末世の拳士 第二話

   ◆◆◆

  魔法使い

   ◆◆◆

 数ヵ月後――
 世は冬から春に移っていた。
 そして、変化は季節だけでは無く、ロイとレオにも訪れていた。

 暖かな日差しが差し込む秘密基地に、ロイとレオの姿はあった。
 二人は向かい合い、身構えていた。
 その構えは、以前スコットが喧嘩の時に見せたものであった。
 
「よし……いくぞ、レオ」

 ロイがレオに尋ねる。しかしレオはおどおどしているだけで、頷きすら返さなかった。
 だが、ロイはそんなレオに向かって踏み込み、右拳を突き出した。
 ロイの拳はレオの顔面に向かって放たれていた。
 その速度からして手加減はされているように見えた。だが、当たれば痛いということは間違い無かった。
 レオはロイの拳を左腕の前腕部で受け止めた。
 しかし、その防御はあまりにもぎこちなかった。運良く防げた、そんな動きであった。
 対するロイは続けて左拳を振るった。腋の下から潜り込むように放たれたそれは、レオの腹部を狙った一撃であった。
 レオは腹を守るために腕を下げた。しかしそれは間に合わず、ロイの拳はレオの腹に突き刺さった。

「あ」

 直後、ロイは間抜けな声を上げた。そしてゆっくりと拳を引き、レオの様子をうかがった。
 レオは腹を押さえた姿勢で固まっていた。いや、ひとつだけ動いている箇所があった。
 レオの目は震え、涙が溜まっていた。それは間も無くあふれ出し、レオは声を上げて泣き始めた。

「ごめん、ごめん、本当、ごめんって」

 ロイはレオをなだめながら言葉を続けた。

「寸止めしなかったのは悪かったけど、ちゃんと打ち合わせしただろ? 顔、腹と攻撃するから、お前はそれを防いで適当に反撃しろって」

 レオは何も答えなかったが、涙は止まった。
 そしてロイは、ようやく泣き止んだレオに対し残酷な提案をした。

「よし、落ち着いたか? それじゃあ、もう一回だ、レオ」

 この言葉にレオは一瞬固まった後、いやいやと言うように大きく首を振った。

「そんなこと言わずに頼むよレオ、練習に付き合ってくれよ」

 ロイの更なる懇願にも、レオの答えは変わらなかった。
 相方の肩をゆすりながら頼み込むロイと、首を振るレオ、この平行線なやり取りがしばらく続いた後、場に新たな人物が姿を見せた。

「よお、お二人さん……何してるんだ?」

 その男、スコットに、ロイは駆け寄りながら声を上げた。

「スコット! 喧嘩のやり方を教えてくれ!」

 ロイからの突然の頼み事に、スコットはげんなりした顔を見せた。

「なんだよいきなり」

 嫌そうなスコットに対し、ロイは目を輝かせながら口を開いた。

「あれだよ、あれ! 喧嘩の時に見せたあれ、教えてくれよ!」

 そう言いながらロイはスコットの目の前で構え、拳を軽く突き出す動作を数回見せた。
 期待した表情を見せるロイ。しかし、スコットの答えは非常に淡白であった。

「めんどくせえからダメだ」

 突き放すかのような言い方であったが、ロイはあきらめなかった。

「そんなこと言わずにさあ、頼むよスコット」

 ロイはスコットの服の裾を引っ張りながら、間延びした声でおねだりした。
 しかし、スコットはそんなロイの手を振り払い、口を開いた。

「あのな、腕っ節なんぞ鍛えるより、口を鍛えたほうがいいと思うぜ。おしゃべりが上手けりゃ、世渡りが楽になる。それにな、腕力なんぞ鍛えても、どうせ『魔法使い様』には勝てねえんだから」

 スコットは「どうせ」の部分を強調し、教える気が無いことを強く意思表示すると共に、そんな努力は必要ない事をロイに伝えようとした。
 しかし、ロイにはスコットが言わんとしている事がよくわかっていなかった。

「口げんかなんかどうでもいいんだよ。とにかく俺は強くなりたいんだよ。だから鍛えてくれよ、スコット」
「いや、口げんかじゃ無くてな……ああもう、とにかくそのお願いは却下だ、却下」

 面倒になったスコットは何かを言いかけて止めた。これにロイは不快感をあらわにしながら口を開いた。

「なんだよケチ臭いな。減るもんじゃ無いし、別に教えてくれてもいいじゃないか」

 ケチ臭い、などと煽られては黙っていられない。スコットは先ほど言いかけた事を口に出した。

「半端な暴力を身につけるより、勉強しろ、勉強。そういうのは魔法使い様の仕事だ。俺らみたいな魔法が使えない無能力者は、喧嘩の練習より、頭を使う練習をしなきゃいけないんだよ」

 この弁はちゃんと通じたらしく、言い返せなくなったロイは黙り込んだ。
 ロイを言葉で黙らせることに成功した、この事実にスコットは優越感を感じ、得意げな表情を浮かべた。
 だがその直後、そんなスコットの立場を台無しにするような台詞が、突如後方から飛んできた。

「お前、他人にとやかく言えるほど勉強なんてしてないだろ」

 突然の事であったが、スコットとロイは驚きもせず、声がした方に振り返った。その声がよく知った者の声だったからだ。
 その声の主、アレックスは普段見せない笑みを浮かべながら、こちらに歩いてきていた。
 対し、スコットは何がおかしいのか、口元を緩ませながら口を開いた。

「失礼なことを言うなよ、アレックス。俺は最近勉強に目覚めたんだよ」

 最近かよ、ロイはそう思ったが、口に出すのはやめておくことにした。

「へえ、そりゃあすごい。何を勉強してるんだ?」

 その口ぶりから、アレックスはスコットが本当に勉強しているとは全く思っていない様子であったが、次のスコットの言葉がその認識を改めさせた。

「親父の仕事を継ごうと思ってるんだ」

 意外な回答に興味を抱いたアレックスはさらに尋ねた。

「親父さんの仕事? そういえば、お前の親父さんはいつも家にいないみたいだが、何してるんだ?」

 スコットは視線を外し、思い出しながら答えた。

「俺の親父は宝石の卸売りをやってるんだ。大陸の中央には鉱山が一杯あってな、そこで金とか銀とか宝石を仕入れて、こっちにいる細工職人に売りつけているのさ」

 よく知っているかのような言い方であったが、全部母親からの受け売りであった。
 アレックスは何故か得意気になっているスコットのことなど意に介さず、さらに質問を浴びせた。

「中央っていうと『武の民』とかいう連中が仕切っているところだよな。お前の親父さんはそんな連中を相手に商売してたのか」

 ここでふと、あることを思い出したアレックスは言葉を続けた。

「そういえば、お前の兄貴も中央に行くって言って家を出たんだよな? 兄貴は今どうしてるんだ?」

 これにスコットは表情を変えた。それは陽気な普段の彼からは想像できないほど、感情のこもっていない顔であった。

「ちいさかった俺と、母ちゃんを置いて出て行った奴の事なんて知らねえよ。……実際、あれから何の連絡も無いしな」

 これにアレックスは「そうか」とだけ返し、話を終わらせようとした。
 だが、スコットは同じ質問を返し、話を続けた。

「そういうアレックスの家だって、親父さんいつもいないじゃねえか」
「畑で作った野菜を売りに行ってるだけさ。遠くまで行商に出てるから、普段家にいないんだよ」
「アレックスはその仕事を継ぐつもりなのか?」

 アレックスは少し悩む様子を見せた後、答えた。

「……わからない。俺は野菜を育てるより、釣りと狩りで食っていきたいんだけどな」
「狩りか。お前、弓の扱いが上手いし、向いてるんじゃないか? いい考えだと思うぜ」

 スコットはアレックスをおだてたが、アレックスは全く得意気にならずに答えた。

「……ちゃんと食っていけるかどうかはまだわからない。駄目そうなら、親父の仕事を手伝うつもりだ」

 これにスコットは先のアレックスと同じように「そうか」とだけ返し、将来に悩む青年二人の会話はようやく終わった。
 まだ幼いレオとロイは黙ったまま二人をじっと見つめていた。二人は今とても大事なことを話している、そんな気がしたからだ。
 この視線に気づいたアレックスは、二人に話しかけた。

「そういやお前達、何を教えてほしいってスコットに頼んでたんだ?」

 ようやく話が帰って来た。ロイは再び目を輝かせながら口を開いた。

「喧嘩のやり方を教えてほしいんだ! アレックスでもいい! 俺を鍛えてくれよ!」

 これにアレックスはスコットと同じ顔をした。

「なんだ、そんなことかよ。それだったら俺やスコットよりもいい先生がいるぞ」
「え!? それ本当かよ!? 誰なんだよ!」

 詰め寄ってくるロイに、アレックスは薄い笑みを浮かべながら答えた。

「さっき話した、この大陸の中央で暮らしている『武の民』だよ。聞いた話だと、そいつらは強くなるために毎日修行してるらしいぞ」

 からかわれているのが分かったロイは不機嫌そうな顔で声を上げた。

「なんだよそれ! 大陸の中央なんて、そんな遠いところ行けるわけ無いだろ!」

 怒りを言葉にするロイに対し、アレックスとスコットは大きく笑った。

   ◆◆◆

 その日の夕方――

 スコットとアレックスと別れたロイは、レオと一緒に貧民区を歩いていた。
 あの日からロイは、毎日こうしてレオを家まで送るようになっていた。
 出来ればスコットかアレックスのどちらかについてきて欲しいという気持ちが、ロイの中にはあった。だが、ロイはあの二人に甘えるようなことはあまりしたく無いと考えていた。プライドとは違う、未熟な責任感のようなものがロイを動かしていた。
 そんな心情だからか、ロイはとても静かであった。ただ淡々と足を動かしていた。このまま何も起きないで欲しい、ロイはそう願っていた。
 だがそれは叶わなかった。前方、突如視界に映りこんだものに、ロイは身を硬くした。
 それはロイと同じくらいの体格をした少年で、前回の喧嘩でロイがレオに渡した服を着ていたあのいじめっ子であった。
 いじめっ子はこちらに鋭い視線を向けていた。だが数の有利が無いからか、少し緊張しているようであった。
 双方の距離が縮まる。このまま何事も無くすれ違うだけ、それだけのはずであった。
 だがそうはいかなかった。手が届くくらいまで双方が近づいた時、それは起こった。
 ロイは小さな小石につま先をぶつけた。意図してやったことではない、ロイは小石の存在に気づいていなかった。
 その小石は跳ね、いじめっ子のすねに当たった。

「何しやがんだ」

 たったこれだけの事で、いじめっ子の緊張は敵意へと変貌していた。

「……わざとじゃない」

 ロイはそう言ったが、いじめっ子は拳を振るい、ロイの頬を打った。
 乾いた音が場に響く。いらつきをぶつけただけなのであろう、この一発にそれほど力は込められていなかった。
 ここで止めておけば事は終わったかもしれない。しかし、そうはならなかった。
 ロイは素早く手を出し返し、いじめっ子の頬を打った。
 先とは違う、鈍く重い音が場に響いた。明らかに手加減がされていない一撃であった。
 いじめっ子はよろめいたが、戦意は衰えなかったらしく、掴みかかるようにロイに襲いかかった。
 ロイといじめっ子は激しく殴りあった。もうこうなっては止まらない。どちらかの戦意が消えるまで手を出し合うだけだ。
 ……そして、この勝負はロイの勝ちに終わった。がむしゃらに手を振り回していただけで、どちらが優勢なのか分からない喧嘩であったが、先に膝をついたのはいじめっ子の方であった。
 身を低くするいじめっ子を前に、荒い呼吸を何度か繰り返した後、ロイはようやく両手を降ろした。
 勝った、という実感はこの時のロイには全く無かった。ロイの中にあったのはようやく終わった、というだけの淡白な感覚のみであった。

「……行こう、レオ」

 落ち着いたロイはレオの手を引き、いじめっ子の真横を通り抜けた。
 いじめっ子はうつむいたまま動かず、何も言わなかった。
 ロイはそんないじめっ子に一瞥もくれず、足早に場を去った。

 勝利したにも関わらず、ロイの体からはいつまでも緊張が解けなかった。
 ロイは決して剛毅な性格では無い。彼は強がっているだけの少年であった。

   ◆◆◆

 その後、ロイに敗れたいじめっ子は顔を腫らしたまま家に帰った。
 いじめっ子はうつむいたまま家の中へと入った。ゆえに自身の目の前に立つ懐かしい顔の存在に、すぐには気が付かなかった。

「おいお前、その顔のアザ、どうしたんだ?」

 声を聞いて、いじめっ子はようやく顔を上げた。

「兄ちゃん! 帰ってきてたの!?」
「ああ」

 いじめっ子の兄はその場にしゃがみ込み、弟の傷の様子をうかがいながら口を開いた。

「喧嘩してきたのか」

 これにいじめっ子は小さな頷きだけを返した。

「負けたのか?」

 この問いにいじめっ子はすぐに答えられず、頷きを返すまでに少しだけ時間がかかった。

「……今度兄ちゃんをそいつらのところに連れて行け。仇を取ってやるから」

 この言葉に、いじめっ子は表情を和らげた。
 そして、落ち着きを取り戻したいじめっ子は、あることを思い出し、尋ねた。

「そういえば兄ちゃん、兵士のお仕事はどうしたの? 今はお休みなの?」
「それは辞めた」

 はっきりとした回答であったが、これは嘘であった。いじめっ子の兄はある問題を起こしたせいで兵士職を解雇させられていた。
 そして、嘘をついたせいか兄の顔は少しだけ硬くなっていたが、いじめっ子は特に気にすることなく別の事を尋ねた。

「じゃあ、しばらくは家にいるの?」

 仕事を辞めた理由を聞かれなかったからか、兄は強張っていた表情を和らげながら口を開いた。

「ああ。次の仕事がどうなるか次第だが、しばらくはここにいるぞ」

 この答えに、いじめっ子は良い笑顔を見せた。いじめっ子にとってこの兄は「あること」においてとても頼りになる存在であったからだ。

   ◆◆◆

 次の日――

「遅いな、レオのやつ……」

 秘密基地にて、ロイはレオを待ちながら暇を持て余していた。

「今日も練習に付き合ってもらおうと思ってたのにな」

 ロイは木箱に腰掛けながらそう一人ごちた後、退屈そうに足をぶらつかせながら周囲を見回した。
 秘密基地にはスコットとアレックスの姿もあった。だが、二人は何も喋らず、黙々と自分の事をしていた。
 スコットは本を片手に地に座り、文字の書き取り練習をしていた。
 もう片方の手に握られた木の棒で地面に本の内容を書き写す。ある程度書いたら、砂を掻き回して字を消し、もう一度。スコットはこの作業をずっと繰り返していた。
 一方、アレックスは弓の弦の張替えを行っていた。
 弓は三本あり、アレックスは慣れた手つきで弦を張替えていた。
 ロイはその作業を見守ることにした。なぜなら、その作業はもうすぐ終わりそうだったからだ。
 そして張替えが終わったと同時に、ロイはアレックスに声をかけた。

「なあ、アレックス……」

 ロイはアレックスに相手をしてもらおうと口を開いたが、それは最後まで言葉にすることができなかった。アレックスがロイに向かって「駄目だ」と言う様に、ひらひらと手を振ったからだ。
「退屈なのはわかるが、俺は今から弓の調子を見なきゃいけない。多分、今日はお前と遊んでやる暇は無いぞ」
 そう言いながら立ち上がったアレックスは、ロイに対して今度は動物でも追い払うかのように手の平を縦に振りながら、言葉を続けた。

「ほらほら、試し射ちをするから下がってろ。危ないぞ」

 アレックスはロイを押しのけ、壁際に設置されている藁束に向かって弓を構えた。
 こうなってはロイに口を出す術は無かった。仕方なくロイはしばらく様子を見守ることにした。
 試し射ちなんてすぐに終わる、その後はアレックスも暇になるはずだ、ロイはそう期待していたが、それは空振りに終わった。
 藁束に数本の矢を射ち込んだアレックスは、またその場に座り込み、弦をいじり始めたのだ。
 これでは何時終わるのか分かったものでは無い。あきらめたロイは、スコットに声をかけた。

「なあ、スコット」
「……」

 スコットは返事をしなかった。無視されたことにロイは不満を抱いたが、あきらめずにちょっかいを出し続けることにした。

「スコットは何してるんだ?」

 これにスコットは仕方ない、というような表情で答えた。

「……見て分かるだろ。文字の勉強をしてんだよ」

 ロイはそう言うスコットの後ろに回りこみ、肩越しに彼の手元にある本を覗き込んだ。

「おとぎ話か、懐かしいな」

 少し見ただけで内容を理解したらしいロイに、スコットは関心を示した。

「お前、これ読めるのか?」
「ああ、親父にみっちり教えられたからな。 ……というか、スコットは読めないのに書き写してたのか?」

 これにスコットはばつが悪そうな顔で答えた。

「とりあえず字の形だけでも覚えようと思ってな。……なあロイ、お前、どの文字がどういう発音なのかも分かるのか?」

 これにロイは「もちろん」と答えた。
 ロイの自信ありげな態度に、スコットは素直に感心した。

「そのへんは、さすが領主の息子って感じだな」

 親からちゃんとした教育を受けている、スコットはそれをうらやましくも感じていたが、それを顔に出すことはせず、続けて口を開いた。

「なあロイ、悪いんだが教えてくれないか?」

 これにロイは満面の笑みを浮かべながら答えた。

「いいぞ。ただし、喧嘩のやり方を教えてくれることが条件な」
「そう言うと思ったぜ。分かったよ、教えてやるよ」

 スコットの答えにロイは笑みをさらに輝かせた後、表情を戻しながら更なる要求を出した。

「そうだ、教えてくれるならレオも一緒に頼む」
「レオも? そりゃあかまわないが、何でだ?」
「スコットが都合悪いときは、レオに練習相手になってもらおうと思ってるんだ。でも、レオが弱いままだと練習にならないだろ?」

 レオは大人しすぎるから、そういうことは向かないと思うんだがなあ、スコットはそう思ったが、口には出さず話を先に進めることにした。

「まあ、やるかやらないかはレオ本人が決めることだが、今日はどうする? もう昼前になるってのにまだ姿を見せないってことは、レオのやつ今日はこのまま来ないかもしれないぞ」

 スコットは今日のところはロイ一人だけに教えればいいだろうと踏んでいたが、ロイの考えは違っていた。

「だからさ、今からレオの家に行ってみようと思うんだ」

 スコットは(何もそこまでしなくてもいいんじゃないか)と思ったが、ロイがそうしたいと言うなら無理に止める必要も無いと思い、口を開いた。

「そうか。じゃあ行ってこいよ。ここで待っててやるから」
「何言ってるんだよ。スコットも一緒に来てくれよ」
「なんでそうなるんだよ。……ったく、しょうがねえなあ。面倒くせえけど、一緒に行ってやるよ」

 スコットはゆっくりと立ち上がりながら、アレックスに声をかけた。

「なあアレックス、息抜きがてら、お前も一緒に行かないか?」

 呼ばれたアレックスはスコットを一瞥した後、手元にある弓に視線を戻しながら口を開いた。

「こいつが終わったら貧民区の奥にある山へ狩りに行ってみるつもりだったから、そのお誘いは乗りたいところなんだが……まだちょっと時間がかかりそうなんだ。俺のことはいいから二人で行ってこい」

 言葉の後、アレックスが再び手を動かし始めたのを見たスコットは、これ以上作業の邪魔をしては悪いと思い、ロイに声をかけた。

「そうか、それじゃあこのまま二人で行くぞ、ロイ」

 ロイは頷きを返し、スコットと並んで秘密基地を後にした。

   ◆◆◆

 ロイとスコットが貧民区に足を踏み入れてから数分後のこと――
 レオの家まであと少し、という所で二人に緊張が走った。
 正面、二人の視線の先には少年の姿があった。
 その少年の顔には見覚えがあった。間違いなくレオをいじめていた少年達の一人であった。
 少年はこちらに向かって来ていた。スコットとロイは、足を止めてその少年を待った。
 そして、少年が目の前に来たと同時にスコットは口を開いた。

「何の用だ」

 威圧感のあるスコットの語気に少年は緊張していたが、すぐに用件を答えた。

「伝言だよ。あんた達の友達と一緒に、あの山の広場で待ってるってさ」

 友達――それがレオのことを指しているのは明らかであった。

「それはどういうことだ」

 どういうことなのかはスコット自身がよく分かっていたが、あえて尋ねた。

「知らねえよ」

 スコットの語気は先と同じく鋭かったが、少年は気圧されずにとぼけた答えを返した。

「とにかく、用件は伝えたからな」

 そして、少年はそう言った後、逃げるようにその場から走り去っていった。
 ……その後、スコットとロイはしばらくの間、その場を動くことができなかった。
 スコットが固まっている理由は単純であった。それは恐怖と緊張から来るものであった。
 だが、ロイの理由は少し違っていた。ロイの心の中には後悔があった。
 昨日の喧嘩が原因なのではないか――ロイの心にふと浮かんだその言葉は、確信に近い感覚をロイに与えていた。

「あのさ、スコット……」

 そして、その強い感覚はロイの口をこじ開けた。吐き出したい、話すべきだ、ロイの思考はそんな言葉で埋まっていた。

「実は昨日――」

   ◆◆◆

 ロイから昨日いじめっ子の一人と喧嘩をしたことを聞いたスコットは、しばらくの間黙りこんだ。
 怒られるのだろうか、スコットの沈黙をロイはそのように受け取ったが、そうでは無かった。
 スコットはどうすべきかを考えていた。ロイに何を言うべきか、自分はどうすべきか、頭に浮かんだ幾つかの選択肢の中から、自分が納得できるものを選んだスコットは、ゆっくりと口を開いた。

「……ロイ、お前はついてくるな。すぐに家へ帰れ。レオのところには俺一人で行く」

 予想とは全く違った言葉に、ロイは驚きながら声を上げた。

「!? 何でそうなるんだよ! 俺も行く! 元はと言えば俺が昨日喧嘩したことが原因で……」

 スコットはロイの肩に手をかけてその口を止め、諭すように話し始めた。

「ロイ、切欠はただの子供の喧嘩だったかもしれない。だが、事態はとてもまずい方向に動いてしまったんだ。
 とても危険だ。お前が事の当事者であったとしても、そんなところに行かせるわけにはいかない。だから俺一人だけで行くんだ」

 この言葉に、ロイはどうしたらいいかわからないという様に体を小さく揺らしながら、口を開いた。

「でもよう、スコット……俺……」

 心の揺れは体だけでなくロイの口調にもはっきりと表れていた。スコットはそんなロイの心落ち着かせるために優しい言葉をかけた。

「そんなに心配すんなロイ。大丈夫だ。荒事になっても前みたいに上手くやるからさ」

 これを聞いたロイの体から揺れが止まるのを見たスコットは、さらに言葉をかけた。

「とにかく、後は俺に任せてお前は帰るんだ。……いいな?」

 スコットはこの言葉に少しだけ凄みを利かせた。だからかどうかは分からないが、ロイは素直に頷きを返した。

「よし、じゃあ行け」

 スコットは急かすようにロイの背中を押した。ロイはこれに反抗せず、押された勢いのまま、とぼとぼと来た道を戻り始めた。
 途中、ロイは何度か振り返ったが、その度にスコットと目が合った。スコットは監視するかのようにじっとロイを見つめていた。
 ロイはその視線に押されるかのように歩き続けたが、その足取りは重かった。
 本当にこれでいいのだろうか――そんな迷いがいつまでもロイの心にまとわりついていた。

   ◆◆◆

 街に戻ったロイは家に帰ろうとはしなかった。とてもそんな気にはなれなかった。一人で行ったスコットのことが気になって仕方が無かった。
 自分に何かできることは無いだろうか、ロイは街の中をうろつきながらずっとそんなことを考えていた。
 自分は小さく、弱い。だからスコットは俺を遠ざけた。俺にスコットのような力があれば――スコットのような?
 思考の連鎖は、ロイにひらめきをもたらした。

「そうだ、アレックスだ! あいつならスコットを助けてくれるかもしれない!」

 ひらめきを声に出しながら、ロイは既に走り出していた。

   ◆◆◆

「アレックス!」

 秘密基地に駆け込んだロイを迎えたのは、残酷な静寂であった。
 アレックスの姿はそこには無かった。いじっていた弓も、藁束に射ち込んでいた矢も見当たらなかった。

「アレックス!」

 何度呼べど、何処を探しても、アレックスは見つからなかった。
 焦りは募っていった。何かをしなければ、そんな気持ちだけがどんどん大きくなっていった。
 そして、居ても立っても居られなくなったロイは、弾かれるように走り出し、秘密基地を後にした。

   ◆◆◆

 その頃、スコットは指定された山の広場に到着していた。
 ロイが不味いと評した果物の木の下、そこにレオの姿はあった。
 レオはぐったりと地面に座り込んでいた。うつむいており、スコットからレオの顔ははっきりとは見えなかったが、どうやら痛めつけられているようであった。
 そして、レオの隣にはスコットをここに呼び出した張本人らしき者の姿があった。
 意外なことに相手は大人数では無く、二人だけであった。スコットより一回り体格の良い男と、ロイと同じくらいの年頃に見える少年であった。
 体格の良い男に見覚えは無かったが、少年の方は見たことがある顔であった。以前ここで喧嘩をした時に、ロイがレオに渡した服を着ていたいじめっ子であった。
 これならば力ずくでレオを奪い返せるのではないか、そんなことを考えていたスコットに対し、相手の男が第一声を放った。

「なんだ、お前は? 用があるのは俺の弟と同じくらいのガキなんだが」

 弟? スコットは目の前にいる二人が兄弟であることをすぐに察した。
 さて、どうするか? 拳で決着をつけるなら今すぐ先手を仕掛けるべきだ。だが、レオを人質に取られていることがスコットを迷わせた。
 スコットは少し考えてから、「会話」という手段を選んだ。

「……俺は代理でここに来た。あんたと話し合いがしたくてな」
「話し合い? 何を話すっていうんだ?」

 相手はいぶかしげな顔をしているが、聞く耳は持っているようであった。スコットは気付かれない程度に小さく呼吸し、気を静めてから口を開いた。

「あんたは弟が喧嘩で負けたことに怒っているんだろうが、そもそも事の発端は、あんたの弟達がそのレオっていう子供をいじめていたことが原因だ。あんたの弟を殴ったやつはそのレオとは友達なんだ」

 これに相手の男はますます怪訝な顔をした。

「それで? 結局何が言いたいんだ?」

 相手は結論を求めている。スコットは気を強く持ちながら口を開いた。

「……今回の件も含めて、これまでの事を水に流して欲しい。元はといえば、事はただの子供の喧嘩。どちらがより悪いかなんてことは考えずに、双方に非があるとして穏便に済ませたい」

 言いたいことが相手にちゃんと伝わっただろうか? そう思ったスコットは念を押すように言葉を続けた。

「どうだろうか? 筋は通っていると思うんだが」

 実はこの時、スコットは適当な事を口走っていた。咄嗟に思いついた言葉を並べただけで、筋がちゃんと通っているかどうかは分かっていなかった。
 そして、相手の男はすぐには返事をしなかった。重い緊張が暫しの間スコットを蝕んだ後、男はようやく口を開いた。

「……悪くない提案だと思うけどな、こちとら、はいそうですかと、簡単に納得できるほど出来た人間じゃねえんだよ」

 スコットが言いたいことはちゃんと伝わっていたが、望ましい結果は得られなかったようだ。
 雲行きが一気に怪しくなってきたのを感じたスコットは、身を硬くしながら男の次の言葉を待った。

「それにな、筋が通っているかどうかなんて、興味無いんだよ!」

 交渉は決裂した! 頭の中にその言葉が生まれるよりも速く、スコットは戦闘態勢を取った。
 極度の緊張からかスコットの神経は研ぎ澄まされていた。ゆえに、スコットは相手の男が取った行動に即座に反応することができた。
 男が取った行動、それは開いた右手を前に突き出しただけであった。これに対し、スコットは回避行動を取った。
 スコットと男の間は大きく距離が離れている。拳が届く間合いでは無い。しかし、スコットが回避行動を取ったのは正解であった。
 突き出された男の右手、それは「発光」していたからだ。
 体を左にずらしつつ身を反らす。直後、スコットの真横を「光弾」が通り抜けて行った。

(こいつ魔法使いか!)

 かろうじて光弾をかわしたスコットは、後ろに飛び下がり、大きく距離を取った。
 相手の男が続けて光弾を放つ。スコットはそれを飛び退くように大きく動いて避けた。
 男は手を止めず、次々と光弾を連射した。スコットは身を小さくし、転がり、時に飛んでそれらを避けた。
 あの光弾を受けてはいけない、ゆえに的を絞らせてはならない、スコットは動き続けた。
 だが、いつまでも避け続けられるものでは無い。なんとかしてこの状況を打破しなくてはならなかった。

(どうにかして、レオを拾って逃げなくては――)

 スコットの頭の中に「魔法使いを倒す」という選択肢は無かった。無能力者と魔法使いの間には覆しがたい戦力差があることをスコットは知っていた。
 そして、スコットは勇気を振り絞って前に出た。
 だが運悪く、スコットが足を前に出したのと同時に、敵の光弾がスコットに襲い掛かった。
 スコットは咄嗟に足を止めたが、方向転換は間に合わなかった。スコットは両腕を正面で折りたたんで防御の態勢を取りつつ、直撃を避けるために上半身を反らした。
 直後、スコットはこれまでに経験したことの無い衝撃を両腕に感じた。
 炸裂音が場に響き、決して軽くないスコットの体が後方に吹き飛んだ。鋭く重い痛みが両腕から胸に伝わり、衝撃は肺を圧迫した。
 肺の中の空気が押し出される感覚の後、スコットの背中が地面に叩きつけられる。残りわずかになっていた肺の中の空気は完全に押し出され、その衝撃と苦痛からスコットの体は海老反りの姿勢になった。
 空になった肺に空気を送り込もうと、スコットは本能的に口を開いた。だが胸を締め付けるような痛みがそれを許さず、スコットが出来たのはただ喘ぐことだけであった。

 ……どれくらいそうして悶えていただろうか。しばらくして苦痛がようやく治まったスコットは、ゆっくりと立ち上がった。
 この間、相手の男は何もしなかった。勝ち誇ったような顔でスコットの苦しむ様を眺めていただけであった。
 追撃しようと思えば何時でもできたはずだ。それをしなかったのは、優しさからか、それともスコットを舐めているからか。前者であってほしかったが、後者の方であるのは間違いなかった。

 そして、構えを整えたスコットは再び前に出た。
 そこへ迎撃の光弾が飛んでくる。これを読んでいたスコットは、引き付けてから横移動で回避した。
 だが、その動きはどこかぎこちないものであった。スコットの体に走る痛みが、彼の動きを鈍らせていた。
 動きの硬くなったスコットに男の放った光弾が次々と迫る。スコットはこれらを懸命に避け続けた。
 時折、光弾がスコットの身をかすめる。この痛む体で、いつまで避けきれるだろうか? 背中に冷や汗が伝うのを感じながら、スコットは動き続けた。
 猛攻に晒されながらも、スコットはじりじりと前進していった。レオとの距離は確実に縮まっていた。
 レオのところまで、駆け足で八歩というところ。レオの傍にはいじめっ子の少年がいるが、あれは大した障害では無い。上手くすれば逆に盾として利用できるだろう。
 いけるか? いや、いけるかどうかではない。光弾を避けながらこれ以上近づくのは無理だ。ならばここから勝負を仕掛けるしかない。
 スコットは覚悟を決め、両足に力を込めた。
 だがその直後、突如後方から飛んできたよく知った者の声に、スコットは足を止めた。

「スコット!」

 振り返ったスコットの瞳に映ったもの、それはこちらに向かって走って来るロイの姿であった。

「馬鹿野郎! なんでここに来た!」

 スコットは思わず叫んだ。これまで聞いたことの無いスコットの怒声に、ロイは思わず立ち止まった。
 そして、スコットはすぐさま男の方に向き直った。
 男はその右手の平をスコットのほうにでは無く、ロイのほうへ向けていた。

「やめろ! あいつはまだ子供なんだ!」

 スコットは男に嘆願した。だが、男にそれを聞き入れる様子は見られなかった。

「逃げろ! ロイ!」

 スコットは懸命に叫んだ。スコットの剣幕にただならぬものを感じたロイは、この時ようやく動き出した。
 だがそれはあまりにも遅すぎた。引き返そうとするロイの目の前には、既に男の放った光弾が迫っていた。
 そして――光弾はロイの胸に直撃した。
 小さなロイの体は軽々と吹き飛んだ。スコットの時と比べて倍ほどの距離を飛んだ後、ロイの体は地面に激突した。

「ロイ! おい、しっかりしろ、ロイ!」

 駆け寄ったスコットはロイを抱き起こしながら声を掛けた。だが、ロイは糸の切れた人形のように力無く、何の反応も示さなかった。
 スコットの脳裏に最悪なイメージが浮かんだが、幸いなことにそうでは無かった。ゆっくりとではあるが、ロイの胸は確かに上下していた。

「そいつが俺の弟をやったやつか」

 突如、真後ろから聞こえてきた声に、スコットは思わず振り返った。
 振り返ったスコットの目に映ったもの、それは男の靴底であった。
 足を前方に突き出すだけの前蹴り、単純な攻撃であるが、不意を突かれたスコットはこれを避けられず、男の足がスコットの鼻っ柱に突き刺さった。
 スコットの頭の中に鼻が折れる音が響き渡る。鼻孔から鮮血を撒き散らしながら、スコットは後ろに大きくのけ反った。
 だが、スコットは倒れなかった。足はしっかりと地を捉えており、スコットの戦意がまだ消えていないことがその力強さに表れていた。
 そして、スコットは鼻から下、口の周りを真っ赤に汚したまま、再び戦闘態勢を取った。
 気迫を見せるスコット。だが、相手の男はそんなスコットのことを意にも介さず、足を振り、ロイの腹を蹴り上げた。
 ロイの体は浮き上がり、鞠のように地面の上を転がった。
 この時、スコットの中で何かが切れた。
 それは理性の糸であった。激情に突き動かされるまま、スコットは男に殴りかかった。
 スコットの右拳が男の顔面に迫る。相手はこちらの攻撃を認識しているが、避ける素振りを見せていない。絶対に当たる、そんな確信がスコットにはあった。
 だが次の瞬間、スコットの右拳は弾き返された。スコットは右拳に走った鋭い痛みに悶絶し、数歩後ずさった。
 スコットの右拳を弾き返したもの、それは「薄く光る壁」であった。男の手の平から生まれており、盾のように広がって男の身を守っていた。
 これにスコットは驚愕した。魔法使いはこんなことも出来るのか、スコットでも初めて見るものであった。
 これは防御魔法と呼ばれるものであり、扱うにはやや訓練を要するが、魔法使いが使う基本的な防御手段のひとつであった。
 スコットはもう一度拳を突き出したが、結果は同じであった。スコットの拳は弾き返された。
 だが、スコットは止まらなかった。スコットはがむしゃらに拳を繰り出した。
 光る盾に拳を叩きつける音が何度も響いた。だが、光る盾はびくともせず、このまま攻撃を続けても突破できるようには見えなかった。
 それでもスコットは拳を繰り出した。スコットの拳骨は血まみれであった。皮が破れ、肉も裂け初めており、拳というよりは骨を叩きつけているかのようであった。
 ……そして、この凄惨な攻防は、意外にもあっさりと終わった。男が展開していた光の盾をスコットの体に直接押し当てたのだ。
 スコットは弾き飛ばされた、仰向けに倒れた。
 立ち上がらなくては――身をよじり、体を起こす。だが直後、その身に叩き込まれた男の光弾がそれを許してはくれなかった。
 そして、スコットはとうとう動けなくなった。胸を押さえ、痛みに悶絶するだけで精一杯であった。

「……弱いくせにムキになるんじゃねえよ。用があるのはそこで寝ているガキだけだ。お前はそこで大人しくしていろ」

 そう言って男は視線をスコットから外し、手の平をロイに向かってかざした。

「安心しろ、手加減はしてやる。死にはしねえよ。……しばらくは寝たきりの生活をすることになるけどな」

 男の手が発光し始める。地に伏したまま何もできないスコットは、「やめろ」と声を上げようとした。
 その瞬間――
 男は突如自身の目の前をよぎった黒い影に、思わず身を反らした。
 目を動かしてそれを追うと、そこには地面に突き立った一本の矢があった。
 男はすぐさま振り返り、矢が飛んできた方向を確認した。
 その者、男はすぐに見つかった。男は弟の真横に立ち、頭に向けて弓を引き絞っていた。

「そこまでだ」

 その男――アレックスは、魔法使いの男に向かって警告した。鋭く、そして冷たい声であった。
 魔法使いの男は仕方ないというような顔で手を下ろした。
 男が戦闘態勢を解除したのを確認したアレックスは、スコットに声をかけた。

「おい、スコット! 早く立て!」

 乱暴な言い方であったが、スコットは文句も言わず、ふらふらと立ち上がった。

「スコット、ロイとレオを連れてここから離れろ」

 アレックスは弓を引いているため、両手が塞がっている。二人を運ぶことが出来るのはスコットだけであった。
 スコットは痛みを堪えながら、レオとロイを広場から引き摺り出した。三人の姿が見えなくなってしばらくしてから、アレックスも動き出した。
 アレックスは矢をいじめっ子の眉間に向けたまま、ゆっくりとその場を離れ始めた。
 この時、場の緊張は極限に達した。魔法使いの男はアレックスを睨み付けており、隙あらば今にも魔法を撃ちそうな雰囲気であった。
 だが、幸いなことにこの膠着状態は最後まで維持された。何事も無く広場を後にしたアレックスは、先に行った三人の後を追った。

   ◆◆◆

 その後はちょっとした騒ぎになった。
 ロイは胸の骨、肋骨が折れていた。幸いなことに肺などの臓器は無事であったが、領主の息子が重症を負ったのである、騒ぎにならないはずが無かった。
 当然のごとく犯人探しは行われた。そしてそれはすぐに見つかったが、それ以上どうなることもなく、それで終わった。
 ロイを傷つけた魔法使い、いじめっ子の兄は、氷族の人間であった。
 雷族の領主であるルーカスが手を出せなかった理由はそれだけでは無い。レオといじめっ子達が住む貧民区、それは雷族の国と氷族の国をわける国境上に存在していた。
 貧民区で問題を起こす、それはすなわち国境問題に発展しかねない、とても繊細なものであった。
 貧民区、それは一人の領主ごときの権力が及ぶ地では無く、対立する二つの民族が共存しているという、とても大きな爆弾を抱えた危険な土地であった。

   ◆◆◆

 ある夜――

 ロイは自室のベッドの上で、じっと天井を見つめていた。

「俺にも魔法が使えれば、あんなやつ……」

 独りごちるロイの目には涙が溜まっていた。

「ちくしょう……強くなりたい……魔法使いになりたい……」

 ロイはその言葉を最後に、独り言をやめた。後にはロイがすすり泣く音だけが続いた。

   ◆◆◆

 一方、レオは家で一日を過ごすことが多くなった。
 外に出たらいじめっ子と会ってしまうかもしれない、その恐怖がレオを家に引きこもらせていた。
 家に遊び道具などは無い。レオは退屈であったが、外に出る怖さと比べればどうということは無かった。
 レオは外から取ってきた土をいじって時間を潰していた。土人形などを作っては崩す、それをずっと繰り返していた。

「最近、家で遊んでばかりね。街には行かないの?」

 その時、ふと、母が痛いことを尋ねてきた。

「……今は家で遊びたい」

 レオの母は何があったのか薄々感づいていたが、ただ一言「そう」とだけ言い、それ以上詮索はしなかった。
 そして、レオの母は内職である縄編みに取り掛かろうとしたが、突如胸に走った鋭い痛みに呻いた。

「っ……ごほ、ごほっ」
「大丈夫? お母さん」

 レオは土いじりを止め、母の背中をさすった。
 母の咳はなかなか止まらなかった。

「……ごめんねレオ。母さん疲れてるから、少し横にならせてもらうわね」

 母はそう言って、藁敷きの上に体を倒した。
 それからしばらくしても母の咳は止まらなかった。こんなに長く咳き込むのは初めてのことであった。
 レオは咳き込む母の隣でじっと座った。見守ること、それだけしか今のレオにはできなかった。
 レオは苦しそうな母の顔を見つめながら、母が元気になることをただ一心に願った。

   第三話 最後のぬくもり に続く
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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

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稲田 新太郎

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