シヴァリー 第三十八話

   ◆◆◆

  軍神降臨

   ◆◆◆

 その瞬間から街の様相は一変した。
 直前までは戦いの声が街を包んでいた。
 怒声も悲鳴も唄のように全て重なって、街を響かせていた。
 しかし今は違う。悲鳴と奇声ばかりだ。
 奇妙で、とてもとても残酷な唄が街に響いている。
 それを奏でるは一人の女。
 指揮者である彼女が腕を振るうたび、新たな音が生まれる。
 彼女が腕を振るうたび、赤い雨が降る。
 彼女が腕を振るうたび、家屋が崩れ落ちる。
 女は笑っている。
 血まみれになった顔面に、恐ろしい表情を張り付かせている。
 なぜそんな表情を作っているのか。
 彼女を支配しているのは興奮。
 異常なまでの脳内麻薬の分泌が、彼女を狂わせているのだ。
 兵士達の悲鳴が甘美に感じるほどに。
 だから奏でる。甘美な音を聴くために。響かせるために。
 恍惚たる空間。ゆえに至福の時。
 これがいつまでも続いて欲しいと、恐ろしいことにリーザは本気でそう思っていた。
 が、直後、

「後退しろっ! とにかく距離を取れっ!」

 雑音がリーザの耳に入った。
 見ると、そこには兵士達に激を飛ばすケビンの姿。
 兵士達は我先にと逃げ始めている。
 が、ケビンはその背中に声を叩きつけた。

「負傷者を回収しながらだ! 引き摺ってでも連れて行け!」

 兵士達の背中がびくりと跳ね上がり、踵が返る。
 その集団の中に、明らかに遅れている者達がいた。
 大盾兵達だ。
 ずるずると、盾を引き摺りながら走るその者達に向かって声が上がる。

「盾は捨てよ! あの魔法に対しては意味が無い!」

 声の主はクラウス。
 その声に思い出したかのように兵達が盾を捨て始める。
 その様子に、リーザは目を細くした。
 この地獄の中で彼らは秩序を失っていない。
 それがリーザには気に食わなかった。
 リーザの右手に赤球が生まれる。
 それを見たケビンは即座に声を上げた。

「回避!」

 どうやって、とは言えなかった。ケビンにもわからないからだ。
 リーザの手から赤球が放たれる。
 やはりこちらを狙ってきた、その言葉がケビンの脳内に言葉として浮かび上がったと同時に、赤球は弾けた。
 眩く赤い槍が花開くように生まれる。
 それがケビンには赤く光ったように見えた。
 しかしケビンに認識出来たことはそれだけだった。
 気付けば、ケビンは他の兵士達と共に吹き飛んでいた。
 咄嗟に防御魔法を展開したはず。なのに、いつの間にか両手は万歳の形で上げられている。
 もう一つ奇妙なのは、「音が遅れてきたような」気がすることだ。
 つまり、この攻撃は音よりも速いということなのだろうか。

(……ふ、)

 自分の中に浮かんだ仮説の馬鹿馬鹿しさに笑みがこぼれそうになった瞬間、ケビンの背中に衝撃が走った。
 どうやら地面に到着したようだ。

「ぐ、うぅ……」

 悲鳴を上げる全身に鞭を入れながら、上半身を起こそうとする。

「! つぅっ!」

 が、直後、支えにした右腕から発せられたあまりの激痛に、ケビンの背中は再び地に落ちた。
 見ると、右腕は完全に折れていた。

「くそっ……!」

 悪態を吐きながら左手で上半身を起こす。
 途中、右足も折れているのが目に入った。
 これは完全に戦闘不能だなと、ケビンの理性は判断したが、まだやるべきことが残っていることもわかっていた。
 周囲を見回す。
 想像していたよりは残酷な光景が少ない。悲鳴もだ。
 被害を免れた兵士達は後退を続けている。
 しかし数が合わない。免れた連中と、そこら辺に散乱している死体の合計が少ないように見える。
 その理由はすぐに分かった。
 自分のすぐ傍に瓦礫の山がある。恐らく、先の攻撃で倒壊した家屋だろう。
 きっと、これに多くの者達が飲み込まれたのだ。

「よっ、……っと」

 まるで老人のような掛け声を出しながら、剣を杖にして立ち上がる。
 リーザの様子をうかがう。どうやら壊滅した我が隊への興味はもう無くなったようだ。
 剣をシャベル代わりにして瓦礫を除去していく。

「くそ……!」

 悪態が再び口からこぼれ出す。
 上手くいかない。片手片足なのだから当たり前だが。
 しかしこの作業が遅れれば遅れるほど、埋もれている兵士達の命が消えていくことになる。

「誰か……!」

 思わず助けを呼ぶ。
 しかし誰も来てくれる気配が無い。
 直後、ケビンの脳裏に一人の男の顔がよぎった。
 それはクラウス。
 そうだ。律儀なあの男ならば、クラウスならばこの状況でも手を貸してくれると期待して声を上げた。
 だが、その男は姿を見せない。

(まさか……)

 ケビンの視線が自然と下に落ちた。
 もしや、クラウス殿もこの下に、と思ったからだ。

   ◆◆◆

「クラウス?!」

 アランは思わずその名を声に出した。
 クラウスが遠くに行ってしまうと、二度と会えなくなると、感じたからだ。

「無事でいてくれ、クラウス……!」

 だからアランはその名を再び声に出しながら、その人の無事を強く、とても強く祈った。

   ◆◆◆

“クラウス”

 暗闇の中で自分を呼ぶ声が聞こえる。

“試練の時だクラウス”

 試練? 何を言っている? 意味がわからない。
 しかし不思議なことにうっとうしいと感じない。
 何故だか、この声が懐かしく感じる。

“今お前の命は尽きようとしている”

 唐突な死の宣告。
 なんだと? と声を上げそうになる。
 しかし出来ない。体が動かない。
 そして苦しい。

“試練の時なのだクラウス。今ここで気付かなければ、お前はこのまま死ぬ”

 気付く? 一体何に?

“思い出せ。お前はいつも一人で戦ってきたわけではないはずだ”

 謎の声がクラウスの鏡のような心に波を立てる。

“お前を思ってくれている人のことを、心配してくれている人のことを考えるのだ”

 波が鏡のような心の水面に一つの像を形作る。
 そして浮かび上がったのはアランの姿。
 なぜだか、その幻がまるで本物のような感じが、匂い立つような気配を放ち始めた。
 幻のアランが右手を前に出す。まるで握手を求めるかのように。
 咄嗟に、自分も右手を出そうとする。
 しかし体は動かない。右手は出ない。
 が、代わりに別のものが前に出た。
 それは光る線。
 一体どこから現れたのか。伸び出でたのか。
 わからない。だがなぜか、それが自分のものだと、己の体から出てきたものだとわかる。
 線はゆらゆらと揺れながらアランの方に伸びていった。
 そしてその先端がアランの指先に触れた瞬間、

「!?」

 アランの姿は跡形も無く消えてしまった。
 これはやっぱり幻だった。では本物は?
 ……いた。感じる。見つけた。
 夜空に煌く星のように輝いている。
 まるで子供のように、星を掴まんと空に向かって伸ばす。
 直後、再びあの声が響いた。

“彼は正解の一人だが、今は駄目だ。遠すぎる”

 遠い、その言葉に線が伸びを止める。
 じゃあ誰ならいいのだ? という疑問をクラウスが抱くよりも早く、線がその答えを示した。
 線がゆるりと向きを変える。
 その先端が新たに示した方向の先、そこにアランと似たような感情を持つ存在が、自分を探している者の気配が輝いていた。

“そうだ。急げ。時間は迫っているぞ”

 言われるよりも早く、クラウスはその気配に向かって線を伸ばした。

   ◆◆◆

(――え?)

 その時、ふと、ケビンは手を止めた。
 何かに、いや、誰かに呼ばれたような気がしたからだ。
 その声が、いや、気配がした方向に目線が流れる。
 そして辿り着いた先はある瓦礫の山。
 その下から呼ばれたような気がするのだ。
 いるのか、そこに。しかし声はしない。何か聞こえたと思ったのは気のせい?
 そのような疑問がケビンの中に浮き上がる。
 が、その心中に反して、ケビンの足は走り出していた。
 他に探す当てなど無かったからだ。
 ならば、この予感に賭けてみよう、ケビンはそう思ったのだ。

   ◆◆◆

「クラウス殿!」

 しばらくして、隙間から覗き見えた顔にケビンは声を上げた。
 瓦礫を除去する手が自然と早まる。
 そしてケビンの手がその体を掴むより早く、クラウスはのそのそと瓦礫の中から這い出てきた。

「クラウス殿、よかったご無事で! ……?」

 ケビンはクラウスに肩を貸そうとした。が、その手が止まった。
 クラウスがケビンを押しのけたからだ。

「クラウス殿?!」

 様子がおかしいことに気付いたケビンがその名を呼ぶ。

「……」

 しかしクラウスは返事をせず、ふらふらと前へ歩き始めた。
 その目はうつろ。焦点が定まっていない。
 こちらの声も聞こえていないようだ。

(まさか、気を失っている?!)

 ならば止めないと、そう考えたケビンがクラウスの肩を掴む。
 が、クラウスはその手を叩き払った。
 振りほどかれた反動でケビンが尻餅をつく。
 気を失っているくせにやけに力強い。これは片手片足では止められない。

「クラウス殿!」

 再び声をかける。

「……」

 しかしやはり返事は無い。
 ケビンは周囲を見回しながら声を上げた。

「誰か! 誰かきてくれ!」

 これにも返事は無い。
 ケビンの焦りが募る。
 なぜなら、クラウスが向かっている方向は今最も危険な場所だからだ。

「クラウス殿! そっちは駄目だ!」

 しかしクラウスは歩みを止めない。
 その足先はリーザの方へ真っ直ぐに向いていた。

   ◆◆◆

 前へ、前へ。
 淡々と足を前へ進める。
 何を目指して?
 実は何も目指していない。何も考えていない。
 今のクラウスにあるのは、

(美しい……)

 場違いで、そして新鮮な感動だ。
 今のクラウスの目には幻想が見えていた。
 それは数え切れないほどの光の線。
 人から人へ、つなぎ合わせるように、からませるように、網のように張り巡らされている。
 そして線は人と人の間に限らない。天を見上げれば、

(おお……なんと、)

 そこにあるのはため息を吐きそうなほどの圧倒的な光景。
 まず目を引くのはとても大きく、目に痛いほどに輝くひとつの星。
 これはきっと太陽だ。
 この燃える星から、細い光の線が雨のように降り注いできている。
 その雨の行き着く先を追って目線を下げると、

(これが……大地)

 眼下に広がるは輝く絨毯。
 大地が輝いている。
 その輝きは均一では無い。模様がある。ある場所では縞模様、別の場所では染みのように暗く、またある場所では水滴がしたたる水面のように波紋を描いている。
 それが時間とともに変化している。縞模様が、染みが、波紋が、時に広がり時に消えている。
 その変化がとても不思議で、幻想的で、心地よい。
 まるで万華鏡。
 そしてこの美しい大地と人も、光の線で繋がっている。
 地から出ている線は太くそして力強い。
 そう、『力強い』。実感できるほどに。
 今なら分かる。自分は、いやこの地にある全てのものはこの線に引っ張られている。

「……」

 その力を確かめるように足を前に出す。
 地を踏みしめ、足裏で実感する。
 その当たり前のことが今のクラウスには心地よかった。
 新しい世界を見ているという実感と、同時に湧き上がる優越感。
 それをもう一度味合うため、再び足を前に出す。
 直後、

「?!」

 嫌な感覚がクラウスの体に走った。
 原因はすぐに分かった。
 自分の体に、先ほどまでには無かった新しい一本の線が結ばれている。
 それが不快、いや恐ろしい。
 一体なぜ――誰が――線の出所を探る。
 そして辿り着いたのは、

(これは……リーザの線!)

 あの女が自分を見つけたから、気がついたから線が結ばれたのだ!
 手遅れな事実に気がついたと同時に、世界が元の姿を取り戻す。
 光る線の上に鮮やかな色が塗られていく。
 そして明らかになるリーザの形相。
 意外なことにそれは穏やかな表情。
 それは勝者の顔。圧倒的余裕から生まれる笑み。
 もはやリーザはクラウスのことを脅威だと思っていない。
 しかし逃がすつもりも無い。
 リーザはゆっくりと、見せ付けるようにあの魔法の準備を始めた。
 クラウスの心に焦りと恐怖が湧きあがる。
 同時に、

“試練はまだ終わっていない”

 あの声が聞こえたような気がした。
 尋ねる間も無く一方的に声は続く。

“もう一度言うぞ。お前はいつも一人で戦ってきたわけではないはずだ。言い換えれば、『一人で戦うべきでは無い』”

 その言葉にクラウスは疑惑を通り越した怒りを抱いた。
 一人で戦うなと言っても、どうすればいいのだ。意識と引力が視えるようになったが、これだけでどうにか出来るとは思えない。先と同じように意識の線を伸ばしても、どうにもならない! この状況をどうにかできる者など、周りには誰もいない!
 クラウスが怒りを吐き終えたとほぼ同時に、リーザの手の上に赤く輝く光弾が完成する。
 あとはそれを投げるだけ。それで自分の死が確定する。

(誰か――)

 今のクラウスに出来ることは、祈るように誰かに乞い、願うだけであった。

   ◆◆◆

「!?」

 直後、アランの顔は再び驚きの色に染まった。
 なぜなら『台本』が勝手に開いたからだ。
 しかもそれは自身に迫る危機について書かれたものでは無い。
 それだけでは無い。何かが、いや誰かが自分の中に入ってきているような感じがする。
 その感覚に体が硬直した。自分のとても奥深いところに、気安く入れてはならない領域にもぐり込まれようとしているような気がしたからだ。
 しかしアランはすぐに体の力を抜いた。
 それが、自分がよく知っている者だと気付いたからだ。

   ◆◆◆

 リーザの手から赤球が放たれる。
 響き渡る爆発の轟音。
 衝撃波が目前の全てをなぎ払う。
 もう何度も見た光景。

「……!」

 なのにリーザは目を見開いた。
 なぜならクラウスが、

(避けた?!)

 ように見えたからだ。
 ように、と表現したのは、クラウスが避けたのではなく、自分が外したような気もするからだ。
 あまりにも奇妙な感覚。『狙いをずらされた』ような、狙うという行為そのものを第三者に邪魔されたような感覚。
 それだけじゃない。クラウスの回避動作は明らかに人外の速さだった。

(あの動きはまるで――)

 リックのようだった、という考えをねじ伏せるために、頭を振る。
 一体何をした?
 そう問い詰めるかのように、クラウスを睨みつける。

「……」

 対するクラウスは微動だにしない。
 クラウス自身、リーザの問いに対する答えを探していたからだ。

(自分はいま……何をした?)

 動作そのものは単純。横に跳んだだけだ。
 しかしその速度は明らかに異常。
 膝と足首には重い痛みが残っている。
 この痛みの原因も自分は知っている。
 先ほど、自分は確かに膝と足首で魔力を爆発させた。
 なんでこんな事が出来た?
 咄嗟の思いつき?
 そうは思えない。
 なぜなら、思い付きでは説明できないもっと奇妙なことがあるからだ。
 相手の攻撃が完全に読めていた。どういう動作で、いつ撃たれるのかまで。
 まるで未来を予知したかのようだった。そう、『アラン様のように』。
 自分はアラン様と同じ境地に目覚めたのか?

(いや、違うこれは――)

 目覚めたというよりは、『借りている』という感覚。
 今ならはっきりと分かる。後方から少しずつ近づいてきているアラン様の存在を、アラン様の意識が自分の背に繋がっているのをしっかりと感じる!
 アラン様を背負っているような、アラン様が自分に乗り移ったかのような感覚!

「雄々々々ォッ!」

 それに気付いた瞬間吼えていた。
 同時に頭の中で声が響く。

“ここからだ。やるぞ、クラウス!”

 それはアラン様の声なのか、懐かしき誰かのものか、どちらか分からなかったが、

「御意に!」

 力強い返事と共に、クラウスは地を蹴った。
 クラウスの体が陽炎のように揺らぎ、影が前へ伸び始める。
 直後、その影を衝撃波がなぎ払った。
 しかし消えたのは影のみ。
 本体は既に右方に転進している。
 リーザの目線がそれを捉える。
 が、それは既に影。直前にクラウスは前方に向かって地を蹴っている。
 あっという間に双方の間合いが縮まり、クラウスの脳裏に勝利の二文字が浮かび上がる。
 次の一足で確殺となる距離。
 しかしそれは以前のリーザが相手であればの話。
 直後、台本が次のページを開いたのとほぼ同時にクラウスは後方に向かって地を蹴った。
 クラウスの前で爆発が起きる。
 土砂が舞い上がり、衝撃波と共に石の散弾が周辺に散らばる。
 近距離用に調整した爆発魔法を地面に叩き込んだのだ。
 以前の接近戦用の爆発魔法とは比べ物にならない威力。
 そしてなにより、クラウスが大きく後方へ退いたのは、台本ではわからない不確定要素があったからだ。
 この未来を予知する神秘をもってしても、石と土の破片がどのように散らばるのかまでは計算できなかった。『ここは多分危険だ』、という曖昧な予測が悪寒という形で知らされただけだ。
 安全策は単純に爆心地から距離を取るしかない。石と土の破片を掻い潜りながら突っ込むという行為は、完全に運に頼った行動となる。

(……厄介な)

 だからクラウスは唇を少し噛んだ。
 一呼吸分ほど間を置いてから、足を再び前に出す。
 まばたきするよりも早く、即座に右に転進。
 直前までいた場所で土砂が舞い上がる。
 右へ流れるクラウスを追う様に爆発が連続する。
 背後で鳴り続く爆音。それから逃げるように足に活を入れ続ける。
 逃げるので精一杯だ。
 明らかに先とは反応の速さが違う。
 もうこの動きに慣れたのか?
 それになんだこの攻撃の激しさは。この魔法はこんなに連射の効く代物だったか?
 そう自問自答するクラウスであったが、その答えは既に見えていた。

(あの女の身体に何が起きている?)

 女の中で煌く数え切れないほどの星々。
 明らかに普通では無い。
 どうやったらあんなことが出来るのか、それはわからない。
 が、あれがどういう現象なのかはわかる。
 あれは自分が使っている加速技と原理は同じものだ。
 しかし繊細さと規模が違いすぎる。自分のように間接の動きを補助しているだけでは無い。あれは全体の能力が向上している。

(さて、どうしたものか)

 この化け物をどうやって攻めるか、そんなことをクラウスが考え始めた直後、

「!」

 真後ろから爆発音。
 かなり近い。
 やはり女の反応速度が上がっている。このままだと次で直撃される。

(ならばさらに加速して振り切るまで!)

 そう考えたクラウスが、足に魔力を込めた瞬間、

「!?」

 台本が開いた。
 同時に悪寒が走る。
 悪寒の原因は一秒後に「前方で」起きる爆発。
 移動先を完全に読んだ偏差射撃だ。
 後ろか横へ逃げるしかない。

(やむを得ん!)

 クラウスはやむなく右を選択。
 本当は後方に逃げたい。
 なぜなら、偏差射撃の後に追い討ちが来るからだ。偏差射撃はあくまでこちらの足を止めることだけが狙いの牽制。
 しかし横移動ではその追い討ちの攻撃範囲から逃げられない。だから最善手は後方への転進。 
 しかしそれは出来ない。これだけ前に加速している状態でそんなことをすれば、足は確実にお釈迦になってしまう。
 足に活を入れ、真横に跳ぶ。
 同時に台本の次のページが開いた。

(!?)

 瞬間、クラウスの心に違和感が走った。
 その感覚に急かされるまま、再び足に活を入れる。
 陽炎よりも速く、クラウスの影が流れる。

「っ!」

 代償として足に走る激痛。
 数瞬の間を置いて、クラウスの後方で爆音。
 足に苦を強いて得た余裕のある回避。
 いや、はっきりいって余裕がありすぎる。これならば足を消耗させる必要など無い。
 攻撃のタイミングまで予測できるクラウスがなぜこんな回避を選んだのか。

(おのれ、またか!)

 そう、またなのだ。

(台本の反応が鈍い!)

 クラウスは大きな問題を抱えていた。
 そしてその原因に本人は気付いていない。

(いや、鈍いというよりも迷っているような……!)

 偏差射撃の予測の時もそうだった。
 偏差射撃が来ることはわかっていた。
 しかしそのタイミングの提示があまりに直前すぎた。
 迷っていると表現したが、正にその通り。台本は何度も書き換えられている。数値が攻撃の直前までふらふらしている。
 なぜこんなことになる。所詮借り物ゆえに、上手く扱えないということなのか?

(否……それは違う。何かが予測の邪魔をしている)

 確信めいたものがあった。
 そも、台本の演算をしているのは自分では無くアラン様だ。自分はその演算結果を受け取っているだけに過ぎない。
 そして、アラン様のこの能力は相手の心を読み攻撃を予測する、それだけのものだ。
 では、ふらついているのはアラン様のせいなのだろうか。
 それも否。
 意識の線をしっかりと繋げているから分かる。アラン様の演算は完璧だ。
 つまり原因は、迷っているのは台本の方では無い。

(リーザが攻撃を迷っている?)

 それしか考えられない。
 しかしこれも妙な考え。
 この状況で何を迷うことがある?
 そんな疑問を抱いた直後、クラウスの心に雑音が走った。

“そ――、―し違う”

 懐かしきあの声。しかし恐ろしくか細い。正確に聞き取れたのは最後の部分だけだ。

(違う? リーザが迷っているわけでは無いということか?)

 リーザの攻撃を回避し続けながら、意識を声の方に向ける。

“原因はお前の――せいだ”

 私のせい? しかし肝心なところが聞き取れなかった。
 私の何かがアラン様の邪魔をしているということなのか。

(っ!)

 直後、クラウスの顔が苦痛に歪んだ。
 膝から生まれた激痛が背中を駆け上がったのだ。
 足の消耗が深刻な域に達している。
 苦痛、焦り、意地、そのような感情がクラウスの目に混じる。

「……っっ」

 走り続けながらクラウスは歯を食いしばった。
 己の中に湧きあがりつつある弱い感情を殺すためだ。
 その闘志を見せ付けるようにリーザをにらみつける。

(……!?)

 直後、リーザの顔を映したクラウスの瞳に新たな感情が滲んだ。
 それは理解。
 感じ取れたのだ。リーザは苦しんでいることを。
 あの声が言ったとおりだ。リーザは迷っているわけじゃない。何かに必死に抵抗している。そこから生じる感情の乱れがアラン様の計算に影響を及ぼしているのだ。

(一体何が……――っっ!!!)

 瞬間、クラウスの体に衝撃が走った。
 感覚から、クラウスは硬い壁にぶつかったのかと錯覚したが、これがリーザが放った偏差射撃によるものだと理解するのには、錯覚に要した数瞬ほどの時間もかからなかった。

「がっは!」

 クラウスの体が地の上を派手に転がる。
 全身から生まれた苦痛、それがクラウスの脳を侵食する。
 が、クラウスの理性は至って平静であった。地の上を滑っている間に、自身の体がまだ戦える状態にあることを確認するほどに。
 同時に、クラウスの理性は一つの疑問を提起していた。
 なぜアラン様の台本が偏差射撃を予測出来なかったのか。
 仰向けになった体に力を入れ始めたところでその答えは出た。

(……なんと愚かな)

 原因は至極単純。アラン様と繋がっていた線を切ってしまったからだ。
 代わりに、リーザに伸びている線の数が増え、さらに太くなっている。
 リーザの方に意識を向けすぎたのだ。
 だから愚かだと思った。
 自分がこの能力に目覚めたのはついさっきのことだ。あまりに未熟。ゆえに意識を戦い意外の事に向ける余裕などあるはずもない。
 さらに言えば、そもそも戦う必要すら無い。逃げればいいのだ。
 アラン様が自力で脱走し、こちらに向かって来ていることは感じ取れている。ならばすぐにこの場から去り、アラン様と合流するのが最善手。この戦いを続けなければならない義理など無いのだから。

(……本当に、なんと愚かな)

 上半身を起こしたところで、クラウスは再び自身の愚かさを責めた。
 もう逃げることも出来なくなったからだ。
 今まさにリーザの手から追撃が放たれようとしている。
 回避が間に合わない。

「……」

 不思議なことにその動作がやけにゆっくりに見える。
 時間がゆっくりになったかのような感覚。
 音も聞こえない。

「……」

 だからクラウスは落ち着いて考えることが出来た。残り僅かな時間で出来る最良の回避行動を。
 あきらめるつもりなど、何もせずに死を迎えるつもりなど無い。たとえ自分がどれだけ愚かであっても。

「――」

 瞬間、クラウスの心はざわついた。
 何かが、クラウスの心の底から這い上がろうとしてきたのだ。
 しかしそれが姿を現すことは無かった。
 だが、クラウスは奥底に眠っているものの正体を分かっていた。
 それはクラウスにとって一番つらい記憶。
 自分は愚かであるという自責の念と、僅かに抱いた後悔がその記憶を呼び起こしたのだろう。

(そうだ、あきらめられるものか! もう後悔はしたくない! あの時のように!)

 歯を食いしばりながら体に活を入れる。
 しかし追撃はもう目の前。

(神よ――)

 信じてもいない何かに願った直後、クラウスの視界は白く染まった。

   ◆◆◆

 白の次は一転して黒。
 ムラの無い黒一色。
 しかし安心感がある。生き埋めになっていた時とは違って心地いい。
 だからクラウスは暗闇の中で表情を緩めた。
 が、直後、その闇は縦に真っ直ぐに切り裂かれた。
 裂け目から光があふれ、広がる。
 そして中から現れたるは一人の男の後姿。
 男は剣を持って駆けている。
 その構えはアランと同じもの。
 よく見知ったその背中が、光に向かって駆けている。
 光の中に戻りそうな、飛び込みそうな勢い。
 しかし光との距離は縮まらない。
 むしろ開いている、空間が、真っ白な舞台が広がっている。
 遠く、小さくなっていく男の背中。
 直後、男が目指す白い壁に変化が現れた。
 ぬるりと、光の壁に出来た隙間から影が伸び出る。
 それは人の形を取り、そして兵士の姿を成した。
 白い舞台に現れた新たな役者。
 一人では無い。立ちふさがるように、男の突撃を止めるために、列を成し壁となっている。
 だが男は足を止めない。たった一人で――
 いや違う。いつの間にか男の後ろに仲間達が、新たな役者達が追従している。
 しかしその数は少ない。
 対し、眼前の壁はさらにその枚数を増やした。
 そして壁は瞬く間に黒い塊となり、軍隊となり、大軍となった。
 その奥で指揮官らしき者が声を上げている。
 その者はヨハン。
 ヨハンの声が空気を震わせ、兵士に命を吹き込む。
 そこから生じる脈動が、熱気が、場を戦場と変えていく。
 大地が呼応し、景色が色付く。
 そして完成する舞台。
 男とヨハン達の距離が詰まる。
 最前列の大盾兵達が衝突に備えて低姿勢を取る。
 後列の魔法使い達が男に向かって構える。
 恐ろしいほどに統制が取れた動き。
 対し、男が率いる部隊の動きはバラバラ。
 無策無謀の突撃だ。
 しかし次の瞬間、男の影が「ぬるり」と前へ伸びた。
 あっという間に後続を引き離していく。
 恐ろしいほどの加速。偉大なる一族のものと全く同じ技。
 もしや、やれるのか? この大軍相手に? そんな期待感を持たせてくれる加速。
 その期待感は大盾兵と男が衝突する瞬間、最高潮に達したが――

「……」

 そこでぴたりと、全ての動きが止まった。

「……」

 たった一人の観客であるクラウスは冷めた目でそれを見ていた。
 クラウスの心中には期待感も興奮も無い。
 結果を知っているのだから当然のことだ。
 そしてこの悪夢がいつもここで終わることも知っている。
 それも当然。この先ははっきりと覚えていない。この目で一部始終を正確に見届けたわけではない。
 さあもういいだろう。結果は分かってるんだ。早く幕を閉じてくれ。

 クラウスはそう願ったが――

「……」
 
 場は動かない。変わらない。

「……?」

 いや、違う。ゆっくりと動いている。目を凝らさないと分からないほどであるが、確かに動いている。
 しかし何かが妙だ。動きがおかしい。

(……戻っている?)

 男の足の動きが逆回転になり、前進していた体が後ろにさがり始めている。

(これは……時間が巻き戻されている、のか?)

 戸惑うクラウスをよそに、巻き戻しは徐々にその速度を増した。
 ヨハン達と男の距離がみるみる開いていく。
 兵士達が、役者達が次々と光の中に戻っていく。
 そして役者が男一人だけになり、舞台がふりだしに戻った瞬間、

(……止まった?)

 場面は再び停止。

「……」

 男の後姿をじっと見つめる。

(……ん? 今、)

 動いたような、とクラウスが思った直後、

「!」

 クラウスの体は驚きに硬直した。
 男が突然クラウスに向かって振り向いたからだ。
 体の向きは前のままに、首だけで後方を見た姿勢。
 肩越しに男の顔が見える。
 クラウスが身を硬くした理由はその表情。
 なぜ? と言いたげな、意外そうな顔。
 そうだ。あの時、わが師は確かにこちらに振り返った。

(……やめてくれ)

 その顔に、クラウスは心をえぐられた。

「……すまない」

 クラウスの口から謝罪の言葉が漏れる。
 痛む自分の心を慰めるためだけの言葉だ。
 それを知っているのか、責めるつもりなのか、舞台は再びゆっくりと動き出した。
 前にではない。巻き戻しだ。

(まさか――)

 クラウスは気がついた。

(私にあれを見せるつもりなのか)

 この演目の目的を。

「やめてくれ」

 クラウスの口から再び言葉が漏れる。
 しかし願いは届かない。舞台は止まらない。
 後ろにさがり続ける男。
 その背中がクラウスの目の前に迫った瞬間、

「撤退だ!」

 声が響いた。
 かなり近い場所からだ。
 ほとんど目の前――というよりもこれは、

(これは……自分の声だ)

 自分は観客じゃない。
 自分も役者の一人なのだ。
 その事実に気付いた直後、新たな役者達が舞台に現れた。
 クラウスの背後に仲間達が。自身が率いる軍隊が。
 そして遠く左右から、自分達を挟撃しようとする敵軍が。
 当時の精鋭魔道士が率いる屈強な部隊だ。
 それが自分達を挟み撃ちにしようとしている。
 どう見ても勝ち目が無い。

(そうだ、だから声を上げた。逃げるべきだと)

 直後、目の前にいた男が再び振り向いた。
 先と同じ表情。
 驚きを表したその顔が、今のクラウスには苦痛だった。

「やめてくれ」

 言葉が漏れる。
 しかし同じ言葉でも込められた感情は別物。
 自責と後悔への怯えは無い。はっきりとしている。
 懇願よりも逃避の色が強い。
 自身を正当化させるための言葉。
 自分は間違っていない。
 あの時はこうするしか無かった。
 クラウスはそう思って言葉を漏らした。
 しかし直後、

「本当にか?」

 場に再び響いた自身の声。
 気付けば目の前にあるのは男の背中ではなく鏡。

「違う。お前は後悔している。だからこんな夢を見ている。あの時自分達が逃げなければ、勝てたかもしれないと考えている」

 鏡の中にいる自分が勝手な言葉を吐く。

「……」

 しかしクラウスは何も言い返せない。
 そして鏡はそんなクラウスに対してさらに詰め寄った。

「むしろ勝てなくても良かったと思っている。お前はあの時自分も一緒に玉砕しておけばよかったと思っている。そうだろう? 実際、その後どうなった?」

 逃げたその後、どうなったか。

「……」

 クラウスはやはり何も言えなかった。
 忘れてはいない。忘れられるものではない。
 我らはカルロのもとに、貧民街へ逃げ込んだ。
 カルロはこんな大人数は受け入れられないと言った。
 しかしカルロの妻がその発言を覆してくれた。
 神は我らをまだ見捨ててはいない。本気でそう思った。
 なのに――なのにあんなことになるなんて。

「カルロのところに逃げ込んで、それからどうなった?」

 鏡がクラウスを急かす。

(考えたくない――)

 クラウスはそう思ったが、映像が勝手に脳裏に流れ始めた。
 鏡にも同じ画が映り始める。
 映像にあるのは大勢の貧民達の姿。
 しかしそのほとんどが暴徒。
 ある者は石を投げ、ある者は刃物を振り回し、またある者は叫びながら逃げている。
 暴れている者達の多くは、クラウスが連れてきた奴隷兵、仲間達だ。
 なぜこんなことになったのか。
 彼らは欲していた。
 ある者は屋根のある住居を求めていた。
 またある者は食糧を求めていた。
 またある者は酒を求めていた。
 カルロの妻は与えられるだけ与えた。
 しかし足りなかった。いくら探しても無いものは無かった。
 それでも彼らは際限なく求め続けた。
 それはある時を境に傲慢に変わり、そして間も無く残酷に変貌した。

「なんと愚かな――」

 クラウスはまたしても言葉を漏らした。
 なんてありさまだ。
 なんと醜い。
 あるものだけで耐え忍ぶことを知らぬ愚か者達。
 求めることしか知らぬ、生み出すことを知らぬ者達。
 そんな愚かな者達は欲するあまり、考えられる中で最悪の手段を取った。
 そしてその結果――

「……」

 場面が変わる。
 鏡の中にあるのは、妻の亡骸を抱きかかえるカルロの姿。
 暴走は最悪な形での結末を引き起こしたのだ。
 思い込んでいた。悪しき教会に立ち向かっているのだから、我らは善だと。
 確かに「その一点においてだけ」はそうなのだろう。しかし全てにおいて、完全な善たる存在ではないことが証明されてしまった。弱いものが、虐げられているもの全てが善とは限らない。本当に、あたりまえのことだ。
 それ自体に悔しさは無い。この摂理に支配された世界の中で完全な善を成せる存在というのは、それこそ御伽噺に出てくる神様くらいだろう。今の人間に出来ることは天秤をどちらに傾けるかくらいのものだ。
 悔しさは別のところにある。醜い姿を晒したことだ。それがなによりも無念。
 巨大な悪に立ち向かったのだから、最期まで高潔でありたかった。
 だからあの場で玉砕しておけば良かったと思った。

「うぅ……」

 その事実に屈したクラウスは、嗚咽を漏らしながらうつむいた。

「―い」

 誰かがクラウスを呼んでいる。
 しかし己の過去を悔いているクラウスの耳には届かない。

「おい」

 再びの呼び声。
 しかしまだクラウスは気付かない。
 だからその者は声を張った。

「おい、クラウス!」

 その声にクラウスはようやく「はっ」となった。
 気付けば、目の前にあるのは鏡ではなく師の姿。

「クラウス、夢を見ている場合ではないぞ」

 師は続けて口を開き、尋ねた。

「まさか『また』逃げるつもりなのか?」

『また』という言葉に、クラウスは肩をわずかに震わせた。
 その様子に、クラウスの心を察した恩師は、言葉を付け加えた。

「違う。お前を責めるつもりでは無い。私はお前を恨んでなどいない。お前のあの時の選択は間違ってはいないと、私も思っている」

 師は優しい目でそう言った後、今度は眉間にしわをよせながら口を開いた。

「だが、ここは逃げてはならないのだ。ここで逃げてもおそらく次か、その次の戦いでお前はきっと殺される。アランと一緒に」

 アラン様が死ぬ? 一体どういうことだ。
 クラウスがそう尋ねるよりも早く、師は答えた。

「アランは強力な能力に目覚めたせいである連中から目を付けられ始めている。そしてそれが『暗殺』という形で行動に移される時はそう遠くない。……そして、その時にお前がちゃんと目覚めていなければ、全て、終わりだ。今のお前とアランではあの『刺客』には絶対に勝てない」

 そう言った直後、師は目を細めながら顎に手を当て、「いや、これは少し違うな」と直前の言葉を否定した。
 そして師はあごひげをいじりながら考えを練り直した後、再び口を開いた。
 
「……お前が自分の能力を完全に使いこなせるようになったとしても、多分、あの『女』には勝てない。ディーノの力を借りて五分、いや、三分というところだ。だが勝てないにしても、お前が目覚めていれば生き残る確立がはね上がる」

(……?)

 この時、クラウスはディーノの名が出たことに違和感を覚えた。ディーノの力はアランよりも下に位置しているように思えたからだ。
 クラウスの顔に困惑の色が滲む。
 なぜディーノなのだ。アンナでは駄目なのか。
 クラウスはそれを尋ねようとしたが、またしても師が口を開く方が早かった。

「クラウス、もう一度言うぞ。これは試練なんだ。越えなくてはならない試練なのだ」

 念を押すような口調で耳に届いたのは、以前にも聞いた言葉。
 試練とは能力を自覚することでは無かったのか。
 では、師はリーザを倒せと言っているのか。

「……」

 クラウスの顔が真顔に戻る。
 クラウスは真剣にリーザとの戦いについて思考を重ねた。

「……」

 しかしクラウスの口から言葉が出ない。
 難しい、という結論しか導き出せなかったからだ。
 まず接近することが難しい。
 では、近づけないのであれば飛び道具で、ということになるがこれも困難。
 並の攻撃は爆風で吹き飛ばされてしまうからだ。範囲と連射力を増したリーザの爆発魔法は攻防一体の域に達している。自分にも強力な飛び道具が――アンナ様が馬上から放って見せた、あの圧倒的な一撃があれば話は別だが。
 そも、自分はアラン様やアンナ様のように刀から光る刃を上手く飛ばすことが出来ない。
 いや、出来ないというのは少し語弊がある。三日月型の刃を放つこと自体は出来る。出来るのだが、その三日月はすぐに空中でバラバラになり、霧散してしまうのだ。要は射程があまり無いのだ。
 つまり現実的な手は、遠距離から光弾を上手く通すか、ある程度接近してからの三日月、ということになってしまう。

「……」

 思考重ねて生まれた結論に対し、クラウスの心は全く晴れなかった。
 それも当然。遠距離からの攻撃など、先の戦いの最中、ずっと狙っていたからだ。
 しかし好機がまったく無かった。回避のみで精一杯だった。
 やはり別の手を考えるべきだ。

(となると、やはり……)

 あの線を使えということなのか。
 しかし一体どう使えと――
 クラウスがそれを考え始めた直後、師が口を開いた。

「それは違う」

 この言葉に対し、クラウスが「なにが?」という視線を返すと、師は答えた。

「線では無いのだクラウス。あれはお前の脳がそう見せているだけだ。方向性を分かりやすくするために、わざわざ線の形に書き変えているのだ」

 これにクラウスは当然の質問をぶつけた。

「では、本当の形は何なのですか?」

 師が答える。

「それは、―だ」

 また肝心なところが聞こえなかった。
 そしてクラウスの表情から察した師は口を開いた。

「しまった、――――か!」

 焦りの色を浮かべながら師が言葉を続ける。

「お前はそのやり方をもう知っている! あの時、――」

 もう知っている? あの時?
 師の言葉に意識を集中させる。

「――」

 しかしもう何を言っているか分からない。
 思わず自分も口を開き、叫ぶ。

「――」

 しかし自分の声も響かない。
 視界が歪み、そしてぼやける。
 一体何が、そう叫ぼうとしたところでクラウスの意識は切れた。

   ◆◆◆

 意識の切断は一瞬。
 目の前に新たな景色が広がる。

(これは……)

 夢だと、クラウスはすぐに気付いた。
 なぜならこれも見たことがある映像だったからだ。
 これは収容所時代の記憶。
 雨の中で師が剣の素振りをしている。
 草を刈るように、下段へのなぎ払いを繰り返している。
 師が腕を振るたびに、足元の水溜りが大きな波を立てる。
 なにも雨の中でやる必要のない鍛錬のように見える。
 だからクラウスは「風邪を引いてしまいますぞ」と声をかけた。
 その言葉に師は腕を止め、クラウスの方に向き直りながら口を開いた。

「やはり上手くいかないな」

 何を試していたのですかと、クラウスは歩み寄ってくる師に尋ねたが、これに師は口を渋らせた。

「……笑わずに聞いてくれるか?」

 もちろんですとも、とクラウスは答えたが、心の中では内容次第だと考えていた。
 それを察したのか、師は、

「……」

 本当に言っていいものか迷う素振りを見せたが、聞いて欲しいという欲求が勝ったのだろう、しばらくして口を開いた。

「……水を斬れないかと、試していたのだ」
「……」

 笑うどころか、クラウスは呆気に取られたような顔を返した。
 クラウスが「なぜそんなことを?」と尋ねると、師は次のように答えた。

「……私の血は半分ほど別の国のものだが、その国にこんな言葉があるんだ。『この世界は水のようなもので満たされている』と」

 師は剣の方に目線を移しながら言葉を続けた。

「……その言葉を残したのは剣士で、その『水』を斬ることが出来たそうだ」

 この言葉にクラウスは「それが本当ならば凄いですな」と述べたが、これは本心からでは無かった。
 クラウスの心にはやはり疑いの色が強い。それを察した師は口を開いた。

「――」

 ……?
 師は口をぱくぱくさせている。
 しかし聞き取る事が出来ない。

(まさか――)

 また時間切れなのか? 肝心なところで!
 先と同じように視界が歪み始める。
 待ってくれ――クラウスはそう声に出したが、願いは空しく、視界は闇に染まった。

 その暗黒の中で、クラウスは

「剣に身をゆだねよ」

 と言われたような気がした。

   ◆◆◆

“クラウス!”

 その声に、クラウスは目を覚ました。

「っ……うっ」

 今のはアラン様の声だったような、そんな事を考えながら痛む体を無理矢理起こす。

「……?」

 そして目に入ったのは、その場に膝をついてひざまずき、うつむいているリーザの姿。

「……げほっ! げほっ!」

 リーザは吐いていた。
 垂れている髪に汚物がはねていることに気付かないほどに、苦しんでいる。
 それを見たクラウスの心に最初に浮かんだのは安堵感。
 自分が気を失っていた間に追撃されなかった理由が分かった。
 そして次に心の中に浮かんだのは疑惑と理解。
 なぜ? と思ったのとほぼ同時に答えが分かった。
 今のリーザは酔っている。
 彼女の動きを制御している神経が混乱を起こしているのだ。
 視覚や聴覚から得られる情報と、自分の動きの感覚が一致していないからだ。
 しかしなぜそんな事が彼女に身に起きているのか。

(……多分、私のせいなのだろうな)

 リーザとの線は繋がったままだ。
 無意識のうちに、私はこの線を使ってリーザに何かしたのだろう。

「……」

 師は「線」では無いといった。
 では本当の姿はなんなのか。
 それどころか、まだ使い方がはっきりとわかっていない。
 他人と精神を共有することが出来るようだが……

(いや、この説明は何かが違う……というより言葉が不足している?)

 それだけではリーザが酔っている理由がよく分からない。

「……くっ」

 考えながら、体を軋ませながら立ち上がる。
 クラウスの動きに気付いたのか、リーザも立ち上がり始めた。
 その動きはふらついている。
 クラウスの方が体勢を整えるのが速い。
 はずであったが、

「っ!?」

 突如、右ひざに走った痛みに、クラウスは身を硬直させた。

(……膝が割れている?)

 見ると、右ひざはひどく腫れていた。
 力を込めようとしても、ガクガクと揺れるばかりで、力が入らない。
 すねも青黒い。折れてはいないが、ヒビが入っているようだ。
 右足指は何本か折れている感覚。
 先の回避で右足を後ろに残すように跳んだせいだろう。それで右足は爆風の影響を強く受けてしまったのだ。
 目の前でリーザが攻撃態勢を整える。
 爆発魔法が来る、と思ったのと同時に台本が開く。
 この足で避けられるのか?
 だが選択肢は無い。クラウスは比較的無事な左足を使って右へ跳んだ。
 それは簡単に目で追えるほどの回避速度であったが、

「ぐっ!」

 なんとか回避することが出来た。
 爆風に煽られたクラウスの体が地の上を滑る。
 五体が無事ですんだのはリーザが外してくれたおかげだ。
 台本が示した射線より「左」にそれていた。
 次に備えてすぐに体を起こす。
 立ち上がったのとほぼ同時にリーザが次弾を発射。
 台本に従い、クラウスは左に跳んだ。

「っぁぐ!」

 クラウスの口から再び悲鳴が漏れる。
 衝撃波がクラウスの体を軋ませ、吹き飛ばす。

「がはっ!」

 背中が地面に叩きつけられたことで押し出された肺の空気も悲鳴に変わった。

「……う、ぅあ」

 よろよろと立ち上がる。
 しかし五体はいまだ健在。ヒビは増えたような気がするが。

(まただ)

 また、台本と違っていた。
 射線がずれている。
 今度は「右」にそれていた。

(なんで――)

 考えながら気付く。
 耳鳴りがひどい。
 その耳鳴りが消えつつある。
 しかし聴覚が回復している感じはしない。
 それどころか、何も聞こえなくなってきている。

「……?」

 リーザは既に次の攻撃態勢に入っている。
 しかしその動作がゆっくりだ。
 そして色が無い。全てが白黒だ。
 まさか、これもアラン様の能力なのか。
 アラン様はこんなに静かで、そしてゆっくりとした世界で戦っていたのか。
 しかもアラン様には台本がある。
 道理で強いわけだ。

(……マズいな)

 しかしこの能力を持ってしても、恐怖をぬぐえない。
 次の攻撃は連射だ。
 三発、余力次第で四発の攻撃が来る。
 初撃でこちらの動きを見てから、偏差射撃の二発目でこちらの足を止め、三発目で狙ってくる。

(……剣に)

 夢で言われたあの言葉が沸きあがる。

(剣に……身をゆだねる)

 刀身に体重を乗せろという意味ではあるまい。
 あの夢は、この言葉は私の能力と関係があるはずだ。
 他人と精神を共有することが出来る私のこの能力と――

(! ……共有する?)

 ふと気付く。
 まさか出来るのか。
 剣と繋がることが、出来るというのか!?
 思わず刀身に目を向ける。
 呆けたような顔で刀身に映った自分の顔を見つめる。

(? ……何?)

 それを見たリーザも発射寸前のところで動きを止めた。
 しかしそれは一瞬。
 相手が妙な動きをしているがどうでもいい。かまうものかと、爆発魔法を発射。
 初撃で相手の回避方向を見て、二発目で偏差射撃。三発目で狙う。
 そして戦場に響く三度の爆発音。
 結果は――

(え? ……あ、……え?)

 その結果はリーザにはよくわからなかった。
 クラウスは健在。目の前で剣を構えている。
 それはまあかまわない。
 おかしいのは過程。
 初撃でクラウスが右に跳んだから、そっちに偏差射撃をして、動きが止まったところに三発目を叩き込んだ。
 そう判断して撃った。
 なのに、私の目は、記憶にある映像は違うと言っている。
 初撃でクラウスは右に跳んでいない。
 クラウスは動いていない。
 私が見当違いのところに撃っている。
 私が放った初撃は左にそれた。
 それを相手が右に跳んだと勘違いした?
 いやいや、それはおかしい。背景はまったく動いていないのだから。

(……でも)

 それなのに、私はクラウスが右に跳んだと判断した。
 三発目もそうだ。私が外している。クラウスは動いていない!

(なんで、いや、一体何が――)

 リーザは戸惑いの眼差しをクラウスに向けながら、口を押さえた。
 またひどい吐き気がきた。
 しかしもう吐くものなんてない。出たとしても胃液だけ。

「……ぅ、ぅえ」

 のどの奥までそれがせりあがってくる。
 気持ち悪いというよりも痛い。胃液にのどと食道が焼かれている。
 しかしそれ以上に苦しい。頭痛が、目眩がする。

(何が――)

 私の身に起きているのか?
 あなたが何かしているのか?
 そう問いかけるような眼差しをクラウスの方に向ける。

「……」

 クラウスは何も答えない。
 剣を正面に構えたまま、動かない。
 クラウスは見ていた。その答えを。
 クラウスは剣に導かれていた。その答えへ。
 クラウスは新たな世界の門を開いていた。
 剣を通して見る世界を、クラウスは心の中で言葉に表した。

(……本当に、まるで水の中のようだ)

クラウスが見た世界2

 そしてこの世界は、水は常に波で揺れている。
 波はひとつでは無い。混じっている。
 魔力によって作り出された波、雷の力によって作り出された波、太陽から降り注ぐ光が生み出す波、全てが混じっている。
 複雑に絡み合っている。しかしどれがどういう波なのか判別出来る。どの波にも違いがあるゆえに、解析出来る。
 違いは波長。振動する速さだ。
 これら波長の違う波を、人は様々な箇所で受信している。
 一番分かりやすいものは耳と目。
 しかし耳と目だけでは受け取れる範囲に限界がある。
 では、それ以外の波はどこで受け取っているのか。
 それは皮膚。
 可聴域の波は聴覚として認識し、光の波長は視覚で認識し、それ以外の波は皮膚からの刺激として脳に送られている。
 そしてこの皮膚からの伝達がまさしく芸術だ。
 例えるなら、まるで音楽。
 楽器は骨、神経、そして肉。
 それらが特定の波に反応し、震え、同じ波を作る。共振する。
 そうして生まれた新しい波が、外から入り込んだ波と一緒に、一斉に脳に流れ込んでくる。
 人という存在そのものが一つの楽団。
 指揮者はこの目の前に広がる世界。
 指揮者がその手を揺らすたびに、体の中のどこかの楽器が鳴り響く。
 が、全ての波を拾いきれているわけではない。
 そこへ助っ人が現れた。新しい楽団が加わったのだ。
 それが剣。私は今、この剣を通して新たな波を拾っている。
 いや、教えられていると表現したほうが正しい。
 光輝く剣、その中では数え切れないほどの小さな光の球がぶつかりあい、そしてまざりあい、激しく動き回っている。それらが楽器として機能する。
 剣が新しい波を拾うたびに、私は驚かされる。
 剣はとても微弱で、そして微細な波も拾ってくれる。それを増幅して、私の手に伝えてくれる。
 今はリーザが何を考えているのか手に取るようにわかる。心の奥底、深層意識で生まれる微弱な波も拾っている。
 知らなかった。だから愚かだった。こんな大事な波を無視していたなんて。今まで、私はこの光の剣を通してこれらの波を拾っていたはずだ。なのに私は、私の脳はどうもしなかった。
 しかし今は違う。これまで気にもしなかった意味の無い波が、情報という意味を持ち始めている。剣が教えてくれた。剣が私を目覚めさせてくれた。
 だが、なぜアラン様はこの波に気付かなかったのか。
 その理由はすぐに分かった。
 アラン様の光の剣ではこれを拾えなかったのだろう。
 光魔法は人によって質が違う。私とリーザを比べればわかる。全く別物だ。人によって違う楽器を持っているのだ。

(いや、もしかしたら――)

 ふと気付く。
 この波は、訓練次第でアラン様も拾うことが出来るのではないか、と。
 自然に左手が動く。
 この仮説を確かめるために。
 光る左手で、発光する刀身をなでる。

(やはり……)

 考えは正しかった。この楽器は調整出来る。拾う波の範囲や強度を、楽器としての指向性を変化させることが出来る。
 この調整は万能では無いだろう。その人が持つ魔力の質によって限界があるはずだ。

(しかし訓練次第である程度幅を広げることが出来るのではないか……ん?)

 そこまで考えてようやく、クラウスはリーザに攻撃されていることを思い出した。
 ついさきほども、爆発魔法がとなりを通り過ぎていった。
 軌道も爆発するタイミングも滅茶苦茶だ。
 私は動いていない。動かずとも、当たる気がしない。
 私がリーザに何をしていたか、何をしてきたのか、ようやく分かった。

(つまり、リーザに繋がっているこの線は、)

 目の前にいるリーザが再び構える。
 同時に台本が開く。
 台本に書かれている数値は相変わらずふらついている。

(そうだ、これでは安定しない)

 リーザに繋がっている線を全て外す。
 ふらついていた数値がある値に定まる。
 外した線を束ねる。
 この技をアラン様の台本と併用するならば、一点集中させたほうが好都合。
 リーザが爆発魔法の投擲姿勢に移る。

(ここだ)

 直後、クラウスは束ねていた線を、リーザの頭の「ある一点」に向けて放った。
 リーザの体が「びくり」と跳ね上がる。
 そして放たれた爆発魔法は、クラウスから見て大きく「左」にそれた。
 クラウスの左後方で爆発音が響き渡る。
 その爆風を背に感じながら、クラウスは考えた。
「右」にそらせようとしたのだが「左」になった。
 理由はすぐにわかった。

(……ああ、そうか。リーザから見た右は、私からすれば逆になるのか)

 そんな当たり前の事に気付けなかった自分に対して苦笑いをする。
 でもこれで明らかになった。
 私はリーザの思考を書き換えたのだ。リーザの頭に波を叩き込んだのだ。真っ直ぐでは無く、右に狙うように。
 それと同時に台本も書き変わった。

「……」

 そのような事を成し遂げたにもかかわらず、クラウスの表情は明るく無い。
 神秘性を感じなくなってしまったからだ。
 リーザと自分の頭の中を観察するほどに思う。人間の脳は案外単純なものなのだな、と。
 私とリーザの脳の構造に差異はほとんど無い。特に生活、生存に関する機能とその構造はまったくと言っていいほどに同じだ。だから私が送った波でリーザを狂わせることが出来る。私が「右」と認識する脳波は、リーザにとっても同じなのだ。

「……」

 だから神秘性を感じない。特別性も感じない。訓練すればアラン様にも出来る気がする。問題はどうすれば訓練出来るのかだが。

 クラウスが考えていることは正解である。
 この世界では精神、感情の伝達はかなり安易に起きている。珍しいことではない。
 隣の人にくしゃみがうつる、笑っている人の隣にいると自身も明るくなる、などがそれだ。接近していればいるほど影響力が強い。
 訓練すれば指向性を持たせることが出来る。特定の誰かに、無意識のうちに、情報を伝達することが出来る。
 今のクラウスはそれを自在に出来る。情報の伝達を自覚、理解し、実行出来る人間の一人なのだ。

 だが、クラウスは一つ間違っている。
 この世界の人間の脳はクラウスが思っているほどに単純では無い。

 クラウスの左後方から幾度目かになる爆発音が響き渡る。

「……」

 波のことと脳のことについて考えながら、クラウスは既に爆発魔法を四発、リーザから見て「右」にそらしていた。
 リーザの顔はもはや恐怖に染まっている。
 なぜなら、クラウスが前進を開始したからだ。
 クラウスは自身の能力の精度を確認しながら、少しずつ間合いを詰め始めていた。
 そしてその確認は終わりつつあった。
 これなら次で決められる、そう思ったクラウスは、五度目となるリーザの射撃動作に合わせて左足に力をこめた。
 が、次の瞬間、

「!」

 今度はクラウスの顔が恐怖に染まった。
 足に込めていた力を使って右後方に飛ぶ。
 その直後、直前までクラウスが立っていた場所から土砂が柱のように立ちのぼった。

「くっ!」

 爆風に煽られたクラウスの体が地の上を転がる。
 三転したところで、クラウスは体勢を立て直した。
 立ち上がり、剣を構えたその顔に浮かんでいたのは、驚きの色。
 間違いでなければ、今のは――

(防御された?!)

 もっと具体的に言えば、「消された」。私が送り込んだ波は消去されたのだ。

(しかし、一体どうやって――)

 思考を重ねる間も無く、眼前にいるリーザが再び射撃体勢に。
 台本が開くのを感じたクラウスは、束ねた線をリーザに向かって発射。
 二人の顔は焦りに染まっている。
 当たってくれ、効いてくれ、そんな思いが顔に表れている。
 リーザの手から爆発魔法が放たれる。
 ぶつかり合う二人の焦り。その結果は、

「……」

 クラウスの方に軍配が上がった。
 クラウスの顔に安堵の色が少しにじむ。
 爆発魔法はリーザから見て「左」にそれた。
 前回までは「右」という信号を送っていたが、今回は逆にした。すると上手くいった。

(同じ波ばかりでは駄目、ということなのか……?)

 リーザの脳がどのように防御しているのかはまだはっきりとは分からない。が、もしかしたら、「慣れる」ということがあるのかもしれない。

 クラウスが考えていることは正解である。
 人間の脳には結果から補正する能力がある。
 だから間違った行動は何度も繰り返さない。
 どんなに真実味のある情報をもとにした行動であっても、間違っていれば疑う。結果がすべて。
 その疑いは自分自身にすら向けられる。人間の脳は己を疑う。そしてついには「自らを書き換える」のだ。

 幸いなことに、リーザの脳はまだ「右」を疑っているだけだ。
 だが不幸なことに、クラウスは「脳が疑う」ということと、「書き換える」ということがどういうものなのかまだ理解していない。
 クラウスは知らない。この理解の遅れは致命的な結果を招きかねないことを。

 それを伝えようと、古い友人がクラウスの耳元で声を上げている。

「――っ!」

 しかし悲しきことに、

「……」

 クラウスは何も答えず、ゆるゆると歩き始めた。
 その進みはまるで牛歩の如く。
 理解していないという事実が、警戒となって足に現れている。
 古き友人の声はやはり届いていない。届くわけが無い。今のクラウスは死から遠すぎる存在だ。

「っ!」

 直後、クラウスの右後方で再び爆発音。
 その衝撃にクラウスの体がゆらめく。
 先と同じく「左」という信号を送ったが、思ったよりも軌道がそれなかった。だから爆風によろめいた。
 この事実に、クラウスはようやく古い友人と同じ焦りを抱いた。

(まさか、これも防御されつつある、のか?!)

「右」も「左」もまったく効かなくなったらどうすればいいのか。
「上」と「下」は多分、無理だ。
 なぜなら既に試しているのだが、「撃つな」という信号は全く効かないからだ。
 でたらめな、または現実的では無い命令は効きにくい、または全く効かないと考えていいだろう。
 右足がまだ無事であったならば、「上」という選択肢は使えたかもしれない。リックのような大きな跳躍を見せれば、リーザの頭の中に「上」という選択肢が増えたかもしれない。
 ならば、

(踏み込むしかない……!)

 残された時間はきっと多くない。だから詰めるしか無い。
 目の前にいるリーザが次の射撃体勢に移る。
 台本が開く感覚。それに合わせて左足に力を込める。
 リーザが手にある爆発魔法を振りかぶる。

(今だ!)

 瞬間、リーザの頭に向かって線を発射。
 リーザの脳が波に揺れる。
 しかしリーザの動きに変化は無い。
 楕円の軌跡を描くリーザの手から、指から、爆発魔法が離れる。

(南無三!)

 クラウスはどこの国のものなのかすら知らない言葉で願いながら、地を蹴った。
 線が確実に効いたという実感が無いからだ。
 放たれた爆発魔法が迫る。
 その軌跡を見たクラウスは、

(……際どい!)

 即座に地を蹴り直した。
 左斜めに傾いたクラウスの右となりを爆発魔法が通過していく。
 手を伸ばせば掴めそうな距離。
 これはマズい、近すぎる。
 そう思った直後、

「っ!?」

 右後方で弾が弾けた感覚。
 そして瞬きする間も無く、背中に大きなものがぶつかったような感覚が走る。
 後ろから肺を激しく押される。
 背骨と肋骨が悲鳴を上げる。

「……っ!!」

 あまりの圧迫感に悲鳴も出ない。
 刹那遅れて浮遊感が身を包む。
 衝撃波に押され、吹き飛ぶクラウスの体。
 感じるのは痛みばかり。
 にもかかわらず、クラウスの顔に苦悶の色は無い。
 それどころか、

(よし、これでいい!)

 と思っていた。
 これが最善、この方向ならば文句なし。
 あとの問題は受身だが――

「ぐぁっ!」

 出来るわけが無い。衝撃波に拘束されているのだから。
 痛みとともに、視界が一転、二転。
 地の上を転がるクラウスの体。
 爆風の影響では無い。自らの意思で転がっている。これは勢いを利用した連続前転だ。
 そして三度目の前転を終えた瞬間、

(ここだ!)

 クラウスは左足を勢いよく地面に振り下ろした。
「だん」という音と同時に回転が停止。
 地を蹴った勢いを利用し、立ち上がりながら、剣を構える。

「っ?!」

 瞬間、左肩に激痛。
 左肩がまったく動かない。
 脱臼? いや違う。異物感がある。

(これは――)

 石だ。石が左肩に刺さっている。
 いつだ。爆風を受けた時か?

(いや、今はそれよりも――)

 右腕だけでも剣は触れる。
 左腕はだらんとぶら下げたまま、真右へ振り向く。
 体が完全に右に向き直るよりも僅かに早く、クラウスの両目が右にいたリーザの姿を捉える。
 その顔にあるのは驚きの表情。
 当然だろう。爆風を利用して間合いを詰めたのだから。
 あと一手だ。
 次の踏み込みで光る三日月の射程内に入る。
 左足に再び活を入れる。
 前に流れ始めるクラウスの体。
 ほぼ同時に、リーザも迎撃体勢に入った。
 これをどうするか? 先と同じく左? それとも右に変えてみるか?

(いや、違う)

 クラウスの理性は両方を否定。
 クラウスが選んだのは三つ目の選択肢。

(ここは両方!)

 右と左、両方の線を同時に叩き込む。
 どっちになるかは分からない。
 だが、今回はどっちでもいい。
 ここは軌跡を見てから対処する。爆風の影響さえ受けなければ、いや、剣さえ振れればいい。多少の被害には目をつむる。
 それよりも問題は三日月の命中率だ。
 自分の三日月は安定性に欠ける。アラン様の神秘を借りている今ですら、必中の自信が無い。
 しかしやるしか無い。こんな好機をもう一度作れる気がしない。
 クラウスはそう考えていた。
 が、

「!?」

 開かれた台本の内容に、クラウスは目を見開いた。

(どうする?!)

 答えを己に問う。
 しかし答えは出ない。見つからない、というよりもどうしようも無い。

(……くそっ!)

 毒を吐きながら、左足で地を蹴る。
 真右に流れ始めるクラウスの体。
 その後を追う様に、赤い波が迫ってくる。
 リーザが放った炎だ。リーザは正面を炎でなぎ払い始めたのだ。
 忘れていた。この女にはこれがあった。こちらがどう動こうと関係無い、お手軽で凶悪な範囲攻撃が。

(……マズい!)

 追いつかれる。
 どうする? 防御魔法で受けるか?

(いや、それよりも先に、)

 剣に込めた魔力を使うべきだ。防御魔法はその後でも間に合う。そう考えたクラウスは迫る炎に向かって一閃した。
 即座に光る盾を展開して炎に備える。

「!」

 その瞬間、クラウスは見た。
 いや、剣に教えられた。
 炎魔法の構造を。
 それはまるで、

(まるで、木のような……)

 手から生まれた炎が伸び、そして広がるその様、まさに樹木。
 幹から枝が生まれ、枝はさらに細かい枝に分裂していっている。
 そして目に見えないほどに細くなった枝が、葉のように、火の粉となって舞い散っている。
 私が放った三日月は針葉樹のようなその赤い樹木に飲み込まれた。
 問題はその後だ。
 三日月は炎の中で紐がほどけるように、数本の細い光る糸に分裂した。
 そして糸は曲がりくねり、炎の中で暴れまわった。太い枝を次々と切り裂いていった。
 するとどうだ。先に伸びていた小さな枝葉は瞬く間に消えうせた。まるで空間を削り取ったかのように、私の三日月は炎に穴を開けたのだ。
 光弾ではこうはいかない。枝を曲げるだけだろう。飛ぶ斬撃だからこそ出来る芸当だ。
 だが一本の線では、複数の太枝を全て切り落とすことは困難だ。複数の、そして不規則な軌道の曲線に分解するからこそ出来る技だ。

(つまり、私の三日月は炎と相性が良い、ということなのか?!)

 欠点だと思っていたものが意外な事に対して利点となった。その事実にクラウスが喜びの感覚を抱いた直後、

「!」

 後から伸びてきた細い枝葉がクラウスを襲った。
 防御魔法を通して熱が手に伝わる。
 その感覚にクラウスは目を細めたが、それは一瞬のことであった。

(思ったよりも……)

 熱くない。細い枝葉の熱量は大したものでは無い。
 これならば、

(やれる! 私の剣は炎を相手に戦える!)

 間合いさえ間違えなければ致命傷を避けることは容易い。直撃に至る、熱量の多い太い枝だけを切り落とせばいいのだから!
 剣に魔力を込めなおしながら、リーザを睨みつける。
 リーザの顔に驚きや恐怖の色は無い。
 一撃では押し返せないだろうと踏んでいたからだ。
 リーザはクラウスを睨み返しながら、右へ振るった右腕を左へ返した。
 クラウスを後ろから追い越していった炎が今度は前から迫ってくる。
 左足で地を蹴りなおす。
 後ろにでは無い。前だ。
 後ろに切り返してもどうせ振り切れない。ならば加速して突っ込んだほうがいい。
 左足の爪先が地面から離れたと同時に一閃。
 直後、赤い枝の先端が剣に触れた。
 枝が刀身に絡みつき、そのまま持ち主を飲み込む。
 かのように思えたが、

「!」

 瞬間、リーザは見た。
 刀身が銀色の光を放った直後、炎が弾け、火の粉が舞い散ったのを。
 そしてクラウスはその赤い葉を身に纏いながら、炎を突破した。さながら赤い茂みの中から飛び出してきたかのように。
(剣で炎を消し飛ばした?!)
 リーザにはそのように見えた。
 どうやって? とは思わなかった。考えても答えが出ないと分かっていたからだ。今は目の前で起きた事実だけでいい。
 だから、リーザは「どうやってクラウスを押し返すか」だけを考えた。
 彼女の中に爆発魔法という選択肢は無い。
 なぜなら彼女の脳裏にある映像がこびりついているからだ。
 それはクラウスに爆発魔法を真っ二つにされた時の記憶。
 炎魔法が光の殻の中で膨張を開始する前に、圧力が増す前に叩き割られたのだ。
 その後どうなったのかは、多分、一生忘れることが出来ないだろう。
 それをリーザは警戒している。この距離では危険だと。
 そしてそれは正しかった。
 クラウスはそれを狙っている。
 クラウスは最後の一回を温存している。あと一回だけ使えるであろう、右足での加速を。
 爆発魔法を叩き割ると同時に最大の突進をするつもりなのだ。
 ゆえに、ここでリーザが選んだ選択は、

(ならば、これならば!)

 リーザはいざという時のために空けておいた左手にも炎の魔力を込めた。
 左に振りぬいた右手を、脇の下で赤みを放ち始めた左手と合流させる。 
 両手を左脇の下に置いた、爆発魔法の予備動作を思わせる構え。
 それが誘いであることを、放たれるのが爆発魔法では無いことを台本から知ったクラウスは、地を蹴りなおした。
 リーザの周囲を回るクラウスの動きが少し加速する。
 近づいてこない、クラウスのその動きにリーザは歯軋りをしながら、炎を放った。
 型は先と同じくなぎ払い。
 そのしなる赤はもはや木というよりも生き物、まるで大蛇。
 その大蛇は伸びるほどに膨らんでいった。クラウスの目の前に迫る頃には彼の全身を覆うくらいになるであろうほどに。
 これをクラウスは光る三日月で迎え撃ったが、

(捌ききれない!)

 その枝の数は一撃でどうにかなるものでは無かった。
 ならばもう一撃と、返す刃で再び三日月を放つが、

(再生が早い?!)

 甘かった。相手が両手で来るならばこちらは二撃で相殺する、そんな風に考えていた。
 明らかに枝の伸びが速い。三倍近い速度になっている。
 放った二撃目も期待通りの数の枝を切り落としてくれたが、これでは足りない。
 数本の太い枝が伸び迫る。
 これをクラウスは防御魔法で受けたが、

「!」

 瞬間、手に走った痛みにクラウスは表情を歪めた。
 手が焼けている、そう思った直後、今度は熱風が体を包んだ。
 足元がよろめく。
 熱風に押されたわけでは無い。勝手に動いたのだ。リーザから距離を取ろうと、炎から離れようという、そんな逃げの意識が足に表れたのだ。
 退いては駄目だと、己に活を入れながら足を踏みとどまらせる。
 体に走り始める痛み。じりじりと焼ける感覚。

「げほっ!」

 思わず咳き込む。
 喉と肺が少し焼けた。熱を吸い込んでしまったようだ。

(くそ、もう次が来るのか!)

 休む間も無く、前方から次が迫る。
 リーザはもうクラウスの位置を確認して撃っていない。とにかく広範囲に、そして素早く両腕を振り回しているだけだ。
 曲がりくねる炎のその様、まさに波打ちせまる赤い大蛇のよう。
 膨らむその赤い頭が、まるで口を開けて飲み込もうとしているかのように、クラウスに迫る。
 対し、クラウスはまだ構えを整えていない。

(左腕が使えれば……!)

 クラウスは左手に意識を向けていた。
 両腕ならば剣の振りと魔力の充填の両方が早くなる。
 しかし左肩はろくに動かない。どうやって使う?
 その答えはすぐに出た。残酷な方法で。

(無理矢理にでも使うしかない!)

 左肩の内部に意識を向ける。

「……っ」

 一瞬の躊躇。
 しかしこの僅かな迷いが、クラウスの考えを少しだけ改めさせた。
 目標を肩から肘に変え、魔力を爆発させる。

「~~ッっ!!」

 直後、クラウスの体は硬直してしまった。
 左上腕の筋肉を伸ばしただけなのに、すさまじい激痛。
 肩はミシミシと嫌な音を立てている。
 これは駄目だ。こんな調子では使い物にならない。

「!」

 動けないクラウスに容赦なく炎が迫る。
 ここはやむを得ない、そう思ったクラウスは右腕に意識を向けた。
 右手首、右肘、右肩の内部で魔力を爆発させる。

「っ!」

 一瞬遅れて右腕に激痛が走る。
 が、痛みと引き換えに放たれた三日月はすさまじい速さを有していた。
 三日月が大蛇の口の中に飛び込む。
 そのまま飲み込まれて消えた、ように見えた直後、大蛇の頭はちぎれ飛んだ。
 大蛇の頭がはじけ、大量の火の粉が散る。
 その火の粉は赤みの中に白い輝きを持っていた。
 光の粒子だ。光魔法が混じっている。
 そのきらめきはまるで燃える星のよう。
 星は次々と数を増している。
 目を凝らすと、火の粉にきらめきを与えているものの正体が見えた。
 それは光る数本の糸。どれも切れたばかりの弦のように鋭く動いている。
 三日月にかなりの速度が乗っていたためか、その動きはかなり激しい。
 その激しさにクラウスは、

(これは……)

 既視感を覚えた。
 あれに似ている。収容所で見た、あの魔法使いが放った圧倒的な一撃に。

(きっと、これが光魔法の自然な姿なのだろう)

 暴れる糸が大蛇の胴体を引き裂いていくのを見ながら、根拠も無くクラウスはそう思った。
 そして糸は大蛇の体に穴を開けたと同時に消滅した。

(今だ!)

 すかさず、クラウスはその穴へ向かって信号を放った。
 その穴を通してリーザと目が合う。
 しかしそれは一瞬。瞬く間に、伸びた枝が穴を塞いでしまった。

(おのれ!)

 クラウスは二つの意味で歯軋りをした。
 まず一つは、信号は届いたが、弱すぎること。炎魔法が信号を弱くしてしまうのだ。先ほどからずっと波を送り続けているが、炎に邪魔されている。
 そして二つ目は、先の三日月はリーザごと斬るつもりで放ったのに、得られたのは痛みだけであったこと。
 相殺は出来たのだから五分、といえば聞こえがいい。しかしそれでは駄目だ。五分の繰り返しを続けても私の右腕が壊れるだけだ。

(何か手は無いのか?)

 その何かを探す意識は自然と左腕に向いた。
 やはり何とかして使いたい。
 しかしどうやって? 左腕はだらんとぶらさがったままだ。左手は鞘のそばから動かせない。

「! 左手が鞘のそばにある!?」

 瞬間、クラウスの心に光明が差した。
 迷わず左手に力を込める。
 鞘をしっかりと掴んだ感覚が、肩を通してわずかな痛みと共に伝わってくる。
 その感覚を押し返すように、魔力を肩から手へ。
 そして発光する左手。その輝きは手の中へ伝わり、鞘を白く染めた。
 素早く右手を左手側に寄せ、剣を鞘に納める。
 剣に鞘から魔力が伝わる感覚。
 その感覚が鞘の中に満ちた瞬間、クラウスは鞘の中で魔力を爆発させた。
 鍔(つば)と鞘の接触部から火花が散り、閃光とともに白刃が飛び出す。
 火花を纏わりつかせながら弧を描く白刃。
 放たれた三日月が炎と混ざり、ほどけ、そして切り刻む。
 霧散するように弾け消える三日月と炎。
 クラウスとリーザの視線が穴を通して再び交錯する。
 リーザの顔には恐怖が浮かび始めている。
 なぜまた炎に穴を開けられたのか分からないからだ。
 対し、クラウスの表情は力強い。
 手ごたえの良さが顔に表れている。
 これは「居合い」という収容所時代に師から教えられた技。
 奇襲された場合に、納刀した状態から抜刀と攻撃を素早く行うためのものだ。

(まさか、それがこんな形で役に立つとは……!)

 湧き上がる確信が、リーザとの関係は真の五分になったという感覚が、クラウスの表情にさらに力を与える。
 刃を返さずに戻し、納刀。
 迫る次の大蛇に向かって一閃。
 大蛇の首が千切れ飛ぶ。

(次!)

 納刀、そして抜刀。

(次っ!)

 白刃が弧を描く度に火の粉があふれるように飛び散り、クラウスの身を包む。
 その赤い霧雨の中でクラウスは一心不乱に同じ型を繰り返す。

(次ッ!)

 一切の失敗が許されない条件の中で、恐ろしい精度を見せるクラウスの居合い。
 今のクラウスの頭の中にあるのは、来てみろ、いや、もっと来い、という言葉だけ。

「次!」

 その言葉が自然と叫びになる。

「次っ! 次ッ!」

 クラウスもまたあの時のリーザと同じように、狂気の域に踏み込んでいた。

   ◆◆◆

 ケビンは尋常では無いクラウスの戦いぶりを少し離れたところから見ていた。

「……」

 ケビンはその戦いぶりにあてられていた。
 すぐに死ぬと思っていた。あんな化け物に立ち向かえるわけがないと。
 今は違う。
 小さく見えていたクラウスの存在感が大きくなってきている。
 あの巨人に、あの怪物に迫る勢いで大きくなってきている。

「……」

 ケビンの心は熱に帯び始めていた。
 消沈していた闘志が目覚める。
 芽生えたばかりのその闘志は、ケビンの心に小さな火を灯した。

「……を整えろ」

 その小さな火が、つぶやきとなる。
 不思議なことに、声にするというその行為が、ケビンの心の火を大きくした。
 ケビンのつぶやきに、隣にいた兵士が反応する。

「隊長?」

 部下が確認を求めると、ケビンはそれをはっきりと声に出した。

「隊列を整えろ! クラウス殿の援護に向かうぞ!」

   ◆◆◆

「次!」

 叫びながら、刀を納め、すぐに引き抜く。

「次!」

 叫び声が響く度、白刃がきらめく。

「次っ!」

 走る線。何度も見た線。一寸の狂いも無く、同じ線。

「次ィッ!」

 冷たいほどに冴えた理性から生まれる機械のような動き。精密さ。

「まだまだ!」

 しかしその奥底は燃えるように熱く。

「まだだ! まだまだァッ!」

 その炎の燃料は感動と敬意。
 この女が自分をここまで引き上げてくれた。この戦いがなければ、自分はこんなに強くなれなかった。
 この感覚、愛に近い。
 だからこそ、この女に勝ちたい。
 だからもっと力がいる。もっと強くならねばならない。
 まだ足りない、だから、

「もっとだ! もっと来いッ!」

 そう願う。懇願する。さらなる高みに自分を引き上げてほしいと。
 決着のイメージ自体は既にある。
 右足による最後の加速を使って居合いを叩き込むのだ。
 問題はその好機をどうやって作るか。相討ちは望まない。
 だから動きを止めたい。止められないまでも鈍らせたい。なんとかしてリーザに「強力な波」を叩き込みたい。

(しかし一体、どうすれば……?!)

 その時、「りん」と剣が鳴ったような気がした。
 いや、実際に音なんて出ていない。そんな気がしただけだ。
 だが、なぜか、この錯覚がとても大切な意味を持っているような気が――

「!」

 瞬間、心に再び浮かんだ思いつきに、クラウスは目を見開いた。
 まさか、これも出来るのか。
 剣に心を乗せて、相手に叩き込むことが出来るのか!?
 そうだ。出来て当たり前だ。心と同じ波長で共振しているのだから!
 しかし出来るとして、どんな波を乗せる? 「右」、それとも「左」?
 いや、それよりもいいものがあるはずだ。方向などではない、心を乗せられるのだから、もっと強烈な――

(ん? 強烈な波とは、心に強く響くもの?)

 ふと、気付いた。

(それはすなわち、強い感情?)

 感情が人を動かすのであれば、逆も可能なのでは。
 それに気付いた瞬間、クラウスは答えも見出した。

「……」

 クラウスの目から光が消え始める。
 クラウスは思い出していた。あの時の感覚を。
 考えながら、淡々と手を動かす。
 炎に出来る穴。それを通して、リーザはクラウスの変化に気がついた。

「……?!」

 というよりも感じた。
 ぞわりと、怖気がリーザの背中を駆け上がったのだ。
 悪寒の正体を確かめるために、次の穴に目を凝らす。

(……何?)

 そしてリーザは見た。再び感じた。
 クラウスの剣に黒いものが纏わりついているような、そんな気がしたのだ。

(いや、それよりも、)

 もっと恐ろしいものを見た。感じた。
 クラウスに黒い霧が纏わりついているのを、大きな黒い影を背負っているのを、感じた。

(あれは、一体、何?)

 疑問と畏れを目に滲ませながら、もう一度目を凝らす。
 穴を通して、再びクラウスと視線が交錯する。

「!」

 瞬間、リーザの体に緊張が走った。
 クラウスの目に光が戻っていたのだ。
 何か仕掛けて来る。そう確信する。
 そして直感する。きっと今の炎では止められない。爆発魔法を使うしか無い。
 しかし真っ直ぐには撃てない。クラウスは爆発魔法の切断を狙っているはずだ。
 ならば狙うべきは地面。相手の足元、いや、手前側に叩きつける。自分には被害が及ばない程度に威力を調節して。
 当然連射する。相手は速いのだから。手数で勝負する。
 リーザは一瞬でそこまで考え、備えようとした。
 しかし次の瞬間、

「!?」

 再び開いた穴からそれは見えた。
 クラウスが構えを変えている。戻している。
 なぜ? どうして斬撃に不向きな構えに戻す?
 まさか、私を突くつもりなのか?
 リーザがそこまで考えた直後、クラウスはその通りに動いた。
 左足で地を蹴りながら、右腕を伸ばす。
 単純な動作であったが、リーザには見えなかった。
 リーザにはただ光ったようにしか見えなかった。
 光の正体は刀の先端から放たれた一筋の閃光。
 閃光はリーザに届かなかったが、

「っ!?」

 なぜか、リーザは少しのけ反った。まるで閃光に額を撃たれたかのように。
 見えない衝撃波がリーザの額を打ったのでは無い。
 リーザは反射的に避けようと、逃げようとしたのだ。得体の知れない何かに頭の中を犯される感覚から。
 その様子からクラウスは確信した。

(手ごたえ……あり!)

 クラウスは見ていた。
 クラウスにとってそれはただの閃光では無かった。
 言葉にするならば、それは見えない竜巻。
 閃光を中心として、心の波が激しく輪を描いていた。
 閃光は途中で掻き消えたが波は確実に届いた。

(我が願い、成就せり)

 そしてこの瞬間、クラウスの心は喜びに打ち震えていた。
 遂に私は見出したのだ。
 アラン様にも出来ない、私だけの特別、神秘。
 あの深い絶望を、貧民街で腐っていた頃の、あの暗く重い感覚を知っているからこそ成せる技! 私は見出した! 生み出したのだ!

(ならば――)

 生み出したのならば名付けるべきだ。この特別に、特別だからこそ、名付けるべきだ。
 絶望の太刀? いや、これは少しふさわしくない。絶望にも種類がある。もっと適切な言葉があるはずだ。
 あの時、私は迷っていた。答えの出ない問いを己に繰り返していた。出口の無い迷路にはまっていた。
 だから、

(名づけるならば――『無明剣』)

 無明とは、迷いのことを指す。
 しかしただの迷いでは無い。答えの見えない、答えを作れない迷いだ。いくら考えても脱出出来ない心の迷路のことだ。そしてこの無明を打ち破る知恵のことを智慧と呼ぶ。
 師匠が使っていた、そして私に伝授された剣術の流派が生まれた国の言葉だ。その流派の名を頭につけて呼ぶならば、『水鏡流無明剣』となる。

「!」

 瞬間、私は「はっ」となった。
 水鏡流とは心を水とし、鏡とし、そして剣に映すことを極意とする流派だという。
 ならばぴったりではないか。私はあの絶望を剣に映したのだから。私が経験した、私だけが知る絶望を。これは水鏡流をもとに私が編み出した技、我が奥義、ゆえに『水鏡流無明剣』!

(そうだ、だから、)

 だから水鏡流は突きを基本にしているのだ。精神攻撃を一点に集中させるために!
 なんという偶然。運命的だ。私が水鏡流を身につけたこと、そしてそれがアラン様に伝えられたこと、それまでの過程全てが。

「……う、ぅ雄雄雄ぉっっ!」

 その感動が、雄たけびとなってクラウスの口から飛び出した。
 しかし次の瞬間、

「!」

 クラウスの目は驚きに見開いた。
 なぜなら、台本が示したのだ。まだ終わってないと。

   ◆◆◆

 リーザの頭の中に入り込んだ「それ」は、瞬く間に脳を支配した。
「それ」の正体は複数の波が絡み合った複合波だ。
「それ」はまず、急激な疲労感を脳に与えた。考えすぎて熱が出ている、だから休めと、脳の各部に言いふらして回った。
 これによって脳は休止状態に。
 実際にはそこまで疲労していない。
 しかし嘘の情報に次々と騙されていく。
 そして、「それ」は休もうとする脳に問題を提起した。解決しなければならない「何か」があると。
 これにリーザの脳は混乱した。
 なぜなら、その「何か」が分からないからだ。
 短期記憶を格納している海馬に尋ねても分からない。長期記憶を格納している脳幹もだ。どこに尋ねてもその「何か」が分からない。
 当然だ。そんなものはどこにも無い。その「何か」を正確に知っているのはクラウスの脳だけだ。
 幽霊のような、正体不明の重要課題が、危機感のような何かがリーザの頭の中をぐるぐると駆け巡る。
 休眠状態に入りつつある頭ゆえに、考えが上手くまとまらない。
 ひどい鬱になったかのような感覚。
 その重く暗い感覚の中で、あるものが声を上げた。「何か」の正体は分からないが、似ているものがあると。
 それはなんだと、気だるげに理性が尋ねると、そのものはある記憶を提示した。
 それは「家」に関する記憶。
 周囲からの蔑視、罵声、荒れる母、そのようなものに対してどうにも出来ない自分。
 そうだ、これに似ている。答えの見えない問いだ。
 理想はある。しかし、どうすればそれに辿り着けるのかが分からない。

「分からない。分からないけれど――」

 一つの道理を見出したリーザの理性は口を開いた。
 同時に、リーザの心は再び燃え上がり始めていた。
 そして、あるものが理性に代わってその言葉の続きを声に出した。

「何もしなければ、その理想は、可能性は、泡と消える」と。

 炎の血は摂理に準じた行動原理を持っている。
 その一つは、「時に、戦わなければ死ぬ」という単純なものだ。

   ◆◆◆

「ぅあああああぁっっ!!!」

 直後、リーザは吼えた。
 自分の中にある何かを消し飛ばすかのように。
 空気が震えたような錯覚を抱くほどの声量。
 その感覚に、クラウスはわずかにたじろいだ。
 そして驚いた。リーザが無明剣を打ち破ったからだ。

(なんだと!?)

 思わず、その驚きが言葉になる。
 直後、クラウスはリーザがどうやって無明剣を破ったのか理解した。
 叩き込んだ波と対になる、正負真逆の波形を脳内で作り出し、相殺したのだ。
 なぜそんな事が出来る。なぜそんな簡単に破れる。
 お前もこの暗く重い感覚を知っているというのか。乗り越えたというのか。絶望に耐性があるというのか!

(いや、それよりも、)

 もっと気になることがある。
「何か」がリーザの心を揺らした。相殺し、火をつけた。
 しかしその「何か」の正体が分からない。見えない。波に反応しないゆえに感知出来ない。それが波を出したことは間違いないのだが、その位置すらはっきりしない。見えたのは、感じ取れたのはその一瞬だけ。
 だが、一瞬だけ感じたその感覚を、自分は知っているような――

(そうだ。あれに似ている。あの不思議な、あの懐かしい声を聞いた時の、あの感覚に)

 あるというのか。私がまだ知らないものが。この神秘をもってしても見えないものが。
 もっと奥深いところに。深層意識のさらに奥に。「魂」のようなものが。
 もう一つ気になるのは、「台本」が事前にそれを察知したこと。
 なぜ分かった。
 これもそうななのか。アラン様の「魂」が知っていたからなのか。同じ炎の血ゆえに、予想出来たことなのか。

「!?」

 次の瞬間、クラウスは再びたじろいだ。
 リーザの体に変化が起こったからだ。
 リーザの体を埋め尽くしている星々が、その輝きをさらに増した。

「あああアアアァッ!」

 同時に、リーザは再び吼えた。
 その響きはもはや獣の咆哮(ほうこう)というよりも悲鳴に近い。
 リーザは苦しんでいた。クラウスにはそれが分かった。
 今のリーザはかなり無茶をしている。出力を上げすぎている。
 しかしリーザはその痛みを、熱さを受け入れようとしている。
 その変化に、クラウスはぽつりと言葉を漏らした。

「なんなのだ……こいつは?」

 まるで大型の獣と対峙しているかのような感覚。
 その表現は的を射ていた。
 クラウスは感じた。リーザの理性が消えていくのを。
 変わりつつあるリーザと視線が交わる。

「っ!」

 瞬間、クラウスの身はすくんだ。
 本当に、獣のような目だ。
 そしてその目に込められた意思も感じた。
 それは「どちらが強いか決めよう」、ただそれだけだった。
 本当にただのそれだけ。ゆえに異常。
 保険が何も無い。心に逃げが一切無い。自分の体が動く限り、自分の命の全てを戦闘のみに使う気だ。
 まさに狂戦士。
 その狂った獣は、見せ付けるようにゆらりと身構えた。

(来る!)

 ほぼ同時にクラウスも身構える。
 その形は居合い。
 これしか無い、と思いつつも、クラウスは迷っていた。
 距離を取り直すかどうかだ。
 間違いなく炎の威力は増しているはずだ。
 それがどれほどか分からない。
 後退したくない、という願望だけが足を止めている。
 願望というよりは甘えかもしれない。
 しかし、この獣相手にそんな甘えが通るのだろうか。
 リーザの両手が赤みを帯び始めても迷いは消えない。

(ええい、ままよ!)

 焦りをつのらせながら、剣に魔力を流し込む。
 台本が開かないことが焦りを加速させている。
 なぜ、と思うよりも一瞬早く、その答えは明らかになった。

「!」

 リーザの視線がクラウスから外れる。
 直後、大量の光弾と矢がリーザに襲い掛かった。
 攻撃を一点に集中させた一斉射撃。
 凄まじい密度の光弾がぶつかり合い、跳ね返り、地面に着弾する。
 巻き上がる砂煙がリーザの姿を隠す。

(どこからの攻撃だ?!)

 クラウスが視線を移すと、そこには部隊を率いるケビンの姿があった。

「!」

 が、クラウスはケビンと目を合わせることなく、リーザの方に視線を戻した。
 砂煙の中で魔力が膨らむのを感じ取ったからだ。

「邪魔ヲ……」

 その砂煙の中から怨嗟のような声がした直後、

「するなあアアアアァッ!」

 叫びと共に、赤い大蛇が砂煙の中から頭を出した。
 波打つ胴が砂煙を吹き飛ばす。
 腫れた煙の中から姿を現したリーザは、既に次の攻撃態勢に入っていた。
 その形は爆発魔法の構え。
 ケビン殿が危ない、そう思うよりも早く、クラウスは無明剣の動作に入った。
 しかし明らかに間に合わない。無明の心を剣に宿すのには時間が足りない。

(ならば、踏み込むまで!)

 無理矢理にでも意識をこちらに向けさせる。
 むしろ、こちらに意識が向いていないこの瞬間こそ勝機。
 そう考えたクラウスが、右足に力を込めようとした瞬間、

「?!」

 背中を悪寒が撫で上がった。
 自然と、クラウスの目線はその悪寒の原因に、リーザの手元に流れた。

(これは、違う!)

 その手にあるもの、それはただの爆発魔法では無かった。武の神が与えたひらめきが、その手の中にあった。
 例えるなら、それは、

(これは……数珠(じゅず)?)

 真珠(しんじゅ)のネックレスのように、光り輝く小さな光の珠(たま)が、光の線で結ばれている。
 しかし輪の形にはなっていない。一本の線だ。両手の平が光る線で結ばれており、その線に珠が三個ついている。
 両手の平の間隔は徐々に広がっている。広がるごとに、線が伸びるほどに、新たな珠が両手から生まれている。

(まさか――)

 考えるよりも早く、クラウスは後方に跳んでいた。
 クラウスの足が地面から離れた直後、リーザは両腕を大きく振った。
 線が引き千切れ、珠が散らばる。
 そして間も無く、それらは一斉に弾けた。

「ぅおおおっ!?」

 空気を千切ったかのような連続爆発音がクラウスの身を包む。
 吹き飛びながら発した悲鳴は自身の耳に届いていない。
 その悲鳴には意外の色が滲んでいた。
 これでは死なないと受けた瞬間に分かったからだ。
 これは以前の爆発魔法だ。槍のように指向性を持たせたものでは無い。
 そうしなかった理由は出来ないからだ。線に結ばれただけの状態では拘束力が弱いため、珠が不規則に回転してしまうからだ。
 吹き飛ばされながら理解する。
 これは自分とケビン殿達からの攻撃、両方を吹き飛ばすためだけのものだと。
 背中と地面が削りあうのを感じながら理解する。
 リーザの意識はまだケビン殿の方に向いたままであることを。
 上半身を起こすよりも先に声を上げる。

「ケビン殿!」

 しかしそれ以上のことは何も出来ない。
 立ち上がり、自衛のために構えるまでが精一杯。
 そして直後、クラウスの思いは空しく、リーザの手から単発の爆発魔法が放たれた。
 感じなくても分かる。これは以前の爆発魔法では無いと。指向性を持たせた赤い槍であると。
 クラウスには見守ることしか出来なかった。
 しかし次の瞬間、

「?!」

 クラウスはありえないものを見た。
 それは爆発魔法に迫る巨大な光。
 一瞬、クラウスはそれがケビン達が放った光弾だと信じられなかった。
 爆発魔法が膨らみ、そして弾け、赤い閃光が生まれる。
 その槍の先端は巨大の光の塊に突き刺さった。
 閃光と火花が散り、轟音が鳴り響く。

「っ!」

 その衝撃の余波と閃光に、クラウスは目を細めた。
 しかし見逃さなかった。何が起きたのかを。ケビン達が何をしたのかを。

(止めた?! あの爆発魔法を!?)

 数百人の光弾を同時にぶつけて相殺したのだ。
 しかしそんなことがどうして出来た?

(こんなこと、心が繋がっていなければ――)

 そこまで考えて、クラウスはようやく気付いた。
 ケビン達の、部隊全員の心が繋がっていることに。
 だからあんなことが出来た?
 いや、心が繋がっているだけでは足りない。

(リーザが魔法を放つタイミング、射線、爆発までの時間、それらを完全に見切っていなければ出来ない)

 これはもしや、と思った。
 そしてその答えは既に見えていた。
 ケビンの背中から後方へ長い線が伸びている。
 目で追うと、その先には――

「アラン様!」

 主の姿があった。
 いつの間にこんな近くまで来ていたのか。
 いや、それよりもいつからケビン達と心を通じ合わせたのか。
 多分、それは台本が開かなくなったあたりからだろう。
 アラン様はケビンに台本を貸したのだ。この展開を台本がアラン様に示したのだろう。
 そして我が主はケビンと線を繋いだまま、声を上げた。

「クラウス、俺達があの怪物に勝つには、これしかない!」

 主は私と目を合わせながら、言葉を続けた。

「だから、力を貸してくれ!」

 力を貸せと言っても、どうすれば――

「!」

 瞬間、クラウスは理解した。
 正確には教えられた。剣を通して、アランの考えを読んだ。
 返事をするよりも先に体が動いた。
 アランも同時に動き始める。
 二人の動きは同じであった。
 手の平で刀身を撫でる、という動作。
 クラウスは右手に握った刀を左手で、アランは左手に握った刀を右手で。
 まるで合わせ鏡のように二人の動きが重なる。
 しかし、その後に二人が見せた動きは、まったく奇妙なものであった。
 同時に、刀を真上に振りかざす。
 切っ先を空へ向けた大上段の構え。
 そして、二人は同時に振り下ろした。
 鍔迫り合い(つばぜりあい)のように刀がぶつかり合い、場に甲高い金属音が響き渡る。
 火花が散るほどの衝突。
 しかし散ったのは火花だけでは無かった。
 ケビンと一部の部下達にはそれが見えていた。
 光の輪があふれるように広がったのを。
 これは合図。
 この戦場にいる者達の心を揺らし、意識をアランとクラウスの方に向けさせるための合図。
 同じ動作をもう一度。
 刀が再びぶつかり合い、光の輪が再びあふれる。
 合図を送りながら、アランは光の輪に反応を示した者達と、リーザの暴力から隠れている者達と心を結んでいった。
 そしてアランは再び確信した。
 やはりみな大なり小なり自分やクラウスと同じような能力を持っている。
 光の輪に反応した者はその潜在能力が高い。
 その者達と心を繋げ、感覚を共有することで能力の自覚をうながす。
 そしてアランは彼らに請う。
 近くの者達と心を繋げよと。この感覚を共有せよと。
 刀から火花が再び散る。
 戦場に金属音が響く度に、線が増えていく。
 アランを中心に、くもの巣のように線が広がっていく。
 光の輪が広がる度に、隠れていた兵士達が場に姿を現す。
 その者達の目はみなリーザに向けられていたが、遠いところを見ているようでもあった。
 兵士達は感動していた。かつてのクラウスやアランと同じように。神秘の門を開いたことに、新たな世界に目覚めたことに。
 兵士達の目に新たな色が滲み始める。
 それは希望、そして勇気。
 みな己の心に問うていた。やれるのか、あの怪物に。戦えるのか、と。
 ある者がそれに答えていた。やれるさ、力を合わせればきっと勝てる、と。
 我々はか弱い。だが、ゆえに手を取り合える。怪物に立ち向かえる。
 しかしまだ足りぬ。あの圧倒的な暴力に立ち向かうにはまだ足りない。
 もっと昂ぶらねば(たかぶらねば)ならない。あれを前に恐怖のかけらも抱かぬように。狂気の域に踏み込むまで戦意を引き上げねばならない。
 誰かが、そう思った。
 アランとクラウスはその思いを剣に汲み、ぶつけあった。
 それが合図となった。

「雄雄雄ォッ!」

 誰かが叫んだ。

「応ッ!」

 誰かがその叫びに応えた。

「応ッ!」

 雄叫びは連鎖し、こだまのように広がっていった。

「応ッ! 応ッ! 応ッ!」

 連なる叫び声が、リーザの心に迫る。

「応ッ! 応ッ! 応ッ!」

 押しつぶされるような圧迫感。
 自然と、リーザの足が一歩下がる。
 それをクラウスは見逃さなかった。

(分からないから怖いのだな、リーザ!)

 見えないのだな、心を通じてあふれるこの力が!
 眼に見えぬならその心に聞け! 感じているはずだ! これが武神の采配、軍神の降臨ぞ! 
 心の共鳴の連鎖! 一つになった意識から生まれる数の暴力! 矛盾を体現したこの力をその身で知れ!

 昂ぶる心。その感覚をクラウスは言葉にした。

「ゆくぞリーザ! 貴様のその圧倒的な暴力、我等が神秘で凌駕せん!」

 以前、アランの能力は戦闘向きでは無いと述べた。
 しかしそれはあくまで個人戦闘での話。
 相性の良い仲間と協力することで、アランの能力は、その影響範囲によってとてつもない結果を生みだす。
 共鳴による連鎖、感覚と技術の全体共有、それが『武神の号令』の正体。アランとクラウスはそれをいつでも発動することが出来るのだ。

 そしてアランとクラウスが惹かれあったのは偶然では無い。
 似たような能力を持つ者、相性が良いもの同士は自然と惹かれあうのだ。それが能力の開花と自覚をうながす。
 さらにいえば、アランに惹かれているものはクラウスだけでは無い。リックしかり、ディーノしかり……

 そのうちの一人は近くまで来ている。

   第三十九話 二刀一心 三位一体 に続く
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稲田 新太郎

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