末世の拳士 第五話

   ◆◆◆

  伝播する憎悪

   ◆◆◆

 そして、遂にそれは起きた。
 ある日、いつものように子供達を「仕事」に送り出したエディは貧民区でその帰りを待っていた。
 だが、子供たちはなかなか戻って来なかった。
 そして、エディが痺れを切らした頃、ようやく小さな影が彼の前に現れた。

「……他のガキどもはどうした?」

 帰ってきたのは少年一人だけであった。
 その姿は異様であった。
 その少年は全身痣だらけであった。怪我が無いところを探すのが難しいほどに。

「……何があった?」

 エディが尋ねると、少年はぼろぼろと泣き始めた。
 そして、少年は泣きながらエディの袖を引っ張った。
 どこかに案内しようとしているのだろう。エディは黙って少年の意志に従った。
 
   ◆◆◆

 少年が案内した先に、それはあった。
「あった」という表現は適切では無いかもしれない。それは物では無いからだ。
 エディはそれに近づくことができなかった。
 貧民区の入り口に、投げ捨てるように置かれた「それ」――
「それ」をわざわざそこに置いた理由、そんなものは一つしか思いつかなかった。明らかに見せしめであった。
 エディは「それ」に何も出来なかった。エディが出来たこと、それはその場から逃げ出すことだけであった。

   ◆◆◆

 見せしめは十分に効果を発揮した。怯えたエディは家にこもり、窃盗団は自然に解散となった。

 だが、街から不穏な空気は消え去らなかった。
 どこかピリピリとした雰囲気。そんな息が詰まりそうな空気のまま、三ヶ月の時が過ぎたある日のこと――

「じゃあ皆、留守を頼んだぞ」

 馬車を背にしながらそう言うルーカスに、従者達は頭を下げた。
 ルーカスの傍にはレオの世話役である女召使いと執事、そして息子であるロイの姿もあった。

「レオ! おみやげたくさん持って帰ってくるから、楽しみに待ってろよ!」

 ロイの陽気な声にレオが頷きを返す。それにロイは笑顔を見せた後、勢いよく馬車に乗り込んだ。

「……もう少し落ち着きのある振る舞いをしなさい、ロイ。遊びに行くんじゃないんだぞ」

 ルーカスはそんな息子にため息を吐いた後、再び従者達に向かって口を開いた。

「では、出発しよう」

 頭を下げる従者達を背に馬車に乗り込む。女召使いと執事もそれに続いた。

   ◆◆◆

「ところで親父、俺たちがこれから会いに行くジェフっていう人は、どんな人なんだ?」

 出発してすぐ、ロイは父に尋ねた。

「この国で有数の権力者だ。軍を動かす力すら持っている」
「そんな御偉いさんなのか」
「そうだ。我が家はその御方に何度も世話になっている。今回お前を連れて行くのは顔合わせのためだ。しっかりと顔を覚えてもらえ」

 これにロイは「ふーん」と答えた後、再び尋ねた。

「俺の用事は分かったけどさ、親父は何のためにジェフさんに会いに行くんだ?」
「……」

 ルーカスはすぐには答えなかった。
 煙草を詰めたパイプに火を点ける。
 ルーカスは一口紫煙を味わった後、口を開いた。

「……軍隊を借りるためだ」
「軍隊?」

 物騒な言葉に、ロイは思わずその意図を尋ねた。

「我等雷族と氷族の間にある確執は日々強くなっている。……恐らく、それはもう止められないところまで来てしまっている」
「……」

 沈黙を返すロイに、ルーカスは再び紫煙を口に含んだ後、言葉を続けた。

「先月、ある国境線で衝突があった。それは、最初はただの民間人同士の衝突だったようだが、徐々に規模が大きくなり、遂には双方共に軍隊を出動させる事態にまで発展してしまった」
「……」
「……同じ国境沿いにある我が街にも、同じ兆しが見え初めている。だから、軍隊を要請しに行くんだ」

 この言葉に、ロイは最後まで何も言えなかった。

 そして、ルーカスが危惧するその兆しは、街で留守番をしているレオのもとに忍び寄っているのであった。

   ◆◆◆

 その頃――

 不穏な兆しの元凶の一つとも言える青年エディは、貧民区で暇を持て余していた。
 エディは原っぱで仰向けに寝そべっていた。
 先のことについて思慮を重ねているわけでは無い。エディは怠惰をむさぼっているだけであった。
 思わず、あくびがもれる。
 何度目かになるあくび。心地よい春の日差しは、エディに睡魔をもたらしていた。
 欲に従い目を閉じる。
 エディの意識がうつらうつらと、微睡(まどろ)んできたその時、

「よお、エディ」

 と、掛けられた声に、エディはゆっくりと上半身を起こした。
 声がしたほうに目をやると、そこにはドミニクとバートが立っていた。

「なんだ、ドミニクじゃねえか。久しぶりだな」

 ドミニクと話すのはいつ以来だろうか――そうだ、こいつに平手打ちをかましたあの日以来だ。

「何の用だ?」
「随分と暇そうじゃねえか、エディ。あの仕事はもうやめたのか?」

 質問を質問で返されたエディであったが、ここは素直に答えてやることにした。

「……あの仕事はもうできねえよ。街のやつら、皆ぴりぴりしててな。今じゃ近づくこともできやしねえ」
「なんだ、びびってるのか?」

 ドミニクの煽り文句に、エディはイラつきながら答えた。

「びびるとかそういう問題じゃねえよ。これ以上突っ込んだら、絶対やべえことになる」

 そう、これ以上突っ込んだら、あの「見せしめ」よりも酷いものを目にすることになる。
 だが、エディのそんな考えを知ってか知らずか、ドミニクはこんなことを言った。

「だからさ、もっと上手くやればいいんだよ」
「上手く? それはどういうことだ?」

 尋ねるエディに、ドミニクは得意げな顔で答えた。

「恨みを買いながら小銭を稼ぐんじゃなくてさ、こう、でかく稼げばいいんだよ」

 お宝を抱えるように両手を広げるドミニクに、エディは要点を尋ねた。

「でかくって、具体的にどうするんだ?」
「実はさ、今、領主はどこかに出かけてて不在なんだ」
「それがどうしたんだ」
「わかんねえのかよ? 領主と一緒に使用人も何人か出払ってる。つまり、領主の館はいま手薄なんだよ」

 ここまで言われて、エディはようやく理解した。

「つまり、領主の館に盗みに入ろうってことか?」

 正解だったらしく、ドミニクは笑みを浮かべながら頷きを返しながら口を開いた。

「そうだ。この辺で一番金持ちなのはあの家で間違いないからな。俺とバートだけじゃ不安だから、エディも手伝ってくれ」

 これに、エディは同じくらいの笑みを返しながら、

「ああ、いいぜ」

 と答えた。

   ◆◆◆

 帰り道、バートはドミニクに尋ねた。

「なあ、なんでエディを誘うんだ? 俺達だけでやればいいじゃないか」

 これにドミニクはめんどくさそうな顔で答えた。

「馬鹿だな、バート。それじゃあ失敗した時に困るだろ」

 わからない、というような顔をするバートに、ドミニクは説明した。

「あいつを連れていけばな、もし失敗しても、全部あいつのせいに出来るんだよ。なんせ有名なあの窃盗団を仕切ってたやつだからな」

 この言葉に、バートは納得したような相槌を打った。

 ドミニク、彼はまだ幼い少年であったが、その悪の才は既にエディを凌駕しているのであった。

   ◆◆◆

 そして、数日後――

「誰か! 誰か来て!」

 早朝、女中の鋭い声がルーカスの館に響き渡った。
 なんだなんだと、人が集まる。

「領主様のお部屋が荒らされているの!」

 これに、皆はどよめき、場は不穏な空気に包まれた。

   ◆◆◆

 すぐに犯人探しが行われた。
 だが、はっきりとした証拠は見つからなかった。
 それでも皆は探し続けた。
 疲労と戸惑いと責任感が皆の心に重くのしかかった。
 次第に、皆の心は荒れていった。
 それは徐々に態度に表れ、次に口調に表れた。
 荒れた心から発せられるキツイ言葉は、皆の心をさらに荒らしていった。
 そうして、荒れた心の矛先は、いつしかレオの方に向いていたのであった。

   ◆◆◆

「あなたが盗ったんでしょう!」

 レオの部屋の前で、女中が叫ぶ。

「し、知らないよ」

 否定するレオに、別の女中が声を上げた。

「昨日の夜、あんたがこそこそと外を出歩いているのを見た人がいるのよ!」
「それは違うよ! 僕は置き忘れていた掃除道具を片付けに行っただけで……こそこそしていたのは本当だけど、僕じゃないよ! 僕は盗ってないよ!」

 レオが言っていることは真実である。しかし、なんという間の悪さであろうか。

「信じられないわね。少し、あなたの部屋を調べさせてもらうわよ」

 ある女中のその声が皮切りとなり、「どっ」と、女達がレオの部屋になだれこんだ。
 押し入った女中達は、勢いのままにレオの部屋を引っ掻き回した。
 そして、ある一人がそれを見つけた。

「ちょっと! みんなこれを見て!」

 それは、母の形見である勲章と、金子袋であった。

「これは……銀じゃないの! こんな上等なもの、それにこんな大金、一体どうやって手に入れたの!」

 別の女中が言葉を付け足す。

「盗んだ以外に考えられないわね」

 レオは慌てて説明した。

「違う! それは、死んだ母さんが僕に残してくれたものなんだ! ルーカス様に聞いてもらえればわかる!」
「まあ! ルーカス様の名前を出すなんて! なんて図々しい!」

 レオの言葉は火に油を注いだだけだった。

「とにかく、これは私が預からせてもらうわ」

 女中が勲章と金子袋を懐に入れる。

「そんな! 返してよ!」

 その女中に対し、レオは思わず飛び掛った。

「ちょっと! 何するの!」
「返して! 返してよ!」

 レオと女中が揉み合う。

「やめなさい!」

 別の女中がレオを押さえつける。これに、他の女中達も続いた。

「離して! 離してよ!」

 足掻くレオ。しかし多勢に無勢。
 レオに組み付かれた女中は乱れた着衣を直しながら、口を開いた。

「まったく、これだから貧民区の子は……」

 この言葉に、別の女中が反応した。

「貧民区? この子は貧民区の生まれなの?」

 尋ねられた女中が頷きながら口を開く。

「そうよ」
「……それなら、この子がこんな事をしたのも、納得がいくわ」

 この瞬間、場の空気が変わった。

「この子も、あの窃盗団の仲間なんじゃないの?」
「そうかもしれないわね」

 空気だけでは無い。レオを見る目すら変わっていた。

「違う……違うよ! 僕はやってない!」

 レオの目にはいつの間にか涙が溜まっていた。
 まだ零れてはいない。レオは目尻に力を込め、必死で堪えていた。

「……」

 重い沈黙に場が支配される。
 暫くして、ある女中がそれを破った。

「……ねえ、ちょっと思ったんだけど」

 これに「なに?」と、隣の女中が尋ねる。

「先月あった盗難騒動も、この子の仕業なんじゃないの?」

 言うとおり、一ヶ月前にも似たようなことがあった。その時はルーカスがいたおかげで、皆が疑心暗鬼になることは避けられたが。

「つまり、この子はあたし達のお金でこの光り物を買ったかもしれないってこと!?」

 勲章を握り締めながら叫ぶ女中。彼女は既にレオのことを犯人だと決め付けていた。『そうしたほうが彼女にとって好都合であったからだ』。

「……」

 鋭い、いや、恐ろしいと形容した方が正しい視線がレオに突き刺さる。

「違う! ……違う!」

 その視線を打ち消すかのようにレオは叫んだ。

「……」

 だが無駄であった。女中達はこの盗人をどうするかについて思案していた。
「つう」っと、レオの目尻から涙が零れ落ちる。
 直後、レオはその場から逃げ出していた。
 そして、その小さな背を追いかけようとするものは誰もいなかった。

   ◆◆◆

 一方――

 仕事を成功させたドミニク達は人気の無い路地裏で、戦利品を前に沸き立っていた。

「こりゃあすげえ。しばらくは遊んで暮らせるぜ」

 興奮した様子でエディが声を上げる。

「ひい、ふう、みい……ひい、ふう、みい……」

 バートは金貨を何度も数えなおしていた。

「……」

 対照的に、この仕事を提案したドミニクは静かであった。
 ドミニクは盛り上がる二人の様子を暫し眺めた後、

「もういいだろ」

 と言って、戦利品を麻袋にしまい始めた。
 これにバートは「もうちょっと楽しませてくれよ」と言いたげな顔を見せたが、声には出さなかった。

「それで、どう分配する?」

 青年エディは何故か得意げな顔でそう言った。
 エディは以前のように、魔法という暴力を背景に、多くの取り分を得るつもりでいた。
 しかし、ドミニクはこれに意外な答えを返した。

「お前の取り分はねえよ」

 これに、エディは固まった。あまりの答えに、呆気に取られていた。
 呆れは次第に怒りへと変わり、エディは思わず口を開いた。

「おいドミニク、そりゃあ一体どういう――」

 エディの台詞は最後まで言葉にならなかった。
 エディの体は後ろに吹き飛んでいた。

(っ!?)

 エディの体が壁に叩き付けられる。
 胸に走る激痛。呼吸すらままならない。
 体を起こしながら視線を移す。
 直後、エディの目に入ったもの、それは発光するドミニクの右手であった。

「お前、いつから魔法が使えるように――」

 エディの台詞はまたしても最後まで言葉にならなかった。
 顔面に、光弾が叩きこまれる。

「!」

 顔のどこかの骨が砕けた音が、頭の中に響き渡る。
 激しく明滅するエディの視界。
 直後、光弾の発射音が再びエディの耳に入った。
 エディは思わず右手を前に出し、防御魔法を――スコットの拳を防いだあの魔力の盾を展開した。
 だが、エディの防御魔法はドミニクが放った光弾にあっさりと突き破られた。
 エディの胸に再び痛みが走り、胸骨がへし折れる音が脳内に響く。

(やばい、こいつ、強――)

 エディの中に焦りが生まれる。
 反撃を――エディの本能はそう提案したが、それが実行に移されることは無かった。
 その余裕が無かった。エディの体には次々と光弾が叩き込まれていた。
 威力、連射力ともに凄まじい。ドミニクの力はエディを圧倒していた。
 エディの中に死のイメージが生まれる。それは焦りを恐怖へと変えた。

(痛――やめ――)

 エディの願いは声にならなかった。

 エディの意識が徐々に闇に沈んでいく。
 それと共に、痛みは和らいでいった。
 遠くなる感覚に、エディは身をゆだねた。

 そして、青年エディの魂は天に昇った。

 ――暫くして、
 動かなくなったエディを前に、バートは恐る恐る口を開いた。

「おい、ドミニク……エディのやつ、死んじまったんじゃないか?」

 バートの声は僅かに震えていた。
 対し、ドミニクは「かもな」と軽い返事を返しながら、エディの亡骸を蹴り飛ばした。

「お前……いつから魔法が使えるようになったんだよ?」

 親友のバートですら知らなかった。

「最近だ。……しかしすげえな、魔法ってやつは。あれだけ威張り散らしてたエディが、あっさりと死んだぜ」

 死体を前に笑顔を見せるドミニクに、バートは何も言うことができなかった。

「よし、それじゃあ行くぞ」

 思わぬ言葉に、バートは尋ねた。

「行くって、どこにだよ?」
「この街を出るんだよ。その前に、まずは服を買いにいく。上等なやつをな」
「服?」

 何故? と、バートは問おうとしたが、ドミニクがさっさと歩き始めたため、仕方なく黙ってついていくことにした。

   ◆◆◆

 その頃――

 母の墓参りを済ませたスコットは、帰路に足を向けていた。

「降ってきそうだな」

 曇り空を見上げながらそう呟いた後、視線を戻したスコットは、ふと目に入ったある人物の姿に、足を止めた。

(ありゃあ、レオじゃないか)

 名を呼ぼうと、口を開く。
 だが、スコットの中にある何かが、声を発することを邪魔した。
 それは違和感であった。

(……?)

 その正体を探るため、目を凝らす。
 そして見えたのは腫れたまぶた。次に頬に残った涙の跡。

「……」

 スコットはゆっくりと近づき、静かに声を掛けた。

「よお、レオ。奇遇だな」

 これに、レオは「びくっ」っと、肩を震わせながら顔を向けた。

(ひどい顔だ)

 その顔を見たスコットはそう思った。だから、スコットは気にしていない素振りで口を開いた。

「お前もおふくろさんの墓参りに来たのか?」

 レオは何も答えなかった。

(……相手から距離を置こうとしているようなこの感じ、レオと初めて会った時に戻ったみたいだ。何があったかは分からないが、とにかくつらいことがあったんだろう)

 そう思ったから、スコットは慎重に口を開いた。

「……何があったんだ?」
「……」

 レオは答えない。

「話してみろよ。少しは気が楽になるかもしれないぜ?」
「……」

 レオは言葉の代わりに、涙を返した。

「……ゆっくりでいい、落ち着いてから話せ」

 レオはしばらく嗚咽を繰り返した後、口を開いた。

   ◆◆◆

「……そうか、そりゃあつらかっただろうなあ」

 話を聞き終えたスコットはこんな感想を漏らした。

「……」「……」

 そして、それきり二人とも口を閉ざしてしまった。
 レオはスコットの言葉を待っていた。何かを期待していた。
 対するスコットは、何を言うべきか悩んでいた。

(……どうする? なにを言えばいい?)

 答えは出てこない。

(多分、悪いのは女共の方だ。だが、今は女共の考えを改めさせることは難しいだろう。ここは堪(こら)えるしか無い。理不尽な目にあったとしても、我慢するしか……)

 スコットは腹を据えるために下腹部に力を込めながら、口を開いた。

「……つらいだろうが、帰ろう、レオ。俺が一緒についていってやるから」

 この言葉は期待を裏切ったらしく、レオは激しく首を振った。

「……我慢するしかねえんだ、レオ。お前はまだ子供だ。一人じゃ生きていけない。つらくとも、耐えなきゃいけないときがあるんだ」

 スコットは逃がさないとでも言うように、レオの腕を握り締めた。
 レオは振り払おうと腕を動かしたが、スコットの腕力に勝てるわけが無かった。

「堪えてくれ、レオ。いざとなったら、俺が頭を下げるから」

 これに、レオは珍しく怒りをあらわにした。

「頭を下げる?! どうして?! 僕は何も悪いことはしていない!」

 激しく暴れだすレオ。スコットがこれを力ずくで押さえ込もうとした時――

「!」

 一瞬、スコットの視界が白に染まる。
 同時に、痛みが胸に走る。

 そして、気づけばスコットは仰向けに倒れていた。

(――何が、起きた?)

 いや、それは分かっている。

(今のは、魔法?)

 痛みにあえぎながら体を起こす。

(レオが魔法を使ったのか?)

 いやいや、今はそんなこと問題じゃない、それよりも――

「レオ!」

 名を叫ぶ。しかし、その小さな姿は既に無くなっていた。

   ◆◆◆

「くそ、降ってきやがった」

 弓を背負う男、アレックスは空に向かって悪態を吐きながら、足早に家を目指していた。

(今日は散々だ。獲物は取れないわ、弓の弦は切れるわ、その上、雨まで降ってきやがって)

 ばしゃばしゃと水音を立てながら、

(こりゃあ、家に着く頃にはずぶ濡れだろうな)

 などと考えていると、自分よりも大きな水音を立てて走って来る人の姿が目に入った。
 それが自分のよく知っている人物だと気づいたアレックスは声をかけようとしたが、それよりも早くその者、スコットが声を上げた。

「アレックス! レオの姿を見なかったか?」

 その語気の強さに、アレックスは思わず声を返した。

「いいや、見てない。どうした? 何かあったのか?」

 スコットは事の次第を早口に説明した――

   ◆◆◆

 その後、スコットとアレックスはレオを探して走り回った。

「レオ! 聞こえてたら返事をしてくれ、レオ!」

 走りながら名を叫ぶ。
 しかし、その声はどしゃぶりの雨音にかき消された。
 そも、自分から逃げたレオが呼びかけに答えるはずが無い、そう分かっていてもスコットは声を上げずにはいられなかった。
 雨に打たれながら、声を上げながら、スコットは心の中で後悔を繰り返していた。

(ああ、くそ。俺はなんて馬鹿なんだ。間違えた。俺は、レオにかける言葉を間違えちまった。
 あいつは精一杯気張ってたんだ。子供だけど、子供なりに、一生懸命に気張ってたんだ。俺がおふくろを亡くした時だってそうだったじゃねえか)

 スコットの脳裏に古い記憶が蘇る。その中で、スコットは先のレオと同じように墓の前でまぶたを腫らしていた。

(キツい現実の話なんてするべきじゃなかったんだ。今のあいつには、誰かに甘えさせることが一番必要だったんだ。そうだ、俺の家に一日二日くらい泊めてやれば、そうすれば良かったんだ)

 後悔は足を速めた。

「!」

 しかし、雨によって柔軟になった泥が、そんな焦る足裏を絡めとった。
 茶色い水しぶきを上げながら派手に転倒する。

「なにしてんだ、スコット!」

 アレックスの声が飛ぶ。

(本当だ。まったく、何をしてるんだ、俺は)

 スコットは戒めのようなものを胸に抱きながら、勢い良く立ち上がった。

   ◆◆◆

「糞!」

 街と貧民区を二週ほどしたところで、スコットはそう声を上げた。
 膝に手をつき、座り込む。
 疲れ果てているスコット。対し、アレックスの方はまだ余裕があるように見えた。
 アレックスはうなだれるスコットを見下ろしながら、口を開いた。

「これだけ探して見つからないってことは、街の中にはいないんじゃないか? あとまだ探してないところは……」

 遠くを見ながら、アレックスが言葉を続ける。

「あの山しかないな」

   ◆◆◆

 一方――

 レオはあの果実の木の下で、膝を抱えるように座り込んでいた。
 レオはまた泣いていた。
 レオは悔しかった。
 何が悔しいのか? 意外にもそれは自分のことを信じてくれなかった女中達に対してでは無かった。
 レオは自身の弱さを悔いていた。
 どうして自分は逃げてしまったのか。どうしてもっと反論しなかったのか。
 気の強い友の姿が脳裏に浮かび上がる。
 その友――ロイならきっと、拳を振り回しながら、体ごとぶつかりながら、自分の意見を主張するだろう。
 どうして自分はそういうことが出来ないのか。
 考えれば考えるほど、レオの気持ちは沈んだ。
 顔をうつむかせ、目を閉じる。
 真っ暗な視界はレオの気持ちを少しだけ鎮めた。
 そして、レオは思考を切り、雨音を聞くことだけに集中した。
 その時ふと、レオの耳は雨以外の音を拾った。
 それは人の足音であった。
 思わず顔を上げる。
 目に入ったのは、走ってくるスコットとアレックスの姿であった。

「レオ!」

 スコットが叫ぶ。
 その声に弾かれるように、レオは走り出した。
 だが、その足はスコットの方を向いてはいなかった。
 レオはスコットに背を向けたまま、山の奥へと踏み込んでいった。

 自身と同じくらいの高さの草花を掻き分けながら進む。
 鋭い葉が、レオの柔肌に次々と赤い線を走らせる。
 だが、今のレオにはそんな痛みなど些細なものであった。
 それよりも心が痛かった。
 また逃げるのか?
 そんな後悔を抱きながら、レオは足を進ませていった。

   ◆◆◆

「待て、待ってくれ! レオ!」

 小さな背を追いながら、スコットは何度も叫んだ。
 いや、背を追いながら、というのは正しくない。生い茂った背の高い草花のせいでレオの姿は完全に見えなくなっていたからだ。スコットとアレックスは前方から聞こえる、レオが茂みを掻き分ける音を頼りに追いかけていた。
 最初はすぐに追いつけるだろうと踏んでいた。
 それは甘かった。ぬかるんだ土がスコットとアレックスの足を重くしていた。
 恐らく、体重の軽いレオは土に足を取られていないのだろう。双方の距離は縮まる気配を見せなかった。
 焦るスコット。レオに掛ける言葉を間違えたという後悔が、スコットの心を急かしていた。
 そして、アレックスも焦っていた。しかしそれは、スコットが抱いているような後悔から来るものでは無かった。

「そっちは危ない! 止まれレオ!」

 アレックスの焦りは警告として現れた。レオが進む先にあるものは――

 そして、レオの音が消えた。
 草を掻き分ける音も、足音もしない。
 止まってくれたのか? スコットはそう思った。
 もうすぐ森を抜ける。前方に開けた場所があるのが見える。
 追いかける勢いのまま、そこへ飛び出す。
 そして、スコットの目に映ったもの、それは濁流と化した渓流であった。
 レオは? 辺りを見回す。だが、どこにも姿が見えない。

「レオ!?」

 まさか――そう思いながら、足を一歩前へ出す。
 少しでも渓流に寄って、レオの姿が無いことを、最悪な想像が間違いであることを、確認しようとしたつもりだった。
 しかし、雨でぬかるんだ川辺の土は、スコットのそんな甘い考えを読んでいたかのように、危険な罠を仕掛けていた。
 ぬるり、と、踏み出したスコットの足裏が滑る。
 直後、スコットの体は浮遊感に包まれた。
 滑り落ちる!? スコットの脳裏に死のイメージがちらついたその瞬間、
 がしり、と、スコットの腕は力強い別の者の手に支えられた。

「馬鹿野郎! 死ぬ気か!?」

 怒りを声に滲ませながら、アレックスはスコットを引き上げた。
 間一髪のところを救われたスコットであったが、その視線は濁流を見つめたままだった。

「レオ!」

 もう一度叫ぶ。
 返事は無い。

「レオ! レオーーっ!」

 力の限り叫ぶ。
 だが、帰ってきたのはこだまのような反響音だけであった。
 そしてそれすらも雨と濁流の音の中に空しく掻き消えたのであった。

   ◆◆◆

 次の日――

 レオの行方がわからなくなったというスコットの報告に、屋敷にいた女中達は慌てた。
 が、それは少しの間だけであった。女中達は自分のせいでは無いと言うかのようにすぐに平静を取り戻し、いつもの仕事を始めた。
 しかしそんな中、ある女中だけは違った――

   ◆◆◆

 その女中は街の中を歩いていた。
 その手には、あの勲章が握られている。
 足早にある場所を目指す。
 だが途中、近道の路地裏に入ったところで、一人の女が立ちふさがった。
 その者は同じ女中、仕事仲間であった。

「何か用?」

 警戒心をあらわにしながら尋ねる。

「……その銀の首飾り、どうするつもりなの?」
「……」

 女中は勲章を握り締めたまま答えなかった。
 が、仕事仲間が代弁した。

「この路地の先にある、宝石屋に売りに行くつもりだったんでしょう?」

 図星であった。が、

「違うわ。そんなことするわけないじゃないの」

 と、嘘をついた。
 これに対し、仕事仲間は「切り札」を使った。

「……先月、屋敷であった盗難騒ぎ。あれ、あなたの仕業でしょ?」
「……違うわ。何を言っているの」
「私、見てたのよ」

 この目が証拠であると言わんばかりに、仕事仲間は自信満々な眼差しを返した。

「……何が望みなの?」

 これに、仕事仲間は「話が早くて助かる」というような笑みを浮かべた。

「それの売り賃の半分をもらえれば、黙っていてあげる」
「……」

 多分、このゆすりは今回だけで終わらない。
 そう分かっていても、

「……わかったわ」

 逆らうことは出来なかった。
 この答えに満足したのか、仕事仲間は笑みを浮かべながら口を開いた。

「あなたの家、借金まみれなんですってね。お金が欲しい気持ちはわかるけど、悪いことはしちゃいけないわよ」

 どの口でそんな台詞を吐いているのか。それにお前に何がわかる。今の自分の苦しみをこれっぽっちも理解していないくせに。女中は激しい苛立ちを感じたが、ぐっと堪えた。

 対し、仕事仲間はそんな女中の胸中を知ってか知らずか、笑みを浮かべたまま、

「さあ、行きましょ。いくらになるか、楽しみだわ」

 その足を宝石屋のほうに向けた。
 が、その足はすぐに止まった。
 二人の少年が目の前に現れたからだ。

「ねえ、おばさん」

 そのうちの一方が、勲章を持っている女中に声をかける。

「……何?」

 女中は少し警戒しつつも、素直に反応した。その二人の少年は、とても立派な衣服に身を包んでおり、強盗するような人間には見えなかったからだ。

「それ、きれいだね。銀でできているの?」
「そうだけど……坊やには関係ないでしょ」

 少年は上に向けた手のひらを女中の前に出しながら、

「それ、ちょうだい」

 と、ありえないことを言った。

「あげるわけないでしょう。どこの子かしらないけど、不躾な子ね」

 当然の答えを女中が返すと、

「だよね」

 と、少年は言いながら、その突き出した手を発光させた。
 ごつ、ごつ、という、重く硬い音が二度路地裏に響き渡る。
 少年が光弾を二人の顔面に撃ち込んだのだ。
 そして、二人が倒れる音を最後に、場は静寂に包まれた。
 その少年、ドミニクは動かなくなった女中を足のつま先で小突いた後、彼女の手から勲章を奪い取った。

「俺達ついてるぜ、バート。こんなところで良いお宝が手に入った」

 勲章を手に笑みを浮かべるドミニクに対し、バートは焦った表情を浮かべていた。

「早くここから離れようぜ、ドミニク。人が来たらマズい」
「わかってる。これでこんなシケた街とはおさらばだ」

 そう言って、ドミニクはバートと共にその場を去った。

 悪の道に走った二人の女の命は薄暗い路地裏にて果てた。
 だが、小さくもより大きな悪は、その首に不釣合いな勲章をぶら下げながらこの乱世を闊歩するのであった。

   第六話 奇妙な生活 に続く
スポンサーサイト

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

稲田 新太郎

Author:稲田 新太郎
音楽好きな物書き。ゲームも好き

アクセスカウンター
(14/01/05設置 ユニーク数)
カテゴリ
最新記事
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
小説・文学
192位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
ファンタジー
4位
アクセスランキングを見る>>