道徳について書いてみた

最近起きた出来事から少し思うところがあり、道徳について書くことを決心しました。

ですが、自分はこの道において未熟であると断言出来ます。
自分が道徳を語るなぞ百年早い、畏れ多い、という感情もあります。

ゆえに自分が本当に言いたいことを上手く文章にすることが出来ないかもしれません。
そこはご容赦願います。

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この言葉をまずは覚えておいてください。

「人の道は天と地の間にあり」

鼻につく気取った台詞だと思う方が多いでしょう。
ですが、自分はこの言葉こそが道徳の根源にあるものだと考えています。

しかしこの言葉だけで理解しろというのは難しいです。
なのでまずは「仁」と「義」について説明します。

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「仁」について

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道徳を語るにあたって、仁を出発点とするのは不適切かもしれません。
ですが、あえてこれを最初に選んだのは仁が理解しやすい概念だからです。

仁は様々なものを内包した概念です。
その代表とされるものは「情」と「愛」です。
これだけ聞けば「仁は優しいもの」という感想を抱く方が多数でしょう。
最初はその考えかたでまったく問題ありません。

仁は社会というものを形成するための基本概念です。
「情」や「愛」に溢れた社会は、助け合いや相互協力に満ちていることが想像できるでしょう。

では、仁が全く無い社会、「情」や「愛」が全く存在しない社会はどうでしょうか。
仲間が酷い目にあっていても知らん振り、家族の面倒を全くみない、そんな冷たい社会が想像できるでしょう。

仁が全く存在しない社会は「己」の概念が極まった社会になります。
いわゆる「自己中」のような、自分だけが良ければそれでいいという「利己」の概念しかない世になります。

ここまで聞くと仁は素晴らしい、仁こそ純粋な善、だと考える方がいるでしょう。
残念ながらそれは間違いです。

悪人であっても仁は持てる、使える概念だからです。
まず「群れる」という行為そのものが仁の概念を含んでいます。
あくまでも仁は社会や組織を構成するために都合がいいというだけの概念なのです。

どんな概念や思想も重要なのはどのように使うかです。
仁をもって悪を払うことも出来れば、悪を育てることも出来てしまうのです。
情や愛を無差別に向ければ悪も助けることになってしまうことが簡単に想像出来るでしょう。
弱きものを助けるために作った制度が悪人に利用された、という事例は数え切れないほどあります。
最近だと生活保護がそうでしょう。

仁は「情」や「愛」などの優しいものだけではありません。仁は時に厳しさを表すことがあります。
仁というものを長い眼で見て使おうとした場合、すなわち時間をかけて体現する場合にそうなることが多いです。
例えば、最初は苦痛を強いることになるが、それを乗り越えれば後に強固でより良い社会を生み出すことになる、そんな政策や経営がそれにあたります。
日本では二宮金次郎(二宮尊徳)がこれを成した者の一人として有名です。

では次に「義」について説明します。

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「義」について

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道徳を語るのであれば真に最初に語るべきはこれである、と自分は思っています。
にもかかわらず仁の後にした理由は、仁と一緒に説明したほうが理解しやすい概念だからです。

義は難しいです。
ですが、一言で説明しろと言われれば、私は「義は摂理に準じた上で立ち向かう概念である」と答えます。

摂理とは自然界を支配している法則のことです。
よく「自然の摂理」という言い方で使われているので、存じている方は多いでしょう。

義はこの摂理を基本とした概念です。仁が社会に沿った概念であるのに対し、義は自然に沿った概念です。
ゆえに仁と義は並べて語られることが多いです。
かの孟子は「仁は人の心なり、義は人の道なり」と表現しています。

摂理は自然の法則であり、変えることが不可能に近いルールです。
「全ては有限である」「食べなければ生きていけない」「強きは弱きを殺すことが出来る(弱肉強食)」というものです。
これを変える、または否定しようと思ったら、無から有を自由に創造するような、そんな神の領域の技術が必要になるでしょう。

変わらないものであるがゆえに、義の概念はなにものにも付きまといます。
義とは、「どうしようもないものをあるがままに受け入れた上で、人としてどのように振る舞うのか」という概念です。

ここで最初の言葉を思い出してください。
「人の道は天と地の間にあり」とは正に摂理と義の関係を表したものなのです。
天と地とは自然のこと、要はこの地球のことを指しており、人の道は「義」のことを指しているのです。

ですが日常で「義」というものを意識することは難しいです。
しかしある時にそれが強く表面に浮き出てくることがあります。
それは「摂理」というものを強く感じる時でもあります。

一番わかりやすいものは「弱肉強食」というものが色濃く現れる状況です。

例えば、「あるグループが食糧難に陥り、何名かが死ななければならなくなった」、このような事態です。

摂理に従うならば「弱肉強食」の一言だけで全てが終わるでしょう。
ですが、義はこの状況にあるものを加えます。それは「人道」です。
何人か死ぬことは決まってしまった、それは変えられない、だが、誰が死に、生き残るべきなのかを様々な視点から考えようとするのです。
義は人間性というものを色濃く現すのです。

少し長くなりますが、義という概念は「結末はある程度決まってしまっているが、どのように事を進め、どのように終わらせるか、ということを「仁」などの他の概念を使いながら決定する」という形で体現されるものです。

なので義は様々な概念と絶ちがたい関わりを持っています。
ゆえに一つの言葉として繋がったものもあります。
「仁義」や「義勇」、「義理」、「義務」などがそれです。

「勇」はよく「義」と並べて語られる概念です。
なぜなら、「義」が色濃く現れる場面、すなわち「摂理」が強く現れる状況というものは激しい戦いになることが多いからです。

日本の道徳体系のひとつである武士道は「義」を基本とし、「勇」を重く扱っています。
ある武士は「義は武士の掟中最も厳格なる教訓である。武士にとりて卑劣なる行動、曲がりたる振る舞いほど忌むべきものはない。義の観念は誤謬であるかもしれない。狭隘であるかもしれない」と述べています。

この武士道については新渡戸稲造氏の著書「武士道」にてわかりやすく簡潔に説明されています。
興味が湧いたのであれば一度読んでみることをおすすめします。

最後が宣伝っぽくなってしまいましたが、とりあえずここで一旦終えたいと思います。
次回はまた気が向いた時に。
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テーマ : 教育
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稲田 新太郎

Author:稲田 新太郎
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