シヴァリー 第十三話

奴隷

   ◆◆◆

  苦しむ者と飼われる者

   ◆◆◆

 サイラスが戦場を離れてから一ヵ月後のこと――
 リリィは収容所で忙しく手を動かしていた。
 リリィは皮製の装備を作らされていた。主に胸当てと靴だ。おそらく戦争で戦う兵士のためのものであろう。
 皮を裁断し、組みあわせて編む。リリィはこの作業を静かに延々と繰り返していた。
 しかしそんな単調な時間は、突如場に響いた陶器が割れる音によって破られた。
 そして間髪無く聞こえてきた男の怒声、これにリリィは反射的に目を向けた。
 そこには、跪(ひざまず)き地に額を当てて謝罪の態度を示す少女と、それを見下ろすように睨(にら)み付ける兵士の姿があった。
 見ると兵士の足は濡れており、傍には割れた水がめの破片が散乱していた。少女は何も言わず、頭を地につけたまま震えていた。
 少女が謝罪の言葉を言わないのはできないからだ。異国から|攫《さら》われてきたばかりの少女はまだこの国の言葉を話すことができなかった。
 直後、少女のわき腹に兵士の乱暴なつま先がめりこみ、幼い少女の体は軽々と浮き上がった。
 吹き飛んだ少女の体は壁に叩きつけられることでようやく止まった。少女は腹を手でかばいながら嗚咽(おえつ)を繰り返した。
 兵士はそんな少女を何度も踏みつけた。まるで少女がそのまま死んでしまってもかまわないかのような乱暴さであった。
 しかしその暴虐な振る舞いはすぐに止まった。なぜならリリィが少女をかばうように飛び出してきたからだ。

「なんだ貴様は。仕事に戻れ。邪魔だ」
「待ってください! この子はまだ年端(としは)もいかぬ子供。どうかお許しください!」
「子供だからどうしたと言うのだ。どかぬなら……」

 リリィの説得も空しく兵士は鞭を取り出し、それを少女に向けて振るった。

「っ!」

 鋭い痛みを耐えるために喉から漏れた空気を呑むような声、それは少女のものではなくリリィのものであった。
 鞭はリリィの背中の皮膚を裂き、そこを赤く染めたが、リリィは少女をかばうように抱きかかえたまま微動だにしなかった。
 兵士は何も言わず鞭を振るい続けた。
 そしてそれはリリィが気を失うまで続けられた。

   ◆◆◆

 リリィは自室のベッドの上で目を覚ました。リリィはうつ伏せに寝かされていた。

「気がついたのね」

 声がした方にリリィが顔を向けると、そこには見知った女性が座っていた。
 リリィはその女性のことを知ってはいたが、話したことは一度も無かった。

「動かないで、まだ終わってないの。……少ししみるけど我慢して」

 そう言いながら彼女はその手をリリィの背に伸ばした。直後、リリィの背に焼け付くような痛みが走った。
 何か薬を塗ってくれているのであろう、リリィの背中は熱を持っていたが、痛みはそれほどでも無かった。

「もうあんな無茶なことはやめておいたほうがいいわよ。あいつらは魔法が使えない人間のことなんて何とも思っていないんだから」

 やや乱暴な口調であったが、自分のことを案じたゆえの忠告であることを察したリリィは何も言わなかった。

「……終わったわ。じゃあ私は仕事に戻るけど、あなたはちゃんと寝ていなさいよ」

 そう言って彼女はさっさと部屋から出て行った。
 名前を聞きそびれたことにリリィは気づいたが、またすぐに会えるだろうと思い、彼女の忠告に従い|瞼《まぶた》を閉じた。

   ◆◆◆

 一方その頃、ラルフはヨハンと共に夕食をとっていた。
 真っ白なクロスが引かれた長いテーブル、荘厳な天井照明、そしてそれに見劣らぬ豪勢な食事――
 その裕福さはリリィの境遇とは正反対と呼べるほどであった。

「ヨハン様、一つお願いがあるのですが」

 食器の音しか無かった食堂に、ラルフの凛とした声が響く。
 ヨハンはナプキンで口元を拭った後、口を開いた。

「大分言葉遣いが良くなってきたな、ラルフ。だが、言っているだろう。私のことは父と呼びなさいと」
「……父上、お願いがあるのですが」

 ヨハンは酒を一口含み、唇を湿らせてから尋ねた。

「なんだね、ラルフ」
「リリィに会わせてください」
「ならぬ」

 即答であったが、ラルフは諦めなかった。

「どうしても会いたいのです、父上」
「ならぬと言っている。会う必要など無い」
「私にはあるのです」
「ほう。それはなんだ、言ってみたまえ」
「私はこれまで父上の言いつけに何も言わず従って参りました。それは、リリィを安全な場所に置いてくれるという約束があったからです」

 ラルフはこれまで見せたことの無い力強い目つきで、言葉を続けた。

「父上、私はただ、証を見たいだけなのです。リリィが保護されているという、信頼の証を」

   ◆◆◆

 その後、夕食を終えて部屋に戻ったヨハンは、部下である赤毛の男を部屋に呼びつけた。

「カイル、一つ頼みがある」

 カイルと呼ばれた赤毛の男は、跪いたまま口を開いた。

「それは、御夕食の時にラルフ様がおっしゃった件についてでしょうか」
「そうだ」
「リリィは現在収容所におります。いかが致しますか?」
「リリィが収容所に入れられていると知ったら、ラルフは間違いなく機嫌を損ねるだろう。一芝居うつ必要があるな」
「一芝居、と申しますと?」
「うむ、それはな――」

   ◆◆◆

 翌日、リリィは突然やってきた兵士達によって収容所の外へ連れ出された。

「あ、あの……一体、どこへ」
「黙って歩け」

 簡単な質問すら許されないまま、リリィは歩かされた。

 しばらくして、一行はある屋敷に辿り着いた。

「入れ」

 促されるままリリィが屋敷の中に足を踏み入れると、そこには赤毛の男、カイルが立っていた。

「やっと来たか」

 カイルは値踏みをするかのようにリリィを上下に見回したあと、口を開いた。

「汚いな。まずは風呂に入れ。その後着替えろ」

 カイルは傍にいた女従者に対し、顎で指図した。

「こちらへ。浴場へご案内いたします」

 女従者はリリィの手を引き、屋敷の奥へと連れて行った。

   ◆◆◆

 その後、カイルは部屋の外でリリィが着替え終わるのを待った。

(まったく、女の身支度は長くて嫌になるな)

 カイルがしびれを切らした頃、

「カイル様、着替え終わりました」

 ようやく聞こえてきた待ち望んだ声に、カイルはドアを開けた。

「とりあえず、用意されていた服を着させてはみましたが……」

 リリィの着替えを手伝った女従者の歯切れは良くなかった。その理由はリリィを見ればすぐに分かった。
 リリィは肩を大きくさらけ出した色気のある服を着ていたが、肩に残っていた鞭打ちの傷跡まで露出していたからだ。
 当然、カイルはこれを却下した。

「この服は駄目だ。傷を隠せない。肩を出さない服は無いのか?」

 言われた女従者は衣装棚に手を掛けた。しばらくして、従者は一着の服を取り出した。

「これなどはいかがでしょう?」

 それは一転して地味すぎると言えるものであったが、考えることを嫌ったカイルは即座に了承した。

「それで構わない。すぐに着替えさせてくれ」

 そう言ってカイルは礼を返す女従者を背に、さっさと部屋を出て行った。

   ◆◆◆

 翌日――
 ラルフはその屋敷へと案内された。

「こちらでリリィ様がお待ちです」

 カイルがラルフを部屋に案内する。ラルフは待ちきれないとばかりに、ドアを勢いよく開けた。
 そして、中にいたリリィを見たラルフは、息を呑んだ。
 リリィはとても美しかった。きれいで豪華な服、整えられた髪、薄く化粧された顔、それはまるで貴族の娘のようであった。
 ラルフは暫しリリィを見つめていたが、まだ挨拶すらしていないことに気づき、慌てて口を開いた。

「お久しぶりです、リリィ」

 背筋を伸ばして丁寧に頭を下げるその青年はラルフであった。

「ひさしぶりねラルフ。半年ぶりかしら」

 ラルフはリリィが座るソファーに並んで腰掛け、口を開いた。

「心配しておりました。ですが、お元気そうで何よりです」
「ラルフは変わったわね。見違えたわ。雰囲気が男らしくなってる。言葉遣いまで違うから、まるで別人みたい」
「言葉遣いと作法は『父上』に叩きこまれました」
「『父上』? ラルフ、お父さんがいたの?」
「……私はヨハンという人の養子になったのです」
「……そうなの」

 そこで二人の会話は止まった。何を話していいのか分からなかった。

 しばらくして、ラルフは口を開いた。

「リリィはこちらの屋敷でどう過ごしているのですか?」

 この質問に、リリィは迷った。
 私はこの屋敷に住んでなどいない、今も収容所にいる、助けてほしい、そう言いたかった。
 だが、部屋の隅にいる兵士と、女従者の目がそれを許さなかった。
 そして、ラルフの質問にはその女従者が代わりに答えた。

「リリィ様はこちらのお屋敷で特に不便なく過ごされております」

 これにラルフは少しだけ嫌な顔をした。

「すまないが、黙っていてくれないか。私はリリィと話して――」

 ラルフがそこまで言ったところで、突然ドアが開いた。
 そして姿を見せたのは、カイルであった。

「ラルフ様、そろそろお時間です」

 ラルフはこれに驚いて声を上げた。

「もう!? いくらなんでも短すぎないか!?」

 カイルは頷きと共に即答した。

「会うだけというお約束だったはずです。この後、隣町の領主と顔合わせするという大事な予定が入っております。お急ぎを」

 そして、カイルに続いて護衛の兵士がぞろぞろと部屋へと入ってきた。有無を言わせぬ雰囲気であった。

 仕方なくラルフは立ち上がり、

「リリィ、今日はこれで失礼しますが、また後日、会いに来ます」

 そう言って部屋を後にした。


 屋敷を出た後、ラルフは名残惜しそうに振り返った。

「ラルフ様、時間が迫っておりますので」

 足を止めたラルフをカイルが急かす。

「わかっている」

 ラルフは嫌悪を言葉に滲ませながら、足を再び前に出した。

 そして、小さくなっていくその背を、物陰から見ている者がいた。
 それはリリィでは無くサイラスであった。

   ◆◆◆

 その日の夜――

 ヨハンは再びカイルを部屋に呼び出していた。

「それで、どうであった?」

 カイルは跪いたまま答えた。

「上手くいったと思われますが、ラルフ様はまた来たいとおっしゃておられました」
「それは困るな。そう頻繁に通われては、手間がかかりすぎて面倒だ」

 カイルが「どうしますか」と尋ねるより早く、ヨハンは言葉を続けた。

「そこでだ、ラルフを神学校に入れようと思っている。卒業まで一歩も出られぬあそこならば、誰にも邪魔されずに教育と訓練ができるはずだ。すぐに手配できるか?」

 カイルは頭を下げながら口を開いた。

「ただちに取り掛かります」
「うむ、頼むぞ」

 カイルは再び一礼した後、部屋を出て行った。

   ◆◆◆

 翌日――

 収容所に戻されたリリィは仕事に従事していた。
 まだ痛む鞭打ちの跡を堪えながら手を動かしていると、兵士が声をかけてきた。

「リリィ、お前に客人だ。ついて来い」

 客? 一体誰が――そんなことを考えながらリリィは兵士のあとをついていった。
 しばらくして兵士は応接間の前で足を止め、リリィに入るよう促した。

「入れ。中で座って待っていろ」

 言われるがまま、リリィは中に入り、ソファーに腰掛けた。

 そして数分ほど経った頃、ノックの音の後に、その客人が姿を現した。

「失礼する」

 そう言いながら応接間に入ってきた男は魔法使いの礼装に身を包んでいた。

「お初にお目にかかる。私はサイラスという者だ」

 求められた握手にリリィは少しおどおどしながら応じた。この施設で暴力と威圧に晒され続けたためか、リリィは魔法使いに対して強い恐怖心を抱いていた。

「……失礼だが、名を伺ってもよろしいか?」

 言われてようやくリリィは自分がまだ名乗っていないことに気がついた。

「! 申し訳ありません、失礼を致しました。私の名はリリィと申します」

 どこか怯えたような表情で深く頭を下げるリリィを見ながら、サイラスは考えを巡らせた。
(訛(なま)りの無い流暢(りゅうちょう)な言葉遣い、外界から攫(さら)われてきた者とは思えないな。ラルフとの関係を聞き出したいが、どうしたものか)

 サイラスは暫(しば)し考えた後、口を開いた。

「言葉遣いから察するに、魔力を失った元貴族の方とお見受けするが、家はどちらに?」

 この質問はただの誘導である。サイラスはリリィが貴族の者で無いことを知っているのだから。

「いいえ、私は貴族では……」
「では、お前は海の向こうから攫われてきた人間なのか。それにしては言葉が達者だな」
「いえ、それも違います……私はこの大陸で生まれ育った、ただの奴隷です」
「それは妙だな。ここに連れてこられる人間は、貴族の生まれにもかかわらず魔法力が無い者か、外界から誘拐されてきた者か、そのどちらかであるはずだが……よろしければ、ここに来た経緯を話してはもらえないか?」
「私にも突然のことだったのでよくわからないのですが……」

 リリィはラルフに言葉を教えていたこと、そしてある日突然ラルフと共にここに連れてこられたことをサイラスに話した。

(この女はラルフの面倒を見ていたのか)

 リリィがここに連れてこられた理由はよくわからなかったが、サイラスにとってはこれだけで十分であった。

「そうか……気の毒に。おそらくお前は巻き添えを食ってここに連れてこられたのであろう」

 同情を示すサイラスに、リリィはおずおずと尋ねた。

「……ひとつ教えて欲しいのですが、ここから出るにはどうすれば良いのでしょうか」

 この質問にサイラスは難しい顔をしながら答えた。

「お前の場合は海の向こうから誘拐されてきた者達と同じ扱いであろう。高い魔法能力が発現すれば将軍に拾われるなどしてここから出ることができる。……それができなければ『見込み無し』として奴隷市場に送られるか、処分されることになる」

 処分、それがどういうことなのかを聞く勇気はリリィには無かった。

「……時間をとらせて済まなかった。これにて失礼する」

 そう言ってサイラスは一方的に話を切り、応接室から出て行った。

(結局、あの人は私に何の用があったんだろう)

 残されたリリィはそんな疑問を胸に抱いていた。

   ◆◆◆

 収容所を出たサイラスは、外で控えていたフレディに話しかけられた。

「どうでしたか大将、ラルフとあの女の関係は掴めましたか?」
「それは分かったが、大したものでは無かった。あの女は巻き添えを食ってここに連れてこられただけだった」
「なぁんだ……それじゃあ結局、たいした収穫は無かったってことですね」
「そうでもない。ラルフはリリィのことを慕っている、それがわかっただけでも十分だ」

 フレディはそれがわかったところで何の意味があるのかと思ったが、とりあえず黙って頷(うなづ)いておくことにした。

   第十四話 兄妹 に続く
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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

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