シヴァリー 第九話

   ◆◆◆

  偉大なる大魔道士

   ◆◆◆

 三ヵ月後――

 息が白む寒い朝、アランはリリィと二人で街を歩いていた。
 アランはこうして時々暇な時間を作ってはリリィと過ごしていた。
 真っ昼間の街中であるにも拘らず、アランはリリィを連れて堂々と歩いていた。それはアランの中で男としての責任感が成熟してきたことを示していた。
 戦争を経験したためか、以前のアランと比べると落ち着いた雰囲気をリリィは感じていた。肝が据わるとはこういうことなのだろう。
 アランはリリィの用事に付き添ってある場所を目指していた。その用事とは、長く借りていた本を返すことであった。
 アランはリリィがどんな本を読むのか興味があったが、それを聞き出す良いきっかけが訪れないまま目的地に到着した。
   ◆◆◆

 建物に入ったアランは中にいた者達から一斉に注目を浴びた。
 その注目は決して気持ちの良い物では無かったが、アランはこれに慣れていた。アランに向けられていたその視線は、奴隷が魔法使いに向ける「敵意」や「嫌悪」を含んだものであった。
 室内を見渡したアランは、リリィに素朴な疑問を尋ねた。

「ここはどういう場所なんだ? 教会のように見えるけど」

『教会』、アランはこの場所をそう例えた。実際、アランがそう思うのも無理はなかった。奥には五芒星が飾られており、静かで綺麗に掃除された室内は、神聖な雰囲気と信仰心を感じさせたからだ。

ゴボウセイ

「アラン、ここは教会じゃないわ。ここは…」「新しいお客様ですか?」

 リリィの言葉を男の声が遮る。その声の主は奥からゆっくりと姿を現した。
 その男性は魔法使いの服を着ていた。しかしその装いはかなり古いものであった。

ルイスイメージ3

 アランはこの男性のことを『神父』のようであると感じた。

「ようこそ。私はここを管理しているルイスと申します」
「アランと申します」

 アランは求められた握手に応じながら自分の名を答えた。

「ルイス殿、ここは魔法信仰を司っている場所なのですか?」

 アランは先にリリィにしたのと同じ質問をルイスに伺った。

「いいえ。そう思われるのも無理はありませんが、ここはいかなる神や信仰も司ってはおりません」

 ルイスはゆっくりと首を振りながらそう言った。

「ここでは我が家に代々伝わる古き大魔道士の歴史について教えています」
「それはもしかしてあの『偉大なる大魔道士』のことですか?」
「はい」

 言いながら、ルイスは右手にある本棚を指し示した。それはその棚にある本全てが歴史書であるということであろう。

「興味があるのですが、自分が手にとっても大丈夫ですか?」

 アランは魔法使いである自分がその本に触っても良いか、という意味でルイスに尋ねた。アランにはその本が奴隷達にとって大切なものであるように見えたからだ。

「もちろんです。持ち帰って頂いても結構ですよ」

 そう言ってルイスは分厚い本をアランに差し出した。

   ◆◆◆

 ルイスから受け取った本をアランは一気に読破した。
 その本はアランを驚かせ、そして感動させた。
 まず驚いたのは、その本に書かれていた歴史は自分が知っているものとはかなり違っていたことだ。
 かの偉大なる大魔道士は、元は魔法能力を持たない奴隷の身であった。彼は後に炎王と呼ばれる者にその潜在能力を見出され、魔法使いになった。
 そして彼は氷王と雷王を倒し、三国を統一する。
 この功績は偉大である。しかしアランを感動させたのは全く別のところであった。アランは彼が奴隷であった頃の逸話とその思想に強く惹かれていた。
 彼の心は常に弱者の傍にあった。炎王の配下になってもそれは変わらず、彼はこんな言葉を残している。

「弱きものは共に手を取り合うべし」

 本質的には平和を愛する者であったようだが、彼はこんな言葉も残している。

「もし自身の誇りが汚されていると感じたらその拳を振りかざせ。例え勝てないまでも、その行い自体に意味がある」

 この本の中で、彼は常に弱者の為に戦っていた。

「偉大なる大魔道士」の「偉大なる」の部分は魔法使いと奴隷達で指している部分が違うのではないかとアランは感じた。魔法使いはその強大な力と功績を指し、奴隷達はその思想を指して「偉大な者」と称えているのであろう。

 それにしても何故今の魔法使いの間に伝わっている歴史は、この本の内容と違うものになっているのか。アランはそれにやり場の無い怒りを覚えた。

 そして今、アランはディーノと訓練を行っていたあの広場で、リリィとともにその本を広げ語り合っていた。
 アランはこの本に感動したことを素直にリリィに伝え、その感動を分かち合った。
 二人はこの本に書かれている偉大なる魔法使いの考えと今の世の中を比べ語り合った。
 リリィはこの時、「魔法使いが皆この人みたいだったら良かったのに。そうすればきっと今よりずっと優しい世の中になるのに」と言った。
「優しい世の中」、それは漠然とした表現であったが、美しかった。
 そしてその言葉を聞いたアランの頭の中に浮かんだのは、「優しい王様」であった。
 優しさは王冠よりも王に良く似合う。偉大なる大魔道士もその一人であったのだろう。強く、そして優しい、その様のなんと美しきことか。

 サイラスは「強い影響力、実行力を持つ人間」という比較的具体的なものを目指しているのに対し、今のアランはただひたすら「美しいもの、感動するもの、強いもの」を追い求めていただけであった。
「強いもの」のイメージはサイラスとアランでは全く違っていた。サイラスは「人を動かすもの」を全て「力」と呼び、それをもって大きなことを成す人間を「強いもの」と考えていた。

 一方、アランの「強いもの」のイメージはカルロやディーノのような単純な暴力を基本としたものであったが、アランの中で「強いもの」というものはまだ明確な形を伴ってはいなかった。
 それはアランの美しいもの、感動するものに強く惹かれる美意識のせいであった。しかしアランのこの性質こそが、後に彼を偉大な人物に昇華させるのである。

 そして偉大なる大魔道士の思想はアランの中にある大切なものを植えつけていた。まだ芽にすらなっていないただの種であったが、これが後にアランの人格形成の基礎となった。
 それは「情」や「愛」に代表される、後に「仁」と呼ばれるものであった。

 このアランの中に根付いた「仁」が自覚と行動という形で芽生えるのは、まだ先の話である。

   ◆◆◆

 偉大なる大魔道士の思想に感動したアランは、頻繁にルイスの教会へ足を運ぶようになった。
 ルイスの教会には偉大なる大魔道士についての歴史書だけではなく、様々な本があった。
 アランはそれらを次々と読み漁っていった。
 本を読むことが幸福であると感じる、それはアランにとって初めての感覚であった。

 そんなある日――

 教会でテーブルに座って本を読んでいたアランは、ふと目に入ったよく知った人間の姿に、声をかけた。

「リリィ!」

 声に気づいたリリィは、優しい笑みを浮かべながらアランの傍に歩み寄った。
 そして珍しく、リリィには連れがいた。
 その連れは男で、年はアランより少し下くらいに見えた。

ラルフイメージ

「リリィ、この人は?」
「ああ、この人は――」

 リリィは連れをアランに紹介しようとしたが、その連れがアランの前に歩み出たため、言葉を止めた。

「コンニチハ、ワタシのナマエはラルフとイイます」

 その独特な発音に、アランは一瞬呆気に取られた。

「スミません、マダ、コトバがウマくしゃべれナクて……」

 ラルフと名乗った青年はアランの気を害したと思ったのか、頭を下げた。

「いや、謝る事なんて何も無いよ。ちょっと驚いただけだ」

 異国の人間と話すのは初めてのことであった。アランは沸いてきた好奇心に従い、尋ねた。

「どちらからいらしたのですか? どうしてこの国に?」

 この時、リリィが少しだけ眉をひそめたが、アランは気付かなかった。
 そして、ラルフは困ったような顔で答えた。

「……それは、どうコタえてイイか、ムズカシイです。……ワタシは、トテモとおいトコロからきました。フネにノセられてきました」

 船に乗って、では無く、乗せられて? 要領を得ない答えに、アランは心の中で首を傾げた。
 そして、場にきまずい空気が生まれるよりも早く、リリィが助け舟を出した。

「アラン、質問はまたの機会にして頂戴。ラルフはこっちに来てまだ日が浅いから、色々慣れていないのよ」
「ああ、そうだったのか。不躾に質問してすまなかった」

 ラルフは気にしていないというように首を振った。
 そして、アランは再びリリィに尋ねた。

「ところで、今日はどうしてここに? 何か本を読みに?」

 リリィは頷きを返しながら答えた。

「今、ラルフに文字を教えているの」

 そう言ってリリィは本棚の前に立ち、一冊の本を取り出した。
 それは幼児向けの本であり、題名は「優しき魔法使い」とあった。

「それで、実際に本を読んでもらおうと思って」

 リリィはアランの隣にラルフを座らせ、眼前にその本を開いて置いた。

「さあ、ラルフ、始めましょう」

   ◆◆◆

 リリィがラルフに読ませた本、それは偉大なる大魔道士のことについて書いた児童書であった。
 童話的な表現が多く使われていたが、内容はおおむねアランが読んだ本と同じであった。
 読み終えた後、ラルフは静かに深呼吸し、口を開いた。

「このクニにはムカシ、コノようなすばらしいヒトがいたのですね」

 言葉に慣れていないせいか、ラルフの口調はゆっくりとしたものであったが、アランとリリィは黙ってラルフの次の言葉を待った。

「ワタシはココにくるマエ、トテモひどいめにアイました。マホウがツカエナイというだけで、トテモひどいめにあいました」

 酷い目にあった、その言葉からアランはラルフが「船に乗せられて」といったことの意味をおぼろげに察した。

「でもたったイマ、このクニのことがほんのすこしだけ、スキになりました」

 その時、ラルフが見せた薄い笑みは、アランとリリィの心をとても穏やかにした。

   ◆◆◆

 次の日――

 早朝、アランとアンナは訓練場にてクラウス立会いの下、剣を構え向かい合っていた。
 これはちょっとした試験であった。アンナがどれだけ腕を磨いたか、それを見るためのものであった。
 開始の合図などは無い。双方は既に戦闘態勢になっている。後はどちらが先に仕掛けるかだけであった。
 アランは先手をアンナに譲った。そうするだけの余裕がアランにはあった。
 アランはアンナの攻撃を何手か捌いた後、隙を突いて一本を取った。
 続く二合目、今度はアランの方が先に仕掛け、アンナはこれにあっさりと屈した。
 そして三、四、五合目と試合を続けたが、全てアランの圧勝で終わった。
 敗れ、肩で息をするアンナにアランは言葉をかけた。

「クラウスの教えを良く聞いているみたいだな。この短期間でそこまで腕を上げるとは正直驚いた」

 褒められたのは間違いないのだが、アンナは嬉しいとは全く感じていなかった。
 黙ったままのアンナの心中を察したアランは、彼なりにアンナがなぜ勝てないかを説明した。

「アンナ、魔法使い同士の戦いにおいて魔法力が強いほうが有利なように、剣の戦いもまた基本的には体力があるほうが有利だ」

 アランはディーノとの組み手でそれを痛感していた。

「自分より強いやつを相手に同じ土俵で勝負してはいけない。弱いほうは技と小細工を駆使して戦わなければ駄目だ。
 でかいやつが放つ攻撃は間合いが広いし、下手な防御など容易に吹き飛ばす威力がある。そんな相手とは正面からは戦えない。上手く相手を騙して隙を突くのが基本、隙が無ければ作るしかない」

 アランは一呼吸置いた後、言葉を続けた。

「そしてこれはあくまで剣士同士の戦いでの話だ。魔法使いが相手となると話が変わってくる」

 言いながら、アランは置いてあった丸型の大盾を拾い、アンナに向かって構えた。

「アンナ、この大盾の防御を剣だけで正面から抜く方法がすぐに思いつくか?」

 アランが低い姿勢で構えているためか、アンナから見てアランの体はほとんど大盾の影に隠れていた。攻撃できそうなのは視線を確保するために覗かせている顔と、下に見える足先だけだ。

「……難しい、と思います」

 アンナは正直な感想を述べた。これにアランは頷きを返し、再び口を開いた。

「魔法使いが張る防御魔法はこの大盾に近い。魔法使いは片手でこれと同様、またはそれ以上の防御を展開し、もう片方の手には常に必殺の手を用意している」

 そう、アランが言うように魔法使いの戦い方は隙が少ない上に火力もあるという完成されたものだった。

「もし剣士の攻撃に防御魔法を突破する威力が無ければ、側面や裏に回りこむか、相手が防御を解除する瞬間、例えば反撃の魔法を放ってくる瞬間に合わせるしかない。
 しかし近づきすぎれば防御魔法そのものを叩きつけられる。はっきり言えば、ただの剣一本で魔法使いに挑むのは無謀だ」

 アランは自分のことを語っていた。剣で魔法使いに挑むことの困難をその身で知っていた。アランが魔法剣に惹かれたのは必然であったと言えるだろう。

「どうしてアンナが剣に惹かれたのかは知らない。それに水を差すようで悪いのだが、正直言うと、アンナが剣を使って戦うのは無謀だと思う。
 アンナは俺やディーノのように強くなりたいと言ったけれど、ディーノの強さはあくまで特別なもので、俺にいたってはアンナが思っているような強さなんて持っていないよ」

 自虐的であったがそれが事実であった。アランは大盾と炎の魔法剣を使ってようやく並みの魔法使いと五分というところであった。ゆえにアランは「光る剣」を求めていた。

「アンナが剣を使うことを止めはしない。でも、もし実戦で使うつもりであれば、何かしらの工夫が必要だと思う」

 この日の訓練はこれで終わった。
 後にアンナはアランの忠告通り、自身の戦い方に工夫を加えることになる。
 そしてそれはアランと同じ道、魔法剣の道であった。

   ◆◆◆

 一週間後――
 早朝、アンナは兵を引き連れて戦地へと旅立った。
 アランは戦いに行く妹の背中を見送った。
 それはとても静かな別れであった。

 そして正午、アランはディーノと訓練をしていたあの場所に足を運んだ。
 アランは適当な場所に寝転がり、呆然と空を眺めた。
 そして、しばらくしてアランは目を閉じた。
 眠ろうとしているのでは無かった。アランは色々なことを考えていた。
 アランは長い間そうしていた。アランが次に目を開けたのは、

「アラン?」

 と、通りすがったリリィに声を掛けられた時であった。
 アランが体を起こすと、辺りは既に夕方になっていた。

「こんなところで寝ていると風邪を引くわよ」

 そう忠告するリリィに対し、アランはこんな言葉を返した。

「考え事をしていた」
「考え事って?」
「……今朝、妹のアンナが戦争に行った」

 アランの真剣そうな表情に、リリィは黙って次の言葉を待った。

「俺もついていこうとした。でも駄目だと言われた。アンナはそれ以上何も言わなかったけど、要は俺が弱いから連れて行きたくないんだと思う」

 アランは少しうつむき、言葉を続けた。

「俺は自分が情けなくなった。弱いってことにじゃない、俺はアンナに同行を断られた時、ほっとしたんだ」

 アランは首を振って再び口を開いた。

「いや、違う、してしまったんだ。本当に情けない。苛立たしいとか、悔しいとか、そういう感情は、その時は微塵も無かった」

 そう言って、アランは再び仰向けに寝転がった。

「それで……ここでこうやって横になりながら、考えていたんだ。将来のことを」

 リリィはアランの隣に腰掛け、それを尋ねた。

「将来って?」
「……将来、俺はどうすればいいのか、みんなはどうなるのかなって、想像していたんだ」

 興味が湧いたリリィは、アランの言葉に黙って耳を傾けた。

「まず初めにディーノとアンナの未来が思い浮かんだ。想像の中の二人は戦いで身を立て、名を上げ、見る者を圧倒する立派な装束に身を包み、多くの配下を従えていた」

 それは名誉の道の、一つの到達点であった。

「次に父の未来が思い浮かんだ。その頭上に王冠を抱き、杖を片手に玉座に座る新たな王の姿があった」

 最も強い者が玉座に座る、それはこの世界では当然のことであった。

「最後に自分の未来が浮かんだ。派手なことは何も無いけど、愛する妻と子に囲まれ、穏やかな日々を過ごしていた」

 武の名誉は無いものの、穏やかで優雅な貴族の未来であった。

「リリィ」

 アランは体を起こし、リリィの目をみつめながら言葉を続けた。

「もし、そんな未来が訪れるなら、俺は君と一緒になりたい」

 突然の告白に、リリィは面食らった。
 リリィは驚きの表情を見せた後、困惑と喜びが混じった顔をした。

「突然何を言い出すの? ……その、困るわ……」

 リリィの口調はしどろもどろになっていた。

「でも……アランらしい。そして、すごくうれしい……」

 リリィのその笑顔がそのまま返事となった。

   ◆◆◆

 次の日――

 アランからの告白を受けたリリィは浮かれ、心ここにあらずといった感じでラルフの相手をしていた。

「………さん」

 それはラルフから呼ばれていることに気が付かないほどであった。

「リリィさん?」

 何度目かの呼び声に、リリィはようやく反応した。

「え? あ、ごめんなさい。ぼうっとしてたわ」
「ウレしそうですね。なにか、イイことがあったのですか?」
「え、ええ、ちょっとね。それでどうしたの? 読めない字でもあった?」
「はい。ココがチョットよくわからナクて」

 そう言いながらラルフが指差す箇所に、リリィは目を向けた。

   ◆◆◆

 その日の勉強は、日が沈むまで続いた。

「遅くなってしまったわね。今日はこれで終わりにしましょう」

 そう言って席を立ったリリィに、ラルフは声をかけた。

「ヨルはブッソウですよ。イエまでおくります」

 リリィはその言葉に素直に甘えることにした。実際、夜の貧民街は物騒だったからだ。

 二人は並び歩いて家を目指した。
 二人の間に会話は無かった。
 リリィが言葉を発しなかったのは、話すことが特に無かったからであったが、ラルフはそうでは無かった。
 ラルフはあるものに気づいていた。

「……リリィさん、スミませんが、サキにいっていてください」
「どうしたの?」
「ミズのノミすぎかな。ちょっと、もよおしてきちゃって。ヨウをたしに」
「じゃあ、ここで待っているわ」

 これにラルフは首を振った。

「いえ、またなくてケッコウです。ここでワカレましょう。リリィさんは、サキにかえってください」

 そう言ってラルフは、リリィの返事も聞かずに走り出した。

   ◆◆◆

 ラルフが人気の無いところに足を踏み入れた瞬間、それは現れた。
 男の影がひとつ、ふたつとラルフの前に現れる。
 そして、それは前だけでは無かった。気づけば、ラルフは完全に囲まれていた。
 影達がラルフの逃げ道を完全に塞いだ後、その中から一人の男がラルフの前に出た。
 その男は目立つ赤毛であり、他とは違う格好をしていた。服装に気品があり、その胸には五芒星の刺繍が施されていた。
 赤毛の男はラルフの目の前に歩み寄り、その場に跪いた。

「ラルフ様、お迎えにあがりました」

 丁寧な態度を示す赤毛の男に対し、ラルフは油断なく身構えた。

「ラルフ様、手荒な事はいたしたくありません。どうか、素直に従っていただきたい」

 赤毛の男の言葉に、ラルフは怒りをあらわにした。

「テアラなコト? チカラづくでどうにかできるとオモっているのか?」

 そう言ってラルフは右手を発光させた。
 だが、赤毛の男はこれに全く動じず、こう言った。

「……正面からでは歯が立たないでしょうな。ですが、背後から襲い掛かって薬で眠らせてから拘束するなり、手段は他にいくらでもあります」

 戸惑うラルフに対し、赤毛の男は言葉を続けた。

「ラルフ様、連れて帰ろうと思えばいつでもできたのです。ですが、こうしてわざわざ姿を見せたのは、我が主であるヨハン様から、丁重に扱うようにと指示されているからなのです」

 ラルフは暫し迷う素振りを見せた後、口を開いた。

「……なんといわれても、カエルつもりはナイ。ほうっておいて――」

 その瞬間、乾いた物音が場に響き渡った。
 全員が一斉に振り返る。影達は発光させた右手を、音がした方向に向けてかざした。
 その先に立っていたのは、リリィであった。

「どうします?」

 影が尋ねる。赤毛の男は少し考えた後、答えた。

「仕方無い。始末して――」

 赤毛の男が言い終えるよりも早く、ラルフは叫んだ。

「ヤメロ! そのヒトはかんけいない!」

 ラルフのこの態度を見て、赤毛の男は「使える」と判断した。

「ですが、目撃者を黙って逃がすなど、できませんな」

 赤毛の男はそう言って、リリィに向かって発光する右手をかざした。

「ダメダ! そのヒトをキズつけるコトはゆるさない!」

 ラルフの右手が強く発光する。だが、赤毛の男は既に恐れることは無いということに気付いていた。

「それは困りましたな。でしたら、あの女と一緒に来て頂けますか?」

 もし従わなければどうするのかは目に見えていた。

「ワカッタ。したがおう……だが、ヤクソクしろ。そのヒトにテアラなことはけっしてしないと」
「ええ、約束しましょう。我等が神に誓ってもいい」

 ラルフが警戒を解くと、影がリリィに歩み寄り、腕を掴んだ。

「やめて、放して!」
「大人しくしていたほうがいいぞ、女」

 リリィは抵抗したが、何の意味も無かった。

(誰か、助けて……助けて、アラン!)

 心の中で叫ぶ。しかしその願いが届くことは無かった。

   ◆◆◆

 次の日――

「アラン様、ラルフを見ませんでしたか?」

 教会で本を読んでいたアランは、ルイスから突然こう尋ねられた。

「ラルフ? いいえ、見ていませんが、何かあったのですか?」
「いえ、どうやら昨日、孤児院に帰ってこなかったみたいで……」

 瞬間、アランは嫌な予感を覚えた。アランがそれを言葉にするよりも早く、ルイスが口に出した。

「リリィも今日はまだ来ていないのです。何かあったのか心配で……」

 それを聞いたアランは読んでいた本を片付けもせず、外に飛び出していった。

   ◆◆◆


 アランが駆けつけた場所、それはリリィの家であった。
 荒々しく玄関を叩く。しばらくして、リリィの母、ソフィアが姿を見せた。

「ソフィア様! リリィは……」

 ソフィアの眉をひそめた顔に、アランは反射的に口を閉ざした。

「アラン、リリィが昨日から帰ってこないの……」

 ソフィアの痩せた手が、すがるようにアランの腕を掴む。
 悲しむソフィアを前に、アランは何も出来なかった。
 アランもまた絶望感に打ちひしがれていたからだ。

   ◆◆◆

 その後、アランはクラウスの手も借りてリリィの捜索に当たった。
 しかしリリィは見つからなかった。足取りを追うことすらできなかった。
 そして、悲しみに暮れたソフィアは寝込み、衰弱していった。
 もともと病弱なだけでは無い、ソフィアは肺を病んでいた。
 あっという間であった。心の病が体まで侵しているかのようであった。
 そしてある日、ソフィアは失意のまま帰らぬ人となった。

 最後の時、アランはソフィアの傍にいた。彼女は久しぶりに見せる明るい表情で、アランとこんな会話を交わしていた。

「ソフィア様、洗った衣服はここに置いておきますね」
「ありがとうアラン」

 アランは慣れた手つきで女物の服を折りたたみ、衣装棚にしまっていった。
 アランはソフィアの世話をしていた。アランはこれを全く苦に感じておらず、むしろ自分が積極的にやるべきことだと感じていた。

「まるで良い息子を持ったかのようだわ」

 そう言ってソフィアはアランに微笑みかけた。その顔はまるで死人の様に白く、痩せこけていたが、病的な美しさがあった。

「……水を取り替えてきます」

 その笑顔に何と返してよいかわからなかったアランは、適当な仕事を理由にごまかした。

「……ねえ、アラン」

 水差しを持って立ち去ろうとしていたアランは、その呼び止めに振り返った。

「……リリィとはもう会えないかもしれないけれど、せめて忘れないでいてあげてちょうだい」

 そう言ってソフィアは目を閉じた。
 風も無く、何も動かないその光景は時が止まったのかとアランに錯覚させた。

「……ソフィア様?」

 束の間、アランは何が起きたのかを理解した。

「ソフィア様!」

 ソフィアの目は再び開くことは無かった。眠る様な死に顔であった。

別れ

 そして今、アランは貧民街にある共同墓地に建てられた彼女の墓の前で立っていた。

『ソフィア ここに眠る』

 墓にはたったそれだけの言葉が刻まれていた。アランはソフィアとの最後の会話を思い出しながら、墓前に花を添えた。
 アランはソフィアを母と重ねていた。そして六つの時に母を失っているアランにとって、これは母との二度目の死別と言えるものであった。
 リリィの母が死んだ、今のアランにはそれがまるで自分のことのように悲しかった。

『せめて忘れないでいてあげてちょうだい』

 アランは心の中でソフィアの最後の言葉を繰り返しながら涙し、叫んでいた。

(忘れるわけがない。忘れられるはずがない)

 リリィと過ごした記憶、そして彼女とソフィアを失った痛み、それらは全てアランの心の一部なのだから。

   ◆◆◆

 その日の夜、アランは夢を見た。
 それはとても幸せな夢であった。
 自室のベッドで目を覚ましたアラン。目の前にはリリィの姿。その後ろにはソフィアの姿も見えた。

「やっと起きたの? 急がないとまた御義父様にどやされるわよ」

 アランはリリィに促されるまま、体をベッドから起こした。

「さあ早く服を着替えて。顔も洗わないと」

 アランはリリィと挨拶代わりの軽いキスを交わし、受け取った衣服に袖を通した。

「もう皆起きて仕事を始めているわよ。さあ早く」

 リリィはアランを急かしたが、それっきり、アランの足はまったく動かなくなった。

「何をしているのアラン、さあ早く」

 ああ、と生返事を返そうとしたが、アランの口は全く動かなかった。

「さあ早く」

 リリィは機械的に同じ台詞を繰り返した。
 何かがおかしい、アランはふとそう思った。
 それに気づいた途端、アランの目の前にある光景から現実感が消えうせていった。

 しまった、気付かなければ良かった、もう少しこの夢を見させてくれ。

 アランはそう願ったが、それは叶わなかった。
 景色はゆがみ、霞のようになったあと、アランの意識は再び闇に沈んだ。

 直後、アランはベッドの中で目を覚ました。
 辺りは真っ暗であり、深夜のようであった。
 アランは真っ暗な部屋の天井を呆然と眺めながら、失ったものの大きさを自覚し、静かに涙した。

   ◆◆◆

 一週間後、アランはルイスの教会を訪れた。
 アランは彼女との思い出を無意識に求めるようになっていた。
 リリィとの思い出の中で形として残っているものはたった一つだけ。戦争に行く前にお守りとして渡された五芒星の刺繍が入ったハンカチだけであった。
 この教会はリリィとの思い出の場所の一つである。そして今、アランは偉大なる大魔道士の歴史書を読み返していた。
 アランは本を読みながら、リリィと一緒に偉大なる大魔道士について語り合った時のことを回想していた。
 それはアランにとってとても心地良い記憶であった。
 そんなアランの傍には管理人であるルイスの姿があった。
 ルイスはアランが何故ここを訪れたのかを理解していた。直接本人から聞いたわけではないが、ルイスはアランとリリィの関係を知っていた。
 ルイスはアランの隣の席に腰掛け、話しかけた。

「その本がお気に召しましたか?」
「……ええ。リリィもこの本が好きだと言っていました」

 アランはルイスのほうに顔を向けず、本に目を落としたままそう答えた。
 ルイスはアランの口から彼女の名が出たことを切欠に、少し踏み込んだ話をすることにした。

「リリィ様のことは真に残念です。御辛いでしょう」

 これにアランは何も言わなかったが、ルイスはそのまま言葉を続けた。

「……古き大魔道士は晩年にこう言い残しています。『我が人生は失うことから始まった』と。彼は若かりし頃に家族を失い故郷を追われ、奴隷に身を堕としています」

 この滑り出しにアランは興味を持ったのか、ルイスのほうへ顔を向けた。

「ですが、彼は『あの経験がなければ今の自分はありえなかった』と言っており、次のように言葉を続けています。『失うことは悲しく、恐ろしい。だが本当に恐れるべきは、心が折れ何もできなくなることだ。大切なのはその試練から何を学び、何を考え、何を成すかだ』と」
「……大切なのは何を成すか、ですか」

 アランは強く印象に残ったその言葉を反芻した。

「アラン様、出過ぎたことを申すようですが、心を強くお持ちください。リリィが死んだと決まったわけではないでしょう。いつかまた、会える日が来るかもしれません」

 奇しくも、ルイスはクラウスと同じ言葉をアランに送った。

「……お気遣い感謝します」

 ルイスに礼を返したアランは本を棚に返そうとした。

「アラン様、その本はそのまま持って帰ってくださって結構です。あなたに差し上げましょう」
「よろしいのですか?」
「ええ。その本がアラン様の心の支えになれば幸いです」
「ルイス殿……ありがとうございます」

 ルイスの心遣いが今のアランにはとても嬉しかった。

   ◆◆◆

 その日の夜、アランは訓練場でクラウスから剣の稽古を受けた。
 アランがリリィを失って以来、クラウスは夜の訓練にも付き合ってくれるようになっていた。
 そして今日の訓練もじき終わりという時、クラウスは突然こんなことを言い出した。

「アラン様、今日はあなたにひとつ新しい『構え』を教えましょう」

 そう言ってクラウスは剣を左手に持ち替えた。そして顔はアランのほうに向けたまま体だけを真右に向け、左半身をアランに晒す真半身の体勢をとった。
 その体勢のまま、クラウスは剣を持つ左腕をアランに向けて真っ直ぐに伸ばした。左腕だけで片手突きを放ったかのような体勢だ。
 次に、クラウスは剣を地に対して水平に維持したまま、左腕を後ろに引き絞るように折り畳んだ。その力強さは対峙するアランからクラウスの背中が見えるほどに捻れた腰からうかがうことができた。
 左腕の二の腕はぴったりと胸に押し当てられ、曲げられた肘の先にある左拳は顔の傍に置かれていた。その姿はまるで顔から剣が伸びているように見えた。

「これが構え。次はここからの攻撃をお見せします」

 そう言ったクラウスはいくつかの攻撃の型を実際にやって見せた。
 この構えからの攻撃の基本は「突き」であり、全ての起点でもあった。突きからなぎ払いに繋げるというように。左腕を引き絞るように折り畳んでいるのは、速い突きを繰り出すためであった。
 突きの動作も独特であった。全身がほぼ同時に動く。すり足の助走を基本に、上半身の振り子動作でさらに勢いを乗せ、捻れた腰の力を使って腕を前に突き出す。
 その突きは凄まじい速さであった。折り畳まれた左腕は伸び縮みし、剣先はかすんで見えた。
 アランはこの構えは突きに特化したものであると理解した。

「すさまじい速さだ。……でも、この構えだと盾が使えなくなるな。今の俺では実戦でこの構えを使いこなすことはできないと思う。しかし、どうしてこの構えを俺に?」

 今のアランでは魔法使い相手にこの構えは使えない、それはクラウスも同じ考えであった。

「この構えを使っていた者は隻腕だったからです」

クラウスの師匠3

 クラウスのこの答えは、アランの問いに対してはっきりとした回答にはなっていなかった。この構えを使っていた者と今のアランに共通点があるというだけであった。

 アランはクラウスが自分に何を伝えたいのかなんとなくわかっていた。恐らくこの構えを自分に教えるということに本質があるわけではなく、クラウスはこの構えの使い手のことを知ってもらいたいだけなのであり、その者はクラウスにとって特別な人間なのであろうと、アランは思った。

 アランのこの考えは当たっていた。クラウスはその者のことを話し始めた。

「私は彼に剣の教えを受けていたことがあります。……とにかく強かった。私はその人に勝ったことは一度もありませんでした」

 クラウスはアランから視線を外し、少し遠い目をしながら語り続けた。

「彼の突きはひたすらに速かった。三度の剣戟が一つの音に聞こえるほどに」

 信じられない話だが、クラウスが言っているからきっと本当のことなのだろう。

「ですが……アラン様の言うとおり、彼は剣士としては強かったのですが、魔法使い相手には歯が立ちませんでした」

 隻腕の剣だけで魔法使いの攻撃をさばき続けるのは無理である。悲しいがそれが現実であった。

 クラウスはこの日以降、彼の話をすることは無くなった。
 しかし、彼が使っていたその構えは、アランにしっかりと受け継がれていた。
 何かに特化したもの、究極を目指したものは何であれ独特の美を備えるものである。この構えもそうであった。アランはこの構えに無意識のうちに惹かれていた。

 クラウスは何かを支えに心を強く持てと言った。そしてルイスは試練から学び、考え、事を成せと言った。
 その何かはアランの中に既に生まれつつあった。それは「希望」であった。
 アランの抱いている「希望」、リリィにまた会えるかもしれない、剣の道はまだ終わったわけではない、これらの考えに根拠は全く無かった。しかしそれで良いのかもしれない。心が潰されるよりはよっぽどマシであろう。

 アランがこの「希望」を糧に何を成すのか、それはまだわからない。しかしそれはきっと善く美しいものなのであろう。

   ◆◆◆

 その頃、連れ去られたラルフはある場所に到着していた。
 そこは大陸の北端にある教会であった。魔法信仰を司っている教会で、祭壇には「神の子」と称される「偉大なる大魔道士」の石像が飾られていた。

偉大なる大魔道士イメージ

 そこで、ある人物がラルフ達を待っていた。
 赤毛の男はその者の前で跪き、口を開いた。

「ヨハン様、ただいま戻りました」

 それはヨハンであった。

「無事に連れて来たようだな。ご苦労だった」

 赤毛の男はこれに礼を返した後、報告を行った。

「任務は無事に終えることができましたが、ここに来る途中で何者かの襲撃を受けました」
「襲撃されただと? 相手の正体はわからなかったのか?」
「申し訳ありません。逃げ足が速く、誰一人賊を捕らえることはできませんでした」
「無事にここまでこられたのだから構わぬ」

 ヨハンはラルフの方に向き直り、口を開いた。

「探したよラルフ君。あまり手を焼かせないでくれ」
「リリィさんはどうした! どこにツレテいった!」

 リリィとはここに来る途中で別れさせられていた。

「リリィ? ああ、女のことか。それなら心配しなくていい。安全なところで保護している」

 これは嘘であった。

「ところでラルフ君、ここに来てくれたということは、我々の仲間になってくれるということだね?」

 この言葉にラルフは強い嫌悪を表した。

「フザけるな! オマエたちがなにをシタとおもっている!? オマエたちのせいで、ワタシのハハはシンデしまったんだぞ!」
「それは我々も済まなかったと思っているし、悲しいことだと思っている。しかしラルフ君……こういう言い方はしたくないが、今の世においては、弱いことは罪なのだよ」

 そう言うヨハンの顔は全く悲しそうでは無かった。

「そして、君は強い。恐ろしいほどに。だが、殺そうと思えばいつでも出来た。毒を使う、寝込みを襲う、一人であれば手段はいくらでもある。どんな強い魔法使いであっても、誰にも守られていないのであれば全く脅威では無いからね」

 ヨハンが言った通り、どんなに強い魔法使いであってもたった一人なのであれば脅威では無い。「暗殺」という手段があるからだ。強者が強者として振舞えるのは、多くの護衛達に常に守られているからなのである。
 そして、ヨハンは余裕そうな顔で言葉を続けた。

「ラルフ君、私の味方になってくれるのであれば、私は富、名誉、全てを君に与えよう。だがもし、あくまでも逆らい、敵になるというのであれば、我々は君を始末しなくてはならなくなる」

 ヨハンは生きたいのであれば、選ぶ道は一つしか無いとラルフを脅していた。
 これは嘘である。選択肢は他にもある。一つしか無いと思い込ませようとしているだけなのだ。
 ラルフには他の道もあった。ラルフが逃げ込んだ先がルイスの教会で無ければ、自身が強い魔法使いであるということを隠していなければ、こんなことにはならなかっただろう。そして、やろうと思えば今からでも道を変えることは出来るだろう。
 だがこの時既に、ラルフの心はヨハンの言葉に惑わされていた。
 そして、ヨハンは背後にある彫像の方に向き直りながら、最後にこう言った。

「私のもとに来なさいラルフ君。そうすれば君は王に、いや、この『偉大なる大魔道士』を超えることすら出来るだろう」

   第十話 野望の鍵 に続く
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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

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稲田 新太郎

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