シヴァリー 第二十一話

   ◆◆◆

  復讐者

   ◆◆◆

 アンナがクリスの城を離れてから一週間後のこと――

 城は突如鳴り響いた警鐘に騒然となった。

「敵襲か!」

 自室で昼食の準備をしていたアランは、台所の火を消し、素早く戦装束に袖を通した。
 ドアを叩き開け、勢いよく外に飛び出すと、そこには槍斧と大盾を携えたディーノがいた。

「城に急ごう! 味方と合流しないと!」

 ディーノは頷きを返しながら声を上げた。

「ああ! しかし、お前の妹さんがいなくなった途端これかよ!」

 ディーノが口を開くと同時に二人は駆け出した。

 しかし勇んで戦いに赴いたものの、戦闘自体は非常にあっさりと終わった。派手なぶつかりにはならず、遠くから飛び道具を撃ち合っただけで、双方共に大した被害は出なかった。

 そんな戦いの帰り道、ディーノはアランに声を掛けた。

「どうもすっきりしねえな。なあアラン、お前はどう思う?」
「俺もそう思うよ。アンナが近くにいるかもしれないと警戒しているのかもしれないが、最近の敵の動きはどうもそれだけじゃ無い気がする」
「やっぱりお前もそう思ってたか。不気味だよなあ……」

 結局、二人はもやもやした気持ちを抱えたまま兵舎へと戻ったのであった。

 二人の嫌な予感は当たっていた。敵はこちらの戦力を探りつつ、ある増援の到着を待っていたのであった。
 
   ◆◆◆

 一ヵ月後、敵襲の報せを受けたアラン達は再び出陣した。

「今回は様子を見に来ただけじゃなさそうだな」

 敵の布陣を見たディーノはそう呟いた。そしてそれは傍にいたアランも同意見であった。

「数が多い。しかも投石器まで持ってきている。今回は戦うつもりみたいだな」

 アランは額に手を当てて遠くを眺めながら言葉を続けた。

「敵の配置は……中央に構える総大将はいつもどおりジェイクのようだが、リックの姿は今回も見当たらないな」
「それも気になるんだが、アラン、右のほうにいる馬に乗った奴を見てみろよ」

 アランは言われたとおり、そちらに視線を移した。
 その馬に乗った男の姿を見たアランは驚きに目を見開いた。
 最初に目を引いたのはその男の体格の良さであった。服の上からでもわかる並ならぬ筋肉量、ディーノと良い勝負なのではないか、アランはそう思った。

 しかし、なによりもアランを驚かせたのは――

「あいつ、ディーノと同じ武器を持っているのか?!」

 その男が持っている武器は、紛れも無く槍斧であった。

「こんな重てえものを伊達や酔狂で使おうって奴はそういねえだろう。注意しておいたほうがいいだろうな」

 ディーノはその男と「目を合わせながら」そう言った。

(……じっとこっちを睨んでやがる。相当俺に御執心なようだな。まあ、俺を恨んでるやつなんて数えきれないほどいるだろうし、気にしてもしょうがねえか)

 ディーノはそう思いながら、無意識のうちに槍斧を持つ手に力を込めた。

 そしてそれは、ディーノを見つめる男、バージルも同じであった。

「ようやく会えたなディーノ。我が家の汚名、その命でそそがせてもらう」

 バージルがそう呟いた直後、場に全軍前進の合図が鳴り響いた。
 バージルは槍斧を握るその手に力を込めたまま、馬を前に進ませていった。

   ◆◆◆

 近づいてくる敵軍を前に、ハンスが口を開いた。

「動き始めましたぞ。クリス様、どう戦います?」

 答えは決まっていたらしく、クリスは即答した。

「最優先は敵投石器の破壊だ。せっかく修復した城をまた壊させるわけにはいかないからな」

 期待通りの答えに満足したのか、ハンスは力強い眼差しと頷きをクリスに返した後、視線を移した。

「兵士達に作らせたアレが早速役に立ちそうですな」

 ハンスの視線の先、城壁の上には、敵のものとほぼ同じ投石器が何台も設置されていた。
 クリスはハンスと同じように視線を城壁の上に移した後、口を開いた。

「高さという利がある以上、投石器の射程ではこちらが上。数もこちらのほうが多い。単純な石の撃ち合いでは圧倒的有利なはずだ。だが……」

 クリスは敵の方に向き直り、言葉を続けた。

「敵の投石器を破壊したからといって、すぐに城に逃げ込むことはできん。敵の兵数は多く、大将のジェイクは単騎で城門を破る力を持っている。城に逃げ込む前に、ある程度敵の戦力を削っておく必要がある」

 クリスは一息分間を置いた後、再び口を開いた。

「基本的な方針は防御だ。投石器の援護を受けながら時間を稼ぎ、敵の消耗を待つ」

 クリスはマントを翻しながら振り向き、兵士達に向かって声を上げた。

「全軍、防御の陣を敷け!」

   ◆◆◆

 号令に従い、アラン達が隊形の変更を完了する頃には、双方の距離は弓が届くくらいまでに縮まっていた。
 そして直後、敵の騎兵、バージルが馬に活を入れ、突撃を開始した。
 真っ直ぐ向かってくるその姿に、アランは思わず声を上げた。

「突っ込んでくるぞ!」

 アランは兵士達に迎撃の指示を出そうとしたが、それよりも早くクラウスが声を上げた。

「馬を狙え! 落馬させるのだ!」

 クラウスの声に反応した兵士達は、バージルの乗る馬を狙って一斉に光弾を放った。
 大量の光弾が一斉にバージルに迫る。だが、この数の攻撃を前にして、バージルは避ける素振りも見せなかった。
 大量の光弾が着弾する。その凄まじさは、バージルの姿が閃光と土煙で見えなくなるほどであった。
 だが次の瞬間、バージルは閃光と土煙の中から颯爽と姿を現した。より強く眩しい光を前面に構えて。
 それは異常な規模の防御魔法であった。馬の前面をすっぽりと覆い、騎乗者であるバージルの姿が全く見えなくなるほどの厚みを持った光の壁であった。
 正面からの攻撃は無駄だ。同じものを過去に見たことがあるがゆえにそれを知っているアランは咄嗟に声を上げた。

「避けろ!」

 兵士達は撃ち方をやめ、回避行動を取った。
 だが、反応が遅れた一部の兵士達は間に合わなかった。
 光の壁が人を轢く音と、悲鳴が戦場にこだまする。
 バージルは光の壁を展開したままアランの部隊を横断した。アランの部隊の後方に抜けたバージルはそのまま大きく距離を取り、その場に停止した。
 その防御魔法を見たディーノは、バージルが自分のことを睨み付けていた理由を悟った。

(いつぞやの硬い壁を張るやつか! あいつは俺が殺したやつの兄弟かなんかか?)

 ディーノはバージルの前に躍り出て、声を上げた。

「お前の狙いは俺だろうが! さっさとかかってきやがれ!」

 この申し出はバージルにとっても望むところであった。バージルは光の壁を展開しながらディーノに向かって突撃した。
 眩い壁がディーノに迫る。ディーノはこれをぎりぎりまで引き付けてから、真右に回避行動を取った。
 ディーノはバージルが槍斧を握っていない左手側に逃げ込んだのだが、バージルはこれを読んでいた。回避行動を取ったディーノの前には、地に水平に構えられたバージルの槍斧が待ち受けていた。
 胴を真っ二つにせんと迫るその刃に対し、ディーノは自身の槍斧を振り上げた。
 甲高い金属の衝突音が戦場に響き渡る。ディーノの放った一撃はバージルの槍斧を真上に跳ね上げた。
 だが、そのぶつかりあいはディーノが一方的に打ち勝ったというわけではなかった。ディーノはその手に伝わった反動の大きさに体勢を崩し、仰向けに倒れた。
 さすがのディーノであっても、馬の勢いを乗せた一撃を一方的に跳ね返すことは不可能であった。
 だが、幸いなことに追撃は無かった。ディーノの隣を駆け抜けたバージルは、その勢いのまま再びアランの部隊に突っ込み、蹂躙していった。
 後方から響く味方の悲鳴に、ディーノは飛び上がるように立ち上がった。
 素早く体勢を整える。その時、ディーノは槍斧を持つ自身の手が痺れていることに気が付いた。

(自分の武器がこれほど恐ろしいもんだとは、考えもしなかったぜ)

 ディーノは槍斧を握りなおしつつ、バージルの方に視線を移した。

(とりあえず奴を馬から引きずり降ろさねえことにはどうしようもねえな)

 ディーノはその場で身構え、バージルが再び突撃してくるのを待った。
 バージルがアランの部隊の中から再び姿を現す。直後、ディーノはバージルに向かって突撃を開始した。
 走り込んだところで馬の勢いに敵うはずが無い。それはディーノも承知で、狙いは別にあった。
 ディーノは先と同様にバージルの左手側に回り込んだ。バージルもまた同じように胴を狙った一撃でディーノを迎え撃った。
 しかしこの後が違っていた。ディーノは左手側に回りこむと同時に、進行方向に足を伸ばし、地面に滑り込んだ。
 その姿勢の低さはバージルの攻撃を回避するのに十分であった。そしてディーノは地面の上を滑りながら、バージルの乗る馬の後ろ足を槍斧でなぎ払った。
 場に響く馬の悲鳴。地面を削る音と土煙を上げながら、バージルは派手に転倒した。

「奴が落馬したぞ! 取り囲め!」

 好機、そう思ったアランは声を上げた。そしてそれは周りの者達も同じであった。兵士達はアランが叫ぶよりも早く雄叫びを上げながら走り出していた。
 部隊の意思は統一されていた。アラン達はバージルの背後を突くことを狙っていた。かつてダグラスと戦った時のように。
 そして、バージルを取り囲んだ兵士達は一斉に光弾を発射した。
 全方位から同時に迫る光弾、それは防御も回避も不可能であるかのように見えた。
 これに対しバージルは手に持っていた槍斧を地面に突き立てた。
 何の意味も無いように見える行為であったが、そうでは無かった。これは両手を自由にするための行動であった。
 そしてバージルは姿勢を低くしつつ、両手を左右に広げた。
 直後、バージルの両手が眩しく輝いた。兵士達が放った光弾がバージルに着弾したのと、バージルの体が光に包まれたのはほとんど同時であった。
 すさまじい数の炸裂音が場に響く。しかしバージルを包み込んだ「光の球体」は揺るぎすらしなかった。
 これにアランは驚いた。バージルは二枚の光の壁を同時に展開することで全方位を防御している。これではほとんど無敵ではないか、アランはそう感じた。
 しかし、バージルはその状態を維持しなかった。二枚の光の壁はすぐにしぼむように消え去った。
 バージルは防御を解除したが、アランの兵士達はすぐに次の攻撃を仕掛けようとはしなかった。ジェイクが見せた完璧とも言える防御が、兵士達の心を萎縮させていた。
 そこへ、ある者が叱咤の声を飛ばした。

「攻撃の手を休めるな! あのような防御を長時間維持できるはずがない! 奴がすぐに防御魔法を解除したのがその証拠だ!」

 声の主、クラウスはそう声を上げながら光弾を放った。
 周りの兵士達もそれに続き次弾を放とうとしたが、それよりもバージルが動き出すほうが早かった。
 バージルは数が手薄なところに向かって突っ込み、槍斧を一閃した。
 兵士達はこれを防御魔法と大盾で受けたが、それは意味を成さなかった。バージルの放った一撃は兵士達の防御を突破し、数人を同時になぎ払った。

「近づかせるな! 距離を取れ!」

 それを見たアランはそう声を上げた。だがバージルは自分と対峙した相手がそういう行動に出ることなど百も承知だった。
 バージルは姿勢を低くしながら足に力を込め、後退する兵士達に向かって突進した。
 その速度は彼の巨体からは想像できないほどのものであった。一瞬で距離を詰めたバージルは先と同じように槍斧を一閃した。

(踏み込みの速さまでディーノと良い勝負なのか!)

 まるでディーノが敵になったかのようだ、アランだけで無く、その場にいた全員がそう感じていた。
 どう戦うべきか。アランはディーノとの戦いを想像しつつ、声を上げた。

「……奴の一撃は並の防御では防げない! 防御よりも相手の足を止めることを優先しろ!」

 アランは大きく手を振りながら言葉を続けた。

「大盾兵達は一旦後退しろ! 魔法使い達は距離を取りつつ攻撃し、大盾兵の後退を援護するんだ!」

 兵士達はアランの指示にすぐさま反応した。蜘蛛の子を散らすようにバージルから離れつつ、引き撃ちを開始した。
 対し、バージルはこれを無理に追おうとはしなかった。バージルは兵士達の光弾を防御魔法で受け、時に避けた。

 強力な防御魔法を有するバージルが、光弾をわざわざ避けているのには理由があった。
 彼は魔力の充填が遅いという弱点を抱えていた。姉兄と比べると光の壁の持続力も短い。敵の攻撃を全て光の壁で受けないのは、あえてそうしないのでは無く、できないからであった。

 バージルはアラン達の攻撃を凌ぎながら、ある時を待っていた。それは魔力の回復であった。
 そして、自身の体に十分な魔力が溜まったのを感じたバージルは、兵士が密集しているところに向かって突進した。

「こっちに来るぞ!」

 その声はアランのものであった。その兵士の集団の中にはアランの姿があった。
 アラン達は向かってくるバージルを飛び道具で迎撃した。
 その弾幕は量、密度共に十分であった。回避はもちろん、並の防御魔法では防ぐことはできないだろう。
 しかし、この時のバージルの狙いは槍斧による一撃では無かった。
 バージルは迫る光弾をぎりぎりまで引き付けてから左手を前に突き出した。
 直後、バージルの左手が眩しく輝き、彼の目の前に光の壁が生まれた。
 大量の光弾が光の壁に着弾する。
 やはり光の壁を崩れない。バージルは光の壁を展開したまま突進し、アランの前に並ぶ大盾兵達に突っ込んだ。
 金属板に重いものがぶつかった音と、兵士達の悲鳴が場に響き渡る。ダグラスの時と同じであった。大盾兵でもこの突進の前では壁になりえないのだ。
 バージルはそのまま駆け抜けていくかと思われたが、そうでは無かった。バージルは前列の大盾兵達を吹き飛ばした直後、光の壁を解除した。
 そして、対峙するアランの眼には、「背中を見せている」バージルの姿が映った。
 バージルの両足は完全にアランとは逆の方向を向いており、その腰はねじれていた。
 回転の勢いを乗せた槍斧の一撃が来る。バージルの攻撃を読んだアランは、光る剣を構えた。
 この時、アランは迷った。敵の攻撃は光弾では無い。重い金属の刃をこの細い光の剣で受けられるのだろうか? アランの本能は警告を発していた。
 迷ったアランは一歩下がった。これは直感的な行動であった。
 そして、バージルはアランの読み通りの攻撃を放った。
 反時計回りの回転攻撃、重く低い唸り声のような音を発しながら迫るバージルの槍斧を、アランは単純に距離を取ることで回避した。
 しかしバージルの攻撃はそれで終わりでは無かった。バージルはそのまま回転を続け、勢いをさらに増した二撃目を放った。
 先と同じ軌道の単調な攻撃である。しかしそれは速かった。
 軌道上にいる兵士達が次々と切り飛ばされていく。そして、その刃が進む先にはアランもいた。
 後退では回避が間に合わない。そう直感したアランは刀を握る手に力を込めた。
 バージルの攻撃は速かったが、見切ることは難しくなかった。アランは光弾を捌く時と同じ要領でバージルの一撃を受けた。
 バージルの槍斧はアランの刀の上を滑り、そのまま流れていった。
 受け流すことはできた。が、アランは刀から伝わった衝撃に、体勢を崩した。
 そして、アランの光の剣はバージルの槍斧の軌道を僅かにそらしただけにとどまり、バージルの態勢を崩すまでには至らなかった。
 バージルの攻撃はまだ止まらなかった。回転の勢いは弱まっていたが、次の一撃もアランの体を両断するのに十分な威力を備えていた。
 バージルの槍斧が再びアランに迫る。しかし、アランはまだ態勢を立て直せておらず、腰を上げている途中であった。
 間に合わない。避けることは不可能だ。アランは中腰のような姿勢のまま、攻撃が来る方向に刀を向けた。
 次の瞬間、アランの手に先と同等の衝撃が伝わった。
 同時に、アランの額に鋭い痛みが走る。
 その痛みと衝撃にアランの上半身がのけ反る。アランは斬られた額から血を散らしながら、数歩後ずさった。
 額から流れる血がアランの目を覆う。
 真っ赤に染まりぼやける視界。そこに、右手側から迫る影のようなものが映りこんだ。
 アランはその影に向かって反射的に刀を構えた。
 影と刀身がぶつかり合う。すると、先と同じような衝撃がアランの手から体に走った。

(今のは敵が放った水平斬り? よく見えなかった)

 衝撃はアランの頭を激しく揺らした。脳裏に稲妻のようなものが走り、視界は激しく明滅した。
 赤と白に激しく点滅する世界。そんな中、アランの意識はぼやけていった。

   ◆◆◆

 赤と白の点滅が終わると、後にはただ暗黒の世界が広がっていた。
 不思議な感覚だった。ふわふわとしていて現実感が無い。
 似たような感覚を以前にも味わったことがある。リックと戦った時だ。違うのは視界が効いていないということだろうか。
 自分の体勢がどうなっているのかよく分からない。立っているのか? 多分立っている。体に感じるおぼろげな感覚からそう思える。
 相手との距離感がよく掴めない。でも攻撃が来る。それが分かる。
 それはすぐに来る。左上から肩に入って、右脇腹に抜ける袈裟斬りだ。
 体を左斜めに傾けつつそれを受け流したら、相手はすぐに刃を返して、今度は逆水平。
 身を低くしてそれを凌ぐ。体勢を崩されるが、これはどうしようもない。
 そこに渾身の一撃が来る。真上に振り上げた大上段からの頭を狙った一撃。
 この時が反撃の好機。こちらの体勢はまだ安定していないが、体を横に反らしながら前に踏み込むことはできる。後は倒れこむように刀を突き出せばいい。
 届くならば絶対に入る。広がる闇の中でアランには奇妙な確信があった。

   ◆◆◆

 バージルは槍斧を大きく上段に構え、目の前にいるアランを見据えた。
 袈裟斬りと逆水平を受け流されたことには驚いたが、相手はもう限界だ。その足は酔っ払いのようにふらついている。
 バージルは必殺の確信を持って槍斧を振り下ろした。

 だが、その一撃は空を切った。
 避けた、というようには見えなかった。アランは足をもつれさせて、斜め前に倒れこんだだけのように見えた。
 直後、バージルの右肩に激痛が走った。

「ぐっ!」

 バージルの左肩はアランの刀に貫かれていた。
 そしてこの時、既にアランの意識は回復しており、その顔は絶望に染まっていた。

(外した!)

 胸を狙ったつもりだった。肩では致命傷にならない。
 アランの刀がバージルの肩から引き抜かれる。そして、アランの体はそのままうつ伏せに倒れこんだ。
 万事休す。死を覚悟したアランに、バージルの追撃が放たれる。
 しかし次の瞬間、場に響いたのは肉を引き裂く音では無く、甲高い金属音であった。
 バージルの槍斧が真上に跳ね上がる。こんなことができる人間は一人しかいない。

「大丈夫かアラン! こいつの相手は俺に任せろ!」

 その男、ディーノはそう声を上げながらアランとバージルの間に割って入った。
 対するバージルは目標を切り替え、跳ね上げられた槍斧をディーノに向かって振り下ろした。
 上から迫るバージルの槍斧、対するディーノは頭の上に円を描くような一撃でこれを迎え撃った。
 場に再び重い金属の衝突音が鳴り響く。ディーノの放った一撃はバージルの槍斧を再び叩き払った。
 だが、ディーノはその衝撃に僅かに膝を折った。
 バージルは両手で槍斧を扱っているのに対し、ディーノは片手持ちである。武器が同じで、腕力に決定的な差が無い以上、バージルに分があるのは当然であった。

(片手じゃきついか……しょうがねえ)

 ディーノはやむなく左手に持っていた丸型の大盾を投げ捨てた。
 盾を手放すことに抵抗はあった。しかしこの時のディーノには、今はこうすべきだという確信があった。
 バージルはディーノが盾を手放したその隙を突き、槍斧を一閃した。
 ディーノは後ろに小さく跳躍して攻撃を回避しつつ、両手で槍斧を握り締めた。
 そして、ディーノが反撃の一撃を放ったのと、バージルが追撃を放ったのは完全に同時であった。
 ディーノが放ったのは斜め下に振り下ろす袈裟切り、対するバージルが放ったのは真横に振りぬく水平切りであった。
 両者の攻撃は激しくぶつかりあい、衝突点で火花が散った。
 しかし今度の結果は先とは逆であった。膝を折ったのはバージルの方であった。

「っ!」

 バージルの顔に驚愕の表情が浮かぶ。バージルは素早く体勢を立て直したが、ディーノは既に次の攻撃態勢に入っていた。
 ディーノが腰をひねり、力を込める。これを見たバージルは鋭く後方に飛んだ。
 だが双方の距離は離れなかった。ディーノは腰を捻ったままバージルに向かって素早く踏み込んだからだ。
 そして、それはただ間合いを詰めるだけの前進では無かった。ディーノは肩を突き出し、バージルの胸に体当たりをぶちかました。

「……っ!」

 バージルの肺から空気が押し出される。それは声にならない悲鳴となって口から漏れた。
 防御、いや、反撃しなくては――バージルは胸に鈍い痛みを覚えつつも、槍斧を持つ右腕に力を込めた。
 しかし、右腕は主の命令に従わなかった。その手は力無く、槍斧を振るうことは無理であると訴えていた。
 右手が駄目ならば――バージルは左手に魔力を込めた。
 光の壁を使ってからまださほど時間が経っていない。ディーノの一撃を防ぐのに十分な防御魔法を展開できるか? そんな疑問が頭に浮かんだが、バージルはそれを無視した。
 ディーノが腰に溜めた力を解放する。放たれたのは胸を狙った一撃。地に水平に迫るその刃に向かって、バージルは左手を振り上げるように突き出した。
 直後、バージルの左手は眩しく輝いた。生まれた光の壁はディーノの槍斧を弾き返し、真上に跳ね上げた。
 なんという幸運! 寸でのところであった。魔力の充填があと数瞬遅ければ、自分の体は真っ二つにされていたであろう。
 そして、この幸運はまだ続いていることをバージルは知っていた。
 バージルは見ていた。槍斧を弾き返されたディーノが大きく体勢を崩したのを。
 まさに絶好の機。バージルは素早く光の壁を解除し、反撃に出た。
 槍斧を握る右腕に力を込める。右腕は主の期待に応え、その手に十分すぎるほどの力強さを発揮した。
 バージルは地に寝ていた斧頭を引きずり、そのまま力任せに振り上げた。
 下から迫る攻撃、ディーノの槍斧はそれを持つ両手ごと真上に跳ね上げられている。防ぐ手段など無い!

 そう、無いはずだった。

「!」

 次の瞬間、バージルは再び驚愕の表情を浮かべていた。
 バージルは一瞬何が起きたのか分からなかった。
 バージルの放った一撃は真横に弾かれていた。
 弾かれた? 何に? バージルは自身の槍斧の軌道を逸らしたものを目で追った。

(足?!)

 それはディーノの右足であった。ディーノは下から迫るバージルの斧頭を、右足で真横に蹴り飛ばしていた。
 あまりにも常識外れな防御に見えた。だが、ディーノにとってはそうでは無かった。
 ディーノはある者の真似をしただけであった。何度も戦い苦しめられた、足で魔法を使うあの男の真似を。

(……その機転、悔しいが見事だと言わざるを得ない)

 あまりのことに肝を抜かれたバージルは、その常識外れの行動に賞賛を送りながら飛び下がった。
 双方の距離が離れ、仕切り直しとなる。
 両者はしばし睨み合った。ディーノは光の壁を警戒し、バージルはディーノの未知数な戦闘技術を警戒していた。
 場は膠着状態に陥るかのように見えたが、この状況への一石はすぐに投じられた。

「!」

 バージルは突如自身に向かって飛んできた攻撃を防御魔法で受け止めた。
 それはアランが放った「炎の鞭」であった。

「ディーノを援護しろ!」

 アランの声に続き、クラウスや周りにいた兵士達は次々とバージルに対して攻撃を開始した。
 バージルはアラン達の攻撃を防御魔法で防いだが、それによって光の壁を発動するための魔力充填が遅くなった。
 これを好機と見たディーノは槍斧を肩に担ぎ、腰を深く捻りつつ、鋭く息を吸い込んだ。
 対するバージルから見て、背が覗けるほどに腰を捻った姿勢。強力な一撃が来る、それを察したバージルは思わず後退りをした。
 そこへディーノが鋭く踏み込む。バージルも同じように大きく後ろに飛び退いたが、ディーノの踏み込みの速さはそれを逃がさなかった。
 迫るディーノを前に、バージルは咄嗟に防御の姿勢を取った。槍斧の柄を盾に見立て、予想される攻撃の軌跡上に構えた。
 そしてバージルを間合いに捕らえたディーノは体に込めた力を解放した。
 踏み込みの速度、腰の捻りから生まれる回転力、それら全てを腕に伝え、槍斧を振るった。
 その一撃の軌道はバージルが予想した通りの単純なものであったが、その速さは尋常では無かった。

「!」

 バージルの目には一瞬影のようなものが走ったようにしか見えなかった。
 凄まじい衝撃がバージルの手から体に伝わる。その衝撃にバージルの槍斧は若干折れ曲がり、弾き飛んだ。
 そして飛ばされたのは槍斧だけでは無かった。バージル自身の体も後方に吹き飛んでいた。
 碌な受身を取ることもできないまま背中から地に落ちる。痛みと共に肺の空気が外に押し出された。
 たまらずむせ返る。バージルはその苦しみを意志の力でねじ伏せ、すぐに上半身を起こした。
 瞬間、バージルは自身の右腹に走った激痛に身を強張らせた。ディーノの放った一撃はバージルの槍斧を吹き飛ばしただけでなく、彼の右腹も切り裂いていた。
 傷口に手を当てて状態を確認する。血がどろどろと流れ出る感覚。内臓にまでは達していないようであったが、肋骨が何本かやられているようであった。
 もし槍斧を盾にしていなければ、今頃バージルの体は二つにされていたであろう。だが、ディーノの攻撃はまだ終わってはいなかった。
 倒れたままのバージルにディーノの槍斧が再び迫る。バージルは咄嗟に残った魔力で防御魔法を展開したが、これはただの悪あがきであった。
 ディーノの脳裏に勝利の二文字が浮かぶ。だがその直後、どこからか飛んできた光弾がディーノの右肩に炸裂した。

「っ!」

 右肩が砕ける感覚。その痛みと衝撃はディーノの体勢を崩すのに十分であった。
 うずくまるディーノ。その隙にバージルは立ち上がり、場を離れた。
 ディーノを襲った光弾はジェイクが放ったものであった。
 右肩を押さえてうずくまるディーノに追撃の光弾が次々と襲い掛かる。
 この窮地を救ったのはアランであった。ディーノを庇う様に前に立ったアランは、飛来してきたジェイクの光弾を光の剣で全て切り払った。

「大丈夫か、ディーノ!」
「左腕は問題ねえ! まだ戦える!」

 そう言ってディーノは槍斧を左肩に担ぎながら力強く立ち上がった。

「アラン様、ジェイク達がこちらに向かってきておりますぞ!」

 アランを追いかけてきたクラウスがジェイクの方を指差しながら声を上げる。
 その直後、ジェイクの部隊から合図の音が鳴り響いた。
 ジェイクの部隊の前に大盾兵達が並ぶ。以前アランと戦った時のように、大盾兵を突っ込ませた後、乱戦に持ち込むつもりなのであろう。
 しかし今回は少し違っていた。その大盾兵達の中に、若干折れ曲がった槍斧を構えるバージルの姿があった。
 ディーノに切り裂かれた脇腹には布が巻かれていたが、それは既に真っ赤に染まっていた。
 その顔は当然のように苦痛で歪んでいたが、執念が彼を突き動かしていた。

「来るぞ!」

 アランが警告の声を発した直後、その大盾兵達とバージルは突撃を開始した。
 大盾兵とアランの部隊は激しくぶつかりあった。両軍が押し合う中、バージルは光の壁でアラン隊の前列を吹き飛ばし、そのまま槍斧を振るいながら切り込んだ。
 バージルが振るう槍斧は次々とアランの兵士達を打ち倒していった。
 勢いづいたバージルが再び槍斧を振るう。目の前にいた兵士は死を覚悟したが、その一撃は同じ槍斧によって阻まれた。
 バージルの一撃を弾き返したのはやはりディーノであった。ディーノは兵士を庇う様に前に立った。
 対峙した両者は同時に動いた。互いの槍斧はぶつかり合い、弾きあった。両者はすばやく構えを整え次撃を繰り出した。
 重量武器がぶつかり合う音が何度も響き渡る。その度に火花が周囲に飛び散った。
 この戦いはバージルに分があった。ディーノは片手持ちで、しかもその手は利き腕ではないのだ。ディーノの攻撃は精彩を欠いていた。
 ゆえにバージルは自慢の光の壁を防御では無く攻撃に使う余裕があった。バージルの体には十分な魔力が充填されつつあった。
 アラン達は光の壁の発動を阻止するべく、バージルに対し飛び道具を放っていた。しかし、アラン達の攻撃はジェイクの大盾兵と魔法使いによって阻止されていた。
 そして二十合目ほどになる打ち合いの後、十分な魔力が蓄えられたのを感じたバージルは遂に勝負に出た。

(勝機! 我が最大の一撃、その身に受けよ!)

 左腕に魔力を込めつつ脇の下に引き絞る。

「!」

 やばい一撃が来る、バージルの構えから危険を察知したディーノは、後ろに飛ぶように地を蹴った。
 同時に、バージルも大きく前に踏み込む。
 左手が眩しく発光する。その輝きが頂点に達したと同時に、バージルはディーノの腹を狙って掌底を放つように左手を前に突き出した。
 そして生まれる光の壁。踏み込みと腕の勢いを乗せた最大出力の一撃、直撃すれば間違いなく即死の威力。
 光の壁が飛び下がるディーノの眼前まで迫る。

 そして、光の壁はディーノの胸に触れ――

 ――まさに紙一重。光の壁は触れるか触れないかのところで止まった。

(避けられた!?)

 バージルの心に焦りの色が浮かぶ。だが、本能と兄ダグラスの記憶が彼に機転を与えた。
 地に食い込むようにつま先に力を込める。
 そして、バージルは光の壁を展開したまま飛び下がるディーノに向かって突進した。

(やべえ!)

 ディーノは慌てて真横に飛んだ。
 だがこの回避行動は間に合わなかった。直撃は避けたものの、光の壁は足に触れ、ディーノの体は弾き飛ばされた。
 ディーノはすぐに体勢を立て直したが、その時既にバージルはディーノの目の前に迫って来ていた。
 ディーノの瞳に、槍斧を上段に構えたバージルの姿が映り込む。
 直後、バージルはディーノに向かって槍斧を振り下ろした。対するディーノは中空に円を描くように槍斧を振り回し、この一撃を迎撃した。
 しかしバージルの狙いはディーノに槍斧を振らせることであった。槍斧を振り切ったディーノの正面はがら空きになっていた。

(もらったぞ!)

 バージルはその隙を突いて踏み込み、先と同じ動作で光の壁を放った。
 だが、バージルの左手から生まれた光の壁は、先のものと比べるとかなり小さいものだった。
 小さな光の壁がディーノに炸裂する。鈍く重い音と共に、ディーノの巨体は宙を舞った。
 自身の胸の骨が砕ける音がディーノの耳に響く。肺の中の空気は一瞬で押し出され、鋭い痛みが胸を通り抜けて背中まで広がった。
 ディーノの口から空気と共に鮮血が溢れ出す。ディーノの体は地面の上を滑りながら二転三転し、派手に土煙を巻き上げながら滑った後、ようやく止まった。
 だが、この光景を見てもなお、バージルは満足していなかった。

(魔力が足りなかったか。今の光の壁は小さく弱かった。あれでは殺しきれていないだろう)

 バージルは槍斧を構え、ディーノに向かって突進した。

「ディーノ!」

 そして、それを見たアランは思わず声を上げ、ディーノの元へ走り出した。
 アランの眼前にはジェイクの兵士達が立ち塞がっていたが、

「邪魔だ! そこをどけ!」

 アランは鬼気迫る表情でそう叫びながら、突っ込んでいった。

「アラン様!」

 お待ち下さい、そう言っても無駄なのがわかっていたクラウスは主人の名を呼びながらその後を追った。
 そしてそんな親友の声に反応したディーノは、苦痛にもだえながらも、仰向けの姿勢から上半身を起こした。
 しかし体を起こしたディーノの眼前には、既に攻撃態勢に入っているバージルの姿があった。
 ディーノは少しでも距離を取ろうと身を反らしながら槍斧を構えたが、その構えは力無くとても弱々しかった。
 バージルはそんなディーノに対し槍斧を一閃した。
 左手側から迫る胸部を狙った一撃、それをディーノは縦に構えた槍斧で受けた。
 だが今の弱ったディーノにバージルの攻撃を止められるはずが無い。バージルの一撃はディーノの槍斧を弾き飛ばした。
 バージルの攻撃を受け切れなかったディーノはその衝撃に押されるように後ろに倒れこんだ。しかしこれが幸いした。
 防御を突き破ったバージルの槍斧はそのままディーノの胸に達し、いつぞやアランにつけられた胸の傷跡をなぞっていった。
 ディーノの胸から鮮血が飛び散る。しかしこの程度で済んだと喜ぶべきなのだろう。もし、ディーノが後ろに倒れこんでいなければその傷はもっと深かったはずだ。

(浅いか!)

 手ごたえの弱さに、バージルは心の中で舌打ちをしながら、槍斧を大きく上段に構えた。
 そしてバージルはディーノの目をみつめながら容赦なく槍斧を振り下ろした。
 もうディーノには成す術が無い。ディーノは迫る刃を凝視することしかできなかった。

「っ!」

 迫る最後の時と痛みに備え、ディーノは歯を食いしばった。

 しかし直後場に響いたのは、肉をえぐる音では無く、甲高い金属音であった。
 バージルの槍斧を止めたのは、アランの刀とクラウスの剣であった。はさみの様に構えられた二人の剣は、バージルの槍斧をしっかりと捕らえ、食い止めていた。
 その重さにアランとクラウスは膝を折ったが、一方的に押し負けることは無かった。
 互いの力は拮抗し、状況は僅かな時間膠着した。
 らちが明かない、そう判断したバージルは後ろに跳躍した。
 バージルが地を蹴った瞬間、力の拮抗は崩れ、アランとクラウスは勢い良く立ち上がりながらバージルの槍斧を押し返し、真上に跳ね上げた。
 アランは即座に刃を返し、光の剣で反撃したが、その一撃は飛び下がるバージルには届かなかった。クラウスは後退するバージルに対し光弾を放ったが、バージルはこれを防御魔法で難なく受け止めた。
 そして、双方の距離が離れたと同時にアランは口を開いた。

「誰か! 負傷したディーノを城まで運んでくれ!」

 アランはそう声を上げながら炎の鞭をバージルに向かって放った。

「ディーノ殿の撤退を援護せよ!」

 そしてクラウスもアランに続き光弾を放った。
 二人の声に何人かの兵士が集まってきたが、それはこの状況に対応するにはあまりにも心許無い人数であった。
 アランはもう一度声を上げようとしたが、周囲を見渡した瞬間それが無駄であろうことを理解した。
 先の大盾兵の突撃から、部隊は完全な乱戦状態に陥っていた。統率は全く取れておらず、混乱寸前といっていい有様であった。

「アラン様! ここは一度後退し、態勢を立て直したほうがよろしいかと!」

 クラウスの進言に、アランは頷きを返しながら声を上げた。

「わかった、一度下がるぞ! 部隊に後退の合図を出せ!」

 傍にいた兵士達は指示に従い後退の合図を戦場に響かせた。

 アランの部隊は負傷兵をかばいながら徐々に後退を開始した。
 しかしそれはすんなりとはいかなかった。乱戦状態を脱することができなかった兵士達は取り残され、次々とジェイクとバージルの部隊に飲み込まれていった。
 そしてその中にはジェイク相手に奮戦するフリッツ達の姿があった。

   ◆◆◆

「まずい、完全に囲まれたぞ!」

 フリッツと共に戦っている兵士の一人が声を上げた。

「なんとか強行突破して味方と合流しなくては!」

 取り残された兵士達は焦ってはいたが、意思の統率は取れていた。
 それはフリッツのおかげであった。この一団の精神的支えとなっているのはフリッツであった。
 そして当のフリッツはこの事態に対して何一つ声を上げていなかった。それは必要が無いからではなく、余裕が無いからであった。
 フリッツは最前でジェイクと対峙していた。ジェイクに立ち向かっているのはフリッツだけであった。
 ジェイクが光弾を放つ。フリッツはこれを防御魔法で受けず、体裁きで回避した。
 直後、炸裂音と味方の苦悶の悲鳴がフリッツの耳に入った。フリッツが避けた光弾は後ろにいた味方に直撃していた。
 だがこれはどうしようもない。フリッツの防御魔法ではバージルの光弾を止めることはできないのだから。
 フリッツはその声に振り返る事無く、ジェイクに向かって反撃の光弾を放った。
 それは凄まじい連射であった。それは傍目には魔力の残量と消耗を考慮していない全力の攻撃に見えた。
 だがそうでは無かった。フリッツの魔力は精鋭には遠く及ばないものの、ある特徴を有していた。
 フリッツの魔力の回復は恐ろしく早かった。威力、射程は至って平凡であるが、高速の連射が可能なのだ。
 目と反応も良い。ゆえにジェイクを相手に粘ることが出来る。
 そしてフリッツはジェイクに対し常に一定の距離を保っていた。それはジェイクの切り札である閃光魔法が届くかどうかという絶妙な距離であった。
 フリッツとジェイクは光弾の撃ち合いを繰り返していた。
 だがフリッツの光弾に決定力は無く、相手の足を止めているだけであった。フリッツが放った光弾は全てジェイクの防御魔法か大盾兵に止められていた。
 そして、フリッツがこうしてジェイクだけに集中できるのは周りにいる仲間達の奮闘のおかげである。だがその仲間達は少しずつ倒されていた。

(包囲の輪が縮まってきている……!)

 フリッツの顔に焦りの色が表れる。このままでは先に倒れるのはフリッツ達のほうであることは誰の目にも明らかであった。

   ◆◆◆

 その頃、戦況を眺めながら兵士達に指示を出していたクリスは、次の一手を思案していた。

(敵の投石器の破壊は完了した。後は敵の戦力を削りつつ後退するだけだが……)

 アラン隊が発した合図が耳に入る。
 クリスは声を上げた。

「一体何があった!」

 これに傍にいた兵士の一人が答えた。

「ディーノ殿が負傷した模様! アラン隊はディーノ殿の撤退を援護しているようです!」

 傍にいた兵士の報告にクリスは苦い顔をしながら口を開いた。

「それはまずいな……」

 クリスは攻撃の手を止め、戦況を把握するために周囲を見渡した。
 敵の戦力はこちらの右翼側に偏っていた。中央にいた敵総大将であるジェイクまでアラン隊の追撃に向かっていた。

「敵総大将であるジェイクが右翼側に突出しているな。アラン隊を追っているようだが……これは好機かもしれん」

 閃いたクリスは、傍に控える臣下ハンスに対し口を開いた。

「ハンス! お前はアラン隊の援護にまわれ!」
「クリス様は如何なさるので!?」
「私はジェイクに対し突撃を仕掛ける!」

 予想通りの答えであったが、ハンスはこれに異を唱えた。

「それはあまりにも危険すぎますぞ!」
「敵の注意を引くだけだ! 深入りはしない!」

 不安げな顔をし、その場から動こうとしないハンスに対し、クリスは再び口を開いた。

「どうした、早く行けハンス! 私のことは心配するな!」
「わかりました……ですが、くれぐれも無理はなさらぬよう!」

 ハンスが兵を連れて移動を開始したのを見たクリスは周囲の兵士達を見回しながら声を上げた。

「これより我が隊は敵総大将に突撃を仕掛ける! 合図を鳴らせ! 気勢を上げよ! できるだけ高らかにな!」

 クリスがそう言って剣を掲げると、号令の合図となる楽器の音と、兵士達の気勢が戦場にこだました。

   ◆◆◆

 その頃、アラン達は非常に苦しい状況に立たされていた。

「取り残された者達の撤退を援護しろ!」

 アランはそう声を上げながら光の剣を振るっていた。
 アランが言った「取り残された者達」とはフリッツ達のことであった。敵の中で生き残っている集団はもう彼らしかいなかった。

「また来るぞ!」

 そんな中、兵士の誰かが警告を発した。その直後、アランの傍にいた兵士の集団が吹き飛んだ。
 それはやはりバージルが展開した光の壁の仕業であった。アランは炎の鞭を放つ体勢を取り、バージルが光の壁を解除する瞬間を待ったが、バージルはそれ以上前に出ようとはせず光の壁を展開したまま後退していった。
 そして下がったバージルをかばうように、敵の大盾兵達がアランの前に並んだ。その壁は一枚では無く、後ろにいるバージルの姿が見えなくなるほどであった。

「糞、またか!」

 これにアランは苛立ちを表した。
 またか、その言葉が示す通り、バージルは先ほどからこの一撃離脱の戦法を繰り返していた。
 自身の弱点を補った良い戦法であった。槍斧を振るう機会を犠牲にしていたが、大盾兵達に守られることで魔力を充填する間の隙を無くしていた。
 バージルはフリッツ達が全滅するまでこの戦法を続けるつもりであった。ディーノを逃がしてしまうのは無念であったが、今は私怨よりも相手の戦力を削ることを優先すべきだとバージルは考えていた。
 そしてアランの表情に焦りが色濃く表れ始めた頃、転機は訪れた。
 それは久々に耳にする突撃の号令であった。

「! クリス将軍か!」

 アランがそちらに目をやると、そこにはジェイクに向かって突撃するクリス達の姿があった。

(フリッツ達の救出に向かうなら今しかない!)

 そう思ったアランはフリッツの方へ向き直ったが、そこにはバージルが立ち塞がっていた。
 フリッツを救うにはバージルを退けるしかない。しかしどうやって?
 その時、十人ほどの兵士を連れたクラウスがアランの隣に並び、口を開いた。

「アラン様! 我々が奴の注意を引きます!」

 クラウスと兵士達は皆その手に大盾を握っていた。そしてアランが「どうやって奴の注意を引くのか」と尋ねる間も無く、クラウス達は動き出した。
 クラウスと兵士達は押し合うように密集し、一つの重い塊となって突撃を開始した。
 アランはただクラウス達を信じ、その背を追った。
 バージルの姿が大きくなってくる。迫るクラウス達を前に、バージルは既に身構えていた。
 その構えは左手を脇の下に引いた半身の構えであった。
 右手にある槍斧はいつでも振り下ろせるように肩に担がれていたが、引き絞るように構えられた左手が既に発光していることから、光の壁でクラウス達を迎え討とうとしていることは明らかであった。
 そして、クラウス達が一足分、およそ一間というところまで迫った瞬間、バージルは鋭く踏み込みつつ左手を突き出した。
 光の壁が生まれる。クラウス達とその眩い壁は激しくぶつかり合った。
 厚みのある低く重い音が場に響き渡る。

「?!」

 瞬間、クラウスの顔に驚きの色が浮かんだ。

(この人数でも押し負けるのか!?)

 クラウスの足が後ろに押し返される。クラウスの体は後続の大盾兵達と板ばさみになり、強く圧迫された。
 胸骨が軋み、胃の中身が押し上げられる。
 苦悶に目が霞む。ぼやける視界の中、クラウスは地に踏ん張る足に力を込めた。
 このぶつかり合いはバージルの勝ちであった。だがクラウス達は後ろにのけ反りながらも懸命に踏ん張り、倒れはしなかった。
 そしてクラウス達はすぐさまバージルに向かって再び突っ込んだ。
 今度は先の様に押し返されることは無く、クラウス達とバージルはそのまま押し相撲をする形になった。

(俺を光の壁ごと押しこもうというのか?! なめるな!)

 大盾と光の壁がせめぎ合う。大盾は光の壁に削られ、すぐに悲鳴を上げ始めた。
 そしてクラウスの盾が限界を迎える寸前、クラウス達の左手側を一人の男が駆け抜けた。
 それはアランであった。アランはバージルの側面に回りこもうとしていた。
 しかしそんなことを敵がみすみす許すはずがない。アランの前には敵の大盾兵が並んでいた。
 その時、アランは直感に身を任せた行動を取った。
 なんとアランは目の前にいる大盾兵に向かって左足を前に出しながら飛び掛ったのだ。
 跳躍の勢いを乗せた前蹴り? それを見た者は皆そう思った。
 しかしそうではなかった。アランは敵の大盾を踏み台にし、思い切り右側に飛んだ。
 アランの瞳が目標を捕らえる。跳躍の勢いは十分、届くどころか飛び越してしまいそうなほどだ。
 目標はこちらにまだ気がついていない。アランは上段に構えた刀に魔力を流し込んだ。
 アランの刀が発光する。その眩しさによって、バージルは迫るアランに気がついた。
 アランが刀を振り下ろす。

「!」

 対し、バージルは反射的に水平に構えた槍斧を掲げた。
 光る刀が槍斧の柄に叩きつけられ、接触点から激しく火花が散る。
 一瞬、アランの一撃は止められたかのように見えた。だが直後、その重さにバージルの膝は屈した。
 光る刀は槍斧を押し返し、刃がバージルの右肩に触れた。

「ぐっ!」

 鋭い痛みにバージルの顔が歪む。刃から少しでも離れようと、バージルは身を大きく後ろに反らした。
 直後、光る刃はバージルの槍斧を斬り折った。
 その軌道を阻むものは無くなり、刃はバージルの体をなぞりながら真下に駆け抜けた。
 刃が地に達する。同時に、アランの足も地に降り立った。
 バージルの背が地に落ちる。倒れたバージルの服はみるみるうちに赤く染まった。
 アランの頭に勝利の二文字が浮かぶ。
 手ごたえあった。刃が胸骨に達した感触が手に残っている。即死には至らなかったが、間違いなく戦闘不能にはなったはずだ。
 右肩から入ったアランの刃は、バージルの胸板の上を滑り降り、右わき腹付近にまで達していた。
 そんなバージルを守ろうと敵兵達が集まる。あっという間に盾の壁が出来上がり、バージルの姿は見えなくなった。
 対し、アランの周りにはクラウス達が集まり、双方は暫しの間見合った。
 先に動いたのはバージル達のほうであった。しかしそれは戦闘行動では無く、撤退であった。
 アラン達はそれを追おうとはしなかった。今はバージルの追撃よりも優先すべきことがあった。

「よし、すぐにフリッツ達の救出に向かうぞ!」

 アランはフリッツの方に向き直りながらそう声を上げた。

 その後、アラン達の活躍によってフリッツは救出された。
 これを見たクリスはすぐさまジェイクの部隊との交戦を中止し、全軍撤退の合図を出した。

 ジェイクはクリス達を追わなかった。バージルの部隊が撤退した以上、深入りは危険だと判断したからだ。

 城へ向かう途中、クリスは合流した臣下ハンスに声を掛けられた。

「なんとかなりましたな。お見事ですクリス様」
「今回はな。それに私は大したことはしていない。何とかなったのは皆が奮戦してくれたおかげだ」

 謙虚なお方だ、ハンスはそんな主君の事を誇らしく思った。

 一方、クリスの胸には不安が広がっていた。
『今回は』なんとかなった。だが次は?

(早めに援軍を要請しておくか……)

 クリスはそう考えながら戦場を後にした。

   ◆◆◆

 今回の戦いの被害は全体としてみれば軽いほうであったが、城内は喧騒に包まれた。
 その発生源はバージルにやられた兵士達であった。
 斬撃によって生じる傷と痛みは残酷だ。城内はそんな傷を負った兵士達の呻き声で埋め尽くされ、重傷者を施術している部屋からはすさまじい悲鳴が響いていた。

 そんな中、アランは城の中庭にクラウスを呼び出した。

「お待たせして申し訳ありません、アラン様。それで、どういったご用件で?」

 アランはしばし考え、言葉を選びながら口を開いた。

「……頼みがあるんだが、その……馬鹿げた話に聞こえるかもしれないが、聞いてほしい」

 そう言った後、アランは庭に落ちている細い木の枝を二本拾い、片方をクラウスに手渡した。
 剣の稽古でも始めるつもりなのだろうか、クラウスはそう思ったが、次のアランの行動に言葉を失った。
 アランはその両目に布を巻き、視界を閉ざしたのだ。
 これには流石のクラウスも、その意を尋ねずにはいられなかった。

「アラン様、目を塞いで一体どうなさるおつもりですか?」
「……目の見えない俺をその棒で攻撃してみてくれ」

 そう言ってアランは身構えた。
 その構え自体に隙は無く、アランが真剣であるということが伝わってきた。だが、見えないのではどうにもならない。クラウスはもう一度尋ねた。

「どういうおつもりなのでしょうか。このクラウス、アラン様が何をお考えなのか理解できませぬ」
「頼むクラウス、こんなことを頼めるのはお前かディーノくらいしかいないんだ。」

 いくら問えども、ただそう懇願するばかりのアランに、クラウスは折れた。

「……わかりました。では、参りますぞ」

 クラウスはその表情に真剣みを宿し、身構えた。
 クラウスはしばし様子を見た後、アランに向かって踏み込んだ。音から接近を察したのか、アランの体はぴくりと反応した。
 クラウスは身を低くしながら接近し、アランの胴をめがけて棒を振るった。
 その一撃は遅く、手加減されているのが目に見えてわかった。
 だが、棒はあっさりとアランの胴に当たり、乾いた音を立てた。アランは身動き一つすることが出来なかった。
 自身の敗北を知ったアランは、目隠しを取り、口を開いた。

「やっぱり駄目だったか」

 クラウスは棒を下ろし、再度尋ねた。

「やっぱり、とはどういうことでしょう?」
「……実は、先の戦いでディーノと同じ武器を使う男に追い詰められた時、不思議な体験をしたんだ」
「それはどのような?」

 アランは赤く染まった額の包帯に手を当てながら、口を開いた。

「額から流れた血で視界を失って、もう駄目かってなったとき、どこから攻撃が来るのかを感じ取れたんだ。そして、考えずとも体が動き、敵の攻撃を防ぐことが出来た」

 アランは実際に体を動かしながら、その攻防を説明した。

「左上から斜めに来る攻撃を、左下に身を倒しながら受け流す。直後に相手は刃を返して水平切りを放つから、背を低くしながら捌く。続いて相手は振りぬいた勢いを利用して上段に持ち替え、そのまま振り下ろし。俺は左に傾いた体を起こす力を利用して右手前に倒れこむ。がら空きになった相手の懐に飛び込めるから、そこに一撃を放つ」

 アランは自身でも信じられないというような顔をしながら、言葉を続けた。

「この一連の動きが最初から分かっていたんだ。予定されていたように。クラウスにこんな事を頼んだのは、あの不思議な感覚をもう一度、と思ったからなんだ」

 アランは小さく肩をすくめる仕草を見せた後、再び口を開いた。

「でも、結果はこの通りだ。目を閉じても暗いだけで、何も感じられない。すまなかったな、変な事につき合わせて」

 謝るアランに、クラウスは小さく首を振りながら答えた。

「謝られることはありません。何も気にしておりませんので」

 そんなクラウスの態度に、アランは僅かな笑みを返した。
 そこへ寒風が吹きすさぶ。アランはこれに身を震わせながら口を開いた。

「……寒いな。外に長くいたせいで、体が冷えてしまった。そろそろ中に戻ろう」

 そう言ってアランは寒そうに身を抱きながら歩き出し、クラウスはその後ろに続いた。

 アランが感じた不思議な感覚、それは夢でも何でもない、アランの中に眠る確かな力である。
 魔法では無い、ただの技でも無い、神秘の一つとでも言うべきその力は、目覚めの時が来るのをアランの中でじっと待っているのであった。

   ◆◆◆

 一方、ディーノは胸の傷の手当が終わった後、一ヶ月ほど城内で過ごしたが、生活できる程度には動けるという理由から外の兵舎に送り返されることになった。

「あの怪我でもう生活できる程度には動けるのか。本当に頑丈だなお前は」

 見舞いにきたアランは、ベッドの上で横になるディーノに対しそんな軽口を言った。

「いやいや、あのやぶ医者はそう言って俺を追い出したが、実際はそんな動けねえよ」
「そうなのか」
「しばらくは安静にしてろって言われたぞ。実際、こうしてじっとしていても胸の痛みがおさまらねえ。少し動くだけですげえ痛みが来る」
「それは不便だな」
「そうでもねえよ。クリス様が従者を一人つけてくれたからな」

 ディーノはそう言って部屋の隅にたたずむ女従者の方に目をやった。アランも同様に視線を移しながら口を開いた。

「すまないがディーノのことをよろしく頼む」

 これに女従者はただ深い礼だけを返した。

   ◆◆◆

 その頃、リックは奥義習得のための訓練を行っていた。
 それは派手なものでは無かった。要はただの魔法制御の基礎練習で、今やっているのは手の平の上に置いた石を魔力で浮かせ、その状態をできるだけ長く維持するというものであった。
 だが、リックはこれに疑問を抱いてはいなかった。基礎を積むことが奥義習得への最善の道であると母に言われたからだ。
 その母、クレアの姿はリックの傍にあった。
 クレアは息子を見守っているわけでは無かった。クレアは個人的な自主訓練を行っていた。
 それは「型取り」と呼ばれている訓練であった。決められた動きを可能な限り正確に、ゆっくりと行うというものであった。
 突き、蹴り、組み合わせた連携、相手の反撃を想定した返し技、それらの型をゆっくりとなぞっていく様はどこか神秘的であり、舞踊のようであった。
 クレアは目を瞑ってこれを行っていた。集中するためであろう。
 しかし不思議なのは、目を閉じているのにもかかわらず、リックの失敗や間違いにすぐ気が付くことであった。
 時々薄目を開けてこっちの様子をうかがっているのだろう、リックはそう思っていた。次の事が起きるまでは。

 突如、リックの手の上で浮かんでいる石が振動を始める。
 しまった、意識が母に向いたせいで制御がおろそかになった。
 なんとか立て直さなくては。リックは手の平に意識を集中させた。
 だが振動は止まらない。それどころかますますひどくなっている。
 まずい、これは危険だ。制御をあきらめ、魔力の流れを強制停止させる。
 しかし直後、石はリックの手を離れ、勢いよく飛んでいった。
 瞬間、リックの脳裏に「危ない」という言葉が浮かぶ。石が飛んでいった先、そこにあるのは母の背中であった。
 理性が働くよりも早く、本能がリックの口を開ける。
 だが言葉は出なかった。警告しても遅い、理性がそう訴えていたからだ。
 そして、石は母の後頭部に当――

 その瞬間、母の姿が「ぶれた」。
 同時に、石が砕け散る。
 何が起きたのか。母は何をしたのか。
 それは母の立ち姿を見て解することができた。
 右膝を大きく上げた姿勢。蹴りを放ったであろうことが容易に推測できる。母は目にも留まらぬ速度の回し蹴りを放ったのだ。
 これにリックは言葉を失った。
 何かを言うべきだ。が、リックの口は迷っていた。
 石を飛ばしたことを謝るべきか、先の見事な蹴りを賞賛すべきか――
 いや違う。それよりも言いたいこと、聞きたいことがある。
 リックはそれを声にしようとしたが、それよりも早くクレアが口を開いた。

「気を抜いてはいけませんよ、息子よ」

 それだけ言うと、クレアは背を向け、再び「型取り」を始めた。
 その背中にリックは尋ねた。

「母上、ひとつ聞いてもよろしいでしょうか」

 クレアは振り返らずに答えた。

「なんです」
「先の蹴り、どうやったのですか?」

 意味がよくわからなかったクレアは、質問を返した。

「? どうも何も、普通の回し蹴りですが?」

 リックは首を振りながら口を開いた。

「言葉が足りませんでした。完全な死角から音もなく飛んできた石をどうやって察知したのかと、疑問に思ったのです」
「……」

 クレアは暫し間を置いた後、口を開いた。

「……両手を前に出しなさい」
「?」

 何故そんなことをしなければいけないのか、リックにはさっぱり分からなかったが、黙って従った。

「どちらかの手に魔力を込めなさい。ただし、目で分からない程度に、光らない程度にです」

 言われたリックが右手に魔力を流すと、

「右ですね」

 と、すぐに正解を当てられた。
 どうして分かったのか? 問うよりも早く、クレアが口を開いた。

「何度試しても構いませんよ」

 ならば、と、リックは再び手に魔力を込めた。

「左」
「左」
「右」
「左」
「両手」

 ――すべて正解。しかも即答だ。最後にいじわるをしたにもかかわらずである。

「……母上、それは、一体……」

 何かと問われたクレアは答えた。

「これが何なのかは私にもよく分かりません。ある日、ふとしたことで出来るようになっていることに気がついたのです」
「……」

 納得いかないというような顔する息子に、クレアは言葉を続けた。

「……我らが祖先、同じ武の道を歩んだ先人達の中にも、似たようなことが出来た者が何人かいたようです」

 この言葉に興味が沸いたリックは母の次の言葉を待った。

「……このような能力を祖先達は『超感覚』と呼んでいました。その能力も様々で、ある者は目が空にあると言い、またある者は相手の殺意を感じることが出来ると言っていたようです」

 なんて素晴らしい。リックは思わず尋ねた。

「どうすればそんなことが出来るようになるのですか?」

 これにクレアは首を振った。

「先にも言いましたが、分からないのです」

 とても残念な表情を浮かべる息子に、クレアは再び声をかけた。

「考えても詮無きことです。心の片隅にしまっておきなさい」

 リックは理解している様子であったが、

「……わかりました。ですが、羨ましい限りです」

 ぽつりと、そんな言葉を漏らした後、足元の石を拾い上げ、訓練を再開しようとした。
 その動作は緩慢であった。気の沈みが表れていた。
 そこへ、

「リック」

 と、突然母に呼ばれたものだから、リックは「はい?」と少し気の抜けた返事を返した。
 力無い表情を見せる息子に、母が口を開く。

「多くを望むものではありません、息子よ。あなたには頑丈な体と、私が羨ましくなるほどの体捌きの才能があるのですから」

 そう言う母の顔はとても穏やかなものであった。

   第二十二話 悩める者と暗躍する者 に続く
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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

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稲田 新太郎

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