末世の拳士 第一話

 かつてある賢者はこう言った。
「どんな崇高な人間であっても自然の摂理を変えることはできない。それは絶対かつ不変の規則なのだ」

 食わなければ生きていけない、弱ければ死ぬ、それは自然の摂理である。
 そして生き残るために振るわれる最も単純かつ原始的な力、それが暴力である。
 暴力は多様である。様々なものが暴力的側面を持つ。自分が生き残るために、有利になるために相手に理不尽を強いること、それが暴力なのだ。
 そんな暴力の中で特に想像しやすく象徴的なもの、それは腕力に代表される物理的な力を持つものである。
 そして、これから語る世界にはそういうものがもう一つある。それは魔法である。
 魔法、その力は圧倒的であった。その強さは腕力をはるかに凌駕していた。
 多くの人間がその強さに惹かれ溺れていった。魔法力が強い者が世を支配する、それが当たり前の世界であった。
 そして人はさらなる「力」を求めた。もっと強く、そんな願いから人は「技」を生んだ。
 人を殺生する技術、それはただ残酷である。しかしある時ひとりの人間がそれを正しき事に使い、それを「武」と呼ぶようになった。
「武」をもって世を正す、それは美しかった。しかし悲しきかな、「武」が最も輝く時代、それは乱世であった。

 これから語る物語はそんな「武の道」を歩んだ者の物語である。

末世の拳士 表紙

   ◆◆◆

  貧困と対立

   ◆◆◆

 ある街道に荷車の行列があった。
 その荷車のほとんどは人間が引いており、行列の先頭を行く数台の大きな荷車だけに馬が使われていた。
 荷車で運ばれているものは食料であった。野菜、果実、袋詰めの小麦などが荷車一杯に積まれていた。

「ああ、腹減ったなあ」

 そんな中、ある荷車を引く二人組みの男の一方がそんな独り言を吐いた。

「荷物に手を出すなよ」

 同じ荷車を引いている相方はそう言って釘を刺した。

「なんだよ、まだ何も言ってねえだろ」
「お前の目がそう言ってんだよ」

 二人のそんな意味の無いやり取りが終わった瞬間、場に怒声が響き渡った。

「賊だ!」

 声を発した男が指差す方向に目を移すと、そこにはこちらに向かってくる覆面をした連中の姿があった。

「荷車を守れ!」

 鎧を着た者達が叫びながら賊に向かって一斉に駆け出す。それから僅かに遅れて荷車の行列も走り始めた。

「ああくそ! ただでさえ腹が減って力が出ねえってのに!」
「黙って荷車を引け!」

 先の二人組みはそんなことを言い合いながら必死で荷車を引いた。

「ああぁ、賊がこっちに来てる! 駄目だぁ、このままじゃ追いつかれちまう!」

 腹が減ったことを主張していた男は、後ろをちらちらと見ながらそう叫んだ。
 そして直後、男の目の前、鼻先を「光弾」がかすめていった。
 賊が放った「魔法」であった。もし今のが直撃していたら、自分の頭は胴体とさよならをしていたであろう。

「うわ、危ねえ! 用心棒の奴等、ちゃんと守れよ!」

 冷や汗をかいた男は、賊と戦っている兵士達に文句をぶつけた。

「黙ってろって言ったろ! 前だけ見てろ!」

 そしてそんな頼りない相方にイラついたもう一方の男は、吐き捨てるようにそう言った。

 逃げる荷車から発せられるけたたましい車輪の音、それを追う賊と、迎え撃つ用心棒達の怒声、静かだった街道は突如喧騒に包まれたのであった。

   ◆◆◆

 翌日――

 場所は変わって国境付近にある田舎街。
 そこはこの地方では珍しくない赤瓦の屋根が立ち並ぶ、都会と呼べるほど大きくないが村と言うほど寂しくもない、そんな街であった。
 そしてその街中に、走る一人の男の姿があった。
 男の息は荒かったが、道が石畳で綺麗に舗装されているためか、その足は軽快であった。
 しかし決して人通りが少ないとは言えない道である。男は何度も道行く人々とぶつかりそうになっていた。
 男は街のほぼ中央にある小高い丘の上を目指していた。
 当然のようにそこには階段がある。しかし男はそれをものともせず、勢いよく駆け上がっていった。
 階段の先にあるのは立派な屋敷。その大きさは下に並ぶ民家五棟くらいであった。
 男は体当たりするかのように屋敷の門に駆け寄り、設置されている呼び鈴を乱暴に鳴らしながら口を開いた。

「領主様! 領主様!」

 門はすぐに開き、中からこの家の召使い姿を見せた。
 白いエプロンを身にまとった女召使いは、男に対して小さく頭を下げながら口を開いた。

「これはビリー様。どういったご用件でしょう?」
「大変なことがあったんだ! すぐに領主様を呼んでくれ!」

 その内容は何なのか、召使いはそれを尋ねているのだが、ビリーのあまりに急いでいる様子から、あきらめることにした。

「わかりました。しばらくお待ち下さい」

 召使いは主を呼びに行こうと踵を返したが、その足はすぐに止まった。
 召使いの足を止めたのはその視線の先にいる男の存在であった。
 その男は召使いとは質が違う上等な服に身を包んでいた。耳周りは短く刈り上げられており、清潔感を重視した髪形であった。
 年齢は壮年期に入ったあたりに見え、その目は働き盛りであると言わんばかりの力強さを備えていたが、全体の印象は静かで紳士的であった。

「ルーカス様、ビリー様から何かお話があるそうです」

 女召使いはそう言ってその男、領主ルーカスに対し頭を下げた。
 ルーカスは召使いに頷きを返しながら口を開いた。

「わかってる。ビリーの大きな声は私の書斎まで響いたよ。それで、どうしたビリー? 何があった?」

 ルーカスはそう言いながらビリーに歩み寄り、対するビリーは領主に駆け寄った。

「領主様! 大変なことがあったんです!」
「落ち着けビリー。だから何があった?」

 ビリーは一息分間を置いた後、口を開いた。

「隣町からこっちに向かっていた食料輸送隊が襲撃されたんです!」

 ビリーの報告にルーカスは驚きの表情を浮かべた。

「何だと! 被害は!?」
「約半数の荷車が奪われました」

 ルーカスの顔は驚きから悲しみと怒りを混ぜたものに変わった。

「なんということだ……一体どこの連中がそんな……」

 ルーカスは口ではそう言いつつも、犯人がどういう連中なのか検討はついていた。そして直後、それを代弁する声が場に響き渡った。

「親父! 犯人が誰かなんてわかってるじゃねえか!」

 後ろから飛んできたその声にルーカスが振り返ると、そこにはまだ顔に幼さが残る一人の少年が立っていた。
 その少年はルーカスに歩み寄りながら再び声を上げた。

「そんなことをやるのは氷族の連中に決まってる!」

 氷族の仕業だ、少年のこの弁に、ビリーと女召使いは表情を全く変えなかった。二人もそう思っていたからだ。
 だが父親であるルーカスはそんな息子の粗暴な態度を諌めた。

「ロイ、証拠も無しにそんなことを言うんじゃない」

 しかしルーカスの注意は何の効果も無かったらしく、息子ロイは態度を改めないまま再び口を開いた。

「証拠なんていらねえよ! 他に誰がやるっていうんだ!」

 ルーカスは息子のこの言葉に対し何も言い返せなかった。強い言葉でねじ伏せることはできる。しかしルーカスはそういうことを嫌う人間であった。
 そしてそんな父に対しロイはさらに言葉を浴びせた。

「親父! まさかこのまま黙っているつもりなのか!?」
「……」

 ルーカスはこれにも沈黙を返した。この件についてどうするかの考えはある。しかしそれは息子が望む答えでは無い事を、ルーカスはわかっていた。
 黙ったままの父に対し、ロイは憤りをあらわにしながら口を開いた。

「親父、何とか言えよ!」
「……」

 ルーカスはやはり何も答えなかった。
 そしてロイもこれ以上は無駄だと思ったのか、押し黙った。
 沈黙に場が支配される。重い空気が場に充満した頃、ロイは玄関に向かって歩き出した。

「……」「……」

 ロイはルーカスの隣を通り抜けたが、二人の間に言葉は無かった。そしてロイはそんな父と一度も目を合わすことなく、外へと出て行った。

   ◆◆◆

 外に出たロイは当ても無く街をぶらついた。
 それは楽しいものでは無かった。見慣れた景色、見慣れた人々、刺激の無いいつもの光景に、ロイは退屈を持て余していた。
 そんなロイの目にふとあるものが映りこんだ。
 それは街のはずれにある山であった。そのふもとには小さな集落が見える。
 その集落は明らかに街とは様相が違っていた。簡単に言えばとてもおんぼろで、貧しかった。

「危ないからあそこには近寄るなっていつも言われてるけど……」

 ロイは少年らしい冒険心を抱いていた。

「ちょっと見に行くくらいなら大丈夫だろ」

 ロイはそんな言い訳を述べながら、その集落に向かって足を進ませた。

   ◆◆◆

 集落に辿り着いたロイは驚きに心を震わせていた。
 苔むしたわらぶき屋根、腐った木壁、そのような廃墟と呼べるような家屋が点在していた。
 この光景はロイにとって刺激の連続であった。こんな汚いところに人が住んでいるということが驚きであった。
 そして住人の見た目も凄かった。彼らの衣服は大きなボロ布に穴を開けただけであり、乞食と呼んでさしつかえないものであった。
 ロイは下衆な優越感を満たしていた。背徳的な悦楽をむさぼっていた。
 しかし、最初は楽しんでいたロイであったが、興奮が冷めた後は、居心地の悪さのほうが強くなっていった。
 ロイは注目されていた。ちゃんとした衣服を身にまとっていたロイは、周囲から明らかに浮いていた。
 そしてとうとう気まずさが限界に達したロイは、集落の奥にある山へ向かって逃げるように走り出した。

   ◆◆◆

 山にたどり着いたロイには次の冒険が待っていた。山には人が通ることが出来る道があり、それは奥へと続いていた。
 ロイは意気揚々と奥へ進んでいったが、突如聞こえてきた人の声に、ロイは足を止めた。
 しかしそれが自分と同じくらいの子供の声でだと気づいたロイは、すぐに警戒心を解き、足を再び前に進め始めた。
 ロイはその声を追うように奥へと進んでいった。すると間も無くして、ロイの目に開けた場所が映り込んだ。子供達の声はそこから聞こえてきていた。
 ロイは雑木の陰に身を隠しながらその広場を覗き込んだ。
 子供達はやはりそこにいた。
 しかしそれは穏やかな雰囲気では無かった。
 広場には大きな木が三本あった。子供達は一人を除いて、皆木の上に登っていた。
 その下にいる子供が木に足をかける。子供はよたよたと登り始めたが、すぐに滑り落ちてしまった。
 それは小さな男の子であった。ロイと比べても一回りは小さかった。貧弱そうであり、ぼさぼさ頭とボロ服が哀愁を誘っていた。

「どうした、早く上がってこいよ、猿!」
「相変わらず木登りが下手なお猿さんだなあ」

 上にいる子供達はその無様さを笑い飛ばしていた。

「早く来ないと、俺らが全部食っちまうぞー」
「かわいそうだから。ちょっとやるよ!」

 そして上にいる子供達は木の実を貪り、残った皮と種を下の子に投げつけた。
 これにロイは言いようも無いイラつきを感じた。
 木の上でふんぞり返っているあいつらをどうにかしたい、ロイはそんなことを考えた。
 しかし木の上にいる連中の体格は自分より大きい。しかも一人では無い。取っ組み合いで勝てるとは思えなかった。
 だからロイは違うやり方を選ぶことにした。ロイは勢いよく飛び出し、木に飛びついた。

「なんだありゃあ」

 突然の見知らぬ乱入者に、いじめっ子達はあっけに取られた。
 しかしロイはそんないじめっ子達のことなど意に介さず、木を登っていった。
 ロイが木登りをするのはこれが初めてであった。登り方はめちゃくちゃで、途中何度も踏み外し、その度に体に擦り傷を作ったが、勢いだけはあった。
 そうしてあっという間に登りきったロイは、木の実を適当にもぎとった後、下に飛び降りた。
 ここまでくればロイが何をしようとしているのか馬鹿でもわかる。しかし上にいるいじめっ子達はロイに対し何も言わなかった。

「行こう」

 ロイはそう言いながら下にいる小さな男の子の手を取り、来た道を引き返した。
 その小さな男の子は特に抵抗せず、ロイの手に引かれるまま足を走らせた。

   ◆◆◆

 山から出た二人は、適当な場所を見つけ、そこに並んで腰掛けた。

「これが欲しかったんだろ? やるよ」

 そう言ってロイは木の実を男の子に手渡した。
 しかし、受け取った男の子は大事そうに抱え込むだけで、手をつけようとはしなかった。

「食べないのか?」

 疑問に思ったロイは尋ねた。

「母さんがお腹を空かせているから持って帰る」
「そうか、大変だな」

 ロイは感心しながらそう言った。その大変さをロイは全くわかっていなかったが。
 そしてロイはそんな健気な男の子に興味を持った。

「俺の名前はロイ。お前の名前は?」
「レオ」
「年は?」
「六つ」
「俺より三つ下か、どうりで小さいわけだ」

 そう言いながらロイはレオの体を上から下へ見回した。
 その時、ふと視界に入ったあるものにロイは目を止めた。
 泥土で汚れたレオの裸足。その足指はとても長かった。手の指より少し短いくらいであった。

「お前、足の指が長いんだな」

 レオはこれを気にしているらしく、隠すように足の指を折りたたんだ。恐らく、先のいじめっ子達に「猿」と言われていたのはこの足の指が原因なのであろう。

「……変わってるとは思うけど、俺は気にしないぞ」

 ロイがそう言うと、レオはおずおずと足の指を伸ばした。
 その後、特に会話も無く二人はただ座っていたが、レオは突然何かを思い出したかのように立ち上がった。

「そろそろ帰らなくちゃ」

 沈む夕日を見ながらそう言うレオに習うかのようにロイも立ち上がった。

「そうか。じゃあ俺も帰るとするか」
「うん、じゃあね、ロイ」

 レオはそう行って走り出したが、すぐに立ち止まり、振り返った。

「木の実、取ってくれてありがとう、ロイ」
「ああ」

 突然の感謝の言葉にロイが適当な返事を返すと、レオは再び背を向けて走り去っていった。
 ロイはその小さな背中がある家の中に消えるのを見てから、家路へと足を向けた。

「あれがあいつの家か」

 他の家と同じくらい、いやそれよりもボロい家だな、そんなことを考えながらロイは歩いていたが、突如腰の辺りに感じた違和感に足を止めた。
 その違和感を調べるべく、ロイが腰辺りにあるポケットに手を突っ込むと、そこには一つの木の実が入っていた。

「あー……ここにも一個入れてたのか。忘れてた」

 今から渡しに行くのも気が引けるな、そう思ったロイはその木の実に口をつけた。

「……あまりおいしくないな」

 一口食べたロイの感想はそれであった。独特の苦味があり、匂いも不快であった。
 しかし捨てようとは思わなかった。レオはこれを欲しがっていたのだ。それをいまここで捨てることはなぜかひどいことのように思えたからだ。
 ロイはそのまま木の実をほおばりながらだらだらと歩いていった。

   ◆◆◆

 一方、家に帰ったレオはその木の実をすぐ母親に見せた。

「あら、どうしたのそれ」

 やつれてはいるが、母の笑みはレオにとってやはり眩しく、嬉しかった。
 レオはロイのことを話した。……自分がいじめられていたことは伏せたが。

「よかったわね、ちゃんとお礼を言った?」
「うん」
「お腹すいたでしょう。すぐに用意するわ」
「手伝うよ」
「そんなこといいから、座って待っていなさい」

 レオは仕方なく藁を敷いた床の上であぐらをかいて待つことにした。
 退屈な待ち時間はそれほど長くはなかった。しばらくして母は湯気が立つ二つのお椀と、あの木の実が盛られた皿を持って台所から姿を現した。
 細い母の手から椀を受け取る。レオは椀になみなみと注がれた熱い汁に息を数度吹きかけた後、口をつけた。
 それは練った小麦粉をお湯に入れただけの代物であった。
 貧しすぎる食事であった。しかしレオは文句も言わずそれを腹の中に流し込んだ。
 時折木の実に手を伸ばす。ロイが「あまり旨くない」と評したそれを、レオは気持ちがよいほどの勢いでほおばった。
 物が無くとも得られる幸せがあると人は言う。これはその一つなのかもしれない。
 しかしその幸せはあまりに小さく、刹那的なのだ。普段の過酷な生活をごまかせるほどでは無い。

「ごほっ、ごほっ」

 突然部屋に響いた液体が絡んだような重たい咳の音、不健康を示すそれをレオの母は何度も繰り返した。

「お母さん、大丈夫?」

 レオが母の背をさする。しばらくしてからようやく母の咳は止まった。

「もう大丈夫よ。ありがとう」

 そしていつものようにレオに返される母の笑み。このやり取りをもう数え切れないほど経験していたレオは、母の言葉を信じられずも、その言葉に従い背中から手を離した。

 苦労は人を時に蝕む。この貧しい家も、その厳しさに少しずつ侵されているのであった。

   ◆◆◆

 ロイとレオの交流はその後も続いた。
 ロイをそうさせたのはただの好奇心であった。貧乏な生活、それがどのようなものなのかを知りたいだけであった。
 そしてロイが得たものはそれだけでは無かった。ロイは定期的にレオに「施し」をするようになっていた。
 その「施し」とは、家の台所からくすねた食料であった。
 家のものを勝手に持ち出すことに抵抗は全く無かった。それよりも、レオが見せる笑顔の喜びのほうが圧倒的に強かった。
 そんなある日――

「レオ、今日は街の方に行くぞ。見せたい場所があるんだ」

 ロイからの突然の提案に、レオは戸惑った。

「心配すんなよ。俺がついてるから大丈夫だ」

 ロイはそう言いながらレオの手を取り、走り出した。
 突然のことにレオの足がもつれる。しかしロイはそんなレオを強引に引っ張っていった。

   ◆◆◆

 ロイが案内した場所、それは街のはずれにある路地裏であった。
 街の中でも少し入り組んだところにあり、あまり日が差さないその場所は、当然のように人気は無かった。
 そんな路地裏の奥にほんの少し開けた場所があった。レオの家と同じくらいの広さがあるその空間には、子供じみた生活感があった。
 中央には椅子とテーブルを模した大小の木箱が置かれてあり、隅にはがらくたにしか見えないものが乱雑に積み重ねられていた。

「どうだ? ちょっとした秘密基地みたいだろ?」

 レオは黙って頷いた。

「ここもいいんだけどな、奥にまだいい場所があるんだ。ついて来いよ」

 そう言ってロイは奥へと歩いていった。

   ◆◆◆

 秘密基地のさらに奥、そこに広がっていたのは川であった。
 街の中心を通っている川よりは細い。恐らくそっちが本流で、こっちは分流された方なのだろう。
 穏やかな風と、目に映る水草の色が心地よい。確かにロイが言ったとおり、ここはやや窮屈と言えるあの秘密基地よりもいい場所に思えた。

「街を通ってる川よりは小さいんだけどよ、こっちは静かでいいだろ?」

 ロイの言葉に、レオは黙って頷いた。

「おーい! ロイ! こっちだ、こっち!」

 直後、飛んできた呼び声にロイが顔を向けると、そこには土手の上であぐらをかきながら釣り糸を垂らす二人の青年がいた。
 青年の一人がロイに手を振る。それを見たロイは声を上げた。

「二人とも来てたのか!」

 ロイは二人の青年に駆け寄った。

「ロイ、その小僧っ子は誰だい?」

 手を振った方の青年がロイに尋ねる。ロイは斜め後ろにいるレオをちらりと一瞥した後、口を開いた。

「こいつはレオ。最近友達になったんだ」

 ロイはレオの隣に並び、その背を軽く叩きながら再び口を開いた。

「紹介するよレオ。この二人は俺の友達で、今話してるのがスコット、奥にいるもう一人がアレックスだ」

 こういうことに慣れていないレオは、どうしたらいいのか分からないというような表情を見せた。
 それを見たスコットは釣竿を置き、白い歯を見せながらレオの前に手を差し出した。

スコットイメージ

「俺はスコット。よろしくなレオ」

 差し出されたスコットの右手。どうすればいいのかレオは本能的に察したが、臆病なレオはその考えをすぐには行動に移せなかった。
 レオは勇気を出してスコットの手を握り返そうと手を伸ばした。しかしそれはとてもゆっくりであり、遠慮がちであった。
 スコットはそんなレオに向かって身を乗り出し、なかなか前に出ないその手を力強く握り締めながら口を開いた。

「握手だ。これで俺とお前は友達だ」

 白い歯をますます輝かせながらそう言うスコットに対し、レオは驚きと戸惑いが混じった顔を返した。
 握手――レオにとって初めての経験であったこの行為は、とても印象深いものであった。そしてこの行為は友達になるための儀式なのだとレオは感じた。
 そしてもう一人ともこの儀式を交わしておいたほうがいいのではと思ったレオは、アレックスの方に視線を移した。
 しかしアレックスはレオと目を合わせようとせず、ただ黙って釣り竿を握っているだけであった。
 これを見かねたスコットは助け舟を出した。

「おーい、アレックス、挨拶くらいしろよ」

 言われたアレックスはしょうがないというような様子で、レオの方に視線を移し、名乗りながら手を差し出した。

アレックスイメージ

「アレックスだ」

 レオは差し出された手を握り返したが、この握手は先ほどスコットと交わしたものと比べてとても短いものであった。
 そしてさっさと握手を済ませたアレックスはレオから視線を外し、再び垂れている釣り糸を見つめ始めた。
 人によってこの握手という儀式は重みが違うのだろう、レオはそう思った。
 レオはそんなアレックスの態度を特に気にしなかったが、スコットはすかさず場を取り繕った。

「気にすんなよレオ、アレックスはいっつもこんな感じなんだ」

 スコットがレオの肩を叩きながら白い歯を見せる。スコットは「いつも」という部分に溜めをきかせ、アレックスを煽った。
 しかしアレックスの反応は淡白なものであった。スコットの方をちらりと一瞥しただけで、その目は「くだらないことを言ってるんじゃない」と語っていた。
 これにスコットは「やれやれ」とでも言うかのように、大げさに肩をすくめながら両手の平を上に向けた。
 さらに煽られたアレックスであったが、今度は無視を決め込むつもりらしく、視線すら返さなかった。
 そして何が可笑しいのか、このアレックスの態度にもスコットは白い歯を見せた。
 陽気で人当たりの良さそうなスコットと気難しそうなアレックス、レオの二人の第一印象はそんな感じであった。
 そんな紹介と挨拶が終わったところで、ロイはスコットに尋ねた。

「そういや最近見なかったけど、何してたんだ? 仕事か?」

 尋ねられたスコットは待ってましたと言わんばかりの勢いでこれに答えた。

「ああ、そうなんだよ。その仕事でな、本当にえらい目にあったんだぜ。ちょっと聞いてくれるか?」

 スコットはロイの返事も聞かずに、その仕事について話し始めた。聞きたくないと言っても話すつもりだったのだろう。

「隣町から運ばれてくるはずだった食料が強奪されたって話は、もちろん知ってるよな?」

 これにロイが頷きを返すと、スコットはすぐさま言葉を続けた。

「俺とアレックスはその食料を運ぶ仕事に参加してたんだよ」
「本当かよ!? スコット!」

 なんとなく予想はできていたが、ロイは素直に驚きを返した。

「嘘じゃねえよ。なあ、アレックス?」

 同意を求められたアレックスは、目線だけをスコットの方に向けながら口を開いた。

「ああ、そうだ」

 アレックスの淡白な返事は、不思議なことにスコットの言葉よりも真実味があった。
 一方、表情が変わらないアレックスに対し、ロイはとても興奮した様子でスコットに尋ねた。

「それで、どうだったのか詳しく話してくれよ! 相手は氷族だったのか!?」
「落ち着けって、ちゃんと話してやるからよ」

 スコットは急かすロイをなだめながら口を開いた。

「まず相手が氷族だったかどうかってのはわからねえ。証拠がねえんだ。襲撃してきた奴等には逃げられちまったからな。まあ証拠が無くとも、氷族の仕業だってみんな思ってるけどな」

 それはわかっている。今のロイにはそれよりも別に聞きたいことがあった。

「まさか二人とも、目の前で氷族に荷物を奪われて、そのまま逃げ帰ってきたのか!?」

 これにスコットは困ったような顔で答えた。

「おいおい、無茶いうなよ。相手のほうが人数は多かったし、俺とアレックスは『魔法』を使えないんだぞ。勝てるわけねえだろ」

 魔法――その言葉にロイは一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに先と同じ勢いを取り戻し、声を上げた。

「だからって、氷族相手に逃げるなんて、悔しくねえのかよ!?」

 語気を荒げたまま喋るロイに、スコットはうんざりした顔で答えた。

「……お前は『魔法』の怖さを知らねえからそんなことが言えるんだよ。拳での殴りあいみたいなお優しいもんじゃねえんだぞ」

 ロイとスコット、二人の言い合いは徐々に険悪なものになっていた。
 これをうっとうしいと感じたアレックスは、二人の方に顔を向けながら口を開いた。

「お前ら、言い合いはその辺に――「ねえ」

 だが、アレックスの言葉は突如割り込んできたレオの無垢な声に掻き消された。

「ねえ、魔法って何?」

 レオはロイの袖を引っ張りながらそう尋ねた。

「え? ああ、それはな、あー……えーと」

 魔法のことをよく知らないロイは言葉を濁すことしかできなかった。
 そしてそんなはっきりしないロイに代わり、スコットが口を開いた。

「魔法っていうのはな、簡単に言やあ、特別な人間だけが使える強い力のことだよ」

 スコットは分かりやすく言ったつもりだったが、レオはよく分からないと言うような表情で再び尋ねた。

「どんなものなの?」

 聞かれたスコットは顎に手を当てながら視線を上に向け、考え込む様子を見せながら口を開いた。

「どんなって言われてもなあ……俺もそんなに何度も見たことがあるわけじゃねえから、上手く言葉にできねえが、こう手が突然ぱっと光ってな、光る弾が飛んでいくんだよ」

 スコットは不恰好なジェスチャーを交えながらそう説明した。これに対し、レオはとても子供らしい感想を返した。

「手が光るの? かっこいいね」

 この言葉にスコットは拍子抜けしながら口を開いた。

「かっこいいってお前、うーん、まあ確かにそうかもしれねえが、すげえ危ないもんなんだぞ。当たると痛いじゃすまねえんだぞ」
「そんなに痛いの?」
「痛いなんてもんじゃねえよ、当たり所が悪けりゃ一発で死んでしまうほどだぞ」

 死んでしまう、それがどういうことなのかよくわからなかったレオは表情を変えずに黙り込んだ。

「なんか調子狂うな……」

 スコットは黙るレオに対し、少し困った顔を浮かべた。
 しかし好奇心の尽きないレオは、そんなスコットにさらなる質問を浴びせた。

「ねえねえ、魔法ってどうやったら使えるの?」

 これは答えが決まっているらしく、スコットは即答した。

「わかんねえ。多分誰に聞いてもそう答えると思うぜ。ある日突然使えるようになるって話だ」

 この答えはレオにとってつまらないものだったのか、レオは「ふーん」と感情のこもっていない相槌を返した。
 そしてその返事から、レオからの質問攻めがようやく終わったと判断したスコットは、ロイと先の話の続きをすることにした。

「そんじゃあ話を戻すけどよ、そんなこんなで俺達は何とか無事に帰ってきたんだがな、なんと、さらにとんでもない不幸が俺達を待っていたのさ」

 ロイはその「そんなこんな」の部分が詳しく聞きたかったのだが、その「とんでもない不幸」とやらがなんなのか気になったため、ここはとりあえず黙っておくことにした。

「まったく信じられないぜ。こちとら命からがら帰ってきたっていうのに、荷物を奪われたからって理由で報酬は無しにされちまったんだよ! ひどいと思わねえか?!」

 スコットはしかめっ面でロイに同意を求めたが、違う何かを期待していたロイはとてもがっかりした表情を返した。
 同意を得られなかったスコットであったが、だからどうということも無いらしく、すぐに表情を元に戻して釣竿の方に向き直った。

「そんで腹が減ってしょうがねえから、他に仕事も無いし、とりあえず釣りでもしてしのごうって、今こうしているわけよ」

 釣竿を揺らしながらそう言うスコットの顔は、なぜかとても得意げであり、「いい考えだろ?」とでも言いたげであった。

「ふーん……それで、釣れたのか?」

 スコットの傍にある桶は空である。聞くまでも無い質問であったのだが、ロイは尋ねずにはいられなかった。
 そしてスコットはこのいじわるな質問に肩をすくめながら答えた。

「今日は魚の機嫌が悪いらしい」

 スコットは自分に落ち度は無いと言わんばかりの笑顔でそう答えた。

「なんだよ、その滅茶苦茶な言い訳は」

 そう言ってロイは笑った。これに釣られるように、スコットとレオも笑った。

 この物語はこの四人から始まる。無愛想なアレックス、陽気なスコット、そしてまだ幼いロイとレオ。
 生まれ育った環境、そして性格もばらばらな四人であったが、彼らは不思議と気が合っていたのであった。

   ◆◆◆

 三ヵ月後――
 季節は秋から冬へと移っていた。
 灰色の雲が空を覆い、寒風が吹きすさぶある日のこと、ロイはレオを連れて秘密基地に来ていた。

「寒いな……」

 ロイは秘密基地にあるテーブルを模した木箱に座りながら、既に何度も呟いた台詞を再び口に出した。

「せめて晴れてくれればもう少しマシなんだけどな」

 ロイは空をあおぎ見ながらそう言った後、対面の木箱に座るレオに視線を移した。
 レオの格好は相変わらずみすぼらしく、とても寒そうであった。

「お前、そんな格好で寒くないのか?」

 レオの鼻から垂れた鼻水がそのまま返事となった。
 レオは鼻水をすすった後、がたがたと震え始めた。そしてわざとやっているのかと思えるほどに、歯をかちかちと鳴らし始めた。

「アレックスとスコットのやつ、今日は来ないのかなあ。あいつらがいてくれたら、火をおこしてくれるんだが」

 火打石などの道具があればロイ一人でもできる。しかしロイは幼いというだけの理由から、それを持ち歩くことを許されてはいなかった。

「そういえば、聞いた話によると火を出せる魔法使いもいるらしいぜ。便利だろうなあ。こんな寒い日でもへっちゃらじゃねえか」

 ロイは軽い冗談のつもりでそう言ったのだが、レオは震えるばかりで何の反応も示さなかった。
 そんなレオを見ているうちに、ロイは寒さが増したような錯覚を抱いた。

「しょうがない。今日は俺がやってみるか」

 ロイはそう言って立ち上がり、隅に積まれたがらくたの中から、細い木の棒と板を取り出した。
 その木の棒の先端は黒く焦げており、板のほうにはそれを強く押し付けたかのような黒い跡があった。
 ロイはとても原始的な火起こしに挑戦しようとしていた。摩擦から生じる熱で火種を作るというものだ。
 ロイは木の棒を両手で挟み込み、焦げた先端を地面に置いた板に押し付けた。

「ようし、やるぞ……」

 ロイは覚悟を決めたかのように大げさにそう言った後、両手で挟んだ木の棒をもむように回し始めた。

   ◆◆◆

 一時間後――
 ロイは火をおこすのを諦めていた。
 疲れ切ったのか、ロイは小さな木箱に力無く腰掛け、机である大きな木箱の上に突っ伏していた。

「……疲れた。もう無理だ」

 ロイは顔を木箱の上に伏せたまま敗北を宣言した。
 そしてロイはしばらくそうしていたが、汗が引いて体が冷えたのか、両手で体を抱きながら震え始めた。

「それにしても寒いなあ……」

 もう家に帰ろうか、とうとう嫌になったロイがそう思った直後、待ちかねていた男がようやくこの秘密基地に姿を現した。

「よお、御二人さん」

 その男、スコットは秘密基地を見回しながら再び口を開いた。

「アレックスは来てないのか?」

 ロイはスコットの質問には答えず、自分の欲求を口に出した。

「スコット! 悪いんだけど、今すぐに火を起こしてくれないか!? 寒くてしょうがないんだ!」

 震えながら詰め寄ってくるロイに、スコットはたじろぎながら答えた。

「わかった、わかった。ったく、しょうがねえなあ」

 スコットは面倒臭そうな顔で木の棒と板を手に取り、地面に座り込んだ。
 板を地面に置き、棒を押し当てる。そしてスコットは先ほどまでロイがやっていたのと同じように、棒を回し始めた。
 スコットの手つきはロイのものとは違っていた。回転が速いのはもちろんのことであるが、棒がまったく左右にぶれないのが印象的であった。
 しばらくして、板から煙が上がり始めた。ロイがやった時も煙自体は上がっていたのだが、その量は全く違っていた。

「よし、こんなもんでいいだろ。そこにある藁を取ってくれ」

 言われるよりも早く、ロイはがらくたの隣に積まれた枯れ草と藁を適当にむしりとり、スコットに手渡した。
 スコットはその中から時化っていない草を数本抜き取り、煙が出ている箇所に押し当てた。
 枯れ草は燃え始め、その火は少しずつ大きくなっていった。スコットは慣れた手つきで火の成長に合わせて藁と草を足していった。
 そうして火が拳ほどの大きさになったところで、スコットは火を地面の上に置きながら口を開いた。

「薪を取ってくれ。細いやつな」

 ロイはこれも分かっていたらしく、既に手ごろな太さの薪を準備していた。
 受け取ったスコットは、地面に置いた火に薪を足していった。
 火は薪を食べて小さな炎になった。炎が安定したのを確認したスコットは姿勢を崩し、焚き火の前で横になった。ロイとレオも火の前に座って手をかざした。

「はあ~、落ち着くなあ」

 子供らしく無い台詞を吐くロイに、スコットは笑みを浮かべながら口を開いた。

「俺が火を見ていてやるから、お前ら二人は適当に遊んでいていいぞ」

 スコットが年長者らしい優しさを見せると、二人の子供は素直にその好意に甘えた。

「じゃあレオ、今日は何して遊ぼうか?」

 聞かれたレオは勢い良く立ち上がり、がらくたの山を漁り始めた。
 そしてしばらくして、焚き火の前に戻ってきたレオが握っていたのは、チェス盤と駒であった。

「またチェスかよ? 昨日も、というか一昨日もやったじゃないか」

 ロイは明らかに嫌そうな顔をしたが、レオはそんなロイの事を無視するかのように盤を地面の上に置き、汚れた駒を並べ始めた。
 何を言っても無駄か、そうあきらめたロイであったが、少し意地悪をしたい気分になった。

「お前強いんだから、少し駒を減らしてもいいだろ」

 ロイはそう言いながらレオの駒をひょいひょいと奪い取った。
 レオはそれを止めもせずぼうっと眺めていた。そして五つ駒を奪ったところでロイの手はようやく止まった。

「まあこんなもんでいいだろ。よし始めるか」

 いいわけがない。しかしロイは返事も聞かずに勝手に自分の駒を動かした。まだ先手後手を決めていないにも関わらずだ。
 ロイはにやにやしながらレオが何か言うのを待っていたが、意外にもレオは何も言わず、黙って駒を動かした。
 この条件でやる気なのか? ロイは面食らったが、レオが何も言わない以上、このまま続けることにした。

   ◆◆◆

 一時間後――

「まじかよ……」

 ロイは盤を見ながらそう呟いた。
 勝負はロイの負けで決していた。王手をかけられたわけではないが、完全に詰んでいることは明らかであった。

「……俺、チェスのことが嫌いになりそうだ」

 無茶苦茶な逆恨みであるが、恨みの対象がレオではなくチェスであるところが非常にロイらしかった。
 そんなロイに対し勝ったレオの方はというと、何も言わず盤上の駒を再び並べ始めた。
 再戦の申し込みである。しかし今のロイにはそれに応える気力は残っていなかった。

「どれだけ俺の心を折るつもりだよ……今日はもう勘弁してくれ」

 そう言ってロイはレオから視線を外し、焚き火の方へと体を向けた。
 これにレオはとても残念そうな顔を浮かべた。レオはしばらくロイの横顔を見つめていたが、ロイは頑なにレオの方に向き直ろうとはしなかった。
 あきらめたレオはむすっとした表情を一瞬浮かべたが、すぐにいいことを思いついたような明るい顔をスコットの方に向けた。
 その眼差しが何を期待しているのは馬鹿でもわかる。スコットは体を起こしながら、しょうがないなというような顔で口を開いた。

「俺の出番か? 言っとくけど手加減しねえぞ?」

 これを聞いたレオは飛び跳ねるかのような勢いでスコットの前に座った。

「ロイ、悪いけど代わりに火を見ていてくれ」

 スコットはロイに火の番を任せた後、レオと一緒に駒を並べ始めた。

   ◆◆◆

 数十分後――

「悪いなレオ、俺の勝ちみたいだな」

 レオはスコットには勝てなかった。
 悔しそうな顔で盤を見つめるレオ。スコットはそんなレオに声をかけた。

「まあ、そんな気にすんなよ。俺はこう見えて結構長くやってるからな、最近始めたばかりのお前が勝てないのは当たり前さ」

 スコットは慰めたつもりであったが、今のレオの心には通じなかったようであった。

(もっと手加減してやればよかったか。失敗したな)

 スコットは少し大人気なかったことを心の中で反省した。
 泣きそうな顔をするレオ。これにスコットは焦ったが、ロイがこの事態に助け舟を出した。

「じゃあレオ、次は俺とやろうぜ」

 ロイはそう言いながらスコットを押しのけ、駒を並べ始めた。
 もう一度やってもレオの勝利で終わるであろうことは、ロイ自身がよくわかっていた。しかし、ロイの目的は勝つことでは無く、レオに華を持たせることであった。

「さあ、やろうぜ。さっきは俺が先手を取ったから、次はお前からな」

 ロイはわざとそう言ってレオを急かした。この言葉にレオは表情を戻し、駒を動かした。目に涙が溜まってはいたが。

(どうせ本気でやっても負けるんだし、普通にやればいいか)

 ロイはそう思いつつも、レオの機嫌をうかがいながら駒を動かしていった。

   ◆◆◆

 数時間後――

「……俺の負けだ、降参だ、降参!」

 ロイは大げさにそう言いながら、手持ちの駒を盤の上に放り投げた。
 ロイとレオはあれから三回勝負したが、三戦ともレオの勝利で終わっていた。
 負けるということは決して気持ちが良いものでは無い。しかし、機嫌が治ったレオが見せる笑顔は、ロイの心から暗い感情を消していた。
 そして二人の心から勝負の興奮が消えた頃、ロイとレオは体を撫でる寒風に身を震わせた。
 勝負に集中していて気づかなかったが、火はいつの間にか消えていた。消したわけでは無く、燃えるものが無くなって自然と消えたという感じであった。

「満足したか? それなら今日はもうお開きにしようや」

 スコットは焼け跡を片付けながらそう言った後、夕焼けに染まる空を眺めながら言葉を続けた。

「もうすぐ日が沈む。暗くならないうちに帰ろうぜ」

 そう言いながらスコットが立ち上がると、ロイとレオもそれに習うように立ち上がった。

「そうだな、今日はもう帰るか、レオ」

 ロイはレオの返事を待ったが、レオはがたがた震えるだけであった。もしかしたら頷きを返したのかもしれないが、それがわからないほどに震えていた。

「お前、本当に寒そうだなあ……」

 そんなレオを見ているうちに、ロイはあることを思いついた。

「そうだレオ、いいことを思いついた」

 そんなことを口走ったロイに、スコットは尋ねた。

「なんだ? そのいいことってのは?」

 これにロイは得意げな顔を見せながら口を開いた。

「秘密だ。明日になったら教えてやるよ」
「そんなもったいぶるほどのもんなのか?」

 ロイはさらに得意げな顔で答えた。

「ああ。きっと喜ぶと思うぜ。とにかく明日もここに来いよ、レオ」

 そう言ってロイは突然走り出した。その「いいこと」とやらが彼を興奮させているのだろう。
 ロイの姿はあっという間に見えなくなったが、すぐに忘れ物をしたというような顔で戻ってきて口を開いた。

「それじゃあ、また明日な!」

 ロイは別れの挨拶のためだけに戻ってきたらしく、またすぐに走り出していった。
 スコットはそんな慌しいロイの背中を見送った後、口を開いた。

「なんだかわかんねえが、俺たちも帰るか、レオ?」

 これにレオは頷きを返し、スコットと並んで秘密基地を後にした。

   ◆◆◆

 次の日――
 ロイはスコットとレオにその「いいこと」をお披露目した。
 ロイが二人に見せたもの、それは服であった。

「そりゃあ、お前が昔よく着てた冬服じゃねえか」

 スコットが言ったとおり、それはロイのお古であった。
 何度も着られたせいか、少しくたびれた印象があったが、縫いはしっかりとしており、着用にはまだ十分耐えられるように見えた。
 ロイはその服をレオに差し出しながら口を開いた。

「レオ、これ、やるよ!」

 これにレオは「本当にいいの?」というような顔をした。

「寒いだろ? 遠慮するなって」

 なかなか受け取ろうとしないレオに、ロイは少し強引に服を手渡した。
 寒がる友達に服を贈る、それ自体は微笑ましい光景だ。しかし、スコットはこのやり取りに微妙な顔を浮かべていた。
 スコットは黙ってその様子を見ていたが、レオが袖に腕を通したところで遂に口を開いた。

「……ロイ、気持ちはわかるが、これはあまり良くないと思うぜ」

 思いもよらぬ言葉に、ロイは一瞬固まった。そしてロイは当然のように何故と問おうとしたが、それよりも早くスコット自身が先の言葉を否定した。

「いや、俺が気にしすぎてるだけかもしれねえ。今のは忘れてくれ」

 場は微妙な空気に包まれたが、ロイはそれを振り払うようにレオに話しかけた。

「それで、どうだレオ? 服はちゃんと体に合ってるか? 寒くないか?」

 質問を立て続けに浴びせてくるロイに、レオは笑顔で答えた。

「うん大丈夫、すごく暖かいよ」

 嬉しい答えに、ロイも笑顔になった。

「そうか、そりゃよかった」

 そして何故か服を贈ったロイのほうが照れ臭そうであった。

「ねえロイ、この服をいますぐ母さんに見せに行きたいんだけど、いいかな?」

 レオの問いに、ロイは何故かしどろもどろになりながら答えた。

「あ、ああ、そりゃもちろん、すぐにでも言って来いよ」
「じゃあ今から行ってくるね。終わったらまたここに戻ってくるよ」

 そう言ってレオは秘密基地から走り去って行った。

「……」

 笑顔でその背を見送ったロイに対し、スコットはやはり神妙な面持ちのままであった。

 この行為は失敗であったと、ロイはすぐに学ぶ。
 この子供らしい優しくも軽率な行為が、ある悲劇を呼んでしまうのだ。
 そしてスコットはこの時既に、その悲劇について感づいていたのであった。

   ◆◆◆

 レオが秘密基地を去ってからしばらくして――

「……駄目だ、やっぱ気になってしょうがねえ」

 秘密基地に残っていたスコットは突然そんな独り言を吐いた。
 これに同じく場に残っていたロイは反応した。

「さっきから何がそんなに気になってんだ?」
「ロイ、ちょっと聞きたいんだが、レオと知り合ったのは町外れにある貧民区か?」

 貧民区、それはあの山のふもとにある集落のことを指しているのだろう、そう思ったロイは肯定を返した。

「ああ、そうだけど?」

 ロイの答えに、スコットは悩ましい顔をしながら口を開いた。

「やっぱりそうか……ああ駄目だ。ますます気になってきた」
「だから、何がだよ?」
「レオにあんな上等な服を着せたことさ」
「それがなんで気になるんだよ?」

 スコットは諭すような顔でこれに答えた。

「……あそこに住んでいるやつらの気持ちになって考えてみろ。金が欲しくてしょうがねえ、今日一日をどうやって凌ぐか、そんな連中が今のレオを見たらどうすると思うよ?」
「……」

 スコットの言葉はロイに悪いイメージを抱かせた。

「それに……」
「それに?」
「……あそこはただの貧乏人が集まってるってだけじゃねえんだ。あの地区は雷族と氷族、二つの民族が混じって生活しているんだよ」

 氷族がいる、その事実はロイの中にある悪いイメージをさらに酷いものにした。

「ロイ、レオの家がどこにあるか知ってるか?」

 ロイが頷きを返すと、スコットはすぐに口を開いた。

「よし、じゃあすぐに案内しろ」

   ◆◆◆

(レオ!? どこだ、どこにいる!?)

 ロイはもう何度思ったか分からない言葉を、再び心の中で叫んだ。
 ロイとスコットはレオを探して走っていた。
 レオは家に帰ってはいなかった。レオの母親から直接そのことを聞いたロイは、事情の説明すらしないまま飛び出し、こうしてレオの姿を求めて当てもなく走り回っていた。
 そして、そこら中を探し回った後、ロイとスコットはようやくレオを見つけた。
 レオはロイと果物を分け合ったあの場所の近くにいた。レオは人目を避けるように木の陰にうずくまっていた。
 その姿はぼろぼろであった。ロイが渡した服は身に着けておらず、その下に着込んでいた元の服はあちこち引き裂かれていた。
 しかし何よりも目を引いたのは、痛々しいその顔であった。強く殴られたのか、あちこちに青い痣ができており、その際に口内を切ったのか、口の端からは血が垂れていた。

「ああ、かわいそうに。じっとしてろ、傷を見てやるから」

 そんなレオに真っ先に声をかけたのはスコットであった。動けなかったロイとは違い、年長者らしい精神の強さがスコットにはあった。
 スコットはレオの顔に手を当てながら、傷の様子を伺った。
 ロイはその様子を黙って見ていた。レオが家に帰れなかった気持ちは幼いロイでも理解できた。こんなぼろぼろな姿を母親に見せたくなかったからだ。
 そしてしばらくして、ある決心をしたロイは突然口を開いた。

「レオ、お前にこんな事をしたのは誰だ?」

 物騒な発言に、スコットは思わず手を止めた。

「あいつらか? お前と初めて会った時に、お前を木の上からいじめてたあの連中か?」

 ロイの問いにレオは目を伏せるだけで何も言わなかった。しかしその反応がロイに確信を抱かせた。
 ロイの確信はすぐに怒りへと変わった。その怒りはロイを走り出させるのに十分であった。

「おい待て! ロイ! どこに行くんだ!」

 ロイはスコットの制止の声も聞かず、走り去って行った。
 追わなくては、そう思ったスコットはレオの肩に手を乗せながら口を開いた。

「レオ、ここで待ってろよ、すぐに戻ってくるからな」

 スコットは言い終わるよりも早く立ち上がり、走り出した。

   ◆◆◆

 ロイが向かった先、それは山であった。
 街中はレオを探していた時にさんざん走り回った。その時にあのいじめっ子達の姿は見掛けなかったからだ。
 そしてロイの考えは的中した。いじめっ子達はあの果物の木の下でたむろっていた。

「なんだあいつは?」「なんか見たことあるな」

 突然現れたロイの姿に、いじめっ子達は何事かと、どよめき始めた。いじめっ子達はロイの事をはっきりと覚えていないようであった。
 対し、ロイの視線はその中の一人に釘付けになっていた。
「お前達がやったのか」と聞くまでも無かった。ロイが見つめるその相手は、レオに渡したあの服を着ていたからだ。
 ロイは何も言わずにその相手に向かって突っ込み、助走をつけた拳を顔面に叩き込んだ。

「何しやがんだ、こいつ!」

 突然のことにいじめっ子達は面食らったが、すぐに敵意をむき出しにし、一斉にロイに飛び掛った。
 ロイはがむしゃらに抵抗した。しかし多勢に無勢、しかもいじめっ子達の中には、スコットと同じくらいの体格を持つ者もいた。ロイに勝ち目があるはずは無かった。
 ロイはその大きないじめっ子に組み倒された。ロイは押しのけようとしたが、自分よりも大きな者に馬乗りになられては成す術が無かった。
 ロイは馬乗りになられながらもその相手に向かって手を出したが、それは大した反撃にならなかった。
 いじめっ子達の無数の拳と足が上から降り注ぐ。ロイは本能的に両腕で顔面を守ったが、とても防ぎきれるものでは無かった。
 殴打する音、踏みつける音が次々と場に響く。ロイの姿はあっという間にぼろ雑巾のようになっていった。
 一方的な展開であったが、いじめっ子達が手を止める気配は感じられなかった。
 この時、ロイは生まれて初めての強い恐怖を覚えた。全身のあちこちが痛い。殴られ続けている顔はどうなっているのか自分でもわからない。このままだと自分はどうなってしまうのか、そんな考えにロイの思考は埋め尽くされた。
 そしてロイの心が折れかけた瞬間、ようやくスコットが場に姿を現した。

「また知らねえ奴が来たぞ!」「どうせこいつの仲間だ、遠慮せずやっちまえ!」

 ロイの時とは違い、いじめっ子達は突然現れたスコットに対し先手を仕掛けた。
 ロイと同じくらいの体格の少年二人が同時にスコットに飛び掛かる。スコットはこれを物ともせず、逆に投げ飛ばした。
 地に叩き付けられたいじめっ子の少年は、苦痛にうめき声を上げた。これに反応するかのように、ロイに群がっていた他の者たちもスコットに向かっていった。
 スコットはあっという間にいじめっ子達の集団に飲み込まれた。
 戦法も何も無い肉弾突撃であった。激しくぶつかり合い、もみくちゃになる様は、まさしく子供の喧嘩であった。誰の手が誰を掴んでいるのかもはっきりしない、そんな喧嘩であった。
 そんな中、スコットはがむしゃらに戦っているように見えたが、そうでは無かった。スコットは弱そうな相手、小さい者から優先的に狙っていた。
 スコットはロイと同じくらいの少年を次々と投げ飛ばしていった。自身より小さい者に対し拳を振るわないのは、スコットの性質であった。
 何度も投げられたいじめっ子の少年達は徐々に戦意を失い、気力を無くした者から脱落していった。
 そしてあと二人というところまで数を減らした時、それまでには無かった音が突如場に響き渡った。
 それはスコットと同じくらいの体格を持つ青年が放った拳によるものだった。
 これまでは少年達と同じように掴み掛かっていただけの青年であったが、ここにきて遂に彼はその拳をスコットの顔面に叩き込んだのだ。
 これによって場の雰囲気は一変した。ここから先は子供の喧嘩では無い、そういう合図であった。
 それを感じ取ったいじめっ子の少年達は離れ、場にはスコットと先の青年だけが残った。
 対峙した両者は身構えた。
 双方の構えは似ていた。胸を守るように両腕を折りたたみ、双拳はあごの傍に置かれていた。
 いつでも拳を前に突き出せる構えであった。ここからは掴み合いでは無く、拳のぶつかり合いであることをその構えが示していた。
 そして先手を仕掛けたのはいじめっ子の青年であった。青年は踏み込みつつ、右拳をスコットの顔面に向けて放った。
 スコットはこれを受け止めるのでは無く、左拳の甲で弾くように払いのけた。
 そして、スコットは防御と同時に右手を出していた。青年は反応することができず、スコットの拳が鼻っ柱に直撃した。
 顔面に走った鋭い痛みに、青年は反射的に両腕で自身の顔を庇った。
 直後、青年は鈍く重い痛みを腹に感じた。青年の腹にはスコットの左拳が突き刺さっていた。両腕を顔に上げることを分かっていたかのような鮮やかな連携であった。
 そして、腹への一撃は顔へのそれよりも遥かに強烈であった。青年が抱いた感覚は痛みよりも苦悶の方が強く、呼吸が満足にできなくなるほどであった。
 青年はうめき声を上げそうになったが、これをぐっと堪え、再びスコットに向かって拳を繰り出した。
 スコットはこれを丁寧に防御したが、青年の攻撃は一手では終わらなかった。青年はスコットに反撃させまいと、凄まじい連打を繰り出した。
 さすがのスコットもこれら全ての攻撃を綺麗に捌くことはできなかった。スコットは背を丸めて体を低くし、硬い防御の姿勢を取ってこれを耐えた。

「スコット!」

 これにロイは思わず声を上げた。スコットが危機に立たされている、ロイにはそう見えたからだ。
 しかし、戦況は実はスコットの方に傾いていた。スコットは殴られ続けてはいたが、全てきっちりと防御しており、有効な打撃は一発ももらっていなかった。
 先にスコットが与えた腹への一撃は、しっかりと効果を発揮していた。満足に呼吸が出来ていない青年は、激しく体力を消耗していった。
 そして、青年の攻撃に勢いが無くなったところでスコットは反撃に出た。
 亀のように固まっていた先ほどまでとは一転するかのような攻勢であった。溜めていた鬱憤を晴らすかのような連打を、スコットは青年にお見舞いした。
 先ほどまでとは逆の状況になったが、青年の防御にはスコットのような堅牢さは無かった。青年の頬に、そしてわき腹に、スコットの拳が突き刺さった。
 痛みが青年の体のあちこちに走る。追い詰められる恐怖に駆られた青年は、思わず足を振り上げた。
 そのつま先の目標はスコットの股間であった。金的、男には一撃必殺になりかねない凶悪な一撃であった。
 しかしスコットはこの一撃も防御した。攻撃の手を即座に止め、股間の防御に回したその動きは、非常に鋭く反射的であった。
 これが来ると読んでいたわけではない。スコットが反応出来たのは、追い詰められた人間がどのような手段を取るのかを、経験から知っていたからだ。
 青年の足を止めたスコットは、すかさず反撃に移り、青年の頬を打った。股間を狙われたことで気が高ぶったのか、その一撃は今までで一番強烈なものであった。
 青年が大きくよろめく。足元がふらついており、拳を支える腕も力無い。勝負は決したかのように見えた。
 だがスコットはそう思ってはいなかった。スコットは青年から一定の距離を取ったまま、油断無く身構えていた。
 直後、青年は動いた。どこにそんな力が残っていたのか、青年は勢い良く地を蹴り、スコットの腰目掛けて飛び掛った。
 体当たりである。自分の体を丸ごと相手に叩き付ける行為。青年の最後の抵抗であった。
 青年の体がスコットに激しくぶつかる。スコットは腰を低くしてこれを受け止めた。
 スコットは数歩押されたが、押し倒されることは無かった。青年の体を止めたスコットは、青年の頭を抱え込むように右脇に挟み、締め付けた。
 頭を圧迫される苦しさに青年はもがき、手を振り回したが、それは抵抗と呼べる力強さを有してはいなかった。
 スコットは青年の頭を締めながら右足を振り上げ、膝を青年の腹に叩き込んだ。
 スコットは二度、三度と膝を振り上げた。膝が腹に突き刺さる度に青年の抵抗は弱くなっていった。そして五発目が叩き込まれた時、青年は抵抗を止め、その場に膝を折った。
 青年の体から力が抜けるのを感じたスコットは拘束を解き、膝をつく青年から二歩離れた。
 青年にこれ以上反撃する様子は見られなかった。それどころか、さらなるスコットの追撃を恐れ、身を強張らせているようであった。
 しかしそれはなかった。代わりに青年にぶつけられたのは言葉であった。

「俺の勝ちだ」

 勝利宣言であった。
 スコットは拳を下ろし、暫しの間膝を折った青年を見下ろした。動こうとしない青年の様子から、彼は負けを受け入れたのだとスコットは判断した。
 ロイはこの一部始終を上半身だけを起こした姿勢で見ていた。
 スコットの戦いぶりはロイにとって衝撃であった。明るい普段の振る舞いからは想像もできないことであるが、スコットの腕っ節の強さは間違いなく本物だとロイは感じていた。
 意外な一面であった。これからスコットを見る目は間違いなく変わるだろう。
 そして、スコットは殴られた頬をさすりながらロイの目の前まで歩き、手を差し伸べながら口を開いた。

「大丈夫かロイ? 立てるか?」

 ロイは差し出された手を力強く掴み、勢いよく立ち上がった。
 大丈夫だということを示すつもりでそうしたのだが、ロイの顔面は全く逆のことを示していた。

「ひどくやられたなあ。お前の顔、痣だらけだぞ」

 みっともない自分の顔を見られるのが嫌なのか、これにロイは少し恥ずかしそうな顔をした。元気であることを示すために勢いよく立ち上がった手前もあるだろう。
 ロイの心情を察したスコットは、続けて口を開いた。

「さあ、帰ろうぜ、ロイ」

 そう言ってさっさと歩き始めたスコットに、ロイは慌ててついていったが、ある事を思い出し、足を止めて振り返った。
 ロイが振り返った先、そこにいたのはレオに渡した服を着ている少年であった。
 ロイはその少年に駆け寄り、口を開いた。

「返せよ」

 威圧的な口調に少年は怯え、一瞬固まったが、すぐに服を脱ぎ、ロイに差し出した。
 ロイはただでは受け取らなかった。ロイは少年の顔面に一発叩き込んだ後、奪い取るように少年の手から服を取り上げた。
 そしてロイはさらに手を上げようとしたが、それよりも早く、鋭い声がロイの背に突き刺さった。

「やめろ、ロイ!」

 ロイに制止の声を叩きつけたのはスコットであった。これにロイは不快感をあらわにしながら口を開いた。

「なんでだよ、元はと言えばこいつらが「いいから、もういくぞ!」

 だがスコットはロイの反論に耳を貸そうともせず、再び背を向けた。
 ロイはちらりと少年の方を一瞥した後、遠ざかるスコットを追うために足を走らせた。

   ◆◆◆

 その後、レオと合流したスコットとロイは静かに帰途についた。
 スコットの背中にはレオがおぶさっていた。疲れたのか、レオはその背に身を預けながら寝息を立てていた。
 一方、おだやかな寝顔を見せるレオに対し、ロイの心は霧がかったようにもやもやしていた。
 それは何故か分かっていた。事の原因が自分、レオに服をあげたことにあるからであった。
 しかしロイはそれを悪いとは思っていなかった。他人にほどこしをするという行為そのものは悪いはずがない、悪いのはそれを力ずくで奪ったあいつらだとロイは考えていた。
 ならば自分が気にすることなど何も無いではないか、ロイはそう思いたかったが、スコットに注意されたことが彼の心を複雑にしていた。
 スコットは貧しい人間が悪いことをするのは当然であるかのように言った。そして今回の事が起きるのを予知し、それは現実になった。
 そして気になることはもう一つあった。ロイはそれをスコットに聞いてみることにした。

「スコット、なんでさっき俺を止めたんだよ」

 これにスコットは即答した。

「酷いことをするほど報復される可能性が高くなる。俺がいつもお前の傍にいてやれるとは限らないんだぞ」

 わかりやすい答えであった。ロイは続けて、もう一つの疑問を口にした。

「なあ、俺が悪かったのか?」
「ん?」

 どういう意味かよくわからない、という顔をするスコットに対し、ロイは言葉を変えてもう一度尋ねた。

「レオに服を渡したことが悪かったのか?」

 スコットは少し間を置いてからこれに答えた。

「……別にお前は悪くねえよ。誰が悪いかで言えば、レオから服をぶんどったあいつらが悪いのは間違いない」

 これにロイはよくわからないという顔をした。
 納得できないこと、言葉にし難いことはこの世には多い。これはその一つなのかもしれない。
 ロイに足りないのは思量と分別であった。善悪だけでは無い、誰がどう思われ、損得はどうなるのか、物事を広く考える能力にロイは欠けていた。そして、まだ幼いロイにそれを求めるのは酷であった。
 そして、それをなんとなく理解しているスコットは、少し考えてから再び口を開いた。

「なんて言ったらいいのかわからねえが……」

 スコットはそう前置きした上で言葉を続けた。

「とにかく、みんな必死なんだよ。自分の思い通りに事を運ぶってのは、意外と難しいことなんだよ」

 ロイはやはりよくわからなかったが、心の中にあったもやもやは少しだけ軽くなっていた。
 自分がやろうとしたことは難しいことなのだ、そして自分はまだ子供だ、だから失敗した、ロイはそう思うことにしたのであった。

   ◆◆◆

 レオを家に送ったスコットとロイは、レオの母に何があったかを説明し、そして謝罪した。

「……あなた達は悪くないわ。むしろ感謝してる。レオのことを思ってしてくれた事なんでしょう?」

 このレオの母の言葉は、ロイの心に重くのしかかった。ロイは何も言わず、ただ黙ってもう一度頭を下げた。

   ◆◆◆

 その後――
 スコットとロイが去った後、レオは母親と一緒に夕食を済ませた。
 そして辺りが暗くなり、後はもう寝るだけとなった頃、玄関のドアをノックする音が家の中に響き渡った。
 この家を訪ねる人間などいない。ましてこの夜分だ。ドアの傍に立ったレオの母は、警戒しながら口を開いた。

「……どちら様でしょう?」
「遅くに申し訳ない。私はロイの父であるルーカスと申します」

 ロイ――今日の事の発端となった少年、その父親が家を訪ねてきたというのか。
 何の用だろうか? しかしロイの父であるというのが嘘だとは思えない。レオの母は警戒したままドアを開けた。

「失礼します」

 ルーカスは女召使いとロイを連れて中に入ってきた。そのルーカスの姿を見て、レオの母はあることを思った。
 ロイを初めて見た時にも感じたことであったが、やはり生まれと身分が違う。綺麗で高貴さを感じさせる服、丁寧に整えられた髪、それは余裕のあるものにしか得られないものだ。
 何ともいえない感情がレオの母の心に湧き上がった。しかしレオの母はそれを表情には出さず、口を開いた。

「汚いところで何も用意できませんが、どうぞお座り下さい」

 レオの母が干草の敷物の上に腰を下ろすと、ルーカス達もそれに習い、対面側に座った。

「それで、ご用件はなんでしょうか?」

 レオの母が尋ねると、ルーカスは隣に座る女召使いに目配せした。
 主人に促された女召使いは頭を低くしながら、あるものをレオの母の前に差し出した。
 それはレオの母にとって決して少なくない金子と、数着の衣類であった。
 その衣類はロイがレオに渡したものとは異なり、決して良いものではない、レオが着るに見合ったものであった。

「今回は本当にご迷惑をおかけした。息子は既に頭を下げたようですが、父親である私からも謝らせていただきたい」

 ルーカスがそう言いながら頭を下げると、ロイと女召使いも同様に頭を下げた。
 これにレオの母は少しばかり驚いた。まさかこのように丁寧に謝罪されるとは思っていなかったからだ。

「そんな、頭を上げてください。謝られるようなことは何もありませんし、既に息子さんに頭を下げてもらっていますので」

 しかしルーカスは頭を上げず、口を開いた。

「いえ、それはできません。けじめがつきませんので」

 ここで無理に断ればルーカスの面子を多少なりとも傷つけるだろう。女召使いとロイがおらず、ルーカスと一対一であればできたかもしれない。
 そして、正直なところを言えばこの金子はとてもありがたい。だからレオの母は素直にルーカスの気持ちを受け取ることにした。

「お気持ちはわかりました。では、これはありがたく受け取らせていただきます」

 レオの母が金子と服を手元に引き寄せると、ルーカスはようやく頭を上げた。

 ルーカスとレオの母の間にはかなりの身分差がある。この世界における常識で考えれば、ルーカスのような立場の人間が、わざわざ出向いて頭を下げるなどということは普通無い。しかし、ルーカスはこういう人間であった。
 子供の責任能力を超えた不始末に対し頭を下げる、ルーカスはそれが当たり前にできる人間であり、領主である以前に一人の父親であった。

 そして、そんな父親の姿に、ロイは少しだけ考えを改めていた。
 今までロイは父のことを情けない、駄目な人間だと思っていた。しかしそれは間違いであると思うようになっていた。
 そして、ロイの胸中にはあるものが芽生えていた。父への敬意とは違うその何かは、ロイの胸の中で生き続けるのであった。

   第二話 魔法使い に続く
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テーマ : オリジナル小説
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初めまして!

スコットといじめっ子の青年の戦闘、かなりリアリティがある上に描写が分かり易くていいですね(・∀・*
序盤の展開はボクシングのそれだと思うのですが、ただの殴り合いでは終わらず、金的や体当たりといった生々しい喧嘩の仕方が、非常に私好みです。

私もこういった生々しい戦闘を描写できるのを目指して、日々小説を書いております。研究も兼ねて、これからも読ませていただきますね!(`・ω・´

Re: No title

どうも初めまして。
楽しんでいただけたなら幸いです。
これからもよろしくお願いします
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稲田 新太郎

Author:稲田 新太郎
音楽好きな物書き。ゲームも好き

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