シヴァリー 第三十三話

   ◆◆◆

   盾

   ◆◆◆

「……」

 とどめを刺せという命令を受けたカイルであったが、その身は固まっていた。
 左手を前に突き出した攻撃態勢は取っている。いつでも光弾を撃てる姿勢だ。
 しかしその左手から光が生まれる気配は無かった。
 カイルは迷っていた。
 迷う理由は分かっていた。こんな終わり方は最も望んでいなかったからだ。
 この決闘は汚された。このまま女を倒したところで、自分が望んでいるものは何も手に入らないだろう。
 いっそのこと、命令を無視してこの場から去るというのはどうだろう?
 ……いや、その行為に大した意味は無さそうだ。自分がこの場で反抗を示したところで、ヨハンは兵士達に代わりの命令を下すだけだろう。
 それならば、自分の手で――

(! 動いた?)

 その時、カイルの思考は中断された。
 地に伏しているクレアの体が「ぴくり」と動いたからだ。
 そして、クレアはよろよろと立ち上がった。

「!」

 カイルの顔に驚きの色が浮かぶ。
 クレアが構えたのだ。
 ふらふらしている。しかし、れっきとした戦闘態勢だ。

(なんということだ。この女はまだやる気なのか!)

 しかしそれはカイルにとって望むところであった。
 せめて武人らしい決着を、と思っていたからだ。

(……いいだろう、来い! あの人外の動きをもう一度見せてみろ!)

 あの突進を受ける手段は思いついていない。それはつまり死ぬ可能性が高いということ。
 しかし、今のカイルにはどうでもいいことであった。
 自棄的になっているわけでは無い。そのようなものとは一線を画した大きな感情がカイルの心を支配していた。

「……」

 カイルは待った。
 しかし、いつまで待ってもクレアが仕掛けてくる気配は無かった。
 カイルの顔に焦りの色が浮かぶ。

(どうした!? 何故仕掛けて来ない?! この何もしない状況はいつまでも維持出来るものでは無いぞ!)

 それはクレアの身に起きているある異常が原因であった。
 その異常とは、

(……奥義が使えない!)

 ことであった。
 体を流れている魔力量が激減している。あまりにも少なすぎるせいで逆に制御出来ない。
 体は鉛のように重い。魔力を生み出している内臓はほとんど活動していない。
 負荷に耐えられず、機能不全に陥ってしまったのか? クレアは一瞬そう思ったが、どうやらそうでは無いようであった。
 そう思った根拠は、自分の今の状態があるものと酷似していたからだ。

(これはまるで――眠っているようだ)

 体のほとんどの機能が休止状態になる睡眠。人間が最も無防備になるその状態に酷似しているのだ。
 睡眠中は体内を流れる魔力量が激減する。他人の魔力を感知出来るゆえに、そのことをよく知っているのだ。魔力を生み出す内臓が休止状態になるからだろう。
 自分の今の状態はそれに似ている。意識はあるが体は眠っているという感じだ。
 これはきっと最終奥義を使った反動なのだろう。
 奥義はしばらく使えない。

(ならば……どうする? 今の私に何が出来る?)

 意識を内側に向けたまま、自身の状態を確認する。
 すると、すぐにある絶望的事実に気がついてしまった。

(奥義どころか、光弾すら練れない! 魔力を放出することが出来ない!)

 それだけでは無かった。

(……体を動かすことすら困難になっている!)

 それは夢の中の感覚に似ていた。夢の中で走ろうとしても速く走れない、上手く体を動かせないあの感覚に。
 そして肩を貫かれた右腕にいたっては、全く動かない。

(どうすれば……どうすればいい!?)

 焦りの色を濃くするクレア。
 カイルも同じ色で顔色を染め始めている。
 見合ったまま動かない二人。
 ヨハンはその奇妙な様子を苛立ちながら見つめていた。

(何をしているカイル! さっさと撃たんか!)

 ヨハンの中である感情が膨らんで行った。
 その感情に意識が塗り潰された瞬間、ヨハンの心は叫んだ。

(このままだと回復されてしまうだろう! 私を焦らせるな!)

 ふと浮かんだ「私を焦らせるな」という言葉に、ヨハンは「はっ」となった。
 ヨハンは気が付いたのだ。自分も同じ表情を作っていたことを。
 
 
(焦る? 焦っているのか? この状況で? この私が?)

 この質問に、ヨハンの理性は正直に答えた。

 ――そうだ、焦っている。

 ヨハンはこれを即座に否定した。

(ありえない。状況は圧倒的優位だ)

 理性は首を振った。

 ――いいや、私は焦っている。もしかしたら負けるかもしれない、逆転されるかもしれないと思っている。あの人外の動きでカイルを倒し、その勢いのまま自分に迫ってくるかもしれない、そう思っている。

 ヨハンは再び否定。

(……馬鹿げている。クレアの様子を見ろ。ふらふらしているではないか。あれでまともに動けるとは思えん。たとえ、あの人外の動きがもう一度出来たとしても、そう長くはもつまい)

 明確な根拠の無い反論であった。

 これに理性は答えなかった。
 が、代わりにある映像を提示した。

 それはヨハンにとって忌々しい記憶であった。

 映っているのは宿敵カルロ。
 映像の中のカルロは今と違ってかなり若々しい。自分が初めてカルロと戦った時の記憶だ。
 私の前に立った時、カルロは既にボロボロだった。全身傷だらけで血に塗れていた。そしてたった一人だった。

 しかし私は負けた。たった一人の男に、大軍と当時の精鋭達を率いていた私は負けたのだ。

 そうだ。似ている。あの時と。今のクレアとあの時のカルロが重なって見える。だから焦っているのだ。

(……)

 これは否定出来なかった。

 そして、理性は別の映像を持ち出した。

 それはまたしても忌々しい記憶であった。
 自分に向けられる数多くの冷たい視線。蔑む顔。
 あの敗北の日から、周囲の者達は私を見る目を変えた。

「あんな負け方をするとは。失望したね」
「あんなやつを英雄だなんだともてはやしていた馬鹿は誰だ?」
「次の王はあいつだと思っていたが、どうやら勘違いだったようだ」

 そんな視線。噂。民達の声。それらは私を苦しめた。

 私はやっきになった。英雄としての評価を取り戻そうと、離れていった玉座を再び手元に引き寄せようと、必死に努力した。

(……)

 王座なぞどうでもよかった。あの時までは。戦いのついでに手に入るもの、程度に考えていた。あの一戦が、あの敗北が全てを変えてしまった。

(……)

 幼き頃、私は収容所というものが嫌いだった。

 いつからそう思わなくなった? いつから私は力を得るのに手段を選ばなくなった?

 私は何をしている? 今の私は『何を目指している?』 かつての私は『何を目指していた?』

(……)

 力を持って正しき事を成す、それを「武」と呼び、その道を歩む者を、志す者を「武人」と呼ぶ。

 ヨハンにもあったのだ。英雄としての、「武人」としての純粋な資質を備えていた時期が。たった一回の敗北が全てを悪い方向に変えてしまったのだ。
 ヨハンにとって「武人」とは、かつて抱いていたものであり、いつの間にか失ってしまった称号であり、二度と手に入らぬものであった。
 だからヨハンは「武人」というものに憎しみを抱くのだ。「武人」という称号を維持している者を、道を踏み外していない者を妬んでいるのだ。

 そしてヨハンの理性は訴えている。かつての自分を取り戻せと。

(……くだらん)

 理性は訴える。正しい道に戻るのに遅い時など無いと。

(……くだらん)

 理性は訴え――

(くだらん、くだらん! くだらんっっ!!)

 ヨハンはその訴えを叫びでねじ伏せ、

(戻る?! 今更?! 出来るわけが無い! ここに至るまでに私が何をしてきたと思っている!? 犯していない悪事など無い!)

 差し伸べられていた見えざる導きの手を叩き払ってしまった。

「……の合図を鳴らせ」

 直後、ヨハンの口が言葉をつむいだ。
 ただの呟きのようにか細いその声を、かろうじて耳に入れることが出来た一人の兵士が「え?」というような表情をヨハンに返す。
 その気の抜けた顔に、ヨハンは怒声を叩き付けた。

「聞こえなかったのか?! 合図だ! 総攻撃の合図を鳴らせ!」

 これに兵士は肩を震わせた後、後ろに控えている楽器持ちに向かって急いで振り向いた。
 しかし直後、別の兵士の声がヨハンの耳に飛び込んできた。

「ヨハン様! 馬がこっちに向かってきます!」

 増援? 今更? そんな顔でヨハンは口を開いた。

「数は? 何騎だ!?」

 ヨハンの問いに、兵士は戸惑うような顔で答えた。

「それが……一騎です!」

 この状況にたったの一騎で仕掛けてくるということ、その意味をこの時のヨハンは深く考えることが出来なかった。
 だからヨハンはその兵士にも怒気をぶつけた。

「たったの一騎?! そんなことで一々報告してくるな! 適当に迎撃させろ!」

 そうしているうちに、騎兵は包囲の輪に迫っていた。
 外周にいる魔法使い達が迫る騎兵に向かって構える。
 同時に、騎兵も武器を――槍斧を右手に構えた。

「!?」

 直後、ヨハンの目が見開いた。
 あれを使う人間を二人知っている。
 うち一人は報告書で読んだだけなのでよくは知らない。しかしもう一人のほうはよく知っている。

(まさか――)

 炎の一族に続いてあの一族まで、我等に、教会に歯向かうというのか?
 そんな言葉がヨハンの心に浮かびかけた瞬間、魔法使い達が迫る騎兵に向かって光弾を放った。
 これに対し騎兵は避ける様子を見せず、左手を前に出しながら光弾に向かって突っ込んだ。
 そして衝突の瞬間、

「!」

 ヨハンの瞳から疑惑の色が消え、驚きだけが残った。
 騎兵の左手が輝き、そこから光の壁が生まれたのだ。
 その輝く壁は光弾の雨をものともせず、全て弾き返した。
 そして騎兵は光の壁を展開したまま魔法使いの隊列に突っ込んだ。
 光弾の炸裂音がやみ、代わりに轢死する兵士達の悲鳴が場に響き渡る。
 隊列を突破した騎兵は光の壁を解除し、進路を微修正した。
 馬の頭が真っ直ぐクレアの方に向く。
 対し、騎手の頭は真逆、真後ろへと向いた。
 背後から反撃の光弾が迫っていたからだ。
 騎手は左手を後ろにかざし、防御魔法を展開した。
 真後ろに生まれた光の壁は迫っていた光弾のほとんどを弾いたが――

「っ!?」

 直後、騎手の体がぐらりと傾いた。
 馬の蹄に光弾が炸裂してしまったのだ。
 何とか馬の体勢を立て直そうとする。
 が、それは叶わず馬の体は横倒しになった。
 投げ出されるように鐙の上から降りた騎手は、槍斧を第三の足として使い、着地の衝撃を殺した。
 そして奇しくも、舞い降りたその場所はクレアのすぐ傍であった。
 騎手は――バージルはクレアと目を合わせた。
 クレアの目が「なぜここに?」とバージルに問う。
 バージルの心は即答した。
 何故か? そんなことは決まっている。助けに来たのだ。
 しかしもう計画が狂ってしまった。
 本当は馬に乗ったままクレアを拾い上げ、この場から退散するつもりだった。
 これでは包囲網の中に飛び込んだだけだ。どうにかしてこの場から脱出しなくては。
 バージルはその手段を考えながら前に歩み出で、クレアを庇うようにカイルと対峙した。

「……」

 いつでも最大の攻撃を出せるように構えたバージルに対し、カイルは戦闘態勢を取らず、沈黙と視線だけを返した。
 その目からは明らかに戦意が消えていた。

「……?」

 バージルの顔に戸惑いの色が浮かび始めてもカイルは動かない。
 その様子はまるでこの場から去るきっかけを待っているかのようであった。
 そしてそれは直後に訪れた。
 場に楽器の音が鳴り響いたのだ。

(この拍子は!)

 瞬間、バージルの顔に焦りの色が浮かんだ。
 その拍子が総攻撃の合図であることを知っていたからだ。
 バージルは後ろにいるクレアに声をかけた。

「総攻撃が来るぞ! 動けるか!?」

 これにクレアははっきりとした答えを返すことが出来なかった。
 本人もまだ分からなかったからだ。
 少しずつ回復してはいる。しかし、安定した回避または防御行動が出来るかと問われると、はっきりした返事は出来ないという状態であった。
 だからクレアは自身の状態を再び確認した。
 両手に魔力を込める。
 すると、手の平はうっすらと発光した。
 だがそこまでであった。盾と光弾はいまだ使えない。魔力を込めたこの手で受け流すことくらいしか出来ないだろう。
 しかもその魔力は微量。そして足はいまだ反応が無い。
 この状況を打破するにはあまりにも非力。それしか結論が無い。

「……」

 ゆえにクレアは申し訳なさそうな表情を返すことしか出来なかった。
 そして、バージルはその無言からクレアの状態を察し、

(……今はこの場で耐えるしかない、か)

 背に冷や汗がつたうのを感じながら、覚悟を固めた。
 直後、

「っ!」

 視界に映った眩い光にバージルは目を細めた。
 刹那遅れて防御魔法を前後に展開。
 両の手から生み出された光の壁が、隙間無くバージルとクレアの二人を包み込む。
 それはバージルに出来る最大の防御であった。
 魔力の消費が激しいが、出し惜しみは出来なかった。目を眩ませた閃光、その正体が魔法使い達による一斉同時攻撃によるものだと分かっていたからだ。
 そして直後、

「っ!?」

 バージルは再び目を細めた。
 目が眩んだからでは無い。今度の原因は痛み。
 鼓膜が破れそうなほどの着弾音がバージルの耳を打ったのだ。
 同時に、バージルは光の壁に亀裂が走ったのを感じ取った。
 これは耐えられない、その言葉が脳裏に浮かんだと同時に、バージルの光の壁は決壊した。

「くっ!」

 バージルは来るであろう痛みに備えて目を閉じ、歯を食いしばった。

「……?」

 が、バージルの体に光弾が炸裂することは無かった。
 耳にあるのは静寂のみ。
 恐る恐る瞼を上げると、目に映ったのは先と変わらぬ光景であった。

(凌いだ……のか?)

 一瞬だが死を覚悟した。
 しかし安堵も束の間、バージルの瞳に再び閃光が飛び込んだ。
 対するバージルは先と同じ防御を展開。
 着弾、轟音、光の壁の決壊、敵の攻撃の終了、全てが先と全く同じであった。
 バージルの背中を冷や汗が再び流れ落ちる。
 着弾音の終了と防御魔法の崩壊がほぼ同時。あまりにもきわどい、きわどすぎる攻防だ。
 先の二波を無事にしのげたのは単純に運が良かったからだろう。
 そしてこの幸運がいつまでも続くことはありえない。魔力もじきに底を尽く。

(……どうすればいい?)

 バージルの心に影が差す。
 直後、見えざる悪魔がその影、バージルが抱いた不安を現実のものとした。
 敵兵士達が少し前進したのだ。
 距離を詰められた。それはすなわち、光弾の威力が増すと言うこと。
 そして、同じ防御では絶対に耐えられないということでもある。

(……どうすればいい?!)

 叫べども望む答えは見出せない。
 が、望んでいない答えなら思いついた。

「……」

 これしか手が無い、と思った。しかし、口にするにはためらいが生まれる手段だった。
 それでも言うしかなかった。

「……すまない! 次は守ってやれない! 自力でなんとかしてくれ!」

 分かっていたのか、覚悟していたのか、クレアはすぐに答えた。

「分かっています。御気になさらず」

 その言葉を聞いた瞬間、バージルはクレアから離れるように前へ飛び出した。
 ほぼ同時に、閃光がバージルの目に飛び込む。
 バージルは足を止めず、前進しながら光の壁を展開した。
 壁に光弾が次々と着弾する。
 しかし、その数は先よりも遥かに少なかった。
 包囲網の中心から離れたからであった。この攻撃は円の中心点であるバージルとクレアに向かって放たれたもの。全ての攻撃が同時に炸裂するため、その一点においては凄まじい火力を発揮するが、円の中心から離れるだけで被弾数が一気に落ちる。
 バージルは余力を持って攻撃を凌いだ後、クレアの安否を確認するために後ろへ振り返った。
 すると、クレアも同じように移動しているのが目に入った。バージルから付かず離れずという感じの距離を取っている。
 分かっている、というのはこの攻撃を凌ぐ術も含めての言葉だったのだろう。
 その傷で今の攻撃をよく避けたものだ、とバージルは思った。
 しかもクレアは右足だけで立っている。一本足であの攻撃をくぐり抜けたとは、驚きしかない。
 そして直後、バージルの心に再び影が差した。
 それは自虐の念。
 なんて情けないザマだ。助けに来たというのにこれでは意味が無いではないか、という思考。
 この場に飛び込むこと自体が普通の人間には出来ない芸当なのだが、その事実はバージルの心を照らす光にはならなかった。
 そんな負の思考はバージルの心に一つの映像を浮かび上がらせた。
 それは「こうしていたほうが良かったのではないか」という考え。
 その映像に描かれているのは、傷ついたクレアに肩を貸し、ひきずるように場から撤退する自身の姿であった。

(……)

 実は、この考えはさっき既に思いついていた。
 これを選ばなかったのは単純に自信が無かったからだ。クレアを抱え運びながらこの場から逃げることは難しいと思ったからだ。

(……この期に及んで、俺はまだ自分の命が惜しいのか)

 暗いバージルの心が生み出した結論は、自分の心にとどめを刺すものであった。

 はっきり言ってバージルが自分を責める必要性は一切無い。それどころか、バージルは自信を褒め、勇気付けるべきである。縁が濃いとは言えない相手のために無謀の場に飛び込んだのだから。
 それに、命を惜しむことを卑下するのも最適とは言えない。この場面では無駄に命を散らす方が間違いであろう。問題は現在の状況が有利になるかどうかなのだ。少なくとも、今回は敵の攻撃を無傷かつ消耗を抑えて凌ぐことが出来た。結果だけ見れば悪い選択では無い。

 しかしバージルにはそういう考え方が出来なかった。これは彼の気質であった。バージルの思考は負の方向に偏る傾向があった。

 だが時に、そのはきだめのような暗く重い心の中から、輝かしい宝石が生まれることがあるのだ。

 その時は、バージルにとって運命の時となるその瞬間は、確実に近づいていた。

 そして、バージルの思考が偏ってから一呼吸分も間を置かぬうちに、

(……すまない)

 負の連鎖は心に謝罪の言葉を述べさせるに至り、彼の目つきを相応のものに変えた。
 対し、クレアの眼差しはバージルのものとは対照的であった。
 クレアの目からは焦りが消え、力が戻りつつあった。小さくとも確かな希望を見出したかのような瞳であった。
 この状況でなぜそんな目が出来るのか、その理由がこの時のバージルには分からなかった。
 そして直後、クレアとバージルに向かって再び光弾が放たれた。
 これを二人は先と同じ手段で対処した。バージルは移動しながら防御魔法を展開し、クレアは身のこなしだけで凌ぎ切った。
 しかし、クレアの回避には先と違いかなり余裕があった。
 それはバージルから離れたことが理由であった。

(二手に分かれたおかげで攻撃の数が単純に半分になった。しかも規則性のある攻撃に戻っている。これなら今の状態でも捌ききれる)

 これはクレアの目に力が戻りつつある理由でもあった。彼女には状況が良くなった確信があったのだ。
 だからクレアはこの地獄の場へ飛び込んできてくれたバージルに対し、感謝の念を込めた視線を返した。
 しかしバージルはこれに気付かなかった。次の攻撃の警戒に手一杯というような様子であった。
 そして間も無く、魔法使いの隊列が一斉に光弾を発射。
 クレアは緊張の色が濃いバージルの様子を見ながら、先と同じ回避行動を取った。
 バージルの防御も先と同じであった。しかし何処か危なっかしい。焦りが見える。
 対し、クレアは攻撃を避けながら自身を応急手当した。

(……とりあえず右肩の止血は出来た。けど、この右腕は使い物にならなさそうね)

 意識を足元に移し、力を込める。
 しかし、クレアの左足が返した反応はとても鈍いものであった。

(……凍らされた左足も駄目か)

 自身の状態は相変わらず悲惨なものであったが、クレアの心に影は無かった。

(とりあえず今はこれでいい。この状況を維持出来れば魔力はいずれ回復出来る)

 直後、再びの敵の攻撃。
 何も変わらないその規則的な弾幕を避けながら、クレアは筋肉の反応を伺った。
 拳から、そして腕からみなぎるような感覚が返ってくる。

(体力は戻ったと考えて問題無さそうね)

 それを確信しながら、構えを整える。
 構えは依然変わらず片羽の構えであったが、その右腕は力無く垂れ下がってしまっていた。
 左足は力強く折り曲げているが、意味はあまり無い。とりあえず構えているだけだ。
 実質使えるのは右足と左腕のみ。

(状況は悪い――けれど、)

 勝機はあると、クレアは本気で思っていた。
 後は魔力さえ回復すればまた最終奥義が使えるようになる。
 最大の問題はどうやってヨハンの所まで辿りつくかだ。
 それにはやはりバージルといかに連携するかが重要になるだろう。
 そう思いながら、クレアはバージルの方に再び視線を移した。

「!?」

 瞬間、クレアの目つきが険しいものに変わった。

(もう息を切らしている?!)

 バージルは明らかに疲れていた。
 一体なぜ――そんな疑問の言葉がクレアの心に浮かび上がるよりも先に、次の攻撃が二人を襲った。
 クレアはバージルの様子を注意深く観察しながら、回避行動を取った。
 原因はすぐに分かった。
 バージルは派手に動きすぎていた。そして呼吸も滅茶苦茶であった。あれでは余計に疲れる。明らかに緊張しすぎている。
 そして原因はそれだけでは無かった。

(マズい。ヨハンの側近達の攻撃がバージルに集中している)

 だからバージルはある程度の硬度を持った防御魔法を展開しなければならなかった。それがバージルの疲労を増大させていた。
 ヨハンがそういう指示を出したわけでは無い。これはたまたまである。
 ヨハンは何もしていない。総攻撃の指示を出してから静観を続けている。
 兵士達の攻撃が規則的なものに戻ってしまったことにも当然気がついている。総攻撃の合図を受けたらこうしろ、というものがあらかじめ決まっていたために、兵士達は杓子定規に従っているだけなのだろう。
 以前の不規則な攻撃に戻すべきである。しかしヨハンがそうしないのは、やはりバージルがいるからであった。
 ヨハンには分かっていた。不規則な攻撃にすればバージルが死んでしまうことを。

(……)

 ヨハンは黙ってバージルを注視しながら、あることを期待していた。
 最も期待値が高いのはバージルが死亡せずに戦闘不能になること。
 そうなれば、この戦いが終わった後に盾の一族を脅迫するための材料にすることが出来る。
 もう一つの方は起きる確立が低い。が、もしそうなれば先に挙げた展開よりも有利になる。
 こうしている間にクレアが回復してしまうが、それはやむを得ない。盾の一族を手に入れる機会をみすみす逃すことの方が愚かだろう。
 ヨハンはそう考えていた。
 しかしその考えが間違いであるとは、この時のヨハンは予想だにもしていなかった。
 ヨハンが見守る中、魔法使い達が再び光弾を放つ。
 対するクレアとバージルは先と同じ自衛手段で対処。
 今度の結果はこれまでと同じでは無かった。
 バージルの背中に光弾が炸裂したのだ。

「!」

 それを見たクレアは思わず足を止めた。
 そして迷った。

(どうする? バージルの援護に向かうべきか?)

 クレアの理性はこれを即座に否定。

(駄目だ。そんなことをすれば攻撃が一点に集中してしまう)

 防御魔法を展開出来ない今の自分がバージルの背中についても被害が増すだけであろう。
 だから今のクレアに出来ることは、

「……前進しましょう! 隊列の中に切り込めば敵の手数が減ります!」

 助言だけであった。
 この言葉にバージルはすぐ反応した。
 よろめいていた姿勢を戻しながら、前へ地を蹴る。
 それを追う様に、クレアも地を蹴った。
 二人が前へ駆け始めたのとほぼ同時に魔法使い達が光弾を放つ。
 これをクレアはこれまでと同じ様に、何の問題も無く回避したのだが、

「ぐっは!」

 対照的にバージルの方は悲鳴を上げた。
 その身に三発の光弾が炸裂。
 うち一つは側近が放ったものだ。
 バージルの体が崩れ、大きく傾く。
 が、寸での所でなんとか踏ん張り、膝を突くことだけはかろうじて防いだ。
 光弾が炸裂した箇所の肌が青みがかり、その上を裂けた皮膚からあふれ出た赤が流れ落ちる。
 その裂け目が広がることも厭わず、バージルは再び足に力を込めた。
 バージルの体が再び前へ進み始めたと同時に、魔法使い達が光弾を放つ。

「……っっ!」

 今度は悲鳴が上がることは無かった。
 声を出すことすら出来なかったのだ。
 数えるのが馬鹿らしくなるくらいに被弾している。まさに滅多打ちであった。
 それを見たクレアはバージルのもとへ駆け出した。
 延命にもならない無駄な行為であることは分かっていた。しかし今助けに行かなければ終わってしまうことは明らかであった。もしかしたらもう手遅れかもしれない。
 その「もしかしたら」は、現実となった。
 直後、バージルの胸に側近の光弾が炸裂した。
 心臓部への直撃であった。
 胸骨のへし折れる音がバージルの頭の中に響き渡る。
 バージルの体は派手に吹き飛び、そのまま背中から地に落ちた。

「げほっ!」

 その衝撃でかぶっていた鉄仮面がすっぽ抜け、肺の中に残っていた最後の空気が押し出された。
 胸から鋭い痛みが脳へ伝わる。
 不思議なことにその痛みはすぐに和らいでいった。
 それと同時に、バージルの視界が急速に暗くなる。
 痛みを消す対価として視界を失っているかのようであった。
 バージルはその感覚に身をゆだねた。
 バージルの体から力が抜け、首が「がくり」と横に傾く。
 それを見たクレアは思わず声を上げた。

「バージっ……!」

 しかし、その名前が最後まで叫ばれることは無かった。
 ヨハンの耳に入るとバージルの立場が悪くなるからでは無い。
 止まったのは声だけでは無かった。同時にクレアの足も止まっていた。
 クレアは察したのだ。駆け寄っても、そして名前を呼んでも既に手遅れであることを。
 魔力を感知出来るから分かるのだ。バージルの体を流れる魔力が急速に衰えていることが。
 それはすなわち彼の、

(心臓が止まった?!)

 ということであった。

   ◆◆◆

 バージルの体は浮遊感に包まれていた。
 痛みはもう無くなっている。
 周囲は暗黒。
 しかし頭上から光が差しているような感覚がある。
 見上げると、そこには空が覗いていた。

バージルが覗き見た世界

 そうとしか表現出来ない不思議な光景であった。まるで頭上の空間に穴が開いていて、そこから違う世界の景色が覗き見えているかのようであった。
 自分はどうやらそこへ向かっているようだ。上へ上へと体が浮き上がっているような感覚がある。
 顔に当たる日差しが心地よい。覗き見えている光景は美しい。
 早くそこへ行きたいとバージルは思った。
 しかし次の瞬間、

「待ちなさいバージル」

 耳に飛び込んだ懐かしい声に、バージルは振り返った。

盾のカミライメージ

 するとそこには死んだはずの姉、カミラがいた。
 何も無い暗黒空間の中に立っている。
 あまりの出来事に、バージルは何も声を返すことが出来なかった。
 間の抜けた表情を作るバージルに対しカミラが続けて口を開く。

「あなたとまたこうして話せて嬉しいのだけれども、帰りなさい。いますぐに。あなたはまだここに来るべきではないわ」

 帰る? どこに? バージルは姉の言葉の意味が分からなかった。
 間の抜けた表情を作り続けるバージルに、今度は真右から声がかかる。

「そうだぞバージル。お前にはまだ早い。お前にはやるべきことがあるだろう?」

猛進のダグラスイメージ

 視線を移すと、そこには同じく死んだはずの兄、ダグラスがいた。
 やるべきこと? なんだそれは? バージルは兄が何を言っているか分からなかった。
 しかしそれはすぐに思い出せた。
 バージルはヨハンの部隊と戦っていたことを思い出した。
 そして胸に直撃を受けて倒れたことも思い出した。
 そこまで思い出してようやく状況を理解したバージルは心の中で叫んだ。

(なんということだ。自分は死んでしまったのか?! 夢であってほしい。そうだと言ってくれ!)

 バージルの顔に焦りが浮かぶ。
 そんなバージルに対し、ダグラスは口を開いた。

「心配するなバージル。心臓ならすぐに動き出す」

 鉄仮面をかぶっているため表情は見えないが、声の明るさからダグラスは笑っているようであった。
 これにバージルは焦りの表情を崩さなかった。
 何を根拠に言っているのか分からなかったからだ。
 そんなバージルに対し、今度はカミラが口を開いた。

「……すぐに引き戻されることは分かってたから、こうして話しかけた意味は無いんだけどね」

 同じ笑気を含んだ調子で話すカミラに、ダグラスが相槌を打つ。

「まあいいではないですか姉上。こんな機会、滅多に無い」

 危機感の無い二人の調子に当てられたのか、バージルの顔から焦りが抜ける。
 そして一呼吸分間を置いてから、カミラが再び口を開いた。

「……ねえ、バージル。あなた、悔しくないの?」

 これにバージルは「え?」というような表情を返した。
 その顔に対して今度はダグラスが口を開く。

「ヨハンに対して腹が立たないか、と姉上は聞いているのだ」

 考えるまでも無い質問だった。

「……腹が立つさ。当たり前だろう」

 その答えを聞いたダグラスは即座に口を開いた。

「なら決まりだ。さっさと帰れ。まあ、俺が言うまでも無く、もう時間切れのようだが」

 時間切れ、ダグラスが言ったその言葉の意味を考える間も無く、バージルの体に変化が起こった。
 浮遊感が消えた、と思ったら瞬く間に体が落下し始めたのだ。人間は飛べないということを思い出したかのように。
 そしてバージルは絶叫を上げる余裕も無く、闇の中へと落下していった。

   ◆◆◆

「っっっ!!」

 次の瞬間、バージルの意識は激痛と共に覚醒した。
 痛みの発生源である胸を押さえながら体を起こす。

(……どうやら戻ってこれたようだ)

 生還に安堵しながら、状況を確認する。
 周囲には意識を失う前と変わらぬ絶望的光景が広がっていた。
 一つだけ違うところがあった。
 クレアが少し間の抜けた表情を浮かべていたのだ。
 この時、クレアはバージルと同じことを思っていた。

(帰ってきた?!)

 クレアは自分の心が浮かべた言葉の意味が分からなかった。
 帰ってきた? 何が? どこから?
 分からない。でも確かにそう感じた。

(……いや、今気にするべきはそちらではない。間違いで無ければ、今確かに――)

 その先は言葉に出来なかった。
 したくなかったのだ。先に起きた事実を否定したかったのかもしれない。
 クレアはバージルの身に何が起きたのかを理解していた。
 バージルの体から魔力が消える寸前、残っていた僅かな魔力が心臓部に集結し、輝いたのだ。

(あれはまるで――)

 その先を言葉にするのはやはりためらわれたが、もう認めるしかなかった。

(……あれではまるで、最終奥義ではないか!)

 そして直後、クレアのその考えを証明するかのような変化がバージルの身に起こった。
 バージルの体が紅潮し始めたのだ。
 バージルの体は燃えるようであった。

(一体なんだ? 体が熱い)

 力が漲っている。槍斧が軽く思えるほどに。
 痛みは心地よさに変わった。
 沸きあがる力と衝動。バージルはそれに逆らわず、心がおもむくままに勢い良く地を蹴った。
 真っ直ぐな前進。その足はある人物の方へ向いていた。
 それはやはりヨハン。
 凄まじい勢いで迫るバージル。これに対しヨハンは声を上げた。

「高台を用意しろ! 今すぐに!」

 この声はバージルの耳に入らなかったが、前方で何か動きが起き始めたことは理解していた。
 バージルの足を止めようと、魔法使い達が光弾を放つ。
 対するバージルは足を止めず、そして進路も変えず、ただ防御魔法を展開してそれを受けた。
 バージルの左手から生み出された光の壁が光弾を全て弾き返す。
 この時、バージルの顔には驚きが浮かんでいた。
 光の壁を展開したことが、魔力の放出が苦にならなかったからだ。
 こんなことは初めてであった。
 そして、その様子を後ろから追いかけながら見ていたクレアも、同じように驚きを浮かべていた。
 しかしクレアが抱いた感情はバージルのものよりも遥かに大きいものであった。
 クレアはバージルの体内に意識を向けていた。
 そこには凄まじい光景が広がっていた。

バージルの中に広がる夜空

 バージルの体の中には数多くの星々が煌いていた。そうとしか表現出来なかった。
 その光景にクレアが驚いた理由はただ一つ。
 煌く星々ひとつひとつが奥義による輝きであると分かっていたからだ。とても小さな、小規模の奥義が連続で多数発生しているのだ。
 クレアの心に「なんということだ」という言葉が浮かび上がる。
 一度起こすだけですら慎重を要するというのに、あんな数え切れないほど幾度も同時に、しかも連続で。想像すら出来なかった境地だ。
 瞬間、クレアはある言葉を思い出した。
 それは偉大なる大魔道士が残した言葉。

“人の体の中には夜の空が広がっている”

 詩的な言葉だと思っていた。偉大なる大魔道士は洒落た台詞も言える人物なのだと思っていた。今までは。でもそうではなかった。これは言葉通りの意味なのだ!
 そして次の瞬間、クレアはある事に気がついた。

ゴボウセイ2

 それは一族が掲げる五芒星の紋章の意味。
 星の煌きを模したその形はかつて勲章として扱われ、「気付いた者」、または「目覚めた者」のみに与えられていたという。
 何に「気付く」のか? 何に「目覚める」のか?
 正解はこれなのだ。我が祖先が武の象徴にこの形を選んだ理由はこれなのだ。
 信じ難い現実と確信めいたものがある一連の推察に、クレアの心は同じ言葉を叫んだ。

(なんということなの?! こんなことが……こんなことが!)

 直後、クレアの心に新しい感情が湧き上がった。
 それは後悔。
 奥義を修得し、そして最終奥義を知ったことで、私もかつて目覚めた者達と同じ境地に立ったのだと思っていた。
 それは間違いだった。そして最終奥義は最終でもなんでも無かった!
 誰がこの技に「最終」という言葉を冠してしまったのだろうか。この技が人間の限界だと勝手に思い込んでいた。
 この技が記述されていた本は偉大なる大魔道士が没した後、世に平和が訪れた後に書かれたものだ。
 知らぬ間に一族の技は衰退していたのだ。だからこの技に「最終」の名がつけられてしまったのだ。私が最終奥義と呼んでいたものは、かつては「気付く」ための過程の一つに過ぎないものだったのかもしれない。

 クレアが思っていることは正解であった。
 そして修練を積んでいないバージルが最終奥義を使えた理由、それは単純にバージルの体が、遺伝子がその機能を有していたからである。
 緊急時に人間は限界を超えられるように設計されている。その機能と発動基準は人それぞれだが、その手段に偉大なる一族が「奥義」と呼んでいる技術が用いられることはあまり珍しくない。
 今回の場合だとまず最終奥義が心臓の蘇生と魔力の急速回復のために実施された。
 そして現在突撃しているバージルの身に起きていること、体の中で星々が煌いていると表現されたこの現象は最終奥義の延長にあるものでは無い。これは独立した技術であり、偉大なる一族が体系化出来なかった境地である。
 内容と得られる結果を説明するのは簡単だ。クレアが説明したとおり、数多くの煌きは微細な奥義の同時多発現象である。
 得られる出力自体は最終奥義の方が遥かに高い。しかし、先のクレアの結果を見て分かるとおり、その活動限界時間はあまりに短い。
 対し、この技の活動可能時間は遥かに長い。瞬間的な最大火力と瞬発力には欠けるが、全体の能力が向上している。
 バージルの遺伝子は、そして本能は、絶望的状況を打破するためにこの技を選んだのだ。
 この技を意識して使えた人間はあまり多くない。偉大なる大魔道士はその一人だが、その発動は曖昧で感覚的なものであった。
 そしてそれに気付いたからクレアの心は叫んだのだ。一族が練り上げ、そして積み上げて来た技が、人体が成す神秘には今だ程遠いという事実に。
 これはしょうがないと言える。遺伝子が有する技術、その研鑽はヒトという種が生まれる前から続いているのだ。あまりにも歴史が違いすぎる。むしろ、たった千年単位で奥義というものを体系化された技術として編み出したことを賞賛すべきだろう。

 バージルは数多くの光弾をものともせず猛進した。
 魔法使いの隊列はもう目の前。
 その足は事を終えるまで決して止まることは無いように見えたが、

「そこで止まれ! バージル!」

 突如耳に入った自身の名に、バージルは足を止めた。
 なによりその声の主がヨハンであったということが立ち止まった理由として大きい。
 そしてバージルはこの時ようやく自分が素顔を晒していたことに、鉄化面が脱げていたことに気が付いた。
 バージルは視線を少し上に向けた。
 なぜなら、声は上から聞こえてきたからだ。
 ヨハンはやや後方、隊列の後ろにある櫓(やぐら)の上にいた。
 その櫓は徐々に近づいてきていた。
 車輪がついているため移動出来るのだ。この櫓は状況把握と奇襲警戒のために戦場で組み立てて使う携帯式のもので高さと強度はあまり無い。しかし周囲を警戒する程度には十分であり、バージルの騎馬突撃に最初に気が付いたのはこの櫓の上にいた見張りであった。
 ヨハンは櫓の上からバージルを見下ろしながら口を開いた。

「バージル! 盾の一族の人間であるお前がどうしてこのようなことをしたのかは知らぬが、今ならまだ許してやる! 武器を捨てて投降せよ!」

 バージルは動かない。
 ヨハンが再び口を開く。

「なお歯向かうというのであれば、私はお前の家に罰を与えねばならなくなる!」

 この言葉にバージルは心臓を握り締められたかのような感覚を覚えた。
 ヨハンがさらに言葉を浴びせる。

「武器を下ろせ! お前に我等と戦う理由など何も無いであろう!」

 これにバージルの心は揺れ動いた。
 ヨハンの問いはバージルの深い所を突いていた。
 なぜ戦うのか?
 最初はただの復讐心からだった。
 兄と姉を討ったディーノに報いを与えたかった。
 しかし別のところへの怒りもあった。
 それは我が家を、「盾」という呼び名を馬鹿にする連中に対してのものだ。
 幼き頃、俺は「盾」という言葉に綺麗な印象を抱いていた。
 清く正しくあり、善きものを悪しきものから守る「盾」。そんな風に思っていて、そういう存在になりたかったのだ。
 だが現実はそうじゃ無かった。
 教会は反吐が出るような存在で、周りから送られる視線は侮辱の眼差しだけだった。

「……」

 気付けば、バージルは構えを変えていた。
 槍斧を両手持ちに変え、槍先を真っ直ぐ前へ突き出しながら斧頭の刃を真下へ向けたのだ。
 そして、バージルは槍斧を水平に維持したまま、ゆっくりと体に力を込めた。
 不思議な感覚であった。本当に自然と体が動いていた。この構えが、この構えこそがこれからやる行為に最もふさわしい形であると、生まれた時から知っていたかのようであった。

「……」

 ヨハンが言ったことを思い出す。
 従わなければ罰を与えると言った。
 これに対して言い返したい言葉は、思い浮かんだ言葉はひとつだけ。

(……ふざけるな)

 これだけだ。
 お前に従えだと? 俺にお前の「盾」になれと言っているのか? ふざけるな。
 なぜ戦うのかと言ったな? 教えてやる。貴様らから彼女を、偉大なる一族を守りたいと本気で思ったからだ。

「……」

 バージルは槍斧を握る手に力を込めながら、父と今は無き姉と兄へ思いを馳せた。
 父は、今は無き我が姉と兄はこの選択を許してくれるだろうか?

(……戦いに出ることに最後まで反対していた父は許してくれないだろうな)

 バージルの心に悲しげな父の顔が浮かび上がる。
 それはバージルの心に差す影となったが、既に出来ていた決意は揺るがなかった。

(父よ、私が選んだ道はあなたが望んでいたものとは違うかもしれない)

 謝罪の念を抱きながら両足に力を込める。
 この決意は揺るがない。なぜならやつの言いなりになるなど耐え難いからだ。死よりもだ。

(すまない父よ、これが私の道なのだ! この道しか見えない! この道しか歩めないのだ!)

 バージルは心の中でそう叫びながら、目の前にいる敵兵達に向かって地を蹴った。
 それを見た敵兵達は一斉に防御魔法を展開。
 瞬く間に、バージルの眼前に強固な壁が形成される。
 しかしバージルは足を止めない。
 何の策も無い単純な突撃だ。
 バージルの心の中には「猛進」の異名を与えられた兄ダグラスの姿があった。
 しかしこれだけでは足りない。兄の姿を重ねるには必要なものがある。
 それはもちろん光の壁。
 バージルは両手に魔力を込めた。
 放たれた魔力は槍斧に流れ込み、その鋼の身を輝かせた。
 先端にある槍先から魔力が溢れ出る。
 そこから生まれた形は丸みを帯びた盾では無く、鋭利な円錐。
 その輝きは光の壁と比べて遥かに薄い。
 これ以上魔力を流し込めないからであった。バージルは鋼に光魔法を通すことの危険性を知っていた。
 この槍斧はアランが持つ刀のような良質の鋼で出来ていない。そしてバージルにクレアのような魔力制御技術は無い。ゆえに槍斧は既に激しい振動を始めている。
 しかしバージルはためらわなかった。ぎりぎりまで魔力を流すつもりであった。
 だが、それでもこの円錐が強固な盾としての機能を有すかどうかは怪しい。
 だからバージルは姿勢を低くした。円錐の中に自分の体が収まるように。
 背を前に傾け、槍斧に体重を預ける。
 それは明らかに過度の前傾姿勢であった。腰と顔が同じ高さにある。地面の上を四つんばいで這っているかのような低さだ。
 前に倒れなくてはおかしな体勢。しかしそうならない。なぜか。
 理由は斧頭にあった。
 魔力が放出されているのは槍先からだけでは無かった。下に、地面に向けた斧頭の刃からも垂れ流されていた。それが浮力となってバージルの体を支えていた。
 斧頭から放たれた魔力は鈍い刃となり、地面を削った。
 まるで地面を掘削しているかのようであった。
 手に伝わる振動がそれによるものかと勘違いしそうなほどの勢い。
 土砂を舞い上げながら突撃する様は見る者を圧倒した。
 が、バージルの心に余裕は無かった。
 目の前にある壁と自身が展開している円錐の輝きを比べると、どう考えても自身の方が不利に見えるからだ。
 その事実は心に僅かな迷いを生んだが、

(……ええい、ままよ!)

 バージルは本能に従い、その迷いを振り払った。
 バージルは気付いていなかった。
 今から起きることは防御魔法同時のぶつかり合いなのだとバージルは思っていた。
 しかしそうでは無かった。
 正解は既にバージルの目の前にあった。
 槍先は眩しいほどに輝いていた。激しい振動も感じる。
 魔力が一点に収束していた。規模は小さいが、ヨハンの閃光魔法とほぼ同じ現象がその槍先に起きていた。
 では、敵兵が展開する防御魔法にこの輝く槍を止める硬度はあるのだろうか?
 答えは否。

「ぐぅえっ!」

 バージルの槍斧は壁を突き破り、兵士の腹に深々と突き刺さった。
 突進は止まらない。兵士を突き刺したまま、隊列の中に切り込む。
 槍斧を握るバージルの両手に兵士の体重がかかる。
 邪魔だ、そう思ったバージルは兵士を前方に投げ捨てるために、槍斧を真上へ振り上げ始めた。
 同時に、槍斧に魔力を勢い良く流し込む。
 魔力は同じ勢いで槍先から溢れ出し、突き刺さっていた兵士の体を吹き飛ばした。
 そしてそれだけでは終わらなかった。
 魔力は当然のように斧頭からも勢い良くあふれ出た。
 地を這うような低姿勢から振り上げられた斧頭は綺麗な弧の軌跡を描き、流れ出た光の魔力は輝く三日月の形を成した。
 突進の勢いが乗っていたせいか、その光る三日月は斧頭から放たれ、正面にいた敵兵に向かって飛んで行った。
 これを兵士は防御魔法で受け止めた。
 が、三日月はその壁を縦割りにし、真後ろにあった兵士の体も同じようにした。
 それを見たバージルは、これはあの時の、と思った。
 規模は小さいがカルロの娘アンナが馬上から放ったあの一撃によく似ている。
 そして同時にこれは使える、とも思った。
 盾を張りながらの低姿勢突進と飛び道具を放つ動作が綺麗に連続している。攻防一体だ。
 槍斧ならではの技に思えた。突撃の役割を担う槍と、刃の役割を担う斧が組み合わさっている槍斧だから映える技だと。
 後に「槍斧突撃」と呼ばれる技が誕生した瞬間であった。
 直後、バージルの視界の隅に光弾を撃とうとしている魔法使い達の姿が映り込む。
 これにバージルは振り上げた槍斧を大上段に構え直しつつ、腰を横に捻った。
 腰の動きに追従させるように爪先の向きと足運びを変え、体を一回転させる。
 バージルはその回転の勢いを乗せつつ、上段に構えた槍斧を水平に振るった。
 その一撃は明らかに届かない距離で振るわれたのだが、

「ぅぎゃあ!」

 先と同じように放たれた三日月が魔法使い達の体を横に分断した。
 場に血の雨が降り注ぐ。
 そして降ってきたのはそれだけでは無かった。

「バージル、貴様! 後悔するぞ!」

 上から飛んで来たヨハンの怒声。
 これにバージルは同じように荒げた声を返した。

「貴様らのやり方は気に食わんのだっ!」

 それは心の中から押し出した、素直な叫びであった。

      第三十四話 武技乱舞 に続く
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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

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