シヴァリー 第二十話

   ◆◆◆

  嵐の前の静けさ

   ◆◆◆

 同時刻、城主クリスは自室の窓から外を見下ろしていた。
 クリスはある人物が来るのを待っていた。予定通りならそろそろ到着する頃であった。

「……来たか」

 クリスは丘の向こうから姿を現した騎馬隊を見てそう呟き、身だしなみを確認するために鏡の前に立った。

「クリス様、そろそろお時間です。お出迎えの準備を」

 襟元を正すクリスの耳に、臣下ハンスの催促の声がドアの向こうから届いた。

「わかっている。今行く」

 返事を返したクリスは深呼吸し、鏡の中にいる自分に言い聞かせるように口を開いた。

「失礼があってはならないぞ、クリス。今日の客人はカルロの次に王になるかもしれない御方なのだから」

 気を引き締めたクリスはやや緊張した面持ちで部屋をあとにした。
 
   ◆◆◆

 クリスは門の後ろで客人の到着を待った。
 場は緊張と荘厳な雰囲気に包まれていた。それは門に続く道の中央に立つクリスの姿勢の美しさと力強さにも表れていた。
 クリスの右後ろには臣下であるハンスが、反対側の左後ろには客将であるアランが立ち、そして後方にはクラウスとディーノを含む多くの兵士達が整列していた。
 しばらくして管楽器の音色と共に門が重い音を立てながらゆっくりと開き始めた。それと同時に、道を挟んで向かい合うように並んでいた兵士達が剣を真上に掲げた。
 馬に乗った客人達は門が開き切ってから悠々と城内に入ってきた。
 城主クリスは客人と一瞬目を合わせてからその場に跪いた。アランとハンス、後方に控える他の者達もクリスに習った。
 クリスはそのまま微動だにせず、馬蹄の音が自身の目の前まで迫ったところで口を開いた。

「お待ちしておりましたアンナ様、ようこそ我が城に」

 騎馬隊を引き連れた客人はアンナであった。

「丁寧なお出迎え、痛み入ります。どうか顔を上げてください」

 アンナはそう言って馬から降り、クリス達は顔を上げて立ち上がった。
 身内であるアランがアンナの前で膝を突いていたのは不自然に見えるかもしれない。しかしアランはただの客将の身であり、この城の客人であるアンナを迎えるための礼儀を示しているに過ぎないのだ。

「お久しぶりですねクリス様。十年ぶりくらいでしょうか?」
「それくらいになりますか。しかし見違えましたよ。本当に美しくなられた」
「お世辞はやめてください。照れてしまいます」

 アンナは笑みを返した後、兄であるアランのほうに視線を移した。

「お兄様も。元気そうで何よりです」
「久しぶりだね、アンナ。そっちも元気そうで良かった」

 アランがアンナに微笑みを返した後、クリスが口を開いた。

「積もる話は中でいたしましょう。応接間に案内します」

 クリスは上に向けた手の平を城の入り口のほうに向け案内する意思を見せた後、先頭を歩き始めた。アンナとアラン達はその後ろに並んでついていった。

   ◆◆◆

 応接間に案内されたアンナは上座にあたるソファーに座り、アランとクリスはテーブルを挟んだ対面側のソファーに腰掛けた。
 話の種を事前に用意していたらしく、一番初めに口を開いたのはクリスだった。

「アンナ様のご活躍はよく耳にしております。戦場を馬で駆け回り、敵を次々に倒しておられるとか」
「いえ、私なんてまだまだです。たまたま勝てる相手ばかり回ってきただけのこと。それに、私の馬術はあのレオン将軍と比べれば子供の遊びのようなものです」

 アンナのこの言葉にクリスは軽快な笑い声を上げた後、言葉を続けた。

「そんなに謙遜されては我々の立場が無くなってしまいます。アンナ様は最近巷で『炎の騎士』と呼ばれているご様子。並の活躍ではそうはなりますまい」

 クリスの雄弁な語り口調に返す言葉を無くしたのか、はたまた照れているだけなのか、アンナは薄い笑みを浮かべたまま口を閉ざした。
 喋る勢いが治まらないクリスは、再びその口を開いた。

「最近はアンナ様が戦線を巡回してくれているおかげで、この辺りも大分落ち着いてきました。我が兵士達もそれを感じ取っているのか、城内には落ち着いた空気が漂っております」

 クリスの言葉に、アンナは安堵の表情を浮かべながら口を開いた。

「それを聞いて安心しました。……ずっと不安だったのです。私に自分の勤めが果たせるのかと。お父様からあなたの御父上のような、この国を支える人間になれと言われましたから」

 カルロが自分の父のことをそんな風に思っていてくれた、その事実にクリスは胸が熱くなるのを感じたが、それは表情に出さず、深い礼を返しながら口を開いた。

「……そのようなお言葉、まことにもったいなく存じます。きっと我が父上も雲の上で喜んでいることでしょう」

 クリスの礼は普通よりも少し長かったが、アンナはクリスが頭を上げるのを待ってから口を開いた。

「クリス様、この城を少し見て回りたいのですが、よろしいですか?」
「ええ、もちろん。案内いたしますよ」

 そう言いながらクリスはやや勢いよく立ち上がった。その様はまるで城内を一刻も早く見せたいと言わんばかりであった。

   ◆◆◆

 クリスは応接間の外に待機していた臣下ハンスと数名の側近を身辺警護として加えた後、アンナを連れて城の中を案内した。当然のようにアランもこれに続き、引き寄せられたかのように、クラウスとディーノも一行に加わった。
 城の中を練り歩く一行は当然のように多くの兵士や従者達とすれ違った。
 すれ違う者達は皆クリスへの敬礼を欠かさなかった。
 その威厳あるやり取りに当てられたのか、アンナの口から言葉が自然に滑り出た。

「皆に慕われているのですね」
「とてもありがたいことです。自分には他に何もいらない、そんな気分にさせてくれます」

 クリスは穏やかな表情を浮かべながら言葉を続けた。

「……できれば、父上が生きているうちにこれを見せたかった」

 慕われる城主、それはクリスが望んだものであり、彼の父が願っていたものでもあった。

   ◆◆◆

 案内が終わる頃には、ちょうど夕食の時間になっていた。
 一行は一つのテーブルを囲んだ。その中にはディーノの姿もあった。
 テーブルの上に夕食が並ぶ。それは決して豪華と呼べるものでは無かった。
 席に着いたクリスは客人であるアンナに向かって頭を下げながらこう言った。

「こんな粗末な食事しか用意できなくて申し訳ない」

 クリスは口ではそう言っていたが、悪びれている様子は全く無かった。むしろその表情は力強く、今は節制するのが当然、とでも言わんばかりであった。

   ◆◆◆

 夕食を済ませた一同は軽い雑談の後、解散となった。

「それじゃあ部屋に帰るか」
「ああ、そうしよう」

 ディーノに声を掛けられたアランは席を立ち、二人で食堂を後にした。
 いや、正確には三人だった。アランとディーノの後ろにはアンナがくっついていた。
 アランとディーノはアンナがついて来ていることに気づいていたが、方向がたまたま同じなのだろうと思い、特に気にしていなかった。
 しかしこの後のアンナのある発言が二人の呑気さを吹き飛ばすのである。

「あの、お兄様、変なことを聞くようですが、一体どこに向かっているのですか?」
「どこって、自分の部屋だけど?」
「なら何故、外に向かっているのですか?」
「何故って……俺は外にある兵舎で寝泊りしているからだよ」

 アランの回答にアンナの表情は一瞬固まった。そしてそれに気づいたディーノは咄嗟に口を開いた。

「ああ、いや、勘違いしないでもらいたいんだが、クリス様はこの城にアランの部屋をちゃんと用意したんだ。決してアランのことをないがしろにしているわけじゃないぞ。アランがあのボロい……じゃない、そう、粗末な兵舎で寝泊りしているのは、アラン自身の意思なんだよ。そうだよな、アラン!?」
「え? あ、ああ、その通りだ」

 まくしたてるように喋るディーノに気圧されたのか、アランの返事はどこか間が抜けていた。

「……まあ、そういうことだから、俺らは先に部屋に帰らしてもらうわ」

 ディーノはそう言ってアランの肩を叩き、早く歩くよう急かした。

「それじゃあお休み、アンナ」

 ディーノの意を汲んだアランはそう言ってアンナに対し背を向け、歩き出した。
 しかしアンナはそれでも二人の後ろをついてくるのをやめなかった。別れようという意思をはっきり示したにもかかわらずである。
 アランはディーノと顔を見合わせたあと立ち止まり、振り返って口を開いた。

「……どうしてついてきてるんだ?」

 アランはその答えをわかっていながら、恐る恐る尋ねた。

「今晩はお兄様の部屋にお邪魔しようかと思いまして」
「「……」」

 予想通りの言葉にアランとディーノは絶句した。

「……いけませんか?」

 妹からの無垢な願いにアランは抗うことができなかった。

「……アンナには勝てないな。でも先に言っておくが、決して良い部屋じゃないからな? 後で文句を言わないでくれよ?」

 この言葉にアンナは美しい笑みを浮かべ、アランの隣に並んで歩き始めた。

   ◆◆◆

 兵舎に着いたアランは、アンナとディーノを部屋に招きいれた。
 兄の部屋に入ったアンナは、まず中をうろうろと歩き回った。
 アランは妹を部屋に入れたことをすぐに後悔した。なぜもっと掃除しておかなかったのかと。
 広い部屋では無いし、置いてある物も少ない。真ん中に粗末なテーブルが一つ、その傍に簡素な作りの椅子が二つ、入り口から最も遠い壁際に固そうなベッドがあるくらいで、あとは服や雑貨を詰めた木箱等が部屋の隅に追いやられるように置かれているくらいだ。
 目を引きそうなものと言ったら、壁に掛けられている数本の剣くらいであった。アランが愛用している刀もその中にあった。
 そんな地味な部屋であったが、アンナは何がおもしろいのか、嘗め回すように部屋の中をゆっくりと観察して回っていた。

「きゃっ」

 その時、下を見ていたアンナは突然そんな声を上げながら小さく飛び上がった。アランが妹の視線を追ってみると、そこには一匹の小さなネズミがいた。
 注目されていることに気づいたネズミは素早くどこかへ走り去っていった。この部屋はそこら中隙間だらけであり、ネズミの通り道が出来てしまうのは仕方の無いことであった。

「……今の、飼ってるんですか?」
「いや……飼ってないよ……」

 この兄妹の問答は場の空気を不思議なものに変えた。

「まあ、とにかく座ろうぜ」

 そんな空気を変えようと思ったのか、ディーノはそう言いながら二人に椅子を勧めた。

「あ、ああ。そうだな」

 部屋の主であるはずのアランはどこか緊張したような様子で椅子に腰掛け、アンナもそれに習った。椅子はそれで満席になってしまったので、ディーノはベッドに腰掛けた。
 しかし腰を下ろしたのはいいが、三人の間には会話が無かった。こういうときいつも真っ先に口を開くのはディーノなのだが、今はそのディーノでさえ軽々しく喋ることをためらっていた。

(……すげえ気まずい。アンナの心中がわからねえ。大事な兄貴をこんな汚いところに住まわせていたから怒ってんのか? でもここに住むと言い出したのはアラン本人だし、俺にやましいところは何もねえんだが……)

 何か話さなくては、ディーノはそう思っていたが、浮かんだのはどうでもいい言い訳だけであった。
 しかしその時、意外な助っ人が訪れたのである。
 突然場に響いたノックの音に、部屋の主であるアランは「どうぞ」と即答した。今のアランはとにかくなんでもいいから声を出すきっかけが欲しかったからだ。
 その訪問者はクラウスであった。

「夜分遅く失礼しますアラン様。おや、アンナ様もご一緒でしたか」
「まあ遠慮せずに入ってくれ。それで、こんな時間にどうしたんだ?」

 アランに招き入れられたクラウスはその手にある大きめの瓶を見せながら口を開いた。

「今日は過ごしやすい良い夜ですから。せっかくなので、お酒でもいかがかと思いまして」
「さすがクラウスだ、気が利いてるな。まあ俺の隣に座れよ」

 クラウスの提案に、ディーノは身を乗り出した。酔ってしまえばこんな嫌な空気も吹き飛ぶだろうとディーノは考えていた。
 ディーノはまるで勝手知ったる我が家のように、てきぱきと人数分のコップを用意して皆の手に持たせ、いつの間にかその手に握っていた酒瓶を傾けて皆のコップに注いでいった。
 全員に酒が行き渡ったあと、ディーノはコップを掲げながら口を開いた。

「それじゃあ、乾杯」

 一同はコップを突き合わせ、酒に口をつけた。
 ディーノは勢いよくコップを傾け、あおるように飲み干した。一方、それほど酒に強くないアランは数口飲んだところでコップから口を離した。
 そしてそれはクラウスも同様であった。酒を持ってきた張本人であるが、彼自身は嗜む程度であった。
 そしてまだコップに口をつけているままであったアンナは三人の注目を浴びた。その咽の動きの緩やかさから、ゆっくりと飲んでいることが窺い知れた。
 しばらくして口を離したアンナのコップはきれいに空になっていた。

「お? 妹さんはアランと違っていける口なのか。それじゃあもう一杯」

 ディーノは何がうれしいのか、その顔に笑みを浮かべながらアンナのコップに「とくとく」と酒を注いだ。
 そしてアンナは先の繰り返しのように、コップに口をつけ「こくこく」と飲み干した。

 とくとくとく。
 こくこくこく。
 とくとくとく。
 ごくごくごく。

 その様子を呆然と眺めていたアランであったが、妹の顔がみるみる赤くなってきたのを見て声を上げた。

「おいおい、そんなに勢いよく飲んで大丈夫なのか? 真っ赤になってるぞ」

 アランの声にはっとなったディーノは思わず手を止めた。
 そして場は再び沈黙に包まれた。真っ赤な顔で空のコップを握り締めるアンナ、そしてそれを見守るかのように見つめる周りの男達、誰も喋らない、誰も動かない、奇妙な絵面であった。
 その沈黙を破ったのはアンナであった。

「お兄様」
「はい」

 アランは何故か敬語になっていた。

「お兄様は御自分の立場を理解されていないのではないですか?」

 これにアランは何も言えなかったが、代わりにディーノが口を開いた。

「まあ確かに名のある貴族が住む部屋じゃ「私が言いたいのはそういうことではありません」

 ディーノが言い終わる前に、アンナは横から否定の言葉を差し込み、そのまま言葉を続けた。

「お兄様はどうして戦うのですか? 無謀な戦いに身を晒して良いほど、お兄様の命は軽いものでは無いのですよ?」

 真を突いた良い質問であった。酔ってはいたが、アンナの理性はその力を失ってはいなかった。

「……」

 これにアランは即答できなかった。アンナはそんな兄に対しさらに言葉を浴びせた。

「平原からこちらに来る際、お父様と話す機会がありました。お父様も同じことを心配しておられました」

 アランは暫し考え込んだあと、口を開いた。

「……昔は『名誉』のためだった。ディーノのように『武』で名を上げたい、ただそれだけだった。
 でもいつからか、俺はディーノのようにはなれないと思うようになった。俺にはディーノのような腕っ節の強さや、父上のような魔法力は絶対に手に入らない、なら違う道を歩むべきだ、そう思うようになった」

 アランはこれまで自分が歩んできた道を語っていた。
 何か嫌な思い出があるのだろう、アランは僅かに眉をひそめながら言葉を続けた。

「それから……リリィを失って……」

 これにディーノは驚きながら声を上げた。

「おい、それはどういうことだ!?」
「そういえばディーノは知らなかったんだな。リリィは……ある日突然行方が分からなくなったんだ」
「なんてこった、そりゃあ……」

 ディーノが口を閉じてしばらくしてから、アランは話を再開した。

「それからの俺は、父や家の力に頼らずに自分の力だけで何が出来るのかばかり考えるようになった。ここに来たのはそれが理由なんだ」

 アランは手にある酒を一口含んだ後、言葉を続けた。しかしその口調は先よりも少し弱弱しいものであった。

「でも……ここに来て俺が得たのは、自分の無力さを痛感したことだけなんだ。
 父や、俺の傍にいてくれているクラウスは、もっと広く、遠いところを見ていて、俺よりも深く考えていて、俺はそんな人達に支えられていて……それで、やっぱり俺はまだまだ未熟な半端者なんだって気づかされた」

 アランは力強い眼差しでそう言った。それはまるで自分に言い聞かせているようであった。

「……アンナの言う通りだと思う。俺は帰るべきなんだと思う。でも、俺の中にある未練のような感情がそれを邪魔するんだ」

 アランはクラウスのほうに視線を移して口を開いた。

「俺はろくでもない人間なんだと思う。俺のわがままのせいで多くの人に迷惑を掛けている。クラウスのその左目だってそうだ。そもそも、俺が戦いに身を置かなければクラウスも左目を失うことは無かっただろう」

 アランはクラウスの左目を見ながらそう言った。クラウスは頭に巻いた布で左目を覆い隠していたが、その下から覗いて見える頬にまで達した傷跡が、生々しさと凄みを与えていた。
 アランの弁に、クラウスはすぐに言葉を返した。

「アラン様がそんなことを気になさるのはお門違いです。全て私自身が望んでやったこと。
 この目についてもそうです。元はと言えば、アラン様の真似をして未熟なまま光の剣に手を出したことが原因」

 光の剣という部分に食いついたのか、アンナが口を開いた。

「クラウス様の左目がそうなってしまったのは光の剣が原因なのですか」
「ええ、そうです」
「それは……所謂、光の剣の暴走というものでしょうか?」
「私は光の剣のことはよく知らないのですが……あれが暴走と呼べるものだったかと問われれば、そうであると答えます」
「……光の剣は今も使っているのですか? その暴走した時というのは、普段とどう違うのですか?」

 一度に複数の質問を浴びせられたクラウスであったが、丁寧に答えた。

「今は使っておりません。さすがにもう懲りましたので。暴走した時との違いですが……どう表現すれば良いのか……普段の感覚をゆらゆらとした穏やかなものと例えると、それが徐々に激しくなり、それが剣から溢れ出した、というのが近いと思います」

 この答えにアンナが黙り込んだのを見たクラウスは、アランに話し掛けた。

「しかし、アラン様は流石ですな。あの光の剣を見事に使いこなしていらっしゃる」

 これにアランが口を開いた。

「それは違うんだクラウス、俺がすごいんじゃない、俺が使っている『刀』がすごいんだ」

 そう言ってアランは壁に掛けてあった刀を手に取り、クラウスに手渡した。

「それに光を通してみればわかる」

 言われたクラウスは、恐る恐るその手にある刀に魔力を這わせた。

「……!」

 その感覚にクラウスは驚きの表情を浮かべ、口を開いた。

「これは……全然違いますな。なんというか、透き通っているというか……」

 透き通っている、クラウスがそう表現したことに興味を示したのか、アンナが口を開いた。

「私にも貸してくれませんか?」

 これにアランが頷くのを見たクラウスは、アンナに刀を手渡した。
 そしてその刀身に魔力を這わせたアンナは、クラウスとほぼ同じ反応を見せた。

「これは、すごいですね……。なんというか、とても素直……」

 アンナはそれを素直であると表現した。アンナはその感覚をしばらく堪能した後、アランに刀を返した。
 アランは受け取った刀を壁に掛けながら口を開いた。

「これと同じものが作れないかと、色々試しているんだけど、上手くいかないんだ」

 アランが壁に掛けてある他の剣を眺めていると、アンナが口を開いた。

「お兄様はここでも鍛冶仕事をしているのですか」

 アンナの問いにアランは少し照れくさそうな様子で答えた。

「兵士達の武具の修理が俺の仕事なんだ。俺が出来ることってそれくらいしかないし」

 アランは壁に掛けてある剣に視線を戻して言葉を続けた。

「質の違う鋼を重ねることによってこの反りを生み出していることはわかったんだけど……光魔法を通した時の感覚はまだ刀には遠く及ばない。近づいたのは間違い無いんだが」

 言いながらアランは一本の剣を手に取った。その剣は刀と同じ片刃の剣で、微妙な反りを有していた。

「これはただの憶測なんだけど、鋼そのものに秘密があると思うんだ。鋼の質が全く違うんだと思う」

 アランは片刃の剣を壁に戻し、再び刀を手にとって言葉を続けた。

「こんな見事な鋼をどうやって生み出したのか、想像もつかない」

 刀を見つめるアランの眼差しは、見事な技に敬意を払う一人の職人のそれであった。
 その後、軽口を叩けない雰囲気を皆が感じたのか、場は静寂に包まれた。暫くしてから、そんな空気を作った張本人であるアランが口を開いた。

「そろそろいい時間だし、解散にしよう」

 まだ深夜と呼ぶには早い時間であったが、もう酒を呑んで騒ぐ雰囲気にはなれそうもないと皆思ったのか、三人はアランに頷きを返した。

   ◆◆◆

 その後、アランはアンナを城まで送ることにした。これにはディーノとクラウスもついて来ることになった。
 アンナはアランの部屋に泊まりたいと願い出たが、

「こんなところで寝るよりも、城に帰ってちゃんとしたベッドで休んだほうがいい。アンナはかなり酔っているみたいだからそうすべきだ」

 と言われ却下された。

 アンナを送る間、誰一人口を開くことは無かった。
 それは先ほどアランがした話のせいであった。アランの話は皆に刺激を与えていた。
 皆が抱いた感情は様々であった。ある者は共感し、またある者は僅かに感動し、思うところがあれどもあえて口に出さない者もいた。

 しかしある二人、アンナとディーノには共通したある意識があった。それは「自身の将来、未来について」であった。
 アランは悩み、考えながら生きている。自分は今までそうだっただろうか? これから自分はどうしたらいいのだろうか? そんな思いが皆の心の中にあった。そしてこの問いに正解と呼べるものなど存在しないことも皆理解していた。

 未来は誰にもわからない。しかし行動によって切り開くことはできる。そして自身のことを真に理解し、自身が思い描く未来のために行動できる人間、それはやはり自分しかいないのだ。

 そしてアランが今になって刀の持つ優位性を人に明かしたのには理由があった。
 以前のアラン、戦いによる「名誉」を強く求めていた頃のアランであればその秘密を人に明かすことはなかっただろう。
 自身が上に登るために、望みを叶えるために何かを秘密にする、それ自体は全く悪いことでは無い。
 しかし今のアランの心の中には「名誉」よりも価値あるものが生まれていた。
 それが何なのか、アラン自身まだ気がついていない。アランがそれを自覚するのはまだ先の話である。

   ◆◆◆

 次の日――

 心地の良い朝、アンナは今日も兄の部屋にお邪魔しようと考えていた。
 しかし兄は留守であった。困ったアンナは兄の姿を探して周辺をうろついてみることにした。
 しばらく歩いた後、兵舎から少し離れたところにある空き地の前を通りすがったアンナは、その中央に出来ている人だかりを見て足を止めた。

(何かしら?)

 その人だかりの中にはディーノの姿があった。ディーノはどこか興奮したような様子で、時折歓声を上げていた。
 気になったアンナは人ごみの中に割って入り、ディーノに話し掛けた。

「こんにちは、ディーノ様」
「妹さんじゃないか。アランを探してるのか?」
「ええ。どこにいるかご存知ありませんか?」
「アランならそこにいるぜ。ほら」

 ディーノはそう言いながら人ごみの中央を指差したが、背が高くないアンナは人垣のせいでよく見えなかった。
 仕方なくアンナは再び人ごみの中に割って入り、強引に最前列へ躍り出た。
 ディーノの言うとおり兄はそこにいた。
 兄は広場の中央で刀を手に身構えていた。
 それはアンナが初めて見る構えであった。左半身を正面に向けた真半身の姿勢を基本に、胸に押し当てるように折りたたまれた左腕、そして刀を握る左手は顔の右真横に置かれ、柄の底に押し当てられた右手を支えに、その切っ先は真正面に向かって伸びていた。
 アランが握る刀は発光していた。そしてアランから見て前方、やや離れた位置に、手をアランに向かってかざしている四人の兵士達がいた。

(何をしているのかしら、まさか――)

 そのまさかは現実となった。兵士達はアランに向かって一斉に光弾を放った。

「あ、危な」

 あまりの事にアンナは咄嗟に声を上げた。しかしそれは最後まで言葉にならなかった。それは直後に起きた出来事に心奪われたからである。
 アランに迫る光弾は四つ。アランから見て真正面に一つ、右手側から一つ、左手側から二つ。
 アランはまず正面から迫る光弾に向かって光る突きを放った。
 突きは光弾の表面を捉えた。アランは光弾を刃の上に滑らせながら、真右に振り払った。
 その際、アランは右手側から迫る光弾も巻き込んだ。二つの光弾は刀身の上でぶつかり合い、削りあった。そのまま切り払われた光弾は空中で霧散した。
 アランは右に振り払うと同時に左に向き直り、返す刃で左手側から迫る二つの光弾を迎え撃った。
 迫る光弾のうち一つは間もなくアランの左膝に、もう一つは僅かに遅れてアランの顔面に到達しようとしていた。
 アランは膝に迫る光弾の下に潜り込ませるように突きを放った。
 アランはそのまま光弾を刃の上に滑らせながら、刀を上に振り上げた。
 そして先と同様、アランは顔面に迫る光弾もその振り上げる刀身に巻き込んだ。ぶつかりあった光弾は真上に上昇しながら霧散した。
 その見事な技に、ディーノ含む観客達は、一斉に沸き立った。

 この時、アンナの心中には様々な感情が駆け巡った。
 まず沸き起こったのは畏敬の念。兄の剣技は既に自分の手が届かぬ域に達しつつある、アンナはそう感じていた。
 先のアランが見せた太刀筋は不思議なものであった。小さな線が連続して円のような曲線を描いたような、線でありながら円とでも言うべきか、鋭くかつ柔軟、そんな太刀筋であった。
 次に沸き起こったのは嫉妬。炎の魔法剣で多くの戦果を挙げてきたアンナにはそれなりの自負があった。しかし先ほど目にした兄の技はそんな自負を軽く吹き飛ばすものであった。
 もし自分があの刀を手にしたとして、兄と同じことができるだろうか? その問いにアンナの理性は明らかな否定を返していた。

 そしてその嫉妬は遠慮という形で表に現れた。兄と話したい、アンナはそう思っていたが、結局何も言わずその場を立ち去ったのであった。

   ◆◆◆

 そんなこともあったが、アンナは久しぶりの兄との触れ合いに、幸せをかみ締めた。
 しかし、そんな幸せな時間は一週間ほどで突然の終わりを迎えることになった。南東で敵の姿を見たという情報が入ったからだ。

 出発の準備を整えたアンナは馬に跨り、兵士達を引き連れて門を出ようとした。
 門前にはクリスを先頭に多くの見送りが並んでいた。
 しかし彼らの中に兄の姿は見当たらなかった。
 これにアンナは寂しさを感じたが、すぐに気を取り直し、彼らに馬上から礼を示した。

「それでは皆様、どうかご無事で……」

 この言葉にクリス達は深く頭を下げた。
 アンナは頭を下げたままのクリス達の前を横切り、そのまま門を抜けた。
 その時、門を抜けたところで待っていたある人物の姿に、アンナは馬を止めた。

「お兄様!」

 それはやはりというべきか、アランであった。アンナはすぐさま馬から降り、兄の傍に駆け寄った。
 飛び込んできた妹を抱きとめたアランはそのまま口を開いた。

「戦いに行くんだね。アンナなら大丈夫だと思うけど、気をつけて。俺も自分にできることを頑張るよ」

 俺も頑張る、その言葉に反応したのか、アンナは口を開いた。

「あれから考えたのですが……私はお兄様が戦うことにはやはり反対です」

 あれから、それはアランの部屋で話し合ったあの日から、ということであろう。

「すまない……俺の我侭を理解してもらおうなんて甘い考えは持ってないよ。アンナには気苦労をかけて申し訳無いと思っている」

 アランのこの言葉はアンナの胸にちくりと突き刺さった。
 アランはアンナの肩から手を離し、数歩後ろに下がった。

「それじゃあ……体に気をつけて、アンナ」

 そう言ってアランはアンナに背を向け、城内へと歩き出した。
 その後ろ姿に焦りにも似た感情を覚えたアンナは、咄嗟に手を伸ばしその背を掴んだ。

「お兄様、どうか、どうか死なないで下さい。お兄様がいなくなったら私は……」

 その言葉のあと、アランは自身の背にアンナの体が寄り添うのを感じた。突然のことにアランは一瞬口を閉ざしたが、暫くして背中越しに言葉を返した。

「アンナ、それは……」
「何も言わないでお兄様。これはただの我侭。約束できないことなのはわかっています。私がそう願っていることを心の片隅に置いてくれれば、それだけで十分です」

 やっと素直になれた。そう、この言葉だけで良かったのだ。アンナの心は救われたかのように軽く、穏やかなものになっていた。

 アランは戦いの中に身を置くべきでは無い、アンナが兄に放ったその言葉は至って正論である。
 しかしアンナは一つ思い違いをしていた。今のアランは戦いによる名誉を重んじてはいない。アランは戦場に惹かれているわけでは無いのだ。
 自立のため、それは今やただの建前になっていた。結局、アランは具体的に何をしたいのか? 本人も自覚していないその答えは後に明らかになる。

   ◆◆◆

 次の日の朝、アランは城内にある鍛冶場で鎚を振るっていた。
 鍛冶場というよりは工房と言ったほうが正しいかもしれない。この施設はほとんどアラン自身の手で作られたものだからだ。
 作業員はアランのみ。この施設はアランだけの、アランのための作業場であった。
 アランは考え事をしながら鎚を振り下ろしていた。それは自身の名を呼ぶ声すら耳に入らないほどであった。

「おい、アラン!」

 何度目かになるその声に、アランはようやく顔を上げた。声の主はディーノであった。

「ああ、すまん。考え事をしていて気付かなかった」
「そんなに考え事をしながら、よく作業ができるな。ちょっと羨ましいぜ」
「で、何の用なんだ?」
「いや、別に用はねえんだ。何となく声を掛けただけでな。しかしちょっと呼んでも気付かないくらい集中してたみてえだが、何を考えてたんだ?」
「……昨日アンナに言われたことを思い出してたんだ」

 アランがその内容を簡潔に話すと、ディーノは口を開いた。

「まあ……妹さんが心配するのは当然だろうな」
 ディーノはアンナの言葉に理解を示した。
「実は、父にも似たようなことを言われたんだ」
「何を言われたんだ?」
「それは――」

 アランはあの日、稽古があったあの夜に、父から言われたことをディーノに話した。

「やばくなったら、さっさと結婚して子供を残せ、か。……親父さんにはお前とアンナしかいねえんだろ? それなら、至極真っ当な事を言ってると思うぜ」

 ディーノはカルロの考えにも理解を示した。そしてそれはアランも同じであった。

「確かに二人の言うとおり、俺はいつまでもここに居ることはできないと思う」

 アランはディーノから視線を外し、鎚を一振りしたあと、再び口を開いた。

「最近よく考えるんだ。俺はここにいるべきなのかなって。『自立』したいなんて偉そうなことを言ってここに来たけど、具体的にどうすれば『自立』したことになるのか、見当すらついていない」

 アランの言葉に、ディーノは暫し間を置いた後、口を開いた。

「……アラン、お前が『自立』するのは、相当難しいと思うぜ」

 当然のように、アランはその意を尋ねた。

「難しいって、それはどういうことだ?」
「……お前の親父さんがカルロだからだよ」

 分からない顔をするアランに、ディーノは言葉を続けた。

「一般人ならよ、『自立』するのはそう難しいことじゃねえんだ。働いて、自力で生活するだけでも十分自立したことになる。
 でも、お前は違う。お前の親父さんは偉大な人だ。だから、どこにいてもお前は親父さんの加護を受ける。どこにいても、親父さんに守られている」

 ディーノはアランから一瞬視線を外した後、次のように締めくくった。

「お前が自立しようと思ったら、親父さんを超えるしか無いと思うぜ。でも、親父さんを超えようと思ったらよ、相当でかいことをやらなきゃいけないと思うぜ」

 この言葉に、アランは何も言えなかった。
 父を超える――どうすればそうなるのか、アランには見当すらつかなかったからだ。
 押し黙るアランに、ディーノは少し間を置いてから口を開いた。

「……とにかく、お前のその考えは間違っちゃあいないような気がするぜ。自立を目指すことが間違っているはずがねえ。
 でも、お前の親父さんはでかすぎるんだ。それをいきなり超えるなんてのは難しいだろう。それよりも、小さくとも一歩ずつ進んでいったほうがいいと思うぜ」

 小さくとも一歩ずつ――その言葉に心を動かされたアランは口を開いた。

「一歩ずつ、か。確かにその通りだ。そうするしかない、いや、それしかできない。今の俺にとって父の背中は遠すぎる」

 そう言ってアランは鎚を一度振り下ろし、思考を一度整理した後、再び口を開いた。

「ディーノ、俺は最近よく考えることがあるんだ。自分のために、じゃなくて家のために何かをしなくちゃいけないんじゃないかって」
「……それは、ここを離れて家に帰ったほうがいい、と考えてるってことか?」

 これに、アランは肯定でも否定でも無い言葉を返した。

「……正直、自分でもよくわからない。でも、アンナや父上はそうしたほうがいいと言っていて、俺もなんとなくそんな気がしている」
「……具体的にいつどうするかとかはもう考えてるのか?」

 これにアランは気まずそうな顔をしながら答えた。

「……それが、全然」

 これにディーノは笑みを浮かべながら口を開いた。

「なんだ、結局まだここを離れる気は無いってことか。未練たらたらじゃねえか」

 ディーノは笑いながら言葉を続けた。

「まあ、それでいいんじゃねえか? 俺としちゃあその方が嬉しいし。帰るのは本当にやばくなってからでもいいだろ」

 この地にいることが既にやばい気がするのだが。アランはそう思ったが、黙っていた。
 そして、その代わりにアランはこんな言葉をディーノに返した。

「……今はまだ、ここにいることを許されていると思う。でも、いつか時間切れが、帰らなければならなくなるその時が来てしまうんだと思う」

 この言葉にディーノは何も言えなかった。アランはそんなディーノから視線を外し、槌を振り下ろしながら言葉を続けた。

「その時までに俺は何が出来るのか、何を得られるのか、何をすればいいのか……本当に何も分からなくて困ってるんだ」
「……」

 悩むアランと何も言えないディーノ。二人の間に漂う微妙な空気は、互いの道が外れていることの証明のようであった。

 ここでの生活でアランの考え方は少し変わっていた。アランは今では自身の感情よりも、家の将来のほうが大事であると考えるようになっていた。

 アランの視点はまだ低い。彼が家ではなく、この国の未来を見据えるようになるのはまだ先の話である。

   第二十一話 復讐者 に続く
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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

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稲田 新太郎

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