末世の拳士 第八話

   ◆◆◆

  それぞれの道

   ◆◆◆

 屋敷に戻ったレオは暖かく迎えられた。
 正確には全てがレオを快く出迎えたわけではない。笑顔を見せたのは領主ルーカスとそれに近しい者達だけで、レオを追い詰めた女中達は嫌な視線をレオに送った。
 だが、レオは気にしないことにした。そうしたほうがいいと思った。この時はそれが何故なのかわからなかったが。
 そして、事情を知っているルーカスは気を利かせた。
 レオは仕事を変えられた。屋敷内から外に移され、庭の掃除や、馬の世話、使い走りをすることになった。
 これによってレオは女中達と関わることがほとんど無くなった。
 しかし外の仕事は酷であった。体力を求められるものが多かったからだ。
 だが、これにレオは文句一つ言わず、黙々と従事した。
 こうして、少し変わったが淡々とした日常がレオに戻ってきた。
 そして戻ってきたのはそれだけでは無かった。普通ではないあの日課も戻ってきたのであった。
 
   ◆◆◆

 夜――

 屋敷の裏庭に激しく動く二つの影、ロイとレオの姿があった。
 レオが屋敷に帰ってきた翌日からこの日課は再び始まっていた。ちなみに、やりたいと申し出たのはレオの方だ。
 ロイがレオに向かって拳を突き出す。
 鋭い。構えも整っている。ロイはレオがいない間も鍛錬を怠っていなかったのだ。
 対し、これを受けるレオの動きは緩慢であった。
 始まったばかりであるがレオの体は既に疲弊していた。昼間の過酷な肉体労働がレオの筋肉を打ちのめしていた。
 そんなレオにロイの拳が何度も襲い掛かる。
 当然のように捌ききれない。レオの体にロイの拳が何度も突き刺さる。
 苦痛に顔を歪めながら膝をつくレオ。
 すぐに立ち上がる。しかし、ロイはこれに再び仕掛けようとはせず、代わりに声をかけた。

「レオ、今日はやめにしといたほうが……」

 言い終えるよりも早く、レオは首を振った。

「気にしないで、ロイ。続けよう」

 そう言うレオの目には、ロイを圧倒する何かがあった。
 何に焦っているのか、これが執念というやつなのか、ロイはそんなことを考えながら拳を構えた。

   ◆◆◆

 そして、変わったのはレオの仕事だけでは無かった。
 街の様子も少し変わっていた。兵士の姿を見かけるようになったのだ。
 彼らは近くの国境を守るために派遣された者達であった。
 兵士達は時々、街へ休息に訪れていた。
 彼らはいつも大人数でやってきては、食堂と酒場を占拠し、騒いだ。
 しかし、特に問題は起きていないように見えた。
 だが、彼らの放つ威圧感に、街の者達は自然と身を固くしていた。

   ◆◆◆

 毎日ふらふらになりながらも、レオの日々は何事も無く過ぎていった。
 だがある日、大きな変化が訪れた。
 スコットが親の仕事を継ぐために街を出ることになったのだ。

「じゃあな、レオ、ロイ、アレックス、三人とも元気でな」

 別れの日、スコットはいつもの笑顔でそう言った。
 今生の別れでは無い。スコットの仕事は特定の地域間を往復するものだ。
 だが、この日のアレックスはいつもと少し違う様子で口を開いた。

「……ああ、元気でな」

 その口調と表情には明らかな寂しさが含まれていた。
 これをスコットは茶化した。

「なんだあ? アレックス、やけにしおらしいじゃないか。いつもの調子はどうした?」

 だが、アレックスの態度は変わらなかった。

「次、帰ってくるのはいつごろになる?」

 これを茶化すことは出来なかった。

「わからない。多分、半年後くらいだと思う」
「……そうか」

 互いが言葉を失い、沈黙に支配される。
 この気まずい空気を破ったのはアレックスであった。

「長くなりそうだったら手紙でも出してくれ」
「ああ、わかった」

 スコットが頷きを返すと、後方から野太い声が飛んできた。

「スコット、そろそろ出発するぞ」

 父の催促であった。

「分かった、今行く」

 スコットは父に軽い返事を返した後、アレックスの方に向き直った。

「じゃあ、そろそろ行くわ」
「ああ」

 二人はどちらともなく近寄り、抱き合いながら互いの肩を叩き合った。

「しっかりな、スコット」
「お前に心配されるほどやわじゃねえよ、アレックス」

 最後の最後にまた軽口。だが、スコットらしいと言えた。

   ◆◆◆

 その日の夜の訓練は早くに終わった。
 終わったというよりは「やめた」と言うべきか。訓練中にロイが突然拳を下ろしたのだ。
 どうしたのか? ロイは口を開いた。

「……なあレオ、俺達はどうなると思う?」
「え?」

 意味は分かっていたが、突然のことにレオは思わず尋ね返した。

「将来のことだよ」

 将来。未来のこと。ロイがこんな事を突然尋ねてきた理由はよくわかる。スコットが新しい道を歩み始めたからだ。

「……」

 レオは答えられなかった。先のことなんて、深く考えたことが無かった。
 黙るレオを前に、ロイは自身の考えを口に出した。

「俺はたぶん、スコットと同じように親父の跡を継ぐことになるんだと思う」

 至って普通。むしろ、今の世でロイがこれ以外の道を歩もうとするのは愚かであろう。

「……」

 対し、レオは何も言わなかった。
 それは嫉妬のせいであった。親がおり、その跡を継ぐという分かりやすい道があり、財力もあるロイのことがうらやましかった。
 そんなレオの心を知ってか知らずか、ロイは言葉を続けた。

「……お前がいなくなってから、気付いたことがあるんだ」

 その言葉は、レオの心の中にあった嫉妬心を好奇心に変えるに十分であった。

「悔しいけど、俺の親父は立派だってことさ。親父がいるから、この家は、街は成り立っているんだ」

 どうしてそう思ったのか。レオが尋ねるまでもなくロイは語り始めた。

「親父が少し屋敷を離れただけで、女中共は勝手に暴走し、結果お前はいなくなった。あの時の親父の剣幕と言ったら、
凄かったぜ。お前にも見せてやりたかったよ」

 ロイは軽く笑った後、再び口を開いた。

「でもな、親父はすぐに気を取り直したんだ。あの時の切り替えの速さといったら、不気味だったぜ。親父の中に別の誰かがいるんじゃないかと思ったくらいだ。
 なんでそんな風に出来るんだって聞いたらさ、親父はこう言ったんだ。『彼女達の気持ちがわかるからだ。貧しさと憎しみとはそういうものだからだ』ってな」

 ロイは少し難しい顔をしながら言葉を続けた。

「俺は納得できなかったぜ。お前を追い出した女中共のことがいつまでも憎くてしょうがなかった。
 でも、親父は女中達を憎むよりも、自分の力の無さを嘆いていたような気がする。そんな親父が睨みを利かせているから、俺の家は、この街はまともでいられるんだ」

 ロイはレオと視線を合わせた後、

「まあ、こんな事が言えるのはお前が帰って来てくれたからだけどな」

 と言って、再び笑顔を見せた。
 そしてロイはレオから視線を外し、

「俺は親父みたいになれるのかなあ。全然自信ねえよ」

 と言った後、最後にこうつけ加えた。

「こんな馬鹿みたいなことがやれるのも今のうちだけなのかもな……」

 少し寂しそうな目でそう言うロイに、レオは何も言えなかった。

 将来を気にし始めた二人。
 両者の身分、立場はかなり違う。同じ道を歩むことはないだろうと、二人は子供ながらに思っていた。
 ロイの歩む道はおぼろげに見えている。その先にはルーカスの背中がある。
 だが、結論から言えば、ロイはルーカスのようにはなれない。ロイは全く違う道を歩むことになる。時代がそうさせるのだ。

   ◆◆◆

 そして、時は流れ――

 何度目かになる春のある日。
 領主ルーカスは自室にてペンを走らせていた。
 その身に纏う雰囲気は変わっていない。だが、顔には苦労皺が増えていた。
 最後の一文字を書き終え、一息をつく。
 天井を仰ぐように背筋を伸ばしながら、疲れた目を手で押さえる。
 ルーカスはしばらくそうした後、姿勢を戻しながら声を上げた。

「ロイ!」

 直後、隣の部屋から足音が立ち、十秒も経たぬうちに部屋のドアが開いた。

「お呼びでしょうか、父上」

 姿を現したのはたくましい青年であった。

青年ロイイメージ

 レオがこの屋敷に帰ってきてから六年。その月日はロイを力強く成長させており、十八歳の誕生日を来月に迎えた彼の顔つきは、父ルーカスの血を色濃く表していた。

 そんな息子に、ルーカスは先ほど書き終えた書類を前に出しながら口を開いた。

「いつものところに使いを頼む」

 差し出されたそれを、ロイは両手で丁寧に受け取った。

「わかりました」

 そう言ってドアの方へ振り返った息子の背中に、ルーカスは再び声をかけた。

「待て、もうひとつ頼みたいことがある」

 向き直った息子に、ルーカスは封筒を手渡した。

「レオにも使いを頼みたい。それをレオに渡してくれ。もう何度も行かせているところだから説明はいらない。渡すだけでわかるはずだ」

 宛先を見る。自分が行く場所からそう遠くない。これならついでに寄っていけそうだ。

「これぐらいなら自分が……」

 言い終えるよりも早くルーカスは首を振った。

「いや、レオには街の者達にもっと顔を覚えてもらいたいと思っている。だからそれはレオにやらせてくれ」
「わかりました」

 納得したロイは父に一礼し、部屋を出て行った。

   ◆◆◆

 この時間ならレオはあそこにいるはずだ。そう思ったロイは屋敷の裏にある馬小屋に向かった。
 予想通りレオはそこにいた。
 重そうな干草の束を肩に担ぎ、運んでいる。
 レオは上半身裸で作業していた。春とは言えまだ風は冷たい。寒くないのだろうか? そんな考えはレオの肌を伝う大量の汗を見れば杞憂であることがすぐに分かった。
 今声を掛けるのはまずい。ロイはレオの仕事が一段落するのを待った。

 長い月日はロイだけでなく、レオもたくましく成長させていた。

青年レオイメージ

 その成長ぶりはもはや別人と言っていい。特に目につくのは体格の良さだ。それはレオの平均的な身長には不釣合いと言えるほどであった。
 十四歳ゆえに顔にはまだ幼さがある。だが、その身に纏う雰囲気は青年のそれであった。

 しばらくして、レオが手を止めたのを見たロイは、声をかけた。

「レオ!」

 呼ばれたレオは素早く振り返り、口を開いた。

「ロイじゃないか。俺に何の用だい?」

 レオはいつからか一人称を「僕」から「俺」に変えていた。
 意識して変えたわけではない。だが、強くなりたいという思いが、無意識のうちにレオに強い言葉を使わせるようになっていた。

 そんなレオに、ロイは封筒を差し出した。

「悪いが一つ使いを頼まれてくれないか?」

 これにレオは笑みを浮かべながら答えた。

「ああ、かまわない。着替えてからすぐに行くよ」

 封筒を受け取り、そう言いながら背を向けたレオを、ロイは呼び止めた。

「ちょっと待った。俺も似たような用事を頼まれてるんだ。途中まで道が同じだし、一緒に行こう」

   ◆◆◆

 その後、ロイはレオと一緒に屋敷を出た。
 二人で外に出るのは久しぶりであった。
 最近、いやここ数年、秘密基地に足を伸ばすことは無くなっていたからだ。
 それはスコットがいなくなったせいであった。
 スコットが新しい道を歩み始めたことで、アレックスも秘密基地に姿を見せなくなった。
 アレックスもいい年である。いつまでも秘密基地に時間を割くわけにはいかない。
 そうして皆は自然と疎遠になった。
 だが、それは仕方ないことであった。二人も納得していた。

   ◆◆◆

 街に入ってすぐ、ロイはあることに気づいた。
 レオが街の人にとても好かれているということだ。

「お! レオ! 今日はお使いかい?」

 気持ちの良い掛け声がレオに飛ぶ。
 レオが笑みを返すと、今度は別のところから声が飛んでくる。

「今日はうちに寄ってくれないのか?」

 申し訳なさそうな顔を返すと、また別のところから声。

「領主様によろしく!」

 忙しい。レオは困った様子で手を振った。

 街の人はレオではなく、その後ろにいる父のことを好きなだけなのかもしれない。
 だがそれでも問題無い。ロイはそう思った。顔が利き、慕われていることに間違いは無いのだから。

   ◆◆◆

 しばらくして二人は別れ、レオは商人の屋敷に足を踏み入れた。

「あら、レオちゃんじゃないの」

 更年期に差し掛かった頃に見える夫人がレオを出迎える。レオは「ちゃん」付けで呼ばれるような風貌では無いが、これは夫人の性格からだろう。

「今日はどういった御用?」

 レオは一礼しながら懐に手を入れ、取り出した封筒を夫人に差し出した。

「領主様の使いで参りました。これを旦那様にお渡し願います」

 夫人はほうれい線を目立たせるように口尻を緩めながら、封筒を受け取った。

「ご苦労様。確かに受け取ったよ」
「お願いします。では、自分はこれで失礼させていただきます」

 小さな礼をしてから立ち去ろうとするレオを、夫人は呼び止めた。

「あ、そういえば」

 何だろう、と言うような顔でレオが振り返ると、

「あんたが探してたアレ、見たって人がいたよ」

 という夫人の言葉に、レオは目を丸くしながら口を開いた。

「本当ですか?!」

 夫人はほうれい線をますます目立たせながら頷き、口を開いた。

「ああ、本当だよ。うちに物を卸してくれている人が言うにはね、大陸の中央で見たってさ」
「中央……」

 大陸の中央、それを聞いたレオの中で懐かしい記憶がよみがえった。
 あの日――まだ小さなロイが、スコットとアレックスに格闘技を教えてくれと秘密基地でねだったあの時、その中央のことが少しだけ会話に出た。
 アレックスは言った。中央は武の民と呼ばれる者達に治められていると、アレックスは言った。
 そこにあれが、母の形見の勲章がある。
 大陸の中央、それはとても遠いところなのだろう。どんなところなのか、どう歩けば辿り着けるのか、何も知らない。だがそれでも、レオの心は中央に強く惹かれていたのであった。

   ◆◆◆

 一週間後――

 夜、レオとロイは屋敷の裏庭で向かい合っていた。
 スコットが去ったあの日、ロイが「馬鹿なこと」と例えたこの格闘技の訓練は、いまだに続いていた。
 同時に身構える。
 二人の構えは全く異なっていた。
 ロイの構えはあまり変わっていない。口元を拳で隠すように両腕を折りたたみ、姿勢を低く保つ打撃戦を重視した構えだ。
 そして、小さく構えるロイに対し、レオの構えは大きなものであった。
 その両腕は前に出しつつ広げられており、右手は顔ほどの高さに、左手は腋の下から伸びるように前に出されていた。
 その両手は開手。ロイの握り拳とは正反対のものだ。
 足の構えも違う。ロイは両足を寄り添わせるように揃えた爪先立ち。対するレオは両足を肩幅より少し長い程度に広げており、右足を前に出している。
 全く違う双方はそのまま見合った。
 互いの距離は十歩分ほど離れている。だが両者とも微動だにしない。
 ロイは機を伺い、レオは待っている。
 そして、ロイは「じり」と、半歩分だけ足を前に出した。
 それを見たレオの顔が緊張に強張る。
 そして次の瞬間、

「!」

 来る、とレオが思った時には、既にロイの姿が目の前にまで迫っていた。
 凄まじい踏み込みの速さ。耳に聞こえたのは三度地を蹴る音。その音の間隔は恐ろしく短い。
 その鋭い踏み込みから右拳が繰り出される。
 驚異的な速さである、が――

「!」

 次の瞬間には、ロイの顔のほうが緊張に強張っていた。
 ロイの放った突きはレオの左手に叩き払われていた。
 見事な防御であった。ロイの放った突きの威力を殺すことなく、その力の方向を綺麗に真横に反らしていた。
 普通ならこんな綺麗に反応できない。しかし、レオがロイの突進突きを見るのはこれが初めてでは無い。もう何度も経験している。だから対応できる。
 ロイが攻め、レオが受けて返す、このやりとりはいつしかお約束となり、双方の構えと戦い方もそれに沿ったものに進化していた。
 そして、見事なのはレオの防御だけでは無かった。
 拳を逸らされたロイの体勢、上半身の姿勢が崩れる。
 だが、ロイは即座に右足を地面に叩きつけ、その反動を利用して踏みとどまった。
 それと同時に、腹部を狙って放たれたレオの右拳を左腕で防御する。
 レオの反撃はまだ終わらない。続けて左拳が弧を描きながらロイの顔面に迫る。
 防御は間に合わない。背を反らして回避行動を取る。

「っ!」

 ロイの鼻っ柱に鋭い痛みが走る。
 頭に刺さるような痛み。だが大したことは無い。かすめただけだ。折れてはいないし、出血も無い。
 レオの反撃は凌ぎきった。あとはこのまま距離を取って一旦仕切りなおし――

(――いや、違う!)

 ロイは本能が出した提案に従った。
 反らした背を戻す勢いを利用して屈み、姿勢を低くする。
 そして、レオの腹に頭を突っ込むように踏み込みながら、右拳を繰り出す。
 だがその一撃はあっさりと叩き払われた。しかし問題は無い。こちらは重心を低くしている。これならそう簡単には姿勢を崩されない。
 続けて左、右、左。
 速く、とにかく速く。レオに手を出させる暇を与えないように。

「!」

 レオの顔に焦りの色が浮かぶ。
 それは下半身の動きに表れた。レオはロイから距離を取ろうと、右足を後ろに引いた。

(逃がすか!)

 逃げようとするレオの右足を、ロイは左足で踏みつけた。

「!?」

 鈍い痛みと同時に、レオの右足が拘束される。
 レオは踏まれた足を引き抜こうと力を込めた。だが、ロイは体重のほとんどを踏んでいる足に乗せているらしく、びくともしなかった。
 そこへロイの左拳が、真っ直ぐな突きが襲い掛かる。
 まずい。が、これは防げる。叩き払えばいい――

(いや、それよりも――)

 その時、本能がレオにひらめきを与えた。
 レオは迫るロイの拳に向かって顔を近づけた。

(?)

 ロイはレオのその行動の意味がわからなかった。防御でも、回避でもない。
 拳を止めるべきか? ロイはそう思ったが、それは一瞬のことであった。
 そして、ロイの左拳がレオの鼻にめりこみ――

(?!)

 直後、ロイを違和感が襲った。
 軽いのだ。人を殴った重みを感じない。
 拳は触れている。感触がある。
 自分の左拳はレオの頬に当たり、そのまま殴り抜けた。そのように見えた。
 レオの首は痛々しくねじれている。こちらから後頭部が見えるほどに。
 しかし感触が無い。宙を舞う鳥の羽を殴ったかのようだ。
 つまり、これは――

(流された!?)

 レオは拳を顔面に受けた瞬間に首をひねり、受け流したのだ。
 まずい。慌てて拳を引く。
 だが間に合わない。伸びきった左腕を捕まれる。

(投げられる!?)

 引き込まれる感覚と浮遊感がロイの体に走る。
 踏ん張らなくては。だが出来ない。
 自分は左足に体重をかけている状態で左腕を勢いよく前に突きだしたのだ。レオはそれを利用して投げようとしている。踏ん張れるはずが無い。
 そして、浮遊感はさらに強くなり、ロイの足が地面を離れ――

「っ!」

 直後、体を襲った強い衝撃に、レオは体勢を崩した。
 振り返ると、右手を発光させているロイの姿が目に入った。
 その右手から薄い光の膜が盾のように広がっている。それがレオの体を弾き飛ばしたのだろう。
 これに、レオは立ち上がりながら声を上げた。

「おい、ロイ! ずるいぞ! 魔法は使わないって約束だったろ!」

 ロイは笑みを浮かべながら答えた。

「悪い悪い、つい使っちまった」

 この言い訳に、レオはさらに声を上げた。

「なにが『つい』だよ。お前、負けそうになったらいつも使ってるじゃないか!」

 少年から青年に成長する過程で、ロイは「魔法」を会得していた。
 彼の魔力が強いのかどうかはまだ分からない。比較する対象が少ないからだ。だが、父ルーカスと彼の傍についている執事と女召使いよりは強いことが分かっていた。

「すまんすまん。ほんと、ごめんって」

 軽い謝罪に、レオはうんざりするしかなかった。
 そして、レオが本当に気を悪くしているのを察したロイは、話題を変えることにした。

「ところで、お前のほうはどうなんだ? そろそろ魔法が使えるようになりそうか?」

 これに、レオは首を捻るしか無かった。

「そんなこと言われてもなあ……わからないとしか……」
「でも、スコットはお前の手が光ったのを見たって言ってたじゃないか。その時の感覚を思い出してみればいいんじゃないのか?」
「だから、それが出来ないんだよ……」

 レオはスコットから自身に魔法使いの才能があることを、屋敷を出たあの日、墓地でスコットを突き飛ばした時に魔法を発現させたことを聞かされていた。
 だが、レオはいまだに「魔法」が使えないでいた。

 分からないと言うレオ。対し、そう答えることが分かっていたロイは白々しくも言葉を返した。

「そうか……まあ、気長に待っていればいいんじゃないか?」
「……」

 ロイの適当な励ましに、レオは微妙な表情を返した。
 そして、ロイはそんなレオを無視して言葉を続けた。

「よし、じゃあ、今日はもうこれでお開きにしよう。また明日な」

 言いながらさっさと背を向けようとするロイに、レオは口を開いた。

「そういえば、そのスコットは一体どうしてるんだろう?」

 これにロイは「さあ?」と言うかのように首を傾げた。

「結局、あれから一度も連絡は来てないんだよな?」

 あれからとは、スコットが中央に向けて旅立った日のことである。
 ロイは暫し考える素振りを見せた後、答えた。

「……俺の知る限りじゃ連絡は何も無いな。アレックスのほうにも来てないらしい」
「どうしたんだろうな。正直、心配だ」
「……」

 沈黙が場を支配する。暫し後、ロイがこれを破った。

「……まあ、考えてもしょうがない。こちらからは連絡を取る手段が無いんだから、待つしかないだろ」

 ロイの言葉に、レオは眉をひそめたまま、

「……ああ、そうだな」

 と、答えることしか出来なかった。

 二人はスコットの事を心配している。しかし、それは他人事の領域を出ていない程度のものであった。
 安定した生活が二人の心に余裕を生み、そのようにしていた。目の前で事が起きなければ実感が沸かないのだ。
 しかし変化は時に怒涛のように押し寄せる。心の中にあるその余裕を軽く押し流してしまうであろうその波は、もう目の前まで迫っているということを、この時の二人はまだ知らなかったのであった。

   第九話 戦士の目覚め に続く
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