ」
「え? あっしもですかい?」

 サイラスは念を押すように「そうだ」と答えた後、私室へと戻っていった。

   ◆◆◆

 次の日――

 サイラスはフレディを連れてジョナスが治める村に足を踏み入れた。

「あれがジョナスの屋敷です」

 そう言いながら、フレディはこぢんまりとしているが美しい屋敷を指差した。

「小さな屋敷だな。まあ、免罪符が買えない時点で予想はついていたが」

 貴族と一言で言っても色々な者がいる。一つは強大な魔法力を認められた者や、力ある貴族に上手く取り入った者のような、要は上から拾い上げられた者。そしてもう一つが、領民など下々からの厚い支持を受けて成った者だ。
 ジョナスは後者の貴族だ。貧乏であるが、民から慕われている。

「確か、屋敷に人が集まるのは夕方頃だと言っていたな」

 尋ねるサイラスに、フレディが頷きを返す。

「よし、それじゃあ適当な所に身を潜めてその時を待つぞ」

   ◆◆◆

 そして、日が沈み始めた頃――

 ジョナスは私室で事務仕事をこなしていた。
 その内容は泥臭いものばかり。人を雇う余裕がある貴族ならば絶対にやらないようなものだ。
 最後の書類に目を通す。ちょうどその時、ノックの音が部屋に響いた。

「入るぞ、ジョナス」

 ノックの主はジョナスの許可を得るよりも早くドアを開けた。

「……すぐにドアを開けたらノックの意味が無いだろう、ケビン」

 ケビン――彼のことを読者の皆様は覚えておいでだろうか。
 彼はかつてアランと共にサイラス率いる軍と戦ったことがある男である。そのケビンがなぜこんなところにいるのか。

「それで何の用だ、ケビン?」
「分かっているだろう。既に皆来ているぞ」
「もうそんな時間か」

 ジョナスは席を立ち、接客用の服に手をかけた。

   ◆◆◆

 裏庭には数十人ほどの人間が集まっていた。
 それは奇妙な集まりに見えた。半数ほどは完全武装した兵士であり、残りの半分は土や炭で汚れたボロを身にまとう農民であったからだ。
 そこへジョナスとケビンが姿を現す。それを見た兵士と農民達は、一斉に整列した。

「では、今日も始めよう」

 ジョナスが開始を告げる。簡潔な言葉であったが、兵士と農民達は鋭い返事とともに散開した。
 誰が何をやるのかは決まっているらしく、その動きには慣れが見え、兵士と農民達は各々訓練を開始した。
 土壁に向かって光弾を放つ者、腕立て伏せをする者など、それは様々であった。
 ケビンはその者達の周りをうろつきながら、訓練の成果を窺った。
 そして、ケビンはある場所で足を止めた。
 ケビンの正面には大盾を構えた二人の男が向かい合っていた。
 片方の男が気勢を上げる。男は盾を正面に構えながら突進し、対する男にぶちかましを決めた。
 受けた男が仰向けに倒れる。直後、ケビンは声を上げた。

「もっと足を踏ん張り、腰を入れろ! そんなへっぴり腰では敵の突撃を受け止めることはできないぞ!」

 場に響くケビンの怒声。だが、これに物怖じする様子を見せた者は誰一人いなかった。
 皆真剣そのものであった。皆心から強くなることを願っているようであった。

 そんな訓練の様子を、ジョナスは少し離れたところから見ていた。
 いや、正確にはその目は何の像も映してはいなかった。ジョナスの意識は場に集まった皆とは違うところを向いていた。
 ジョナスは迷っていた。
 このような事を――今の腐った魔法信仰に牙を立てようとしている事を、やめるべきなのでは無いだろうか? ジョナスはそう思うようになっていた。
 そう、やめたほうがいい。マギーは助かったのだから。
 ふと浮かんだこの言葉に、ジョナスは「はっ」となった。
 なんということを考えているのだ。そもそもこれは自分が始めたことでは無いか。
 ここに集まっている者達は皆、魔法信仰を憎んでいる。自分のように家族を奪われた者も多い。

「………ス!」

 そうだ、今更自分の身を安全なところに置くなど、彼らの怒りを鎮めよぅなど――

「ジョナス!」

 ようやく意識に届いたケビンの声に、ジョナスは我へ返った。

「あ、ああ、済まない。考え事をしていた」

 見ると、ケビンは鋭い目つきである方向を睨んでいた。
 視線を追う。すると、ジョナスの目に二人の男の姿が映った。
 それはサイラスとフレディであった。
 まずいものを見られた――場にはそんな危険な空気が張り詰めていた。
 何かを言うべきだ。ジョナスはそう思ったが、言葉が浮かばなかった。
 そして、この張り詰めた静寂を破ったのはサイラスであった。

「おっと、申し訳ない……お邪魔だったかな? 玄関を叩いたのだが反応が無くてね。裏から声が聞こえてきたものだから、失礼だとは思いながら覗き見に来てしまったのだ」

 これは当然嘘である。サイラスはフレディの先導を頼りに忍び込んだのだ。サイラスは玄関に近づいてすらいない。
 そして、サイラスの次の言葉を待つべきでは無いと思ったジョナスは、口を開いた。

「これはサイラス様、今日はどのようなご用件で?」

 できる限り平静を装いながら尋ねる。

「大した用じゃ無い。昨日これをうちに置き忘れて帰っただろう?」

 そう言ってサイラスはあの煙草入れを取り出した。

「……わざわざこれだけのためにご足労頂くとは」

 ジョナスはサイラスから煙草入れを受け取りながら礼を返したが、その動きはどこかぎこちなかった。

 ……そして、また静寂が場を支配した。
 何とかしなくては。疑惑を持たれることが無いよう、何とか言いくるめなければならない。
 そして、ジョナスが再び口を開こうとした瞬間、サイラスが鋭くこう言い放った。

「中に入って話さないか? その方がいいだろう」

   ◆◆◆

「回りくどいのは好かない。だから結論から聞きたい」

 ジョナスの私室に案内されたサイラスは、即座に尋ねた。

「……何をしようとしていた? 何を考えていたか、でもいい」
「……」

 口を閉ざすジョナスに、サイラスは追い込みをかけた。

「ジョナス、あのような軍隊を所有していることを、ちゃんと上に伝えているのか?」

 ジョナスの逃げ道を塞ぐ。人情味のあるこの男のことだ、このような追い込みをかけずとも、既に決心はついているだろうが。
 そして、サイラスの予想通り、ジョナスはそれを口にした。

「……私は、今の腐った魔法信仰に牙を剥こうと考えていました」
「……」

 わざと何も言わぬサイラスに、ジョナスはすがるような目を見せた。

「お願いします、サイラス様! この事はどうか内密に!」

 頃合か、そう思ったサイラスは口を開いた。

「……ジョナス殿、心配なさるな。私もあなたと同じなのだ」
「……?」

 同じ。その言葉はジョナスを安心させた以上に、困惑させた。

「それは一体どういう……」
「言葉通りの意味だ。私も貴殿と同じ危険な考えを胸に抱いているのだ」

 もったいぶった言い回しであった。はっきりとした言葉を聞きたい。そう思ったジョナスは再び尋ねた。

「危険な考えというのは、つまり――「しっ!」

 突然、それまで部屋の隅で空気のように存在を消していたフレディが、口に指を当てながら「黙れ」を意味する警告を放った。
 ドアを睨み付けながら口を開く。

「その重い足音、兵士さんだろ? そんなところで聞き耳を立ててないで入ってきたらどうだい?」

 静寂が数瞬場を支配した後、ドアは「きいい」と、軋みを上げながら開いた。
 そして、ドアの向こうからケビンが姿を現す。

「……」

 様々な思惑が交差する中、ケビンはゆっくりと部屋に入ってきた。
 その緩慢な動きから伝わるのは緊張では無く威圧感。鎧の上からでも分かる筋肉質な体つきと、油断の無いその動きは、この場を圧倒する何かがあった。
 不思議なことに場はケビンが放つ空気に支配されつつあった。だからサイラスは先手を打った。

「何者だ。名を聞かせてもらおう」

 鋭く言い放つ。これにジョナスが声を上げた。

「サイラス様、この者は私の兵士で――」

 サイラスが手をかざしてその口を閉ざす。

「ジョナス、私は彼の口から聞きたいのだ」

 兵士はゆっくりと口を開いた。

「……ケビンだ」
「ふむ、ケビンとやら、何を考えて盗み聞きしようなどと思った?」
「……」

 暫し後、ケビンは答えた。

「……もし、お前がジョナスの害になる男だったならば、この場で始末するつもりだった」

 その目は本気であると訴えていた。
 対し、サイラスはこの殺意を飄々とした態度で返した。

「それはまた物騒な話だな。安心しろ、ジョナスに害が及ぶようなことは決してしない」

 最後に「今のところは」という言葉があったのだが、サイラスはそれを口に出さずに飲み込んだ。

「……」

 ケビンは何も言わなかったが、発せられるぴりぴりとした敵意が少しだけ穏やかになった。
 それを感じ取ったサイラスは、少し踏み込んだ話をすることにした。

「ケビンとやら、その執念すら感じる振る舞い、ジョナスへの忠心だけから生まれているものではあるまい。何としても自身の中にある危険な考えを成し遂げたいと思っている、そんな気配を感じたぞ」
「……」
「ケビン、もう一度言うが私は味方だ。その上で尋ねたい。お前をそこまでさせるものはなんだ? 聞かせてほしい」
「……」
「……話しにくいことなのか? ならば……そうだな……まず私から、私が戦う理由を話そう」

 その言葉に、場にいる全員が反応した。
 魔法信仰に牙を剥く理由を話すということ、それはつまり自分の過去を話すということだ。そして、それはフレディも知らないことであった。

「……どこから話したものか……まず、私はこの国の生まれでは無い。私は外界から誘拐されてきた人間だ」

 これにジョナスは驚きを表した。そこから一代で将軍の地位まで上り詰めるのは並大抵のことでは無い。

「だから私は魔法信仰を憎んでいる」
「……」

 ケビンはまだ何も答えない。

「これではまだ信用できないか? ならば、そうだな……十五年ほど前に、この国で奴隷達が反乱を起こしたことは覚えているな?」

 この国の者では無いケビンでもそれは知っていた。

「あれを手引きしたのは私だ」

 さらりと言ってのけた衝撃の事実に、場の全員が膠着した。

「……あれは失敗だった。……奴隷達には本当にすまないことをしたと思っている。私は魔法信仰の、あの腐った集団の力を完全に見誤っていた。
 奴隷達が立てば、それに触発されて別の者達も立ち上がるはずだ、そう思って事を起こし、事実そうなった。……だが、それでも勝てなかった」

 サイラスはしみじみと言葉を続けた。

「外から少し圧力をかけた程度ではどうにもならない。それを悟った私は、魔法信仰を内部から食い尽くすことを決意したのだ」

 言い終えると同時に、サイラスはケビンと視線を合わせた。

「もう十分だろう。次は貴殿の番だ」
「……」

 ケビンはやはり答えないように見えた。
 だが、そうでは無かった。ケビンは考えていた。
 目線を落とし、思考にふける。
 暫し後、ケビンは再び視線を戻し、口を開いた。

「私は……元兵士だ。それも、あなた方から見て敵国のだ。ある部隊の隊長を務めていたこともある」

 自分は敵国の人間だ――驚きと共に悪い印象を与えかねない切り出し方だ。
 だが、この手の切り出し方をする話は、後半になり理由が判明するにつれ印象が良くなるものが多い。

 それを分かっているサイラスは黙って次の言葉を待った。

「私は村を、妻と子を守るために兵士になった」

 この時点で、サイラスはケビンが戦う理由の目星がついた。

「だが私は戦いに敗れ、村はお前たちに占領された。その後戦線を押し返し、私が再び駆けつけた時には、村は破壊され跡形も無くなっていた」

 村が占領された時――それは、カルロという守りを失ったあの時期のことを指しているのだろう。

「私は難民達の足取りを追った。そして、遂に同じ村の出身者を見つけた」

 幸運である。が、語るケビンの表情は暗かった。

「私はようやく妻と子の手がかりを得た……が、それは最悪な情報だった。私の妻と子はこの国の兵士達に拉致されていた。知らなければ良かった、そう思った」

 一呼吸分の間を置いた後、ケビンはジョナスの方に視線を移しながら最後の一言を述べた。

「そして、私は今ここで、ジョナスの元でこうしている」

 力強い眼差しを送るケビン。対し、ジョナスの表情はどこか申し訳なさそうであった。
 先ほどまで――サイラスに見られるまで、ジョナスの心は揺れていた。
 そんな自分が、ケビンの期待に、執念に応えられるのだろうか。そんな思いがジョナスの表情に陰りを与えていた。

 一方、サイラスはそんなケビンをやるせない表情で見つめていた。

(兵士に拉致された女子供がどうなるかなど、相場が決まっている。哀れだな。今頃は、誰かの慰み者に――)

 サイラスはそこで思考を一旦止めた。目に哀れみの色が現れそうになるのをぐっと堪える。
 サイラスは額に少し力を入れながら、再び思考を巡らせた。

(いや、恐らくケビンは自分の妻と子の結末を既に知っているのだろう。そう考えた方が執念すら感じるケビンの振る舞いに合点がいく)

 そして暫し後、サイラスは口を開いた。

「フレディ、あれを」
「へい」

 言われたフレディは、懐から一本の酒瓶を取り出した。
 受け取ったサイラスは、同じくフレディが用意した杯にそれを注いだ。

「使い古された慣習だが……同士となるための儀式をしよう」

 ケビンとフレディに杯を手渡す。
 そして、三人は暫し見合った後、誰からともなく杯を前に出した。
 三つの杯が軽くぶつかり合い、小気味良い音が響く。

「今日、我ら三人は、憎き魔法信仰を滅ぼすために、親子の絆よりも固い結束を持つ同士となることを、ここに誓う」

 サイラスの宣言の後、三人は同時に杯に口をつけた。

   ◆◆◆

 帰り道、フレディはサイラスに話しかけた。

「上手くいきやしたね、大将」

 サイラスは「ああ」と答え、

「良い拾いものをした。正直、最初はあまり期待していなかったのだがな。まさか隊長格の人間が手に入るとは」

 上機嫌でそう言ったが、「だが――」と言葉を続けた。

「ジョナスには迷いがあるように感じられる。監視をつけておけ」

 これにフレディは「へい」と答えた。

   ◆◆◆

 次の日の夜――

 サイラスは私室に二人の客人を迎えていた。
 一人はサイラスより一回りは年上に見える初老の男。そしてもう一人は女性で、その年はサイラスと同じくらいに見えた。
 サイラスは従者に茶を用意させたあと、人払いを済ませ、二人の客が腰掛けるテーブルの対面に座った。

「それで今日の用件は?」

 サイラスはいつも通りの口調で尋ねたが、初老の男は真剣な表情で口を開いた。

「……今日はラルフのことについて聞いておきたくてな」

 表情を変えないサイラスに対し、初老の男は言葉を続けた。

「神学校に入れられたそうだが、放って置いて大丈夫なのか? このまま成長して敵になれば手に負えなくなるぞ。今のうちに暗殺するべきではないか?」

 初老の男の問いにサイラスは答えた。

「今ラルフを始末するのは早計だと思っている」
「なぜだ?」
「ヨハン達も馬鹿では無い。今ラルフを暗殺すれば、血眼になって我々のことを探しだすだろう。そうなると全面戦争しか道は無い」
「それの何が問題なのだ? 今の我々の戦力ではどうあがいても勝てないと?」

 サイラスは少し間を置いたあと口を開いた。

「……分が悪いのは確かだが、ラルフさえいなければ勝ち目はあるだろう。だがもっと上手いやり方がある」
「それは?」
「ヨハンは近い将来、ラルフをカルロにぶつけるはずだ。事を決めるのはその戦いの決着が付いた後のほうが良い。
 理想的なのはラルフが勝つことだ。ラルフを暗殺するかどうかはその後でいい。味方であると思われていれば近づくのは容易だ」

 サイラスは二人の顔を比べるように見回した後、結論を述べた。

「それまで我々はじっと力を蓄えていればいい。ヨハンとカルロ、双方が消耗してから動くべきだろう」

 この国は一枚岩では無い。腐敗した宗教が政治にまで影響を及ぼしているのだから当然であるが。
 サイラスはそんな者達を束ね、着実に力を蓄えているのであった。

   第二十三話 神秘の体得 に続く
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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

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