シヴァリー 第十八話

   ◆◆◆

  歪んだ信仰

   ◆◆◆

 その頃――

 神学校に入れられたラルフは退屈で、そして苦痛な毎日を送っていた。
 この神学校は兵士の養成所のようであった。
 朝早く起床し、集合して点呼を取る。そして基礎体力訓練の後に朝食。
 その後午前中は教師と机を前に学問に励み、昼食の後は夕食の時間まで魔法の訓練。
 いずれも時間には厳しく、破った者には厳しい罰が与えられていた。

 だが、これだけならラルフにはどうということも無かった。収容所という地獄を経験してきたラルフにとっては生ぬるいくらいであった。
 ラルフを悩ませているもの、それは夕食の後にあった。
 
 ある日の夜、夕食を済ませたラルフは今日も神父の『お話』を聞かされていた。

「魔法は神の力であり、神からの授かりものであり、神の愛である――」

 そのいつも通りの決まり文句から始まる『お話』に、ラルフは憂鬱になっていた。
 寮の食堂に集まっている生徒達を前に、神父は雄弁に語っていた。今日の『お話』の内容は偉大なる大魔道士の力の強大さについてだった。

「皆さんも偉大なる大魔道士のような神に愛された存在にならなければなりません。己が魔法能力を磨き、神の愛をその身に宿すのです。そして神を信仰し、神のために勤め、神に恩を返さなければなりません」

 神父のこの言葉に、ラルフは思わず口を開いた。

「神父様、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 神父は手をラルフのほうに向け、「どうぞ」の意思を仕草で示した。

「神の愛というのがよくわかりません。世の中にいる無能力者達は神に愛されていないということでしょうか?」
「その通りです」

 神父の率直な回答にラルフは苛立ちを覚えた。

「どうして神はそのような仕打ちを彼らにするのですか?」

「仕打ち」という部分に反応したのか、神父は小さく咳払いをしたあと口を開いた。

「神は善き者を愛します。世にいる無能力者達は『前世』で悪いことをしたからその罰を受けているのです」

『前世』、この言葉にラルフの苛立ちはますます強くなった。無茶苦茶だ、ラルフはそう思っていた。

「やはりよくわかりません。神父様が仰っている『神の愛』が魔法能力の強さという形で表れ、それが善き者に与えられるものであるならば、何故この世には『血筋』というものが存在するのですか?
 例外もあるようですが、強い力を持つ者の子は親と同様に強い力を持つ傾向にあります。そのような子は生まれた時点で既に神に愛されているということですか?」

 これに神父は「なんだそんなことか」と言わんばかりの表情で答えた。

「そのような強い力を持つ一族は神に愛された血族と呼ばれています。そんな血筋の家に生まれる子は、前世で善き行いを積んだ者の『魂』が選ばれているのです」

『魂』、またよくわからない言葉が出て来た。神父は無能力者が神の愛を受けるには、善行を積んだ上で死に、転生しなければならないと言っている。
 これに対しラルフは率直な疑問を神父に尋ねた。

「なぜ神はそんな回りくどいことをするのですか? どうして神は善き行いをした人間にすぐ愛を与えないのですか? 無能力者が皆悪人であるとは思えません。彼らの中には善い者もいます。そのような者にこそ、神はすぐに手を差し伸べるべきなのではありませんか?」

 ラルフは自分の母とリリィのことを思い浮かべながらそう言った。
 これに神父は一瞬戸惑った。当然である、それが何故なのかわかるはずがないのだから。
 ラルフは戸惑う神父を畳み掛けるように再び口を開いた。

「神父様、私には神の存在が全く感じられないのです。私には強い力を持つ者の子も同じく強いというのは当たり前のことで、そこに神秘性など全く感じられないのです。『魂』だの『前世』などの話は、つじつまを適当に合わせるために後からつけた屁理屈にしか聞こえないのです」

 ラルフのこの言葉に、神父は怒りをあらわにした。

「口を慎みたまえ。神の御考えは我等には到底計り知ることなどできないものなのだ」

 神父のこの返答にラルフの苛立ちは怒りに変わった。
 だがラルフはその怒りを口に出すことはしなかった。どうせ何を言っても無駄だと思ったからだ。

 ラルフはここにいる他の人間とは違う。ラルフはかつて収容所にいた人間であり、彼の実母と、彼が慕うリリィは無能力者なのだ。そんなラルフにとって今の神父の話は受け入れ難いものであった。

   ◆◆◆

 そんな生活であったが、自由な時間が全く無かったわけではない。
 就寝前にある自由時間、決して長くは無いその時間にラルフはあることをしていた。
 それは「創作」であった。
 机に向かい、紙の上に筆を走らせる。
 ラルフが書いているもの、それは「偉大なる大魔道士」の物語であった。

 始めたきっかけは「なんとなく」であった。
 そして、最初は淡々としたものであった。リリィと読んだあの歴史書の内容を思い出しながら、黙々と字に起こしていくだけの作業であった。
 しばらくして、それは「興奮」に変わった。
 偉大なる大魔道士の歴史はやはり素晴らしかった。それはこの退屈で陰鬱な生活の中では、とても眩しく感じられた。
 ラルフの創作活動はそこから始まった。そして、ラルフはまず「考証」から入った。
 偉大なる大魔道士はどうしてこんなことをしたのか、当時何を考えていたのかを想像し、書き記していった。
 正解などどうでもよかった。当時の人間が本当にそんなことを考えていたかなどわかるはずもない。重要なのは考え、自分なりの結論を出すことなのだから。

 そして「考証」に飽きた頃、ラルフは本格的に「創作」を始めた。
 それは「想像」であった。ラルフはありもしない戦いをでっち上げ、物語にした。
 ラルフが書いた物語は複数あるが、内容はどれも似ていた。要は虐げられている弱者のために偉大なる大魔道士が戦う、というものだった。
 その中には子供じみた妄想もあった。物語の中に自分の分身を登場させ、偉大なる大魔道士と共闘させたり、偉大なる大魔道士の窮地を救わせたり等だ。
 そして、ラルフはこれを人に見せたことは無く、見せるつもりも無かった。
 それでも彼は書かずにはいられなかった。いつか忘れてしまうかもしれない、記憶の内容が変わってしまうかもしれない、その恐怖と興奮が彼にペンを握らせていた。
 そして、この抑えきれない衝動が一つの過ちを犯させてしまうのであった。

   ◆◆◆

 ある夜、一つの物語を書き終えたラルフは、その手記をいつもの場所に隠そうとした。
 その時、一枚の手記がひらりと彼の手元から滑り落ち、それは衣装棚の下に滑り込んだ。
 いつもの注意深いラルフであればこれに気がつけたであろう。しかし「興奮」が彼の感覚を鈍らせていた。
 ラルフはその過ちに気づかないまま床に就いた。この後にその心が焦りに支配されることになるとも知らず、心地よい興奮を抱いたまま彼の意識はゆっくりと沈んでいった――

   ◆◆◆

 翌日――

 いつも通りの一日を終え、自室に戻ったラルフは就寝前の自由を満喫していた。
 この時間は手記を見直すのが日課であった。それはラルフにとってささやかな趣味であった。
 しかしラルフがいつもの隠し場所に手をかけた瞬間、彼は自身の体から血の気が引くのを感じた。

(誰かに触られている……?)

 感じた違和感からラルフはそう思った。ラルフは思わず力任せにその場所をひっくり返した。
 ラルフの嫌な予感は当たっていた。手記はどこにも見当たらなかった。
 直後、彼の心を支配したのは大事なものを奪われたことによる悲しみでは無く、焦りであった。
 とても嫌なイメージが彼の心の中にあった。なまじ頭が良いからであろう、彼はこの後どうなるか想像できてしまったのだ。

 ラルフは激しい後悔に苛まれ、結局一睡も出来ないまま夜を明かした。

   ◆◆◆

 数日後、ラルフの嫌な予感は現実となってしまった。学校長に呼び出されたのである。

「失礼します」

 ラルフは緊張を顔に滲ませながら校長室のドアを開けた。

「やっと来たか、ラルフ」

 しかし部屋に校長の姿は無く、代わりにラルフを迎えたのはヨハンだった。
 ヨハンの顔を見たラルフはぞっとした。
 それは今まで見たことが無い表情であった。無表情という表現が近かったが、どこか力強さを湛えた眉と、いつもより角張って見える頬骨が得体の知れない何かを感じさせた。
 何かを押し殺して無表情を装っている、ラルフはそう感じた。

「ラルフ、こんなものがお前の部屋から出てきたのだが」

 ヨハンの私室に入ったラルフは、挨拶をする間もなくこんなことを言われた。
 ヨハンが指差すテーブルの上にラルフが目を向けると、そこには無くなった手記が置かれていた。
 ヨハンはその手記の中から数枚を取り出し、ラルフに手渡した。 

「こんな話をどこで聞いた?」

 手渡されたその手記は、偉大なる大魔道士が奴隷であった話と、奴隷の為に戦っていた話をまとめた部分であった。
 ヨハンが望む内容で、かつ不自然では無い答えを返さなければならない。それは分かっていたのだが、ラルフには都合の良い回答が浮かばなかった。
 そして結局ラルフがヨハンに返したのは沈黙だけであった。何も言わないラルフに痺れを切らしたのか、ヨハンのほうが先に口を開いた。

「ラルフ、どこでこんな話を聞いたのか知らないが、これは間違っている。魔法は神からの贈り物であり、神の子と称されている偉大なる者が無能であったなどありえない」

 これにラルフは何も答えなかった。ヨハンは続けて口を開いた。

「ラルフ、これは忌まわしき『嘘』だ。決して信じてはいけないし、他人に言ってもいけないよ」

 ラルフはやはり黙ったままであった。ヨハンはこの話の真偽を重要視していたが、ラルフにはそんなことはどうでもよかった。ラルフにとってこの偉大なる大魔道士と奴隷の関係を描いた話は心地よく、正しいと思えるものであり、本当かどうかなど些細な問題であった。

「わかったね?」

 黙ったままのラルフに対し、ヨハンは念を押すように尋ねた。

「……はい」

 ラルフは特に口答えもせず、ただ同意だけを返した。そうすればこの場は何事も無く終わる、そう思ったからだ。

「……それならいい」

 ヨハンは机の上にあった本を取り、ラルフに手渡した。

「ラルフ、これが正しい歴史だ。読んでおきなさい」

 ラルフはこれに何も言わなかった。

「……今日はもう部屋に戻って休んでいなさい。担当の教師には今日は休ませると、私から言っておく」

 言われたラルフは軽い一礼だけしてすぐに部屋から出て行った。

   ◆◆◆

 その夜、ラルフはその本を読んだ。
 だが、一通り目を通したところで、ラルフはその本を床に投げ捨ててしまった。
 この本には偉大なる大魔道士が弱者のために戦ったという記述は一切存在しなかった。
 しかし、それだけならまだ許せた。どうしても我慢ならない事がその本には書かれていた。
 それは魔法信仰に関しての記述であった。今の魔法信仰は偉大なる大魔道士が作ったものとされており、本の中で偉大なる大魔道士は教祖とされていた。
 リリィと一緒に読んだあの本にはそんな記述は一切無い。それどころか、今の魔法信仰は偉大なる大魔道士の死後、それも相当の年月が経過してから生まれたものだとルイスから聞いている。
 ラルフはその本に対して怒りの感情しか沸かなかった。偉大なる大魔道士が汚されている、そう感じていた。

 そして、自身の心までもこの後汚されてしまうということを、この時のラルフはまだ知らなかった。

   ◆◆◆

 一週間後――

「リリィ、出ろ」

 早朝、まだ日が差し始めたばかりの時間に叩き起こされたリリィは、そのまま外へと連れ出された。
 連れ出された先は収容所の唯一の出入り口である大玄関であった。
 そこにはリリィ以外にも同じように連れ出されたらしい囚人達が十名ほどいた。彼らの前には収容所の管理人であるデズモンドが立ち、その周りには屈強な兵士達がいた。
 一体何が始まるのか。その答えをデズモンドが口に出した。

「今日は外である仕事をしてもらう」

 デズモンドがそう言うと、兵士達は拘束用の鎖を取り出し、囚人達の手と足に取り付け始めた。
 両足を結ぶ鎖の長さは短かった。歩けないことはないが、歩幅を広く取ることはできない。これでは走ることは難しいだろう。手に至っては満足に動かすことすらできなかった。
 そして、全ての囚人達に拘束具が取り付けられたのを確認したデズモンドは口を開いた。

「それでは出発する。一列に並んでついてくること」

   ◆◆◆

 外は雪が深く積もっていた。
 そんな中、囚人達は兵士の後に続き、一列で行進していった。

(冷たい……)

 リリィの心にはその言葉しか無かった。
 足は完全に雪の中に埋まっており、リリィは雪を掻き分けるように足を前に出していた。足を高く上げようにも、鎖のせいでできなかった。
 冷え切った足は感覚がほとんど無くなっていた。リリィは雪を掻き分ける音だけを頼りに、足を動かしていた。
 そして、リリィは視線を足元に落として歩くことだけに集中した。こうすれば冷たさが少しだけ紛れるからだ。
 その時、リリィの頭に何かがぶつかった。

「?!」

 リリィは思わず顔を上げた。足元ばかり見ていたせいで、前の人とぶつかってしまったのだろうかとリリィは思ったが、そうでは無かった。
 直後、リリィの顔に再び何かが当たった。
 それは、雪を丸めた作った雪球であった。

「罪人めー。 これでも食らえー」
「!」

 無邪気な子供の声と共に、雪球がリリィに叩きつけられる。
 思わず目を向ける。そこには、雪球を持った子供達がいた。

「無能力者めー」
「神の裁きだー」

 子供達は笑顔を浮かべながら雪球を次々とリリィ達に投げつけた。そして、兵士達はそれを止めようともしなかった。

(痛っ!)

 突如、リリィの額に鋭い痛みが走る。ただの雪球が当たった痛みでは無い。
 足元を見ると、砕けた雪の中に透明な塊が落ちていた。
 それは氷柱(つらら)の先端部であるように見えた。
 額がうずき、そこから液体が垂れてくる感覚。その液体はリリィの目に入り、視界を赤く染めた。

「思い知ったか、罪人めー」

 血を見てもなお、子供達の遊びは止まらなかった。
 結局、この無邪気で残酷な行為は、子供たちが飽きるまで続けられた。

   ◆◆◆

 しばらくして、一行はある施設に到着した。
 中に入ったところでリリィ達の手枷が外され、デズモンドが口を開いた。

「今日お前たちをここに連れてきたのはある作業をしてもらうためだ」

 作業? リリィが心の中で首を傾げると、デズモンドは説明を始めた。

「ここは処分場と言って、収容所内で病気にかかった者や、怪我や老いなどで労働に従事できなくなった者を処分している施設だ」

 それはまるで家畜のような扱いであった。そして同時に、リリィだけで無くその場にいた全員が、これからする作業が何なのかを理解した。

「今日、この施設でこれからある行事が行われる。お前たちにはその行事の手伝いと後片付けをしてもらうことになる」

 死体が出来る行事、それが何なのか、リリィは想像したくも無かった。

   ◆◆◆

 一方、この処分場にリリィと同じ、いやそれ以上の憂鬱さを胸に抱えている人物がいた。
 それはラルフであった。彼の周りには同じ神学校の生徒達が集まっていた。
 そして生徒達の前には一人の兵士が立ち、口を開いていた。
 兵士はこの施設についての説明と、これから生徒達に何をしてもらうのかを説明していた。
 ここでやらされること、勘の良いラルフは言われる前から気付いていた。それは収容者の処分を生徒達自らの手でやってもらう、ということであった。
 仮病を使ってでも欠席したい、ラルフがそんなことを考えたのは初めてのことであった。
 しばらくして、兵士からの説明が終わったのか、皆は移動を開始した。
 話を全く聞いていなかったラルフは皆がどこに向かおうとしているのか分からなかったが、とりあえず後ろについていくことにした。
 しかしその足取りはとても力無いものであった。無慈悲かつ残酷なその時は、ラルフに着実に迫っていた。

   ◆◆◆

 少し歩いて辿り着いた場所、そこはラルフの気持ちをさらに重くした。
 それは処刑場であった。処分場の中に作られた天井の無い開けた場所、その壁際に一本の丸太が打ち込まれていた。
 ここまで生徒達を先導していた兵士はラルフに視線を移した。
 ラルフは意識して目を合わさない様にしていたが、そんなささやかな抵抗など無意味であった。

「一人目はラルフ、君にやってもらう。前に出ろ」

 ラルフは従うしかなかった。ラルフは兵士に指示されるまま、丸太の前に立った。

「処分者を連れてこい!」

 兵士がそう声を上げると、ラルフ達がやってきた通路とは違う入り口から、その者が姿を現した。
 それを見たラルフは時間が止まったような感覚を覚えた。
 ラルフが見て驚愕したもの、それは処分される男の方では無く、それを連れてきた女性の方であった。

「リ……」

 ラルフの本能はその名を口にすることを咄嗟に止めた。
 リリィはうつむいていた。彼女もまた先のラルフと同様に意識してラルフと目を合わさないようにしているようであった。そしてその表情はどこか申し訳なさそうであった。
 リリィは連れてきた男を丸太に縛りつけた後、まるで逃げるかのように足早にその場を去っていった。

「構えろ、ラルフ!」

 兵士の言葉にラルフは咄嗟に反応することができなかった。リリィがあの通路の影からこっちを見ているかもしれない、それがラルフの動きを鈍らせていた。
 そしてその考えは当たっていた。リリィはラルフからは見えない位置から処刑場の様子を伺っていた。
 ラルフはおずおずと構えたが、その手は震えていた。
 兵士はそんなラルフの様子を良しと思わず、叱咤の声を上げた。

「彼らは神に見放された『悪』だ。情けなどかけるな!」

 しかしラルフはまだ撃てなかった。

「どうしたラルフ、早く撃て!」

 この言葉にラルフは遂に光弾を放った。
 しかしその光弾は貧弱なものだった。光弾は縛られた男の腹に命中したが、殺すには至らず、彼の胃の中身をぶちまけさせただけであった。

「何をやっているラルフ! そんな弱い魔法では人は殺せんぞ!」

 ラルフは目を瞑りながら再び光弾を放った。
 それは男の顔に命中した。何かが砕けるような音と共に、周囲に血しぶきが飛んだ。
 しかし男はまだ死んではいなかった。顔面から血を流しながら小さな呻き声を上げていた。

「まだ弱い! もう一度!」

 ラルフは顔を背け、心の中で叫び声を上げながら光弾を放った。
 その光弾は先の二つとは見た目からして別格であった。大きく、速く、そして眩しかった。
 光弾は文字通り男を「粉砕」し、その後ろにある壁も破壊した。その凄まじさに、場は騒然となった。
 兵士はラルフに賞賛の声を掛けようとしたが、それはできなかった。
 ラルフはいなくなっていた。ラルフは最後の光弾を撃ったと同時に走り出し、その場から逃げ出していた。

   ◆◆◆

 ラルフはすぐに見つかった。彼は収容所傍の雑木林の中にいた。
 ラルフは木の根元にうずくまり、泣きながら吐いていた。もう胃の中に何も残っていないのか、ラルフは嗚咽を続けていたが、その口からは何も出てきていなかった。
 兵士はそんなラルフの傍に立ち、口を開いた。

「ここにいたのかラルフ。壁を壊したことを咎めるつもりは無いから安心したまえ」

 ラルフは何も答えなかった。そもそも喋れる状態では無いが。

「話には聞いていたが素晴らしい力だ。しかし、強弱の制御がまだ上手くできないようだな。もっと修練を積むことだ」

 ラルフはやはり何も答えなかった。そもそも、兵士の声など全く頭に入っていなかった。

 ラルフの心は悲鳴を上げていた。

 今日ラルフがやったことは、戦争で人を殺す行為とは全く違う。
 戦争にも色々あるが、真の戦争は全てを懸けた戦いだ。
 育まれた社会と文化から生まれた武器、技、戦術、戦略、民族性、それらを支える精神、これらを全てぶつけ合う、摂理の究極とも呼べる戦いだ。
 だから兵士達は死に立ち向かう。まだ見ぬ、会ったことも無い何万、数百万の同胞達のために、奇妙な連帯感を抱いて命のやり取りをする。

 これはそれとは違う。敵を殺す行為とは明らかに違う。相手はただの弱者だ。これはただの下劣な、いや、下劣を通り越したおぞましい殺人だ。
 そしてそうする事を、嫌っている魔法信仰に強要された。
 さらに、それを慕っている人に見られたのだ。

 ああ、何故逆らわなかったのか。心の悲鳴は嗚咽という形で表面に現れていた。
 ラルフの口からは粘り気のある胃液が流れ出していたが、彼の心の中にはそれ以上の粘りを持つ黒い何かが流れ込んでいた。
 それは濁流のようであった。黒い濁流だ。
 それが心の中に蓄積していく。濁流の先には既に黒い池ができていた。
 その中央から、ちらりと何かが覗いている。
 目を凝らす。
 すると、それと目が合った。

ラルフの心に棲む者

 それは人の顔のように見えた。
 何と形容したら良いのか――ラルフの頭は記憶という辞書の中からある単語を選んだ。

 それは「悪魔」のようであった。

 この衝撃的な出来事を期に、ラルフは大きく変化することになる。ラルフはその心の中に「怪物」を生んでしまったのだ。

 そして、心に大きな衝撃を受けたのはラルフだけでは無かった。

   ◆◆◆

 一方、処分場内部にある火葬場では、ラルフの光弾によって「粉砕」された男性の遺体の焼却が行われていた。
 囚人達はばらばらになった遺体を次々と火の中に投げ込んでいた。
 しかし作業を行っている囚人達の数は少なく、リリィの姿も無かった。

「ん? 人数が少ないな。他の者はどこに行った?」

 様子を見に来た兵士が尋ねる。
 傍にいた監視員が便所のほうに目をやりながら答えた。

「口を押さえながらその中に走って行ったよ。……こんなものを見れば無理も無い。こんな死体は初めてだ」
「確かに、こんな死体は俺も初めてだ。あの坊主、将来大物になるだろうな」

 笑みを浮かべながらそんなことを言う兵士に対し、監視員は肩をすくめながら何とも言えぬ表情を返した。

 リリィは便所の一番奥の個室でうずくまっていた。
 リリィもまたラルフと同様に嗚咽を繰り返していた。

 この出来事がリリィとラルフの関係をどう変えるのか、それはまだ分からない。
 しかし、これがリリィとラルフの未来を変える出来事であるのは間違いないのだ。

   ◆◆◆

 その日、夕食を終えたサイラスはフレディから処分場での出来事についての報告を聞いていた。

「壁を破壊するとは、やはりラルフの力は凄まじいな」

 そんな感想を口にするサイラスを前に、フレディは再び口を開いた。

「リリィにはこのまま監視をつけておきやす」

 サイラスは小さく頷いた後、口を開いた。

「ヨハンのほうはどうだ?」

 サイラスの問いに、フレディは答えた。

「ヨハン自体に大きな動きはありませんね」
「そうか。……今のところは特に問題なく順調、今後どうなるかはラルフ次第、というところか」

 サイラスは少し遠い目をしながらそんなことを言ったあと、フレディを部屋から下がらせた。

 今後どうなるかはラルフ次第、サイラスはそう言った。
 ラルフの「変化」の影響はリリィだけに留まらないのだ。それはこの国の未来を変えてしまうほどの大きな変化なのであった。

   ◆◆◆

 その頃、ラルフは薄暗い寮の部屋で、ベッドの上で布団を頭からかぶり、うずくまっていた。

 ラルフはめそめそと泣いていた。たまに発せられる嗚咽の音だけが部屋に響いていた。

 ラルフ、彼の精神は大人と呼べるほど成熟していない。まだ不安定である彼にとって、今日の出来事はあまりにも衝撃的すぎた。
 とても良くないことをしてしまった、それを慕っている人間に見られた、その事実が彼の心を掻き乱していた。
 そして、ラルフの心の中に生まれた小さな「怪物」は、そんなラルフの感情を食べて着実に成長しているのであった。

   第十九話 新たなる精鋭 に続く
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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

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稲田 新太郎

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